頼れるお姉ちゃん
「えぇ……マジじゃんか……」
私が送った『LATIN』に反応して一階からすぐに飛んできたのは、青色のパジャマを着た能古木理雨である。階段を走って駆け上がったようで、いつもは光沢を放っている銀髪ツインテは、ボサボサとまではいえずとも、若干まとまりを失っている。
畳の上のバラバラ死体を前にして、理雨は大きな目をパチクリさせたが、私のように崩れ落ちはしなかった。
子鹿のように細い脚は、生まれたての子鹿のようにブルブルと震えることはなく、しっかりと伸びている。それどころか、履いていたスリッパを脱いで素足になると、玄関に根を張っていた私の脚を追い越して、室内の畳を踏んだ。
そして、血が飛び散っている部分を避けながら、近寄れるところまで死体に近付くと、そこで曲がった。
理雨は、まるで道路にカエルを見つけて観察する小学生のように、しゃがみ込んで、砂乎の死体をマジマジと観察し始めたのである。
「うわぁ、これはひでぇ……俺、リアルで死体見るの初めてなんだけど、これってガチのやつだよな?」
多分、と私は答える。
もちろん、私は、前世でも今世でも医者ではないし、葬式で棺桶に詰まった前世の親戚のものを除けば、リアルで死体を見たことはない。
しかし、目の前のバラバラ死体は、手足だけではなく、生首まで含まれている。それは砂乎のものに違いなかった。
昨日、磯釣りのポイントを見定めるために細められていた目も、釣り上げられたクロソイを見てキャッキャ言っていた口も、ちゃんとそこには付いている。ベリーショートの特徴的な黒髪も然り。
「一体誰がこんな猟奇的なことをやったんだろうな? 理栄、部屋の鍵は掛かってたか?」
「ううん。開いてた」
「胴体がないのは最初から?」
「最初から」
「部屋が荒らされた形跡は?」
「ない……というか、私はずっと玄関に立っていて部屋に入ってないから。何も触ってないよ。現場は発見時のまま」
「うーん、まぁ、こういう時はよく『第一発見者を疑え』って言うけど……理栄、俺はお前のこと信じてるぜ」
理雨は、私の方を振り返り、ウインクをする。
能古木姉妹は一卵性の双子なので、理雨の顔は私の顔と同じなのだが、理雨のウインクを見て、私はドキッとする。銀髪美少女キャラのウインクに弱いというのは、転生前の感性の名残だ。
「信じてくれてありがとう。でも、お姉ちゃん、そんなことはどうでも良いの」
「どうして?」
「誰がこんなことをやったかなんて、私たちにとってはどうでも良いでしょ。私たちにとって大切なのは、この事態をどのようにして〈日常〉の中に吸収させるか」
「たしかにそうだな。こりゃ難易度マックスだぜ」
理雨は、あははと苦笑いをする。
外見上は飄々としているようにも見えるが、おそらく、内心の焦りは私とさほど変わらないだろう。私と理雨は、同じ目的意識と同じミッションを抱えた〈同志〉なのだから。
『夏空ふぃっしんぐ!』の作中において、私と理雨とは一卵性の双子であるという設定で、時には以心伝心で互いの居場所や考えを把握してしまうほど、強い絆で結ばれている。
もっとも、今私が生きているこの〈世界〉においては、私と理雨とは、別の〈共通点〉によって結ばれている。
それは、私同様、理雨の〈中の人〉も転生者だということである。
理雨の〈中の人〉は、現実世界では、中学三年生だった。名前は戸松田遼巴。名前からは判断が難しいが、性別は女。そう。理雨の〈中の人〉は、前世も女の子なのである。
そのくせ、理雨の〈中の人〉は、私と二人きりとなり、転生者だけの空間となると、口調が乱暴になり、一人称も〈俺〉になる。つまり、前世の戸松田遼巴は、〈ボクっ子〉ならぬ〈俺っ子〉なのである。女子中学生で〈俺っ子〉なんて、そっちの方がよっぽどアニメキャラっぽい。
しかも、前世が男である〈俺〉は、すっかりこの〈世界〉に染まってしまっていて、どんな状況であっても一人称は〈私〉なのに、前世が女である遼巴は、私と二人きりになると一人称が俺になるのである。完全にバグだ。能古木姉妹では私が妹なのに、現実世界では遼巴の方が二十歳近く歳下だというのも超ややこしい。
それはともかく――。
遼巴は、私と同じ時期に『夏空ふぃっしんぐ!』の世界に転生してきた。つまり、転生同期であり、転生歴も同じく一年。
この一年間、〈二人三脚〉で全てを乗り切ってきた。双子である能古木理栄と能古木理雨のペアとして。そして、転生者である大塚潤斗と戸松田遼巴のペアとして。
もちろん、息が合わないことも多かった。元々はSEとJCという異色の組み合わせであるし、『夏空ふぃっしんぐ!』という作品に対する向き合い方も互いに大きく異なっていた。
それでも、二人には一致した想いもあった。
それは『夏空ふぃっしんぐ!』の世界観を壊してならないという想いである。
ゆえに、我々は〈同志〉として手を組んだ。そして、二人で協力し、襲いかかる不穏分子を排除し続けてきたのである。
今回のバラバラ殺人も、転生者二人が協力することで、上手く〈誤魔化す〉ほかないのだ――。
「ねえ、お姉ちゃん」
「理栄、もしかして何か良い隠蔽方法が閃いたのか?」
良い方法かは分からないけど、と断りつつ、私は提案する。
「砂乎さんはもう本土に帰っちゃったことにすれば良いんじゃないかな? 早朝に急用ができたとかで」
なるほど、と理雨は一旦は私の提案を受け止めた。しかし、すぐに首を二度横に振る。
「でもどうやって本土に帰るんだ? この時期、本土行きのフェリーは一日一本しか出てないんだぜ」
「あぁ、そうだった」
「しかも、その一本は午後三時だぜ」
私は頭を抱える。ここは離島である。地下鉄やタクシーで朝晩構わずに移動できた転生前の環境とは大きく異なるのだ。
「ただ、理栄の言うとおり、早めに本土に帰しちゃうってのは手だな」
「どうやって?」
「もちろんフェリーでだよ」
「午後三時まで待つってこと?」
「もちろんそうさ。それまで上手く時間を稼ぐんだ」
私はスマホで時刻を確認する。現在時刻は午前九時少し前。
「あと六時間もあるよ……お姉ちゃん、どうやって時間を稼ぐの?」
「それは今から考える」
気が付くと、理雨の姿は見えず、理雨の声は洗面台の方から聞こえた。すぐにジャーッと水が流れる音も聞こえた。
「理雨、何しているの?」
「悪あがきだよ」
水の音が止まり、居間に戻ってきた理雨の手には濡れた手ぬぐいが握られていた。理雨はその手ぬぐいで、砂乎の血で真っ赤に染まった中央の畳を拭く。
「……なかなか落ちないね」
「悪あがきって言っただろ」
「私とお姉ちゃんとで協力して二時間くらいあればなんとか誤魔化せるレベルには綺麗にできそうだけど」
「たしかに」
いずれにせよ時間稼ぎはマストなのである。砂乎が死んだ事実を隠蔽しつつ、時間をかけてこの部屋を清掃し、死体を処理する。
そして、午後三時のフェリーで砂乎は本土に帰ったことにする。それが今回の試練をクリアするために必要な手順だろう。
「そういえばお姉ちゃん」
「なんだ?」
「総家砂乎ってキャラクター、原作では出てこないよね?」
「いないな」
「だよね」
転生前に『夏空ふぃっしんぐ!』の大ファンで、アニメのみならず原作漫画も追っていた二人の見解が一致したのだから、間違いないだろう。
「じゃあ、モブってことで良いよね」
「いや、そうとは言い切れねぇぞ」
今度は見解が一致しなかった。私は目を丸くする。
「どうして?」
「だって、名前が臭うじゃねぇか。総家砂乎――フサカサゴだろ」
「そういう名前の魚が実在するの?」
「ああ。いるぜ」
私はさらに目を丸くする。
言われてみれば、たしかに魚っぽい名前ではある。おそらくカサゴの一種だろう。
私が驚いたのは、理雨の博識さに対してでもあるが、それ以上に、砂乎に魚系の名前が付いていたという事実に対してである。
この作品において、魚系の名前が付いているということは、主要キャラクターであることを意味する。
ヒロインの八女凪は、ヤツメウナギ。
準ヒロインの柳花蓮は、ヤナギカレイ。
花蓮の父親の柳葉宇男は、柳葉魚。
花蓮の母親の柳舞乃は、ヤナギノマイ。
双子の姉の能古木理雨は、ノコギリサメ。
双子の妹の能古木理栄は、ノコギリエイ。
『夏空ふぃっしんぐ!』の主要キャラの名前は、このように魚の語呂合わせなのである。
そして、殺された総家砂乎がフサカサゴの語呂合わせなのだとすると、それは翻って、総家砂乎が作中で重要なキャラクターであるということを意味することとなる。
アニメにも原作にも、総家砂乎という名前のキャラクターは出てこない。
とはいえ、私たちが転生したことによって、この〈世界〉はだいぶ書き換えられている。
私が経験している日々は、原作をベースとしつつも、原作にないオリジナル展開も満載なのである。
当然だ。私と理雨は、蝶の羽ばたきなどというレベルを超えて、この〈世界〉に影響を与え続けているのだから。
原作には、寝ぼけた能古木理雨が自分のことを『俺』と言い間違えるシーンはないし、凪とお風呂に入った能古木理栄が鼻血を出して倒れるシーンもない。
そういう小さなことの積み重ねによって、この〈世界〉は元々の原作からは離れてしまっている部分がある。原作にいない主要キャラが突然出てきても何も不思議ではない。
「お姉ちゃん、それってヤバいよね?」
「なんでだ?」
「だって、モブの一人や二人だったら死んでもどうってことないかもしれないけど、重要キャラが死んじゃったらヤバいでしょ。作品世界が崩れるよね?」
たしかに、と理雨は言いかけたのだが、少し考えた後に首を横に振った。
「理栄の言わんとすることは分かる。でも、そうとは限らねぇんじゃないか?」
「どうして?」
「砂乎さんは本来なら主要キャラだったのかもしれねぇ。でも、今から〈モブ〉に変えりゃ良いんだよ。俺らの手によってな」
理雨は、濡れた手ぬぐいをぶんぶん回しながらニヤリと笑う。
「砂乎さんは、俺らの手によって、今日の午後三時のフェリーで本土に帰す。そして、二度とこの島に訪れない端役にする。そんな〈モブ〉が死のうが生きようがこの作品世界では関係ねぇ」
理雨の自信満々の表情を見て、私は、頼り甲斐のある姉を持てたことを心強く思った。
ここまでが若干退屈だったかもしれない説明パートです。
特殊な世界線でのミステリを書こうとすると、どうしても説明が多くなってしまうんですよね。
それが嫌で嫌で〈説明をしない〉ミステリを目指してた時期もあったのですが、『逆に伝わらない』という指摘を受け、諦めました苦笑
そこで、大変恐縮ながら読者の皆様には忍耐を要求し、冒頭に地の文ばかりの説明パートを入れさせていただいた次第です(もちろん、なるべく退屈しないように、具体的なアニメの名前を入れるなどの工夫はしています)。
ジェットコースターでいうと、ここまでが上り坂で、ここから先は下り坂です。
ですので、ここから先は比較的ストレスなしで読めるんじゃないかなと思ってます(若干論理の行ったり来たりが複雑かもしれませんが)。
なお、この作品は、少し特殊な、このくらいの字数の作品で普通は用いないようなプロット構造をしています。
その点については、ジェットコースターが下りきったタイミングで、改めてご説明を試みます。