外伝3
「あ゛ー、やっちまったな。主サマ、どうしてるかな……」
手の届かない高さにある窓の、格子の影が床に落ちている。月光が石造りの牢屋を薄青に染める中、無造作に背中を壁に預けた零毬のぼやきが響いた。
「そういえばネメシアちゃんはどこへ?」
「あの枯竹のバケモンを追いかけてどっかに走っていっちまったんだ。まぁ俺たちの居場所はわかるだろうし、心配はいらねぇだろうけど。」
彼が肌身離さず身に着けている飾り篭手、契約とともに下賜されたそれにはネメシアの力が宿っている。目印があれば迎えに来てくれるはずだ。
拘留されたといっても鎖につながれてはいない。一晩反省しろと言われただけなので、悲壮感や焦りもなく時間が過ぎるのを待とうと横になる透子。だが、零毬が考え込んでいる様子に気づくと起き上がり首を傾げた。
「何か心配なことありました?」
「……お前、本当にこのまま何事もなく解放されると思ってんのか?」
「えっ。」
「都の歴史は嘘っぱち。正反対っていう主サマの物言いから考えれば、たぶん罪人とされているやつこそが被害者で、でもそれらは知られると不都合な真実だろ。そんなところに劇を見てなお『罪人』に接触しようとするものが現れれば何か勘づかれたかと疑うし、俺なら大事をとって始末を考えるかもな。」
「か、考えすぎでは? そんなホイホイ人を始末、とか普通しませんよぉ。」
「不老不死を謳う都に普通が通じるか? そもそも現時点で、化け物とはいえ他者を悪者にしたうえで利用してんだぞ? 頭ン中お花畑なお前じゃ考えつかねえだろうが、悪事を隠してる人間はな、バレていないか気にするあまり色々過剰に反応するし疑り深くなるものなんだよ。もうここは敵地のど真ん中だと思って、気を引き締めといたほうがいい。」
淡々と懸念を上げる声が止めば、夜特有の静けさが耳をつく。相も変わらず荒事に馴染めない透子が身を震わせるのに浅くため息をついて、零毬は目を閉じた。
その後は互いに一言も喋らず、格子窓の影はゆっくりと斜めに伸びていく。外の風や虫の鳴く声、意識的に休息をとろうとしている青年の深呼吸、所在なさげに手遊ぶ女の衣擦れ、そんなささやかな音ばかりの牢内。
雲がかかったのか、ふっと影も青も消えた闇の中、遠くで何かの軋む音が響いた。
「む…………っ!?」
音への反応よりも早く口元を覆った毛皮の感触、硬直しされるがまま抱え上げられる透子。ぴょんと跳ね上がった半人半獣の男が残りの手足で爪を食い込ませ、女一人を小脇に抱えたまま天井に張り付き、息を殺して近づいてくる足音を待つ。
手燭らしき揺れる光が見える範囲に届き、ややあって明かりを持った男の手が、鉄格子の隙間から差し込まれた。二人を探しているようでその手を左右に彷徨わせている。
扉を開けて入ってくるか、引き返して誰か呼びに行くのか。取るべき行動は男次第で決まる。緊張を漲らせながら様子を見ていたところ、別の手が牢の格子を掴んだ。その手は白くて小さく、続いて隙間を抜けてきたのは金の鞠のような幼子の頭部、迷わず上を見上げた双眸は薄青と赤紫の織り成す明け空色。
「そんなところに隠れていたのか。」
「……あ、主サマかよ~……!」
「びっくりしちゃいましたよもう! ところでどうして小さいお姿になっているんです?」
顔と声と雰囲気全てで脱力感を表現して、床へと降りた零毬が変化を解く。透子の指摘通り、ネメシアは十歳ほどの姿になっており、髪が短くなったため簪は帯飾りと化していた。着物自体も見覚えのない、黄色地に白兎の跳ねる子どもっぽい柄の物に変わっていて、黙ったまま突っ立っている男に胡乱な視線が集まる。
「誰だよおまえ。」
「楽団宝船のつづらです。隠れ里でも一緒に行動していたんですが、覚えていませんか。」
「どうでもいいことは記憶に残らなくてな。」
「三年も前のことですから、うちもちょっと……ごめんなさい……」
「そうですか。」
「さっさとここを出るぞ、詳しい話はその後だ。」
つづらがいったん引き返し、廊下に積んであった木箱を漁る。一つだけ離れた場所に空箱が落ちており、ちょうど小さくなったネメシアなら入りそうだった。なるほどそうやって手引きしたのだろうなと納得しているうちにあっさりと鍵は開き、男が三人を先導して走り出す。
牢のある建物を出て、極細の迷路のような裏通りを案内に頼って抜ければ、簡素な造りの小屋がずらりと建ち並ぶ地区に出た。都の他の場所と違いみすぼらしくさえある光景に驚く零毬。
「こんなところもあったのか……舞台の表と裏みたいな差だな。」
「言いえて妙かもしれない。ここは楽団員の逗留場所として提供されたけど、親分を含めた幹部は高級宿に宿泊してる。意図的に差をつけられているんだと思う……思います。俺たちは流浪の楽団だから都の仲間入りをするつもりが無い、仲間にならない奴らを本気でもてなす気はないんでしょうね。」
小屋の一つに滑り込み、戸締りしてさらに箱庭へ移動し、ようやく話し合いの姿勢をとった男。その慎重さ、警戒ぶりにただならぬものを感じ眉間にしわを寄せた零毬がネメシアを伺い見るが、残念ながらいつも通りのすまし顔で何も読み取れなかった。
玄関前の芝生に全員が座りこむのを見計らい、ネメシアが単独行動中のことを話し始める。
「巨人を追った先で楽団宝船と鉢合わせてな。楽団も巨人を攻撃し始めたので様子を見ていたところ、なぜか奴らもグリフィスを狙っているということを聞き取れた。結局巨人の逃走で戦闘は終了、奴らが引き上げる隙をついてこのつづらという男を捕らえ情報を聞き出そうと思ったら、こやつの方からなんでも答える代わりに頼みを聞いてくれと言い出したのだ。」
「へぇ、頼みの内容は?」
「まだ聞いていない。何度も同じ話をするのは時間の無駄だからな、全員揃ってから本題に入れと合流を手伝わせた。」
「なるほど。」
つまりまだ何も始まっていない。
主従が口を閉じ男に目を向けた、それを本題の促しと受け取ってつづらは姿勢を正す。
明るいところで見た彼は零毬や透子と同系統の顔立ち、名前からしてもウォカナ列島出身なのは確かそうだ。背丈は零毬より高いがひょろりとしていて髪や目、服装の色合いも黒のみと大人しく、楽団でも裏方なのだろう。そんな男が、わざわざ外様の人外に頼りたいこととは。
「実は、この都に来てから親分の様子がおかしくて。一度は焦ったようにここを出ていこうとしたのに途中で引き返したり、滞在を無期限に引き伸ばしていたり、それどころか俺たち楽団員より都の人間と行動することが増えていて! 都の連中は連中で、何かと親分に声をかけてくるくせに、俺たちには明かさない怪しげな活動をしている。普段なら絶対、あんな怪しげな奴らと手を組むわけないのに……っ!」
感情が漏れだし始めたのを自戒するように首を振って、息を整えて続ける。
「今の楽団は俺みたいに不信感を募らせてる人間と、何か考えあってのことだろうと忠誠を崩さない人間で二分しているが、その衝突も日に日に激化している。楽団宝船が空中分解する前に、都の人間が金舵親分を巻き込んでまでやろうとしている何かを突き止め、あの人に何が起きているか知りたいんです。団員同士は牽制し合ってるし、親分はあっちについてるし、頼めそうなのはあなたたちしかいないんです。」
どうか、と男が頭を下げる。相対するネメシアは、たかが人間の頭の位置が変わった程度では眉一つ動かしはしない。
「突き止めたい、知りたい、それだけか? わざわざ我々に願うことかそれは。」
「俺たちだって子供じゃない。決定的な情報を得られればこっちで考えて動きます。ただでさえ他者に頼るべきでない、内輪の問題ですから。このまま何もできず、何も知らないまま崩壊するより、裏切り者と言われても行動を起こすべきだと決意しただけです。」
「……ほう。情報共有だけなら手間でもない、やってやろう。」
「っありがとうございます!」
「礼はいい、情報を吐け。なぜ貴様らがグリフィスを狙っていたのだ。」
大喜びで顔を上げたつづらに冷たい声を投げて、一番の疑問を口にする。それを納得顔で受け入れた彼の答えは簡単なものだった。
「あいつが持っているグリフィスは、もともと俺たちが持っていたものでした。何も知らずこの都に迷い込んだ時、あの巨人に襲われ奪われた積み荷の一つです。あなた方が都に来たと知って、親分が何かあった時の交渉材料として取り戻そうとしていたんですが、なかなか逃げ足の速い奴で。」
「それが都の者に指示されての行動である可能性は?」
「別行動が多いので否定はできませんね……まぁ取り戻そうとしてあの化け物と戦ったのはさっきが初めてで、あいつがグリフィスに執着しているのも初めて知りましたから。都連中に不都合があったら、もっと早く動いていると思います。」
「……それは逆に言えば、その情報が今まさに奴らと共有されている可能性もあるってことじゃないですかね?」
「相変わらずこういう時は頭が冴える。零毬の言うとおり、後手に回るのは避けたい。最短で核心を目指すのならば外せないのは巫女の存在だ、巫女はどこにいる?」
つづらも同じ考えだったのだろう、すぐさま数枚の地図を広げてみせる。都の全体図、どこかの通路の見取り図、そして最後は改築の計画書と書かれていた。
「この都は東西に一文字に伸びていて、その真ん中くらいから北の山へ長い参拝道が作られています。山肌を彫って造られた月神の社の最奥に巫女はおられるそうで、警備も厳重。正面から入れるのは都の重鎮か、儀式の翌日、民に霊薬を配るために解放される日だけです。だから秘密の地下通路を利用しましょう。楽団の状況を危ぶんだ幹部が横流ししてくれたこの地図には、親分たちが使っているのと同じで道順が書いてあります。」
「こっちの改築計画書ってなんですか?」
「社の内装工事についての資料です。通行止めや物品の移動があるみたいなので参考になればと。俺が案内できるのは、地下通路の入り口までだから。」
「十分だ。では準備出来次第動くぞ。貴様は……そうだな、この陣札を持っておけ。」
対価としてとある陣札をつづらに渡し、立ち上がるネメシア。ザッと動き出すお供たち。
岩山を掘りぬいて造られた、外からの光は一筋も差し込まない石の回廊を、鉄靴が叩く。二人一組の見回りたち、片方があくびしたのをもう片方がからかう小さな声が通り過ぎ、戻ってくる様子がないことを確認して零毬は隠し通路の蓋を持ち上げた。
出た場所は階段下の空いた空間で、慎重に周囲を伺いつつ透子を引き上げ、次にネメシアを引っ張り上げてそっと蓋を閉める。準備の過程で再び成長した姿へ変身し戦闘用意もしてきたネメシアが、その人外の感覚でもって状況を読み取り安全な経路を導き出す。少女の歩みに即座に追従するお供二人、廊下の明かり間隔は広くほとんど闇に沈んでいるが、主に迷いが無ければ問題ない。
工事のための一時的な倉庫とされている部屋に侵入し、人の気配がないことを確かめ少女が小さく頷いた。
「今なら物音を立てても大丈夫そうだ。ざっと見て手掛かりになりそうな書類などがあればすぐ知らせろ。」
「はい!」
元気な返事を残して透子が棚へ走っていった。雑然と並んだ塗料の缶や木材竹材、作業着の予備などを物色する背中を数秒眺め、何か言いたげに傍らに残った青年へと向き直る。
「どうした。」
「道中の改築現場見たよな? 石を掘って整えただけの、武骨で生活感が無い元の姿に比べて改築後の豪勢なこと! まるで王宮だった。でも住居はあんなに手間暇かけて美しい街並みを作っておいて、都の歴史の根幹である神殿は今まで長いこと飾り気なしで放置してたのはおかしくないか? しかも改築後の図面は人間が生活する前提になってるんだよ、いや巫女がいるって話だから当たり前だと思うかもしれないけど、そもそも改築前は生活しやすさを一切考えてない造りだぜ? おかしいだろ。」
「つまり、この改築工事は巫女や月神のためではない、何か別の意図があるわけか。」
ふむ、と声を漏らしながら長考に入りかけるネメシアの元へ、今度は透子が戻ってくる。投げられたおもちゃをとってきた犬の表情で差し出したのは、巻物の束であった。
「話はうちにも聞こえていましたよぉ! たぶん、これらが答えになるんじゃないかと!」
「ほほぅ? これは……建材の取引目録、人材派遣について? 宮廷建築家とやらがなぜこのようなところに、どうやって――あぁ、いや、そうか。港町で聞いたな。ピンインの王都は山向こうと。」
「あ! 改築後のやけに長い通路はそういうことか!? 王都との連絡通路……!? でもここは異空間になってるのに、外とやり取りができているのか?」
「空間の接続には規則性がある。それさえわかれば時間を指定するだけでいい。で、次は……契約書と来たか。」
ひときわ厳重に結ばれた巻物を容赦なく紐解く。
そこに書かれていたのはブーシウ・ブービエン夫妻とピンイン皇帝が交わした密約。不老不死を餌に限りない欲望を満たそうとする夫妻の醜悪さが前面に出た内容に、三人そろって顔を歪めた。身分から娯楽から何から何まで皇帝の名のもとに保証させるのはいくらなんでも厚顔無恥だろ、と零毬が呟く。
「……不老不死は権力者が喉から手が出るほど欲しがるそうですけど、ここまで無遠慮にたかれるものですかねぇ……」
「あいつらも信仰は売っ払うもんだと思ってんのか。なーんかどことなく故郷のホウライと被るものがあるなぁ。」
「ここまでやるなら最初から信仰などしていなかったのではないか。金蔓認識だろう、これは。巫女と月之此君の引き渡しと皇帝側の要求にあるが、月之此君があの巨人のことだとしてどうやって引き渡すのだろうな。」
一通りやいのやいのと言い合った末、ネメシアは重要な手掛かりとして巻物を懐に収めた。
「しかし、透子のくせによくこんな重要書類を見つけられたものだ。どこにあった? まさかそこいらに投げてあったわけではあるまい。」
「ふふん! 塗料缶を一個ずつ調べていて、やけに軽いのになみなみ入っている怪しい缶があったんですよぅ。よく見たら二層構造になっていて、一定方向の一定角度に回さないと書類が塗料まみれになる仕組みだったみたいなんですけど……漏斗を見つけたので、塗料をうちの身体に移して空にしちゃいました! ガラス瓶の身体もたまには便利ですね!」
得意げにくるりと一回転した透子、服がめくれチラ見えした腹には塗料の黒が透けていた。ついでにちゃぽりと水音もする。
「すっかり慣れて有効活用してんな……」
「今回はいい働きだった、誉めてやろう。」
「やった!」
さて都の人間の目論見は突き止め証拠も入手した。しかし巫女の居場所は手掛かりがなく、神殿内の地図はあれど広大すぎて総当たりは難しい。どう動くか定まらず足止めかというとき、ネメシアがぱっと顔を上げた。
「グリフィスの反応が近づいてくる、奴だ。」
「奴……あの巨人か!?」
「追ってみよう。」
当然ネメシアは躊躇わない。零毬たちも当たり前に付き従い、再び神殿内を駆けだす。山をくりぬいただけの石の通路は、奥へ行けば行くほど明かりと人の気配が増えていく。時には普通に隠れてやり過ごし、あるいは天井に獅子の爪で張り付き、または箱庭へ退避して資材の隙間に潜り込み。
「兵士さんの鎧、さっきの書類と同じ紋が刻まれてましたね。」
「王都から送り込まれてきてるんだろ。都に大掛かりな鍛冶屋とか設備が見当たらなかった気がするし、ここじゃあの金属鎧は作れないだろうし。」
「しかしこの神殿内でしか兵士の姿を見ていないあたり、皇帝との取引は秘密裏に夫妻だけが行っているのだろうか。信仰を声高に歌っておきながら、巫女を引き渡した後どうするつもりなのやら。」
進むうちにまた人の姿が減り、通路の様相も変化し始めた。
ただ四角く掘り抜かれていた今までと違い、いくつもの小部屋を深紅真円の扉が繋ぐ不思議な造りが繰り返される、明らかに儀礼的なものへ。
「これ、ここにきて何回も見るな。」
「この丸い門、月門と呼ぶのだそうだ。洞門とも。前後の空間が異なることを強調する、あるいは……閉ざされた空間の先に正反対の、無限に広がる神仙の世界を示す意味があるとか。」
「じゃあこの先は儀式場ですかね……」
通路が昇り勾配になる。逃げ場のない一本道に気持ちが急く中、次の扉を開け放ったその時光が一行の視界を奪った。
一瞬身構え足を止めたが、明るさに目が慣れれば何のことはない、暗い通路を通ってきたせいで月光が眩しく感じただけ。辿り着いた最奥の間は広い洞窟のようで、壁は滑らかに磨かれ床には水を流しでもするのか溝が彫られている。突き当たりは舞台のように高くなっており、舞台の上の半ばから奥の壁にかけて、ぽっかりと開いた穴が美しい夜空を切り取っていた。
そこには誰もいない。
ただ異様なまでに強く輝く月が、舞台を真っ白に照らしているばかりであった。
「劇に出てきた祈り場か……」
周囲を見回し確認するように呟きながら、ネメシアは舞台へ歩を進めていく。舞台中央には浅い円形のくぼみと、床とつながる細い溝。見上げればほぼ真上に座する月。満月には数日足りないようだ。
「巨人さんいませんねぇ。どうですかネメシアちゃん、何かわかりそうです?」
「……少なくともこの場所がどうというわけではないようだ。奴の位置は、ここのすぐ下で止まっている。」
「すぐ下?」
話しながら天窓の縁へ、一息に飛び上がった少女。外に身を乗り出し見下ろした山肌には、正面ほど手はかかっていないものの出窓らしき屋根がぽつぽつあり、おそらくは空気穴か採光窓だと思われた。ついてこいと身振りで示す主に、変化した零毬が透子を小脇に抱えて続き外へ、別の窓を潜り抜け今度は神殿内を下へ下へ。
「主サマ、なんかここら辺から急に油臭ぇぞ。」
その途中、獣そのものの動きで鼻をひくつかせた青年が突如そう言った。零毬の感覚に頼り臭いを追っていくと、開きっ放しの扉とその向こうの巨人の姿を発見し、こっそりと部屋の前まで忍び寄る。
「……なんだ、これ。」
「ふぅむ、悪趣味なことだ。」
覗き込んだ部屋の信じがたい有様に、主従が吐息に紛れさせる小ささで驚嘆の声を漏らす。
その部屋は広く、天井も高かったが、半分より手前で鉄格子に分断されていた。格子の向こう側は少し床が低くなって液体が張ってあり、息の詰まりそうな油臭さはこれが発生源であるようだ。粘性のある液体特有のてらてらした水面が松明の光を反射する。ここまでの時点で十分異様な造りをしているが、目を引くのはもっと上の方。
指二本分ほどの太さの縄が幾本も絡まり、もつれあい、檻の中の空間を埋め尽くさんとするように縦横無尽に張り巡らされているのだ。ところどころは壁や天井の裏を通されているので見える範囲だけではどこがどうつながっているか知りようがない。
歪な網に包まれ支えられて、宙吊りにされているのは丸い大きな竹籠。布や綿が詰まった揺り籠のようなその中に、身じろぎ一つしない少女が収まっていた。
「巫女とは、あれのことか。」
体格は人間の十二、三歳くらいだろうか。先ほど見た月光のように白く輝く髪は短くぽわぽわとした巻き毛で、黒い縞模様の入った丸い耳と尻尾が生えているので少なくとも普通の人間ではない。身に纏っているのはなぜか湯浴み着だ。真っ白な素足が力なく投げ出され、瞼もしっかりと閉ざされたままで命の気配は感じられない。
「――ホゥユエ。」
不意に低い呟きが響く。ハッと息を呑み続く言葉を待つ一行、ぺたり、裸足の巨人が鉄格子ギリギリまでゆっくりと歩み寄った。
「また、月が満ちる。某の母が来たる。……今度こそ、器を満たせるはずなのだ。必ず迎えに行く、約束を果たすから、待っていてくれ……!」
答えはない。
背中しか見えないが、名残惜しそうにしている雰囲気は読み取ることができた。松明の火が何度か揺れるくらいの沈黙の後、ふいに彼が体の向きを変えたので慌てて頭を引っ込める。一行は部屋の入り口に陣取っているため、こちらへ来られたら鉢合わせは確実。戻るか、天井に張り付くか、箱庭を使うか。
しかし決断を下すより先にカラン、と軽いものが床を叩く音が響き、びくつくお供を置き去りにネメシアが素早く中をのぞくと。
「……奴がいない。」
「は!? 本当だ……」
「えぇ、どうやって?」
ほんの数秒で、他に出口のない部屋から巨人は姿を消した。警戒しながら室内へ踏み入るがやはり気配はなく、音の発生源と思しき干からびた竹が、床に転がっているばかり。長さ三尺、太さは腕ほどのそれは、零毬が拾い上げても何も起こらなかった。
「そういや、奴と戦っている最中にも仕留めたと思ったら竹を切っていた……なんてことがあったな。竹林を操る力も持ってたし、どこかの竹と自分を入れ替えるみたいな、トンチキな移動手段を使えるのかも?」
「しかし少なくとも、残されたものはただの竹だな。樹木の精霊に似ている気がするのだが、掴み切れん存在だ……」
主従が竹の切れ端を調べて話し合う中、透子の目はずっと籠の中の少女に釘付けになっていた。もっとよく見ようと近づけば、自然と巨人が立っていたのと同じ場所になる。鉄格子と、不規則に張り巡らされた縄と、さらに竹籠を隔てた巫女の姿はほとんど隠れており、神秘性と息苦しさともの悲しさがごちゃごちゃに胸を満たして苦しくなった。
「神聖な巫女というより、なんだか人質みたい……」
「そうじゃなきゃこんな大掛かりな仕掛けしないだろ。」
知らぬ間に隣に立っていた青年の声に驚き肩を跳ねさせるが、彼はお構いなしに続ける。彼の視線も巫女に注がれたままだ。
「壁の明かり、台座に縄が繋がってるだろ。正しく罠を解除せずに手を出せば、火が落ちて巫女ごと侵入者を荼毘に付すんだろうぜ。あいつも可哀そうに、ここまで忍び込めても指をくわえて見ているしかないわけだ……よっぽど大事な奴なんだろうな。」
おもむろに振り返った零毬の顔は、久々に見る悪辣な笑顔で。
「どうする主サマ、これ燃やしたらきっと、どうなるかはわかんないけど決定的に状況が変わるのは確かだろ?」
「やめろ。あの巨人との断絶を決めるのは早計だ。」
ぴしゃりと却下する主に肩をすくめ釣り上げていた口角を下ろすが、色違いの双眸は意味ありげに再び籠へ向いた。
奇妙な沈黙が落ちる。零毬が突然そんなことを言い出した意図を読めず、透子が助けを求めて目配せした先、ネメシアは軽いため息とともに気にするなと手を振った。
「ところで貴様ら、女ばかり見ているが本命はおそらくその後ろだぞ。」
「うしろ?」
指摘されて初めて、巫女の揺りかごのさらに奥を注視する。ただでさえ光量を絞られた明かりしかないため影になっているとまさに闇という暗さ、それでもよくよく見れば大きな箱が、籠と同様宙吊りにされていると分かった。
「なんですかねあれ、平たいけどでっかい箱!」
「縄の張りつめ方からすると相当重そうだな。金属製か? だったら火の海になっても箱は無事か。巫女を盾にしつつ、万が一強行されても守れるようにって事なら、なるほど本命は箱だな。」
「まあ、それがわかっても今ここで何かできるわけではないが。おそらく月が満ちなければあの巨人も、巫女も、その箱の中身も、もしかしたらグリフィスも、何の役目も果たせないのだと思う。」
「じゃあここは収穫無しって事ですかぁ?」
「強いて言えば巨人の目的に見当がついたくらいだな……それも確証はない。やはり、もう一度奴と対話する必要がありそうだ。」
行くぞ。凛とした号令、さっと踵を返し部屋を出ていくネメシアにパタパタと透子がついていく。しんがりを務める零毬は、扉を閉めようとして自然にあの竹籠を視界に入れた。
何度見ても、胸中に沸き立つのは強い憐憫。
「傍にも置かれず、他人の手に渡って辱められるくらいなら、死体なんてとっとかないでほしいよな。嬢ちゃんもそう思うだろ?」




