月下に踊る
走る。僅かな時間も惜しい。
走る。曲がり角は壁を蹴って減速を最小限に。
来た道をやけに長く感じながら駆け抜け、零毬は目星をつけていた小さな講堂へ飛び込む。
「邪魔、邪魔、邪魔ッ!!」
講壇も机も椅子も、まとめて部屋の端へ投げ飛ばし押しやり平坦な広い場所を確保すると次は箱庭へ。分断される直前ネメシアが投げたのか、箱庭の結界球が足元に転がっていたのは僥倖だった。置きっぱなしになっていた魔法教本をひっつかみ、逸る気持ちを押さえつけながら頁をめくる。
(これに載ってるのは簡単な術ばっかりか。でも術式の構築法則は難易度に関わらず共通してるはず……!)
効果の似た陣を見比べて違いを探し、似ても似つかぬ陣の共通点を割り出し、どこの記述が対象を指定しているか処理の順番はどこで決まるか、出力は制御は安全弁はと瞬く間に記述法則を突き止め神秘的な魔法を要素に解体していく。
零毬に自覚はないが、これだけは単純に、疑いようもなく、天与の才であった。神秘を扱うために付与された理屈、術と名の付くものに対し彼は驚異的な分析力と適応力を持っていた。
「っし、外側の円環の中身、ここを逆にすれば術式は逆回しで実行されるわけだ!」
求めた情報に辿り着き小さく快哉を上げ、ガラスの透子を担ぎ上げて講堂へ出る。懐から取り出したるは軽石、そして主から託された魔法陣の写し。ざらついた石の床に、迷いのない手つきで白い線を引いていく。
「あぁもうなんで円形なんだ!!? ほぼ直線でできてる主サマの魔方陣を見習えってんだ書きにくいな!!」
真円を書くのに多少苦労し一人で文句を叫んだりどたばたしたりしたが、最終的に思い描いた通りの陣を完成させ、急いで透子を中央に据える。円形陣の外側を正方形の陣で囲み、力を逃がさない結界を張りつつ呪文代わりに直接力を流し込むための回路を繋げ、魔力は飾り篭手に充填されているネメシアの力で代用、準備はすべて整った。
零毬が右手で方陣の線に触れる。指から線へ、線から陣へ、陣から陣へ、そして透子へと光が奔り、カッ、と部屋中を真っ白に照らすほどの閃光が満たす。
それが収まった時、魔法陣の中央には、ぽかんと口を開け目をしばたかせ、己の両手が動くことを確かめる透子の姿があった。生き物らしい色と身動きを取り戻した女に、成功したようだと詰めていた息を吐く。そして当の彼女は青年の姿を認めると、猛然と彼に掴みかかった。
「ちょま、ぐえっ!」
「零毬さん~~~っ!! 元に戻してくれたのはありがとうですけどうちの扱い酷すぎますっ! 平気でジロジロ見るしさっき持ち上げたときだってどこ触ってんですか最低! 最悪!!」
「うるっせえな恥の感情があるならさっさと着替えてこいや! こちとらてめえの裸なんざ興味無ぇんだよ、それより主サマを助けるために力貸せ!!!」
怒鳴られ、怒鳴り返し透子を箱庭に叩き込んで、休む暇なく次の陣を描く零毬。今度は四角い陣だけ、様々な種類を次々に組み合わせ連ねながら、この発想に至ったきっかけを思い返す。
しばらく前、まだワタヌキに滞在していた頃のことだ。人ごみに疲れてご機嫌斜めになってしまった主を、箱庭で休憩しつつあやしていた時。いつの間にか眠ってしまったネメシアを寝台に横たえようとして、その懐がぽわぽわと光っていることに気づきそっと取り出したのだ。
「……これは、確か弟君と連絡が取れる通信機だって言ってたか。」
そもそも他に連絡を取り合う相手がいないので今回も間違いなく弟君、ゼスタからである。多少逡巡したが緊急の要件だったら主を起こそうと決め、零毬は黒い板状の通信機をつついた。
ぱっとその表面にゼスタの顔が映し出される。
「もしもし……ってあれ、零毬さんだ。こんにちは。」
「こんにちは、主サマならさっき寝ちまったところですよ。起こしますか?」
「ううん、元気かなって気になっただけだから。どうですか? 旅は楽しめてますか?」
「俺は楽しいですよ。主サマも、たぶん。弟君、せっかくだから聞いておきたいことがあるんですが、大丈夫ですかね。」
「大丈夫です。なんなら僕のことは呼び捨てでいいんですよ。」
ネメシアとは正反対の、おっとりした少年は気軽に応じる。だが。
「グリフィスって作る手段はないんですか?」
その質問を投げかけた途端、すっと真顔に変わる。
「……それ、姉さんが何か言ったの?」
「え、いや、主サマは何も。ただ俺が、義肢を外した主サマを見て、不便そうだから早く治してやれないもんかと思っただけ、だったんですが……」
「なんだ、そっか。うーん、方法はありますよ? でも実行するのはお勧めできないかなぁ。」
急な雰囲気の変化に動揺半分、こうなると姉弟そっくりだなという感慨半分で答えれば、明らかにほっとして見せた後に腕を組んで悩み始める。
「まあでも一応知っておいて損はないのかな……うん。グリフィスを生成する方法は二つあります。
一つ目は僕たち自身が力を貯めて圧縮、結晶を直接生成する方法。姉さんが行っていたやり方ですが、身体が欠損した状態だと結晶化できるほど力に余裕はできません。今姉さんが眠っているのも、活動する体力をつくるためです。本来なら僕らは食事も睡眠も必要ではないので、やってる時は娯楽か、そうしなければならないほど追い詰められた状況か、ということです。
二つ目は素材を用意して、それを魔法陣でグリフィスに変換する方法。陣は目録に載っているはずなので、問題は素材ですね。素材には条件指定があって、まず大前提として生命活動をしている有機物である必要があります。」
「せいめ……? ゆうきぶつ……?」
「わかりやすく言うと生き物の肉です。量的な効率を求めるなら生きたまま、質的な効率を求めるなら高い知性を持つ生き物が望ましい。つまりまとめると、最適な素材は生きた人間なんですよ。あ、なんでそうなのかは僕らも知りませんからね、残ってた資料を見ただけなので。」
「はぁ……えぇ~、切り落としたての腕とかはダメなんですか?」
「変換できるけど質がすごく落ちます。僕らの身体に使うなら……少なくとも変換しながら切り落とさないとだめ、かな。でも肉から血管から神経から全部磨り潰すみたいに石に変わっていく痛みを味わうので、発狂死する可能性が高くて。だからお勧めできないし、したくないです。」
「戻りました~、ってこれから何するところですか!?」
透子の素っ頓狂な声に、記憶の海から引き上げられる。
退けたはずの机と椅子を一つずつ、柱のそばに固定して陣を書き込んでいた青年は、伺うように視線を彷徨わせる彼女に振り向きもせず指示を飛ばす。
「箱庭から、待機してる猟犬どもと、あと斧持ってきてくれ。」
「あ、はい。」
やがてできる準備をすべて終わらせた零毬は、真剣な顔をして透子に作戦の説明を始めた。
「時間がないから黙って聞けよ。まず、主サマは螺旋階段のあるでかい吹き抜けのところで、グリフィスと神官どもが寄り集まって現れた天使とかいうのと戦ってる。でも義手がだめになってグリフィスも奪われて、片腕欠けたままの不利な状況を強いられてる。主サマを助けるために、俺は片腕分のグリフィスをこれから作る、それを主サマに必ず届けるのがお前の役目だ、いいな!」
こくこく、と頷く透子。猟犬たちもじっと零毬を見上げ聞き入っている。
「で、グリフィスを作る前に俺の身体を固定する必要があるから、この縄で俺を縛ってくれ。」
「はい! ……はい?」
椅子と柱と零毬をまとめてぐるぐる巻きにする作業中にも、彼の説明は続く。
渡された石の杭を震える手で握りしめ、透子は最終確認のため口を開いた。
「こ、この杭を、零毬さんの手のひらに突き立てないといけないんですね? うちが。」
「おぅ。」
「そしたら零毬さんの手がグリフィスに変わっていくから、変化が肘上まで来たときに、斧で、肩のあたりから切り落とせと。」
「切る位置を間違えたり機会を逸して変化が胴まで届いたら俺は死ぬことになるからな、絶対に失敗するんじゃねえぞ。」
「そして出来上がったグリフィスの塊を、ネメシアちゃんに必ず届ける……」
「猟犬どもに陣札を仕込んであるから、一回壁をぶち破るくらいはできるはずだ。万が一敵に奪われでもしたら、お前の身体を粉々に砕いてお前の目の前で肥溜めに混ぜ込んでやるからな!!」
「嫌すぎます!!! いやでも本当に、うちがやらなきゃいけないんですかぁ!? こんなガチガチに固定しなきゃいけないくらい苦しい目に遭うのを覚悟してまでこの方法を取らなきゃいけないんです!!?」
「そりゃ俺だって! 痛い思いなんかしたかねぇ!!
でも!!
大事なネメシアの一部になるんだぞ、その辺の有象無象なんざ使えるかよ!!!」
魂の籠った叫びとともに左腕を、陣をびっしり描いた机に叩き付ける零毬。そのまま手を開いて動きを止めた。
「時間ねえんだよさっさとやれ! 絶対失敗すんなよ!!」
「……! 自ら身を捧ぐ覚悟、あなたの信仰は本物なんですね……わかりました、やります、やってみせます……!」
表情を引き締めた透子が身構える。
「…………」
「………………」
「……………………」
「早くやれっつってんだろ!!!!! 冷や汗ダラダラなんだよ見てわかるだろ一思いにやれぇッ!!!」
「こっちだって心の準備が必要なんですよ急にこんな重責背負わされてうちだって手汗すごいんですけどぉ!!!?」
もだもだしつつ大きく深呼吸した透子に、零毬が今度こそ歯を食いしばって顔をそむけた。
「ううぅぅう~、なむさんッ!!!」
ダンッッ!! 石杭が手のひらを貫き机に縫い留める。紅い飛沫に反応して陣が起動する。パキパキパキ、と音を立てて夜空色の石が皮膚を食い破って表出し始めた。
「あ、あああぁぁああぁあっぁぁ!!」
石が拡がる。侵食していく。細胞一つ一つを食い潰すように成り代わっていく。手のひらの穴から始まったそれは恐ろしい速度で進行し、痛みに痙攣する指々もすぐ神経を乗っ取られて動かなくなった。
「あがッがあああぁアアァアっ!!!!」
激痛を逃がそうとのけぞって後頭部を強かに柱に打ち付ける、それも認識できないほどに、思考も感覚も尋常でない痛みに塗り潰されていた。
絶叫し手負いの獣の如く鬼気迫った零毬の暴れように怯え、後退りかける透子。しかし彼の命は自分にかかっていると思い出し、ハッと鋭く息を吸い込んだ。手斧を握り直す。
苦悶の声が響く。
黒銀のきらめきが肘あたりに到達するのを視認して斧を振り上げる。
「やあぁっ!!!」
グリフィスが二の腕を駆け上がるより先に、分厚い刃が骨ごとそのつながりを断ち切った。
切断面から血が流れ落ち周囲を真っ赤に染める。落とされた腕の方は断面までグリフィスに覆われると静止し、叫び声も止んで静けさが戻ってきた。
斧刃を人の肉に食い込ませた感覚、生々しく悍ましい感触に吐き気を堪えながら、透子はふらふらと零毬の前へ回り込む。
ぐたりとうなだれピクリともしない青年。その頬を軽く叩いて呼び掛ける。
「零毬さん、生きてますか? 終わりました、たぶんうまくいきましたよ……!」
薄く瞼が持ち上がり透子の顔、次に机上のグリフィスと視線が動き、また閉じ。
「あと、たのんだ……」
そう言い残して零毬は完全に気を失った。
せめて応急手当てをしていくべきかと迷う彼女を、後押しするように飾り篭手が輝き傷口にも光が集まりだす。
「……わかりました、急ぎます。行きますよ猟犬さんたち!」
彼には主の守りがある、そう理解した透子はしっかりした足取りでグリフィスを抱え駆けだした。
一方その頃、地下祭場では。
上から下まで張り巡らされていたはずの螺旋階段はボロボロの途切れ途切れ、壁は穴だらけの傷だらけ。それらの損傷が現在進行形で増え続けている、すなわち戦いは続いていた。
天使の頭上へ飛び降り流れるように剣を振り抜き付け根からその翼を奪う。着地即跳躍、近い足場へ逃げつつ敵を蹴り落とすが床に叩き付けるより早く翼が再生、不発に終わる。泣き声とも笑い声ともつかぬ大音量を発しながら天使が翼を振るい、飛んだ羽根の雨が石造りの階段を貫通。無数の穴からひび割れ瓦礫と化してバラバラ落下していく。
既に移動していたネメシアはその様を見つつ思考を回していた。
(片腕が無いのは痛い、足場を飛び回っての空中戦ではなおさら。その足場もいずれなくなり、斬撃は即再生、打撃は敵が浮いているせいで弱まる。まともに通る雷は……私のエネルギー不足で威力が出ない。ここまで不利なのは人生初かもしれんな。)
ふ、と吐息だけの笑いが漏れる。上げた視線が白濁した赤子の目とかち合う。
「おっと。」
巨大な口から放たれた音圧で、少女は壁に叩き付けられた。
「ぐっ、めり込んだ壁から抜け出すにも苦労するなっ……!」
剣を握ったままの右手で体を引っ張り出そうとするが、敵の手に引きずり出される方が早かった。ぶらりと宙吊り、抵抗する間もなく振り回され最下層へ投げ落とされる。
ズダン!! 優れた身のこなしでしっかり着地はしたものの、間髪入れず天使が飛来しとっさに雷で迎撃するネメシア。
(こやつに私を仕留める攻撃力はない。だがこうやって突っかかられる限り私も勝敗を決するだけの力を溜められない。泥仕合……零毬の命が揺らいだような気配もあったし、任せるとは言ったがどうするつもりなのやら……)
幾本もの手を避け羽根を防ぎ、壁や階段の残骸を蹴ってなんとか上へ、一方的に有利を取られないように立ち回る。
奇声を発しネメシアを追って羽ばたく天使だったが、突如急停止し少女に背を向けた。何事かと思う間もなく空間が揺れ、外と内を分かつ壁がたわんだのを感じ取る。
「ネメシアちゃあああぁん!!」
何かが砕ける音、叫び声、そして透子が、吹き抜けの上の方から降ってきた。
「そぉい!!」
落ちつついつもの大槌を召喚、天使へと自由落下速度を乗せた一撃を見舞う。耳障りな悲鳴を上げふらめく天使の顔面にしがみついた透子は、何を考えたのか自分の首を引っこ抜き、
「すいません受け取って~!」
投げた。
ネメシアが剣を手放し受け止めようとする。同時に天使が透子を振り払おうともがき、壁に激突した。
バキャンッ!!!
派手に飛び散るガラスの身体と内容物。中空の身体いっぱいに満たされていた液体を浴びた天使のもとへ、一匹の猟犬が駆ける。すれ違いざまに投げられたのは、赤々と燃えるたいまつだった。
「ギャアァアアアアァ!!」
火だるまになり、むやみやたらと手や翼をばたつかせながら落下していく天使を見送ってなるほど、と呟く。
「油か。」
「はい! 地下だと照明は欠かせないので、たくさんあったんです! さあ零毬さんからの預かりものです、どうぞ!」
身を潜めていたもう一匹の猟犬が、透子の言葉に応じたかのように現れた。胴体に括り付けられている夜空色の塊に、少女が珍しくはっきりと驚いた表情を見せながらそれを手に取る。
「……これは、零毬…………いや、今はそれどころではない、か。」
感情を閉じ込めるように一度強く目をつむり、再び開いた時にはいつもの冷徹な雰囲気を取り戻して、彼女はグリフィスを腕があるべき場所に押し付けた。
目を灼く光が、雷が、風が熱が巻き起こる。零毬の腕が変換された様を逆回しにするように、硬く黒い石の表面が柔く白い少女の肌へと塗り替えられていく。
義肢では補完できなかった内部機構、体内に張り巡らされた増幅回路がこの時を持って復旧。腕の体積差で余るグリフィスはエネルギーに分解して吸収、これにて人外なる白金の乙女、完全復活と相成った。
強大な力に危機感を覚えたか、火も消しきらないまま天使が突っ込んでくる。両腕の揃ったネメシアは不敵な笑みを浮かべ剣を振りぬき、雷纏わせた刃が眩い軌跡を残した。
ばかりと真っ二つ、きれいに焼け焦げた断面は再生を許さず。天使は火の海となった最下層へまた沈んでいった。
「ここまで弱らせれば借り物の力は行使できんだろう。奴はとりあえずここに閉じ込めておいて、零毬を回収しに行くぞ。」
「その前にうちの身体を回収してくださいぃ! 直したはいいけど階段がこんなになってちゃ上がれませんよぉ!」
「ああ……」
下の方でパタパタ手を振る首なしの身体は、業火や無残な天使に囲まれる中でやたら呑気に見え、急に気が抜けたネメシアはため息のような相槌を打つのだった。
地下から響き続ける衝撃音とくぐもった恐ろしげな声に、深く眠っていた人々さえも聖堂付近の異常に気付き始めていた。
「いったいこの音は何だ!?」
「巡回の聖堂騎士様たちが見当たらない!」
「あちこちに血痕が!?」
「何が起こっているんだ!?」
不安に駆られた信徒たちが寄宿舎から大聖堂前の広場に集まるが、上位聖職者しか聖堂の扉を開くことはできない。そのために彼らは地に膝をついて祈ることしかできなかった。
「ねえ、音がだんだん近づいてきてない?」
「地面も揺れているような……どなたか神官様が出てきてくださらないだろうか……」
人々が曇った顔を見合わせたその時、望み通り勢いよく扉が開かれる。肌は煤に塗れ、焦げてほつれた修道服を翻して走り出てきたのは透子。
「皆さん落ち着いて! まずは大聖堂から離れないと危険です、ついてきてください! 説明は避難してからしますので!!」
他の誰が口を開くより早く声を張り上げて、有無を言わさぬ強引さで移動を促す彼女に疑念は尽きずとも素直に従い動き出す人々。
「まるでアリの行列だな。」
大聖堂にほど近い丘の上で、豆粒のような人影を眺めてぼそりと零毬がこぼす。ぐぐっと両腕を伸ばしながら、宙に指を走らせ大掛かりな陣を構築していく主に目を向ける。ネメシアは既にいつもの姿ではなく大人の姿を取っており、凛とした後ろ姿を飾る簪に少しの優越感を感じながら声をかけた。
「こういう時、あいつの肩書きは便利だよな。もうほとんど退避が終わったみたいだ。」
「そうか。零毬は無理せず箱庭で休んでいても構わんのだぞ? 腕は治せたが体力は消耗したままのはずだ。」
「平気だよ、主サマの治療の腕が上がったおかげかな。」
「今回は透子の治癒魔法もあったし、部位欠損の再生にしては迅速にできたと思う。」
言葉を交わしながらも手は止めず、ネメシアはついに陣を描き切った。右手と左手でそれぞれ描いた別々の陣、その片方を九十度回転させてから重ね合わせれば、花のようにも星のようにも見える形が出来上がる。
「実は私もこれを使ったことが無くてな、どうなるか楽しみだ。始めるぞ。」
魔法陣を指ではじく。加えられた力に従ってそれはふわりと飛んでゆき、大聖堂上空で停止、次の瞬間建物がすっぽり入るほどの大きさに広がる。陣が発する光がいまだ星の輝く空を遮り、大地が真昼のように照らし出される。
「せっかくだから両手を使わないとできない上級複合陣を組んでやった! しっかりと私の怒りを味わって――消し飛べ、天使!!」
少女が手を振り下ろす、全く同時に魔法陣から大地へ光の柱が突き刺さり、大聖堂は丸ごと白に飲み込まれた。
一拍遅れて突風が吹きすさび、零毬が顔を腕で庇いつつ踏ん張る姿と対照に、ネメシアは仁王立ちしたまま光の中心を見据える。彼女の目には、あの天使がのたうち回りながら融けるように消滅していくさまが見えていた。
一欠片も残さず消え失せたのを確認して、空へ手を伸ばし握りこぶしを作ると役目を終えた魔法陣が光の粒子となって霧散、夜の闇が戻ってくる。大聖堂があったはずの場所には、奈落の如く深く、巨大な穴が残っていた。
「……終わったのか?」
「終わったとも。あの腹立たしい盗人は、この世から完全に消え去った!!」
両手を広げ晴れやかに、物騒な台詞を吐きながら零毬の方へ振り返った。可憐で苛烈で美しい女が白い着物をひらめかせご機嫌に笑う。
ふと、今が好機なのではないかと、零毬は懐の大事な物を意識した。
自然体を装って隣へ歩み寄る。視線を合わせようと顎を上げる彼女の後頭部で、簪がチリチリと音を立てた。
「やっとその姿になれたな。」
「そうだな、欠損した状態では肉体年齢をいじれなかったから。これならば文句はあるまい?」
自信と期待を漲らせて、ネメシアがぐっと距離を詰めてくる。物欲しげな唇を指で遮ればむっとされたが、零毬の高揚が伝わったのか表情を緩め首を傾げた。
「ちょっとな、俺のわがままを聞いてほしいんだ。」
「なんだ。」
「婚姻の物も約束も、もっとちゃんとしたものを、ってずっと思ってた。改めて、受け取ってほしい。」
二歩ほど下がって、丁寧に取り出した小さな包み。黒い布を取り去って現れたのは朱塗りの化粧箱で、南天の蒔絵に囲まれた窓から中身が見える。
「櫛……?」
黒檀でできた本体は半月型、散らされた雪輪模様を下地として左上に描かれたむら雲の間に月に見立てた一粒の真珠が嵌まり、それに吠え掛かるような螺鈿細工の獅子が見事にきらめいていた。
「櫛も、求婚に使われる道具の一つなんだ。苦しみも分かち合い、死ぬ時まで共にあろうってな。でも俺がこれに込める意味は少し違う。」
零毬は箱を受け取ったネメシアの両手を外側から包みこむように握り、言葉を重ねる。
「俺は主サマに安寧を願って、契約して現世に舞い戻った。でも一緒に過ごして、少し考えが変わったんだ……苦しみも死も、アンタのためなら捧げられる。アンタが隣を許してくれる限りは。
どうか俺が終わるいつかの日まで、隣に…………俺と、添い遂げてくれませんか。」
これ以上ないほど真摯に差し出された想い。
胸の内で何かが大きく膨らむような感覚に吐いた息が震える。返す言葉を探して空を仰いだネメシアの目に、寝待月が映った。穏やかな風が今更焦げたにおいを運んできて、もう一度正面を見れば下僕であり愛玩動物であり宝物であり、愛しく思っている男が目元を赤く染めながらじっと答えを待っている。万華鏡のような右目が星の光を吸い込んだようにぎらぎらと輝いていた。
形のない何かがあふれ出しそうで、息が苦しい。しかしその感覚は嫌ではなくて。
化粧箱をしまい、武骨な男の手を捕まえて、衝動に任せ足を動かす。びっくり顔の青年を物理的に振り回し、不格好ながら古い記憶の中にある舞踏をなぞってくるくる回り喜びを表すと、最後にはその胴体に飛びつくように抱き着いた。
「貴様の願い、貴様の誓いの証、喜んで受け取ろう。私からも誓いを贈らせてくれ!」
言うが早いか契約の術式を呼び出し書き換えるネメシア。驚きっぱなしの零毬の頬に手を添え引き寄せる。
「今までは、私が一方的に終わらせられる契約だったな。添い遂げるというならそれではだめだ、私の終わりも貴様と同じにしなければ。貴様の生は私の生! 私の行くところに貴様も来るように、貴様の死ぬところで私も死のう!!」
彼女の宣言に反応し輝きを増した契約陣が、二人の手首のみならず全身に絡みつき溶けるように消えた。
至近距離で見つめあったまま、二人はしばし沈黙する。優しく吹き抜けた夜風が冷たくて心地よく、触れ合う相手も自分も体が火照っていることを教えてくれた。
「……な、あ、なんで、ネメシア、正気か!?」
何が起こったのかを理解し終えて、零毬が発したのは悲鳴だった。細い肩を両手で掴みガクガク揺す……ろうとしてびくともしないあたりさすがというべきか。
「なんという言い草だ。嫉妬深くてさみしがりですぐ不安になる貴様にはこれくらいがちょうどよかろう。」
「そっ、れは否定できねえけど、俺に合わせなくても!」
「さすがに肉体の話ではなく、私か貴様が復活不可能な状態に陥った時死亡判定が入ってもう片方を消滅させる、という条件にしたが。」
「そうじゃねえ! いいのか本当に、求婚しといてこんなこと言うのもおかしいが、心変わりとかあるかもしれないだろ!?」
「誰がだ? 私がそんな恋多き女に見えるか? 貴様が心変わりしたとして、私は容赦なく貴様を縛りつけるぞ? 私をこんなに虜にして、求婚した責任は必ず取らせるからな。」
曇りなき眼で言い切る少女に嬉しさ半分困惑半分の顔で息を呑み、そしてため息をつく。
「…………アンタがいいなら、いいんだけどよ。」
不承不承納得したらしい零毬の胸に、ネメシアがすりすりとすり寄る。幼い姿だった頃より子供っぽい振る舞いをする主に眉を下げながらも笑って、今度こそお望み通り唇を重ね合わせたのだった。
「この姿になってもう一度、は貴様の望みでもあったわけだが。感想は?」
「……生きることを選んで良かったと、思えた。」
「それはよかった。」
やがて夜が更け、周囲の町の人間も起きだしてきては消えた大聖堂に気づき、町全体が騒がしくなりつつあった。主従はウォシィラに入った時の事情が事情だったので、その混乱に乗じてただの旅人を装い群衆に混じることにした。
「大聖堂がない!? どこにいったんだぁ!?」
「運び込まれた悪魔が手に負えない強さだったとか。」
「神官長様の祈りに答えて、女神様が裁きの雷を持って悪魔を滅したそうだ。跡地の大穴がその凄まじい御力を表しているよな……」
「大聖堂にいた人たちは悪魔にやられてしまっていたらしい。後を託され唯一生き残った聖女様が、信徒たちをまとめ上げていたよ。」
「透子はうまくやれたようだな。」
「気絶から覚めた途端、『このままでは同志たちが真実に殺されてしまいます!! みんなを守れる嘘を何とか考えてくださいぃ!!!』って縋り付かれてびっくりしたが、まぁ前と違って嘘ついてでもどうにかしようと考えられたあたり、成長したんだろうな、あいつも。俺が提案したことそのまんま使ったらしいが。」
「丸く収まるならよかろう。私たちは、国外に売り飛ばされた残りのグリフィスも探しに行かねばならんのだ、船が出せないほど混乱されては困る。あれは貴重な資源であり、何より私の力なのだから知らぬ場所で勝手に使われると不快だ。」
「とはいえ騒ぎになってるには違いない、すんなり船に乗れるようにもう少ししてからにしようぜ。」
数日町を観光し、時間を潰してから港に踏み入る。遠い大陸への玄関口だけあって、ホウライともウォギトとも比べ物にならないほど広く、大海を超えるにふさわしい立派な船が並んでいた。それに比例してか、群衆の声も随分とやかましく――。
「あっ来た来た~! こっちですよ、早く乗ってくださぁい!」
「は?」
「透子っ!? なんで船に乗ってんだ!!?」
聞き慣れた声が降ってきて反射的にそちらを見ると、思わぬ人物が手を振っていて主従揃って目を丸くした。よくよく見れば歓声を上げていたのは玻璃教徒たちで、どう見ても透子を送り出している最中で。
反応した手前そ知らぬふりも許されず、二人は強制的に船に乗り込まされたのだった。
招き入れられた船室で、勧められるままに腰を下ろしながらも苦々しい顔をした零毬。不審げな雰囲気を醸し出されても透子はものともせずニコニコ顔である。
「なんでここにいる。聖女として教会をまとめるんじゃなかったのか?」
「まとめてきましたよぉ、最低限は。残っていた中で信用できそうな人に高い位を振り分けて、組織の体裁を保てるように。人選理由も今後の方針も、うちが国外へ行く理由も! 女神様の御神託といえばみんなあっさり納得して支援までしてくれました! とっても楽でしたよ!!」
「こいつ……一回嘘ついて吹っ切れやがったのか……」
「教会を離れること、私たちに声をかけた理由の答えになっていないが?」
「それなんですけど……うちが用済みになった時、神官長様はうちを女神様の御許へ送ると言ったんですよ。で、意識が戻った時目の前にいたのはネメシアちゃんでした。つまり! うちにとっての女神様はネメシアちゃん、いえネメシア様だったんですよ!! 実際出会った時からうちのこと、助けてくれたし導いてくれました、これが運命だったんです! 最初からきっと運命だったんですよぉ!!!」
据わりきった眼で力説する彼女に違和感を抱いて、ネメシアがちらりと零毬に目配せ。対する青年は沈痛な面持ちを作って首を横に振った。
信じてきた者に徹底的に裏切られたせいか、実質的な死を体験したせいか、どうやら透子は精神に異常をきたしているようだった。盲目的な信仰はそのままに、向けられる先が教会からネメシアへと移ったように見受けられる。
「グリフィスの売買記録には海外の名前がありましたからね、きっと海を渡ろうと港に来てくれると思って待っていたんです! 片目を閉じた男と美しい外つ国の女性の二人組が、神託に示された旅の仲間だとみんなに伝えておいて正解でしたね!」
「連れて行くといった覚えはないが。」
「いーえ! 意地でもついていきます!! ネメシア様にとっても同性の召使いを連れていた方が便利だと思いますし、零毬さんの手が足りない時の助けにもなります! 実際なったでしょ!? ねええぇ頑張って役に立ちますから、連れてって! 見捨てないで!!今更教会に戻りたくなんてないんですうううぅぅ~!!!」
ついには額を床に擦りつけてまで懇願し始めた。さて決定権はネメシアにあるわけだが、彼女は腕を組んでやけに考え込んでいる。
(何も悩むことないだろ、邪魔者とやっとおさらばして二人っきりになれるって時に!)
などと焦れつつ口は挟まない零毬、しばらくして主は大きく頷いてこう言った。
「いいだろう、連れて行ってやる。」
「ッはあ!?」
「いやったぁー!!!」
「なんでそうなるんだよ主サマ!!」
「なんだ、嫌か? 雑用を分担すれば貴様も楽になると思ったのだが。利点もあるぞ、私が手を貸せない時でもできることが増えるだろう? これから先で人手が必要になってから人材を探すより、事情も人柄も知っているこやつを捕まえておいた方が得だと判断した。」
反射的に噛みつきはしたが主の言葉はもっともである。日々の仕事が減るし、二人きりになりたかったら外に行くお使いでも頼めばいい、と己に都合よく解釈した彼が大人しく座り直したのを見て、真意を隠しきったネメシアはそうとわからぬ程度に笑みをこぼした。
「うむうむ、零毬は獅子、ならば透子は狛犬あたりか。収まりがよくなったところで先の予定を話し合おう。多少の情報は持ってきたのだろうな?」
「はいもちろん! 海の向こうの国はですね……」
透子の広げる地図を覗き込む、ふりをして盗み見た零毬の顔が嫉妬に彩られていることに、目論見通りと内心高笑うネメシア。
(私は全部欲しい欲張りなのでな。私と二人きりでは見られる表情が減ってしまうことが、どうしても我慢ならなかった。その分可愛がってやるから許せ、零毬。)
今度は透子とちょっとした言い争いを始めた零毬の不満そうな顔、荒っぽくなる声やしぐさを堪能しながら、彼女の表情は内心の一切を覆い隠す穏やかなものだった。
そんな歪な三人組を乗せて、帆に風を孕んだ船は水平線を目指し進んでいく。
これにて二章完結となります。
三章のプロット作成のため次回投稿時期は未定です。




