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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
空っぽの毬栗
7/25

詐欺師

 ネメシアが起きたのは、一月以上経ってからだった。なんの前触れも無く、いつも通り起き上がった彼女が見たのは驚きに固まった零毬の顔。

二、三言葉を交わせば現実を認識したらしく諸手を挙げて喜び、次にはハッとした様子でどこかへ行った。


「忙しないことだ。」


 最後に見た、火傷に苦しむ姿を全く想起させない元気な彼に、無事に直っているようだと無意識ながら少女は安堵する。当の零毬は湯飲み片手にいそいそと戻って来て、ネメシアを気遣った。


「どうぞ主サマ、長く眠っていましたが体調はいかがですか?」

「問題ない。もとより回復のための眠りだ。」

「へぇ、まあ人間と違うし、心配する必要無かったですかね。あの後丸焼きになった俺を助けて、箱庭まで連れ帰ってくれたんですよね、ありがとうございました。」

「主として当然のことだ。それに、貴様が先に私を助けたではないか。」


 飲みやすいぬるさの湯を渡され少女は素直に口をつける。久しぶりに起きて動く想い人に、自然に笑み綻ぶ零毬。そんなにこにこの青年に既視感を覚え、ふとある疑問を思い出したネメシアは、それを迷わず問いかけた。


「零毬、カエルもどきと戦う前、私の留守中に何かあったのか?なにやら様子が違って見えるのだが。」

「いいえ何も、気のせいでは。」


躊躇いのない即答。零毬が変わってしまったのは留守中ではないので嘘は言っていない。しかし主に納得してもらえるはずもなく。


「ならば私のそばに来い。」

「え、いやぁ、今鍋を火にかけてて!」

「“来い”!!」


 身体は命令に従う。零毬は抵抗を諦めた。主のそばに跪き、自然に右目を開けてしまうのは単なる調教の結果だが。あれ以来初めての鑑賞に、零毬は冷や汗が噴き出す。

 するりと白い指が、零毬の顔を滑る。右目の縁、頬をなぞって、首筋まで。


(こんなの平静を保てるわけないだろ!!!!! 待て待てなんだよその指、脈とってる? めちゃくちゃバクバクしてるのバレるだろやめろ!!!)

「何故そんな風に肌の色が変わる? 病か?」


ひゃ、とか、ぅあ、などと中途半端な音を発しながらみるみるうちに真っ赤になる。その反応も真面目な顔で観察され、余計にもいたたまれないのに逃げられない。


「前はこうならなかったはずだろう……体に悪影響があるなら直るはずなのに、直らないな。」

「俺は元気なので……! 大丈夫なので! 鍋が焦げちまう!」


 必死に言い募る零毬にこれはダメかと判断し、小さなため息をついて解放したネメシア。慌てて火を消しに部屋を出て行くのを見送って、既視感をもう一度思い出そうとする。


「あの目、あの雰囲気は……弟や主君や………………あの男と、同じ?」


 その日の朝食は卵粥だった。囲炉裏に吊された鍋はふつふつと音を立てていて、慣れた手つきの青年によってお椀に分けられる。


「ちょっと底が焦げちまったけど、まだ苦くはないはず。熱いんで、気をつけて。」


少女は木の匙で少しずつ掬っては息を吹きかけ、口に運んでいく。ふわりとした卵の食感と香る出汁に食欲がそそられる、優しい料理だった。笑顔で完食し、からりと音を立てて椀を置いた。


「うまかったぞ零毬。休眠後だからか、あまり量が食べられないのが惜しいくらいだ。」

「へぇ、病み上がりは本調子じゃないところ、人間と変わらないんですね。病人食にしてよかったです。」


 たった一杯で満腹になった少女と対照的に、零毬は鍋ごと持ってかき込み続けている。時折ガリガリと底を削りつつ、ぱくぱく食べ進めあっという間に空にすると、すぐ片付けに移る。


「食べきってしまったのか。」

「焦げついたら味が変わっちまいますから。残念そうにしなくても、また作りますよ。」

「そうか。」


 自然に会話が途切れ、手持ち無沙汰になってぼんやり部屋を見渡したネメシア。見慣れた天井、食器を洗う零毬の背中、物が増え雑然とした土間。生活音だけが響く心地良い沈黙というものを、誰かと暮らして初めて、彼女は知った。なんとなく目を閉じ、故郷を思い出す。独りきりで主君を弔う、音も時の流れもないあの世界を。


「主サマ、やっぱり具合悪いんですか?」


気遣わしげな声に思索を止める。洗い物を終えた零毬がそっとそばに寄り添ってきた。


「少し故郷のことを考えていただけだ。心配する必要はない。」

「……主サマも生まれ故郷が好きじゃないんで?」

「好き嫌い、という感覚は無いが、そうだな……あまりに何もなくて、貴様を連れて行ったら大変だなと思っていた。」

「連れて行ってくれるんですか、俺を。」


思い掛けないことを言われた、そんな反応をする零毬。丸く開かれた目は、すぐ嬉しそうに細められる。


「それならどんなところだって構いませんよ。文句は言うかもしれませんけど。」


照れ隠しのような一言を付け加えながらも、視線には熱が滲む。その熱が何なのか知りたくて見つめ返せば、フイ、と逸らされてしまった。


「あーそうそう、主サマの判断を仰ぎたいことがあったんです。外出して大丈夫そうなら一緒に来てくれませんか?」

「いいぞ。」




 二人が外に出ると、聖地はすっかり白くめかし込んでしんと静まりかえっていた。


(どうすっかな……なんかすごい観察されてるんだが。俺が分不相応な思いを持ってることに気づかれてる? いや、ひとでなしの主サマだ、具体的に理解はしてないか。)


 隣を歩く主からしつこいくらい視線を感じまた汗を垂らす零毬。気持ちに変化はあれど関係性は変わらず、二人は主と下僕で、飼い主と愛玩動物だった。

 無言で雪を踏み分け、辿り着いた目的地。先の戦いが終わったその場所には、もうもうと湯気が立ちこめていた。


「おぉ? 何だこれは。」


 黒い石槍に釘付けにされたままの、カエルもどきの核。周囲の雪がどんどん溶け、冷えた溶岩の間に溜まり天然の浴槽になっている。聖地で無かったなら野生の猿が群がっていたかもしれない。独特の臭気を発する湯が足下を濡らす。


「アレが水を温泉に変えてるみたいで、利用したいけど安全か分からなくて困ってたんです。どうですか? もどき復活したりしませんよね?」

「ん~、待て待て……」


パシャパシャ温泉だまりを跳ねさせながら近づき、ネメシアはそれを調べ始める。五尺程の球体は、損傷してなお橙色の光を放ち、陽炎が揺らめくほどの発熱をしている。莫大なエネルギーの塊。しかしそれだけだ。


「意思や思念の残留は無いな。臭気はガスの噴出ではなく、熱と水分による成分の溶出。熱以外の危険性は無いだろう。」

「では運びますね。槍をどうにかすれば番犬を操って引っ張れそうだ。」

「私も手伝ってやろう。」


ネメシアが石槍を適度に切断、熱を抑える札を貼った上で残した部分に縄をかけ番犬に運搬させる。ガラゴロ大きな音をさせながら零毬の案内で山の中腹を進み、ある洞窟へ。


「おい、道が無いぞ。大きな穴に行き当たったではないか、間違えたのか?」

「いいえ、ここからこれを放り込むんです。」


不思議そうにする主に構わず番犬に指示を出す。札を剥がし熱球を落下させると、どぼん、と水の音が響いてきた。


「水源からこの下に、きれいな水を引いて貯める場所を作ったんです。水があの核で温泉になって、更に下に作った風呂で使えるようになってます。主サマが眠ってる間に、山の中も測量して歩いて思いついたんですよ。」

「すごいな?」

「へへ。歩いて戻る頃にはちょうどいい塩梅じゃないですかね、もう湯気立ってるし。」




「これは良い……! ちょうど雪も降ってきたな、雪見風呂と洒落込むか!」


 箱庭の家、その裏に新しくできた風呂は大きな縦穴に面しているお陰で空が見えた。無邪気にはしゃぐ少女、一方頭から湯をかぶる零毬は必死に現実から目を逸らしていた。


「貴様、いい加減そんなところにいないで湯に浸かったらどうだ。」

「遠慮します、そもそも男女が一緒に風呂入るもんじゃないんですよ。」

「他ならぬ私が許可している。さっさと来い!」

「ちょ――!」


抵抗虚しく強引に湯船に引き込まれ、盛大に水飛沫が上がる。口や鼻に入った湯にむせ、きゃらきゃらと笑うネメシアを思わず睨みつけた。


 そちらを見てしまった。


 白くきめ細かい肌が薄紅に染まって、まろい輪郭をなぞるように、水滴が滑り落ちていく――。そこまで凝視してやっと理性を取り戻し顔を背けるも、片腕をがっちり掴まれ逃げることは出来ない。


「何故逃げる?」

「逆にアンタには羞恥心ってもんが無ぇのかよ!?」

「少なくとも貴様には既に見られているからな。そうバタバタするな、私の意識が無い間に服を脱がせて身を清めたのは他ならぬ貴様だろうが。」

「そうだけども!! 眠ってる奴の介抱と、一緒に入浴するのとは違うでしょ!?」

「はぁ、人間の価値観は理解しがたいな。」

「こんのひとでなしがよぉ……」


悪態をつきながらも結局肩まで湯に入った零毬は、ちらりと主を盗み見る。ひらひら舞い落ちてくる雪と湯けむりを背景に、美しい少女は呆れるくらい絵になっていた。その、絵画の一部のような彼女が零毬を見返す。


「零毬、相談がある。貴様についてのことだ。」

「相談? 主サマが?」


 やけに真剣な声色で切り出され、自然と背を伸ばす。真面目な話を風呂ですんなよ、と思ったが口には出さなかった。


「貴様との契約を終わらせたいと思う。」

「………………へっ?」

「あぁ勘違いするなよ、主従関係の方ではないぞ。私の力で貴様を生かしていると、随分前に話しただろう。しかし貴様の身体はもうすっかり“治った”。もう必要ない、ということだ。」

「……?」

「人間についてろくな知識も無かった私に、人間を“治す”ことはできなかった。だから、私の身体の一部を分け与え、それらしい形に“直した”のだ。貴様の命を繋ぐことには成功したが、問題も発生した。」


彼の腕を掴んでいた手を移動させ、手と手を合わせる。


「見た目には分からないが、私を構成する物質は人間とは異なる。活動に必要なエネルギーの種類も。私の一部は私の生命力でしか維持できず、貴様に生命力を与え続けなくてはいけなくなった。そのせいで貴様が傷を負った分だけ私の負担になり、この間の戦いで、遂に回復が追いつかず休眠が必要になるほど……」

「まっ待ってください、生命力? 俺に? わざわざそこまでして? 俺を助けた理由、目の色が珍しいからでしたよね?」

「そうだが。で、私の力で延命している内に貴様の本来の身体は自己回復し、火傷を治すのにちゃんと人間用の回復陣を用いたのもあって完治と言えるまでになった。私が繋ぎとめる必要は、もう無いだろう。」

「……そうですか。」


手のひらを合わせるように握られた手。大人の姿になっても、零毬のひとまわりは小さいネメシアの手を、軽く握り返す。


「目玉が綺麗ってだけで、命削って俺を生かす方が理解しがたいですよ。……でも、改めて。助けてくれて、ありがとうございます。」


 その言葉に笑みを返すネメシア、ふと零毬の体から何かが抜ける感覚がした。


「契約の根幹は貴様の『死にたくない』という願い、願った本人が成就を認識したことにより契約は終了した。今後は傷の超回復は出来なくなるから気をつけることだな。……ん? どうした、零毬。」

「いや、なんか急にくらっとし、て……」


 ぐらっ、どぼん。


 契約の終了は主の加護を失うということ。人間の感覚が急速に戻って、零毬はのぼせてしまったのだった。




「人間は弱すぎる……! 長めに湯に浸かっただけで倒れるとは。ほら水を持ってきてやったぞ。」

「ありがとうございます……」


 水を飲み干し、ようやく頭がすっきりしてきた零毬は、ぐ、ぱ、と空いた左手を動かす。今は風呂前の簡易脱衣所で着替えて休んでいたのだが、体の感覚の変化に戸惑っていた。重怠い身体にため息が漏れる。


(いや、元に戻っただけなんだよな。今まで疲労も痛みも恐怖も感じにくくなってて、だから動き続けたり戦ったりできたんだ。そりゃそうだ、普通の人間があんなこと素で出来る訳ねえ。そういう変化に気づけなかったあたり、感情や思考にも影響してたのは間違いない、だって……)

「本当に大丈夫か?」


寝間着を着たネメシアが顔を出した。途端に風呂上がりの上気した頬、水気で髪が張り付いた首筋に目が行きぐわりと身体が熱くなる。


(だってネメシアを見ただけでこんなになっちまう! 今でさえこれまでの比じゃ無いくらいドキドキしてる、これで鑑賞なんかされた日にゃ俺死ぬんじゃねえか……!?)

「もう一杯水を持ってくるか。」

「あっいえ、お構いなく!」


必死に誤魔化して、戻るために立ち上がった。


(あんまり悩んでもしょうがねえ、今日はもう寝るだけだし……って一緒の部屋で寝てるんだった!! は!? なんなんだよ今までの俺信じらんねえどうやって眠ってたんだ!? どうしよう、毛皮着て外で寝ようか……?)


 ぐるぐる思考は巡る。答えを出せないまま家に戻ってきてしまい、寝室に入っても上手い言い訳を思いつけずいつも通り布団を敷いて、流石にまずいと意を決して顔を上げた。


「あっ主サマ!」


 しかし慌てたせいかのぼせたせいか、足がもつれ倒れこんだ……主を巻き込んで。


 自分の布団の上に。


 想い人を組み敷く形になって。


 理性の制止は間に合わなかった。


「れい、んむ!?」


 柔らかな唇を食む。密着したせいでネメシアの体が強張ったのさえ伝わって、更に興奮を煽る。まずいまずいと繰り返す冷静な部分が本能に押し流されそうになりながら、かろうじてそれ以上を踏み留まらせた。

 最後に、ちゅ、と音を立てて唇を離す。ばくばく煩い心臓、伺った少女の顔からは何を考えているか読み取れない。焦燥と興奮で荒い息をしたまま、数秒の沈黙。


「……なるほど。構わんぞ、くれてやっても。」


無表情の少女が、するりと自分の着物を緩めた。


「貴様の働きに、どんな褒美を与えるか決めかねていたところだった。本人の欲しがるものが一番だな、人間の男が要求してきやすいものだとは聞いていたし。」


 淡々と続く言葉。その温度の無さに吸い取られるように熱が冷めて、冷めて、凍えそうに背筋が冷えて。

 咄嗟にその手を掴んで止めていた。


「違う!! やめてくれ!! 俺が悪かったから!!」


不思議そうに目を瞬かせるネメシア、その反応があまりにも耐え難かった。


「ッ外で頭を冷やしてきます!!」

「待て、零毬――」

「後でどんな罰だって受けるから! 今は放っておいてくれ!!」


 絶叫の如き懇願を残して部屋を飛び出す。掛けてあった化物皮をひっつかんで一目散に外へと駆けた。


(やってしまった、失敗した、俺はまた間違えた!! 衝動的に実行してよかったことなんか一つも無いのに、俺はなんっにも変わってない!!)


ガリガリ力任せに頭を掻きむしる。


(ちがう違うんだよ、欲の捌け口が欲しかったんじゃない、愛して、愛されたかったんだ!)


(愛がどんなもんかも知らないくせに。)


(彼女に理解されないのはわかってた! とはいえあんな、自分の身体も物みたいに差し出されるなんて思わなかったけど……)


(結局アイツはひとでなし、なのに何を期待したんだ?)


(隠すか誤魔化して、有耶無耶にしてしまうつもりだったのに、どうして俺は……!)


(いつぞやのように、俺は俺の手で全部台無しにする。誰に認められようが自分は変われない、無価値の――)


「うるさい、煩い煩い! うるせえんだよクソッ、煩わしい!!」


 後ろ向きな自問自答を振り払わんと叫ぶ。忘れかけていた生き辛さ、息苦しさに追いつかれたようだった。実際人としての感情・感覚が戻ってきてしまったがための事件であり苦痛である。

 苦悶も嗚咽も、降る雪が音を消して、誰の耳にも届かなかった。


 一方置き去りにされたネメシアはというと。

 呼び止めようと半端に起き上がったときのままで、呆然としていた。走り去る足音が完全に聞こえなくなった頃、力無くまた布団に倒れ込む。


「私は……今度は何を間違えたのか。」


 感触を思い出すように、指で己の唇をなぞる。少なくとも不快ではなかった、未熟な彼女の心は、それ以上を判別できない。

 それでも。


「貴様になら、くれてやっても良いと、思ったのに。」




 この夜以降、零毬はネメシアから距離をとるようになった。昼はそばに控え仕事をするが常に畏まった態度で、目を合わせない。夜はわざわざ隠れ家で過ごしている。下僕としてはその方が正しく、ネメシアはモヤモヤを抱えつつ口を出さなかった。

 零毬はただ同じ過ちを繰り返さないようにしているつもりだったのだが、余計にすれ違いが解消できないまま、時間だけ過ぎていく。


「いつの間にか年を越してましたね。」

「貴様を下僕にして一年以上か……」


 久しぶりに、二人で買い出しに来た町。新春を過ぎ落ち着くはずの雰囲気が、にわかに活気づいていた。顔を見合わせ、主の無言の問いかけに下僕は否を返した。島の行事に心当たりは無い。


「港に派手な船が停泊してますね。」

「ほう? 交易船なら興味がある。」


 興味津々といった顔で人波に紛れ進むネメシア。野次馬が壁になり、よく見えないがどうも身分の高い客人を迎えているようだ。見えるよう抱き上げるか、と主に聞こうとして、慌てて止める。少女が警戒を顕わにしていたのだ。

 気配を誤魔化す陣札を二人ともに追加し、急いで帰る。道すがら盗み聞いた噂によれば、客人は名のある祈祷師だとか、荒ぶる神姫様を鎮めるため招待したとか。


「私が荒ぶっていることになっているが。」

「カエルもどきとの戦闘で派手な雷を落としたからでは?」

「むむ。まあ良い、奴からそのカエルもどきと同じ種類の力を感じた。この世界特有の力を使える者だと思われる。念の為帰ったら戦闘準備をしろ、私は戦えるほど回復できていないので貴様で様子を見る。」

「わかりました。」


 まず箱庭を戦場にしないことが最優先。いくつもある出入り口に結界を張り巡らせ、作業の合間に陣札をつけて番犬を送り出した。二枚の札を連動させ離れた場所の音を聞くことが出来る、偵察にちょうど良い代物。零毬が作成した陣だった。


「音拾えました! 催事用広場に移動してます!」

「よし、私たちも様子が見える場所に行くぞ。」


 広場を見下ろせる位置に二人が陣取った頃、あちら側も準備が整ったようだった。いつもの神事と違い、見物人が大勢いることに零毬が眉をひそめる。


「神職はいざ知らず、町人もいるな……神事っつーより、見世物みたいだ。」

「事実そうなのだろうな。」


 白く派手な衣装で統一された、外来の集団。一等目立つ長らしき人物が進み出て、舞をひとさし。

 狩衣の揺れに合わせて雪が解け、風が吹き草木が芽吹く幻想的な光景。観客のどよめきが響くが、表面的な現象よりも肌を撫でる不快感に意識が向いてしまう。

 ヤスリで擦られるような、纏う物を無理矢理剥ぎ取られるような、奪われる感覚。


「うっ、なんですかこれ!?」

「こちらの領域を塗り潰そうとしているな。明確な敵対行為、余力さえあれば今すぐにでも消し炭にしてやるのに!!」

「……普通の人間は平気そうですね。」

「私の支配下にある者しか感じ取れまい。聖地を制圧出来るほどではないが、ただの人間でもないらしい。」


やがて舞を終えた祈祷師が民衆になにやら語り出した。札越しに聞こえる声。


『とまあ、このようにわたくしは神仏との対話を得意としております。これらの奇跡は私の力にあらず、私の声を聞き届けられた神姫様の御業なのです。』

『さすが、お噂の通りの方だ……! これで神姫様はお静まりになられるのですね!?』

『いいえ、まだ不足のようです。ここからは門外不出の儀式になりますゆえ、皆様は町にお戻りいただきたく。ご安心なされよ、万事お任せください。』

『よろしくお願いいたします!!』


「詐欺師ですね。」

「詐欺師だな。ふむ、人の目が無くなったらこちらに踏み込む腹積もりか。行け零毬、まずは様子見で良い。」

「はい!」


 がやがやと興奮に騒ぎながら去っていく観客。それが聞こえなくなって、白服たちがゆらゆらと動き始める。祈祷師改め詐欺師が森へ踏み入ろうとするその目前に、黒い影がすたっと降りた。

 漆黒の毛皮に覆われた、獣のような体に人の顔の化け物が、ギザギザの牙を剥き出す。低い姿勢を保ちジリジリと迫る化け物に、色めき立つ部下どもと違い泰然自若とした詐欺師。


(なんだ、こいつの目。いやぁな感じだ……人を無遠慮に値踏みしやがって。)


無言で牽制しながら、零毬は詐欺師に薄ら寒いものを感じていた。


「やあこれは御使い殿、お出迎えありがたく存じます。」

「ッ断じて出迎えではない!! 我が主に無礼を働いておきながら、よくもいけしゃあしゃあと! これ以上は踏み入るな、回れ右して島から出て行け!!」


威嚇の咆哮、振り抜いた腕が地に一本の線を残す。境界線だ。


(相手の言葉に乗っかった形で口調を変えたが、この場にはちょうどいいだろ。さて。境界線を、越えてくるならば。)


 じりりと視線が絡み合う。

 詐欺師はすこぶる爽やかな笑みを浮かべ……鋭く線を踏み躙った!


 飛び掛かる、一直線に狙うは喉笛。

 しかし爪は何かに遮られた。種の判別が不可能な、首だけの獣。宙を舞い零毬に食らいつく。


(化け物使いか!?)

「この程度では無駄だ!」


噛まれた逆の手で殴りつけ振りほどき、追撃の爪でそれを消し飛ばした、が。


(思ったよりタチ悪ぃ奴だな……!)


その数秒で白服たちが列を組み弓を構え、その後ろに詐欺師は逃げていた。しかも詐欺師が何かの動作をすると獣の首がまた現れる。


 迫る幾本もの矢。

 飛来する首だけの怪物。

 その全てを腕の一振り、黒き爪痕で蹴散らす。


「無駄だと言っている! 死にたくなくば引け!」

「刃持ち突撃せよ!」

「はっ!」

「出て行けって言ってるだろ!!?」


 思わず演技を忘れる零毬。ただの刃物は毛皮を通らずとも打撃として痛く、彼の精神を削る。刀に爪で応戦すれば矢と怪物に殺到される。

 

「……忠告はしたからな!!」


 ザンッ!!

 刀を上段に構えた白服の、両腕と首がすっ飛ぶ。しかし軽い、血が出ない。

 こいつも人間じゃない、と気づいたときには太い縄に巻き付かれていた。斬り捨てた白服の身体がほどけ、絡みついてきたのだ。反射的に切り裂くもそれは動き続け、また繋がる。何度切ってもいくら逃げても意味が無く、ついに右腕が捕まった。


「こんなものっ……ぐぅっ!?」


無理に腕を引っ張り上げられ、たたらを踏む。縄を切る暇も無くがら空きの腹部に衝撃。


 破魔の矢が、毛皮を貫通していた。


「ヒッ、あぁ……っ!?」


 滴る血。痛みに焼かれる思考。

 “痛い”は“怖い”、本能的な感覚は彼のやせ我慢を容易く打ち砕いた。

 がくりと膝をつく零毬の、四肢と首に縄がかかる。


「おやおや、さほど警戒する必要も無かったですかな。」


白服たちが縄の端を別々の方向に引き始めた。体が宙に持ち上げられ、さらに引き裂かんと力をかけられる。ぶぢ、と肉が裂ける激痛に、零毬が声にならない悲鳴を上げる。

 詐欺師が嗤ったその時、


「私の庭を荒らし、私の飼い猫を虐めるならず者共。覚悟はいいのだろうな?」


その喉元に漆黒の剣が突きつけられた。

 一拍遅れて白服も縄もバラバラになって崩れ落ち、零毬も自由になる。引き攣れた咳を発する彼に心配そうな目を向け、怒気を強めるネメシア。真正面から威圧され、詐欺師が震えながら跪く。

 と思いきや。


「なんと美しい! 神姫と呼ばれるに相応しい美貌、迷いの無い剣筋! 是非とも欲しい……!! わたくしの伴侶となって頂けませぬか!?」

「あ”ぁ”!!!?? がふっ……」

「落ち着け零毬。」


 とんでもないことを言い出し、向けられた刃に恐れもせずネメシアの手を握ろうとする男。斬り捨てた少女の顔は汚物でも見たかのようだ。


「不快極まる輩だな。戯言を抜かすにしても本体が来てから言え。」

「おやおや。」


切断された腕をひらひら振っておどけた詐欺師、その身も人形であったらしい。


「いやはや、まさかほんの些細な伝承からこんな大当たりに出会えるとは。何が何でもあなたが欲しくなってしまいました。どんな手段を用いても、ね。三日後にまた参ります。」


 好き放題言った後、詐欺師は霞のごとく姿を消した。男がいた場所を睨みつけ、剣を収めたネメシアは零毬の元に踵を返す。傷に陣札を翳せば光とともにそれは塞がったが、応急処置程度。立ち上がれない青年に肩を貸して箱庭へ急ぐ。


「主サマ、申し訳ありません……」

「謝るな、貴様はよくやった。」

「でも、上手く戦えなかった、弱腰で逃げてばかりだったし……」

「むしろ前のような戦い方をしていたら、傷を負いすぎて死んでいたかもしれんぞ。今の私では大怪我は治してやれん。」


家に戻り追加の手当を受けながら、戦いに怯えてしまったことを悔やむ零毬。それでもすぐに気を取り直し顔を上げた。


「三日後に向けて対策を取りましょう! 俺だって魔法陣の研究を進めてきたんです、次は――」

「いや、戦わない。」


しかしネメシアは意外にも消極的だった。驚き口を噤む零毬に淡々と続ける。


「まず、私の力が圧倒的に不足している。カエルもどきにやったような罠を張る戦法も、雷で一網打尽も出来ない。

次に、零毬と奴との相性が致命的に悪い。化物皮が役に立たないとなれば貴様を戦力に数えられん。

最後に、奴の手札が読めない。あの人を食ったような態度がはったりか否かに関わらず、前の二点を鑑みれば戦う選択はこちらの損にしかならないだろう。」

「じゃあどうするんですか。」

「私は、奴の誘いに乗ろうと思う。」


絶句。彼の反応はその一言に尽きた。


「奴の懐に入り手の内を探る。時間さえかければどんな力を持っていようが私一人で何とでも出来る。あれほど大口を叩き、派手な船を持っているのだから面白い宝を持っているやもしれん。この箱庭も手を加えるところが無くなり完成といっていいし、奴について行った先で新しい庭を造るのも良いかもな。……この箱庭は貴様にくれてやる。丸ごと全て。しばらく生きるのに苦労はしないだろう?」

「なんでそんなこと言うんだよ!? アンタが行くなら俺も!」


 抗議は抱擁に遮られる。

 ふわりと優しく、ネメシアは零毬を抱きしめ、囁く。


「契約は箱庭の完成までだったな。これが最後の命令だ、“私が島を去るまで眠っていろ”。」


 かくん。

 眠りに落ちた零毬の首元に手を当て、傀儡化の陣を無効化する。布団に寝かせてやりながら、名残惜しそうに彼の右目の周りを撫でた。


「すまない。本当は、もっと早いうちに完成を宣言できていたのだが、不思議と言い出せなくて。やはり私は人間の面倒を見るのには向いていないと思っていたから、今回は渡りに船というやつなのだ。……貴様を手放すのは、惜しいが。」


静かに立ち上がり、背を向けた少女は振り返ること無く、迷わず箱庭を後にした。




「主サマッ!!!」


 叫び声と同時にガバッと身を起こした零毬。慌てて周囲を見回しても、当然彼女はいない。衝動のまま叩きつけた拳が畳に穴を開けた。


「そうか……あぁそうかよそうだったなテメェは身勝手なひとでなしだったな!!!」


布団を跳ね飛ばし立つ。既にやることは決まっている。


「もう主従じゃないなら、ネメシア! 俺が何したって構わねえよなあ!!? 絶対に絶対にッ!! あんな詐欺師野郎には渡さねえ!!!!!」


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