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パン

「僕はお前に身の回りの世話をさせようと思ったわけじゃない。もちろん料理や洗濯や畑仕事をさせようと思ってもいない。そしてここに畑はないから畑仕事などする必要もない」

「はい……」


 テーブルに置かれたカップに口をつけずにシオンはわたしを自分の隣に座らせる。シオンの部屋のソファは普通にベッドとして使えるのではないかと思うくらいに大きく座り心地もわたしの部屋のものとは全然違う。


「そもそもお前、自分が使用人たちにさまをつけて呼ばれていることを疑問に思わないのか」

「それは思っていましたが」


 この屋敷では誰のこともさまをつけて呼ぶようになっているのかと最初に勘違いをしたわたしはルルのこともさまをつけて呼んだらすぐに呼び捨てで構わないと訂正されたが、さすがにそれはできなくてルルさんと呼ぶことに落ち着いたいきさつがある。


「何度も言うがお前は僕の所有物だからな。使用人とは違う」

「あの、でも」


 それではわたしは所有物として一体どうすればいいのか。口を開こうとした途端にシオンがわたしの身体をソファに押し倒す。身体を起こそうとする前にわたしの身体の上にまたがり上から見下ろされるような格好になる。


「何故様をつけて呼ばれているのか教えてやる。所有物に敬意を払わないということは僕に敬意を払わないということと同じだからだ」


 冷たい手が頬にかかったわたしの髪を退けた。

 あ。

 あの手の感触だ。

 シオンの手がそのまままくれ上がったスカートをさらにまくりあげわたしの太ももの古傷をなぞる。背筋がぞくぞくした。

 ひどく恥かしいような気がしてそう感じたことを悟られないようにシオンから目をそらす。何度も裸を見られているのになぜか服を着たままの状態の今のほうが恥ずかしかった。

 ひんやりとした手がわたしの肌の上を滑る。知らないうちに目を閉じてその感覚にのみ意識を集中する。

 と、手の動きが止まったかと思うといきなり鼻をぎゅっとつままれる。


「……」


 驚いて目を開けると鼻先が触れる距離にシオンの顔があった。


「目を閉じるな。僕を見てろ」


 唇をゆがめてシオンが笑う。


「僕は怒っている。いや、怒っていた、か。勝手に傷をつけるなと言ったはずだな。今日投げられたのが泥団子ではなく石だったら確実にお前の身体にあざが付いていたはずだ」


 ここと、ここと…。呟きながら泥をぶつけられた場所を正確に手でなぞられる。何とも言えない感覚に身をよじって逃れたいのにシオンの身体が覆いかぶさっていてそれもかなわない。


「ただボケっと泥団子の標的になっていたお前も腹立たしいが」


 標的になろうと思ってなっていたわけではない。動くなと言われていたしどうしたらいいのか分からなかっただけなのだともいえずにわたしは微かに息を漏らす。


「僕の所有物に敬意を払わなかった子供たちにも腹が立つから、罰を下そうとした。……が、もうその子供は罰を受けていた」

「…………」

「今日何故孤児院に行ったか分かるか?」

「いえ……」

「僕はあそこが好きなんだ。あのどうしようもない感じが。あそこに行くと安心する。僕よりもまだ不幸な子供がこんなにもいるって」

「シオン様はご自分を不幸だと思っていらっしゃるのですか」

「お前から見て僕は幸福に見えるか」


 聞かれて言葉に詰まる。彼ほど恵まれている子供は見たことがない。何不自由のない生活。たくさんの使用人を顎で使うちいさな支配者。

 でもシオンはちっとも幸福そうには見えない。街で出会った人たちのような笑顔は一度も見たことがなかった。

 何か言わなければと思うが何を口にしても無駄な気がして余計に何も言えない。


「別にお前に憐れんでもらおうと思ったわけではない。つまらないことをしゃべった」


 ふ、とため息のように息を吐き、わたしの上から退くと平然と冷めたお茶を飲んだ。

 しばらくぼんやりと天井を見ていたわたしははっと気付き、急いで身を起してまくれたスカートをなおす。


「食事を取り損ねただろう。部屋で食べろ」


 どこからか小さな紙袋を取りだしわたしに押し付ける。

 中を見るとわたしの好きな甘いジャムの詰まったパンが入っていた。


「ありがとうございます」

「食事を抜かれてこれ以上触り心地が悪くなっては困るからな」


 シオンの手の感触を思い出し頬に血が上る。

 動揺を隠して飲み終えたカップを片付けようとするが手が滑り大きな音を立ててしまう。いつもと全く変わらないシオンを見ていると自分だけが動揺しているのが余計に恥ずかしい。

 急いで片づけを終えてわたしは挨拶もそこそこにシオンの部屋を出ると自室に戻ってベッドに飛び込むと頭から布団をかぶる。

 腕の中で妙な感触がしたと思って見ると先程シオンがくれたパンを抱えたままだったのを忘れていた。布団をかぶったまま紙袋を覗くと甘酸っぱいジャムの香りが食欲を刺激し、お腹が鳴る。

 食べようかどうしようか迷ったが、なんだかもったいないような気がして結局食べずにそのまま枕元に置き目を閉じた。

 

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