独裁法典
「彼らを生かしておいてはいけない!」
独裁者が叫び上げると、書記官が法典にその言葉を書き込んだ。
俺はその様子を遠目に見る。
もちろん視線は真っ直ぐ前だ。警備に配置された国会議事堂。俺の視界いっぱいに死んだ目をした議員達が写る。
俺は視界の端に写った書記官の姿に全神経を集中した。
また一つ独裁者の一言で新しい法律が成立したのだ。法案の提出も、議会の承認もない。
そう、民主的という概念がない。
ただ壇上の独裁者が思いついて発言し、それを書記官が書き留めればそれがもう法律だ。
国民への布告すらない。国民はある日突然、知らない法を適用される。仮に捕まっても抗弁することなど夢のまた夢だ。
「彼らを匿うことも許さない」
それしか選択肢がなく兵役についた俺。心身ともに優秀とされ独裁者の近衛兵に抜擢された。
独裁者の警備などやりたくてやっている訳ではない。
だが俺みたいな人間は沢山いる。たとえどんなに本人が優れていても、この国ではまともな待遇の仕事は兵役しかないからだ。
何ぶんこの国は兵士の需要には事欠かない。法を厳格に適用するのは兵隊だからだ。
「彼らを殲滅せよ!」
独裁者は今日も非人道的な法律を、己の言葉一つで決めていた。
逆らうことなんてできないさ――
俺は煙草の煙がもうもうと漂う自室で、友人と筆談を交わした。
その筆談に使った紙片を、友人が目で一瞬追うや俺はすぐに煙草の火で燃やしてしまう。
僕らと生まれが違うからといって、彼らは殺されるんだぞ――
友人はやはり俺が紙片に目を通すと、その次瞬間にはそれを焼いた。
更なる煙が辺りに広がる。閉め切られた俺の部屋は、その煙を密度濃く内に溜め込んでいく。
筆談をしているのは、誰かに聞かれるのを避ける為だ。この煙も誰かに見られないようにする為に、せめてもの気休めにと溜め込んでいる。直ぐに紙片を燃やしてしまうのは、万が一友人が裏切ってもこの紙片を政府に提出できないようにする為だ。
我ながら嫌になる。友人すら気を許せないのだ。
人として認めない。そんな演説だったな――
僕は許せない。人どころか、命あるものと見ていないなんて――
彼らは物だ。命あるものと扱うなと言っていたな――
紙片が、いや言葉が次々と燃えていく。
僕らにできることはないか――
俺らにどうしろって言うんだ――
俺は紙片に書きなぐりその勢いのままに火をつける。
僕らは幸いにも近衛兵だ――
もっと近くに親衛隊がいるがな――
親衛隊は心底独裁者と法に忠誠を誓っている。そんな連中だけが集められ、反射的に法を執行するのだ。その為に精神の洗脳まで受けている。
だが何とかしないと――
友人は紙片を燃やさずにしばらく、俺の目の前に置いた。
俺は震える指先を何とか抑えながら、友人の代わりにそれを燃やしてやる。
近くにいるからって、理由をなく武器なんて構えてみろ――
俺は書きなぐる。いつもより字が乱れた。
その場で有無も言わさず親衛隊に射殺されるだろうね――
友人はやはり紙片を燃やさない。
莫迦なことは考えるなよ――
俺は友人の分も言葉を燃やす。まるで独裁者の手伝いをしている気分だった。
「これが彼らに味方する者の末路だ!」
独裁者は己の足下に転がる死体に、冷たい視線を送ると言い放った。
止める間もなかった。友人は独裁者が議会の壇上に現れるや銃を抜き放った。
同時に鳴り響いたのは友人のものではない銃声だ。
「彼らの側につく者は殺せ!」
親衛隊が友人に反応したのだ。
それは洗脳下故の反射的な動きだ。まるで機械のような連中だ。
勿論独裁者暗殺は重大な法律違反。奴らは法律違反に瞬時に反応したのだ。
「殺せとのご命令ですか!」
俺は感情と思考を真っ白にし独裁者に向き直る。
「そうだ!」
「彼らの味方をする者を殺せとのご命令ですか!」
俺は視界の端に親衛隊をとらえる。不意の俺の突出に、明らかに殺気立っている。
反対の端では書記官が懸命に法律を書き留めていた。
「そうだ! 彼らは人間ではない!」
「人間ではなければ何でしょうか?」
本来なら質問などもってのほかだ。だが独裁者は機嫌良く答える。
「物だ! 彼は物なのだ! 殺しても何のことはない!」
「物を殺せとは、まるで彼らを命ある者と見ているかのよう! 法律違反です!」
俺は銃を抜いた。俺の理屈に親衛隊は一瞬行動が遅れた。
何と言っても彼らは法律にとても忠実なのだ。そして今法律違反を犯したのは独裁者の方なのだ。自分で考えない彼らは、一瞬だが致命的に遅れた。
「彼らの味方をする者を――」
俺は蜂の巣になる前に何とか引き金を引いて、友人の上に崩れ落ちた。