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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
空っぽの毬栗
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歩み寄り?

 自分が目を覚ましたことに、零毬はうんざりした。


「なぜ殺さないんですか。」

「なぜ殺されると思うんだ?」


 玄関先の芝生に転がされている彼に、ネメシアが着替えを投げつける。彼女は既に新しい着物に身を包み、元通りの様子だった。切り落とされたはずの右手を動かし、動きを確認して立ちあがる。


「風呂に入ってこい。」


 何事も無かったように扱われ、納得いかないと顔に出しながらも身支度を整えて主の前に戻ってきた零毬。文机の前に座っていたネメシアが、対面を指差す。指示通り文机を挟んで向かい合うように座った。

 心なしか不機嫌そうなネメシアに体をこわばらせて、言葉を待つ。


「かたくならずともよい。反逆未遂分の罰は既に与えた。貴様の研究が早速役に立ったぞ。」


怪訝な顔の零毬にうなじの辺りを示し、続ける。


「効果を限定した傀儡化の陣を描いた。貴様は私の言葉に逆らえなくなったのだ。」

「……!」

「嫌そうにするな。強制の意志を込めた言葉にしか反応しない。それに本題はそれではなくてな……」


言い淀むネメシア。高圧的で、ハキハキきっぱりした性格の彼女らしくない沈黙だな、と思いつつ、その様子を観察した零毬は既視感を覚えていた。


「面倒だ、最初から話そう。ここしばらく私が不在だったのは、人間が言うところの里帰りをしていたからだ。弟から会いたいと連絡が来てな。」

「弟がいるんですか。」

「ああ、双子の弟だ。で、人間を飼い始めたと話したら随分興味を持ってあれこれ聞いてきたのだが、話したら渋い顔をされた。やれ話のタネが少ないだの拾ったのに世話しないのは言語道断だの、途中から説教に変わった挙げ句もっと仲良くなってこいなどと……」


その時のことを思い返しているのか、机に肘をついて不満げなネメシア。


(思い出した、叱られて拗ねるチビどもに似てるんだ。)

「で、人間の扱い方を叩き込まれる羽目になって帰りが遅れた。もうほんっとうにダメ出しの嵐で……逆らわれても姉さんが悪い、そばに置いておくつもりなら態度を改めなよ、といわれたから、処罰は軽くしてやったし言いたいことがあるなら聞いてやるぞ。」


ふん、と腕組みして胸を張る少女。少し昔を重ね懐かしさを感じながら、零毬は考え、ややあって口を開く。


「愛玩動物扱いは……まああんたらには普通なんだろうしもういいです。人間について知ったなら、休息と食事の必要性は理解してくれたんでしょうね?」

「ああ。ひとまず布団と食料は買ってきたから、後で渡す。細かい事は分からないので貴様に任せる。」

「はい。」


ふ、と零毬が俯く。沈黙が降りた。


「何だ? 黙ってないで言え。」

「……俺をまだここに置き続けるつもりなんですか?」

「それを前提に話していただろうが。」

「人間を愛でたいなら、別の奴にしたらどうです。……わざわざ俺みたいな、気味の悪いのを……」

「気味の悪い?」


「ッアンタだって! 俺の目を見て固まってたじゃねえか!!」


 急に声を荒げる零毬にひるみもせず、その顔を見つめるネメシア。今はまた閉じられている、彼の右目。


「箱庭を壊した罪なら、俺を放り込んだ町の奴らも同罪! 償いがあるにしても反逆を企てた俺をわざわざ生かすより、他の人間を代わりにして俺を始末すんのが普通じゃねえのか!? ……俺の目を見て、なんでまだ、そんな風に……


真っ直ぐ見つめてくるんだよ……」


 脳裏にちらつく、目を逸らす母の顔。


「アンタが分からなくて怖いんだよ…!」


 両手で顔を覆って、ひどく小さな声で言う。ネメシアは身を乗り出し、その手を退かした。拒絶するように閉じられた目に、


「”私を見ろ”」


命令。鮮やかな、色とりどりの瞳と夜明けの色がかち合う。


「過去に何があったかは知らんが、貴様を救ったのはその右目だぞ。」

「……それは、どういう?」

「私は長い間ここにいる。生け贄と称し放り込まれた人間は貴様だけではない。」


いったん手を離し座り直す彼女に、不安げに瞳を揺らしながらも、零毬はおとなしく耳を傾けた。


「人間など、私にとっては路傍の石。興味を引かれるものでは無かったゆえ今までは朽ちるに任せてきた。そんな私が、何故、貴様だけ命を救ってやったと思う?」

「完成間近の箱庭を台無しにしたから……でしたよね?」

「それは勿論頭に来たが、死体を片付けて自力で修繕してもよかった。しかし……貴様の瞳が美しかったから。その色に惹かれて、失われるのを惜しんだ。あの時こそ怒り狂っていたが、今は償いはついでだ。」


 ついで。あっさり言い切る姿にポカンとする。


「それなのに貴様は頑なに右目を開かず、挙げ句箱庭にいない時間が長くて私も助けた事やその理由を忘れそうになったりしていたのだぞ。全く。まあ手元に置いて満足してしまった私にも非はあるが……。ともかく、貴様だからここに置いているのだ。分からないのもお互い様、話をしていこうと言っている。」

「………はい。」

「どうした? 変な顔をして。」

「……すみません、気が抜けたら、空腹を思い出したみたいで……」

「そういえばそうだった。先に食事をするか。」




 零毬が山積みの食材に驚いて騒いだり、まず掃除が必要だったり、ネメシアが調理過程に興味を示したり、てんやわんやしつつ米を炊くまで行き着いた。ふつふつ沸く音を聞きながら囲炉裏端に座り込み、ポツポツと話す。


「そうだ、私も今後共に食事をとるからな。弟いわくそうした方がいいらしい。」

「弟君の言葉は聞くんですね?」

「私と違って社交的で活発で、色々な事に詳しいから。まず言われたことはやってみるようにしている。」

「ふうん、そのうちお目にかかってみたいですね。」

「いつか、な。」


 料理ついでに用意した白湯を飲みながら、ネメシアは零毬の様子を窺う。同じように白湯をすすっているが、どこか茫洋とした顔だ。無気力にも見える。


「他に聞きたいことや話したいことはないか?」

「……あの戦いの最後、不利になるものは渡してないって、どういう事ですか。」

「言葉通り、私が対処できうるものを渡していただけだ。化物皮は高い防御力を持つが、本質は呪いの力。呪いを上回る力を剣に付与するか、浄化できれば無意味になる。魔法陣は私自身に耐性がありほぼ効かない筈だった。一時でも効果を示したのは貴様の努力がそれを越えたからだな、少し驚いた。」

「……まあそうですよね。危ないものを下僕には持たせないですよね。」

「そうだな。」


零毬は終始ネメシアの方を見ず、会話が続かない。あからさまに心を閉ざされ、何とかとっかかりを探し記憶を漁るネメシア。戦い、雑用、はちみつ、そして最初の会話。ふと一つ思い当たった。


「零毬。」

「! 覚えてたんですか、俺の名前。ここに来て大分経つけど一回も呼ばれなかったから、忘れてるもんだと。」

「相応の働きをしたら、と言っただろう。魔法陣の簡略化、これをもって貴様を認めよう。今後は名で呼ぶ。」


ようやく彼が視線を向けてきた。今が好機と、しっかり目を合わせて続ける。


「私は貴様の言葉を聞くと約束する。だから貴様は何かあったら言え。でなければ私はいつまで経っても貴様が分からん!」

「下僕の言葉を聞くと?」

「………~ッ今までの態度を詫びる! すまなかった!!」


 ちゃんと謝るんだよ、という弟の声が脳裏を過り、やけ気味に頭を下げたネメシア。それを受け彼は、一瞬目を丸くし、そしてやっと笑った。かいた胡座に肘をついていたのを正座し直し。


「では改めて、主従関係をやり直しましょう。期限は箱庭の完成までで宜しいですか?」

「私は永続で構わんのだが……貴様も帰る場所など無いだろう。」

「それはこれからの主サマ次第ということで。」




 何とか譲歩し合い改善を目指すと決めた翌日。


「さあ行くぞ!」

「……なんでこうなった?」


化物皮を纏ったままネメシアを子ども抱きにさせられ、形容し難い顔の零毬。少女にペシペシと肩を叩いて急かされ、歩き出す。


「いきなり俺の隠れ家に行きたいって、どうしたんですか。何にも無いのに。あとなんで抱っこさせられて……?」

「同じ目線で物事を見るといいらしい、と言われた。」

(たぶんこういうことじゃねえなあ。ま、ちまっこくて軽くて苦にはならないけど。)


 ネメシアがいるお陰で番犬は寄ってこない。少し迂回して山をゆっくり登っていくと、いい天気なのもあって水平線が見渡せる眺めに出会った。風は強く、ネメシアが毛皮に顔をうずめるようにしがみつく。


「寒いですか?」

「いや……平気だ。」


表情にも嘘は無い。視線は海の彼方、薄く微笑んでいて機嫌は良さそうだ。揺らさないようにしつつ、歩く速度を上げる。


「はい、着きましたよ。何がしたいんですか。」


 軽快に零毬から飛び降り、キョロキョロと数少ない物品を眺める少女。

 申し訳程度の枯草を敷いた寝床。

 小さな鍋。

 干された手拭い。

 そして、数枚の紙切れ。


「これは、貴様が描いたのだな。ふむ……」


ぴら、ぺら、と簡素な地図をめくり、束ねて抱えた。


「この地図を見ながら聖地を一周するぞ。どのくらい正確なのか見てやる。」

「はあ。先に飯にしましょうね。」


 ネメシアの勝手で唐突な物言いに慣れてしまった零毬は、雑に答えながら荷物を漁る。包みを二つ取り小さい方を少女に差し出した。食事の習慣が無い彼女の分を調整した結果である。


「良く食うな……」

「これが普通なんですよ。」


幼い女子の手にあってなお小さいおにぎりと、青年の手に余るおにぎりを見比べて引いた顔のネメシア。それを気にも留めず幸せそうに食べる零毬。


「空腹を感じないってことは、それを満たすときの幸せも知らないってことですよね。なんかかわいそう。」

「かわいそうだと?」


何気ない風の言葉に、ネメシアはぎゅむ、と顔をしかめた。人間ごときが見下すのか、という抗議をひらひら手を振って否定し、彼は続ける。


「主サマの生活を思い返すと、あんまり楽しみが無い気がしました。生きるのに苦労しない分、漫然としてるというか。」

「我々はそういうものだ。ささやかで安い幸せに縋る必要など無かった。」

「……人間には、その、ささやかで安い幸せが無いといけないんです。」


 零毬の声が急に沈む。直近の飢えのことではないと気づくも、それ以上踏み込むべきか、ネメシアはためらった。その数秒で零毬はおにぎりを完食し、立ち上がってしまったので話はそれまで。


「主サマ?」

「何でもない。」


誤魔化すようにおしぼりを受け取り手と口を拭う。片付けが済むと、来たときと同じように零毬がネメシアを抱え上げた。手書きの地図を少女が指差す通り、進んでいく。


 小規模な竹林。

 黒く口を開ける谷。

 まばらに立つ夜空色の石柱。

 描き込まれた場所を順に巡っていく。


「貴様、思った以上に優秀だったのだな。地図上の目印と、実際のものや場所との距離や位置関係の精度が高い。」

「そうですか? 元々大工として働いてて、距離とか角度とかの測量方法を習っていたからですかね。」

「ほう! 確かに、柵作りや塗装がやけに手慣れていたな。」


「番犬って不思議ですね。もう数が戻ってるし死骸も無くなってる。」

「奴らは各地の石柱から生成され、機能停止後は一定時間すると回収、再生成と、数が一定になるよう設定してある。いなくなるのは困るからな。」

「あの石から生まれるってことですか!? 食えない訳だ。」

「察していたわけではなかったのか? 同じ材質だから傷を付けられたのだぞ。…………待て、食おうとしたのか???」


 雑談混じりの散歩も終点に近づいてきた。つい先日大立ち回りの舞台となった石畳の広場に差し掛かって、零毬は耳慣れた音に気づく。


「祝詞だ。」


すぐにしゃがみ込み姿を隠す。木々が薙ぎ払われ、遮蔽物がないため遠くからでも様子が窺えた。

 白装束の集団が祈祷を行っている。

 しばらく待つと儀式が終わったようで、潮が引くように静かに、彼らは去っていった。


「奴らは何をしていたのだ。」

「そりゃもちろん、祈りを捧げてたんですよ。守り神・ホウライの神姫様に。」


零毬から離れ、祭壇に並べられたままの供物を眺めてネメシアは問うた。その隣に立つ零毬は答えながらも目の前の山を見上げていて、つられるように同じ方を向く。澄んだ空を背景に、ホウライ山は今日もそびえ立っている。


 ふん、と鼻を鳴らして手を伸ばす。


「主サマは神様じゃないんでしょう、受け取るんで?」

「ただ朽ちるだけのものをどう扱おうが、文句を言われる筋合いはない。」


果物を取ったネメシアへ咎めるような揶揄うような言葉をかけた零毬だったが、貴様も好きにしろと言われた途端酒樽に飛びついた。正直者である。


「ホウライの神姫とは何者なのだ。」

「大雑把な神話でしか知りませんね。」

「それでいい。語れ。」


主の命令に、零毬は記憶を漁る。ちびちびと酒をなめながら語り始めた。


 神話曰く。


 数百年前、戦火より逃れるため船を出した者たちがいた。頼る当ても蓄えもなく、死出の旅となる覚悟を決めていた彼らだったが、あるとき深い霧の中に迷い込む。

 導かれるように流れ着いた、人の手が入っていない豊かな島。上陸した者たちは美しい少女の姿をした神に出迎えられ、島に住むことを許された。女神は土地の開墾を助け、攻めくる船を沈め、大嵐さえ消し去って人々を守り育み、一方で機嫌を損ねると雷にて罰を与えたという。

 人々の生活が安定すると女神は聖地へお戻りになられた。この奇跡と神への感謝を忘れぬよう、古き伝承になぞらえ島の名を”ホウライ”と定め、女神を”ホウライの神姫様”と呼び祀った。

 今でも神姫様は人々を見守っていてくださるのだ。


「っていう話なんですけど。」

「……随分心当たりのある内容だ。」

「あ、やっぱり。見た目の特徴的にそうですよね。正直性格も違うし神じゃないって言ったから、神話丸ごと嘘っぱちか、と疑ってたところだったんですが。」

「人間に都合の良い解釈まみれだからだろう。私は邪魔を嫌って島に人間を近づけさせなかった。神話の者たち、つまり現在の島民の祖先は海霧に紛れて私の目を逃れただけ、そして有能な工芸・建築の技術者がいたから排除されなかっただけ。本当に幸運な奴らだった。」

「人々の生活を助けたのは?」

「品物の対価だ。得たものは多かったぞ、今の家とか。付き合いが面倒になって町に降りなくなったが、まさか勝手に祀られていたとは知らなかった。私は人間を見守ってなどいないのに、滑稽なことだ。」

「やった事が事、崇められるのも当然でしょう。なんで初めて会ったときは否定したんですか。」


 人にとって「神」とは畏敬の念からつけられる尊称、少なくとも零毬には嫌がる感覚が理解できない。率直な疑問に、さてどう答えれば伝わるかと考えを巡らせつつ次の果物を手に取るネメシア。

 小ぶりな林檎をかじると、酸味が口に広がった。


「……私には敬愛する主君がいた。主君の駒であれと定められ、私自身もそうあり続けるよう己に課した。主君の為の、主君だけの駒であることが存在理由……だから、他のなにがしかだと定義されることは、私にとって許し難い、耐え難いことだったのだ。何なら現在進行形で神扱いされているのも不快なのに。」


 まあ、主君は亡くなって久しいがな、と付け足した横顔に斜陽が差す。かける言葉を思いつかず俯き、酒が空になっていたことにやっと気がついた。


「日が暮れるな。よし零毬! 持てるだけ持って帰れ!」

「神扱いに文句を言ったその口で!?」

「私が受け取らなければ無駄になるだけではないか!」




 家に帰る、温かい食事を食べる、風呂に入る、そして布団で寝る。人間らしい生活が戻ってきたことを、零毬は改めて認識した。真新しい布団の感触に慣れず、寝返りを打つ。

 目を閉じると微かに聞こえる寝息。同じ部屋で眠っているネメシアのものだ。

 眠りに落ちる前の、ぼんやりした時間。


(……俺はされたことを忘れない。待遇は良くなったけどアイツがひとでなしなのに変わりはない。……あぁでも。神姫様が、平等に、誰も見ていないっていうのは、俺にとって救いだった。)


 許したくない心と縋りたい心がぐるぐるしている。眠気がきて、曖昧になって、零毬はやっと寝ることが出来た。


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