嘘吐き×嘘吐き〈後編〉
……いや、違う。
これは砂乎の身体ではない。
理雨の身体だ。
浴衣に着替えた理雨が砂乎の身体に成りきっているのである。
砂乎の手足に見えているのも、理雨の手足だ。
そして、理雨の顔がある部分には、おそらく理雨が自室から取ってきたのであろう、季節外れのマフラーが巻かれている。
その水色マフラーは砂乎の首の部分にも重なっていて、砂乎の首の切断面と理雨の顔を隠すという大切な役割を担っている。
いささか首が長過ぎないかという気もしなくはないが、掛け布団が剥がれるという緊急事態までをも予見していた理雨が、素晴らしい機転をきかせたことには間違いはない。
心から頼れる姉である。
私がホッとしたのも束の間――。
「凪、筆記用具なんてないじゃないの」
「あれぇ? おかしいなぁ。浴衣で隠れちゃってるのかな」
あろうことか、凪は、筆記用具を探すために、砂乎の、いや、理雨の〈身体検査〉を始めたのである。
浴衣の袖と理雨の腕の間に、凪の手がそーっと迫る。
くすぐったい、と言わんばかりに、理雨が身体を捩る。
浴衣が少しはだける。
アニメ的にはお色気満点のサービスシーンなのだが、私たち姉妹にとっては最大のピンチだった。
そして――。
「キャハ。やめてよ。キャハハハ」
やはり理雨は耐えられなかった。くすぐったさのあまり声が出てしまった。理雨の声が『昆布の間』に響き渡る。
「……今、理雨ちゃんの声の笑い声が聞こえなかった?」
凪の気のせいだよ、と白々しく私は言う。
「いいえ。気のせいではないわ。私も聞こえたもの。間違いなく理雨の声だった」
花蓮は断言する。
私の声と間違えたんじゃない、と苦し紛れに言い逃れしようかとも思ったのだが、あまりにも苦し過ぎるのでやめた。
双子で同じ声優を起用するアニメも稀にあるが、『夏空ふぃっしんぐ!』ではその方式はとられていない。むしろ、声の違いこそが私と理雨を区別する最大の基準だとさえ言えるのだ。
「もしかしたら、この部屋のどこかに理雨ちゃんが隠れてるのかも!」
凪がそう言って、〈身体検査〉のために伸ばしていた手を引っ込めて顔を上げた際には、内心、私は安堵した。
凪は、今まさにくすぐっていた相手が理雨とは気付いていないのだ。
助かった――。
しかし、凪の目線が、ピシャリと閉められた押入れへと向かっていることに気付いた私は、安堵している場合ではないことを悟った。
この部屋に置かれていた砂乎の死体のうち、目視できる位置にあるのは砂乎の生首だけだ。
それ以外のパーツである腕や脚は、あの押し入れの中に入っている可能性が高い。
そんなものを見られてしまえば、即ゲームオーバーである。
私は電光石火で押し入れへと飛んで行き、引き戸を開けた。
そして、自分の身体を押し入れの中に入れると、すぐさま押し入れの戸を閉めた。
「理雨〜どこ行ったの〜」
そんなテキトーなことを言いながら、私はスマホのライトを点ける。
そして、押し入れの中を照らすと、案の定、折り畳まれた布団マットの上に、切断された砂乎の手足が置かれていた。
「理栄、押し入れの中に理雨はいそうかしら?」
花蓮の問いかけにどう返答すべきか私は迷う。
普通に思いつくのは、『見つからなかった』と答えて押し入れの戸を閉じることである。そうすればひとまずは危機を回避できる。
しかし、その後も理雨の捜索が続けば、誰かがまた押し入れの中を確認するかもしれない。
もしくは、押し入れ以外を確認した際に、何か別の殺人の痕跡――血のついた包丁やノコギリなど――を見つけてしまうかもしれない。
リスクはそれなりに高い。
とすると、理雨の捜索を打ち切らせた方が良い。
ゆえに私は、大胆な作戦に出る。
「いた! 押し入れの中にお姉ちゃんがいたよ!」
私は押し入れの中に入ったまま、そう回答したのだ。
「理雨ちゃん、どうして押し入れの中になんか隠れてるの?」
凪の質問はごもっともだ。
私は、わざと甲高い声を出す。
「お姉ちゃん、その顔どうしたの!?」
双子歴は実質一年であるものの、私の考えは、以心伝心で理雨にも伝わったようである。
砂乎の体のフリをしている理雨が弱り果てたような声を出す。
「ちょっとメイクに失敗しちゃって……恥ずかしくてみんなの前には出られないよ……」
顔全体をマフラーで覆われているため、理雨の声は良い感じでくぐもっている。まるで押し入れの中にいて、そこから声を出しているように聞こえるのだ。
「メイク? 理雨、あなたは朝食を中座してメイクをしていたの?」
「……うん。そうだよ。スプーンに映った自分の顔があまりにもブサイクに見えて、急に気になり出しちゃって」
「しかも砂乎の部屋で?」
「うん。砂乎さんのカッコいいメイクに憧れたから、砂乎さんにメイク道具を借りようと思って」
「なにも押し入れに隠れることはないんじゃない?」
「メイクを落とす前に突然三人が部屋に入ってきたから」
理雨が花蓮の追及を躱すさまは見事であった。
よく考えると、転生者の生活というのは二十四時間嘘を吐き続けているようなものなのだ。
理雨は嘘の達人である。
これでなんとか危機を脱した……と思ったのも束の間、凪が信じられない行動に出る。
「私、理雨ちゃんがどんな酷いメイクをしたのか見たいな! 見せてよ!」
悪魔の発想だ。
無邪気で邪悪な笑みを浮かべた凪が押入れに迫ってくるのが、戸の隙間から見えた。ヤバい――。
私は、引き戸が開けられないように戸の縁を手で押さえる。
戸を開けようとする凪の力と、戸を押す私の力とが釣り合う。
「凪、やめてよ! お姉ちゃんが可哀想だから!」
「理栄ちゃん、邪魔しないでよぉ! 理栄ちゃんだけ理雨ちゃんの面白メイクが見れてズルいよぉ!」
「面白くない! ただただ恐ろしいなの!」
「恐ろしくても大丈夫だよ! 見せて見せて!」
言うまでもなく、この状況で一番恐ろしいのは凪である。
他人の失敗をネタにするためにここまでの執念を見せるだなんて。
「もう! 理栄ちゃん、諦めが悪いなぁ! 花蓮ちゃん、手伝って!」
「分かったわ」
手伝うんかい!
一体何が凪と花蓮の行動をかき立てているというのか。
人間の覗き見に対する好奇心は計り知れない。
ともかく、二対一はさすがに分が悪い。
というか、私が押し負けるというより、まず引き戸が壊れる。
私は咄嗟に機転をきかせる。
〈突っ張り棒〉を引き戸にかますことにしたのだ。
押し入れの中にある〈突っ張り棒〉――そんなもの、砂乎の脚しかあり得ない。
私は砂乎の片脚を引き戸の縁に斜めに立てかける。
死後硬直で硬くなったそれは期待された役目をバッチリ果たしたのだった。
「うぅ、開かない」
「なかなか手強いわね」
砂乎の脚はものすごい圧力に耐えてくれている。
あとは戸の方がどこまで耐えられるか。
城門の決壊を手を拱いて待っているわけにはいかない。
私は、押し入れの中にほかに使える道具はないかとスマホのライトで探索する。
何か使える物……何か使える物……。
――あった。
「ねぇ、凪、花蓮、二人で仲良く協力することは良いことだけど、このタイミングじゃない。私の失敗メイクを見るために力を合わせる必要はないよ」
「理雨ちゃんは黙ってて。これは私と花蓮ちゃんの問題なの」
「え? むしろ私の問題だよね?」
「花蓮ちゃん、理雨ちゃんの言うことは放っておいて、いっせーのせで力を合わせるよ」
「了解」
「いっせーの……」
「二人とも待って!」
私の懇願は、間一髪のところで悪ガキ二人へと届いた。
砂乎の脚と引き戸へのかかっていた圧力が一時的に緩む。
「理栄ちゃん、何? 命が惜しいの?」
「今さら命乞いとは見苦しいですわ」
なんか目的変わってるが……。
「違う。私はむしろお姉ちゃんを生贄に捧げたいの」
「へぇ……理栄ちゃん、ついに姉を裏切るんだね」
「背に腹は代えられないというわけかしら。人間とはなんて弱い生き物なのでしょう。オホホホホホ」
私は、悪役二人がそれっぽい台詞を言っている間に、準備を整える。
「ちょっと理栄! 私を生贄にするなんて冗談やめてよ!」
理雨が、私の策略に気付いてか、もしくは気付かずに素でなのか、金切り声を上げる。おそらく後者だろう。
「理栄、待って! バカなことはやめて!」
「お姉ちゃんがバカなメイクをするのが悪いんじゃん! お姉ちゃんの自滅。自業自得だよ」
……よし! 準備完了!
「それじゃあ、凪も花蓮も少し離れて。今から私が戸を開けるから」
「分かった」
「了解」
「おい! 理栄、待てよ! 早まるなって!」
「お姉ちゃん、命乞いはやめて! 往生際が悪いよ!」
私は、戸の隙間から凪と花蓮が畳一畳の横幅分くらい後ろに下がったのを確認すると、ゆっくりと慎重に戸を開ける。
凪と花蓮が見たものは――。
「あはははは。理雨ちゃん、マジでおばけメイクじゃん」
「ハロウィンの仮装? これはたしかに人に見せられないわね。情けないこと。オホホホホ」
凪と花蓮が見たのは、口紅を口裂け女のように唇の外側にも大きく塗りたくった酷い顔の理雨であった。
無論、実際には、それは理雨ではない。
それは、私である。
理雨と私とは、声こそ大きく違うものの、見た目はほぼほぼ変わらない。
現実世界の双子だって見分けがつかないのだから、アニメ世界の双子に作画上の違いがあるはずがない。
理雨と私はともに銀髪で髪型も同じツインテールなので、見た目で区別できる点があるとすれば、それは服装くらいなのである。
理雨は常に青色の物を身に纏っていて、私は常に緑色の物を身に纏っている。
今朝の格好で言えば、理雨は青いウール地のパジャマを着ていて、私は緑色のウール地のパジャマを着ていたのである。
押し入れの中には、砂乎の手脚のほかに、理雨の上下のパジャマが押し込まれていた。
理雨は砂乎の身体になりすますために浴衣に着替えている。
元々着ていたパジャマは押し入れの中に隠してあったのである。
私は、緑のパジャマから青のパジャマに着替えることによって、理雨に変身したのである。
そして、私の顔に塗られている赤いものは、口紅ではない。砂乎の血だ。
私は砂乎の手脚の切断面から血を採取すると、それを〈おばけメイク〉のように顔に塗りたくった。ハロウィンの仮装で血糊を化粧に使う者がいるが、そのリアル版である。
凪と花蓮は、畳に転がり、腹を抱えて笑っている。
もうこれで満足しただろう。
「じゃあ、これでおしまいね。以上、お姉ちゃんの惨劇メイクでした」
私はそう言って引き戸を締める。
理雨は嘘の達人である。
そして、私も――嘘の達人なのだ。
ここで完結……というのも、ブラックコメディとしてはアリかもしれませんが、この作品はミステリですので、ここでは終わりません。回収されていない伏線も多く残してあります。
ジェットコースターは一度降下しましたが、ここからまた上っていきます。
この作品は、4万字台の短編(もしくは短い中編)でありつつ、前半と後半とで二つの異なる(ただし、連関した)主題を扱っています。
後半のストーリー展開にご注目ください。