のどかな朝食
「「いっただきま〜す!」」
食卓を囲んだ六人は、同じタイミングで、同じセリフを発声する。いわゆる〈ユニゾン〉というやつである。
料理が並んだテーブルは、一本のトチの木から作られた一枚板。買えばかなり値の付くものなのだろう。ただし、買ったのではなく、六人のうち最も年長で、唯一の男性である柳葉宇男が制作した手作りという〈設定〉だ。
食卓に並んだ、朝食にしてはあまりにも豪華絢爛な和食の数々は、葉宇男の妻である柳舞乃が手に塩をかけて作っている。いわゆる〈漁師飯〉であり、釣ったばかりの新鮮な魚がふんだんに使われている。見た目だけでなく、味も実に見事だ。
ここは、柳一家の自宅であると同時に、柳一家が経営する民宿『あんこうの提灯』である。
一階にある広々としたダイニングキッチン、もしくは、食堂。大小様々なテーブルが八つも並び、最大で三十二人を収容できるそのスペースには、団体客用のステージも設置されている。
そんなだだっ広い場所で、今まさに朝食を楽しもうとしているのは、柳夫妻とその一人娘の女子高生・柳花蓮、そして、花蓮の従姉妹にあたる女子高生・八女凪、さらに、住み込みで働いている女子高生・能古木理雨、加えて、理雨の双子の妹で、同様に住み込みで働いている私――女子高生・能古木理栄である。
女子高生たちは、それぞれイメージカラーに合わせたもこもこのパジャマを着ている。
「このお刺身すごく美味しい!」
早速、舟形の木の器に載った刺盛りに箸を伸ばした凪が、ほっぺたが落ちそうと言わんばかりに両手で頬を押さえる。
そして、ほっぺたが落ちそう、と言う。
凪の髪色は、いかにも〈ヒロイン〉といった感じの、綺麗なピンク色だ。セミロングで、毛先がくるんと外巻きになっているところは、凪の幼女のような高い声と合わせて、男性ウケ必至である。
凪のイメージカラーは髪色のとおりピンク色であり、身体よりも一回り大きく袖がダルっとしているパジャマの色もピンク。
「凪ちゃんが美味しいって言ったのは、そこにある白身魚のことかしら?」
白いエプロンを付けたまま食卓についていた舞乃が確認すると、凪は、そう、と答えた。
「これは早朝に釣れたばかりのヒラメでね、お隣のご主人が釣ったものを、お隣の奥さんがお裾分けしてくれたものなの」
「へえ。どおりでほっぺたが落ちそうになるわけだ」
「これも新鮮そうね」
舟形の器の上部に載っている魚を指差したのは、〈準ヒロイン〉の花蓮である。
花蓮は、黄色いロングヘアを後ろで編み込んでいる。両親である葉宇男と舞乃は黒髪なのに、どう遺伝すればこんな黄色髪になるのだろうか、まさか実子ではなく〈拾い子〉なのではないか、と邪推するのはあまりにも不粋だろう。人気が出るビジュアルデザインを考える上で、科学的な点は度外視されるべきなのである。寝起きすぐのはずなのに、いつ髪型を編み込んだんだ、というツッコミも御法度だ。
花蓮のイメージカラーは髪色同様の黄色かと思いきや、黒である。そのことを象徴しているのは、頭上で存在感を放つ黒いリボン――いわゆるバカリボンである。黄色と黒とは組み合わせやすい色なので、黒いパジャマは黄色髪の花蓮によく似合っている。黒いバカリボンは……まあ、好きな人は好きなのだろう。
花蓮が、新鮮そう、と指さしていたのは、刺身の身の部分ではなく、三枚におろしたアジの骨の部分であった。胸の辺りと尾の辺りとが竹串で貫かれている。
「これも同じくお隣さんからのお裾分けで、早朝に釣ったばかりのアジよ。まあ、それは単なる飾りなんだけど……もちろん、後で骨せんべいにして食べても良いわよ」
舞乃がそう言っている最中に、〈飾り〉がピクッと動いた。みんなが一斉に、わあ、と叫ぶ。私も同じように、わあ、と叫びながら、椅子が倒れない程度に背中をのけ反らせる。
「……い、生きてる……?」
凪は、白目を剥いている。ただし、とても可愛く。
「凪ちゃんの言うとおり、まだ生きてるんだよ。新鮮な魚は、さばいた後でもしばらく生きていてピクピク動くんだ」
葉宇男が言う。葉宇男は、もみあげと髭が繋がっていて、優しそうな熊、といった雰囲気である。格好は熊、というよりは熊を撃つ側の猟師のようなベスト姿である。
葉宇男は、秋刀魚の塩焼きに付いていたスダチを指で摘み上げると、隣の席の凪に手渡す。
「これをアジに搾ってごらん」
「うん。やってみる」
凪が指先に力を入れると、瑞々しい雫が、かぼすから滴り落ちる。その途端――。
――ピクピクッ。
わあっ!!
その場にいるJKたち――当然、私を含む――が驚きのあまり、一斉に椅子から立ち上がった。双子の姉である理雨に至っては、一体全体何が怖いのか分からないが、隣にいた私の腕に掴まって、ガクブルと震えてみせている。
そんな様子を見て、柳夫妻は愉快そうに笑う。
「ガハハ。驚いただろう」
「うふふ。みんな、うぶなのね」
「……パパ、ママ、どういうことかしら!? 一体何が起こったの!?」
花蓮は、腕を組み、まるで罪人を問い詰めるかのような勢いで叫ぶ。花蓮は、高飛車なお嬢様キャラなのである。ただの漁師宿の娘のくせに……などと野暮なことを言っても何も始まらない。
「さばいたばかりの魚がピクピクと動くのは、神経系がまだ残ってるからなんだ。柑橘類の汁は、神経系を刺激するんだよ」
「つまり……死んだ魚にエネルギーを与えたということ?」
トンチンカンなことを言ったのは、我らが〈天然系ヒロイン〉の凪である。
「……じゃあ、このままスダチを搾り続けてたら、アジが生き返るってこと?」
花蓮もノッてくる。このお嬢様も、よくあるお嬢様キャラにありがちで、ちょっぴり天然である。
「アジのゾンビ!?」
私の相棒である理雨が、なかなか面白いことを言う。やるな。
展開的に、次は私が発言する番である。何か気をきいたことを言うべき場面だ。何か。何か――。
「アンデッドならぬ、アジデッドってこと!?」
……ミスった。
まあ、気にすることはない。〈コメディ〉ではないのだ。ここは〈可愛い女の子がなんか楽しげなことを言っていればオーケー〉な〈世界〉なのだから。ギャグセンはそこまで期待されていない。
それよりも大切なのは、次のリアクションだろう。
展開的に、この後に必ず起こることは――。
案の定、葉宇男が、再びスダチをアジへと近づける。
そして、先ほどよりも力を入れて、一気に搾る。
ボトボトッとこぼれた黄金色の汁が、アジの神経系を激しく刺激する。
――ピクピクピクッ!
四人のJKは、声を合わせて一斉に叫ぶ。
きゃあああっ!!
〈アジのくだり〉の後も、食卓は続く。
基本的には〈可愛い女の子が美味しそうに料理を頬張るだけ〉の画。
交わされる会話は、なぜカツオの塩辛のことを〈酒盗〉と呼ぶのかとか、カラスミは何の魚のものの部分なのかといった料理の話や、最近ライター無しで火起こしができるようになったなどの近況報告。
爆笑の渦が巻き起こるわけでもなければ、感動の嵐が押し寄せるわけでもない、ただひたすらにほんわかするだけの食卓。
これぞ〈癒し〉の真骨頂。
こんなシーン、嫌いな人なんてきっと誰もいない。
文句なし――と言いたいところだが、私は、一つだけ気になっていることがあった。
このシーンに、一つだけ欠けているものがあるのである。
それは、客人の存在だ。
ここは柳家の食卓であると同時に、漁師宿『あんこうの提灯』の食堂でもあるのだ。
そして、昨日より、宿泊客が一人泊まっている。
名前は総家砂乎。
私たちよりも三つ年上の女子大生で、自らのサイトに記事をアップするフリーライターとしての顔も持つ才女である。ボーイッシュな短髪に半袖短パンと、いかにも行動的といった風貌だった。
凸凹のない身体つき――いわゆる〈まな板〉であるところも、少年っぽさを際立たせている。
昨日の夕方には、私と理雨と三人で磯釣りをしながら、取材先として行った離島の話を色々としてくれた。
同じく離島に位置する『あんこうの提灯』に泊まってくれたのも取材の一環で、三泊する間に『あんこうの提灯』の記事も書いてくれるのだという。
大型のクロソイなどのなかなかの釣果を引き連れて磯釣りから帰ってからは、スマホでパシャパシャと宿の写真を撮りまくっていた。
スタッフの美少女たちの写真もたくさん撮ってくれていた。
その砂乎が、なぜだか食堂にいないのである。
昨夜、朝食の時間は七時半から八時半の間であるとしっかりと伝えているし、朝食のメニューを伝えたところ、砂乎は『超豪華じゃん!』と目を輝かせていたのである。一般的な大学生とは違って早起きが得意だ、とも言っていた気がする。
砂乎が朝食をすっぽかすはずがない。
しかし――。
スタッフである私たちが食事を始めたのは八時を過ぎた頃だったので、時刻はもうそろそろリミットの八時半である。
私は、砂乎のことが心配だった。
否、より正確にいえば、心配だったのは、砂乎のことではない。
このまったりとした〈世界〉を乱すような出来事が起きてしまわないかと、心配だったのである。
「そういえば、この前ゴムボートが壊れちゃったじゃん?」
「あぁ、凪が大事にしてたやつね。たしかハリセンボンの針で穴が開いちゃったのよね」
「そうそう。私、カナヅチで泳げないじゃん? だから、浮くための道具が必須だから、愛用のゴムボートが壊れて超ショックだったんだけど、最近新しい物を手に入れたの」
「あれ? 凪、最近金欠って言ってなかったかしら」
「ちょっとお手洗いに行ってくる」
私は、凪と花蓮の日常トークを遮るようにしてそう言うと、席を外す。
食堂を出て、廊下にあるトイレも通り過ぎ、階段を登って二階へと向かう。『あんこうの提灯』は木造の三階建てであり、一階は食堂や談話室といった共有スペース、三階が柳家+凪の居住スペース、二階が私たち住み込みの双子の居住スペースと客室になっている。
二階にたどり着いた私は、廊下に敷かれた紅殻色のカーペットを踏んで、階段から見て一番奥の部屋の前に立つ。
『昆布の間』との名が付いているこの十五畳間の客室が、『あんこうの提灯』では一番広い客室であり、採光も良いため、宿泊客が一組しかいないときには、必ずこの客室を提供することになっている。
つまり、砂乎の部屋は、この『昆布の間』で間違いない。
早足で階段を上がってきたので、息が乱れている。私は、一度深呼吸をして息を落ち着かせると、トントンとドアをノックする。
――しかし、砂乎からの反応はなかった。
もう二度、三度とドアを叩いても同じだった。『砂乎さん』と呼びかけても同じ。なしの礫である。
――嫌な予感がする。
客室のドアは、今風のオートロックではなく、昔ながらのキー方式で戸締りがされている。
一度一階に降りて、管理室にあるマスターキーを持ってくるしかないだろうか。面倒臭いわけではないが、『ちょっとお手洗い』があまりにも長引いて不審に思われないだろうか。多分〈大〉だろう、と納得してくれるだろうか。
そんなことを考えながら、私は、念のため、ドアノブを握り、捻ってみた。
すると――ドアが動いた。
鍵が掛かっていないのである。
嫌な予感は、さらに増幅する。
お願いだ。何も起きないでくれ。
朝食前に散歩に出掛けたら、綺麗なチョウチョを見つけて、追いかけていたら朝食の時間を過ぎてしまった、とか、そういうほのぼのした展開であってくれ。
この〈世界〉の平穏を絶対に乱さないでくれ。
しかし――。
ドアを開いた先の光景は、私の期待をモノの見事に裏切った。
『昆布の間』の中央の畳に、真っ赤な血が飛び散っていた。
そして、血染めの畳の上には、まるで浴衣を丁寧に畳んで置いておくかのように、人間の手脚、そして目を見開いた生首が、整然と置かれていたのである。