廊下の攻防
『おーっ』と拳を突き立てたものの、さすがに全員で行くのは大袈裟過ぎるだろうという話になり、柳夫妻は食堂に残って片付け等をすることになった。
そのため、砂乎の安否確認をする御一行は、凪、花蓮、それから、私である。
確認結果が後者で分かりきっている〈安否確認〉である。本来ならば大人も同行すべき案件だろう。
JK三人は階段を上がり、二階の廊下へと辿り着いた。
理雨がいて、砂乎の死体がある『昆布の間』は、廊下の突き当たりにある部屋である。
部屋のドアは閉まっているので、廊下のこの位置からは『昆布の間』で起きている異常を察知することはできない。死体の臭いというか血の臭いも、ここまでは届いてこなかった。
食堂を出て階段を上る間、私は必死でスマホのフリック入力をしていた。理雨に『LATIN』を送るためである。
『ごめん。今からみんなでそっちに行くことになった』
私が送ったメッセージには、すぐに理雨からの既読が付いた。
そして、二階に到着したと同時に理雨から返信が来た。
『もう少しだけ時間を稼いで』
「待って!!」
メッセージを見た私は叫ぶ。
私の必死な叫びに、凪も、花蓮も歩みを止める。
「理栄、どうしたの? 急にそんな金切り声を上げて」
花蓮にそんなことを訊かれても、すぐには答えられない。とりあえずまず叫んでみただけだ。
叫んだ理由は今考えなければならない。私は頭をフル回転させる。
「花蓮、この廊下を渡るのは危ないよ」
「どうして?」
「だって、この漁師宿『あんこうの提灯』はオンボロなんだよ。三人一斉に廊下を渡ったら、底が抜けて、下に落ちちゃうかもしれない」
「は? 理栄、何言ってるの? 私の生家をディスりたいわけ?」
花蓮の目から火花が飛んでくる。ここで花蓮とケンカになれば、まあまあ時間が稼げる。私は拳を握った両腕を前に突き出し、ファイティングポーズをとる。
「だって踏むとミシミシ軋むじゃん」
「理栄が太ってるだけでしょ」
「はぁ?」
「二人とも落ち着いて! くだらないことでケンカをしないで!」
凪が〈大〉の字の格好をして、二人の間に入り込んできた。そして、まずは花蓮の目を見て、言う。
「花蓮ちゃん、理栄ちゃんが言ったことなんて気にしなくて良いよ。オンボロで味があるところが『あんこうの提灯』の売りなんだから」
「……凪、少しもフォローになってないわよ」
「まあまあ」
次に凪は、くるりと振り返り、私に言う。
「理栄ちゃんの心配はよく分かるよ。でも、三人一斉に渡らなければ良いんじゃないかな? まずは私が一人で『昆布の間』に行ってくるね。私は理栄ちゃんよりは軽いから」
一言余計だが、意外と合理的だ。天然っ子は四、五回に一回はちゃんとまともなことを言うので侮れない。そして、その一回はだいたい不都合なタイミングで発生するのである。
「待って!!」
廊下を進もうとする凪の背中に向かって、私はまた叫ぶ。
「理栄ちゃん、今度は何!?」
振り返った凪が顔を顰める。
今度は何が良いだろうか。私は灰色の脳細胞へと酸素を送るため、大きく息を吸う。
「……なんだか感じるの」
「感じる?」
「うん。感じる。廊下の向こうから。霊的な何かの気配を……」
「えっ!?」
上半身だけこちらに振り返ったポーズのまま、凪が固まった。
「……理栄ちゃん、おばけがいるってこと?」
「多分」
凪の顔が青ざめていく。
「おそらくは地縛霊。昔、この漁師宿で首を吊った人がいて」
「きゃああっ!」
この嘘は凪には効果てき面だった。
凪は、おばけ屋敷でカレシに抱きつく女の子さながらに花蓮にギュッと抱きつく。
私は、花蓮の表情の変化を観察する。
花蓮は涼しげな顔をしたままだった……というより、私を睨んでいた。
「理栄、いい加減にして! 私の生家を勝手に事故物件にしないで! この漁師宿で自殺した人なんて、過去に一人もいないから!」
花蓮の胸に顔を埋めていた凪が、おそるおそる尋ねる。
「……花蓮ちゃん本当に一人もいないの?」
「間違いないわ。パパからもママからも誰からも聞いたことないもの」
凪は次に私に質問する。
「……理栄ちゃん、おばけがいるって本当?」
「本当だよ! バリ見えてるよ!」
「理栄ちゃんのこと、信じて良いの?」
「もちろん!」
いやいや、と花蓮が口を挟む。
「凪、私の方を信じなさい。今日の理栄は正直、ちょっと頭がオカシイわ」
私と花蓮の間で、再び火花が散る。
「私が頭がオカシイってどういうこと?」
「これ以上この漁師宿をディスるなら解雇。ソッコー出て行ってもらうわよ」
「二人とも仲良くしてよ!」
凪は、花蓮の身体に絡めていた腕をようやくほどくと、右手で私の手を、左手で花蓮の手を掴んだ。
「私は……花蓮のことも理栄のことも信じてるよ。おばけはいる。でも『あんこうの提灯』では過去に自殺者はいない。ということは――」
凪の視線は、廊下の向こうの『昆布の間』をまっすぐに捉えている。
「――砂乎さんが幽霊になってるかもしれないっていうこと。こんなところでゴタゴタしてる場合じゃない。急がなきゃ」
パチパチパチパチ。私は心の中で凪に拍手を送る。正解だ。
……って、おい! なんで当ててくるんだよ!
今日の凪は確変大当たり中だ。というか、今日の私、やることなすこと全部裏目に出過ぎ!
「砂乎が死んでる? それはマズいわ! この漁師宿が事故物件になっちゃうじゃない!」
花蓮お嬢様がヒステリックに叫ぶ。お嬢様的には、お客さんの命の問題というよりは、この建物に曰くが付くかどうかが死活問題らしい。
「早く『昆布の間』まで急ぎましょう」
「成仏には初動が肝心だよね」
〈廊下は走らない〉という鉄の掟を無視して、花蓮と凪の二人は廊下を全力で駆ける。
「待って! 二人とも待ってよ!」
私の叫び声はちっとも二人に届かない。
「待って! これは罠だよ! そっちには見えないワープホールがあって、そこを通ると異世界に迷い込んじゃうよ!」
「異世界? 理栄ちゃん、何言ってるの? 異世界なんてあるわけないじゃん」
「あるんだよ! 本当にあるんだよ!」
ソースは私。実際にこことは違う世界から転生してきているのだから。
しかし、当然ながら、凪も花蓮も私のことを信じてくれない。
私にできることは、凪と花蓮の背中を追ってガンダすることだけだった。