乙女の秘め事〈前編〉
「うわぁ、エメラルド色の綺麗な海」
波打ち際まで来た凪が、子どものようなハシャいだ声を出す。
「元々この離島の海は綺麗だけど、天気が良いからか、今日の海は格別ね」
花蓮も波打ち際まで歩み寄ると、向かってきた波をビーチサンダルで蹴飛ばす。
「水温も温かくて、海水浴日和だわ」
「だったら、花蓮、陽が落ちるまでずっと海に浸かってようよ。最高の気分になれるよ」
「理栄、ずっと海水浴だと飽きちゃわないかしら?」
「絶対飽きるよね。五秒だけ海に浸かったら、すぐに砂浜で追いかけっこしようよ」
「理雨、五秒はさすがに短過ぎないかしら?」
私と理雨の駆け引きに巻き込まれた花蓮は、困惑した表情を浮かべる。
「まあ……とりあえず海に浸かってみてから考えましょう。ただ、その前に……」
花蓮は、水着の胸のフリルの中からスマホを取り出す。そんなところに収納スペースがある水着が存在しているのか、と私は驚く。
「綺麗な海の写真を撮って送ってあげないとね」
誰に送るの、という私の問いに、花蓮は、驚きの答えを返す。
「砂乎に送るのよ」
ええ!?
「花蓮、砂乎さんに写真を送るって、砂乎さんの連絡先知ってるの?」
「『LATIN』を知ってるわ」
「いつ『LATIN』を交換したの? 昨日?」
理雨が訊く。
予想外の繋がりが発覚したことにテンパっているのは、私だけでなく、理雨もだった。
「昨日じゃなくて、ずっと前……六年くらい前かしら。私、年に一度くらい東京にいる叔母の家に泊まりに行くじゃない。砂乎は、叔母の家のお隣さんなの」
初耳過ぎる。
そして、マジでヤバい。
私と理雨の計画では、砂乎は今日十五時のフェリーで本土に帰ったことにするつもりなのだが、砂乎が花蓮の知り合いで、しかも、花蓮の親戚の家のお隣さんだとすると、砂乎が離島から戻っていないことが確実に花蓮の耳に入ってしまう。
私と理雨の計画は、破綻の危機に瀕していた。
〈お魚系〉の名前を持っていることで嫌な予感がしていたのだが、まさか砂乎が花蓮との間に〈ミッシング・リンク〉を有していただなんて。
思い返してみると、花蓮をはじめとした柳家の人間は、なぜだか砂乎のことを『砂乎』と呼び捨てで呼んでいた。
宿泊客を下の名前で呼び捨てにするなど不自然だ。そこに違和感を覚えるべきだったのだ。
「写真を送信……と。砂乎も体調を崩しているとはいえ、そろそろ起きているだろうから、きっとすぐに写真を見てくれるわよね」
私も理雨は顔を見合わせる。
そして、互いに頷き合う。
「……花蓮、ちょっと私、トイレに行ってくるね」
「私も」
「あれ? 理雨ちゃんと理栄ちゃん、まだお腹の調子が悪いの?」
姉妹は凪の問いかけに答える余裕もなく、海に背を向けて走っていた。
並走しながら、理雨が小声で私に確認する。
「色々とマズいけど、とりあえず、今花蓮が砂乎さんに送った写真がずっと未読スルーだとマズいよな?」
「絶対にマズい。今日のフェリーで帰る設定なのだとすれば、遅くとも十四時くらいまでには砂乎さんは起きて、身支度をしてる設定なわけだから、スマホは見るよね。普通」
「俺、実は、砂乎さんのスマホを部屋から持ち出して来てるんだ」
「おお、さすがお姉ちゃん!」
「ここまでの事態はさすがに予想してなかったから、完全にフロックだがな……。ただ、砂乎さんになりすまして返信するにしても、砂乎さんのスマホにはおそらくロックが掛かってるよな」
「その点は大丈夫。隙を見て海に流しちゃおうと思って、砂乎さんの生首をリュックに詰めて持って来てるから。顔認証はクリアできるはず」
「さすが理栄」
「完全にフロックだよ」
私たちの行き先は、もちろんトイレではなく、先ほど私がリュックを置いた砂浜のスタート地点だった。
同じ場所に理雨もポーチを置いており、その中に砂乎のスマホが入っていた。
私は、凪や花蓮からは見えないように、リュックの陰に隠すようにしながら砂乎の生首を取り出す。
そして、それを砂乎のスマホに翳し、ロックを解除しようとする。
「……うーん、全然反応しないなあ」
「もしかすると、顔認証じゃないんじゃね?」
「パスコード打たなきゃダメってこと?」
「いや、指紋認証」
「なるほど」
私は、生首に引き続き、リュックの中から砂乎の右手も取り出す。
まるごと海に捨てるため、死体一式をリュックに詰めてきていたのだ。
私は、砂乎の人差し指を、スマホのホームボタンに押し付ける。
「やった! ロックが解除できた!」
「グッジョブ!」
「二分前に花蓮からの『LATIN』の通知が来てるね」
私が通知をタップすると、『LATIN』のアプリが開かれた。
花蓮と砂乎とのやりとりがスマホの画面に表示される。
そのやりとりを見て、私も理雨も愕然とする。
――何これ? 嘘でしょ?
…………
かれん:砂乎、本当に一人で泊まりに来るのかしら?
SAKO:そうだよ
かれん:健太も連れて来なさいよ
SAKO:残念ながら弟君は補習で忙しいんだって。花蓮にはすごく会いたがってるけど
かれん:遠距離恋愛辛いわ〜
SAKO:その気持ちは分かる。まあ、とにかく今回は私だけで。弟君の近況報告はいっぱいするからさ
かれん:了解。砂乎、私の写真もたくさん撮って健太に送って。それから、私以外の女の子の写真もたくさん撮るのよ。私の周りに女の子しかいないって分かれば、浮気はできないって健太も安心するでしょう
SAKO:分かった。パシャパシャ撮るね。もうそろそろ着くよ
かれん:砂乎と久々に会えるのを楽しみにしてるわ
SAKO:スタンプ
かれん:スタンプ
かれん:画像送信
…………
「……お、男……」
「健太って誰だよ! なぁ、花蓮、嘘だと言ってくれよ! 花蓮……うぅ」
理雨は、私の胸で泣いている。
これも大塚潤斗を誘惑するためにわざとやっているのだとすれば、あざとさMAXだが、絶対にわざとではない。
理雨、もとい、遼把は、花蓮に凪以外の意中の相手がいたことを知り、心の底からショックを受けているのだ。
そして、それは俺も一緒だった。
花蓮に男がいて良いはずがない。
日常系アニメの主要キャラクターは絶対にうぶな処女でなければならないのだ。
私と理雨は、互いに抱き合い、おめおめと泣いた。
あまりにも残酷な〈現実〉。
救いのない〈世界〉。
もっとも、これはまだ悲劇のはじまりに過ぎなかった――。