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ナレ死令嬢はかませイキリ悪役令息を軌道修正してハッピーエンドを目指したい

作者: 小坂菜南
掲載日:2025/11/14

 さわやかな風が吹く初秋の昼下がり。

 王都の東、所領地より離れて王宮に出仕する貴族たちのための屋敷が立ち並ぶ閑静な市街地。

 その中にあって、大きさこそ他の屋敷に比べればいささか控えめではあるが、手入れの行き届いた居心地の良さそうな邸宅。

 白い塀の内側、季節の花々で整えられた庭の東屋にしつらえたチェアに腰掛け、優雅にティーカップを傾けていたマリーシアの耳に、うろたえた様子の話し声と怒鳴り声が風に乗って届いた。

「いらしたわね」

 ソーサーにカップを戻し、深呼吸をひとつ。

 慌てる必要は無い。予測していた訪問である。

 必死に引き留めようと追いすがる使用人たちが可哀想なので、彼らには後でなんらかの詫びと労いを与えること、と脳内に書き留めておく。


 来るならば、いらっしゃい。さあさあさあ!


 このマリーシア・ノイゲバウアー侯爵令嬢は逃げも隠れもいたしません。憩いのティータイムを続行するのみ。


 やがて、荒い足音が近付き——丁寧に刈り込んだ生垣の間から、背の高い少年が現れた。

 マリーシアは悠然と腰掛けたまま、紅茶のカップを軽く持ち上げてにこりと微笑んだ。

「ごきげんよう、ディオニス様」

「どういうつもりだ、マリーシア!」

 挨拶抜きで怒鳴りつけてくる憤怒の形相とは裏腹に、さらりと風になびく煌めく濃い金髪、夕焼けのような茜色の瞳はマリーシアの心をときめかせる色合いだ。


 ディオニス様ったら、そんなに怒ってばかりいたら血管が切れるのではないかしら……。


 などと呑気な感想を抱きつつ、マリーシアは軽く首を傾げた。

「どう……と、おっしゃられましても。どのことでございましょうか」

「とぼけるな! 貴様、フォルクハルト様に色目を使ってたぶらかしたそうではないか!! なんといういやらしい女だ、僕の婚約者である自覚はないのか!」

 庭園に響き渡るちょっと巻き舌気味の罵声に、マリーシアは瞳を細めた。


—— あぁーハイハイ、そういう話ね。


 OK、OK、と、令嬢らしからぬ冷めた思考が走る。

—— 『フォルクハルト様』ってアレでしょ? こいつに王位を渡したら国が滅ぶんじゃね?って悪評たちまくりのアホの第二王子様でしょ?


—— なんやら口説き文句らしきこと言いながらにじりよってきて手を握ろうとしてきたので、アッちょっと急用を思い出しましたワァー!と叫んで全速力でその場を逃げ出しましたが、アレを根に持たれてたってわけか?


—— で、アホ王子の側近候補のディオニス様は、アホがあることないこと言いたい放題したのを鵜呑みにしたってことね。なーるほどね。


 と、マリーシアの脳内で情報整理と状況推理が粛々と進む間も、ディオニスは何やらキャンキャン吠え続けている。

 曰く、ナントカ卿もお前の下品な振る舞いにうんざりしていたとか、ダレヤラ卿の侍女が町中でお前を見かけたが男を侍らせて偉そうに振る舞っていたそうだなとか、僕の名前をかさにきてナニガシ令嬢にくだらぬ嫌がらせをしていると聞いたぞーとかなんとかどうとか。

 名前が出た連中はどいつもこいつもアホ王子のお取り巻きである。寄り集まってはその場にいない者の悪口で盛り上がる人間達に下品だ何だと言われたくない。

 男を侍らせて偉そうに……は当たり前だ。男たちはマリーシアの家の使用人と護衛たちである。雇い主が使用人に傅いていたら何が起きたかと思うところ。

 もうひとつ言わせてもらえば、マリーシアは護衛の者たちからはお嬢様は物腰が穏やかで対応しやすい、と褒められている。

 護衛を引き連れて歩いている程度で「偉そうに」見える、というのは妬みからきた言いがかりだとしか言えない。

 他も然り。

 長年の付き合いがあるマリーシアを信じず、そんな誹謗中傷をあっさり刷り込まれてしまうディオニスの頭の浅さ、軽さときたら。


—— これで顔が好みではなければ五、六発殴ってさしあげるのですけど。


 あいにくというか、不幸中の幸いというか、ディオニスはマリーシアが好む容姿をしている。

 いやもう、好むどころの騒ぎじゃない。

 大大大大大好物だ。

 マリーシアより一つ年上の十四歳、年回りと家柄だけで親同士が決めた婚約とはいえ、初回一発大当たりを引いたと喜びを噛み締めながら神に感謝したほどである。


 とはいえ、世の中の誰もがディオニスを美少年だと認めるかといえば、そんなことはあるまいと断言できる。


 まず、少々どころではなく目つきがきつい。神経質そうに釣り上がった眉毛も意地悪そうな印象に拍車をかけている。

 やけに尖った犬歯を剥き出しにした恫喝の表情を浮かべている時など、貴族令息というよりは街のチンピラに近い空気を漂わせる。だが、悪人顔というだけで顔立ちそのものは整っているし、三白眼と牙はマリーシアにとってご褒美要素でしかない。

 こうして怒っている時、絞られた瞳孔の周りに金砂が散りばめられたような輝きが見えるのも好きだ。怒鳴られるのは嫌だし悲しいけれど、これを見られるのは大いに慰めになる。

 などと見惚れているうちに、ディオニスは喚き疲れたのか肩で息をしながら黙ってくれた。

 マリーシアは深い深いため息を吐き、一口飲んだ紅茶をそっと置いた。

 ディオニスが再び何やら言い出そうとするタイミングで腹の底から低い声を出す。

「ここはノイゲバウアー侯爵邸でしてよ? すこし静かになさって、わたくしの声に耳を傾けてくださらないかしら、ディオニス・マルケス・ベールンゼン様。それとも、ベールンゼン伯爵の次男殿とお呼びした方がよろしくて?」


 あのな、お前の伯爵家よりウチの侯爵家の方が貴族の序列は上なの。挨拶抜きで言いたい放題怒鳴り散らすのが伯爵家の流儀か?おぉん?


 それになんだ?このわたくしがお前の名前をかさに着て令嬢イビリをしただと?ふざけないでほしい。


 それはお前の所業だろうが。


 わたくしの婚約者であることを鼻にかけて、同列である伯爵家のご子息たちにマウント取ってるのは知ってんだよ。仮にわたくしが令嬢イビリやるなら自分ちの名前使ってやるわ。やらんけど。

 だいたい伯爵の息子、というだけでお前自身はまだ何者でもないんだからかさに着るもなんもないわ、どういう思考回路してたらそこまで図々しくなれるんだ?

 親御さんはまともな良識持ち合わせてるのになんでそうなった?


 あのアホか?アホ王子のアホが伝染したのか?

 あいつマッッッジ許せねえ。


 などとはあからさまに口にはしない。

 しないが、こっちが上の立場ということはわかってるんだろうな……と、冷めた目線で強めの圧をかける。

「なっ……」

 怯んだところで追撃だ。分をわきまえろ、小僧。

 悔しげな表情がちょっとくらい可愛い、いや、かなり可愛い!しんぼうたまらん!!からと言ってここで手心をくわえるマリーシアではない。

 このマリーシア、そんじょそこらの清楚可憐な貴族令嬢とはモノが違う。

「あなたこそ、わたくしの婚約者という自覚をお持ちでいらっしゃらないのね。どなたが、わたくしが色目を使ったなどと失礼千万なことをおっしゃったの?」

「誰、って……皆だ!」

「皆? というと、フォルクハルト殿下のお取り巻きの皆さん、という解釈でよろしいのかしら?」

「そ、そうだ。立派な方々だぞ」

 ディオニスはそのお取り巻き達が自分の味方であるかのように、胸を張る。


—— 本当に、考え足らずでお可愛らしい坊やですこと。


 マリーシアはフッ、と短い息を吐いた。

 これから告げることはディオニスにとっては残酷な真実だが、未来のためには避けて通れない。

「それを、あなたは、黙ったまま、聞いていらしたの?」

 一言ずつ区切り、強調する。

「なにひとつ本当のことではないのに? 『お前は婚約者ひとりすら繋ぎ止めておけない、つまらん男だ』と馬鹿にされていることにもまるで気付かずに?」

「そんなことは……」

「あるのです。あなたの耳に悪い噂を吹き込む者には必ず悪意がある。それが貴族社会だと、お父様に教わってこられたでしょう?」

 ぐっ、と喉の奥に息を詰まらせるディオニスを横目に、マリーシアはわざとらしく目元を拭って見せた。

「あぁ、悲しいわ……わたくしの可愛いディオニス様があんなくだらない方々に、そのようにあなどられているなんて……」

—— あっやべ、可愛いって言っちゃった。

 生意気で高飛車な三白眼少年はかわいいので仕方ない。

「なっ、きっ」

「ディオニス様……」

 何を言う貴様、とでも言う気だったのか。顔を赤くして怒鳴りかけるディオニスを制して潤んだ目で見つめ、涙を堪えて微笑むような表情を浮かべてやる。

「わたくし、あなたのお辛いお立場はよぉくわかっておりますのよ」

 健気な女の涙を武器にしてディオニスをひるませつつ、たたみかける。

「フォルクハルト殿下のお友達の機嫌を損ねたら、ベールンゼン家に傷がつくかもしれない。ディオニス様はそう考えて、どんな侮辱を受けようともあえて黙っておられたのよね?」

 貴族としては常識の範囲の話だ。

 貴族でなく商売人だとしても、取引先のバカ息子の気を悪くしたらパパ様にあることないこと言って取り引き潰すかもなぁ?と危惧くらいするだろう。


 実に、しょーもないハナシではあるのだが。


 呆れを隠しつつ、うつむいてさらに悲しげな雰囲気を作る。

「でも……事実無根の讒言を受けたわたくしと、ノイゲバウアー侯爵家の名誉のことはお考えくださらなかったのかしら……。あっ、ごめんなさい。わたくしごときがディオニス様の深遠なお考えを斟酌してはならなかったわね。それが、あなたの婚約者の自覚というものですものね」

 遠い目をして、涙を一粒こぼす。我ながら器用である。

「そ、そのようなごまかしはやめろ! フォルクハルト様は……」

「エストライヒ公爵家の夜会でのことでしたら、公爵家のご息女ロスマリア様と、わたくしのお兄様が身の証を立ててくださいますわ。どこの第二王子殿下とは申しませんが、酒に酔った不届きな紳士が、わたくしが貴方の婚約者であると知りながら不埒な抱擁をしようとなさってきたので、振り払って、走って逃げましたの」

 これが、パーティー逃亡事件の全てだ。

 アホ王子のアホたる所以は、テラスに呼び出されたマリーシアが、『第二王子殿下に呼び出されたの。ご挨拶の時にご機嫌を損ねてしまったのかしら。怖いわ……』と、兄と、友人である公爵令嬢にそれとなく見守るよう頼み込んでいたことにまるで気付かず、ナンパからのセクハラをブチかましたことである。

 その上で、マリーシアにフラれた腹いせでないことないことデッチ上げ、お取り巻きにも追従させたことで『第二王子は中立派であるノイゲバウアー侯爵家を公然と貶め、敵対の意を示した』『夜会の主催者たるエストライヒ公爵家の面目も傷付けた』と見做される行為をした、というのは自ら王位継承権を遠ざける愚行といえる。


 愚かといえばディオニスもだ。


 ディオニスの実家、ベールンゼン家は第二王子の母たる正妃の実家との政治的な繋がりがあり、どちらかといえば第二王子派。

 ゆえにディオニスはアホの側近候補なのだが、今回の件に関しては本当に家のことを考えるのならば、マリーシアを責め立てるのではなく、アホがアホを言い出した時に穏便に軟着陸させるべきだった。


 我が婚約者がそのようなことを!?それは誤解でございましょう、ワタクシが言うのもなんですが彼女には少々抜けたところがございましてねぇ、己の振る舞いが男性に対して思わせぶりになっている自覚がございませんで!ワタクシから見れば無邪気で可愛い所なのですがいつまでも子供っぽいというかなんというか、まさか殿下にご迷惑をおかけしてしまうとはイヤーまったくもってお恥ずかしい、殿下におかれましてはご不快の念を抱かれたとのこと、ワタクシからそれはもうキツく申し付けて、その気が一切ないのに誤解されてしまう言動で人を惑わせたりせずワタクシの未来の妻として誰から見ても貞淑なレディとして振る舞うようにと教育しておきますので!今回の件はなにとぞ、ワタクシの顔に免じてご寛恕いただいて、今後はこのようなことが云々。


 などと、その場では多少どころでなくマリーシアを下げることになろうとも『ウチの不出来な愚妻がシツレイしましたねぇ!』『我がベールンゼン家の忠義に免じてくださいよぉ!』節でうまいことなだめて丸く収めるべきだったのだ。

 なお、どこまでも腰を低くした姿勢で、アホ殿下に責任はない、あくまでマリーシアが勘違いさせるような言動を取っただけ……とヨイショつつ『こっちは誘惑なんかしてない、手を出そうとしたのはお前の方』『お前に脈はない』『俺の女に二度と手を出すな』という主張をさらっと織り交ぜておくことが最大のポイントである。

 十四歳の貴族少年にそんな下っ端サラリーマンの処世術を求めるのは酷と言われても、できるようになってもらわねば困る。


 やらなきゃ死ぬのだ。文字通りの意味で。


 なんせ、マリーシアには前世の記憶が、そして、この世界の未来に何が起きるかの知識がある。


 この世界は前世でプレイしていたあのゲームの……と、遠い記憶に思いを馳せるべき場面ではないので、今はディオニスへの『教育』を優先する。

「殿方のお手を振り払い走り去るなど、たしかに『はしたない』振る舞いであったかもしれませんが……それとも、貴方の栄達のために、愛してもいない男に身を許すのが婚約者の務めであるとおっしゃるの?」

 瞳を潤ませ、愛らしく小首を傾げて問えば、ディオニスは目に見えてひるんだ。


 枕営業しろってことか?と婚約者に詰められたのだ。いろいろと考えが足りない男子とはいえ、思春期の少年の罪悪感を刺激するには十分だろう。


 マリーシアはまだ十三歳、ディオニスとの口付けさえ経験していないまっさらな身だぞ?

 正気か?


 そんな思いを込めてまっすぐに見つめ続ければ、ディオニスはますますひるむ。

「そ、そうだと、言ったら……?」

「おじさまに全てをお話しさせていただきます。婚約のお話は白紙に戻しましょう。わたくしの口から事情をつまびらかに広める気はありませんが、家の名誉にも関わりますのでお父様はそうではないでしょうね。わたくし、隣国の侯爵家からも縁談が来ておりますのでそちらを——」

 テメェの親に言いつけてやんぞ、ほんでテメェの有責で別れて、社交界に何もかもぶちまけてやりましょうか?と脅せばさっと顔色が変わった。

 態度が大きいくせに小物なのだ、この子は。

「言うわけがないだろう! 僕以外の男とキ、キ、キスなどするな! あばずr」

「は?」


 令嬢にあるまじきドス低音の「は?」が出た。


「いま、なんとおっしゃいまして? わたくし突然、耳の聞こえが悪くなりましたがまさかよもや婚約者に向かって嬉し恥ずかしふしだら淫らな夜の助平なお姉さん呼ばわりをしたわけではございませんわよね?」

「そこまで言ってない! なんだそのおかしな言葉は!」

「伯爵子息が貞淑な女性に向かって盛りのついた雌犬(ビッチ)呼ばわりするよりはよほど上品ですわ」

「聞こえてるじゃないか! いや本当にそこまでは言っていない!」

 十三歳のお淑やかな令嬢の口から出たとんでもない下賎の罵倒に、ディオニスの顔が青くなる。

 イキッてはいても根がボンボンなのだ。

「言った言わないではなく。先に、何かわたくしに言わねばならぬことがあるでしょう。ねえ、ご子息様?」

「……悪、かった」

「聞こえませんわ」

「ごめん! ……マリーシアが、僕よりもフォルクハルト様を好きになったのかと、思って、頭に血がのぼった……」

 ぼそぼそと言い訳をするディオニスは、顔どころか耳と首まで赤くしている。


—— あらまぁ、かわいい。


 眉尻を下げ、三白眼の瞼を伏せるとそこに現れるのは生来の顔の良さを全面に発揮するただの美少年である。

 しかも、ツンギレ坊やなディオニスには貴重な盛大なデレ。

 もしマリーシアがカメラを持っていたなら連写する、いや、ムービーにして無限再生確定である。


—— ああ〜、ディオニスたそのしょんぼり顔たまりませんな〜! この顔を肴に酒が進みますわぁ! まぁマリーシアが飲むのは紅茶なんですけどもね、フィヒヒ!


 内心では盛大にニヤつき、内なるオタクを野放しにした怪文書を垂れ流しながら、マリーシアは表面上はどこまでも優雅に微笑んだ。

「まあ、ディオニス様。わたくしは初めてお目にかかったあの日から、ディオニス様ただひとりをお慕いしておりますと、いつも申し上げているでしょう? もし、わたくしの心をお疑いなら……そうね、わたくしの行動を監視する魔道具でもお使いになったらいかがかしら」

 標的の位置と音声を所有者に伝える魔法を込めた便利な道具は実際に存在する。

 二十一世紀の日本ではGPS付き盗聴器といったところか。ちなみに映像記録……カメラ付きもあるが、さすがに恥ずかしいので遠慮したい。

 魔道具の提案は嫌味なのか、と問いたげなディオニスの目線に、恥じらった風情の眼差しを返す。

「ディオニス様がわたくしを昼も夜も気にかけてくださるなら……まるで、あなたの愛に包まれているように思えるでしょうね」

「いや……そこまではさすがに、しない」

 ディオニスは頬を引き攣らせ、一歩後退した。


—— おっと、これはさすがにヤンデレ彼女っぽくて引いたか。失敗失敗。


 ディオニスのドン引きに動じることなく、マリーシアは「お疑いは晴れまして? でしたら良かった。わたくしに二心はない、と改めて覚え置きくださいませ」とやや強引に話を片付けた。

「わかった。……そうだな、おまえは僕に惚れ込んでいるんだからな。フォルクハルト様よりこの僕の方が上等な男だと思っているんだものな!」

 転んでもただでは起きないイキリ精神。先ほどいじめすぎたことだし、ここはおだてて調子に乗らせてあげよう。

 と、マリーシアはディオニスの得意顔をほのぼのと愛てまた。

「この世のどんな方より素敵だと思っておりますわ。わたくしのお兄様とお父様、ベールンゼンのおじ様は除きますけど」

 さらりと付け加えた身内贔屓にむぅ、と口を尖らせる素直さは愛らしいが……隙がありすぎて、これはあのアホ王子と取り巻きに良いように利用されますよねーと頭の奥が痛くなってくる。

 やはり、アホ王子を持ち上げつつ自分に被害が及ばぬよう器用に立ち回る、なんてディオニスには無理だ。

 根本的に人に流されやすい、チョロい少年である。そこがかわいいのだが、このままでは身の破滅を招く。


 だって、ディオニスはゲーム序盤のやられ役なのだ。


 マリーシアは、前世はしがないアラサーOLの『茉莉花』であったことを思い出し、この世界は自分がプレイしていたゲームに酷似していることに気付いたのは今からちょうど一年前。

 婚約者となったディオニスとの初めての顔合わせを済ませた直後である。


 両親に連れられて緊張しながら挨拶を済ませ、親同士の四方山話のあいだ、しばらく若い者同士で親睦を深めるように、とお茶のテーブルに案内されて二人きりになったとたん、ディオニスはクソガキの本性を現した。

 三白眼でねめつけながら「オマエ、家柄をハナにかけて威張ったりするなよ。オマエはボクの妻になるんだから、ボクの言うことはなんでも聞くべきなんだ。いいな」と言い放つ傲岸不遜さときたらたいしたものだった。

 ディオニスが言う通り、マリーシアが権威主義の侯爵令嬢であれば広げた扇の向こうから軽蔑しきった一瞥を送り、無言で立ち上がって両親に侮辱を受けたと告げ口しにいくか、平手打ちのひとつもしていたところだ。

 しかし、マリーシアが覚えたのは怒りでも悲しみでもなく、胸が熱くなるときめきだった。


『なんて……なんて萌える生意気おショタ様なのかしら! さすがディオニスたん十三歳、さすディオ〜!』


 それまでのマリーシアの人生にはなかった語彙が頭の中を駆け抜け、ワタクシはいま一体何を?と混乱したのも数秒。


『これ! 「グロめ」だわ!?』


 マリーシアは、百花繚乱のギャルゲーがゲーム市場を賑わせた平成の世にあって、日本のみならず海外にも熱烈なファンを獲得し、アニメ化も果たした名作「グローリアの花冠を抱く乙女」——略してグロめの舞台に生きているのだと、突然、実感した。

(ちなみにグロめ呼ばわりしているのは治安の悪いインターネットに生息するプレイヤーだけで、公式略称は『グローリア花乙女』である……長いんだもん、そりゃグロめになるよ……と、茉莉花は思っていた。)


 繰り返そう。

 ギャルゲー。可愛い女の子がたくさん出てきて、男主人公とキャッキャウフフで健全な、時にはちょっぴり不健全なお色気も満載のアレだ。

 といっても、「グロめ」というファン謹製のろくでもない略称が決して過ちではないほどに、ストーリーはなかなかにハードだった。


 主人公はおおやけには存在しないはずの第三王子、ウルフリード。

 アホ王子フォルクハルトとは二卵性のあまり似ていない双子である。

 王家に生まれる双子は国土を分つという不吉な言い伝えから、死産であったということにして密かに殺されかけたところ、実行役の騎士に哀れまれて救われる。

 そして、娘を亡くしたばかりの騎士の妹に、我が子として育てるようにと預けられる。

 ここまでは人情噺なのだが、養母がアカンやつだった。

 不幸にして、二度の流産の末にようやく授かった最愛の娘を熱病で失い、互いに愛し合ってはいたものの『子を産めぬ妻は捨てろ』と圧力をかける一族に逆らえない気弱な夫に離縁されたばかりの騎士の妹は狂気に陥っており、ウルフリードを娘である「ミシェル」として育てていく。

 間の悪いことに、騎士は王子殺しのほとぼり覚ましの意味もあって遠い任地に出立することになり、妹を蝕む心の病に気づいていなかった。

 五年後、王都に戻ってきた時にようやく妹のしでかしたことに気付くが、「ミシェル」を奪われることを察知すると文字通り狂ったように暴れ、「ミシェル」さえそばにいれば誰もが理想とする慈母らしい姿を見せる妹を前にどうにもできず。

 せめてウルフリードが年頃になるまでは、と、歪んだ親子関係を許容することになる。

 ここから、ウルフリードと養母のいびつな関係が生んだ悲劇やら、心の傷を娼館の優しいお姐さんに癒してもらったのにお姐さんは厄介客に殺されたエピソードやら、その厄介客はギャルゲの攻略対象である豪商の娘のストーカー伯父だったやら、まぁいろいろと薄暗いアレコレがあるのだが。

 マリーシアの人生には関係ないことであるし、俺Tueeeeeチートを持たぬ非力な令嬢が悲劇を阻止するどころか全方向から介入のしようもないので割愛しよう。

 記憶取り戻したのが一年前ってもう何もかも取り返しつかない時期だし、仮にもっと前に思い出していても、しかるべき医療機関も児童相談所もない世界だ。下手に首を突っ込めばこちらの身も危うい。


 というわけで、ウルフリードに関する知識でマリーシアが活用したのは、ギャルゲー時間軸で攻略開始前の現在、ウルフリードは(まかない目当てで)城下町のパン屋で働いている、というもの。

 それも、イケメン主人公のウルフリードではなく……美少女店員・ミシェルちゃんとしてである。

 転生特権を使い、全力で拝みにいったのは言うまでもない。

 本編の全四ルート、ファンディスクの追加ルート、さらにスピンオフ小説にコミカライズまで含めて隣国の王女、大公の娘、将軍の娘、女騎士、伯爵令嬢、豪商の娘、隠しキャラのエルフの魔法使い、女神まで落とした凄腕の女ったらしのお顔は、それはもう美しかった。

 ほとばしるきらめきで目が潰れるかと思った。

 赤みが強いストロベリーブロンドの長髪を背に流し、ほっそりした体を木綿のワンピースに包んで、客に愛嬌たっぷりの笑顔を振りまく顔面たるや、大きな碧眼にツンと筋の通った鼻、つやつやの桜色の唇、全てのパーツが完璧に整っている奇跡の美少女だ。喉仏隠しのチョーカーを巻いた首元には危うい色香すら漂う。

 十四歳にして下町の少年たちの初恋をかっさらいまくっていること間違いなしのべっぴんさん……男の子なんだけど。

 本編で成長期が来てぐんぐん背が伸び、ファンディスクまで行くと逆立った赤髪短髪で不敵に笑う逞しい美青年に成り果てて……もとい、見事に成長しているんだけど。

 声だって、若手声優のそれはそれは男らしいイケメンボイスになっちゃうんだけど。

 そう、あの、やや低めではあるもののキュートなキャンディボイスの美少女店員さんを堪能できるのは今だけなのだ。

 今から一年後。ウルフリードは養伯父である騎士のはからいで王都の学院に入学する。

 伯父に相談の上、母には内密で「ミシェル」の姿から身を改め、長い髪を切って男子生徒として通うのだ。

 それが、グロめ本編開始の合図でもある。

 母の前ではカツラを被って女装を続けてはいくものの、学院で本来の姿を取り戻したウルフリードは接客で培った人たらしの才能を開花させ、男女問わず魅了していく。

 そんな無茶な設定も納得の容姿だった。

 双子の兄であるアホ王子も一応は美形の類だが、オーラが違う。さすが主人公。さす主。


——  いやー、ええもん見た。


 可憐な面影を思い出し、ほっこり……している場合ではない。

 茉莉花の記憶が正しければ、学院生のウルフリードこそが、ディオニス、そしてマリーシアの死の原因を作るのだ。

 といっても、ウルフリードは何も悪くない。

 ただ、生き別れの双子の兄であるフォルクハルト『先輩』よりもずっとイケメンで、勉強も剣の腕も魔法の技術(そう、この世界は魔法がある!)も何もかもが優秀で、かわいいヒロインたちにおモテになられてしまうだけだ。

 入学式の日、短くはしたもののまだ襟足長めだったウルフリードを女子生徒と間違えてナンパして恥をかいたことから始まり、初授業、試験、文化祭のダンスパーティー、闘技祭とありとあらゆる学園イベントでウルフリードに敗北し続けたフォルクハルトはブチ切れ、手下であるディオニスに報復を命じる。

 そしてフォルクハルトの命とはいえ、チート主人公であるウルフリードに勝つにはどうすれば良いか?と考えたディオニスは、自分に従順な婚約者・マリーシアを使うことを思いつく。

 来年度の入学を控え、学院の見学に訪れた貴族の子女たち……その中に加わっていたマリーシアは、ディオニスに呼び出され、喜んで会いにいく。


 そう、本来の「グロめ」でもマリーシアはディオニスに心底惚れ込んでいた。


 顔が好みだったのと、年下の婚約者の前でイキリ倒しまくりなディオニスが語る誇張しまくり盛りまくりな自慢話と武勇伝を無邪気に受け取って、ディオニス様すごーい!ステキ!と尊敬して憧れたがゆえに。

 だからディオニスに言われるまま、ウルフリードに声をかけて同行を頼み、旧校舎の地下室に封印されていた悪魔を解き放つのだ。

 なんで学院にそんなもん封じられてるんだと問いたいが、ゲーム内では王家と学院の創設者にまつわる逸話が云々……という辻褄合わせの設定がいちおう用意されている。

 ディオニスの目論みとしては、女ったらしのウルフリードならマリーシアを守って戦うはず、という愚かしくも楽天的な予測のもと、ちょっと痛い目見せて困らせてやるか〜くらいのつもりだったのだから、浅慮にもほどがある。

 それと、フォルクハルト殿下にも心から言いたい。


 報復したきゃてめえでやれよアホ王子、と。


 ついでに突っ込みたい。

 アホ王子の斜め後方からウルフリードに罵声を浴びせるモブ役なディオニス、そんな命令ホイホイ聞くなと。

 そんで、ゲーム本編のマリーシアにも言いたい。

 なんでディオニスのお願いとはいえ、見ず知らずの男子生徒とふたりっきりで地下室に行くシチュエーションに疑問持たなかったの!?と。

 解放された悪魔は、ウルフリードの手で成敗される。しかし、死に際に渾身の力で魂をマリーシアに乗り移らせ——なんと、サキュバスとして覚醒してしまうのだ。


 だってこれ、ギャルゲーだもの。


 そしてサキュバスは、ディオニスをはじめとする男子生徒達をエッチな意味で毒牙にかけて力を蓄え、ウルフリードに迫る。エッチな意味と、命を奪う意味の両方で。


 だってこれ、ギャルゲーなんだもの!


 サキュバス化したマリーシアは本来の可憐な少女ではなく妖艶なお姉さんに成長してしまうのだが、人格までもが悪魔そのものと化し、マリーシア自身の魂は悪魔が魔力を高めるための餌として吸収されてしまったことがわずか数行のセリフで語られる。

 ゲーム内では、哀れな少女が犠牲になる過程のイメージとして、何故だかほとんど服を着ていない妖艶な大人マリーシアに絡みつかれつつぐったりと横たわる少女マリーシアの百合百合した一枚絵が拝めるが、なんの慰めにもならない。

 いわゆるナレーション死亡宣告、ナレ死はあまりにひどすぎる。


 そして全ての元凶であるアホ王子フォルクハルトはのうのうと逃げのびて知らん顔を決め込むのだが、サキュバスに精力を吸い尽くされたディオニスは別人のようにやせこけた姿で、フォルクハルトに救いを求めて「醜い姿を見せるな」と足蹴にされ、泣きながらフェイドアウト。

 その後は、どうにか復調してフォルクハルトに付き従いウルフリードに嫌がらせをして、返り討ちにあってしばらく登場しなくなるが……数章後、ボロボロに薄汚れて現れ、フォルクハルトの脇腹にナイフを刺し、護衛に切り捨てられてしまう。

 最後の言葉は「……マリーシア……」だった。スタッフによると、この時のディオニスは自分に手を差し伸べて微笑むマリーシアの幻影を見ていたらしい。マリーシアのことちゃんと好きだったんだね?とわかる(茉莉花としては)名台詞だが、何もかも遅すぎる。


 まあつまり、マリーシアもディアニスも、アホ王子がアホなせいで死ぬのだ。


—— そもそもよ、マリーシアって一見すると可愛い女の子の名前だけど、由来はたぶん地球のサッカー用語じゃん? サキュバス化前提で名付けられてるよね?


 ポルトガル語で「狡猾」だったか。

 サッカー観戦といってもワールドカップの時期にテレビ中継を眺めていた程度だったが、活躍していた人気選手がやってもいないラフプレーを疑われて退場に追い込まれ、イライラした戦術の名前なので記憶に残っている。

 軽く接触された、あるいは接触されてもいないのにわざと倒れて審判に「あいつにやられました!」とばかりにアピールする、とにかく自チームに有利な状況に持っていくための姑息なイカサマ戦術でまるで良い印象はない。


 しかし、逆に考えればこの名前を授かったことは天命ともいえる。

 非業の死から逃れ、推しと幸せになるためには前世知識チートで無双したっていいじゃなーい!


—— といっても前世は平凡な会社員だったし、できることなんてタカが知れてるんだけどね。


 記憶はゲーム内の攻略知識に偏っているし、特別なチートスキルがあるわけでもない。

 正直、茉莉花の記憶もマリーシアが頭の中だけで作り出した幻想という可能性を考えないでもなかったのだ。

 なにせ、この世界の他の誰も「グロめ」を知らない。

 茉莉花が知っているゲーム内設定は、夢見がちなマリーシアの妄想でしかないのかもしれない。

 そんな不安が解消したのは、ディオニスがゲームそのままの容姿と性格だったことが大きい。

 他には、初めて訪れた場所でも「これスチルで見た景色!」と既視感を持てたとか、パン屋の美少女店員ミシェルちゃんの存在など、ゲームで見知ったビジュアルを目にすることで自分が正気であると信じることができた。


—— 未来が見える特殊能力……というには、やっぱり「グロめ」のことしかわからないし無理があるよね。


 自分の前世は茉莉花、そしてここは……。

 マリーシアとして生きてきた記憶、二次元のいわゆる「萌え絵」ではない、手触り、温度、においまであるリアルな世界であることを考えると、ここがゲーム世界そのものだとは考えられない。


(記憶を取り戻した直後は「グロめ実写化だぁ……実写と見紛うVRリメイクの世界かもだけど、あまりにも作り込みが細かすぎる……総レースの下着にスタッフの変態芸が炸裂してない?」などとと下世話なことを思ってしまったのは心にしまっておこう)


 むしろ「グローリアの花冠を抱く乙女」が、この世界で起きる出来事をゲーム化した予言書だったのではないか。


 茉莉花は偶然この世界に転生してきたのではなく、グロめをやりこみ、派生作品やスタッフトークまで網羅して……最推しであるディオニスが幸せになるルートはないものかなぁと夢想して二次創作までしていたから、呼び寄せられてしまったのではないか。


 なにに?


 世界のことわりとか?

 (そんなもんがいればの話)ディオニス萌えの神様とか?


 と、自問自答しても神託が降りてきたりはしなかったのでグロめ=予言書説はあくまでマリーシアが立てた仮説である。


 そう、この世界、設定上では神様がいる。ギリシャ神話並みに複雑な血縁関係のある神々で、メジャーな神様だとそれぞれを個別に祀った神殿があったりする。

 で、神々には派閥がある。ざっくりふたつに分けて、光の神が率いる良い子ちゃん陣営と、闇の神が率いる悪い子ちゃん陣営だ。

 悪い子ちゃんといっても人の倫理観と相入れないというだけで、神々の思惑は善悪では分かち難いところにある……というのが「グロめ」のストーリーを複雑にしている。

 光の神が秩序を重んじる優等生、闇の神が自由を重んじる不良、といえば飲み込みやすいか。

 優等生でも性格ワルいやつはいて、不良の中にはいいヤツもいる。

 というわけで、プレイヤーが進むルートによってはラスボスが光の神になることもあるし、闇の神と光の神を両方打ち倒す神殺しの英雄ルートもある。

 まぁ、グロめ本編のディオニスとマリーシアはそんなルート決めの選択肢よりはるか手前で死ぬので自分達には関係ないですね……といえば、それはその通りである。

 そもそもの話、自分達が生き延びるにあたって使えそうな、もとい、助けてくれる神様がいるかどうか。


—— いないんだな、これが!


 神様は光も闇もイケメンの勇者ウルフリードにしか興味がない、なんかエッチな格好の女神だらけなのだ。


 だってギャルゲーだからねぇ!


 それに、性格と目つきを除けば美少年としてのポテンシャルはそこそこあるディオニスが下手に気に入られても困る。

 神域に招かれ、女神に迫られた挙げ句、

『女神と愉しい夜を過ごした……』

 なんてナレーションを流されたら、さすがのマリーシアも嫉妬のあまり神殺しの英雄ルートを目指してしまう。

 というわけで、マリーシアは神頼みは諦めた。


 自分の力でできることをしよう。

 そう決めて、ディオニスが破滅に突き進まないよう、こうしてちょくちょく軌道修正に向けた『お話』をしているのだ。

 サキュバス化を穏便に回避しつつ、最推しのディオニスを生き延びさせるためにも、ゲーム本編開始までに婚約者として信頼関係を築き、『ウルフリードと二人きりになんかしたくない』と思ってもらえるようにしておきたい。

 もちろん、自分の家族とディオニスの家族、周りの人々への根回しも忘れていない。


(それにしても……今、アホのフォルクハルト殿下が、私に誘惑されたって言いふらしてたということは……)


 あまり考えたくないことだが、本来のグロめのシナリオでは、優しいご令嬢であるマリーシアはアホ殿下を拒みきれずに唇を奪われていたり……全年齢向けだしさすがに純潔は守り通したと信じたいが、なんらかの不品行を強いられた可能性はある。

 その上で、助けに来たロスマリア嬢あたりになじられたアホから、公衆の面前で『この女が誘ってきやがった』などと侮辱されたのではあるまいか。

 そして、それを信じてしまったディオニスから批難され、歓心を取り戻そうと必死になって、ウルフリードを地下室に連れて行く手伝いをしたのでは。

 それに加えて、本心ではマリーシアのことを好いているディオニスが、彼女が自分のためにどこまでやれるか試したくて命じた……という線もある。


 どこまでも祟るなあ、アホ王子。


 ひとまず誤解を解いたところで、ここからは、ディオニスをどうやって泥舟であるフォルクハルト陣営から引き剥がすかも考えなくてはなるまい。

「……ねえ、ディオニス様。わたくし、フォルクハルト様とそのご友人がたに誤解されたままでいるのは嫌です。ディオニス様だって、わたくしが他の方に目移りしてあなたを軽んじているなんて思われるのは嫌でしょう?」

「う……うん、まぁ……」

 それはそうなんだけど、第二王子の腰巾着としては殿下のご機嫌を取らなきゃいけないし……という煮え切らない気持ちでいるのが見て取れる歯切れの悪さ。

 ここでディオニスを見限れるほどサッパリした性格なら、ディオ様最推しの女はやれていない。

 マリーシアの名に相応しい粘着力を発揮するなら、今だ。


 マリーシアはにこりと笑み、婚約者に簡単な『お願い』をした。



 ディオニスが、アホ殿下ではなくそのお取り巻きに「平民街のパン屋に見目麗しい少女がいるという噂話」を吹き込んだ数日後。

 アホ殿下が「何か面白いことはないか」と言い出し、お取り巻きがパン屋の噂話を語り。

 いっちょ見に行ってやるかとお忍びでパン屋を覗きに行ったアホ殿下がもののみごとにミシェルちゃんに一目惚れ。

 全力で口説きにかかったアホを、ミシェルちゃんが見事な背負い投げで吹っ飛ばした上に「人のケツを軽々しく触ってんじゃねえよ、変態!」と罵倒し、アホが不敬罪で処刑してやる!パン屋も潰してやる!と騒いだものの、『なぜか・偶然にも・たまたま』評判のパン屋の取材に訪れていた雑誌記者がその一部始終を、映像と音声を記録できる魔道具で撮影しており、数時間後にはミシェルちゃんの罵声だけを綺麗に消した映像を繰り返し再生する街頭通信鏡(テレビ)と共に『汚い欲望を剥き出しにし、無辜の民を虐げる第二王子のご乱心!』というニュースが王都を駆け巡り、さらに先日のパーティー会場でのご乱行まで大々的にスクープ報道されるというスペシャルコンボが決まった。


 先日、マリーシアから嫌がらせを受けた、と虚偽の主張をしたナニガシ令嬢のお宅に侯爵家令嬢として乗り込んで親御さんに厳重に抗議をさせていただいた際に、ご令嬢は物好きにもフォルクハルト殿下に懸想しており、嫉妬ゆえに『思い違い』をなさったという素敵な言い訳をおうかがいし、寛大にも謝罪を受け入れつつこうお話ししたのだ。

「わたくし、聞きましたわ。平民街に、わたくしなど足元にも及ばないほど美しいお方がいらっしゃるんですって。平民といっても名のある騎士様のお嬢様で、貴族の血を引いているらしいわ。そしてね、殿下はそのお方に興味を持たれていて……そういうわけですから、夜会でお酒をお召しになって、酔いにまかせてたまたまお声がけされただけのわたくしのことなどもう忘れておられるはずよ? 素面で出会う素敵な姫君の方がよほど運命的ですものね……ああ、もちろん、お家柄でも教養でも、貴女の方がよほど殿下にふさわしいとは思いますけど……殿下は運命的な出会いに夢を見ておられる方でしょう? これからどうなるか……」

 具体的に何がどうとは言っていないし、嘘もついていない。

 瞳を燃え上がらせた彼女に、ささやいただけだ。

 運命を壊したいのならば、貴女のお父様が後援しておられる雑誌社の記者をくだんのパン屋に張り付かせて、殿下の行状を記録すれば良い。そして、それを王妃様にご注進するのだ。王妃様は息子が平民の女にうつつをぬかすことを喜ばないだろう……と。

 パン屋の看板娘(男)に魅了された記者が、彼女を害しようとする不埒な王子に憤って全国民に向けて告げ口するなんて、マリーシアは夢にも思わなかった、ということにしておこう。

 正直、そこはちょっと賭けだった。

 結果としては『ギャルゲーの主人公は、物語の悪役以外の万人に愛される』という世界の法則を掴んでいるマリーシアの勝利である。


 そんなわけで二人のお茶会の日。

 ひどい顔色でよろよろと現れたディオニスを出迎えたマリーシアは大変良い笑顔であった。

「まあ……フォルクハルト殿下の王位継承は遠のきましたわねぇ……。お義父様は何かおっしゃっていて?」

「パーティーで顔に泥を塗られた公爵家が難色を示している以上、第二王子の擁立は考え直したいと……第一王子殿下はご実家の力は弱いが人品卑しからぬお方。そちらを支持した方が良いかもしれない……と」

「さすがお義父様。ご英断ですわね! わたくしも、第一王子殿下ならばディオニス様を軽んじたりしないと思っておりましたの!」

「そうか……?」

「そうですわ!」

 とはいえ、最終決定権はディオニスの父にあるのだし……嫡男であるディオニスの兄を第一王子に、補欠としてディオニスを第二王子につけたままでいたいと考えることもあり得る。

 とりあえず今は、ディオニスが『あの殿下にくっついてたら未来はないかもなぁ』と引いた気持ちになってくれれば上出来!と、これからの未来に向けて内心で気合いを入れ直すマリーシアであった。


 この四年後。

 学院卒業と同時に、隠されていた第三王子として王室に返り咲いたウルフリードと、引き換えに凋落し、名ばかりの侯爵位を与えられて辺境の領地に封じられたフォルクハルトの末路はさておいて。

 王都で愛するディオニスと幸せいっぱいの結婚式を挙げたマリーシアは、控え室に訪ねてきた親友、ロスマリン嬢と語り合っていた。

「いろいろと苦労はしたけれど……まさかロスマリン様が『グロめ』やりこみ系転生者の第一王子強火担とは微塵も気付かなかったから無駄な苦労をした気もするけど……とにかく! 生き延びて幸せになれそう……いえ! 絶対に幸せになりますので! ロスマリン様も絶対に、強火王妃として君臨なさってくださいませね!」

「ラスボスみたいな呼び方はやめてくださいな……ところで、ファンディスクに第二弾があったのはご存知でいらして?」

「ご存知ではありませんわ!? ちょちょちょ、これから新婚旅行ですのに爆弾落とすのやめてくださいますー!?」

「ふふ、こちらに内容をまとめてありますから、よくお読みになって……『ディオニス&マリーシア生存if』に降りかかるあれこれの回避にお励みになってね!」

「『ゲーム世界に転生した俺は全死亡フラグを回避したと思ったら、まだシナリオの中にいた』編ですのコレェ!?」 

 まさかのギャルゲーマーだった公爵令嬢との友情を確認しあったついでに新たな危難に立ち向かうことになろうとは思いもよらぬ展開だったが、マリーシアは負けない。

 マリーシア的にはとてもかっこよく、世間的にはますます悪党ヅラに育ってくれた最推しとのミラクルハッピーエンドを目指し、あれこれやっていくのみである。


 自分にできることを、全力で!!!


「まあ……学院に入って家の目から逃れた途端にステータスを武力に全振りして、チョロ令息を手先に使いそうな闇魔導士を物理で叩きのめしたり、主人公巻き込んで隠しボスまで討伐して、攻略的な意味じゃない『おもしれー女(笑)』称号を獲得するようなバーサーカー系令嬢……いえ、無敵人妻をどうにかできるフラグがあるとも思えませんけど」


 ロスマリン嬢のつぶやきがその耳に届くことは、なかった。

かませ坊やって、かわいいですよね。

そうだね…と頷いてくださった方は⭐︎を押していただけると励みになります。

(時系列整理して連載版にしたい気持ちもありつつ、ダイジェストの勢いで投下しておきたい精神。)

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