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解放宣戦  作者: YMG
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第一話【奴隷と力と自由と_】

序章【人と奴隷】


 この世には2種類の人間がいた。無能力の人間と能力を持つ人間。その能力を持つ人間は、体内から特殊なエネルギーを生み出すことが可能で、火や電気、様々なものへと変換できた。大昔はそれによって、暮らしはとても潤っていたらしい。

 しかしいつからか、こんな思想を持つものが増えていった。

『能力者は我々無能力者を殺す為に産まれた悪魔』と。

 それがすべての始まり。紆余曲折によりその言葉は能力者を無作為に迫害する言葉へと姿を変え、数百年後には能力者は無能力者の奴隷として完全に確立された。

 そして新しく与えられた能力者の名は『スクラーベ』。ドイツ語で奴隷という意味だそうだ。

 ある者は欲を満たすための奴隷となり、ある者は娯楽の為に殺された。ある者は国のエネルギーを生むため、死ぬまでエネルギーを吸われた。ある者は国の兵器、捨て駒として使われていた。

 しかし、ある者は…運命を諦めなかった。


__


『人は皆、平等である』

 誰かが言った言葉だ。同じ種に差など無い、皆同じ"人間"なのだからと。

 しかしその言葉は、偉人が断頭台で残した最後の言葉だった。

 そう、偉人もまた、平等でない人間と奴隷に殺された一人の異端者として語り継がれていくだけの存在なのだ。

 やはりこの世は不平等に満ちている。幸せと不幸は産まれ持ったステータスだ。それを捨てることも得ることも、本人の意思では叶わない。それを皆知ってるからこそ、今もこの世は…愉悦と絶望が跋扈する不平等なのだ。


………


 だが、私は諦めない。

 幾年掛かろうとも、産まれ持った鎖を解くために、戦うとと誓う。それが如何に無謀だと知っても、不条理を断ち切れるなら進み続けられる。

 奴隷と人間

 誰かが決めたこの定義の解放こそ私の求める真の自由だ。


 だから今私は、ここに宣言する。

 我々の自由を勝ち取る為の戦い

『解放戦線の開幕を___』 


その宣戦布告は、雑音混じりのラジオと共に、全世界へと放たれたのだった。

___________


とある辺境の地


「ほれ、今日からここを担当しろ。今から日が落ちるまで部屋の掃除等の業務だ。サボりでもしてみろ。その時はまた"遊んでやるぞ"」 

「……はい御当主様」

 曇り空の薄い光が差し込む早朝。凡そ服とは言えない布切れでは手足の震えが止まらない。

 しかし俺はそれを必死に抑える。それを見せれば俺は死ぬ。眼の前の大男に殺されるんだ。

「そうだ、お前の良い所は他より従順なところだ。そうでなくては、声変わりまでした男児を生かすなんて馬鹿な事は考えんかったよ。ハハハッ」

 そう言いながら男は背を向け、部屋の扉のノブに手をかけた。

「儂は新しく入った奴隷の具合を試してくる。フヒッ…久しぶりの幼い男児だ。そう長くはならんよ…」

 垂れた涎を慌てて白いハンカチーフで拭う。コイツはまた、"アレ"をやるのか……被害者には同乗する。きっと、一生の傷となるだろう。だがそれを止める術も資格も俺には無く、ボロボロの雑巾を握り込むしかなかった。

「前のヤツは無能でな。せいぜいサンドバッグか、飼い犬の餌にしかならんかった。お前は儂の期待を裏切るでないぞ」

 捨て台詞と共にパタンと閉じた扉。残されたのは立ち尽くす俺と、空気中に漂うホコリだけ。空腹と寒さに耐えながら、俺は窓辺を拭き始める。すると窓際に立て掛けられた一つの写真が目に入る。金に塗装された派手な額だ。そこに写っていたのは二人の男女とその間に挟まれた一人の子供。そうこれは子供の頃の主人だ。二人の男女はその両親だろう。子供の顔は笑顔だ。ふと、写真を眺めたまま、思いにふけてしまう。

『両親……俺の両親ってどういう人だったんだろ…』 

 俺は奴隷として10年前に売られた。まだ物心がつく前のことだ。だから両親の顔なんて知るはずもない。兄弟が居たとか、二人がどういう人だったのか、それすら知る由もない。この写真のような生活なんて、スクラーベの俺からすれば幾ら手を伸ばそうとも手の届かぬ夢のまた夢だ。それがスクラーベとして産まれた人間の定めなんだ。

「さて……早く掃除終わらせないとな」

 写真を元の位置に戻し、埃を払っていく。今日もまた、俺の人生が始まったのだった。


__


 窓から刺していたぼんやりとした光は消え、西から刺す鋭い夕日が、額から垂れる汗をキラリと輝かせた。

「終わっ…たかな」

 試しにデスクの面を指でなぞってみる。

「うん、大丈夫そうだな」

 これが俺の基本業。他にも様々な事をするが、この10何年間、ほぼこれだ。しかしここを掃除するのは初めてだった。前任の奴とは仲がよく、話も合っていた。年は離れていたが、友達…というやつだったのだろうか。

 しかし、彼はもういない。その原因は彼が部屋に飾られている花瓶を落とし、割ったからだ。

 割れた花瓶を前にして彼は必死に弁解していた。

『申し訳ありません』

『二度とこのような過ちはしません』

『だから…殺さないでください』  

 叫びなような、嘆きのような声だった。しかしその声が届くはずもなく、粛清として彼は主人の飼っている大型犬に生きたまま食い殺された。…そしてそれを俺は遠目から眺めていた。

 見世物後に残ったのはカラスの集る友達だったもの。その死体の処理の担当は…不幸にも俺だった。彼の入った布袋を担いだ感触を、今でも鮮明に覚えている。まるで水の入った大きな風船を持っているような、不思議な感覚だった。

 その時だ。袋の中から微かな声が聞こえた。

 俺は慌てて袋の中身を取り出し、血塗れの彼の口元を確認した。

 呼吸をしている。しかし、薄い。消えかけのろうそくのような、少し風が吹くだけで消えてしまう火の様な息。

 俺は必死に助けようとしたが、人を救う方法は知り得なかった。彼の体のあちこちを触ったが、結果は手が血まみれになるだけ。助けを呼ぼうにも、主人にバレれば今度こそ殺されてしまう。どうすれば…どうすればいいんだ……と苦悩した。

 すると、ふと彼の口元から声が聞こえた。それを聞き逃すまいと、耳を寄せた。彼は博識だった。助かる方法を知っているはずだ。希望に心震えた。

 そして、ゆっくりと紡がれる彼の言葉を、聞いたのだ。


『……おね……が…』

『…ろ………して』

『ころ………して……』


 プツリと、心の支えが切れた気がした。心を繋ぎ止めていた何か大事な何か。それが彼の嘆きで、限界を迎えた。


『…分かった』


 足元を見る。運が良いのか、そこには尖った石が転がっていた。もしかしたら彼は、これを見てそう言ったのかもしれない。

 握りしめる大きな石。掌なんかより遥かに大きい。俺はその石を、彼の頭へ力いっぱい叩きつけた。


 グチャり……と骨や内蔵などを潰した感覚が掌に石越しに伝わる。眼の前には、今度こそ死体があった。それは俺の手で作り上げた初めての死だった。

 でもそれに対し、心は何も言わなかった。やはりもう限界なんだ。理解できない世界は、無知に配慮無く雑多に回る。その中心は俺じゃないその他だ。それを何処か理解したからこそ、もう疲れていた。そしてこの話は、もう何年も前のことだった。あれから、俺は死にたくない一心で主人の言いなりとなった。あの主人の趣味にも耐え、暴力にも耐え、殺せと言われたら仲間の奴隷さえ殺した。他を見捨て己の生にしがみついた。それが正解だったのかは分からない。しかし今生きていることこそが、俺の答えなんだ。

 世の中は理不尽だ。無力なものは抵抗もできず死ぬ。そんな無力な中には俺もいる。奴隷は弱者なんだ。きっと死ぬまで…何時までも。

 空のカラスが屋敷を囲む。夕日の刺し込む窓からは金の門が見える。そこに立っている一人の女の子。今日もまた一人、運命の奴隷が産まれたのだった。


__


 あれから五年と少しの月日が流れた。空は今日も明るく、青々とした芝を輝かせる。辺りを囲む木々から聴こえる鳥のさえずりも美しい。気温も丁度良く、誰もが最高の1日と答える日だった。


「あ”アア”アア”ッっ!!」

 

 だがそれは、奴隷共を対象とした"最高"と言えるものではなかった。

「ヒヒヒッヒッ!いいゾぉ〜…幼児ばかりで飽きてきた頃だったんだぁ…」

 暗闇に佇むのは、気品のある服を着た大柄な中年男性と、全裸で鎖に繋がれた骨ばった青年。その目は虚ろに満ちていた。

「たまには多少熟れた男を相手にするのも…悪くないっ!」

 その言葉と同時に、大男の拳が鳩尾にクリーンヒットし、腹の中のモノをぶちまける。

「ガッハっ……ゥ?!」

「なっ……ったく汚らわしい…。儂の服に少し跳ねたではないか!次吐いたら今度は腕の骨を折るぞ。"もう剥がす爪がないからな!"ヒヒッヒヒッヒっ!」

 ある屋敷の地下にある薄暗い娯楽部屋。天井から垂れた鎖に両腕を拘束され、サンドバッグ代わりにされ続け、もう何時間経っただろうか。体のあちこちがアザだらけ、両手両足の爪は何時間も前に剥がされ、赤黒く染まっている。感覚だが、腹の骨も数本折れてそうだ。焼けるように痛い。

「そらぁ!もっといくぞぉ!」

「…ぁ… ………」

 大男の背後には様々な器具が並べられている。スレッジハンマー、ペンチ、ムチ、他にも見たことない物ばかり。想像のつく今後の展開に、心は震える。


 あぁ…今日こそは楽になれるのだろうか


 その後のことはあまり覚えていない。体のあちこちを嬲られ、感覚が消えていた。唯一覚えていることは、終わった時には空がオレンジ掛かっていたことだけだった。


________


同日-正午


「おら!さっさと歩け、儂に手間をかけされるんじゃない、スクラーベの癖をして!」

 背中を足蹴にされながら、力の入らない足を精一杯動かして歩く。空気は鋭く、傷の痛みをより明確にする。

「…はいご当主様」  

 ここに来てから多くの年月が経った。しかし状況は依然として変わらない。スクラーベとして寝る間もなく働かされ、サンドバッグも日常茶飯事。今日も、仕事から帰ってきたわ当主のストレスの捌け口となっていた。どうやら仕事先で失敗したらしく、今回の粛清はかなりキツイものだった。

「全く…儂は風呂に入ってくる。他の奴らに飯の準備と寝室の準備をさせておけ」

 ズカズカと大股で、怒鳴りつけながら男は去っていく。どうやら当主は満足したらしい。一段落ってところだ。

「……疲れたな…」

 張っていた糸が切れた様に、体から力が抜ける。鞭打ちの跡で体中から血が出ている。指先の爪は既に赤黒く染まっていた。


「_暁っ?!」


 鳥のさえずりのような心安らぐ声が、遠くから聞こえた。

「…ミア?なんでここに」

 俺の着るボロキレとは違う、きちんとした洋服を着た女性。しかし、その腕には痛々しい奴隷の焼印が押されている。

 彼女の名は下野望愛。俺と同じ、当主のスクラーベだ。

「なんでって……暁が粛清対象として選ばれてからずっと、ここで待ってたの。それなのに何時間経っても帰ってこないし…私…暁が死んじゃったのかと…!」

「ミア…」

 嗚咽混じりの彼女の声。目元には小さな雫が溢れている。俺は無意識に、彼女の背へ手を伸ばすため、指先へ力を入れた。

「っ……」

 が、指先に走る激痛と共に、脳に走る"過去"の記憶が、行動を妨げた。

「……心配すんなよ、俺は奴隷一倍頑丈だし」

 伸びかけた手を、もう一つの手で抑え、強がった言葉を口にした。今彼女を安心させるにはこうすること以外の方法を知らなかった。

 しかし、俺の強がりはバレバレなのだろう。彼女の頬は風船のように膨らむ。

「大丈夫な訳ないでしょ!体中アザまみれだし……手、見せて」

「え…いや……」

「いいから!」

 拒む俺を無視し、背中に隠した手を強引に引っ張り出す。そして彼女は、その指先を見て絶句していた。

「酷いっ……ここまでするなんて…」

「別に気にすることじゃねぇよ。爪なんて日常茶飯事だし……それに、千切られなかっただけマシだ」

 ふと、横を数人の奴隷が通る。皆痩せこけて、力なく歩いている。その中には、片目が無い者や、指が全て無い者もいた。

「…皆、ずっと昔から苦しんでる。いつ死ぬか分からない環境で、必死に生きようと藻掻いてるんだ。俺だってそうだ。生きるためなら何だってする。爪なんて安いもんだ」

 その言葉に望愛は言葉を詰まらせた。

 望愛は比較的新参者のスクラーベだ。4,5年前に"飼育系"としてここへ来た。飼育系っていうのはここでの呼び方で、主に女のスクラーベを当主色に染めて喰らうという何とも趣味の悪い行為だ。当主曰く、18歳未満のスクラーベを育て犯すのが気持ち良いらしい。全く反吐が出る。

 だが、その悪趣味な標的として望愛は雇われている。スクラーベだが優遇された扱いを受け、内職が多い。故にここの真の苦しさを彼女は知らない。それが良いと思うか悪いと思うかは本人次第だが。

「とにかく、俺は他の奴等に伝えなきゃならない事があるんだ。ミアはバレないうちに戻っておけよ」

 膝に手を置き立ち上がる。少し休んだお陰でだいぶ楽になった。不思議だ。彼女と話していたからだろうか。だとしたら彼女に感謝しなければならない。

「…それじゃ」

 未だにその場に立ち尽くす彼女を背に、俺は部屋へと歩き出した。

「待ってよっ…!」

 その声に、振り返る。

「なんだよ…」

「なんで暁は私を…他人を頼ってくれないの…?…どうして一人で背負おうとするの…」

「………は?」

 彼女の言葉に俺は首を傾げた。まるで彼女が何を言っているか分からなかったからだ。しかし、それを理解した瞬間、心の奥が熱く燃えるような感覚に襲われた。

「…うるせえ、今のお前には分からねぇよミア」

 その苛立ちをぶつけるように言葉を吐き捨て、足早にその場を去る。

「暁っ!待ってよ!私だってもう……」

 背後から俺の名を必死に呼ぶ望愛の声を聞こえぬふりをし、締め付けられる心を持ちながら宿舎に戻るのだった。

 その道中、彼女の言葉を思い出し、再び己の苛立ちが浮かび上がる。

『頼るって…背負うって……んなの…』

 脳内に蘇る鮮明な過去の記憶。己の手で友を殺し、ヘドロのような世界を必死に泳いだ数々の記憶。そんなモノを持ち、誰かに頼ろうなんて思える訳がない。ここの地獄を見たものは、誰かを助けることや、誰かに頼ることができない。それは己を滅ぼすものでしかないことだと理解しているからだ。仮に頼ったとしても、苦しむのはその他人だ。ここで……誰かと手を取り合うなんてのは呪いでしかない。きっと…死よりも辛い方へ向かってしまう。

 全ては己の保身の為だ。今以上に辛い方へ向かうことを恐れ、変化を拒む。奴隷としての魂は、それを否定していたが、その本質を認めてはいた。それは物心がつく頃から持つ本能的な恐怖心から来るもの。痛みと恐怖で作られた箱庭の世界。外の世界を知らない我々にとって、全てはこの屋敷の当主だった。

「…俺は頼ることもしちゃいけねぇんだ。それは誰かが不幸になることだから…」

 やはり脳に浮かんでいたのは、あの虚ろな目でこちらを見ていた友人の姿だった。彼からの最初で最後の頼み事、それは俺の心を蝕み続ける毒として今も確実に生きていた。

________


 あの粛清の日から暫くの日が経ち、剥がれた爪も段々と治ってきた頃。

 あれから望愛と顔を合わせることは無くなった。単純に気まずいということもあるが、もしまた彼女に会ったら俺の信念が揺らいでしまうと思ったからだ。

 彼女との出会いは、彼女が屋敷に来てからすぐのことだ。俺はあの日も粛清(八つ当たり)され、中庭で拘束される拷問を受けた。水も食べ物も与えられず寒空の下2日放置され限界だった時、彼女が現れた。

彼女は自分の食べ物を俺に分け与え、俺を助けてくれた。ただでさえ少ない食料を相手に渡すなんて、当時の俺は想像もつかず、ただひたすらに困惑した。しかし彼女は当主の眼を盗み、その後何度も食料を分け与えてくれた。それのお陰で、俺は一週間生き抜くことができた。その時の彼女の笑顔は、まるで暗闇に輝く太陽のようなものだった。

 それが俺と彼女の出会い。ひたすら人を助ける姿は慈愛に満ちた女神と言っても過言ではない。それ程までに彼女は優しすぎるのだ。何人もの奴隷と出会ってきたが、あそこまでの者はいない。

 だからこそ、俺は彼女を忘れたかった。彼女が受けるこれからの地獄。それを想像すると、心はキツく締め付けられ、自分を殺してしまう。たかが一人の為に自分がそうなる必要はない。俺はそう学んできたはずなんだ。なのに…何故、何故彼女にだけここまで俺の心は動かされているんだ。それを否定するためにも、俺は彼女と会わないと、決めたのだった。


「…切り替えろ自分……今考えるのは、明日も生き残る為のことだけだ………そうするって決めただろ…今も…昔も…」

 頬を叩き、言い聞かせるように唱える。今日の仕事は屋敷外周の掃除。そこの前任者が先日、過労で死んだため、自分の担当になった。彼女のことは忘れ、今日の業務へ集中するとしよう。


『何度言ったら分かるんだッ!!』


「っ!」

 突如聴こえる怒号に、ピンと背が張る。その声は当主の声。出所は、屋敷の廊下からだった。

「…何かあったのか…?」

 当主の怒鳴り声なんて聞き慣れたものだが、未だに体は強張る。もはや擦り込まれた何か何だろう。

 俺は屋敷の外から廊下をちらりと覗く。

『ごめんなさい!ごめんなさい!』

 そこにいたのは幼い男のスクラーベと当主。たしか彼は、服の洗濯等の水周りの担当だったはずだ。ここから洗濯室は遠い。どうしてここに当主と…?それに本人のあの様子、明らかに様子がおかしい。

『シャツとジャケットは別で洗えと言ったであろう!見ろ!色移りしているではないか!!』

『申し訳ありません…!二度とその様な失態は犯しません!』

 奴隷は額を地面に擦り付け謝罪し続ける。洗濯のミス…確かに当主のシャツにはシミがあった。しかしそれは当主の持つジャケットの色とは違う。それにあのシミは…何か色の濃い物が跳ねた様なシミだ。恐らくあれは洗濯のミスで出来た色移りじゃない。洗う前からあったシミだ。それを当主は奴隷のせいに…自分のミスを認めない為に。

『…もういい。そうだな……最近、買ったアレを試すか。おい!ついて来い、お前は新しい玩具の実験台だ』

 その言葉を聞いた瞬間、土下座をしていた奴隷は、叫ぶ様に懇願し始める。耳を塞ぎたくなるほどの絶叫、それを無視し当主は奴隷の首に縄を括り引きずった。

「…っ……」

 感情がぐちゃぐちゃだった。あれはあまりにも理不尽すぎる。奴隷も若く、まだ十も満たない子供は、あの暗闇に攫われ死ぬまで遊ばれる。当主が失態をした男児の奴隷を生かした事は、見たことがない。確立された死。そんな死を見てまでも、俺の心は救いの手を伸ばすことを拒んでいた。

『なんで…なんで助けたいなんて思ってんだ俺は?!あそこに介入したら、死ぬのが俺になるだけだ…それにこんな場面、初めてじゃない筈だ。何度も見捨てて、己の手で機会を捨てた。だから俺は今も生きているんだ……この選択は間違えじゃ……?』

 心に満ちる言い訳……言い訳?俺はこれを言い訳と認めているのか…?なんでだ?…なんでこんなに俺は……っ!

 

『ロ…シテ………コ…』


『___』


 頭が痛い。考えるな考えるな考えるなっ!もし俺があいつの立場でも、救いの手なんて期待しない筈だ。それが運命…奴隷…スクラーベとしての人生だったということ……そう、結論づけた。

 だから俺は今日も、己の弱さに従った。


『待ってくださいっ!』


 その時だった。俺でも当主でも、あの奴隷でもない澄んだ声が、青天の霹靂の如く割に入った。

「み…ミア…?!」

 当主は引きずる奴隷から手を離し、呆然に彼女を見つめていた。

『…なんだぁ…お前…?奴隷の分際が…儂に待てと言ったのかぁ?』

 彼女の発言を受けて、当主の機嫌はみるみると悪くなっていく。それがガラス越しの外からでも伝わってきた。

「アイツ…何やってるんだよ…?!」

 あんな事したら只じゃ済むわけねえ……。服のシミ程度で奴隷を殺そうとする程の男だ。たとえ飼育系のスクラーベでも粛清は免れる事はできない…。

『ァ……』

 廊下の地面に放られた奴隷は、当主の前に立ちはだかる彼女の姿を見て声を漏らしている。一体彼女は何をするつもりなんだ。

『…そのシャツは、洗濯で着いた色移りじゃありません!』

 なんと彼女は、洗濯の件について糾弾した。つまり奴隷へ救おうと身を乗り出したのだ。己の危険も顧みず。

 シャツの件に触れられた当主は、不機嫌そうに顔をしかめた。

『それは恐らく、御食事の際に跳ねたソースなどだと考えられます…。そのシミは簡単な洗濯では取れず、強い洗剤が必要です。しかし、その様な洗濯はこの屋敷にはありません…。な…なので、色移りとは関係なく、取る術も無い。この奴隷に罪はありません!』

 威風堂々と彼女は、奴隷の弁護をする。しかし彼女の足は震えており、拳を握り込み赤く滲んでいた。彼女は一体、どれ程の勇気を持っているんだ……何を思えばあの場で飛び出せる…。怖いならやらなければいい。何の関係もない奴隷に命を貼るなんて考えられない行為。

 だがそれら全てが俺の持たざる魂の強さ。真実の救いだった。

『……そうか…お前あの時も…』

 彼女の弁明を聞いた当主は何か納得したように不敵な笑みをみせる。不味い…このままじゃ本当に彼女まで粛清の対象になってしまう…!でも俺があそこに出たとしても状況は変わらない、寧ろ悪化する。堪えろ…目を瞑れ、自分が変な気を起こす前に目を逸らせ………そう俺は自分に暗示した。しかし薄めで見た次の光景は想定外のものだった。

『おいお前___』 

 当主は彼女へ耳打ちのように何かを言った。外からではよく聞こえない。だがその言葉を聞いた望愛は目を見開いき、暫くして小さく頷いていた。

『ヒヒッヒヒッヒ……よし……。おい奴隷!気分が変わった。粛清は無しだ。仕事に戻れ!』

 そう言うと男は何もせず、その場を去った。なんだ…?何が起こったんだ?あの男が奴隷の勝手を許したというのか?ここで長く雇われてきたが、そんな事これまで一度もなかった。気分がいいとかそう言うので片付けていいものではない。明らかに何か企んでるとしか…。

『あ、あのっ!』

 その声でふと我に返る。その声の主は、当主に粛清されかけていた奴隷だった。彼の足はまだ震えており、壁伝いに立ち上がった。

『た…助けてくれて…ありがとうございますっ…!』

『…うん!君が無事でよかったよ』

 ニカッと彼女は彼に微笑みかける。その笑顔からは、ついさっきの当主から詰められていた時のような恐怖はない。まるで何もなかったかのように…。

「…何心配してんだ……俺」

 曇っていた心を払うように、頬を叩く。これ以上深入りする必要はないだろう。それにやっぱり介入する必要はなかったじゃないか。俺が出たところで悪化していたと感じたのは間違いじゃなかった。今はその選択をした俺を褒めようじゃないか。そう思えばこの心は幾分かは軽くなるだろう。だから俺は彼女等から視界を外し、屋敷の掃除へ注力したのだった。


________


 昼の光景を見てから数時間。夜は深まり、奴隷が代わる代わる夜の警備をしている。俺もその一人だった。

「………」

 あの光景を思い出す度、心は強く締め付けられる。やはり救いの手を伸ばし、伸ばされたものは簡単には報われない。それを知って、俺は見続けていた。息を殺し、火の粉すら降りかからぬよう臆病に。

 やはりミアは強い。だが、強さとは己を滅ぼすもの。強いだけでは、奴隷は生き残れないんだ。それにあいつが死のうがどうなろうが…俺には関係ない……いつも何人もの奴隷が死んでいる。彼女もそれと変わらない…俺の人生には何も………。

「……あっ!」

「…ん?」

 警備の配置は向かう廊下。そこですれ違う一人の奴隷が俺の顔を見て慌てたようにあせり始める。

「なんだよ…ってお前よく見たら昼の……」

 薄暗くあまり顔が見えなかったが、その顔には見覚えがあった。今日怒鳴られて連れてかれそうになっていた奴隷だ。どうやら無事に解放されたようだ。となるとミアも解放されたのだろうか。

「あのっ…えっとぉ……あ…ぅ」

 奴隷は必死に言葉を探すように喋る。だが言葉は纏まらない。あまり話すのに慣れていないのだろう。そういう奴は多い。

「落ち着けよ。俺は当主じゃない。ゆっくりと…な?」

 安心させる為に言葉をかけると、奴隷の定まらない視界が落ち着き、深く深呼吸をした。

「あ…あの!あなたはあの人と、よく一緒にいる人ですよね!」

「あの人?……あぁもしかしてミアの事か?」

 その俺の言葉に、奴隷はこくりと頷く。

「…ミアがどうした?」

 不思議と何故か俺は、この時点で強い胸騒ぎがした。まだ何も知らないのにまるで知ってるかのような感覚。それに怯える心を堪えて、恐る恐る彼に問う。そしてその答えを聞き__


「僕見たんです…あの人が当主様に連れていかれるところを…」


 __その胸騒ぎは、現実となった。

「っ…」

 この屋敷で当主に"連れていかれる"という行為は幾つかの意味がある。その一つは粛清。奴隷としての仕事を全う出来なかったり、当主のストレスの捌け口としてサンドバッグにされる2種類がある。まさか彼女は今日の当主への粛清妨害に腹を立て、粛清対象として呼び出されたのか?

 だがおかしい…。彼女は飼育系としてここにいる奴隷だ。飼育系の奴隷は俺達のような粗雑な扱いや仕事を受け持たない。これまで見て、経験してきたそれらの事から考えると、たとえ彼女に腹が立ったとしても、その捌け口は俺達の誰かになるはずだ。 

「……まさか」

 そんな時、脳裏に浮かばなかったある一つの仮説が脳に生まれた。

『…仮に……もし仮にミアが既に…18歳になっていたとしたら…』

 しかしその思考はあまりにも都合が良すぎる。あいつの事だ。誕生日なんだので騒ぎ立てる筈だ。いつかの日も、自分の誕生日を記憶して、俺に絡んできていた。でも今回はそんな素振りを……いや、頭から抜けていた。俺はあいつと喧嘩…いや一方的に拒絶していたんだ。だから誕生日が来ても前のように来なかった……いや…!それだけじゃないかもしれない……!

 そう思った瞬間、眼の前の彼を急かすように聞いた。

「あいつが何処に連れていかれたか知っているのか!」

 押し問答により焦る奴隷の彼は、あたふたした後、屋敷外の離れを指した。

「娯楽室です…地下にあるあそこに…」

 彼の示す場所は娯楽室とは名ばかりの部屋。数々の奴隷が傷つけられ、捨てられ、殺された所。しかしそこにも違和感を覚えた。

『あそこは粛清に使われる部屋…飼育系の成人行為に何故あそこを…』

 深まる疑問。そしてそれ以上に俺は今の心理状況に困惑していた。

 そもそも何故俺は彼女をここまで気にしている。彼女が死のうがどうなろうが俺には関係ないと考える俺が、どうしてここまで彼女の身を案じているんだ。まるで心が分裂しているような気分に苛まれる。そんな俺を差し置き、彼は突如頭を下げた。

「な…何してるんだよ…お前…」

 その光景は俺の知らないもの。いや、知っているが否定していた唯一のもの。

「……お願いします。どうかあの人を…助けてもらえないですか」

 それは俺を"頼る"言葉だった。

「は……?」

 意味が分からなかった。あまりにも突然の頼みに困惑し、頭は真っ白。そしてじわじわと思い出す過去の記憶。しかしこれはあの時とは少し違った。

「なんで俺に頼む…。そんなに助けたいならお前が行けばいいだろう」

 恐れから来る保身の言葉。そう何処か理解しつつ、彼の手を振り払う。だが彼は更に深く頭を下げ言った。

「分かっています!でも、僕一人じゃ何も出来ない…他の人に頼んでも、駄目でした。貴方が最後の希望なんです…!どうか…お願いします…」

 彼の目からは薄っすらと水滴が落ちる。よく見ると、足回りはついさっき付いたであろう汚れが付着している。肌は薄っすらと汗ばみ、屋敷中を駆け回ったのだろう。

「…………」

 この奴隷は己の無力さを知っていた。俺と同じだ。奴隷一人では人一人助けることも出来ない。それを知っていても、伸ばされた手とそれを掴む者に起こる変化を恐れていた。その手を掴むことで良い方に転ぶか悪い方向へ転ぶかなんて分からない。そんなギャンブルなんてごめんだ。俺はあんな光景を二度と見たくない。自分の手で変えた地獄を見たくないんだ。

 そうやって俺は自分を閉じた。でも今目の前にいる選択を知らない彼は俺へ手を伸ばしていた。

「…何でお前はミアを助けたいんだ」

 それはずっと引っかかる疑問。奴隷の知らない、他者の為にそこまでしようとする理由を、彼に聞きたかった。

「あの人は…見ず知らずの奴隷である僕を……身を挺して助けてくれました…そんな恩人が危険な目に合っているというのに、何もしない自分が嫌なんです…」

 その言葉は至極シンプルな答えだった。だがそれは俺の持たざる初な考え、地獄を知らない者の答えだった。思い出す望愛との出会い。俺もまた、彼女に助けられた存在だということ。

 今分かった。俺のやること、それは拒絶じゃない。俺と同じ道を歩ませぬように助けるんだ。誰かを…不幸にさせない為に。

「…分かった。あいつを助けるのを手伝う」

 俺は彼の伸ばされた手を強く握った。

「…!あ、ありがとうございます!」

 彼は何度も何度も頭を下げ、感謝の言葉を口にする。しかし状況は何も変わっていない。

「あいつが向かった娯楽室はここから距離がある。急ぐぞ」

 彼は「は、はい!」とさっきよりも快活な声で返事をした。

「そういえばお前、名前は?」

 普段奴隷同士で名前を必要とする場面は少ない。それは覚える間もなく死んでいくから。だが彼は望愛救出の志を同じにした者同士。名前を聞く必要があった。

「えっ………えと確か…"カシモ"…です」

 記憶から探り出した答えのように名を言う。その理由は簡単だ。本来奴隷に名前は無い。俺の名も過去の記憶で微かに覚えていたものだ。当主は名前どころか、奴隷としか呼ばない。奴隷同士でも名を呼ぶことが無いとなると、必然的にそれは必要無くなる。それに名を貰う前に買われ、親と離されたヤツも多い。彼はまだ幸運なのかもしれない。

「カシモ…か。俺は暁、よろしくな」

 カシモは何処か嬉しそうに口角を少し上げる。互いに名乗りも終わり、後は望愛を助けるだけ。しかしそれは一筋縄ではいかない。一刻も早く助けなければならないこの状況、準備する時間は無いに等しい。その為、俺はあることを提案した。

「恐らく当主が素直にミアを解放するとは考えられない。最悪の場合、当主と戦うことになるかもしれない。その時、カシモは隙をついてミアを逃がしてくれ。殿は俺が務める」

「で、でもそれじゃあ暁さんが危険じゃ…!」

「大丈夫。昔から頑丈さだけには自身がある。ミアを確保したら速攻逃げるぞ」

 カシモは冷や汗をかきながら頷いた。

「よし……」

 よく観察すると、カシモは震えていた。いやカシモだけじゃない、俺も足が震えていた。植え付けられた恐怖っていうのは拭えない。どうなるか分からぬ未来は想像するだけで恐ろしいものだ。失敗したら死、成功しても生きれるか…何もかもが分からない。でも、やるしかない。そうじゃなきゃ俺はまた自分を否定してしまう。何としても彼女を救出するんだ。

「あの…なんで貴方は僕の…助けをきいてくれたのですか…貴方に…何も得は無いのに」

 娯楽室へ向かう為、振り返った瞬間、カシモからの声が掛かる。

「なんでって………しいて言うなら罪滅ぼしだ。保身に走った自分への」

 時計の針はてっぺんを過ぎた。人生で始めての否定。結末の分からぬそれに身を震わせるながら、二人の弱者(奴隷)は暗闇を駆けていった。



______


望愛side


「………」

 薄暗く、異臭の漂う無機質な部屋。壁にはハンマーやペンチ、マチェットなど物騒な物が幾つもぶら下がっている。両腕を鎖に拘束された私はその部屋の奥の壁に貼り付けられるように佇む。

 そしてその場にはもう一人、この薄暗い部屋でも鮮明に見える不敵な笑みを浮かべる大男が、私の頬を花を愛でるが如く撫でた。

「儂は運が良い…まさか鬱憤の溜まった奴隷が、偶々今日18歳になった日とはなぁ……ヒヒッ…つくづく儂の幸運には惚れ惚れする」

 ブツブツと独り言のように男は言う。

「それにしてもお前のような奴隷は初めてだったよ。儂の意見に反抗し、奴隷同士で庇い合うなんてここの環境で出来る奴はそうそういない……。それはその行為に意味がないからだ。そう躾、脳に埋め込ませ、服従を強制させていた。ここは儂の城だからなぁ」

 男が頬を撫でていた指は、首筋を撫で、胸を愛撫し、腹、太ももと下っていく。

「ッ……」

 その男の冷たい指が肌に触れるだけで、嫌悪感は溢れる。腕が縛られている故に、出来る抵抗は、当主へ睨みを効かせることだけだった。

「…ヒヒッヒヒッ…そういう目も奴隷相手には始めてだぁ…。ここまで至った奴隷は皆、死んだ魚と同じ目でつまらんからな」

 触れていた手は離れ、また私の頬へと伸びる。

「…何故お前はあの奴隷を庇った……いやぁ…それだけではないな。お前が来たばかりの頃もそうだ。お前は飯を残し、それを粛清中の奴隷に分け与えていたなぁ…?」  

「なっ…」

 バレていたんだ。私が過去に暁に食料を渡していた事を…。

「バレていないと思ったかぁ?ヒヒッヒヒッヒ!お前は儂を舐め過ぎだぁ」

「ならなんで…私を粛清しなかったんですか…そんな泳がす真似を…」

 私のその言葉に、再び男はニヤリと笑った。

「"粛清"はしたさ。勿論、お前以外をな」

「え…?」

 こいつは何を…?と理解が追いつかない脳を置き去りに、ふと私は足元の違和感に気がついた。レンガ造りのハズの床が、異様にサラサラと滑る。暗闇でよく見えない。しかしそれはすぐに気がついた。

『これって……かみ…のけ?』

 繊維質なその正体。もう見ずとも理解できてしまう。それは長い髪の毛であった。

「っぁ……ぁあ…!」

 男に言う私以外の粛清ってまさか…まさか…その粛清って…!

「あの日はお前にかなりむかっ腹が立ったがな。お前は上物だ。その顔と乳に免じて見逃した。だがそうなると、儂の腹の虫を収める何かが必要になる。そこで儂は3匹の女奴隷で遊ぶことにしたぁ…その髪はその時の残骸とでも言うものだ」

 締め付けられる心の奥。私が暁を助けたりしたから…その奴隷が弄ばれ、無意味に殺された…?私の選択が他者を殺したってこと……?…そんなのって…

「ヒヒヒッ…!どうしたぁ?お得意の睨みも、歪んで来たなぁ?儂はただ、お前と雑談しているだけだぞ?何をそんな怯えている?え?」

 当主は揺れ動く私の心を見透かしたように嘲笑する。だが今の私はそれどころではなかった。

真っ白になる頭とそれを理解しようとして込み上げる感情。そんな時、あの日の暁との会話が脳を過った。


『なんで暁は私を…他人を頼ってくれないの…?…どうして一人で背負おうとするの…』


『…うるせえ、今のお前には分からねぇよミア』


 それは私と暁が最後にした会話。あれ以来、彼は私を避けるようになった。嫌われたんだ。でも私はその時、心の何処かで彼の非だと思いこんでいた。伸ばした手を掴まず、振り払った彼は恩知らずだと理由をつけ、私から彼に向かわなかった。しかしそれは間違いだった。彼の言う通りだったんだ。ここでは助け、助けられた事が救いではない。その選択が誰かを傷つけ、殺すものになり得る。それを彼は知っていたんだ。だから…いつの日も彼は己で背負った。辛くても、苦しくても、誰かを…自分を傷つけない為に。

『暁……ごめんなさい…私は…』

 無意識に私は彼へ謝罪をしていた。ここにいない彼へ届くことがないと、そしてその謝罪が無意味だと知りながら。

「……」

「なんだぁ?すっかり消沈だなぁ。ヒヒッヒヒッヒ!やはり奴隷はこうでなくては…!獲物は常に、弱らせてから喰うに限る…ヒヒッ!」

 俯き、床に散らばる罪の残骸を無気力に眺める。あぁ…私は取り返しのつかないことをしてしまった。

 私は憧れていたんだ。今より更に昔、当主に買われる前に見た本に出てきたお姫様に。彼女は慈愛に満ちていた。枯れ木を咲かせ、飢餓を無くし、人を救った。それを見た瞬間、世界は変わった。奴隷と人間で別けられるこの世も、彼女のような人がいればきっと良くなる。そう信じて必死に彼女になろうとした。人を救おうと手を伸ばし、一人を救い浮かれていた。その裏で何人もの犠牲があるとも知らずに…。

「では…始めようかぁ…!」

 その言葉と共に、男の手がゆっくりと私の体へと伸びる。私はこの運命を受け入れていた。貞操など無くても人は助けられる。手を伸ばせば、掴まれ、誰かを救えると。だが今は違う。私(奴隷)が手を伸ばしたところで救えるのは何も無い。その場しのぎすらままならない自己満足だった。私の存在意義は空虚な偽善だったんだと、気付かされた。全て私の勘違いだったんだ。暁を助けた時も、今朝の事も。手を伸ばしたのは彼等ではない。私だったんだ。

「いや……やめ…やめてッ………」

 体を動かし抵抗の色をみせるが鎖に繋がれた私に出来るそれは、滑稽なものだった。

「ヒヒッ…諦めるんだなぁ……安心しろォ…これまでの奴らも"最期"は気持ち良くなっていたよ……それこそ死ぬ程になぁあ?ヒヒッヒヒッヒっ!!」

 男の手が服にかかる。もう抵抗する気力も沸かない。私は甘かった。考えも行動も何もかも。奴隷とは弱者だ。強者に虐げられ、奪われ、何も成せない。それを知らない愚者の末路がこれだ。手を伸ばしたって誰も掴みはしない。知ってしまったんだ…。でも…でも…!もし今私へ手を伸ばしてくれる人がいるのだとしたら…なんて淡い希望が心に生まれた。自分勝手だって分かってる。あり得ないことだって知っている。それでもまだ私の心には、"手を伸ばす"という言葉が生を求めていた。



「__助けて 」



 それは願いだった。期待とか希望とかよりも抽象的なもの。誰かがこの手を掴んでくれるという願い。心の嘆きだ。

「助けなぞ来るかぁ!!ヒヒッヒヒッヒっ!ヒヒヒャヒヒ__


 __その時、暗い世界に一筋の光が、乱雑に開かれる扉から一気に刺し込んだ。

「なんだ?!」

 男は突然の出来事に、一瞬で興味を私から入口の方へ逸らした。光の先には一つの人影。逆光で目が慣れずその顔は見えない。その影は一歩、一歩と部屋へ歩みを進め、立ち止まる。

 その姿は懐かしく感じる。指先には包帯が巻かれ、光を背負い、ボロキレを纏う奴隷。だがその奴隷は、私が願い、待ち焦がれた"彼"だった。


「ミアッ!!」


________


暁side


 静寂を切り裂いたドアの開閉音。暗闇を照らす一筋の光を背に俺は彼女の名を叫んだ。

「さ…とる…?」

 彼の目に写ったもの。それは縛られた彼女の姿と、こちらへ睨みを利かす当主の姿だった。

「お前っ……どうしてここに…」

 予想外の来客に当主は意表を突かれたように動揺する。しかしそれも一瞬。すぐに状況を飲み込んだ男は彼女から手を離し、眉間にシワを寄せ、詰め寄った。

「夜間警備はどうしたッ!そもそも何故ここにいる!粛清されたいか!」

 浴びせる怒号。正直足が竦むなんてもんじゃない。ここで生きてきた奴隷人生で埋め込まれた恐怖心が脳で暴れる。その時、当主の背後に見えた彼女の姿でふと我に返った。

「…俺は……もうアンタの言いなりにはならない…!俺はアンタを倒し、彼女を解放するッ!」

 その言葉と同時に、相手が理解するより速く、当主へ飛びかかり、頬へ全力で握り込んだ拳を振るった。

「なっ……がぶぁあ?!」

 鈍い打撃音。放ったパンチは当主の右頬へ直撃し、みっともなく当主は後方へ倒れた。

『何を躊躇ってんだ俺…何のためにここへ来た……何をしに決断した!……彼女の手を掴むためだろッ…!!』

 拳を更に強く握り込む。卑屈になったら負けだ。今はただ彼女を救うことだけ考えればいい。そう心へ言い聞かせた。

 気がつくと、当主はヨロヨロとその場で立ち上がろうとしていた。

「もう一発っ…!」

 一度取ったダウンを逃すまいと拳を構えた。しかし、男の持っている物に気がついた瞬間、体が凍りついたように動かなくなった。…それは拳銃だった。

「…貴様……自分が何をしたか分かっているのか…」

 ゆらりと立ち上がるその異様な雰囲気を放つ当主。いつもと違う、より黒いオーラ。その違いは直感的に理解できた。今向けられている圧は、”遊ぶ”とは違う。明確に殺すという意志だけが伝わってきているのだ。

「奴隷如きが、人間の儂に牙を向いていい気になったかぁ…?舐めるなよ虫けらが…!」

 無機質な金属の擦れる音。拳銃……実物は初めて見る。火薬を使い鉄の塊の弾を放つ武器…。殺す為に生み出されたそれを向けられた俺は、どうすればいいか分からず、立ち止まってしまった。

「ヒヒッ…そうかぁ…お前もこれが何かぐらい分かるのか…。なら、俺がこの引き金を引いたらどうなるか……分かるよなぁっ!」

 男の指は堪らいなく引き金を引く。耳を劈く破裂音と共に、暗闇を照らす火花が散る。その弾丸は目にも止まらぬ速さで、俺の脇を掠った。

「ッ…!」

 俺の野生の本能が叫ぶ。これは不味いと。こんな狭い空間じゃ、避けれるものも避けれない。

「ヒヒッヒヒッヒッ!どうしたぁ!!一発でこれじゃあ身が持たないんじゃないかぁ!?」

 その後も当主は一発、また一発と拳銃を放つ。幸い薄暗いせいか狙いは定まらず、当たるのは壁ばかり。俺は近くにあった拷問用の椅子へ身を潜めた。拳銃を攻略するにはやはり詰める必要がある…。しかし…

『さっきのパンチを当てた感じ…まるで効いていなかった。やっぱ漫画の真似事じゃ無理か…』

 碌な戦い方も知らず、挑んだこの戦い。見切り発車もいいところだ。それに普段の栄養のない食事のせいで体に力は入らない。正直かなり厳しい状況だ。

 だがこの戦いは囮だ。本当の狙いは別にある。それは……カシモのミア解放だった。


___


 彼が当主を殴り飛ばした時、何が起きたのか分からなかった。当主も面を食らっただろうし、なんなら本人以外のすべての人が驚愕した。奴隷が逆らうなんていうのは死を意味することだ。それを彼はやり遂げている。僕が言い出したことだと言うのに、彼は自ら危険な役へと乗り出したのだ。

 僕がここにきて周りの皆は既に死んでいた。生きてるのか死んでるのかすら分からないそんな状況を見て、何か希望を見ている僕が異常だと錯覚した日もあった。でもあの2人は違った。望愛さんは絶望に屈しず人を助け、暁さんは恐怖に打ち勝つために戦っている。

 でも僕には2人みたいな大きな事をするほどの肝っ玉は備わっていない。だからせめて、自分にできることを精一杯、全力でやり遂げてみせる…!

___


望愛side


「暁…どうしてここに……」

 私は彼を、言葉も選ばず己の価値観で否定した。この状況だって自分の甘さが生んだ惨状だ。それなのになんで……

『…望愛さん!望愛さんっ!』

 眼の前の光景に釘付けになっていたところに、ふと足元から声が聞こえ、正体を探ろうと見渡す。そしてその正体は背後に屈み、暗闇に潜むように佇んでいた。

「君は…今朝の…」

「話は後です。僕たちは貴方を助けに来ました。今拘束を外します…」

 その奴隷の彼はチラチラと当主の方を気にしつつ、音を立てないようにとても慎重に、右手、左手と拘束を外した。幸い鍵などは無く、留め具が付いているだけだった。お陰で私は自由に動けるようになる。

「あ…ありがとう…でもなんで君がここに…?」

 その顔は、今朝助けた名も知らぬ奴隷の子供。なんで彼がここにいるのか分からず、脳は困惑していた。

「…恩返しのようなものです。僕は今日、貴方の勇気に救われました…。それを返せないような人間にはなりたくなかったんです。それに、それは僕だけじゃありません」

 そうして指差す先には悟がいた。

「暁が…?」

「はい。ここに向かう最中聞きました。貴方に助けられたと、貴方の勇気は人を動かせるんだって…。僕は貴方みたいな勇気は無いし、暁さんみたいに強さもない。そんな僕でも貴方達のようなスクラーベがいたからこそ僕はここにいます。…だからここから出てもっと多くの人へ手を伸ばしてください」

 張っていた糸が緩むようなそんな気がした。そうか…そうだったのか……。

「……うん、そうだね。私が諦めちゃ…駄目だよね」

 あの当主の言葉で私は己の存在意義を見失っていた。伸ばした手は無駄だと否定された。でもそれは今この場にいる二人が否定した。勿論殺された人達を正当化するわけではない。しかし確かに私の行為が人を救っていたという事実を今目の当たりにした。    

「望愛さん…今、暁さんが当主の隙を作っている。今のうちに外へ出ます…」

「え?で、でもそれじゃ暁は…」

 ふと暁の方へ視線を向ける。暁は物陰に身を潜め、拳銃を持つ当主を釘付けにしている。如何に今の状況が逃げる事に適しているとはいえ、このままじゃ彼は危険だ。そんな中、私達だけで逃げるなんて考えられなかった。 

「…暁さんも、今貴方が逃げられるように当主と対峙しています…貴方を助けるために自ら囮を……」

「…!」

 その時だった。何か崩れるような大きな音と共に、何度も響く拳銃の発砲音。その音の原因は、当主へ椅子を蹴り飛ばし、殴りかかる暁へ放たれた弾丸のものだった。


_______


暁side


「くっぁ…?!」

 全身へ走る爆発的痛み。腹と肩からジワジワと流れ始める血液と共に俺は膝をつく。この痛みは当主にナイフを刺された時以来の痛みだ。

「ヒヒッ…つくづく最初からこれを使えばよかったと儂は後悔しているよぉ…お手軽でここまで奴隷の苦しむ顔が…見れるとはねェっ!!」

「がハァッ?!」

 当主の履く重厚感のある革靴から放たれるトーキックが側頭部へ命中し、勢いのまま体は地に伏せる。

「ゲホッゲホッ…っ!」

 だが今倒れるわけにはいかない。まだ二人が脱出していない…もう少しだ。あと少しだけでも時間を稼げ…ここで立たなくてどうするんだ!

「ヒヒッヒヒッヒ!!まだ立つか!そういえばお前の良いところは頑丈で殴っても殴っても気絶しなかったことだなぁ…」

「んなこと…ゲホッ…言われても嬉しくねぇよ…このロリコンクソジジイが…!」

 挑発の言葉に当主はピクリと眉をひそめ、ノーモーションで拳銃の引き金を引く。

「……調子に乗るなよカス以下のゴミめが」

 放たれた弾丸は右脚へめり込むように命中し、再び膝を着く。

「いっ……!」

 弾丸の痛みはそれ程脅威じゃない。だが今回のものは違った。

『なっ…立てない…?!なんで…!』

 体に力は入るが、撃たれた脚に一切の力が入らないのだ。膝へ手をつき必死に立ち上がろうと奮闘するが一向に動かない脚からは血がダラダラと流れる。

「…ヒヒッ…儂はなぁ…奴隷を壊す時には自分なりの作法を持っているんだぁ」

 膝を着く俺の前に、当主はしゃがみ込み手に持つ拳銃を俺の額へと押し付ける。

「まずは泳がす。そうすることでそいつはいつもより生きが良くなる…そして次に……乱す」

 カチャン…と力なく拳銃は地面に落ちる。そして当主は立ち上がり、壁に掛かるスレッジハンマーを手に取り、ニヤニヤと笑った。

「簡単に死ねると思うなよぉ…ヒヒッヒヒッヒ!…痛みにもがき、意識を朦朧にしてから目の前で女を犯してやろう…ヒヒッ!我ながら堪らなく素晴らしいィ!」

「くっ…!」

 迂闊だった。当主が拳銃を持っていることは想定外の出来事。耐久力で粘り、二人が逃げるまで時間を稼ぐつもりだったが、拳銃というイレギュラーなそれに完全に乱された。このままじゃ…

「さらばだァ虫けらァ!!生きたまま頭をかち割られる絶望の表情をォ!!儂に見せてみろォ!!」 

 天高く振り上げる鉛のハンマー。未だに脚は動かない。死ぬのか__?こんなにもあっけなく。本当に己の無力さに嘆いてばかりの人生だった。認めることも、見捨てることも出来ず、結局弱さに命を落とした。

 …でも最後にアイツを…助けられた。それだけで、よかったと思える。悔いがない訳ではない。だが…せめてもう少し、一言でもアイツと…ミアと…話したかった___




__暁さんッ!!



 視界を覆う小柄影。それを認識した瞬間、何かが砕けるような鈍い音が、俺の耳に響いた。

「………は?」

 何かが落ち、何かが終わった。理解が追いつくよりも先に全ては完結した。

 そしてそれを認識した瞬間、体から冷たい汗が溢れた。

「____かし…も…?」

 眼の前に広がる光景。血溜まりに伏せ、ピクリとも体を動かさないカシモ。俺は震える手で彼の体を揺する。

「ぉい……おい…!!…」

 何度も、何度も俺は揺らす。返事を求め、名前を呼び続ける。しかしそれを否定する頭の傷。潰れたように陥没したその頭からは、血が吹き出る。それは明確な”生”を否定する証拠だった。

「ッ…んなっぁ!!馬鹿なことがっ……!!なんでッ……なんでだよォ!!おいッ!!」

 カシモが死んだ。俺を庇って死んだ。また…俺のせいで人が死んだ。俺が無力で、愚かだから…。俺が…俺がッ…!!

「ぁあああああああああっ!!!!」

 部屋中に鳴り響く叫声。また守れなかった。また救えなかった。目の前でまた失った。正直彼と俺の間には何もない。数分前に出会って、ミアを助けるために意気投合しただけ…。なのになんでこの心はこんなにも…こんなにも苦しいんだ…!

 カシモがいなかったら俺はここにいなかった。カシモがいたから俺はここまで来れた。カシモがいたから俺の心は…動かされた。

 ただ彼は己の正義を優先し、恩のある人を助け、そのうえ関係のない俺すら守り命を落とした。そんな…そんな奴がなんで…なんで。

「…なんだこのゴミ虫はぁ…。興が冷める事をするなカス風情が…!」

 当主はカシモの亡骸の腹部を強く蹴り、壁まで床を擦り飛んでいく。そしてその飛ばされた先にいる一人の影。そこにはミアが膝から崩れ落ち、彼の亡骸を受け止めていた。

「…………」

「ん…何故貴様が拘束を…?……ヒヒッ!成る程…本命はコイツが女を救出することだったかぁ……」  

 何かを察した当主はカシモを見て、愉快に笑い始めた。

「ヒヒッヒヒッヒ!!つくづく奴隷は間抜けで助かるぅ!無駄な仲間意識!正義感!全てが己の首を締めていると何故気づかん!ヒヒッ!だから貴様らはッ!」

 方向転換し、再びハンマーを構えた先は…ミアだった。

「その奴隷の死体諸共……砕ぁけ散れぇええ!!」

「っ!!」

 風切り音と共に大振りのハンマーは、二人目掛けて、今……振り下ろされ___



_______

 

 何故人間はスクラーベを奴隷に虐げたのか。


 スクラーベが弱いから?  違う。

 スクラーベが劣っていたから?  違う。


 全てが逆だ。力も優劣も、全て勝っていたのはスクラーベであった。それを危険視したからこそ奴隷という待遇で収まり、首輪を嵌められた生を余儀なくされた。

 ___ならばその首輪を外し、解き放たれたスクラーベはどうなるのか。

 かつて恐れられ、悪魔と呼ばれたそれには…人間の立ち入る隙はない。

 これは人間の招いた結果だ。全て、全て、全て…自業自得と……結論づけるがいい。


_______


 再び響くは何かを砕いた音。硬いものと硬いものがぶつかり合い、弾けた炸裂音だ。そのぶつかり合った物の正体は…

「なっ…ナニぃ??!」

 暁の拳が当主のハンマーを破壊した音であった。

「……暁…」

 カシモを抱えた彼女は消え入りそうな声で彼の名を呼ぶ。

「……カシモと一緒に離れていてくれ……俺の…落とし前をつける」

「…うん…!」

 そう言い、彼女は部屋の隅へと俺から距離をとる。これだけ離れていれば被害が飛ぶこともない。

 そして当主は砕かれたハンマーの柄を持ち、動揺したように震え、叫んだ。

「何を…何をしたぁ!お前のようなカスが鉛のハンマーを破壊するなど…出来るはずがない!お前のような奴隷風情が!!」

 先に何も無い柄を乱雑に振り回し、男は暁へ飛びかかる。その危機とした表情からは少し前のような余裕はない。当主としての威厳もだ。

 逆に暁の頭は驚くほど冷えていた。これまでの事により壊れたわけではない。ただひたすらに当主へ向ける殺意の局地。全てがひっくり返り、冷静な思考は、スクラーベとしての本能を蘇らせていた。

『何故同じ人間がスクラーベと分けられるのか…気になって書斎で調べたことがある……それはスクラーベが持つ特殊なエネルギーの有無。体内に巡るそれはスクラーベしか持ち得ない異端のもの。しかしそれを使えば、そのエネルギーを使えば…!!』

 正中線目掛け振られた無造作な攻撃。避けるのは弾丸に撃たれた彼にさえ簡単なものだ。

『さっきと同じようにっ!!』

「なぁっ?!避けっ…ぐはっ!」

 カウンター気味に暁の拳は当主のこめかみを打ち、そのまま当主は勢いよく地面へ転がる。

「違う…でも…」

 しかし先のハンマーを破壊したような衝撃はない。何かが足りない。そう確信できるその技は、既にイメージとしては彼の中で完成していると目の奥は叫んでいた。

「ぐぁあ……ぁ?」

 膝を着き、当主は脳を働かせようと瞼を閉じたり開いたりする。だがその大きな隙が全てのターニングポイントになった。

 駆けたその体は当主目掛け一直線に拳を掲げ、全てを本能のままに解き放った。


「エネルギーの__イメージッ!!」


 稀にこの世には己のエネルギーを別のモノへと変換することが出来るスクラーベが生まれる。しかしその殆どが、それに気づかず若くして死ぬ。だが今彼の中には、それを呼び覚ます程の本能(エネルギー)が渦巻いていた。その身体を巡るエネルギーは彼の拳へ集まる。ただ集まるだけじゃない。圧縮に圧縮を重ね、何層にもなるエネルギーの層。肉眼でそれを捉えることは出来ないが、表すなら宛らボクシングのグローブ。しかし決定的にグローブと違うところが一つある。それは__硬度だった。


「__ブレイクッ_ブロォオっッ!!」

 

 当主の頬へ炸裂する渾身の打撃は、まるで爆発の如き轟音が響き渡り、ぶっ飛びながら壁を砕き激突した。

「がゃあびゃあああっあッ!!!!」

 飛ばされる最中、当主の哀れな断末魔が響き渡った。

「ハァ……ハァ…」


 スクラーベ、暁。その変換は【力】。己の打撃に自身のエネルギーを纏わせることが可能。更にエネルギーによる加速を使い、通常の数倍の威力を出せる能力。暁はスクラーベとして一つ上へと昇華したのだ。


「ぅぅ…う…イダイ……イダイぃ…なんで…なんで儂がこんなことに……あり得ん…認めん…ぞ!……奴隷如きに…この儂がぁ…!」

 瓦礫からヨロヨロと立ち上がる男。頭からは出血し、腕もあらぬ方向へと曲がっている。顎が外れたのか呂律も安定していなかった。その口からペラペラとうわ言の様に発する言葉。男は壁を伝いながら光の先へ歩いていく。

「…一発で…済むと思ってるのか…今の俺の心が…!」

 しかし、その行く先に立ち塞がる一人の男の影。身体の至る所からと血を流し、体は煤まみれとみすぼらしさを感じるその容姿。だがその眼つきはまるで悪魔そのものだった。

「ひっ……ひぃ…た、たすけっ!!」

 蛇に睨まれた蛙の如く、後退りし必死に逃げようと試みる男だったが、その背にはレンガとコンクリートで作られた強固な壁があった。

「…助けて…?…お前は…その言葉を口にした奴隷を…!一体……何人殺したッ!!」

 虐げられられた記憶。殺された友の記憶。そしてすべてを壊された…記憶。コイツだけじゃない。救えた命はあったはずだ。それへ手を伸ばさなかったのも俺だ。だから俺も償う。死ぬまで積み上げた罪を。


「地獄で永遠に供養しろ………お前が殺した奴隷達全てにッ!」


 体の底まで全てのエネルギーが拳へ流れるのが伝わる…その瞬間、拳は蒼白く輝いた。後悔も絶望も全て全て……亡き魂の為に…この拳にッ!!!



「__ブレイクブロォッ!!!」



「ガブぁッ?!ァ__  」

 俺の全身全霊の全てを乗せた拳。それは当主の頭部へめり込む様にして命中。凄まじい衝撃と破裂音が響き渡り、背の壁もろとも砕け散り、当主はその瓦礫に飲み込まれていった。その舞う土煙の中に立つ一人の男。今、この場で、暁は奴隷として解放されたのだった。


__



 外へ出た頃には、既に夜は明け、薄明かりが空を支配する。澄む空気が肺を満たし、辺りを見渡すと騒音を聞きつけて集まってきた奴隷達がいた。

「…何が……あったんですか…?」

 奴隷の一人が聞いた。当然の疑問だろう。壁の崩れる音や銃声。そしてそこから出てきたのは血まみれの俺だ。俺が逆の立場でもそう聞くはずだ。だからこそ、今その事実を教えなければならない。

「…俺達はアイツから解放された。もう奴隷として生きていく必要はない。今すぐここから離れろ」

「…それって……」  

 幾つかの間があった後、元奴隷達はザワザワと騒ぎ始めた。膝から崩れ泣く者、友と共に抱き合う者、歓声をあげる者。その光景を見て改めて実感した。


 俺達は…本当に解放されたんだ。


 でもまだやることは残っている。俺は歓喜する彼らを背に、再びあの部屋へ戻っていくのだった。


___


 未だに残る事の残影。散らばる瓦礫の手前で佇む一人の少女とそれに抱えられた少年。

「……暁…皆はどうだった…?」

 疲れ果てたような瞳を向けるミアは外への質問を投げた。

「皆喜んでいたよ。アイツから解放されたんだ。妥当だろうな」

「そっか……よかった…」

「でも…その代償は計り知れない。カシモだって…」

 抱かれる彼の名はカシモ。彼女を助けようと一人立ち上がり、奮闘し、そして散った男。 

「この子……カシモ君って言うんだ…名前も知らない子に…助けられちゃったなぁ…」

 カシモの血濡れた頭部を隠すように無地の布を被せる。痛かっただろう。怖かっただろう。辛かっただろう…。常に虐げられ、我慢してきた人間の最後でも、神様は平等に接する。そこに特別な救いは無かった。

「私達も外へ行こう。せめて埋葬してあげたいんだ…カシモ君を」

「…あぁ………そうだな」

 カシモを抱えた彼女は、おぼつかない足取りで外へ向かう。彼女も彼女で十分辛かった筈だ。それは言わずとも表情で伝わる。

 そして俺達は今度こそ、その部屋へと決別したのだった。


___


「…………」

「…………」

 屋敷の庭にある大きな木。カシモはその下に埋めた。正直この屋敷に埋めるのはどうかとも考えたが、外に彼を連れて行くのは危険だ。ならばせめて安全な敷地内に埋葬するのが俺達の出来る彼へのせめてもの弔いだった。

「………よしっ…と」

 立てた墓石の前に合掌をし、目をつむり数十秒。様々な感情入り乱れる最中、パッと目を開き、ミアは合掌を解く。

「それじゃあ…行こうか…暁」

 柔らかなその声と共に墓を背に言った。

「もういいのか…?」

「うん…彼も……ううん、カシモ君だけじゃない。皆、もうゆっくり眠りたいはずだよ。だから、これ以上私達がここにいる必要はない。…でしょ?」 

 俺の問に彼女はにこやかな表情を作った。その表情は登る朝日に照らされ、綺羅びやかに彩られる。

「そうかもな」

 淡白な返事に少しムッとする彼女だったが、すぐさまそっぽを向き、屋敷の門へと足を進めた。

「あ、そうだ…」

 何かを思い出したように彼女は口を開く。そして一呼吸置き、決心したように目線を俺に合わせた。

「……ありがとう暁。助けに来てくれて」

「ん…?……あ…!」

 一瞬何のことか分からなかったが、すぐに思い出す。カシモの埋葬ですっかり忘れていた。

「ふふっ、何?もう忘れちゃってたの?」

「いやそういう訳じゃ…」

 必死に言い訳しようとするが言葉が詰まり、諦める。

「はぁ…別に礼を言われたくて助けたわけじゃねぇよ。お前は俺を助けた……見返りもなく。それに感化されたってだけだよ」

 むず痒さを押し殺し、頭を掻きながら言う。しかしその俺の表情を見た彼女は、見透かすように笑った。

「そう…よかった…」

「何がだよ」

 何処か安心したような口ぶりの彼女に違和感を覚え、すかさず聞き返す。

「………私さ、嫌われたんだって思ってたんだ」

「嫌われた…?」

 彼女はコクリと弱々しく頷いた。

「なんで頼らないのかって…私、暁の…スクラーベのことを甘く考えすぎてた。その言葉が貴方をきっと傷つけた……ごめんなさい」

 それは数週間前の記憶。俺がミアが距離を取り、自分に言い訳を続けていたときの日。

「……謝るのはミアじゃない…」

「え…?」

 彼女に向き合い、俺は腰から深く頭を下げた。突き放したのも俺、認めなかったのも俺、全ては俺なのに彼女は俺を責めるどころか謝罪をしたのだ。

「ミアは何も間違ってなかったんだ。間違っていたのは俺だ。周りがどうこうじゃない…自分が何をしたいかだったんだ……それを俺は自分で否定して閉じ込めていた。……ごめん…ミア」

 頭を下げる俺を彼女は唖然とした様子で見、しばらくしてふふっ…と笑い出した。

「な、なんだよ…?」

「いや…すれ違いだったんだなって…私達。もう少し話し合ってれば、すぐに分かり和えたっていうのに……お互い変に勘違いしてたんだね」

 顔を上げると、彼女は俺の手を奪うように握った。

「ねぇ暁…ここ出たらなにしよっか?私達、もう自由なんだよ?したいことしなきゃ!」

「切り替えが早いな…でもまぁお前らしいか」

 希望に満ち満ちるその笑顔に、思わずこちらも頬が緩む。

「それで…何かしたいこと、ないの?」

「したいことか……」

 改めて考えると、具体的なものは何もなかった。無限にも感じた奴隷生活。その終わりの先なんてのは考えていなかった。常に薄暗く、死が間近にあり、生きた心地のしなかった人生。眼前に広がる茂った木々を眺め、耳を澄ました。すると、これまで聞こえなかったような済んだ林の音が穏やかに流れる。雲が晴れ始めた空と心に、心地よさを初めて覚えた。

「とりあえず静かなところに行きたいな。丁度今みたいな鳥のさえずりしか聞こえないよう……な……」

 俺は何か違和感に気がつく。

「どうしたの?」

 外へ向けていた視線を再び屋敷へと移すと、まるで無人の廃れた廃屋のようなガランとした印象を不思議と受けた。

「いや……そういえば、異様に静かだなって……あんだけ奴隷が居たんだ…こんなに静かなことってあるか…?」

「確かに……それに…皆の姿も見えないし…皆もう外に行っちゃったのかな?」

 この屋敷には両手で数えても足りない程の奴隷たちがいた。さっき音を聞きつけ来た奴隷はこの屋敷のほんの僅かだ。まだ事態に気がついていない奴隷も居るはずと考えていたが…。

「だとしてもこれは…」


__んだよ…まだいたかぁ?相変わらず虫みてぇにウジャウジャ群れてんなぁ?


「「っ?!」」

 環境音のみの空間を切り裂く声に反射的に二人はその方向へと視線を向ける。登り始めた太陽を後光に輪郭を浮かべ、屋敷の屋根に立つ男の影。

「ヒャヒャッ!たかがはぐれ貴族の奴隷反乱程度で俺様を駆り出したんだ、臨時収入ぐらいあってもいいと思わねぇかぁ?なぁ奴隷さんよぉ?」

「……誰…?」 

 身なりも、声も、何もかも分からないまま情報として俺達へと入ってくる。

 俺も、ミアも、一歩、また一歩と意識せずとも体が勝手に後退していく。背中に流れる嫌な汗。その原因は眼の前の人間から感じる、感じたことのない異様な圧。その異様なものを表現する言葉を俺は持ち合わせていない。

「スクラーベに名乗る名は残念ながら持ち合わせてねぇんでな。とりあえず何も分からぬまま死んどけよッ!」

 光の反射により、一瞬男の手元がキラリと光る。本能で理解した。何かやばい…!と。

「キャッ!?」

「ッ!ミア!こっちに!」

 一瞬で耳を支配した圧倒的爆発音。それは当主の持っていた拳銃を撃つときと同じ音。しかしその数が違った。とめどなく続く爆音の嵐。その正体が分からないまま、足元に舞う砂埃をかき分け、門の石柱へと身を隠した。

「ヒャヒャヒャッ!!めんどくせーから避けてんじゃねぇよぉ!」

 石柱に当たり、砕ける弾丸。それと同時に石柱からも石粉が飛び散る。

「あ…アイツ…なんだ…?奴隷反乱って…」

 突然の事に、若干パニックを起こしていた俺は、呼吸を落ち着かせ状況を整理した。男の言っていた『奴隷の反乱で駆り出された』という言葉。ストレートに解釈するのならば、当主へ行った行為が既に外の誰かに報告され、統制しにきたということになるが…まだあまりにも状況が読めない。

 すると、唐突に弾丸の雨は止み、ドスッ…と力強く地を踏みしめた音が聞こえた。男が屋根から降りた音だ。

「おいおい隠れてちゃ当たんねぇだろ?顔見せろって…お仲間さんと同じとこに送ってやるからよぉ?」

 その言葉に俺もミアも言葉を失い、思考を止めさせた。そして男の言葉を復唱し必死にその言葉を理解しようと試みる。

「…な…仲間…?」

「ね…ねぇ…仲間って…」

「あ?…ヒャヒャッ!見せたほうが速えよ」

 今度は何かを地面に放り投げた様な音がした。まるでズタ袋を乱雑に落としたような音。正体を確かめる為、慎重に顔を柱から覗かせた。その瞬間、意図せず俺の目は目一杯開き、その光景を直視してしまった。

「ッ____ッ_」

 地面で蠢き、声にならない声を必死に漏らすその正体は…奴隷の一人。しかしそれは俺の知っている形をしていなかった。

「喉を潰して、手足を 落とし、目を潰した。一つはサンプルを持って帰るのが俺様のミッションなんでな」

 眼の前の奴隷からは絶えず血が流れているが、弱々しくも動き続けている。生きるか死ぬかの境で生かされ続けていた。命の尊厳すら奪われて。

「酷い……!」

「っ!」

 俺は理解した。俺達は解放なんてされていなかったと。俺が壊した壁は無数に存在する多層の壁の一つに過ぎなかったんだ。この世という存在が、奴隷を使役しているんだ…。

「まぁでも活きの良いのがまだいるみてぇだし、こいつは用済みだな」

 そう言うと男は、躊躇いなく地面の奴隷に発砲した。迷いなく、ひたすら冷酷に。

「ここの当主もアホだぜ…んで門開けっ放しにしてんだよ。そりゃ脱走考えるやつだって絶えねぇよな……おっ?」

「…」

 無意識だった。無意識に俺の足はゆっくりと男の眼の前に向かっていた。

「ヒャヒャッ…なんだ?的になりに来たか?」

 男が再び銃を向ける。

「なんで奴隷を殺した…!」

「あ?」

「なんであいつ等は…俺達は救われない…!お前等に何をした?!手籠めにして、殺して……そんなにするほど憎いのか!」

 地位も権力も求めていないスクラーベ。ただ自由を求めただけなのに、この世は向けられた銃身のように冷酷だった。

「ヒャヒャッ!そうムキになるなって!言っただろ?何も考えなくていいってよぉ!?」

「暁ッ!!」

「っ…!」  

 気づくと俺の体は前のめりに駆けていた。

「突っ込んでくるか?そんなヒョロっちい体で何が出来るってぇ!?」

「…!」

 火を吹く銃から飛び出す瞬速の鉛が2発…3発と体を貫く。そしてその1つは俺の頬を掠め、皮膚を大きく抉った。それでも、足は止まらなかった。

『コイツ……撃たれてんのによろけねえ…?!』

 痛む体に鞭を打つのは慣れている。当主との戦いで受けた傷も、撃たれた箇所も、痛くも痒くもない。殺されたあいつらに比べたら…!

「ブレイクッ…!」

 俺はエネルギーを、右手に凝縮させる。

『今こいつは油断している…直撃なら再起不能にできる!』

 男との距離は数メートル。地を駆ける足は空中へ舞う。そしてその落下の軌道は真っ直ぐに男へ向かった。男の避ける動きは間に合わなかった。

「ッブロォオッ!!!」

 明確な直撃コース。そのラインに置かれたのは男の片手による脆弱な守り。その最低限の守りではこの拳は…間違いなく届く…!

「なっ…?!」 

 弾けるエネルギーの衝突。それは当主へ決めた際と同様のもの。しかし一つ決定的な違いがあった。俺の拳は、男の片手にあっさりと受け止められていたことだった。

「っ!オメェ変換の会得をしてやがるタイプかよ!めんどくせーな!」

「効かない…?!」

 まるで攻撃は効いていなかった。威力も、タイミングも、当主へ打ったものよりも更に完璧だと体感で感じていた。しかし顔色一つ変えずに男は俺の拳を掴み上げた。

「たりメェだろぉ!んなもんエネルギー無くたって…!」

 ぐっ…と体は男の方へと引き寄せられる。そしてその引っ張られた勢いの先にあったものは大きく振りかぶっていた男の拳だ。

「出来んだよぉッ!」

「がぶっぁ…!!?」

 

「暁っ!」

 ミアの叫びが耳を劈く。腹にノーガードで喰らった男の拳は、抉るような角度から腹を貫かんばかりの破壊力だった。殴った勢いで体は宙を舞い、乱雑に地面へと落下する。

「かはっ…ゲホッ!」

 痛みに堪らず胃の中のものをぶちまける。引かない痛みに立つことすらままならない。それはこの奴隷生活での、どの経験よりも痛かった。

『重い…当主の蹴りとかと比較にならないほど……そもそもの拳のポテンシャルが…果てしなく違う…!』

「お前、俺んこと舐め過ぎ。これだから外界を遮断された奴隷共は………あ?」

 殴り飛ばされた俺へと歩み寄る足音。そしてそれを遮るように、何者かが間に割り行った。

「…これ以上、彼を傷つけないで……私が相手になる…!」

 その正体はミアだった。

「望愛っ…やめろ!」

 両の手を広げ、庇うように男を睨んでいる。しかし彼女の足は小さく震えていた。もし俺と彼女が束になって男に挑んでも、今の俺らじゃ敵わない。それはさっきの攻撃で嫌でも理解してしまっていた。しかし彼女はそれを理解しながら、男へ向かっていた。

「んだぁ?ヒャヒャッ奴隷同士の庇い合いか!んなもん見飽きてんだよお!!」

 キラリと男の右手に輝く折り畳みナイフ。不気味な笑い声と共にその凶刃は容赦なく振られた。

「やめろぉッ!!」

「っ!!____



 

「………?」

「__まさかこちらより先にASUが来ているなんて…想定外だ」

 突如眼の前に現れたヒラリとはためく半透明の黄色い羽根。何処か落ち着くそれが、俺とミアを包むようにしてナイフからの攻撃を退けた。

「あ?テメェは…」

 ナイフを受け止められた男は機嫌が悪そうに羽の正体へと睨みを効かせた。

「これ…は…?」

 その羽に触れると感じる人の温もり。そして聞き覚えのない穏やかな声が俺達にかかった。

「安心して下さい。僕たちは味方です。貴方と同じスクラーベの」

 花が咲くように、包んでいた羽は大きく、優雅に広がる。その中心から姿を見せたのは、髪を結った気品の高い男だった。

「思い出したぜ!テメェは“フライハイト“の羽付き野郎だ!前の現場で酒鬼薔薇が文句言ってたぜぇ。テメェのせいで上からどやされたってなあ?」

「そんな餃子みたいな愛称つけないで下さいよ…」

 耳からどんどんと入ってくる未知の情報。俺とミアはこの状況に何一つついていけていなかった。しかし一つ分かっていたのは、神はまだ俺達を見捨てていなかったということだった。

「いい機会だ丁度いい…!…テメェの口から直接フライハイトの情報抜いたらぁ!!」

 男は再び手に持つナイフを構え、声を荒げながら突進してくる。しかし男は凛としたまま立ち、冷静に自分の耳へ不思議なジェスチャーを行った。

「…その前に…耳、塞いだ方がいいですよ♪」

「あ?んな子供騙しに…!」

 ナイフを持った男は聞く耳を持たず駆ける。反対にその言葉とジェスチャーに俺とミアは咄嗟に耳を塞いだ。何が起こるか検討もつかないが、その行動をした俺達を見た彼は、ニコリと頷いた。そして次の瞬間、それが正解の行動だと即座に理解した。


___パァンッ!!


 突如、背後から轟く爆音と衝撃波が俺等を襲い、思わず息が止まる。塞いでいる筈の耳をも貫通するような破裂音に近いそれは、さっきの銃声なんか比にならないものだった。

「ぅあ?!耳がぁ!」

 ナイフを持つ男、彼はこの轟音が鳴った最中耳へ何も対策をしていなかった。今の音を直に喰らってしまったのだろう。耳を抑え、カランとナイフを落としてその場にしゃがみ込んだ。

「っ…凄い音…!」

 キーン…と、鳴り止んだ余韻が残り続ける。段々と耳が落ち着き、回復仕掛けてる中、草木を踏みしめる一つの足音が後ろから、こちらにゆっくりと近づいてくるのに気がつく。

「翼、今のうちに二人を。私は舞と後から戻るから」

 ひらりと靡くシルクのような白い髪。黒いスーツと足まで長く伸びた羽織物。丸い眼鏡を付け、整った顔立ちをした女性だった。

「……え?あ、あぁちょっと待ってください。耳栓外すので……はい!それで何を…?」

「…二人をよろしくってだけよ」

 二人は親密そうに会話する。俺等はまるで置いてけぼりだ。ぽかんと状況を傍観するしか出来ていなかった。

「了解!二人共、手放さないでくださいよ〜!」  

 朗らかに返事をした男は俺とミアの手をキュッと握り、顔を揃えて頭にハテナが浮かぶ。もはや傷の痛みすら忘れる程に。

「それってどういう…」

 痺れを切らしたミアが、男に問いを投げかける。その時だった…。

「とうっ__!」


 男の掛け声と共に、身体は空へと飛び上がった。


「「_ぇ?!」」

 思わず気の抜けた驚き声と共に目を見開く。一瞬にして地面は遥か遠くになり、視界を下げたそこには、屋敷の屋根を小さく写っていた。

「と…飛んでる!!?」

「気を付けて下さいよ!掴まってないと落っこちますからぁ〜」

 男の背に生えた大きな翼は、風を切り優雅に羽ばたく。そして気がつくと屋敷の前の林を抜け、山道へ沿って進んでいた。その速度は歩きとは比べ物にならない程の速さだ。

「これって…助かったの…かな?」

「た…多分……な………」

「……暁…?」

 男の手を掴みながら、同じく運ばれるミアは不安そうに俺の方を見た。その時、ぐらりと揺れる視界。よく見ると、撃たれた際出来た傷口から血液が垂れ続け、足先を伝って地面へと赤い雨を降らす。凄まじい目眩に襲われたかと思うと、全身の力が抜け、男の手を掴む手が気づくと空を掴んでいた。

「暁ッ!」

「まずっ…?!」

 体の落下する感覚と共に意識は段々と暗く沈んでいく。この高さから落ちたら流石に死ぬ…幾ら体が頑丈だからといって無理を効かせすぎたかもしれない。

 閉じていく視界、最後に写ったものは、手を伸ばす望愛の姿だった。

始めまして。趣味で書いて置いておいた駄作です。どうしても誰かに見て、評価してもらいたかったので投稿させていただきました。高評でしたら続きを書くかもしれません。構想はあります。暇つぶし程度に流し見してもらえたら光栄です。

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