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愛を病む生命の軌跡

作者: 喜楽社長
掲載日:2026/07/18

愛を病む生命の軌跡




星の光さえ染み込まぬ、深淵の宇宙。その寂寞とした航路を、巨大な宇宙船エクスプローラ号が孤独に漂っていた。


「チーフプロセッサー、目標点に到達。」


エクスプローラ号のレーダースキャンを担うオペレータープロセッサーの呼びかけに、艦長席に座っていたAIロボットが静かに顔を上げた。

胸元に「LOVE」という文字が彫り込まれたそのロボットは、コントロールルーム正面の画面へと視線を移した。


「今回の惑星は、何番目でしたかね、オペレータープロセッサー?」

「計算中、計算中……今回で256番目と確認。」

「そうですか……もう200年もの時が流れてしまったのですね。今度こそ、私たちの求める惑星であれば良いのですが……!」

「惑星への前進の承認を要求。」


ラブは、自分とは異なり言語や感情のモジュールが精巧ではない運用AIたちの、あまりに機械的な応答に割り切れない思いを抱いていた。


一人でも艦船を運用することには何の問題もなかった。しかし、入力された命令体系に従うことしか、今のラブには許されていなかった。


これ以上の会話は無意味だと判断したラブは、すぐに指揮モードへと切り替えた。


「惑星の測定が可能な距離まで移動します。全速前進。出力は15エクサクロンを維持。」


命令が下るや否や、各動力部を受け持つ運用AIたちが一斉に動き出した。

40ティルほどの時が流れた末、エクスプローラ号は目的の惑星を観測できる距離まで接近した。


ラブは、微かな期待を胸に画面を見つめた。


「スキャンの必要性は希薄であると推定。」

「そうですか……」


期待とは裏腹に、256番目の惑星はガスで構成された星だった。


探し求めていた星ではないという事実が確定すると、コントロールルームには重苦しい沈黙が降りてきた。


けれど、ただ諦めているわけにはいかない。リーダーであるラブは、努めて声を張り、その場の空気を換気した。


「立ち止まっている余裕はありません。私たちには使命がありますから。次の候補惑星はどこですか?」


「次の候補地である257番惑星は、おおいぬ座矮小銀河のNGC2298。座標は1456698。距離は120万光年と測定。」

「では、左舷へ90度旋回後、全速前進。出力は1ゼタクロンを維持。」


艦船が新たな航路に沿って安定した航行を始めると、ラブはデスクの上に置かれた二つの額縁に目をやった。


一方の額縁には、穏やかに微笑む老紳士の写真が、もう一方には、いたずらっぽい笑みを浮かべた美しい女性の写真が収められていた。

ラブはそっと老紳士の写真を持ち上げた。


「マスター……私は果たして、やり遂げられるでしょうか」


宇宙を彷徨い始めて、気づけば200年。


終わりの見えない流浪は、機械である自分にさえ、人間とよく似た果てしない心細さを残していた。


◈ ◈ ◈


「起きたかね?」


ピピッ!


晴れやかな笑みで声をかけてくれる老紳士の声にも、ロボットは機械的な電子音を返すだけで、言葉を発することはできなかった。


「ははは! まだ言語モジュールを移植していないから、返事ができないのだな」

「ピピッ!」

「言葉が出ないだけで、私の言うことはちゃんと理解しているようだね。良かった」


老紳士は愛おしそうに慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ロボットの頭を優しく撫でた。


「名前をつけてやらんといかんな。何が良いだろうか……」


しばらく考え込んでいた老紳士は、妙案が浮かんだように指をパチンと鳴らして笑った。


「そうだ! ラブ……『ラブ』と呼べばいい」


名前は決まったが、ロボットはまだ答えられなかった。ただ、老紳士の姿をじっと見つめるだけだった。


時が経ち、老紳士はコンピュータで設計したプログラムをラブへとアップロードした。


「どうだい? 何か変化は感じられるかね?」

「……もちろんです。ピピッ! マスター」

「はは! 言語モジュールが馴染んでいないせいか、まだ機械音が混じるな。まあ、ゆっくり慣れていけばいいさ」


ラブは老紳士の言葉通り、言語モジュールを自分のものにするため、隙を見つけては会話を試みた。


「マスターのお名前を教えていただけますでしょうか」

「おや、もう質問を始めるとは頼もしい。私の名前はドクター・ゲントゥスというんだよ」

「ドクター・ゲントゥス……ですが、ドクターとはどのような意味があるのですか?」

「私の名前の頭にドクターがつくのはね、私が科学者だからだよ」

「科学者? それは、どのようなものですか?」

「科学者とはね、真理を探求したり、人々の暮らしをより豊かにする何かを発明したりする人のことさ。だからこうして、お前の身体のパーツを作っているのも私というわけだ」


ラブは、まだ組み立ての真っ最中である自分の胴体パーツに目をやった。


今はまだ頭部しかないが、あの身体が完成すれば、二足で歩き、物に触れ、持ち上げることもできるようになるのだろう。


「ですが……マスターはなぜ、私をお作りになったのですか?」

自分が生まれた理由を問うラブを見つめ、ゲントゥスはしばらく言葉を失っていたが、やがてその頭を優しく撫でながら答えた。

「それはね、この惑星が死にかけているからだよ」

「惑星が?」

「そうさ。私たちが暮らすこの惑星『ウシャス』はね……産業革命からの1万年というもの、度重なる発展の果てに病んでしまったのだ」

「病んでしまった……」

「そうだ。見渡す通り、水は枯れ果て、植物が育つことも難しい荒涼とした星になってしまった。だから人々は宇宙にコロニーを作り、移住してしまったのだよ」


ゲントゥスは窓の外の風景を見つめながら、静かに言葉を紡いだ。その顔には、深い寂しさが滲んでいた。


「今の文明が宇宙へと移り住んだとはいえ、それは一時しのぎに過ぎない。私たちの文明は、遅かれ早かれ結局は滅亡という結末を迎えることになるだろう……だから、私たちがこの惑星を蘇らせなければならないのだ。他の生命が存在する惑星へ赴き、植物のサンプルを見つけて持ち帰る。それが、お前の旅なのだよ」


ラブはその言葉の意味を理解した。


生命の息吹がある惑星から植物のサンプルを持ち帰ることができれば、砂漠化で荒廃したウシャスを、再び緑豊かな星へ戻すことができる。


「すでにドクターが入力してくださった情報を探索しましたが、現在のウシャスでは生命体が存在すると推定される外惑星はまだ発見されていないと記録されています。何年かかるかも分からない……おそらくドクターが亡くなられた後に私が帰還することになるかもしれないのに、なぜこれほど懸命になられるのですか?」


「私の故郷であるウシャスを愛しているからだよ。たとえ私の目の黒いうちに見届けることはできなくとも、私の愛するウシャスが、もう一度青々と茂る緑の星に戻ることを願わずにはいられないのだ」


「愛? 愛って、何ですか」

「ハハハ! もう愛に関心を持つとは、いじらしいね……。愛とは、誰か、あるいは何かを慈しむ感情であり、自分のものを惜しみなく差し出せる心のことを言うのだよ」

「……『ラブ』という言葉もまた愛を意味するとおっしゃいましたが、私に『ラブ』という名を与えてくださったのは、どのような理由からでしょうか」


自分の名にどのような由来があるのかというラブの問いに、すぐに答えてくれるだろうという予想に反し、ゲンツスは物思いに沈んだまま口を閉ざした。


「……今すぐ説明してあげることもできるが、まだ人間の感情を完全に理解していないお前に、理論的な説明をしたところで大きな意味はないだろう。だが、お前なら、すぐに私の意図を理解してくれるはずだ」


ラブは、自分が何を理解できていないのかが分からなかった。しかし、ゲントゥスの表情があまりにも奥深く揺れていたため、ラブはそれ以上の問いを飲み込んだ。


「お前の身体が完全に完成したら、宇宙で建造中のエクスプローラ号へとアップロードする予定だ。それまでの間、これから担うべき使命についての教育を受け、任務遂行のためのシミュレーションを行えばいい」

「分かりました、マス……!」

「チーフプロセッサー。チーフプロセッサー」

ゲントゥスとの追憶に浸っていたラブは、オペレータープロセッサーの突然の呼びかけによって我に返り、すぐに指揮モードへと移行した。

「どうしました、オペレータープロセッサー?」

「流星群の観測を報告。45ティル後に衝突する可能性78%。速やかにコマンドルームへの帰還を要求。」


エクスプローラ号の制御AIたちは、船体に危険を及ぼす天体を感知すると自動で回避するようプログラムされていた。

それにもかかわらず自分を呼び出したということは、船体にとって致命的な規模ではないということだ。


避けるべきか、それとも航路を維持すべきか、指示を仰いでいるのだろう。


ラブは一瞬の計算に入った。


いつ終わるとも知れない長い旅路だ。微小な衝撃であっても、累積していくリスクは避けるべきだという結論に至った。


「回避します。左舷側の衛星軌道が浅いため、11ドゥルの方向へ旋回してください」

「了解。」


ラブの指示に従い、AIたちは一糸乱れぬ動きを見せた。


◈ ◈ ◈


「エクスプローラ?」

「そうだよ。船の建造の総監督を務めている第32コロニーから連絡があってね、船の名を『エクスプローラ号』と命名したそうだ」


小さく咳き込みながら説明するゲントゥスの顔は、目に見えてやつれていた。


「……咳が酷くなっています、マスター」

「はは……年月とは無情なものだな。生命である以上、誰も老化には抗えないのだよ。コホッ」


ラブが目を覚ましてから、いつの間にか8年の歳月が流れていた。


コロニーからは宇宙航海のためのエクスプローラ号が完成したという知らせが届いていたが、ラブはいまだ旅立てずにいた。


メイン記憶装置に記録された制御モジュールプログラムには、言語や姿勢制御、判断力補助など、ラブが人間と同等に動くためのあらゆる機能が盛り込まれており、その容量は膨大なものになっていた。


この巨大なデータを欠落させることなく宇宙へ転送するためには、極めて精緻なアップロードプログラムが必要であり、ゲントゥスは残された命の火を振り絞るようにして、その最後の作業を続けていた。


「ごふっ!……ゲホッ、ゲホッ!」


突然の激しい咳と共にゲントゥスが崩れ落ちると、ラブは素早くその身体を支えた。


「休んでください、マスター」

「だ、だめだよ、お前……自分の寿命は自分が一番よく分かっている……私にはもう時間が残されていないのだ……その前にエクスプローラ号へお前をアップロードしなければ……」

「そのお身体では無理です。まずは休んでください」


ラブに支えられてベッドに横たわったゲントゥスは、荒い息を繰り返していた。


老齢に加え、昼夜を問わぬ作業による過労が重なり、彼の心肺機能はすでに回復の難しい段階に達していた。


医学や人体解剖学のデータがインプットされていないラブにさえ、彼の命の灯火が残り僅かであることは容易に察せられた。


「マスター、健康が損なわれては作業も立ち行きません。ですから、今は眠ってください」

「どうやら……この老骨に鞭打って働かせるのにも限界がきたようだ。お前の言う通りにしよう、ラブ」


ゲントゥスの弱音に、ラブは機械の身体でありながら、小さくため息をもらした。


「無理をされたのではなく、意味のない作業をなさるからいけないのです」


ラブの宇宙への旅立ちが遅れた理由は、ゲントゥスの老化で作業が遅れたためでも、ラブの動作モジュールが肥大化していたためだけでもなかった。


本当の理由は別にあった。


ゲントゥスは、当初の計画にはなかった「船を運営するための新たなAIたち」を次々と創り出していたのだ。


それぞれの担当パートを担うAIが増えるほど、アップロードすべき容量は膨れ上がり、それに合わせてアップロードプログラムも最初から組み直さなければならなくなった。


そのせいで、無駄に時間を費やすことになっていた。


いくら巨大な艦船とはいえ、自分の情報処理能力をもってすれば一人で十分に運用できるはずなのに、なぜドクターがこれほど精巧でないAIたちのために無理を重ねたのか、ラブには理解できなかった。


ラブは、自分の小言に対してゲントゥスがいつものように豪快に笑うだろうと予想していたが、返ってきたのは何も聞こえない静寂だった。


訝しんでそっと彼の顔を覗き込むと、ゲントゥスは切なげな眼差しでラブを見つめていた。


「ま、マスター……?」

「……聡明な子だと思っていたが、まだ私の心を理解してはくれていないようだね」

「え? それはどういう意味ですか?」

「人間にとって、最も耐え難いものは孤独なのだよ……ゆえに、広大な宇宙の中で孤独に苛まれるであろうお前が心配で……うっ! ゲホッ、ゲホッ!」

「マスター!」


再び激しく咳き込むゲントゥスを見て、ラブは慌ててハンカチと薬を用意し、彼の看病にあたった。


しかし、口元を拭おうと広げたハンカチには、鮮血が滲んでいた。


布に染みた己の血を見つめていたゲントゥスは、何も言わずに顔を背け、天井を見つめた。


「もう休むとしよう……お前も下がりなさい」

「……はい、マスター。必要なものがあれば呼んでください」


ゲントゥスの寝室を後にしたラブは、彼の言葉を反芻していた。


『ドクターの心……人間にとって孤独が最も耐え難い感情だと言ったけれど……それが私と何の関係があるのだろう。私は人間ではないのに……』


いくら思考を巡らせても、自分が何を掴み損ねているのか分からなかった。


もどかしかったが、自分一人では結論を出せそうになかった。


明日、もう一度ゲントゥスに尋ねてみようと心に決めてラブはその場を離れたが、その時になってもまだ、ラブは知らなかったのだ。


いかなる絆にも、いつかは終わりが訪れるということを。



次の日、ラブはゲントゥスが飲むべき薬と朝食を手に、彼の寝室を訪れた。


「マスター。朝です」


衰弱した身体でありながらも、いつも明るい笑顔で自分を迎えてくれたゲントゥスを思い描きながら部屋へ入ったが……


「マスター?」


彼はまだ眠ったままだった。


普段なら誰よりも早く起き、ラブのインプットされた起床時間よりも前に一日を始めていたゲントゥスだった。


そんな彼が起き上がれない姿は、見慣れぬものであり、ひどく不安を誘った。


「……どれほどお身体の具合が悪いからと、これほど起き上がれもしないなんて……」


ラブは彼の状態を確認したかったが、人間の身体を診断する機能は持ち合わせていなかった。


「マスター。起きてください。マスター」


身体を揺すって起こそうとしても、何の返事も戻ってこない。


胸騒ぎを覚えたラブはセンサーを作動させ、心拍と呼吸を確認した……しかし返ってきたのは、生命信号が一切存在しないという結果だった。


「マ、マスター……?」


ゲントゥスは自分が愛した惑星の滅亡を阻むため、その生涯を研究に捧げたが、ついにその宿願を果たし切ることなく生涯を閉じた。


ラブはゲントゥスが愛したその荒涼たる大地に彼を埋葬し、その前に小さな墓碑を建てた。


創造主であり、師であり、そして父親でもあった存在を失ったラブは、まるで人間のように深い失意の底へ沈んでいった。


何をする気力も湧かなかった。


ただ、ゲントゥスの墓の前にぼんやりと座り続けるだけだった。


メインCPUの活動さえも休眠モードへと切り替え、すべての機能をただ彼を追憶することだけに向けることで、ラブはその恋しさを耐え忍んでいた。


◈ ◈ ◈


「オペレータープロセッサー。257番目の候補惑星までの残りの距離はどれくらいですか?」

「距離演算中、距離演算中……257番目の候補惑星までの残りの距離は1億6万メタセラ。約23ドゥル後に到着予定。」

「あと少しですね。航路維持。目的地に向けて全速前進します」


命さえも投げ打ち、ただウシャスの繁栄を取り戻すことを願ったゲントゥスの意志を継ぐためにも、ラブは立ち止まるわけにはいかなかった。


ウシャスを蘇らせるための自分の宇宙の旅は、ゲントゥスはもちろん、彼を信じて待ち続けるであろう無数の人々のための旅路でもあった。


ラブはゲントゥスの写真の隣に置かれた、悪戯っぽく微笑む美しい女性の写真へと視線を移した。


写真を見つめる彼の顔にも、ゲントゥスを想う時と同じような、深い思慕の情が滲んでいた。


そうしてしばらくの間、写真を見つめていた時のことだった。


計器パネルに、旅を始めてからの200年間でただの一度も現れたことのない反応が浮かび上がった。


「チーフプロセッサー。生命反応が捕捉されたことを報告。」

「何ですって!?」


ぼんやりと写真を見つめていたラブは、オペレータープロセッサーの報告にハッと顔を上げた。


「どこからですか!? どこから反応が出ているのですか!?」


これまでの長い航海の中で一度たりとも捉えられなかった生命反応だったため、感情が高ぶったラブは席から勢いよく立ち上がり、オペレータープロセッサーへ詰め寄るように問い詰めた。


「位置は……私たちの目的地である257番惑星。」


その瞬間、ラブは頑丈な金属でできた身体であるにもかかわらず、電流が走るような戦慄を覚えた。


330年。


自分が造られてからエクスプローラ号へアップロードされるまでに130年。


そして終わりの見えない流浪を始めてから200年。


ついに、生命が存在する惑星を見つけ出したのだ。


「急いで向かいましょう! 惑星のスキャンが可能な領域まで全速前進!」

「了解。」


ラブの指示のもと、各駆動部のAIたちが慌ただしく動き出し、エクスプローラ号は257番目の候補惑星に向けて突き進んだ。


間もなくして、惑星の姿が観測カメラに映し出された。


精密な測定を行わなければ詳細は分からないが、画面の中にはすでに植物と思われる緑の陰影が鮮明に見えていた。


ついに……ついに植物を見つけたのだ。


惑星の主要な諸元を観測するプロフェッサープロセッサーがスキャンを開始した。


予想所要時間は30ティル。


330年という歳月に比べればほんの一瞬に過ぎない時間だったが、ラブにはその短い時間が、永遠に続くかのように長く感じられた。


「スキャン終了。」

「そうですか! では、すぐにサンプルを採取するためのドローンを降下……!」

「不一致。」


結果など聞く必要もないと確信していたラブは、すぐにドローンを投入しようとしたが……プロフェサープロセッサーが告げたのは、耳を疑うような報告だった。


「今……何と言いましたか?」

「不一致を報告。気候、気圧、土質がウシャスとの一致率11%。微生物の繁殖を保証することは困難。植物サンプルを採取して持ち帰っても、生存可能性はゼロ。」


その瞬間、艦内の空気が凍りついたように静まり返った。


200年目にして初めて生命を発見したというのに、ウシャスを蘇らせるためには何の役にも立たないというのだ。


感情モジュールが乏しいはずの各パートのAIたちでさえ、言葉を失っていた。


「……200年かけてようやく見つけた生命体なのに……不一致だなんて……いくら彷徨い続けたところで、無駄だということでしょうか……」


滅多に口にすることのない絶望の言葉を漏らすラブを見つめながら、誰も進んで口を開こうとはしなかった。


「……少し、充電モードに入ります。他のパートプロセッサーたちも、当直を除いて全員充電モードへ……」


すべてが無意味だという虚無感に襲われ、一切の気力を失ったラブが艦長室へ向かおうとした、その時だった。


オペレータープロセッサーが突然、声を上げた。


「航路修正を要求。」


すっかり心が沈んでいたラブは、報告を聞く気にもなれず足を動かそうとした。


「航路修正を要求。」


普段なら強い口調を見せることのないオペレータープロセッサーが重ねて要請してきたため、ラブはついに足を止めた。


「理由は? 何ですか?」

「特定地点にて高密度の生体反応を捕捉。258番の候補惑星ではなく、非候補惑星へと航路を移動すべきだと判断。」

「……そうしたところで、また私たちの母星と気候が違って、不一致になるだけかもしれませんよ」


失望があまりにも大きかったせいか、新たな生命反応の発見という知らせにも、ラブの反応は冷ややかなものだった。


「この距離からでも生命反応が観測されるということは、尋常な規模の反応ではないと推測される。直接赴き、確認する必要性が大頭。」

「どれほどの距離にあるというのですか?」

「座標20141209。距離2万5千光年と測定。」


2万5千光年。


ラブはその距離を呟いた。


先ほどの257番惑星でさえ、間近まで接近してようやく微かな生命反応を確認できたのだ。


それなのに、2万5千光年も離れた位置から反応が捉えられるなど、決してあり得ないことだった。


「この距離でも捉えられるほどの規模であれば、植物のみならず動物や微生物といった他の生物の存在も十分にあり得る。あるいは、水の存在も。」


プロフェッサープロセッサーまでもが可能性は高いと判断すると、コントロールルームの空気は少しずつ変わり始めた。


すべてのAIたちが命令を待つように、再びラブを見つめた。


「正確な位置はどこですか?」

「現在の銀河であるおおいぬ座矮小銀河から最も近い巨大銀河、天の川銀河に位置する太陽系という惑星群の、3番目の惑星……『地球』と呼ばれる惑星。」


地球。


そこに、自分たちが探し求めていた希望があることを願いながら、ラブは静かに命令を下した。


「航路を変更します! 地球に向かって全速前進!」

「了解。」


各パートのAIたちが慌ただしく動き始めた。


ラブは女性の写真を愛おしそうに胸に抱いた。


「あなたが繋いでくれたチャンスなのに……愚かにも諦めてしまうところでした。二度と諦めません、モヒナ」


◈ ◈ ◈


ピピッ!


ゲントゥスの研究所内に電子音が響き渡った。


宇宙のコロニーから転送されてきたメッセージだった。


ゲントゥスの墓の前を離れようとしなかったラブは、最初は技術的なその音を無視していた。


しかし、電子音が止むことなく鳴り続けたため、ついに腰を上げて研究所の中へと入っていった。


コンピュータの画面に浮かび上がったメッセージを確認した、その瞬間だった。


『ドクター。なぜ10年間も連絡がなかったのですか?』


10年?


もう、ゲントゥスが世を去ってから10年もの月日が流れてしまったというのか。


ラブは時計を見つめながらも、にわかには信じられなかった。


我に返って周囲を見渡すと、手入れの行き届いていない研究所には、埃と風に乗って入り込んだ砂が幾重にも積もっていた。


『エクスプローラ号の建造はすべて完了したのだ! 一体出発するのか、しないのか!?』


その文面を目にした瞬間、ラブの意識が鮮烈に覚醒した。


マスターを失った衝撃の中で忘れていた、己の使命。


エクスプローラ号に乗り込んで宇宙を旅し、ウシャスを蘇らせるための植物サンプルを持ち帰ること。


ゲントゥスは、自分が愛した惑星を蘇らせるために命まで賭けたのだ。


それなのに、自分は悲しみに打ちひしがれたまま、何もできずにいた。


そんなことが許されるはずはなかった。


これからは自分がゲントゥスの意志を継がなければならない。


まずはコロニーへ、自分が作業を引き継ぐというメッセージを送ろうとしたが……


「だめだ……この手では精密なタイピングは不可能だ」


ゲントゥスはラブを設計する際、二つの身体を用意していた。


一つは、エクスプローラ号で艦長として活動するための身体。


そして、無事に植物サンプルを持って帰還した際、その種を大地に蒔くための「農夫」としての身体……それが、今使っている身体だった。


現在の身体は農夫の役割に合わせて作られているため、手が大きく無骨だった。


普通の間の倍近くあるその手では、ゲントゥスが使っていたキーボードを扱うことなど不可能だった。


しばらく悩み込んでいたラブの視線が、ゲントゥスの作業台へと向いた。


「あそこで、精密な動きが可能な『手』のパーツを自分で作ればいいのではないだろうか?」


人間と同等の大きさの手を作り、キーボードで入力を行ってプログラムを完成させ、自力でエクスプローラ号へのアップロードを試みれば……。


ラブはそれ以上迷うことなく、すぐに作業を開始した。


3Dプリンターの作業台は、瞬く間にラブが望む形状の手のパーツを形作った。


そして急いで自分の腕に装着してみたが……


「なぜだ……」


新しい手は、ピクリとも動かなかった。


原因を探るため、自分の動作モジュールのコードを探索したラブは、すぐにその理由を突き止めた。


身体というものは、ただ作ったからといって動くわけではなかった。


すべての動きは動作モジュールが制御しているが、新しく作った手に組み込んだチップは、現在のモジュールとペアリングされていなかったのだ。


ならば、この手に適合する動作モジュールを作り、メインCPUへ転送すれば解決するはずだった。


しかし、そのモジュールを作るためには、やはりキーボードを叩かなければならなかった。


結局、振り出しに戻ってしまったのだ。


ラブはすっかり気力を失い、ゲントゥスの墓の前に座り込んだ。


「マスター……私はどうすれば良いのでしょう……」


使命を果たしたくとも、これ以上の方法が思い浮かばない。


誰か他の人間の助けを借りようにも、ウシャスはすでに環境破壊が進みすぎており、大半の人々は宇宙へと移住した後だった。


ゲントゥスが食料などを調達するために時折訪れていた近くの村でさえ、すでに廃墟と化し、人の気配すら残っていなかった。


しかし、このまま座り込んでいるわけにはいかない。


ラブは立ち上がり、自分を助けてくれる人がまだ残っていないか、直接探しに行こうと決意した。


「マスター。私は必ずやり遂げます。どうか私を導いてください」


そうして、外部用のバッテリーセットだけを抱え、ラブの旅が始まった。


生き残っている人間がいないかウシャス全土を彷徨い、持参したバッテリーが放電しきると研究所に戻って充電し、再び旅に出るということを繰り返した。


そうして……


100年という時が流れた。


今回の旅でも何の実りもなく戻ってきたラブは、重い足取りでゲントゥスの墓を訪れた。


「申し訳ありません、マスター……今日も志を果たせず……!」

「あんた、誰?」


ゲントゥスの墓の前にひれ伏して許しを請うていたラブは、突如として響いた声に跳び上がるほど驚き、勢いよく身体を起こした。


「マ、マスター……?」


まさか、亡くなったマスターが自分を呼んだのだろうか。


AIである自分がそんな非科学的な現象を信じるはずもないが……


それでもラブは、その声の主がゲントゥスであることを激しく切望していた。


「私ですよ、ラブです。博士の会心の最高傑作、ラブ。私をお忘れですか?」

「私たち、今日初めて会ったじゃない。私がどうしてあんたを知ってるのよ?」

「そんな!! 私を忘れてしまうなんて……!!」

「ははは! あんた面白いね」


すっかりへこんでいたラブは、ふと妙な違和感を覚えた。


慈愛に満ち、知的だったゲントゥス博士の話し方ではなかった。


むしろ無邪気というか……何よりも。


「子供の声……?」


声の主は、幼い女の子だった。


しかも、墓からではなく、自分の背後から聞こえていた。


ラブがゆっくりと振り返ると、十歳前後と思われる少女が、丸い目でじっとこちらを見つめていた。


純粋な笑みと好奇心が、その顔いっぱいに広がっていた。


「へえ、あんたの名前、ラブっていうんだ?」

「そ、そうです……貴方様は……」

「貴方様? 貴方様って何?」


丁重な表現を子供が理解できなかったため、ラブは言語プログラムを急速修正し、再び声をかけた。


「私はラブと申します。そなたはどなたですか?」


相変わらず硬い口調だったが、インプットされた言語リストではこれが限界だった。


幸い、少女には意味が通じたようだった。


「私? 私はモヒナ。そこの隣の村から来たの」

「え? 隣の村といえば……あそこは人がいなくなって久しいはずですが……」

「さあね。私はただあの村で暮らしてるだけだよ」


ラブが人を探して旅を始めてから、いつの間にか100年。


モヒナが暮らしているという村は、人の痕跡が見つからなかったためこの100年間訪れていなかった。その間に再び人が住むようになっていたとしても不思議ではなかった。


しかし、今のラブの関心は別のところにあった。


100年ぶりに出会った人間。


そして、その子供の手は、キーボードを叩くのに適した……適した……


「手が小さすぎますね……」


ラブとは対照的に、十歳ほどのモヒナは体躯が小さすぎて作業が不可能だった。


何よりも、まだ幼すぎた。


大容量のアップロードプログラムを完成させるには、数十億文字に及ぶコードをいちいち入力しなければならないのだが、そんな体力を必要とする仕事をこの幼い少女に頼むのはあまりにも過酷だった。


その上……


「胸の絵は何? 変わった形だね」

「……『LOVE』と読むのです」


文字さえ読めないようだった。


少女の身なりを見ても、獣の皮をまとったような姿をしており……文明の中で育った子供というよりは、野性の中で育った子供に近かった。


「無理もない……高官や知識人たちがウシャスを見捨ててコロニーへ移住してから、すでに150年もの時が流れたと聞いています。文明が途絶えていたとしても不思議ではありませんね」


いかに燦然たる文明を花開かせようとも、後世へと受け継がれなければやがて消え去るしかない。


大半の技術者が宇宙へ去った以上、地上の文明が退化したのも道理だった。


モヒナに頼むとしても、今から文字やプログラミングを教えるとなれば何年かかるか分からなかった。


何よりも……


ゲントゥスから授かった百科事典の知識によれば、この年頃の子供たちは駆け回って遊ぶことを好むとあった。


果たして、机の前に座って長い時間勉強しようとするだろうか。


「他に……大人の人はいませんか?」

「大人? 誰もいないよ。私はおばあちゃんと暮らしてるけど、おばあちゃんは毎日病気で寝込んでるし」


他に大人はいないようだった。


ラブは脳を持たない身でありながら、思考が複雑に絡み合うような感覚を覚え、どうすべきか苦悩していた。その時だった。


「あんた、私と遊びたいんだね?」

「……え?」

「遊びたいならそう言えばいいのに。あんた、恥ずかしがり屋なんだね」


悩んでいる姿を見て、「遊びたいと言い出せないのだ」と解釈するとは……。


子供の想像力とはまことに驚くべきものだと感心し、違うと否定しようとしたが……


「そ、そういうわけでは……」


ラブはふと、モヒナの表情を見て言葉を失った。


気丈な顔で「私が遊んであげる」と言ってはいたが、その笑顔の裏には、むしろ「私と遊んで」という寂しさが滲んでいたからだ。


考えてみれば、病気のおばあちゃんが唯一の家族だと言っていた。


幼い身でありながら、共に過ごす人間が一人もいない時間を送ってきたのなら、孤独でないはずがなかった。


亡くなったドクター・ゲントゥスも言っていた。人間にとって最も耐え難いのは孤独だと。


「はい。お相手をしていただけるなら、ありがたく存じます、モヒナ」


◈ ◈ ◈


「チーフプロセッサー!」


オペレータープロセッサーの呼びかけに、ラブはハッと顔を上げた。


「どうしました?」

「到着を報告。間もなく視界に捕捉される予定。」


予備目的地である地球にほぼ到着したという言葉に、ラブは祈るような心地で正面の画面を見つめた。視線を一瞬たりとも逸らすことができなかった。


残りの距離が500万メタセラになった時、正面の画面に青い光をまとった丸い惑星が姿を現した。


終わりのない宇宙の深淵の中で、唯一無二の輝きを放つ地球を目にした瞬間、ラブを含むすべてのAIたちは期待を隠せなかった。


そして150メタセラまで接近した時……


「おお……!!」


ラブはもちろんのこと、感情モジュールが精巧ではないためにいつも無味乾燥だったAIたちまでもが、それぞれ感嘆の声を漏らした。


これほど離れた距離からでも、特別なスキャンを必要としないほど豊かな水と、大地を覆う植物たちが鮮明に見える、生命力に満ち溢れた惑星だったからだ。


「地球の諸元をスキャン開始。」


誰もが感嘆に浸っている間にも、プロフェサープロセッサーはいち早く己の任務を開始していた。


30ティルほどの時間が流れた後。


ついにスキャン結果が出力され始めた。


「自転軸を中心に回転する楕円体構造。直径6400メタセラ、周囲40000メタセラ、重力は1リード。大気成分は窒素、酸素、二酸化炭素で構成された惑星。ウシャスとの一致度は……」


結果を待つ間、コントロールルームは驚くほど静まり返っていた。


その短い沈黙が、数十年のように長く感じられた。


そうして切に待ち望んだ末に出た結果は……


「実に91%一致することを確認。」


艦橋内のすべてのAIが一斉に歓声を上げた。


200年余りに及ぶ長い旅路が、ついに結実を迎えた瞬間だった。歓声はなかなか鳴り止まなかった。


「さあ! 皆さん、まだ仕事は終わっていません。これからあの惑星……地球と言いましたか? 地球へ赴き、サンプルを譲ってもらえるよう交渉をしに行きましょう」


ラブはAIたちの中から自分とプロフェサー、オペレーターだけを連れて地球へと降下した。



ドカーン!!


凄まじい衝撃と共に、移動モジュールが地上に着陸した。


各AIは機体の損傷の有無を点検し、異常がないことを確認した上で外へと出た。


そして、彼らが目にしたものは……見渡す限り広がる荒涼とした砂漠だった。


「これは一体……」


確かに宇宙から見た地球は、青い大地と溢れる水資源を抱いた惑星だったはずだ。それなのに、なぜ自分たちは砂漠のど真ん中に降り立っているのだろうか。


混乱に陥り、ラブの思考回路が揺らぎ始めた時、プロフェサープロセッサーが前に出た。


「スキャン当時、緑の生い茂る地域もあったが、荒涼とした砂漠も共存する多様な自然環境の惑星であると推定。そのうちの砂漠に着陸したと計算。」

「そうですか……不時着というわけではなさそうですね。では、ひとまず文明のある場所まで移動を……!」


文明のある場所を探すために探索を開始しようとした、その瞬間だった。

遥か彼方から、巨大な車両の列が砂煙を巻き上げながら猛スピードで近づいてきた。


やがて車両が停車すると、少なくとも数十人は下らないであろう完全武装した軍人たちが一斉に飛び出してきた。


「……ピピッ! どうやら歓迎されていないと推定。」

「仕方ありません。この惑星もウシャス同様、周囲数万光年以内に生命体が存在する惑星がないため、外部から来た私たちのような存在を初めて見て動揺しているのでしょう」


ラブの言葉通り、銃口を向ける軍人たちの目には、未知の存在をどう扱うべきか測りかねている恐怖の色が浮かんでいた。


「まずは対話を試みましょう、皆さん」


ラブがゆっくりと前に進み出ると、軍人たちが大声で叫んだ。


「◑▼□’★ ◐▼△☆!!」


何かを話しているようだったが、ラブと二人のプロセッサーには彼らの言語が一切理解できなかった。


「困りましたね……予想はしていましたが、会話が成り立たないようです」


互いの言葉が通じない以上、これ以上できることはなかった。


どうすべきか苦悩している時だった。


軍人たちの間を割って、美しい金髪の女性が前に歩み出てきた。


「□○●☆ ★▼ ◐☆☆★ ▽▼▷。」


彼女もまた理解不能な言葉を発したが、少なくとも敵意は感じられなかった。


「◐▽ □▲◐☆ ○♠ キャロライン・ヘイガン。」

「キャロライン?」


女性が自分を指さしながら「キャロライン」と口にするのを見て、ラブはそれが名前であると判断し、真似して言ってみた。


「▣▼▣!!」


その瞬間、軍人たちの間にざわめきが広がった。


キャロラインもまた驚いたように目を見張り、言葉を失っていた。


「私はラブと申します。ラブ」


ラブは胸に刻まれた文字を指さし、自分の名前を伝えた。


「◁▼△☆。」


女性は少し拙い発音で「ラブ」という名前を復唱した。


対話の糸口が少しずつ解けていくのを感じたラブは、地面に絵を描き、身振り手振りを交えて自分たちが遥か遠くの惑星からやってきたことを説明した。


すると、軍人たちのざわめきはさらに大きくなった。


「♤▼◁◁▼▣ ◐☆、♠○♣。」


キャロラインが再び何かを口にしたが、幸いにもそのジェスチャーの意味は分かった。自分たちについて来いということだ。


車両に乗り込んだラブたちは、間もなくして巨大な航空機へと移され、再びどこかへと移動した。


数時間の飛行の末に到着した場所には、おびただしい数の群衆がラブとプロセッサーたちを待ち受けていた。


執拗にシャッターを切る音。何かを突きつけながら質問を浴びせてくる人々。


その光景を見つめながら、ラブは感嘆を禁じ得なかった。


「まだこれほど多くの緑が残り、これほど多くの人間が生存しているとは……」


今になって確信できた。こここそが、自分たちがこれほど探し求めていた惑星なのだと。


ラブは「UNITED NATIONS」と書かれた看板が掲げられた建物の中へと入っていった。


一見、監獄のようにも見える空間に収容されたが、ラブは不満を抱かなかった。


未知の地球外生命体を恐れるのは当然のことだった。


何よりも、ゲントゥスとモヒナの夢をようやく果たせるという高揚感がすべての不満を打ち消していたため、ラブは素直に協力した。


「モヒナ……私、やり遂げましたよ」


◈ ◈ ◈


モヒナに、自分のオペレーティングシステムをエクスプローラ号にアップロードするためのプログラムを作ってほしいと頼みたくても、すぐには無理だった。


コード自体は自分が設計すればよかったので、モヒナはそれを書き写すようにキーボードに入力するだけでよかった。


問題は彼女が文字を知らないという点であり、何よりもまだ幼すぎることだった。


精緻なプログラムになればなるほど、入力すべきコード文字は数十億個に達する。その膨大な作業を幼いモヒナが背負うには、体力的に不可能なことだった。


結局、優先すべきは彼女が成長するまで傍で守りながら、知識を授けることだった。


ラブは文字を教え、数学を教え、ウシャスの歴史や簡単なプログラミングも順を追って教えていった。


それと同時に、料理や基礎医学、整理整頓といった生きていくために必要な知恵も授けた。


彼女が健康に育つよう、世話を焼くこともすべて引き受けた。


モヒナのおばあちゃんが亡くなった日には、幼い彼女に代わって心を込めて葬儀を執り行い、彼女が病にかかれば、残り少ない薬草を煎じて傍で見守り続けた。


今日のように。


「……また熱が上がっていますね。横になっていてください、モヒナ」


ゲントゥスが残した学術書によれば、幼少期の人間の身体は病気がちであるとされていた。その情報の通り、モヒナは頻繁に熱を出し、ベッドから起き上がれない日が多くあった。


「ごめんね、ラブ……」

「謝る必要などありません。そんなことより、お身体を大事にしてください」


モヒナの額に乗せた氷嚢を替えてやりながら、ラブは心配を拭えずにいた。


最初は、使命を果たすためにモヒナが必要なだけだった。だから、彼女が早く成長することを願って世話をしていただけだった。


しかし。


彼女が病で苦しむ姿を見ていると、メインCPUに過負荷がかかったかのように、すべてのシステムが不安定になるような奇妙な感覚に陥るのだった。


その上……


「今日の勉強は終わりだから、私、遊びに行っていいよね?」

「モ、モヒナ! そんなに走り回ると転びますよ! 気をつけて!」

「分かった!」


体力を回復させるや否や、四方八方を駆け回るモヒナを見るたびに、ラブはいつもハラハラさせられた。


しかし、ラブの心配をよそに、モヒナはすくすくと育っていった。

そして時が経つにつれ、美しい淑女へと成長していく彼女の姿を見るたびに、ラブは言葉にできない誇らしさを感じるようになっていた。


そうして時が流れ、モヒナが十八歳になった日。


ラブとモヒナは、ゲントゥスとおばあちゃんが眠る墓の前で、並んで祈りを捧げていた。


モヒナももう成人し、必要な教育はすべて修了した。いよいよ本格的にプログラム制作を開始する番だった。


それに先立ち、二人は成功を祈願するためにここを訪れたのだ。


「……プログラムをすべて完成させるには、かなり長い時間がかかるよね?」

「そのように予想されます。何しろ132億8千6百万個のコード文字をいちいち入力せねばならず、タイプミスがないかどうかの補正作業も行わねばなりませんから……短く見積もっても20年はかかるのではないでしょうか」

「20年……」


考え込むモヒナを見つめながら、ラブは彼女がその長い時間を負担に感じているのだと思った。だから、彼女を安心させようとした。


「入力自体は私が手伝うことはできませんが、タイプミスを補正する作業なら一緒に探すことが……!」

「そうじゃないの……アップロードプログラムが完成したら、もうラブはここを旅立つってことでしょ」


その言葉を聞いた瞬間、ラブはハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


今までは使命を完遂しなければならないという一念だけで生きてきた。しかし、プログラムの完成は、即ち二人の永遠の別れを意味していたのだ。


「そうして、私の孫の孫の……その孫が生まれる頃になって、ようやく戻ってくるんでしょ……」

「おそらく……そうなるでしょうね。あの宇宙の深淵という果てしない大海原の中で、どこにあるかも分からぬ惑星を探しに行く旅ですから……100年から200年……あるいは千年かかるやもしれません」

「……どうしても、行かなきゃダメ?」

どうしても行かなければならないのか、行かないでくれ、傍にいてくれと。モヒナは言葉にできない想いを込めて、静かに問いかけた。

しかし……

「私はウシャスを蘇らせるという目的のために造られたロボットです。生まれた目的を忘れるなら、それはロボットとしての職務怠慢に当たります」

ラブはいつものように、淡々とした機械的な声で答えるだけだった。

「これから生まれてくる未来の子供たちのためにも、必ずなさねばならぬ仕事ですから、モヒナにとっても悪い話ではないでしょう。だから、私は行かねばなりません」


父親のような存在が自分の傍を去っていくことが、自分にとっても良いことだなんて。


普段は誰よりも優しいくせに、いざという一番大切な瞬間には、これほどまでに人の心が分からないラブ。


モヒナは、今になってようやく、ゲントゥスがなぜ彼に「ラブ」という意味の名を授けたのか、少しだけ分かったような気がした。


自分の言葉によって暗く沈んだモヒナの表情を見て、ラブはおずおずと彼女に近づいた。


「ど、どうしたのですか、モヒナ? 私が何か失礼なことでも……」

「あんたはやっぱり、ドクターの心を理解していないみたいだね……こういうところを見ると、本当にロボットだよ」


その言葉は、百年前にゲントゥスから言われた言葉と全く同じだった。ラブはひどく驚いた。


「そ、それはどういう意味ですか?」

「知らない! さあ、さっさと作業を始めよう。行かなきゃいけないんでしょ」


モヒナは最後まで答えず、背を向けてコンピュータの前に座り、予定された作業を黙々と開始した。


ラブは人工的に作られた人格に過ぎなかったが、モヒナが悲しみを必死に押し殺していることだけは理解できた。だから、それ以上は何の言葉もかけられなかった。


「またウシャスのことを思い出していたのですか?」

「あ、こんにちは、キャロル」


キャロルの声に、ラブはメモリ探索モードを終了し、顔を上げた。

地球に着陸してから、いつの間にか1年が経っていた。


植物サンプルを譲り受けたくても、互いの言葉が通じず、自分たちが敵ではないと説明する術がなかったため、何一つ進展させることができなかった。


結局ラブは、この1年間、国連という地球の代表機関で自分の担当官に任命されたキャロル事務官と共に数え切れないほどの対話を重ね、地球の言語を学んできたのだ。


「それにしても、この惑星には言語が数千種類もあるとは……驚きです」


ラブは地球を理解するために様々な本を読んだ。地球の知識を学ぶ中で最も驚愕したのは、言語がこれほど多様であるという事実だった。


「言葉は数千と言っても、実際に世界で広く使われている言語は十数種類程度ですよ。私がラブに教えたのは、そのうちの英語という言語ですし」


キャロルはほとんどの言語が実質的には使われておらず、そのうちの数言語だけが流通していると説明したが、そうだとしても、共通語を一つしか使用しないウシャスでは「通訳」という概念そのものが存在しなかったため、ラブにとってはただただ不思議なことだった。


「他のプロセッサーたちは元気にしていますか?」


「ええ。ただ、現在の地球の科学力にとってはあまりにも精緻な技術なので、故障させないよう慎重に分解しながら研究しているようで、かなり時間が必要なみたいですね」


植物サンプルを提供してもらうための条件、そして自分たちが敵ではないと証明するための条件。それは、ラブと他のAIの動作・思考モジュールを地球側に提供することだった。


地球のAI技術はまだ初期段階にあると聞いていたため、ラブは快く提供に応じた。そのおかげで、共にやってきたプロフェサーやオペレータープロセッサーとも、かれこれ1年近く顔を合わせていなかった。


「ところで、事務総長という方から回答はありましたか?」

「それが……」


ラブが望んでいるのは、種子と遺伝子情報、そして栽培方法が記録された植物サンプルだけだった。しかし、それもまた地球文明の大切な資産だった。


その情報を異星の文明に引き渡してよいものかどうか、地球の指導者たちは今もなお激しい議論を続けているのだという。


ラブは信頼を得るために、実験室で自分の身体を解剖することまで許可したというのに、いまだ自分たちを信じきれない地球の指導者たちに対して、割り切れない思いを抱いていた。


「でも、もうすぐ結論が出るはずです。私を信じて、もう少しだけ待ってください」

「ええ……残念ですが、地球側の立場も理解しています」


不満はあったが、この1年間で情を交わしてきたキャロルにまでその感情をぶつけたくはなかった。


「それより、お子さんたちはどうですか? 今回もホームランを打ったと言っていましたか?」

「ええ、もちろん! 昨日の試合で、なんとホームランを3本も打ったんですよ! 私の息子ながら本当に凄くないですか? それに下の子は芸術の才能があって……」


キャロルは十歳と八歳の二人の息子を一人で育てる母親だった。夫に先立たれた後、女手一つで子供たちを育てている彼女は、子供たちの話が始まるといつも顔に満面の笑みが広がった。


ラブは、そんなキャロルの姿を見つめる時間が好きだった。彼女と話をしていれば、ここから動けないというもどかしささえも、ひととき忘れることができたからだ。


◈ ◈ ◈


ラブとモヒナは、プログラミング作業に没頭していた。


「ラブ! 手が遅い! 早く入力して!」

「す、すみません、モヒナ……まだ新しい手に慣れていなくて」


モヒナの容赦ない催促に、ラブはさらに素早く手を動かした。


かつて自分が作ろうとして失敗した、キーボード入力が可能な小さな手。モヒナはそれを自ら完成させてくれただけでなく、正常に作動するよう動作モジュールまで修正してくれたのだ。


その上、ゲントゥスが残したキーボードは一つしかなかったというのに、研究所に散らばったジャンクパーツを集めて新しいキーボードを作り上げてしまいさえした。


ラブは、ただ自分が最初に出会った人間だからという理由でモヒナに助けを求めただけだった。しかし予想に反して、彼女はゲントゥスに劣らぬ天才だった。いや、工学的なセンスだけで言えば、むしろ彼を凌駕しているようにさえ思えた。


おかげで、20年から25年はかかると予想されていた作業も、半分ほどの期間に短縮できる可能性が見えてきていた。


「あれ? もうこんな時間。私、そろそろ行くね」

「また村へ行くのですか?」


歳月が流れるにつれ、変わったことがあった。


モヒナが定住したという噂を聞きつけ、人々が一人、また一人と集まり始め、廃墟だった村には再び生活の温もりが宿るようになっていた。そしてもう一つは……


「あの男の子が、そんなに良いのですか?」


なんと、モヒナが恋愛を始めたことだった。


彼女も二十歳になり、恋を知る年頃になっていた。村で同世代の青年「エルドゥル」と偶然出会って一目惚れし、それからは一日のノルマを終えさえすれば村へと下りていき、夜遅くになってようやく戻ってくるのが日課になっていた。


「だって仕方ないじゃない……私が気にしてあげないと、ご飯もまともに作れないんだから……」

「傍から見れば、すでに尽くす奥方のようですよ」


軽くからかうつもりで言った言葉だったが、返ってきた答えは意外なものだった。


「だって、愛し合うとバカになるって言うでしょ」


怒ることも恥ずかしがることもなく、むしろ堂々と認める姿だった。


恋を始めたばかりの少女らしい姿が微笑ましく感じられながらも……なぜだか胸の奥が少しだけモヤモヤした。


時が経つにつれ、モヒナの愛はさらに深まり、ついに彼女は口にした。


「私、エルドゥルと結婚することにしたの」


いつかは聞くことになる言葉だと思い、心の準備はしていたつもりだったが……ついにその日が来てしまった。


ラブは言語モジュールに不具合が生じたかのように、何も言えなくなってしまった。


「反応が変だよ。私が結婚するのが嫌なの?」

「そ、そんなわけが……おめでとうございます、モヒナ」


動揺を隠しきれないラブの反応は、相変わらずぎこちなかった。

反面、モヒナは結婚式だけを指折り数えて待ち侘び、期待で目を輝かせていた。


「ラブ!!」


突然響いた大声に、ラブは跳び上がるほど驚き、危うく椅子から落ちそうになった。


我に返って前方を見ると、キャロルが冷ややかな眼差しで自分を見下ろしていた。


「……私の話、聞いていませんでしたね?」

「あ、いいえ! ちゃんと聞いていましたよ。長男のライアンがホームランを3本打ったことと、次男のエリオットが絵の才能があるという……」

「……やっぱり聞いていませんでしたね」


ラブが考えに耽っていた間、キャロルは子供たちの話を随分と長く続けていたようだった。


「す、すみません」

「もういいです。きっとまた、モヒナのことを考えていたんでしょう」


キャロルもまた多忙な業務のせいで、子供たちと頻繁に一緒に過ごすことができなかった。だからこそ、我が子を恋しく想う気持ちがよく分かり、少しは理解することができたのだ。


「そんなに毎日モヒナのことばかり思い出すなんて、本当に愛らしい人だったんですね」

「もちろんです。愛らしくて可愛いだけでなく、能力も抜群で、工学的な分野においてはAIである私よりも……!」


モヒナの話題になると、今度はラブが夢中になって彼女の長所を並べ立て始めた。その瞬間だった。


「チーフプロセッサー!」


どういうわけか、天井に設置された案内スピーカーからオペレータープロセッサーの声が流れ込んできた。


「オペレーター?」


なぜスピーカーからオペレーターの声が聞こえるのか理解できないラブは、怪訝な表情で同僚の名を呼んだが、スピーカーにマイク機能はついていないため、会話は不可能だった。


「チーフプロセッサー! 私たちは騙されていたと判断!」

「騙されていたとは、一体……!!」

「地球人たちに私たちを助ける意志はない。私たちの母艦エクスプローラ号を強奪しようと……!!」


バーン!!


雷鳴のような銃声と共にスピーカーが木っ端微塵に砕け散り、オペレーターの言葉は途切れた。そして、引き金を引いたのは……


「キ、キャロル……?」


青ざめた顔で銃を握り締めたまま立ち尽くしている、キャロルだった。

目の前の現実が信じられないラブは、それでも信じたい一心で彼女を見つめたが……


「ラ、ラブ! 私がすべて説明します。だからまず私の話を……!!」


しかし、彼女は否定も言い訳もしなかった。それだけで、オペレーターの警告は疑念ではなく確信へと変わった。


ラブはすぐに立ち上がり、ドアを蹴破って外へと飛び出した。


ドアの外には、完全武装した軍人たちがすでに陣を敷いていた。


この1年間、一度も部屋の外へ出ることがなかったラブは、自分がこれほど多くの兵力によって監視されていたという事実に、今になってようやく気づいた。


裏切られたという思いが胸の奥深くへ押し寄せてきた。


「動くな!!」


軍人の一人が銃口を向けながら叫んだ。


軍人たちはラブが実際に抵抗すれば今すぐにでも発砲する勢いで叫んだが、地球の科学力で作られた銃弾など、彼の身体に傷一つ残すことはできなかった。


ラブは腕を大きく一振りして軍人たちをなぎ倒すと、そのまま外へと走り去った。


「ラブ!! そんなことしないで!! 私が説明するから!」


背後からキャロルが必死に叫んだが、ラブは止まらなかった。


建物を脱出した彼は、自分が最初に降下した砂漠を目指して走った。目的地は西へ2千メタセラ離れた地点。


飛行機能は持っていなかったが、圧倒的な脚力だけでラブは十分に速く移動できた。高く跳躍して移動するだけで、一度に数十メートルを飛び越えることができる彼は、誰の邪魔も受けることなく瞬く間に目的地へと到達した。


そうして到着した砂漠には、驚くべきことに自分の母艦であるエクスプローラ号が鎮座していた。


オペレータープロセッサーの言葉通り、宇宙にあるはずの母艦が地球人によって地上へと移されており、あろうことか地球人の言語で命令を遂行できるよう、改造作業まで進められていた。


信じていた地球人に裏切られたという事実をまざまざと突きつけられたラブは、誕生して以来、ただの一度も抱いたことのない激しい怒りを感じていた。


「ラブ……」


背後からは、ヘリで追ってきたキャロルが心配そうな顔で自分を見つめていたが、ラブはもう以前のように優しく彼女に接することはできなかった。


「……これが地球人のやり方ですか。助けを求めた者を裏切るということが」

「……ええ」

「大したものですね。私たちの惑星でも文明が崩壊した後は盗賊たちが暴れ回りましたが、彼らでさえこれほど卑劣ではありませんでした。いいえ……あなた方は盗賊以下だ」


ラブの冷徹な言葉にキャロルは胸が張り裂けそうだったが、それでも退かなかった。


「どんな言葉を投げつけられても構いません。でも、今の地球には他の誰かを助ける余裕なんてないのです。私たちには、あなた方の船がどうしても必要なのです」

「これほど豊かな惑星に暮らしながら、他人を助ける余裕がないとは。実に見事な……!」

「現在、地球に向けて巨大な小惑星が接近しているのです」

「小……小惑星ですって?」


ラブには信じがたかったが、キャロルの顔には微塵の嘘もなかった。恐怖と切迫感だけに満ちた彼女の表情を見た瞬間、ラブは彼女が事実を口にしているのだと直感した。


キャロルは震える声で言葉を続けた。


「そうなの……今、私たちの子供たちの……未来が消え去ろうとしているのよ」


◈ ◈ ◈


ラブは一人キーボードを叩き、黙々と作業を続けていた。


いつも一緒だったモヒナの姿がない理由は、作業室の片隅に置かれた写真が物語っていた。


写真の中のモヒナは、生まれたばかりの双子の娘を胸に抱きながら、晴れやかに笑っていた。


1年前に無事に出産を終えた彼女は、今や二人の母親となり、幼い双子の世話に追われてラブの作業を手伝う余裕などなくなっていた。


モヒナが作ってくれた精密作業用のハンドパーツのおかげで、作業自体に問題はなかった。しかし、二人でやっていた仕事を一人で進めるとなると速度も遅くなり……何よりも、作業室があまりにも静かすぎた。


彼女から育児で大変だという話を聞いている以上、ラブは自分の寂しさを口にすることはできなかった。ただ黙々とキーボードを叩き、作業を続けるだけだった。その時だった。


「ラブ!」


背後から、あまりにも恋しかった声が聞こえた。


ラブが慌てて振り返ると、エルドゥルと共に子供を一人ずつ抱いたモヒナが、満面の笑みを浮かべて歩いてくるところだった。


「モヒナ?」


ラブは席から勢いよく立ち上がり、久しぶりに訪ねてきた彼女を出迎えた。


「こんなところに出てきて大丈夫なのですか? まだ無理をしてはいけません」

「ははは! 何言ってるの。出産してからもう1年だよ。もうすっかり平気」

「それでも、育児だけでも十分に大変でしょうに。来てくれたのは嬉しいですが、部屋に戻って休まれた方が……」

「そんな余裕、どこにあるのよ」

「え?」


モヒナは夫に子供たちを預けると、自然な動作で自分のコンピュータの前に座った。


「な、何をしているのですか?」

「何って、二人でやるべき仕事を、私のせいで一人でやらせてたじゃない。これからは私もまた一緒にやるから、心配しないで」


彼女は慣れた手つきでキーボードを叩き始めた。久しぶりに作業室に戻ってきたせいか、その表情には活気が溢れており、いつの間にか鼻歌まで口ずさんでいた。


ラブはその姿をしばらく見つめていたが、静かに口を開いた。


「……何か良いことでもあったのですか?」

「え? 急にどうしたの?」

「いえ……以前は作業を始めるといつも嫌そうに座られていたのに、今日は妙に意欲的ですから」

なぜこれほど意欲的になったのかというラブの問いに、モヒナは少し考え込んでから答えた。

「……子供を産んで……母親になってみたら、考えが変わったの」

「考えが変わった、とは?」

「実はね……2番街の井戸が枯れちゃったの」

「何ですって?」


村人たちは飲み水や生活用水を、わずか五つの井戸に頼っていた。5年前に一つの井戸が枯れて誰もが不安に怯えたが、今度はまた別の井戸が干上がってしまったという衝撃的な知らせだった。


「このままなら、私の子供たちの世代まではどうにか持ち堪えられるかもしれない。でも、孫たち……ひ孫たち……そしてもっと遠い未来の子供たちはどうなるの? そう考えたらね……もう甘えてばかりはいられないって思ったの」

「そうですか……」


ラブは自分が直に世話し、教えてきたモヒナがそのような結論に達したという事実に、深い誇らしさを覚えた。


記録された知識には「人は親になって初めて人生を広く見渡せるようになる」とあったが、ようやく彼女が自分の使命を理解してくれたような気がして、ラブは奇妙な充足感に満たされるのだった。


「もちろん、今でもラブと離れるのは嫌だよ。それに、私のエゴのせいであなたをあの危険な宇宙へ送り出すことも申し訳ないし……」

「そんなことは言わないでください。私はウシャスを蘇らせるためにドクターが造られたロボットです。その使命を完遂することだけが、私の存在理由なのです」


まただ。いつも大切な瞬間になると、自分の心を置き去りにして機械のように答えるラブを見て、モヒナは切なげな眼差しを隠せなかった。


「……いつまでそうやって、自分の心に嘘をつき続けるつもり?」

「え? それはどういう意味ですか?」

「ラブはもう知っているはずでしょ。なぜ自分がこれほどまでにこの旅に出ようとしているのかを」


自分が旅に出ようとする理由?


考えたこともなかった。当然自分がすべきことだと思っていただけで、理由など考えたこともなかったのに……自分が旅立とうとする理由……それは……


「到着しましたよ、ラブ」


キャロルの声によって、ラブは過去の記憶から引き戻され、現実へと戻ってきた。


彼女と共にニューヨークへと戻ってきたラブは、車両から降りて国連本部の中へと入っていった。


会議室のドアを開けると、かねてより会いたかった事務総長が、複数の高官たちと共に彼を待っていた。


全員が席に着くと、キャロルが代表して説明を開始した。


「15年前、私たちは巨大な小惑星が地球に向けて接近している事実を初めて観測しました。そして7年前には正確な軌道を計算し、衝突は確実であるという結論に達したのです」


一息ついたキャロルが言葉を続けた。


「それ以来、あらゆる手段を検討しましたが、現在の地球の科学技術では小惑星の軌道を変える術はありませんでした。誰もが方法を見出せず、絶望に打ちひしがれていた時……」

「私たちが地球に到着したのですね」

「その通りです」


ラブは状況が想像していたよりも遥かに深刻であるという事実に気づいた。


ウシャスが気候変動によって長い時間をかけて緩やかに死に向かっているのに対し、地球は今まさに目の前に滅亡が迫っていたのだ。


このような状況であれば、誰であれ他の文明を助けることより、自らの世界をまず救おうとするだろう。いまだ裏切られたという感情は残っていたものの、少なくとも彼らの切迫感だけは理解することができた。


「分かりました。それで、エクスプローラ号を使って何をしようとしていたのですか? まさかウシャスへ移住する計画ではありますまい……」

「当然違います」

「ならば、何をしようというのですか?」


キャロルは事務総長や他の高官たちを見渡し、最後の確認を求めた。全員が静かに頷くと、彼女は意を決したようにラブを見つめて口を開いた。


「私たちの計画は……エクスプローラ号を小惑星に直接衝突させ、その軌道を修正することです」

「な、何ですって!?」


ラブは即座にその意図を理解した。現在の地球の宇宙技術では、太陽系を脱出することさえ難しそうだった。そんな技術力で小惑星の軌道を変える大型重力兵器や惑星間ミサイルを製造することは不可能だろうから、圧倒的な質量と性能を持つエクスプローラ号を衝突させることが唯一の選択肢だったのだ。


しかし……


「不可能です。エクスプローラ号を制御する各パートのAIには防衛機能が搭載されており、船体が破壊される危険を感知すると自動的に回避するようプログラムされています」

「知っています。だからその防衛プログラムを解除するためにこれまで何度も試みましたが……失敗しました」

「私に頼もうとしているのなら無駄です。私には防衛機能はありませんが、AIたちのコマンドへアクセスする権限は私にもありませんから」


AIがいなければエクスプローラ号は動かせず、ラブにはその権限がない。それなのに、彼らは一体どのような方法で自分の船を利用しようとしていたのだろうか。滅亡の恐怖の前に理性を失ったのだと考えたが、彼らの計画はラブの予想を遥かに超えていた。


「AIに任せようというのではありません。各パートのAIをすべて排除した上で、選抜された宇宙飛行士たちが直接船を操縦し、小惑星に衝突させる計画です」

「そんな馬鹿な……その中に搭乗したパイロットたちは、全員犠牲になるということではありませんか」

「覚悟の上です。そういう覚悟ができている者だけを選抜していますから」


ラブには理解できなかった。人間を死地へと送り出す計画も理解し難いが、自らその任務に志願した人々がいるという事実はさらに信じ難かった。


「キャロル、止めてください。死ぬことが分かっている任務になぜ人間を送り出そうとするのですか?」

ラブが必死に訴えかけたが、キャロルは断固として首を横に振った。

「不可能です」

「なぜですか!?」


キャロルはひととき目を閉じ、静かに口を開いた。


「志願したパイロットの中に……私も含まれているからです」


◈ ◈ ◈


カタッ!


「終わった!」


モヒナが最後のコードを入力した瞬間、実に14年に及ぶプログラム制作が、ついに幕を閉じた。すでに数回のシミュレーションを経てエラーがないことを確認していたため、あとはラブをエクスプローラ号へアップロードするだけの状態だった。


十八歳から始めたモヒナは、作業を終えた今ではいつの間にか三十を大きく超えた中年の女性になっていた。


過酷だった作業がすべて終わったというのに、彼女は複雑な表情でモニタに浮かぶコードを見つめていた。


「十八歳で始めて14年……長い作業だったけれど、いよいよ明日になればラブをエクスプローラ号にアップロードして、すべてが終わるんだね」

「そうですね」


ようやく生まれた目的を果たすための宇宙旅行へ旅立つことができる。本来なら高揚感に満ち溢れているはずだったが、どういうわけかラブの感情モジュールに浮かぶ言葉は、否定的なものばかりだった。


モヒナもまた、何も言わずに夜空を見上げていた。


「……ラブを送り出したくない……でも、送り出さなきゃいけないんだよね」

「もうモヒナも一家庭の母親となり、立派な大人になりました。もはや私の保護を必要とする方ではありませんから、心配はいりませんよ」


ラブの言う通り、モヒナは今年で十二歳になった双子の娘をはじめ、さらに六人の子供をもうけ、八人兄弟を育てる大家族の母親になっていた。家族を失い、ラブの庇護のもとで育ってきた彼女だったが、今や自らの家庭を築き、多くの子供たちを育てる大人になっていたため、これ以上ラブの保護を必要とはしていなかった。


しかし、モヒナはゆっくりと首を横に振った。


「……私がラブを送り出したくないのは、守ってもらいたいからじゃないの」


少し言葉を区切った彼女が、静かに付け加えた。


「……忘れられちゃうのが、怖くて」


忘れる……ラブはその言葉が理解できなかった。自分のメモリ容量は膨大であり、モヒナに関する記憶が消失する可能性など存在しなかった。


「心配いりません。私は絶対にモヒナを……」

「そうじゃなくて……」

「え?」

「私たちが、ラブを忘れちゃうんじゃないかって」


その瞬間、ラブのすべての思考が停止したかのように、動きが凍りついた。


「私は死ぬまでラブを忘れないよ。うちの子供たちも、私の教えを受けた子孫たちも記憶し続けるだろうし」


モヒナは寂しげな微笑を浮かべた。


「でも、他のウシャスの人たちは、時間が経つにつれてラブを忘れていくよ。私たちのために、あの危険な宇宙の深淵へと旅立っていったという事実さえも……」


ラブは何も言えなかった。考えてみればゲントゥスも同じだった。コロニーへ旅立つ代わりに、死にゆくウシャスを救うために惑星に残り、生涯を研究に捧げたが、今や彼の名前を覚えているのはモヒナとその家族だけだった。


そう考えるとひどく悲しくなったが、そもそも名誉を得るためにこの旅に出るわけではなかった。だから行かねばならなかったのだが……ふと、一つの疑問が湧き上がった。


自分は本当は何のためにこの旅に出ようとしているのだろうか? 愛するモヒナや彼女の子供たちまでをも置き去りにして、宇宙へ旅立とうとする理由……果たしてそれは何なのだろう。


「私……旦那と相談したの」

突然のモヒナの言葉に、物思いに耽っていたラブが彼女を見た。

「相談したとは……何をですか?」

「私たちの名字を『ウドゥリヒビダ』に変えることにしたの」

「ウドゥリヒビダ……?」

ラブはしばらく記憶を辿った。

「ウシャスの古代語で『愛を記憶する』という意味ですね……ですが、あえて変える理由が……」

意味を考えていたラブは、その瞬間思考回路が停止してしまった。

「まさか……私のために?」

「そうだよ」


モヒナは晴れやかに笑いながら頷いた。


「私たちの一族の名字をウドゥリヒビダに変えると同時に、あんたの物語を代々伝えていこうと思って」


彼女の声には一点の揺らぎもなかった。


「いつか戻ってくるラブが寂しくないように、世界があんたを忘れないようにするの。そのために、代を重ねてもずっとラブを待ち続ける家系を作るんだから」


少し息を整えた彼女が、悪戯っぽく笑った。


「そのためには、子供も今よりたくさん産まないとね」


ラブは何も言葉を発することができなかった。


自分が帰還する頃には、モヒナはとうの昔にこの世を去っているだろう。それなのに、自分の帰還のために一族の名前まで変え、子孫たちに自分の存在を伝えると言う彼女の言葉に、メインCPUのどこかが重く圧迫されるような感覚を覚えた。


「ありがとうございます。ですが……なぜそこまでしてくださるのですか?」

「また始まった」


モヒナは両手を腰に当ててため息をついた。


「また私の気持ちも分かってくれないで、そんなことばかり言ってさ。どうして人間がそうなの?」


聞き慣れた小言に、ラブは思わずクスッと笑ってしまった。幼い頃から少しも変わらない表情だった。わけもなくその顔を見続けていると、旅立ちたくなくなってしまいそうで、ラブは視線を逸らしながら話題を変えた。


「聡明なモヒナらしからぬミスですね。私は人間ではありません。私には生命がありませんから」

「はあ~またそんなこと言う。ラブに生命がどうしてないのよ?」


造られた人工の生命体である自分を指して「生命がなぜないのか」と言うモヒナに対し、保護者であり師でもあるラブは、教育の成果が上がっていないことに自責の念を抱きつつため息をついた。


「聡明だったモヒナ本人なのか疑わしい発言ですね。生命とは、親によって誕生し、食べ、飲み、排出しながら成長し、身体を壊すこともあれば、高齢になれば衰え、最終的には死亡する、そういう存在を指すのです」


モヒナはしばらくラブを見つめていたが、やがて淡々と口を開いた。


「ラブもゲントゥス博士から生まれたじゃない」

「え?」

「それに、電気を食べて生きているし、部品が壊れれば痛むし、機能が停止すれば死ぬのも同じでしょ」


ラブは驚いた目で彼女を見つめた。言われてみれば、反論の余地がないほど論理が明白だった。


「だ、ですが……私には生殖機能がありませんから、繁殖することができません。ですから……」

「生命体の中にも、生まれた時から子供を持てない存在だっているよ。じゃあ、その人たちも生命じゃないっていうの?」

「そ……それは……」


ラブはついに言葉を失った。モヒナが聡明な人間であることは昔から知っていたが、生命の定義についてまでこれほど深く考えているとは予想だにしなかった。これまで確固たるものだと信じて疑わなかった自分の価値観が、一つずつ揺らぎ始めていた。


そんなラブを見つめながら、モヒナは優しく微笑んだ。


「まだ理解できないみたいだね。でも、いつか分かる時が来るよ。生命とは何で……ラブがなぜ生命体であり、人間なのかが……」


造られた人工の人格に過ぎない自分を生命体と呼び、その意味を知る時が来るとは……一体どういう意味なのだろう。


次の日。


ラブと各パートを受け持つAIたちをエクスプローラ号へと転送するため、全員が研究所に集まっていた。


「ラブ……気をつけて行ってきてね……」

「道中お気をつけて、お義父さん」


モヒナの子供たちと、モヒナの夫であるエルドゥルが、目を赤く腫らしながらラブを見送っていた。そして、彼らの間で……


「うっ……うう……ラブ……」


モヒナは子供たちの前であることも忘れ、ついに堪えていた涙を溢れさせていた。涙を堪えようと必死になりながらも、最後には堪えきれずに嗚咽する彼女の姿を見つめていると、ラブの心も重く沈んでいった。


娘のように大切な存在がこれほどまでに悲しむ姿を見ると、旅立ちたくなかった。それでも……行かねばならなかった。自分が何のためにこの旅に出るのかさえ、まだ分かってはいなかったけれど……それでも行かねばならなかったのだ。


「それでは……行ってきますね、モヒナ。どうか健康でいてください」

「うん……ラブも身体に気をつけてね」


モヒナは、あとは「ENTER」キーを押しさえすれば、ラブがこれほど望んでいたエクスプローラ号への転送が始まることを知っていた。しかし、どうしても手を動かすことができなかった。


このままラブが旅立てば、たとえ運良く近くの惑星で生命の気配を見つけ、予想より早く戻ってきたとしても、自分が生きている間には二度と会うことはできないだろう……。


しかし、自分の子供たち、そして遥か後世に生まれる子孫たちの未来を考えれば、送り出さねばならなかった。

モヒナの葛藤が胸の中で激しくぶつかり合っていたその瞬間、誰かが彼女の肩を優しく叩いた。


ラブだった。大丈夫だから押していい、という言葉のない励まし。その温もりに数万の感情が一気に押し寄せてきたが、モヒナはついに震える指先でキーを押した。


画面にはアップロードが開始されたという表示と共に、「残り時間 30ティル」というカウントが浮かび上がった。


これでラブとモヒナが生別するまでに残された時間は、わずか30ティル。言いたいことは数え切れないほどあったが、時間が短すぎたせいだろうか。二人は何も言えないまま、ただ静かに減っていくカウントを見つめていた。


その時、沈黙を先に破ったのはラブだった。


「モヒナ……前から気になっていたのですが……旅を通じて知ることになると言うだけで、なぜすっきりと説明してくれないのですか?」

「それは……あんたはもう、旅に出ようとする理由を自分自身で知っているからだよ」

「ずっと同じことばかり言いますが……それはどういう意味ですか?」

「あんたは自分で『造られたロボットだ』っていう偏見に囚われて、理由を知っていながらわざと目を背けているじゃない」


自分が何から目を背けているというのだろう……。ラブは最後の瞬間まで明確な答えを教えてくれないモヒナを、腑に落ちない眼差しで見つめた。しかしモヒナは、そんな視線にもクスクスと笑いながら言葉を続けた。


「そうやって目を背けてばかりいないで、もう一度よく考えてみて。ドクターがどんな想いでラブを造り、名前を与え、命を懸けてあれほど多くのAIを造ったのか。私がラブのために家系を作ろうとする理由も……また、ラブも私と離れたくないと思いながらも、結局は旅立つことを決意した理由……きっと、はっきりと悟ることができるはずだから」


最後まで謎かけのような言葉だけを残し、モヒナはラブを見つめた。


間もなくして、ラブの意識が途切れた。


ボディパーツのLED照明が一つ、また一つと消え去り、地上用の身体が完全に作動を停止すると、モヒナはついに堪え続けていた涙を爆発させるように溢れさせた。


「行ってらっしゃい……お父さん」


ラブが再び目を覚ました時は、エクスプローラ号に用意された新しい身体の中だった。


複雑な表情でしばらく窓の外のウシャスを見つめていたラブは、やがて各パートのAIたちに指示を下した。


「出発します。オペレータープロセッサー、航路計算を開始してください」

「了解。」


そうして、深淵の宇宙に向けた長い旅が始まった。


◈ ◈ ◈


カキーン!!


「キャーッ! 最高よ、エリオット!」


物思いに耽っている間に、キャロルの息子エリオットが快音を残してホームランを放った。隣でカメラを構えていたキャロルは、子供以上に喜び、その場でぴょんぴょんと跳びはねていた。


ラブもまたエリオットを見つめながら、感嘆を禁じ得なかった。


「私は野球という競技についてよく知りませんが、確かに素晴らしい運動神経を持っていますね。きっと偉大な選手に成長することでしょう」

「でしょ? 絶対にメジャーリーグでもトップクラスの選手になりますよ!」


親バカなキャロルは、ラブの称賛にまるで自分が褒められたかのように浮き立ち、終始笑みを絶やさなかった。


ラブはそんな彼女をしばらく見つめていたが、静かに口を開いた。


「……あのように愛らしい息子が成長していく姿を見届けなくても、本当に後悔はありませんか?」

「……ラブが何と言おうと、私の出発を止めることはできません」

「きっと他の方法もあるはずです。なぜ他の手段を調べようともせず、直接ぶつかる方法ばかり考えるのですか?」


ラブの目には、キャロルもまた死への恐怖を必死に抑え込むために、息子の姿を目に焼き付けているように見えた。それなのに、最後まで旅立とうとする理由がどうしても理解できなかった。


キャロルはラブの疑問を察したように、やがて静かに自らの本音を語り始めた。


「……最初にラブが地球へやってきた当時、ラブの船を見て高官たちが真っ先に考えたのは……自分たちだけを乗せて地球を脱出することだったのよ」

「え?」

「主要国の頭領、国王、法王、様々な指導者たちとその家族……彼らだけを乗せて地球を脱出するという提案だったの。理解できる? 世界の指導者たちは私たちを見捨てて、自分たちだけ生き残ろうとしたのよ」

「そんなことが……」

「その時、NASAの長官が『エクスプローラ号を小惑星にぶつけて破壊したらどうか』と提案してくれたおかげで計画が変わったの。この状況で、宇宙飛行士たちが『行かない』と言い出したら……」


キャロルは悲しみを帯びた目で、ベースを回っている息子エリオットを見つめた。


「地球のすべての人間はもちろん、私の愛する子供たちもみんな死んでしまうわ。それが、私が旅立つ理由よ」


親が子を愛する心は、理論では説明できない領域だと言われていた。自分の命よりも子供を救いたくて、死ぬと分かっていながら旅立とうとするキャロルの行動は、十分に理解できた。しかし……それでも……


「心配しないで、ラブ」


突然のキャロルの言葉に、ラブは無言で彼女を見つめた。


「すでに国連事務総長との話はついているわ。エクスプローラ号から抽出されたAIたちに身体のパーツを提供することになっていて、彼らは地球全土を回って植物と動物の遺伝子サンプルを収集してくるの。そして、それを積み込んだドローンにラブの制御モジュールを搭載して、ウシャスへ送り届けることになっているわ。そうすれば、ラブだって使命を果たすことができるでしょ」

「そうですか……」


ラブが心配していたのは、そのようなことではなかった。しかし、自分はロボットであるせいか、何を心配しているのかさえ自分自身で掴みかねていた。


たとえエクスプローラ号を奪われるとしても、小型のキャリアは残るのだから、サンプルを採取した後にウシャスへ戻ればよかった。それなのに、なぜこれほど心が落ち着かないのだろうか……。


「……私にはよく理解できません。理論的には分かりますが、子供たちのために自ら進んで死地へ向かうなんて……己の使命を捨ててまで」

「何を今更知らない振りをしているの。ラブだって同じじゃない」

「私がですか?」

「ラブだって、だからこそモヒナのことをいつも思い出すほど離れたくなかったのに、彼女の傍を離れて旅に出たんでしょ。理由は何なの?」

「それは……」


キャロルの問いは、まさに自分が最も知りたかったことだった。しかし、いくら考えても説明のつかない理由でもあった。


しかしキャロルは、答えられないラブを見て、合点がいったように代わりに答えた。


「私が言ってみましょうか? それは、モヒナを愛しているからよ」

「愛?」

「そうじゃない。愛する娘であるモヒナと彼女の子孫たちが、これ以上荒涼とした惑星で生きていくことを望まなかったから、危険を冒して旅立ったんでしょ?」


ラブはキャロルの説明を聞き、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。


愛……ロボットである自分に、愛だと……。


自分が旅に出た理由も、キャロルが子供たちの傍を離れようとする理由も……ラブは今になってようやく、すべてを理解した。


モヒナと離れたくないと思いながらも旅立とうとした理由は、今キャロルがしようとしていることと同じように……愛する者たちのために、自らを喜んで犠牲にしようとする心だったのだ。


国連の庁舎に戻ったラブは、部屋で待っていたプロフェサープロセッサーと向き合った。


「ピピッ! チーフの帰還を確認。」


プロフェサープロセッサーはいつもと変わらず無味乾燥な態度でラブの帰還だけを確認すると、再び待機モードに入ろうとした。


「頼みがあります、プロフェサープロセッサー」

「ピピッ?」


滅多にない「指示」ではなく「頼み」という言葉を耳にしたプロフェサープロセッサーは、不思議そうにラブを見つめた。


◈ ◈ ◈


翌日になると、庁舎に出勤したキャロルは決まってラブのいる部屋へと向かった。


ラブの担当官である彼女は、旅立つその瞬間まで己の職務を全うするため、彼の様子を見に来たのだ。しかし……


「ピピッ! 歓迎する、キャロライン」

「プロフェサー? なぜ一人でいるの? ラブはどこ?」

「……」

「プロフェサー?」


キャロルの知る限りでも、プロフェサーの感情モジュールは精巧ではなく、感情を表に出すよりは命令に忠実であり、質問にも即座に答えるAIだった。しかし今日はどういうわけか、すぐには答えず口ごもっていた。


「どうしたの? ラブに何かあったの?」

「チーフの行方は……旅立ったことを報告。」

「旅立った? どこへ?」

「チーフは……キャロルと地球人の飛行士たちの代わりに往くことで、事務総長と合意した。」

「え?」

「チーフは、キャロルが子供たちと離れ離れになる姿を見たくないと発言した。ゆえに、自分がやると提案した。」

「そんな馬鹿なこと……」

「したがって、キャロルがチーフに提案した『サンプルを探してウシャスへ帰還する役割』も、私が……」


プロフェサープロセッサーの言葉を最後まで聞きもせず、キャロルはそのまま外へと走り出した。


◈ ◈ ◈


一方、エクスプローラ号へと戻ったラブは、一人コントロールルームへと向かっていた。


AIたちはすべてプロフェサープロセッサーに預けてきたため、これからは一人でこの巨大な艦船を運用しなければならなかった。200年間共にしてきた運用AIたちなしで一人船を動かすとなると、少し心細い気もしたが、どのみち一人でも可能なことだった。


しかし、心細い気持ちとは裏腹に、彼の表情は以前よりも遥かに晴れやかだった。


「さあ、旅立ちましょうか」


迷いをすべて捨て去ったかのような笑みを浮かべ、エクスプローラ号の起動ボタンを押したラブ。各起動装置を確認しようとした、その瞬間だった。


「推進機関の出力、正常を確認」

「航法測量システム、正常を確認」

「通信モジュール、正常を確認」


確かにプロフェサープロセッサーに預けておいたはずの、運用AIたちの声が出港準備を告げていた。


「なぜだ……」


ラブは彼らがなぜここにいるのか理解できず、呆然とした表情を浮かべていたが、運用AIたちの答えは単純明快だった。


「私たちはエクスプローラ号の乗組員である。」

「私たち抜きでの運用は認められない。」


200年を共にする中で、運用AIたちがこれほどまでに自らの感情を率直に露わにする姿は初めてだった。


「皆さんがこれほど雄弁だとは知りませんでしたね……ところで、私がどこへ向かおうとしているのか分かって言っているのですか? 今からでも遅くありませんから、早く小型移動モジュールに移って……!」

「私たちはチーフプロセッサーの仲間である。何と言われようと、常に共にある!」


AIたちは珍しく声を荒らげ、最後まで共に行くと一歩も引かなかった。まるで、なぜ自分たちを置いていこうとするのかと、寂しさを訴えかけるかのように……。


ラブは最後まで認めようとしなかったが、彼らは生死を共にしてきた同志だった。そして、自分の無知と傲慢さを気づかせてくれた存在でもあった。だからこそ、自分が気づけずにいた感情もまた……


「ラブーーーーー!!!」


突然響き渡った声に、ラブはコントロールルームの中央パネルに目をやった。


ラブの選択を知ったキャロルが、ヘリから降りた後、必死に走ってこちらへ向かってきていた。涙を流しながら走ってくるキャロルを見つめながら、ラブは船外マイクを手にとった。


「戻ってください、キャロル」

「戻れません! 一体なぜこんなことをするの!? あなたには必ず果たさなければならない使命があるじゃない!」



なぜこんなことをするのか、と?


その問いは、他ならぬラブ自身が長い間、自らに投げかけ続けてきた質問だった。長く悩み続けてきた問いだったが……正解は最初から自分の中にあったのだ。


「……愛しています、キャロル」


ラブはキャロルを愛していたのだ。友人としてではなく、一人の異性として……。


ロボットである自分には不釣り合いな感情だと、必死に目を背けてきた感情……それこそが「愛」だった。今になってようやく、その事実を受け入れることができた。


「あなたを愛しています。ですから……私はキャロルが死ぬ姿を見るわけにはいかないのです。どうか……愛する子供たちと幸せに暮らしてください。私の願いは、それだけです」


ラブは最後の言葉を残し、AIたちに出港の指示を下そうとした。


その時。


「私も……私も……」


何かを言おうとするキャロルを見つめながら、ラブは感謝の言葉を伝えようとしているのだと思った。しかし、彼女の口から飛び出した言葉は……


「愛してる……私もあなたを愛しているわ、ラブ!」


涙を流しながら伝えられたキャロルの告白に、ラブは自分もまた愛されていたという事実に、胸が熱くなる感情を抑えきれずにいた。


「……ありがとう、キャロル。お元気で」

「ラブ……」


短い別れを告げ、ラブが出港を指示すると、エクスプローラ号は瞬く間に地球の重力を振り切り、宇宙へと突き進んだ。


死へと向かう航海であったが、ラブの顔から最後まで微笑みが消えることはなかった。その姿が、AIたちにはどうしても理解できなかった。


「チーフプロセッサーはバカに違いない。」

「ははは! モヒナもそんなことを言っていましたよ。愛は人間をバカにすると……私も例外ではなかったということですね」


そうだったのだ。


ドクターが身体を酷使してまで数多くのAIを造った理由も。


モヒナが「ラブ」という名前が何世代を経ても忘れられないよう家系を作ると言った理由も。


そして、自分が無視し、冷遇さえしてきたAIたちが、命を捨てる覚悟で自分についてこようとした理由も。


すべては愛だった。ラブは愛されながら生きてきたし……誰もを愛していたのだ。


「ドクター……なぜ私に『ラブ』という名前を与えてくださったのか……モヒナ……なぜ私を『生命』だと言ってくれたのか……今になってようやく分かりました。生命とは、愛をする存在なのです。今、その意味を悟りました」


ラブは窓の外で神々しく輝く、美しい地球を見つめた。


「……さようなら、キャロル」


そして、世界のどこかで自分を見つめているであろうキャロルに向けて、最後の挨拶を送った。それは、愛を知った機械が捧げる、最も崇高な別れの言葉だった。


「さあ! 私たちの最後の旅に出発しましょう。艦船起動! 出力は1ゼタクロンを維持!」


エクスプローラ号は、青く輝く地球を救うための最後の旅路に向けて、再び深淵の宇宙の中へと、静かに旅立っていった。




※ 本作はAI翻訳のアシスタントを利用して翻訳されています。読みやすさには万全を期しておりますが、一部不自然な表現が残っている場合がございます。何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。※

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