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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
空っぽの毬栗
5/25

町と祭りと火の花

 零毬は相変わらずネメシアの下僕である。衣食住足りた代わりに、今までの仕事(掃除・洗濯・風呂焚き・庭整備)に料理と片付けが追加され、やっぱり大変な思いをしていた。

 さらに。


「零毬。」

「またですか?」


 掃除の手を止め、主と目線を近づけるために座る。そっと右目を開けばネメシアが嬉しそうに笑った。青年の両頬に小さな手が添えられ”鑑賞”が始まる。まるで宝石箱を開けて中身を愛でるようなこの時間は、ネメシアの気まぐれによって発生するようになった。

 仕事は滞るし、動きを封じられて煩わしいし、まじまじと見られる気恥ずかしさもあって零毬はこれが苦手だった。さっさと終わってくれ、と願いながら作り物じみた少女の顔を見ていることしか出来ない。


「……うむ、邪魔したな。」

「そう思うなら仕事の合間とかにしてくださいよ。」


今日も主は自分勝手に、満足すればパッと離れていってしまう。その姿が見えなくなってすぐ、零毬は乱暴に頬を拭った。


(あぁ全く本当に嫌いだ。仕事を言い付けた癖に邪魔するし、俺を何だと思ってんだかわからねえ。)


 嫌いだと心の中で繰り返す。繰り返して、ぬくもりが離れるとき感じた寂しさを遠くへと追いやる。

 時の流れは速く、既に夏が盛りを迎えようとしていた。





「祭りに行くぞ。」


 一日の仕事をやりきって大好きな酒にありつける、そんな時。夕食後の片づけも済んで囲炉裏端で胡坐をかき、晩酌と洒落込もうという零毬に、唐突に声がかかった。


「急ですね。主サマは面倒を避ける為に人里に行かないのだと、つい先日仰っていたように思うのですが。」

「せめて表情を取り繕え! 零毬貴様、調子に乗りすぎではないか? どんどん態度が悪くなりおって。」


 これ以上ないくらい嫌そうな顔で口調だけ畏まった青年にばしりと平手をくれるネメシア。美しい瞳を維持するため、ネメシアはあれ以来零毬を傷つけないよう注意しており、それに気づいた零毬はかなり厚かましくなっていた。


「最近は祭りに外の店を招致していると教えてきたのは貴様だ。庭も出来る分は整え終わって、季節の巡りを待つばかりだろう? 飾りになる細工物なり、新たな発想なりを得に行こうではないか。」

「行ってもそれどころじゃなくなるだけですよ。片や信仰の対象、片や死んだはずの生贄なんですから。」


しれっと流して酒をあおる。聞く気のない零毬に小さく首を振り、


「とにかく、明日は用意した着物を着ること。外出は決定事項だ。」


そう言い置いて寝室に消えるネメシアだった。





 柿渋色の地に白黒琥珀色の縦縞が入った着流し、銀の刺繍が入った黒い帯を締め、その上に漆黒の羽織を纏う。

 慣れぬどころか着たこともない上等な着物に袖を通して、零毬は半年振りに故郷に立っていた。屋台が並び人が行き交う、そのど真ん中に堂々と二人がいるのに誰も気にしていない。かといって認識されていないわけでもなく、人々は二人を避けて歩くし屋台に声を掛ければ返事も返ってくる。

 今日のネメシアは、お出掛け着としてひまわり色の浴衣に着替えていた。膝下に跳ね上がった姿の真っ赤な金魚が一匹、足元付近には更に数匹泳ぐ姿で描かれており、銀色の流水模様が布の揺れに合わせ煌めく。


「魔法陣って便利だな……」

「簡略化で使い勝手が良くなったから、こんな応用もできるようになったのだ。」

「……そうですか。」


 働きを褒めたつもりだったのに微妙な顔をされて不思議に思うネメシア。追及の言葉は零毬に手を引かれ遮られた。


「主サマが興味を持ってた、島外から来る出店は港の方ですよ。行きましょう?」


 道中、屋台以外にも零毬おすすめの店を回る。

 あれは串焼き、あれは飴細工、あっちは焼き菓子。

 あそこでは定食が食えて、ここの茶菓子がおいしくて。


「待て、まだ食べ終わっていない……!」

「主サマの食べる早さに合わせると動けないですね。抱えても?」

「うむ。」


抱きかかえて移動するのもすっかり慣れたもの。だが、魔法陣でどういう補完がされているのか、周囲の目がやけに優しくて居心地悪い。


「やはり私には多かった。やる。」

「どーも。」

(完成された容姿のくせに、仕草はやたらと幼いんだよな。)


どうしても周囲を気にしてしまう零毬に対して本当にネメシアはいつも通り振る舞っている。せっかく買った焼き菓子の大半を零毬の口に押し込む程度には。


「うまい……生地に蜜が練り込んであるのか、案外しっとりしていて甘い。」


あむ、と最後の欠片が小さな口に消える。指先や唇を滑る舌。目を細め嬉しそうに笑う、紅い頬。それだけでやけに可愛らしく見えた。


「この飴細工とやら、食い物なのか? そのまま飾っておきたいくらいなのだが。」

「形を整えた飴なんで……標本化とかしても虫が湧くんじゃないですかね。」

「それは困るな……」

「ちゃんと食べてください、食べ物だから。」


人間の食に対する熱量に辟易しつつもその楽しみを理解し始めた少女、案内にかこつけてたらふく買い食い出来る青年。楽しみながら青年は足を進め、港へ入った途端、目に飛び込んで来た光景にネメシアは零毬を振りほどくように降り立ち走り出した。


「なんだなんだすごいではないか! 色とりどりで鮮やかで派手! 随分様変わりしたものだ!!」


 風にはためく染め布、きらめくガラスの飾り、小舟の上すら即席の店となり賑わっている。記憶の中と比べものにならないほど楽しげで、興奮のままに叫んでいた。


「……俺も初めて見るくらい派手な飾り付けですよ。屋台の数も多いし。」

「素晴らしいことだ! 早く行くぞ零毬!」


 見た目相応に駆ける主に反し、ほの暗い目で周囲を一瞥した後、やっとその背を追い始める零毬の足取りは妙に重い。


「美しい……! 欲しい! あれは何だ?」


ある屋台の前で飛び跳ね零毬を呼んでいる。微笑ましげな周囲の視線も気付かないほど夢中なようだ。そこはかんざしを売る屋台だった。ネメシアが指差すのは、手前の安価なものではない、奥に飾られた豪華な物で。

 繊細に透き通るガラスの蓮、鉱石を細い鎖で紡いで形作られた枝垂れ桜、深い紅色が美しい椿などに目を輝かせるネメシアだが、もちろん値段も用途も知らない。


「これはかんざしと言って、髪をまとめ上げ飾り立てる物ですよ。お嬢様程の器量ならば、欲しがるまでも無く手に入るようになるでしょうけれど。」

「?」

「あー、人間の風習由来の世辞です。とっても美人ですね、だそうです。」

「ふうん……」


品の良い笑顔を浮かべる店員の言葉や零毬の耳打ちに適当な相づちを返す、その目は美しい装飾品をただ見ている。


「買うんですか、主サマの髪の長さじゃ使えませんけど。」

「………………………………購入は見送る。」


長い長い沈黙の末、そう言ってネメシアは屋台を離れた。


「意外ですね。俺にしたように、意地でも手元に置くのかと。」

「髪飾りなのだろう、あれらは。役目があるなら正しく果たせた方が良い……髪を伸ばせたら買う。」




 日が落ち、火が入る提灯。より非日常を彩る暖かい明かり。人々は花火を目当てに山の麓へと移動していくようで、通りは少しだけ歩きやすくなった。


「俺たちも行きますか?」

「いや。さすがに疲労を感じる……わざわざ人間の群れに紛れて暑い思いはしたくない。どこか落ち着いて見られる場所は無いか?」

「ならこっちに。」


 通りを離れ、町外れ。祭りの熱気が海風に流されていく心地良さに笑みを浮かべる二人。少しだけ町を迂回した先には小さい高台があった。最低限の明かりを頼りに登っていく。

 町が橙色にぼやける。

 空は黒々と広がっている。


「あっ!」


 ひゅるる。

 ぱっ。


 光って、遅れてドンと重い音が響く。火の花が星をかき消す。ザァ……と音を残して光の余韻が散っていく。


「これが花火か。」

「次が上がるまで結構時間空きますよ。さっきの飴でも食べて待ちましょう。」


高台からさらに上に階段は続いていたが、始まってしまったので段差に腰を下ろした。

 零毬が串焼きの袋を開ける横で、ネメシアは飴細工の小鳥を空にかざして遊んでいる。


 ドンッ、パラパラパラ……。


「光った光った! ふふ。」

「今まで見たことなかったんですか?」

「箱庭に籠もっていると音も光も届かなかった。全然知らなかったな。……あ、今の開かずに落ちたぞ?」

「そういう種類のやつです。」

「そうか。」


 おもむろに少女が飴細工をかじった。パキャ、と羽をもがれる小鳥。

 零毬の串焼きは鶏肉だった。咀嚼すると、旨味と油を舌に残しつつ肉の線維が軽くほどける。当たりの屋台を引いたと内心満足していたところ。


「しかし、不思議に思わんか? 社に火を放たれた慰めに花火とは。」


 ネメシアの言葉をすぐに理解できなかった。

 もぐもぐと口を動かし続け、ごくりと飲み込んでから言われた内容を思い返し。

 理解すると冷や汗がどっと吹き出す。何故? が脳内を占領する。そろりと動かした視線の先、ネメシアがじっとこっちを見ていた。


「な、んの話……」

「私の感覚は貴様ら人間よりずっと優れている。喧騒の只中でも聞きたいことを聞き分けられる程度にはな。私を社に近付けないよう誘導していたことも気づいていたぞ。」


すっと立ち、階段を登っていくネメシア。


「来い、貴様になじみのある場所で話そうではないか。」


登った先には、生い茂る草木に埋もれかけた家があった。家人はいないようで、しばらく手入れされた形跡はない。


(当たり前だ。ここは。)

「貴様の家なのだろう? 町の人間どもの会話から、何があって生贄にされたかは察せられた。その上で貴様の口から聞きたい。貴様の過去を。」


 ザクザク草を踏み分け家に入っていく主、その背を花火の光が照らした。


(罪人として捕まった時より気が重いな……)


埃っぽい家の中。雨戸を開放し床を掃いてやっと腰を落ち着けられるようになる。押し入れから引っ張り出したペラペラの座布団を、縁側に並べて二人で座って。


「主サマの気まぐれには参りますよ。なんで急に知りたくなったんですか全く。」

「貴様がかなり愉快な理由で生贄になったのが悪い。さ、洗いざらい吐け!」

(ひとでなしめ……ろくでもない話だって分かってるだろ、なんで楽しそうなんだよ。)


 屋台を回っているときと同じくらいに目を輝かせて零毬の顔を覗き込む少女。言い渋ると命令を使われる気配を感じ、忌々しさに舌を打った。


「……ええ、喋ってやりますよ。全部。」




 生まれ持った目の色が奇妙だった。

 それが俺の不幸の始まりで、全て。

 父親は俺を不気味だと罵り、俺と母親に暴力を振るった。母親は俺を直視せず、触れようともしなかった。

 捨てられたのは8歳の時、


「零毬、お留守番してなさい。私たちが帰ってくるまで、家から出ないでね。」


記憶にある限り、名を呼ばれたのはこの一度きりで、それでも嬉しかったから、よく覚えている。

 もちろん両親が帰ってくることはなく、なんなら家自体売っ払って島を出ていったらしい。家の視察に来た商人が餓死寸前の俺を見つけてお社に預けてくれたから、ぎりぎり死なずに済んだ。

 そう、神姫様を祀るお社。山の麓にある広ーい敷地の。住人の管理とか町の重要な取り決めとか、孤児の保護をしてるから、自然とそこに。

 ずっと殴られて、目のことを罵られて、目を開けるなって言われて育って……だからお社ではその通りにしたんだ。追い出されたくなくて、右目は見えないと嘘をついた。

 その分努力したんだ!

 お社の手伝いだって誰よりやった、独学で字の読み書きも、簡単な計算も身につけたし、下のガキの世話も惜しまなかった!

 ……なのに。誰も俺を引き取るって言ってくれなかった。俺に見向きもせず、別の奴の手を引いていく。十四になったら独り立ちさせられる決まりがあって、焦っていて……お社で働く女性たちのお喋りを聞いてしまったのが丁度その頃だった。


「零毬、可哀想ね。頑張ってるのに、引き取り手がつかなくて。もうすぐ孤児院から追い出される年でしょう?」

「仕方ないんじゃない? 引き取るなら五体満足な方が選ばれるもの。教育は後からでも出来るし。」

「名前の通りになっちゃってるのよ。零の毬栗、中身が入っていない毬だけなんて、誰も拾わないものね。ひどい名前つけられて……」


 名は最も短いまじないだという。両親は俺を最初から目一杯に呪っていたことを知って、たった一つ貰えたものすら嫌いになった。

 諦めて勤め先を探すようになり、出会ったのが大工仕事。

 片目が不自由でも。

 手先が器用じゃなくても。

 知識が無くても。

 頑張って積み重ねた実績を見てくれる親方がいたんだ。だからここならと思って、雇ってもらおうと必死だった。そんなある日、


「零毬ぁ。おまえに、正式にうちに来てもらうことにしたわ。」

「っ本当ですか親方!? ありがとうございます、これからもよろしくお願いします! じゃあ俺、大工衆の長屋に引っ越せばいいんですね?」

「おう、んとな、違くて。わしのうちじゃ。」

「え?」

「おまえを引き取ると決めた。おまえは今日からわしの孫じゃ。」


って、親方は、茶目っ気のある笑顔で言ってくれた。嬉しかった。嬉しかったんだ、やっと俺を見て選んでもらえたって。本当に……。

 それからは跡取りとして厳しくされるようにもなったが、一緒に買い物したり、釣りに行ったり、些細なことでも笑って話せたり……家族らしいことをたくさんしてもらった。じいちゃんとかじじいって呼べるようになって、もしかしたら右目のことも、受け入れてくれるんじゃないかと思うくらい。もう俺は寄る辺ない孤児じゃない、帰る家と家族がある、なんて。


 幻を信じた俺が馬鹿だった。

 

 引き取られて二年くらいだったか、じじいが倒れた。元々年だったが、ぶっ倒れた拍子にボケが進んだらしく、目が覚めたら俺のことをすっかり忘れてやがった。

 全然別の名前で俺を呼ぶんで周囲に相談したら、実は亡くなったじじいの孫の名前で。その孫は生きてたら俺くらいの年で。

 俺は代わりにされてただけ。

 じじいは俺を見ていたんじゃなくて、亡くした孫を可愛がってただけ。

 俺が勘違いして喜んでただけ。


 勝手に裏切られたと思ってるだけ。

 ……わかってるよ。


 じじいは他に身寄りはいなくて、必然的に俺が世話することになった。「零毬だ」って言うと「そんなやつ知らん!」って怒るから、孫の振りをして接した。不思議なことにこれがすごく辛かった。

 右目、身体、心、名前……“俺”は俺の嫌いなもので出来てるのに、それらを捨てられない。

 だって、呪いの籠もった名前でもそれが“俺”。

 此処に在るのは俺だけだから。


 ……んで、じじいが亡くなったのが去年の末頃。介護と葬儀でなけなしの蓄えも尽きて、喪が明けるまでは祝い事も禁止の大晦日。独り家にいて、寒さに震えて、無性にさみしくなったんだ。思い立つままに、昔世話になったお社へ足を運んだ。

 冬用の履き物が無かったけど、それでも足は止まらず通りをひた走った。家々から漏れる団欒の声や飯の匂い。俺だけ取り残された感覚に息が詰まり、早く早くと足を動かした。

 子供ってのは抜け道を見つけたり作ったりするのが好きなもんで、俺も例に漏れずお社と外を行き来する道を覚えていた。目に映るのは懐かしい、立派な建物。年末年始の祭事に備え煌々と灯る明かり。ささやかな祝いにはしゃぐ孤児たちの歓声、宥める優しい声。


 なんであの頃より悪くなってる?

 あんなに頑張ってきたのに。

 前は俺もあそこに居て、笑ってたはず。

 息苦しい。

 なんで、

 なんでこんなに生き苦しいんだよ!!!


 ぶつん、ちぎれるような音が聞こえて急に何もかも許せなくなった。手近な篝火を蹴倒し火のついた薪を、声のする方へ投げる。

 投げて、燃えて、放って、悲鳴。


「はは、あはは、ははははははは」


 口が勝手に笑った。何も面白くないのに。


「ははははははははは、ハハハハハハッ!」


 焼ける手の痛み、凍りそうな足の痛み、空っぽの笑い声、他人事のようにしか覚えてない。ただ燃え上がる様を眺めていた。

 当然すぐ警備のものが来て、俺は殴り倒されて牢屋行き。翌日宮司様がわざわざ沙汰を言い渡しに来た。


「十年の苦行……ね。」

「おまえがしたことは擁護のしようも無い。それでも、おまえの過去や、近年の不幸を加味して減刑したのだ。心から反省し神姫様への償いを完遂した暁には、元のように町の仲間として受け入れてもらえるだろう。昔から勤勉であった、良い子のおまえなら……」

「嫌だね。」


元に戻るわけがない。皆が信仰する神につばを吐く行為をしたのだから。そうでなくても戻りたいと思えなかった、介護に追われ周囲とは疎遠になり、仕事は別の奴に奪われていた。一つも上手くいかず、一つも手元に残らない。


「零毬……!」

「知ってるだろ宮司様、俺の勤勉さは俺を救ったか? 神姫様は俺を守ってくださってるか? 違うよな、名前の通り、誰からも見捨てられてるのさ! 俺を助けてくれない奴らに何をしろって!? 祟りでみんな不幸になるなら万々歳、あんただってそうだ救ってなんてくれなかった!!」


 ガンッ!

 拳を格子に叩きつけ、吐き捨て、沙汰を突っぱねた。


「俺は謝らない! 償いなんかしねぇよ!!」


悲しげな宮司様の顔が無性にむかついたことを覚えている。

 そして減刑無しの罰が、神姫様に直接償いに行かされる……生贄だったわけだ。償え、それが嫌なら神の怒りを受けてこい、こっちに迷惑かけるなっていう町の連中の総意だな。




「後は知っての通り、紆余曲折あって理由も違うけど、奴らの望んだとおり俺はアンタの為に働いてる。」


 話し終わる頃には花火は終わっていた。耳をうつ虫の声。不意にネメシアが零毬の手を取りひっくり返す。語っている最中に度々握りしめられていた拳、手のひらに滲む血。ぐい、とネメシアが指で擦れば傷は消えてなくなった。


「おかしな奴だ貴様は。生きる道を捨てておいて、私には死にたくないと願ったのか。」

「捨てたつもりは無かったんですがね。ただ納得できなかっただけで。主サマの物言いからして、放火のことを知っても気分を害することはないと思いましたが、それでも焼けたお社を見せたくなかったんです。」

「そうか。」

「……面白かったですか?」

「ううむ、町で耳にした話と違ったな。零毬という男は悪鬼の生まれ変わりで、世話になった相手を殺した挙げ句神姫様に成り代わろうとしてお社を襲い、宮司に返り討ちにされたが人の手には余ったので沙汰を神姫様に委ねる為に捧げた、と言う話だったのだが。何をどうしたらそんなことになったのかと興味を引かれたのだがな。」

「誰かが話を盛ったんでしょうよ……」


疲れ切った顔の零毬。怠そうに立ち上がりネメシアに向き直る。


「帰りましょう。……主サマ?」

「いや、ここに泊まる。」

「は?」

「座布団を持ってこっちに来い。」


座布団を畳の上に並べ直し、そこに寝るよう指示する主は意思を変えそうになかった。呆れてものも言えないまま、せめてと雨戸を閉めて虫除けの香を焚く。

 横になった零毬の懐に潜り込むネメシア。


「こ、この状態で寝るんですか?」

「今から帰るのも面倒だろう。布団は黴びていて使えそうになかったし、夏だから寒くなかろう。」

「そりゃくっついてると暑いくらいだけども。」


 あっさり瞼を閉じたネメシアに困惑しきりの零毬だったが、身体も心も疲れていたためかすぐ寝入ってしまうのだった。



 ……美しく整えられた庭に、何かが落ちてきた。何かはひどい音を立ててバラバラ粉々になり庭はめちゃくちゃ。何かから飛び出た、赤いものが蠢く。

 落下の衝撃で潰れた人間だ。

 醜悪な肉塊に歩み寄る、造り物のように美しい少女。まだ形を保っている手が少女へ伸ばされ、


「死に…だ、ぅ……な……」


と肉塊から声が。血まみれの顔にギラギラと輝く、奇異な色の瞳。


「貴様の願い、確かに聞いたぞ。」


白くて小さな手が、伸ばされた手をしっかりと掴んだ。




(……夢?)


 真夏といえど早朝は少しひやりとする。足の指先を擦り合わせながらぼんやり薄目を開けた零毬。無意識に腕の中の温もりを抱え直す。


(あったけぇ……)


ぎゅっと抱き寄せるとふわふわな髪が頬をくすぐる。そのまま二度寝しようと瞼を閉じ……しかし抱えたものが抵抗するように身動いだことで目を覚ました。


(やっべ! ……良かった、まだ眠ってる。)


慌てて身体を離す。お行儀よく小さくなってすやすや眠り続けているネメシアにホッとし、そろりと起き上がった。背伸びしつつ雨戸を開け、朝日を浴びる。町は既に人の往来が活発になっていると遠目にも分かったが、距離のためにここはただ静かな朝の空気に満ちていた。


(変な夢だったな。あの日あの時を端から見ていたかのような……不思議とただの夢って片付けられない気がする。)

「……もぅおきたのか……はやいな。」

「おはようございます、主サマ。」


 あくび混じりの声に挨拶すると、呂律の怪しいおはようが返ってきた。目を擦りながら零毬の隣にやってきたネメシアは、寝惚けているためかいつもの覇気は鳴りを潜めて、白く輝く髪や肌が光に溶けて消えそうな儚さに思える。何となしに横顔を見つめていると彼女の方も零毬を見上げ、ふわりと微笑んだ。


「ねぼけているのか? ふつうに右目を開いているとはめずらしい。」

「えっ。」


咄嗟に動かした手はネメシアの手で押さえられ、不意に夢の内容が蘇る。己の手を包む、小さくて暖かな――。


「隠すなもったいない。やはり貴様の目は美しい、朝日の下では少し色合いが違って見える。……あの日、貴様を拾い上げる選択をして、本当に良かった。」


夜明け色の双眸がまっすぐに零毬を映していた。胸の内の深いところに何かが染みこんでいくような感覚を覚え、視界が歪む。


「な……!?  なんだ、どうした?」


立っていられなくて膝をついた。涙がぼろぼろ溢れて止まらない。


「……アンタって本当にひとでなしなんだよなあ……」

「私が悪いのか!?」


オロオロするネメシアに、縋るように抱き付く。ネメシアは行き場を無くした手を彷徨わせ、逡巡の後に、零毬の背に回した。


(アンタは人の理の外にいるから、俺の過去の重さも、今なんで泣いてるかもわからないんだろうな。それで良いよ。アンタだけが、俺の手を振り払わないでくれたから。


この美しいひとでなしが、俺に価値を見出してくれるならば。


俺を見て、

俺を許して、

俺のそばに居て、

俺を見捨てないでいてくれる誰かがいるって、




もう一度、夢を見ても良いのだろうか?)




「っはー……人生で一番泣いた。」

「ようやく落ち着いたか。」


 井戸で顔を洗って帰って来た零毬は、随分晴れやかな表情だった。


「で、結局何故泣き出したのだ。」

「言ってもわかんないでしょう。気にしないでくださいよ。」

「むぅ……」


ネメシアは人心を理解できない自覚のあるひとでなしなので、それ以上は追及しなかった。ここにいる用事もなくなり帰り支度しようと二人は立ち上がる。ふと思い出して、零毬は戸棚の方へ足を進めた。


「俺がいなくなってから手つかずだったなら……あぁ、あった。」


 年季を感じさせる飴色の木肌、銀の飾りは唐獅子を象る、少し大ぶりな造りの煙管。


「じじいの形見として、持っていかせてもらうな。ちゃんと手入れしてやるから。」

「行くぞ零毬!」

「ハイハイ!!」


 せっかちな主が先に階段を下り始めたのを確認して、家を振り返り深く頭を下げる。


「もう帰ってくることはねえと思う。ありがとう、さよなら、じいちゃん。恩を仇で返すような屑で悪かったな。ろくでなしなりに、相応しいところに行くよ。」


もちろん何を言っても返事は返ってこない。それでも決別を言葉に出来たのは、彼にとって大事なこと。スッキリした顔でネメシアを追って走り去っていくのだった。


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