嘘吐き×嘘吐き〈前編〉
ドアはついに開け放たれた。
凄惨な殺人現場へと通じるドア。
世にも悍ましい悪夢へと通じるドア。
〈日常〉と〈非日常〉を隔てたドア。
そのドアを、黄色髪にバカリボンのお嬢様が、まるでパーティー会場に遅れて訪れるときのように、颯爽と開け放ったのである。
果たして三人が見た光景は――。
「……寝てる?」
あまりにも平凡な光景に、かえって花蓮は目をパチクリさせた。
『昆布の間』には、敷布団が敷かれていて、掛布団から目を瞑った砂乎が首だけ出していたのである。
パッと見、ただ砂乎が寝ているだけの光景だ。
そして、砂乎の枕元には一枚の紙が落ちていた。砂乎が取材に用いていたメモ帳から切り離されたものである。
そのメモ帳のページには、こう書かれていた。
『今朝は体調が悪いので寝ています。起こさないでください 総家』
それは筆跡を誤魔化してはいたが、我が姉である理雨の字であることが私には分かった。
私は、理雨の戦略をすぐさま理解した。
掛け布団からひょこっと出ている砂乎の頭、あれは当然、生首だ。
首から下を掛布団で隠し、さらに毛布だか枕だかを胴体代わりに詰め、首から下もちゃんと付いているように見せかけているのである。
そのようにして、砂乎がまだ生きているように偽装しているのだ。
そして、布団は、別の重要な役割も果たしている。
それは、畳に飛び散った血を隠蔽することである。
バラバラになった手足が置いてあって血が付着していた一畳の畳。
それを隠すようにして敷布団が敷かれているのだ。
私は、短時間で理雨が行った偽装工作に感心する。これで砂乎の死を隠し通せるはずだ――。
「花蓮ちゃん、砂乎さんは生きてるみたいだけど、具合が悪いみたいだね」
「……そうね」
無事に凪と花蓮を騙せているようである。
私は安心する。
砂乎が体調不良で寝込んでいるという認識を一旦植え付けられれば、後の処理はだいぶスムーズだろう。
「凪、花蓮、砂乎さんを起こしちゃうと良くないから、一階に戻ろうか」
とりあえず、二人には『昆布の間』から退散してもらって――。
「……この部屋、何か変な臭いがしないかしら」
花蓮が鼻をクンクンさせる。
同じように鼻をクンクンさせた凪も、たしかに、と相槌を打つ。
「何の臭いかしら。すごく生臭い……血みたいな臭い」
お嬢様の嗅覚は犬並みに鋭かった。
私は必死で取り繕う。
「きっと、砂乎さんは昨日釣った魚をこの部屋でさばいたんだよ。それでこの部屋に臭いが染みついてて」
「小魚の一、二匹をさばいただけでこんな臭いがつくかしら」
「マグロだよ。砂乎は、この部屋でマグロの解体ショーをやったんだよ」
実際に行われたのは、マグロではなく、人間の解体ショーなのだが。
言ったそばから、私は後悔する。〈マグロの解体ショー〉なんて口から出まかせにもほどがある。
案の定、花蓮も納得しなかった。
「理栄、たしか昨日は砂乎と磯釣りをしたのよね? 磯でマグロって釣れるのかしら? マグロって外洋を泳いでいるわよね?」
「……い、いや、それは……」
「花蓮ちゃん、磯にもマグロはいるよ! イソマグロが!」
凪が口から出まかせを言う。
花蓮が自らの顎を触りながら返す。
「……たしかにいるわね。イソマグロ」
本当にいるのかい!
思わぬ形で凪に助けられた。
凪には、ご褒美として、大好物のおしゃぶり昆布(梅味)でも後で買い与えてやろう。
「私たちの服にもイソマグロの血生臭さが染みついちゃったらマズいからさ。早くこの部屋を出よう」
私は部屋の入り口で立ち止まっていた凪と花蓮の腕を同時に引く。
凪は動いてくれたのだが、花蓮は足から根を張ったまま、ビクリとも動かなかった。
「……花蓮、まだ何かあるの?」
「これも不自然だわ」
花蓮が指差したのは、メモ帳のページを使って書かれた例の置き手紙である。
「不自然……どこが?」
まさか筆跡が理雨のものであるということに気が付いたとでもいうのか。
私は、花蓮の次の一言に神経を研ぎ澄ませる。
「起こして欲しくないなら、普通、室内に手紙を置かずに、ドアの外側に張り紙をするわよね。『PLEASE DO NOT DISTURB(起こさないでください)』って」
……たしかに。その方法であれば、スタッフが室内に侵入することはないため、確実に起こされないで済む。
しかし、今回、その方法がとられなかったのは、おそらく私の責任である。
私の〈足止め〉が不十分だったのだ。
理雨がメモのページをドアに貼る前に、凪と花蓮が二階の廊下まで上がってきてしまったため、理雨はやむを得ず置き手紙という形にしたのに違いない。
理雨、マジでごめん。
「多分、砂乎さんは本当に具合が悪くて、布団から出ることができなかったんだよ」
……なるほど。それは説得的な〈言い訳〉だ。
凪、またしてもグッジョブ。
「凪、それはオカシイんじゃないかしら。砂乎が布団から出られず、布団の中で手紙を書いたのだとしたら、ペンやメモ帳などの筆記用具が周りに落ちてるはずよ。それなのに、砂乎の枕元には筆記用具が何も落ちていないわ」
……ぐっ。鋭い。
私には効果的な反論は何も思いつかなかった。
頼りの綱は凪だけである――。
「きっと、砂乎さんの掛布団の中にあるんだよ」
なるほど! その手があったか! もう凪には足を向けて寝ることはできない。神様、仏様、凪様!
「今から掛布団を剥いで確認してみるね!」
……え?
凪は、私の手を振り払って、砂乎の布団まで小走りで掛けると、そのままの勢いで、えい、と掛け布団を取り払ったのである。
バカ女、何をやってるんだ! 地獄に堕ちろ!
掛け布団の下には、無論、砂乎の身体はない。
部屋に残されてたのは砂乎の頭と手足だけであり、胴体は行方不明となっているのである。
砂乎の身体の代わりに、掛け布団の下には理雨が丸まっているはずだ。
チーン……完全に終わった――。
――と思いきや。
なんと、掛布団の下には、ちゃんと砂乎の身体があったのだ。
『あんこうの提灯』オリジナルの金魚柄の浴衣を着た砂乎の身体がちゃんとあった。
私は〈奇跡の再生劇〉を目の当たりにしたのである。