【幕間】キスの意味
日常系アニメ『夏空ふぃっしんぐ!』の原作者の名は、『じんべえいるか』という。
年齢不詳で性別も不詳。
公然の場に姿を現さないどころか、記者からのインタビューにも答えないことで有名な覆面作家である。
今日、その『じんべえいるか』と会えるということで、俺――大塚潤斗が緊張しない道理はなかった。
このまたとない貴重な機会のために、俺は大枚を叩いたのである。
具体的には、五十万円。
新刊コミックスである『夏空ふぃしんぐ! 第九巻』(一冊千円)を五百冊購入した上で、抽選に当たった者だけが、『じんべえいるか先生とのみーてぃんぐいべんと』に参加する資格を得るのだ。
決して貯金に余裕があるわけではない低収入SEである俺が、貯金も運も使い果たしてまで、なぜ『夏空ふぃっしんぐ!』の原作者と会いたかったのかといえば、原作者に会って、直接言いたいことがあったからだ。
直接言いたいこと――それは〈例のキスシーン〉に関することにほかならなかった。
イベント会場として指定された都内某所の貸し会議室に『じんべえいるか』が現れたのは、イベント開始の定刻ちょうど。
この日のためにはじめて有給を使った俺が、貸し会議室に訪れてから三十分が過ぎた頃だった。
「はろー! うぇるかむうぇるかむ! 今日はボクに会うためにみーてぃんぐいべんとに参加してくれて、さんきゅーはろー!」
カタコトの英語をくどくどと使いながら姿を現した『じんべえいるか』の見た目は、まさに〈じんべえいるか〉そのものだった。
つまり、ジンベエザメのような斑点模様が付いたイルカの着ぐるみ姿であったのである。
登場して早々、カタコトの英語以外にも違和感は満載だった。
まず、一体どこから現れたのだろうか。
ここは四畳ほどの狭い貸し会議室である。出入り口のドアは一箇所しかなく、そのドアは俺がじっと見つめ続けていた。
ドアが開けられた場面は目撃していない。それにもかかわらず、突如として、どこからか『じんべえいるか』は目の前に現れたのである。
それから、これは本当に〈着ぐるみ〉なのだろうか。
頭や目が大きくデフォルメされたアニメっぽいキャラクターという意味では、めちゃくちゃ着ぐるみっぽい。
ただ、着ぐるみだとするとあり得ないことが起きているのである。
『じんべえいるか』には脚がなく、尾鰭で立っているのだ。
たとえば、似たようなフォルムのキャラクターでいうと、Jリーグの名古屋グランパスエイトのマスコットである『グランパスくん』がいる。シャチをモデルとしたキャラクターである。
この『グランパスくん』はエンブレムでは尾鰭で立っている姿で描かれているものの、着ぐるみでスタジアムに現れるときには尾鰭の部分は脚になっており、完全な二足歩行だ。
ところが、『じんべえいるか』は、尾鰭が不自然に二股に分かれていない。
それどころか、床への接着面はほとんどなく、もはや宙に浮いているような状態なのだ。
こんなこと現実にあり得るのだろうか。
ここは本当に現実世界なのだろうか、と俺は訝しんでしまう。
『じんべえいるか』は、尾鰭を綺麗に折り畳んで、俺の目の前に置かれたパイプ椅子に腰掛けた。机を挟んでいるわけではない。まるで採用面接のようだ。
「それじゃあ、みーてぃんぐいべんとをれっつすたーと!」
『じんべえいるか』が右の胸鰭を突き上げながら、浮かれた声を出す。
俺は『じんべえいるか』に言いたいことを予め決めていた。
しかし、『じんべえいるか』の想定外の姿に、発言を躊躇してしまった。
そのため、あろうことか、俺の隣に座っていた〈もう一人の参加者〉に先手を取られてしまったのである。
「じんべえいるか先生、ぶっちゃけ、花蓮は凪のことが好きなの?」
『じんべえいるか先生とのみーてぃんぐいべんと』に当選したのは、俺ともう一人――戸松田遼巴である。
五十万円もの課金を要するイベントなので、貸し会議室に紺色のブレザーを着た女子中学生が現れた時にはかなり面食らった。
もっとも、世にも珍しい〈俺っ子JC〉と会ったのは今日が初めてではない。
「花蓮が凪のことを好き……それって友達としてってこと?」
「違う。俺が言いたいのは、恋人としてって意味」
遼把の言葉に、俺はすぐにピンとくる。
遼把がこの高額課金イベに参加した動機は、俺と真逆のものなのだと。
「花蓮と凪が恋人? 遼把ちゃんはどうしてそう思うの?」
「もちろん、コミックス第八巻の〈例のキスシーン〉から」
ふむふむ、と『じんべえいるか』は頷きながら腕を組む。
『夏空ふぃっしんぐ!』の〈例のキスシーン〉は、『夏空ふぃっしんぐ!』のファンのみならず、二次元界隈ではかなり有名なものとなっている。
『例のキスシーン』で検索をすると、検索結果は『夏空ふぃっしんぐ!』関連のもので埋め尽くされるほどだ。
シーンとしては極めてシンプル。
ともに水着姿の凪と花蓮が、白い砂浜で追いかけっこをしていたところ、花蓮が凪を捕まえたタイミングで転び、倒れた拍子に花蓮の唇と凪の唇がわずかに重なる、というものである。
その際の花蓮の台詞もあまりにもシンプル。
『……わ、わざとじゃないんだからね!』
では、なぜこのシーンがそこまで話題になってしまったのかというと、このシーンだけが『夏空ふぃっしんぐ!』全体のトーンになじまないからである。
『夏空ふぃっしんぐ!』は、主要人物は全員女の子であるが、いわゆる『百合モノ』ではない。
近年では〈女の子の友情〉も『百合モノ』に含めるという見解もあり、そこまで広義に解すれば『百合モノ』かもしれないが、少なくとも、それ以上の〈百合色〉はない。
女の子がほかの女の子に恋をするような展開はないし、女の子がほかの女の子を性的な目で見るような描写もない。ましてや、女の子の粘膜同士が触れ合うシーンなど、決してないのである。
いや、なかったのである――〈例のキスシーン〉までは。
そして、〈例のキスシーン〉が物議を醸した理由は、それが突然発生したから、だけではない。
それが突然終わったからだ。
コミックス第八巻のラストシーンで唐突に挿入された〈例のキスシーン〉後の展開は、コミックス第九巻には書かれなかった。
コミックス第九巻の冒頭は、〈例のキスシーン〉など存在しなかったかのように、凪と花蓮が二人で夜釣りを楽しむシーンで始まるのである。
こうした次第で、〈例のキスシーン〉は、『夏空ふぃっしんぐ!』界隈に二つの派閥を生んでしまった。
一方の派閥の筆頭が、遼把である。
「先生、あのキスシーンはあまりにも消化不良だぜ! 頼むから凪と花蓮のカップルの次の展開を書いてくれよ!」
遼把の属する派閥は、『百合シフト派』と呼ばれる。
〈例のキスシーン〉を契機として、『夏空ふぃっしんぐ!』の百合色を強めるべきだ、というのが『百合シフト派』の主張だ。
なお、『百合シフト派』においては、花蓮の『……わ、わざとじゃないんだからね!』というのは、ツンデレっ子の『あんたのことなんて全然好きじゃないんだからね!』と同様のものとして解釈される。
要するに、実は花蓮は以前から凪のことが好き(性的な意味)で、ついに感情が抑えきれなくなり、追いかけっこに乗じて凪の唇を奪ってしまったのだ、と。
他方、『百合シフト派』と激しく対立するもう一方の派閥が、『アンチ百合派』である。
『アンチ百合派』の急先鋒は、何を隠そう、この俺だ。
「じんべえいるか先生、あのキスは花蓮が言うとおり、『わざとじゃない』んですよね! たまたま唇が唇にぶつかっただけですよね! もはやそれは〈キス〉とすら呼ばないですよね!」
俺は思う。男と女の恋愛が不純であることと同様に、女と女の恋愛も不純だと。
百合肯定派は、男と女の恋愛は性欲に塗れた醜いものとしつつ、女の子同士の恋愛は純粋に心と心が結びついた高尚なものである、と主張する。
詭弁である。
恋愛とは、すべからく互いの肉体を求め合うものなのである。魂ではなく肉体の欲望。人間ではなく、獣の所業だ。
それは、生殖という目的が捻れてしまった結果として存在するものであり、決して美化できるものではない。
なお、これは断じて、〈彼女いない歴=年齢〉非モテ男の僻みなどではない。断じて違う。
美しいのは恋愛ではない。
友情だ。女の子同士の友情こそ、最も穢れなく、最も神聖なのだ。
世に溢れかえっている〈日常系〉の中でも、『夏空ふぃっしんぐ!』は百合要素を一切排除したところが特に優れている。
〈例のキスシーン〉は、正直、〈異物〉ではある。
とはいえ、騒ぐほどのものではない。
たまたま唇同士がぶつかってしまっただけで、凪も花蓮も互いに性的なことは意識していないのだから。二人とも膝同士がぶつかったことと同じようにしか捉えていないのだから。
〈例のキスシーン〉でキャアキャア言っている奴らは、どうかしている。
女の子同士の〈絡み〉が見たい百合豚は、何も〈日常系〉を見なくても良い。成年向けカテゴリで沸いてろ。
「じんべえいるか先生、頼む。あのキスの後の続きを書いてくれ」
「じんべえいるか先生、お願いします。もう二度とあんな紛らわしいシーンは書かないでください」
俺も遼把もパイプ椅子から立ち上がって、『じんべえいるか』へと詰め寄る。
「先生、百合好きはグッズにめちゃくちゃ金を落とすぜ」
「先生、『夏空ふぃっしんぐ!』のアニメは小さな子どもも見ています」
互いに一歩も譲らない。譲れない。
当然だ。俺も遼把も、それぞれ背後に多くの仲間がいて、仲間の期待を一身に背負ってこの場に臨んでいるのである。
俺も遼把も、『夏空ふぃっしんぐ!』の二次創作界隈ではそれなりに名の知れた同人作家なのである。主戦場はともに〈凪・花蓮ペア〉。
俺は原作に忠実に凪と花蓮の友情をメインとした二次創作を、遼把は原作にはない凪と花蓮の性的な絡みを押し出した二次創作をそれぞれ作っている。
『夏ふぃ』オンリーイベントでは、互いに壁サーを務めるほどの人気者なのである。
ゆえに〈例のキスシーン〉の解釈を巡る問題は、まさに死活問題。
じんべえいるか先生の言質をとるための遼把と俺の争いは、『百合シフト派』と『アンチ百合派』との代理戦争なのである。
「先生、こんな弱者男性の意見なんて無視しちまえ」
「先生、発情期の雌犬の言うことなんて気にしないで」
「ちょっと! 二人ともこーむだうん! 落ち着いて!」
俺と遼把の唇が『じんべえいるか』の口が触れそうな距離まで来ていたため、先生は堪らずに言う。
「二人とも三歩後ろに下がって! ばっくすてっぷ!」
俺も遼把も素直に指示に従った。
『じんべえいるか』に嫌われるわけにはいかないのである。我々は〈原作者〉という〈神様〉に懇願する立場なのだから。
「おーねすとりー、はっきり言って君たちのやってることはただの解釈の押し付けだよ。受け取る側の解釈は自由であって構わないけど、それを原作者に押し付けるのは、のーのー、違うんじゃないかな」
全くもって正論である。かといって、俺も遼把も黙るわけにはいかない。ここが天下分け目の関ヶ原なのだ。
「じんべえいるか先生だけが頼りなんだよ」
「じんべえいるか先生にしかできないんです」
遼把が土下座をしたので、俺も土下座をした。もうここまでくれば恥も外聞もない。
「うーん、二人とも何かみすていく、勘違いしてるよ。ぼくは単に漫画を描いてるだけで、凪と花蓮をどうこうできるようなぽじしょんじゃないんだ」
「そこをなんとか!」
「お願いします!」
「ちょっと、二人とも、ボクの話聞いてよ!」
『じんべえいるか』は、シロイルカが輪っかを吐き出すように、口をぱくぱくさせた。事情はよくわからないが、おそらく困り果てているのだ。
「うーん、二人がどうしても凪と花蓮をこんとろーるしたいって言うんだったら、そのためのめそっど、手段が無くはないんだけど……」
「あるのか? 何でもする!」
「俺も何でもします!」
俺も遼把もおでこを床にのめり込ませるくらいに土下座をする。
「君たち、本当になんでもするの? どぅーえにしんぐ?」
「えにーしんぐ!」
「えぶりしんぐ!」
「絶対にりぐれっと、後悔しない?」
「おふこーす!」
「のーりぐれっと!」
「そこまで言うならしょうがないなあ」
俺は『じんべえいるか』にお礼を言おうと立ち上がる。
しかし、次の瞬間には眩暈がして、膝から崩れ落ちていた。
同時に、隣にいた遼把もドサっとうつ伏せで床に倒れ込む。
視界が渦巻き状に回る。
『じんべえいるか』の愛らしい顔がグルグルと回る。
グルグルグルグル――。
「あいうぉんとあすくゆー、二人に最後に一つだけ訊きたいんだけど」
なんですか、と訊き返す余力もなかった。
視界が完全に混ざり切ってブラックアウトする直前、『じんべえいるか』の陽気な声が聞こえた。
「ねぇ、君たち、どっちが理雨でどっちが理恵をやる?」