第2話:ふくと名乗る少女
数日後の放課後、部室で水槽を眺めていると、先輩が「アクアショップに魚を見に行くか?」と声をかけてきた。
「行きます」と即答し、慌ててカバンを持った。先輩は「落ち着けよ、福原」と苦笑しながら部室の鍵を閉めた。
学校を出て、駅前のバス停から揺れるバスに乗ると、十分ほどでアクアショップのある商店街に着いた。目の前に広がる小さな看板や色とりどりのディスプレイが、どこか別の世界に迷い込んだような感覚を与えた。
それが、私と淡水フグとの出会いの始まりだった。
アクアショップに入ると、水槽の数に圧倒された。水音が響き、色鮮やかなグッピーやネオンテトラが泳いでいる。どれも目を引くが、私の視線を奪ったのは、小さな水槽に浮かぶ丸いフグだった。
アベニーパファー。体長は三センチほどで、黄色と黒の斑点が散りばめられ、ゆったりと泳ぎながら時折小さな跳ねを見せていた。その姿は、どこか頼りなげで、愛おしく感じられた。
「先輩、見てください。淡水にフグがいるんですか?」
水槽に顔を近づけると、先輩は「アベニーパファーだ。淡水フグだ」と、少し眠そうな声で答えた。振り返ると、先輩は口の端を僅かに上げ、「知らなかっただろう?」と言いたげな表情をしていた。少し苛立ちを覚えたが、その知識に感銘を受けたのも事実だった。
「可愛い。こんな魚、見たことないです。先輩、これを飼いたいです」
勢い込んで言うと、先輩は私の肩をつかんで止めた。「水槽がないのにどうする? 準備がなければすぐに死んでしまう。下見だけにしておけ」
肩を落としたが、「死んでしまう」という言葉を聞いて、先輩の忠告に納得した。だが、内心では「絶対にこの子を飼う」と決意が固まっていた。ショップを出る際、もう一度アベニーパファーの水槽を振り返り、「待っていてね、必ず迎えに行くから」と心の中で呟いた。