乙女の秘め事〈後編〉
「理雨ちゃん、理栄ちゃん、そこで何してるの?」
凪の声である。
私と理雨が抱き合って泣いているところを、凪に見られてしまった。
無論、見られて問題なのはそこではない。凪が決して見てはならなかったものは――。
「……そこに落ちてるの何? もしかして……総家さんの生首?」
凪の視線の先には、花蓮のスマホを解除する際に使った生首があったのだ。
そこにはもう、言い逃れをする余地はなさそうだった。
それでも――私は、苦し紛れの嘘を吐く。
「……な、凪……それはよくできた作り物で……」
「作り物? それにしてはリアル過ぎない?」
「私、実は紙粘土の達人で」
「紙粘土? それにしてはすごく重いけど」
凪が、砂乎の生首を両手でヨイショと持ち上げる。
固まりかけの血が、切断面からトロリと垂れる。
終わった――。
「どうして総家さんの生首がここにあるんだろう? 誰か『昆布の間』から持ち出した?」
……え?
凪の言葉に、私は耳を疑う。
凪は、まるで、砂乎がすでに殺されていて、『昆布の間』でバラバラにされていたことをすでに知っているかのようではないか。
「……凪、変なこと言わないでよ……。この場面では悲鳴を上げるのが普通でしょ?」
「悲鳴? 理栄ちゃん、どうして悲鳴を上げなきゃいけないの? 総家さんを殺してバラバラにしたのは私なんだよ?」
ええ!?
犯人は凪!?
そんな――そんなはずは――。
「嘘でしょ! 凪、嘘だと言って!」
「嘘じゃないよ。本当だよ。私がやったんだよ」
凪は平然と言う。
「どうして!? どうして凪が砂乎さんを殺さなきゃいけなかったの!? どうしてバラバラにしたの!?」
ちょっと待っててね、と言うと、凪は、砂乎の生首をその場にそっと置き、私に背を向けた。
凪が移動したのは、五メートルほど先の地点。
そこには、凪が背負って来た巨大なリュックが置かれていた。
凪は、そのリュックから、長方形の物を取り出す。
それは、なぜか『昆布の間』から消失していた砂乎の胴体部分だった。
凪は、砂乎の胴体を、まるでお気に入りのテディベアのように大事に抱えながら、私の元へと戻ってきた。
そして、首を少し横に傾けながら、言う。
「私、これが欲しかったの」
「……は?」
「砂乎さんの身体ってあんまり凹凸がないでしょ。だから、〈ゴムボート〉代わりに使えるかなって思って」
――驚愕の動機。
あまりにもダークメルヘン。
「昨日の天気予報で、今日は最高の海水浴日和だ、って言ってたの。だけど、愛用してたゴムボートが壊れちゃってて、このままだと海に入れないなって思ってて。だって、私ってカナヅチじゃん」
たしかに凪は筋金入りのカナヅチであり、海に入る時には常にゴムボートにしがみついている。今日に向けてどうしてもゴムボートは必須だったのだろう。
かといって――。
「人を殺すなんてやり過ぎだよ! 凪は人を殺すことに抵抗はないの?」
「ないよ」
即答だった。
「……あ、理栄ちゃん、勘違いしないでね! 私が殺しても構わないと考えているのは、私の人生に必要のない人だけだから! 友だちは絶対に殺さないよ! もちろん理栄ちゃんも友だちだから、絶対に殺さない! 殺しちゃったら、私が寂しくなっちゃうもん」
呆れるほどに自己中心的な考えである。
おそらく、この〈世界〉の中心にいる〈ヒロイン〉ゆえの思い上がりというやつなのだろう。
凪は、はあとため息を吐く。
「まあ、今となっては、総家さんを殺したことはもしかしたら間違いだったかな、とは思ってるよ。まさか総家さんが花蓮ちゃんと知り合いだとは思ってなかったからさ。総家さんが死んでることを知ったら、私の友だちである花蓮ちゃんが悲しむよね」
それに、と凪は続ける。
「何より後悔したのは、死体をバラバラにする作業が思ったよりも大変だったこと。重い頭が残ってると水に浮かべにくくなるし、手脚が残ってると邪魔でしょ? だから、〈ゴムボート〉にするためにはどうしても胴体以外を切り離す必要があった。だけど、これがめちゃくちゃ大変で。最終的には、舞乃さんに手伝ってもらって何とかなったけど」
解体作業を舞乃に手伝わせていたのか。
そんな労苦すらも簡単に引き受けてしまうだなんて、舞乃はあまりにも〈良い人キャラ〉過ぎる――。
「……で、でも凪、『昆布の間』では砂乎さんが死んでいることに気付いてなかったよな? あれは演技だったってことか?」
凪に質問をしたのは、長らく放心状態で会話に加わっていなかった理雨だった。
未だに冷静さを取り戻していないことは、口調が遼把モードになってしまっていることから明らかである。
「理雨ちゃん、私、演技なんてしてないよ。布団で寝ている総家さんを見て、私は、殺したはずの総家さんが蘇ったのかな、って思ったの」
「蘇った?」
「だれかが総家さんにスダチを搾ったのかな、って」
この娘は一体何を言っているのか?
スダチを搾ったら蘇る?
人間を、アジの刺身と同列に考えているとでもいうのだろうか。
あまりにも度を超えた〈天然〉である。
〈天然系ヒロイン〉は八女凪に極まれりということだろうか。
それとも、凪は単なるサイコパスなのだろうか――。
いずれにせよ、私のメンタルはもう限界だった。もう絶叫せずにはいられなかった。
「もう! なんなの! 凪も花蓮も! 二人とも揃いも揃って〈日常系アニメ〉のことをなんだと思ってるの!!」
「……〈日常系アニメ〉? 何の話?」
凪が首を傾げる。
それはそうだろう。メタ的な話題は、この作品の純正な登場人物である凪には通じない。
そうとは知りつつも、私は、凪に想いをぶつけずにいられなかった。
「〈日常系アニメ〉の世界は、平和にのほほんと何事もない日々が続かなければならないの! 実はヒロインが殺人犯だなんて、日常系の対極だよ!」
「アニメ? ヒロイン? 理栄ちゃんの言ってることはよく分からないんだけど、人類の歴史っていうのは殺人の歴史なんだよ。稲作が始まって以降、人類は互いに互いを殺し合ってきたんだよ。殺し合いの中で文明が発達してきたんだよ。私だって、これまで数えきれない人を殺してきたよ」
凪は、自らが〈シリアルキラー〉であることをしれっと告白した。
もう滅茶苦茶である。
私はさらに叫ぶ。
「それに〈日常系アニメ〉では、恋愛は御法度なの! 『夏空ふぃっしんぐ!』の世界では女の子同士の恋愛も御法度なのに、ましてや異性と遠距離恋愛だなんて! そんなの絶対に許されないんだから!」
「うーん……私、理栄ちゃんの言ってることが全然分からないんだけど……。異性との恋愛がダメ? じゃあ、どうやって子孫を繁栄させていくの? そもそも、理栄ちゃんはどうやって生まれてきたの? 理栄ちゃんのパパとママが異性間恋愛をした結果、理栄ちゃんが生まれてきたんじゃないの?」
「違う! 日常系アニメのキャラクターは、弱肉強食で穢らわしい現実から解放されたいという人々の願いから生まれてきたの!」
「……理栄ちゃん、本当に意味分からないよ……というか理栄ちゃんには性欲はないの? 理栄ちゃんはどうやって性欲を解消してるの? 理栄ちゃんは、私みたいに、離島にやってくるギャンブル狂いのクズ男たちと後腐れのないワンナイトしてるんじゃないの?」
凪の最後のカミングアウトは最悪だった。
私が凪に対して抱いていた〈幻想〉は完全に崩れ去ってしまった。
パリンと〈幻想〉が割れる音は、私の心の中からも聞こえたし、私の隣からも聞こえた。
理雨、いや、遼把が抱いていた〈幻想〉も同時に粉々になったのである。
そして、この〈世界〉の真理に、私は気付く。
日常系アニメ『夏空ふぃっしんぐ!』の世界は、決してあるがままの姿では美しくないということを。
登場人物が女の子しかいないのは、本当に女の子しかいないのではなく、女の子以外が関与するシーンが〈カット〉された結果なのだ。
本当はヒロインは男と手当たり次第ワンナイトしてるし、準ヒロインも男との遠距離恋愛に心を焦がしているのだが、そうしたシーンは全て省かれ、あたかも存在しないかのように編集されている。
そう。編集されているに過ぎないのだ。
そして、非日常的なことだって、普通に起きている。
お世辞にも〈癒し〉とはいえない、ヒロインによる連続殺人が普通に起きているのである。
それは隠されているだけなのだ。やはり編集の手によって。
〈例のキスシーン〉が唐突に始まり、唐突に終わるのも、おそらくは意図された編集なのだろう。
要するに、諸事情により、前後を公開することができなかったのだ。
真実は、花蓮は遠距離恋愛中のカレシが離島に来れないことでムラムラしていて、もう女でも誰でも良いと思って凪を襲ったのかもしれない。
真実は、凪は男遊びに慣れているから、花蓮にキスされたところで少しも喜ぶことも照れることもなく、むしろ女同士なんて気持ち悪いと感じて、ぺっと唾を吐いたのかもしれない。
そうした〈不都合な真実〉を隠すことで、日常系『夏空ふぃっしんぐ!』の世界は成立しているのである。
そして、読者や視聴者に伝えるべき情報と伝えるべきでない情報を取捨選択し、『夏空ふぃっしんぐ!』の世界観を構築しているのは、ほかでもない、原作者である『じんべえいるか』である。
『夏空ふぃっしんぐ!』に相応しくない出来事は、もとより『じんべえいるか』が切り捨てていたのだ。今回のバラバラ殺人だって、『じんべえいるか』が絶対に表に出さなかっただろう。
私や理雨が奮闘する必要など最初からなかった、ということだ。
今回の件を通じて、大塚潤斗と小松田遼把との解釈争いがいかに茶番だったかということも理解することができた。
凪と花蓮が恋愛に一切関心がないという解釈も、凪と花蓮が恋仲であるという解釈も、あるがままの真実からは、あまりにもかけ離れてしまっている。
そのいずれが正しいのかを原作者の『じんべえいるか』に迫っても、閉口されるだけなのは当然だ。
――じんべえいるか先生、ごめんなさい。
よく分かりましたから、もう元の世界に帰してください――。
この〈世界〉の〈神〉に私は願った。きっと同じことを遼把も同時に願った。
〈神〉は、天上から二人に語りかける。
「ようやく気が済んだ? おーけー。うぇるかむうぇるかむ。二人とも元の世界へ帰っておいで」
凪、花蓮推しの方々、本当に申し訳ありませんでした。
次回、最終話です。
最終話のオチは、菱川的にはこの作品では『これしか考えられない』というくらいに気に入っています。
是非ともどういうオチか予想してみてください。
潤斗と遼把の気持ちになって考えてみれば、きっと当たります。