村
産まれた時からわたしは異端だった。
銀茶色の髪に赤みがかった瞳。夏でも血管が見えそうなほどに蒼白い肌。
農村地帯で日がな一日外仕事に明け暮れていた村人たちは男も女も日に焼けて健康そうな肌とどっしりと逞しい体つきの中で色素が薄いせいで陽の光の下では目眩をおこし長く活動できないわたしは役立たずのごくつぶしでしかなかった。
それでも両親がいた頃は普通の子供たちと同じくらいには幸せだったと思う。
両親とも線が細い人達だったけれど家の裏に作った小さな畑を耕し、自分達の食べるくらいのものは収穫できていた。わたしは体調が悪くならない程度に畑を手伝い、陽の光の高いうちは家の中のことをしていた。
外見のせいで同年代の子供たちから距離を置かれていたわたしは家の中で母が古い端切れで作ってくれた人形を遊び相手に日々過ごしていた。
生活が一変したのは6歳になった年。山菜を取りに行った両親が揃って崖から落ちて亡くなってからだ。
孤児となったわたしは村長のいえに仕方無しに引き取られ無理矢理畑仕事に連れ出されてはすぐに倒れたり動けなくなりする度に食事を抜かれたり折檻された。口汚く罵られ身形もかまわれずに放っておかれていたわたしは薄汚く異臭を放っていた。使わなくなった家畜小屋のすみをすみかとして与えられたまに残飯をもらったりしてなんとか生き長らえていた。
およそ人間らしい生活とは言いがたかったが、日々をぼんやりと過ごしていた。どのくらいそうしたときを過ごしていたのか、両親がなくなってから三度目の夏が来た頃、村に見たこともないような立派な身形をした一行がやってきた。4人の男たちは村人たちの着ているものとは全く違った形の服を着用してわたしが生まれて始めてみた馬を4頭引き連れていた。馬にはたくさんの荷がくくられて男たちは村中を悠々と見て回るその姿をわたしは物珍しさから家畜小屋の影から覗いていた。
4人とも立派な身形をしていたが中央にいる恰幅の長身の男が一行の主なのは周りの男たちの態度から見ていてわかった。
狭い村なので一行が村を一周するのにはそう時間もかからなかった。村人たちが阿呆のように口を開けて一行を眺めていると、中でも一番年若い男が村人に近付き何事かを尋ねると村人は慌てた様子で村長の家に駆け込み、長を連れてくる。
切れ切れに長と一行の話を漏れ聞いたところによると一行は商人で地方をめぐって商品として扱える品物を探しているらしい。そのときのわたしには商人と言うものが何かすら知らなかった。自給自足で生活している村には商店などなくたまに道に迷った行商人がやってくると大騒ぎになったくらいだったから、あいにく一行が気に入るような特産品等はなかったが、日暮れが近いこともあってその夜一行は長の家に泊まることで話がまとまったようで、馬を繋ぐために年若い男が家畜小屋に近付いてきた。
とっさにわたしは身を潜めようとしたが、既に壁のあちこちが崩壊しているような廃墟に身を潜めるようなところはどこにもなく、あるのは古い毛布一枚だけだった。まごついている間にあっけなくわたしは男に見つかった。
「うわっ」
わたしのなにが男をおどろかせたのか情けない悲鳴を聞き付けて何事かと一行が家畜小屋に近付きわたしを取り囲む。
自分の倍以上の背丈の男たちに取り囲まれわたしは恐怖で身をすくませた。人がわたしに近付くのは折檻されるときくらいだったから。
「なんだ子供ではないか。臆病にもほどがあるな」
「違いますよ。いきなり現れて驚いただけです!それにこの子供、赤い目をしてるんです」
男たちに笑われ顔を赤らめながら反論したその言葉に反応したのは長身の男。
「赤い目?」
長身の男がわたしの顔を覗き込み手を伸ばしてきたので反射的にわたしは両手で顔を覆う。
「チルリット!」
長の叱責に足が震えたが、両手を下ろすと、長身の男は伸ばしてきた手をそのままひっこめてからわたしの顔を覗き込んだ。顔の半分を覆う口髭のせいで遠くから見ると何だか恐ろしげな様子だったが間近で見た男の目は思いのほか優しい光を浮かべていて、わたしはしばしその目に見入った。すでにおぼろげな記憶になっていたが、父親がわたしを見る目に少しだけ似ているような気がした。
「なるほど、珍しい色をしているな。ひどく痩せているがこの子供は?」
「孤児ですよ。両親が事故で亡くなりまして。身寄りもないからここで皆で育てているんです」
「ここで?この粗末な家畜小屋で?」
男たちの声に長は少しだけきまずそうに視線をそらした後で、
「なにしろご覧のとおり貧しい村で。一人食い扶持が増えるだけで大変なんですよ。ここいらでは子供と言えども仕事は山ほどあるが、この子は身体も弱くて出来ることが限られていますし」
取り囲まれて無遠慮な視線を向けられたわたしは居心地が悪く、その場から逃げ出してしまいたかったが、それもできずに立ち尽くす。
「なるほど、まあこの村では仕方がないことかもしれぬが」
「しかし、なあ」
しきりに口髭をなでていた長身の男が、
「この村で面倒を見れぬというならば我々に預けてはくれないか。明日この村を出てソーフヒートへ向かうのだが、途中で孤児院のある大きな町も通る。この村で子供をもてあましているというならばそこに預けてもよいではないか?」
「孤児……院?」
「孤児を集めて生活の面倒を見てくれるところだ。最低限の教育も受けることができる」
「へえ、そんなところがあるんですか。そりゃあ願ってもない話ですが、それは……その、お金とかいるんでしょうな?」
「心配無用。孤児院は町の有志による寄付金で賄われている。金を取ることはない。ここにおられるヴィングラーさまも毎年多額の寄付金を出されておられる」
「へえ。それは、まあ、偉いことで」
「そんなことはどうでもよい。さて、名はなんという?」
長身の男は再度わたしの顔を覗き込む。
「チルリット」
久しぶりに出した声はひどくかすれいたが男は大きく頷く。
「チルリット、わたしたちと来るか?」
男の言葉に不意に視界が開けたような気がした。何故気付かなかったのか、この小さな村が世界のすべてではないのだ。村の外がどうなっているのか、山を越えたところには何があるのか、わたしにはこれからいくらでも知ることができるのだ。
頷いた私に男はかすかに笑みを浮かべた。
「しかし臭いな、お前」
村を出てから三日あまり、わたしは一番年若い男と一緒に馬に揺られていた。年若いとは言っても23になるというトビという男はわたしのあまりの臭さにわたしを布で覆ってそのまま抱きかかえるようにして馬を操っている。陽の光に弱いわたしにとってそれは日よけにもなってよかったのだけれど。
「すみません」
こんなときに何と言えばいいのか分からずにわたしは自分が恥ずかしくなって馬の鬣に目を落とす。
「いや、まあいいけどさ。もうすぐ町に着くから身体を洗って着替えたらちょっとはましになるだろうさ」
うつむいてしまったわたしに気遣ってかトビは努めて明るい調子で言った。
今までそんな風に気を使ってもらったことなどなかったわたしはそれだけで舞い上がってしまうほど嬉しくなった。
「はい」
「ああ、ほら、あれが次の町だ」
遠くに見え始めた町が近付くにつれてわたしは胸が躍る。初めて訪れた町は驚くほどに物や人で溢れていた。石畳の道沿いに布を広げて物を並べている人がたくさんいる。
「おいおい、あんまり覗き込んで落ちるなよ」
トビか何度も苦笑交じりの注意をするほど、わたしは身を乗り出し、露店の品物を眺める。初めてみるキラキラ光る石、光沢のある布、甘い匂いを放つ食べ物。興味をひくものがいっぱいのそれらをやり過ごし、宿屋に部屋を取った一行は早速宿にいた顔なじみらしい女にわたしの世話を頼む。
「とりあえず清潔にして何か新しい服を着せて人間に戻してくれよ」
太った女は呆れたように盛大なため息を漏らしてわたしを宿の裏にある井戸に連れていくと衣服をはぎ取り頭から水を掛けてごしごしとこすりだす。
「まあまあ、なんだいこりゃ、一体どうしたらこんなことになるのかね。今が夏でよかったよ。冬だったらいくら湯を沸かしても足りやしないだろうからね」
女は一人でつぶやきながら何度も何度も水を掛け丁寧に身体をこすり続ける。
「あんた色白なんだね。それにかわった髪の色だこと」
「誰だいその子」
「あの大商人さんの連れてきた子供だよ。どこから連れてきたのか変わった色の子だよ。ああ、そうだ、あんたんとこの店、このくらいの歳の子の服扱ってたろう。ちょっと適当なの見つくろってきてよ」
「なんだい、がりがりじゃないか。ちょっと待っといて」
井戸は町の共有のものなのだろう、身体を洗っている最中にも女たちが入れ替わり立ち替わり洗濯をしたり水を汲みに来たりして立ち話に興じている。
「おやー。別嬪さんだよ、こりゃ。もうちょっと太りな」
言いながらわたしの口に何か放り込む女もいた。口の中に放り込まれたそれはとろけるほどに甘くえもいわれぬおいしさで、目から滴が落ちた。
「ちょっと、あんたさっきからこすり過ぎて痛がってるんじゃないか。泣いてるよ」
「あらホントだ。何だい、痛かったのかい?そりゃ悪かったね」
女がわたしの身体に付いた水滴を布で優しく拭く。
違う。痛くはなかった。
頭を振り続けるわたしだったが、なぜか涙が止まらない。理由があるとすれば口の中が甘くて甘くてとろけそうなくらいに甘すぎたからなのだがその感情をうまく言葉にすることが出来なかった。
「服持ってきたよ。靴とかも」
先程の女が両手に抱えるほどの衣服一式を持って現れる。
「さあさ、どんな事情があるのかは分からないけど泣くのはやめときな。あんたを連れてきたヴィングラーさんはこんな田舎町でも知らない人がいないほどの大商人さ。心配しなくても悪いようにはされないさ」
女は最後にわたしの身体を力強く抱擁する。その肉感的な感触は母親とは程遠かったが、ふっと心が軽くなり勝手に流れ出ていた涙も止まった。
その場にいた女たち全員を巻きこみわたしに服を身に付けさせると手をひかれて宿に戻り、髪を整えられた。
「さあさ、お待たせしましたね」
騒々しい店の一角ですでに食事を始めていた一行の前に連れていかれたわたしを皆が無言で迎える。
不安になるほどの沈黙と視線に耐えきれなくなったころにようやくトビが言葉を発した。
「えー!お前、女の子?だったわけ?」
「失礼だね、こんな別嬪さんに」
女がわたしの代わりに憤慨して空いていた椅子に座らせた。
「さあさ、町一番の料理上手が腕によりをかけたおいしい料理、腹いっぱい食べるんだよ」
軽く髪をなで女はその場を立ち去る。礼を言うのを忘れていたと気付いた時はすでに遅かった。
「見違えたな」
「お前、本当に村にいたあいつか?」
男たちが次々とわたしの顔をのぞき、代わる代わるに頭や頬を優しく小突く。
「まあ、とりあえず食事にしよう。村を出てからずっと携帯食だったからな。たくさん食べろ」
村を出てからの携帯食でさえもわたしにとってはご馳走だったのでテーブルの上に所狭しと並べられた料理を前にわたしはごくりと唾を飲み、その夜お腹がはちきれそうになり眠れなくなるほど詰め込んだ。




