短 編 : 決意
私は、今まで自分が特別だなんて思っていなかった。
パパもママも、私が小さい頃、飛行機の墜落事故で死んでしまった。
だから、私には、パパに肩車された記憶も、ママに抱き締められた記憶もない。
でも、それを寂しいと思ったことは無かった。
だって、私には大好きな「妹」がいた。
大好きな、「おじいさま」がいた。
お母さんのような、優しい世話係の「前田さん」がいた。
そして、大好きな、「柏木先生」がいた――
研究所で暮らす私と妹にとっては前田さんが、「お母さん」
料理も、お裁縫も、ついでに行儀見習いも、ホントは「ママ」に教わるはずだった事を、たくさんたくさん教えてくれた。
最初に教わった料理は、バレンタインで柏木先生にプレゼントした「ハートのチョコレート」!
あれは、柏木先生がこの研究所に来た最初のバレンタインデー。
私も妹も、まだ5歳。
はっきり言って、おままごとの延長だった。
全身チョコレートまみれになってやっと出来上がったときには、もう先生は仕事を終えて自分の部屋に戻ってしまっていた。
「先生、今日はお仕事早く終わったの?いつも、”藍たちがおやすみするまで、お仕事だ” って言ってるのに……」
そう言う私たちに、前田さんは、ちょっと哀しい顔をして、
「藍ちゃん達。このチョコレート、柏木先生に、お部屋まで持って行ってあげなさい」と言った。
「えっ?いいのー? いつもは”お部屋には、行っちゃダメ”って……」
「今日は、良いのよ。せっか頑張って作ったんですもの。行ってらっしゃい」
「お部屋に入るときは、ノックをするのよ」
「は〜〜い!」
そして、前田さんに言われた通り、私と妹は、「ノックをして」先生の部屋に入った。
ただ、ノックをしただけで、返事を待たなかったけれど。
だって、まだ5歳だったんだもの。
がちゃり。
開けたドアの向こうには、大きな本棚の前で何かビンのようなモノを握りしめて、先生が、泣いていた――
いつも優しい先生が、泣いていた――
「ゴミが入っただけだよ」
そう先生は言ったけど、あれはうそ。
先生は、泣いていた。
後で前田さんにそのことを伝えると、
「柏木先生の、先生が亡くなったの。ええとね。死んでしまったのよ」 そう教えてくれた。
「死んでしまった?」
幼い私たちには、まだ「死」というモノがなんなのか、良く分からなかった。
「大好きな人が、もう会えない遠い所に行ってしまって、先生は悲しかったのよ。人はね、そう言うとき、悲しくて泣いてしまうものなのよ」
私と妹は、前田さんの話に、わんわん泣いてしまった。
「大好きな人に、もう会えない」
その言葉が、幼心にとてもショックだったから。
今にして思えば、あれがきっかけだったのかも知れない。
私は、先生のあの涙を見て、先生を好きになったんだと思う。
5歳の初恋。
その気持ちは、18歳になった今も変わらない。
先生は、私にとっては、一番大切な人。
例え、自分が不治の病で二十歳まで生きられなくても。
妹が、実は私の臓器移植用にられたクローンでも。
私が「生きたい」と言えば、多分先生は迷うことなく、妹からの臓器移植をするだろう――
そして、そのことに一生苦しむ。
それが分かっているから。
コールド・スリープなんかしたくない。
このまま死んでも、最後まで先生と一緒にいたい。
そう言えば、きっと先生は苦しむ。
きっと。
だから私は、笑うんだ。
「まるで、眠り姫みたいね。ロマンチックで素敵ね」
それは、私の精一杯の強がり。
私を「好き」と言ってくれた、先生の為に。
大人だけど、不器用な先生の為に。
大好きな、先生の為に。
私は、強くなる。