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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
割れた硝子瓶
21/27

玻璃教の深淵


「零毬……!?」


 口をついて出た名前、項を駆け上るぞわぞわした感覚に思わずネメシアは顔を上げた。

 契約の鎖を通じて確かに、かの青年の危機を感じ取って出来立ての足で床を踏みしめる。しんとしていたはずの研究所も外からざわめきが入ってきており、少女は知らぬ方向に状況が動いていると気づいた。


「何か想定外のことが起きたのか? 透子は? ……だめか、気絶でもしてしまったようだ。」


 零毬に呼びかけながら血と肉片に汚れた廊下を歩く。

適当な部屋に入り押し入れから天井裏へと隠れた直後、扉が破壊されるけたたましい音と勇ましい勧告の声が響いた。


「出て来い、悪魔!! 聖女様の証言でいるのはわかっているんだぞ!! 貴様の仲間は既に捕らえた! 観念して降伏しろ!!」

(聖女、か……何かあったのは透子の方らしいな。肉体の変化とともに妙なものに侵食されているとは思っていたが。)


 音を立てぬよう少しずつ這って動く。点在する通気口から光が漏れ、ほこりっぽい天井裏の空間を照らしていた。


「うぅっ! なんと惨い、まさに悪魔の所業……!」


 ちりん、ちりりん。

 声に紛れていくつもの鈴が鳴る。前に零毬を苦しめた浄化の波動が広がるが、ネメシアに効果はない。音の近い穴をそっと覗くと、どうやら踏み込んできたのは玻璃教徒と憲兵の集団らしいと知れた。


「鈴に反応がないですわ、もうここにはいないみたい……」

「くっ、逃げ足の速いやつめ! 手分けして遺体を運び出すが、罠が残されている可能性があるため注意してほしい!」


 その言葉を皮切りに、人間たちは二、三人ずつに分かれて研究所内に散っていく。ネメシアは気配を殺しながら人間たちを追って匍匐前進、同時並行で聴覚を限界まで強化し彼らの一言も漏らさず聞き取り、情報を集め始めた。


 ひきつったような呼吸、えづく声。冥福の祈り。


「ああっ、あの石が無い! 司祭様に報告……」


 ガラガラ、これは瓦礫を退かす音。

 ずるずる、これは肉を引きずる音。


「ひどいな……みんな悪魔に弄ばれてしまったのか……」

「研究に没頭するあまり、教会で祈らない者たちだったそうだ。加護の薄さに目をつけられたのかも……」


冥福の祈り、泣き声。

 面倒、汚いと文句の声。


「ここで悪魔の石を研究していたのはなぜだ? 危険だから教会が回収していたんだろう? 犯罪者からの押収品もそちらに流れていたはず。」

「悪魔への対抗策を得るため、と聞いています。万全を期するため司祭様も建築に携わり、退魔の術を基礎に刻んだそうなのですが……」

「聖女様が実地検分にご協力くださればよかったのだがな。」

「悪魔を本部に移送するのが最優先ですよ、また暴れられたら大変ですし。でも魔法でぱっと移動されたのには驚きましたわ! さすがは女神様に身を捧げ、その代行者となるお方……!」


「……こんなものか。」


 耳を澄ますのを止め、ネメシアは通気口越しに見つけたある部屋を見下ろす。穴を塞ぐ金網を引っこ抜き降り立つと、扉に素早く人払いと目くらましの陣を書き付けてから書類の山に手を付けた。

 周囲は暗く、書棚に入りきらない紙が乱雑に積んである。資料室らしいのに整頓がなっていない。とにかく埃の多く古そうなところから漁り、研究所の図面を探し出した少女は予想的中の喜びも感じず眉間に深いしわを作った。


「退魔ではないな、透子もよく使っていた浄化魔法。しかも弱い効果の……。浄化魔法の性質は、私が観察した限りでは分解と拡散だった。グリフィスの崩壊が早かったのも、ここを中心に力場が広がっていたのもこれのせいか! 中途半端な効力のせいで拡散もしきらず化け物ができる下地も作っている……狙ったとしか思えんな。」


 ついでにグリフィスの研究経過について司祭とやりとりしている手紙が出てきたのでこれも押収しておく。もうここで得られるものは何もないと、ひらり飛び上がって天井裏、そこから屋根を切り裂き外へ速やかに脱出するのだった。




 その日の夜。真円にほんの少し足りない、満ちる直前の月が人気のない廊下を静謐に照らす。月明かりを頼りに進むのは、全身を隙無く白い布で覆った司祭。幽かな衣擦れの音だけを供に私室へと帰り着いて、頭巾を取り一息ついたその顔は、老いていることしかわからないある種の中性さを持っていた。


「こんな夜更けまでお勤めご苦労。」


 突如司祭の背に声がかかる。気さく、と表現できそうな軽い調子で、息の根を止められそうな重圧をかける何者かが背後にいる。司祭は動揺を隠そうとわざとゆっくり振り向き、声の主を視界に収めた。

 ほとんど無地の訪問着に身を包んだ女童の、触れれば切るといわんばかりの鋭い目。


「身綺麗にしても血と死の臭いは拭いきれていないぞ。研究所を襲った悪魔の一匹が、教会の最奥に何の用だ。」

「己の力を悪用され、下僕に手を出されて、黙っているほど私は優しい性格ではなくてな。

――そもそも。」


 強気な問いとは裏腹に、しゃがれた声は情けなく揺れる。その足元にばさり、投げつけられる書類と古い手紙の束。


「全てを仕組んだ張本人に何を言われても、なぁ?」

「……悪魔の戯言など!」

「それももういい、うざったい、やめろ。私が“同族”でないことなどわかっているだろう。私の問いに答えるならどうもしない、人間にも貴様らにも与する気はない。今大事なのは私の機嫌を損ねないことだ、違うか? 悪魔よ。」


 今度こそ、司祭は言葉を失った。

 そんなわずかな沈黙さえ少女は許さない、漆黒の剣を抜き放ち切っ先を相手の喉元に定める。


「研究所の細工は何のためだ? 人間を苦しめるには随分手緩かったように思うが。」

「与えられた指令は聖女に信仰を集めることだった、救われる人間がいなければ話にならない。普通の人間に阻止、解決されても困るから、少々遠回りな策を使った。」

「ほう? 貴様には上役がいて、悪魔のくせに聖女の後押しが仕事と。透子、もとい聖女に何かしたのも貴様か?」

「違う。……ところで下僕がどうのと言っていたが、あの獣モドキのことなら悠長にしていると取り返しのつかないことになるかもしれないぞ? ここで油を売っていていいのか?」

「なんだと?」


 少女の食いつきに、悪魔は冷や汗を垂れ流しながらも唇を歪める。


「我々が唆すまでもない、己が正義と思い込んだ人間は我々すら震え上がらせるほど残虐になるものだ。浄化と称した拷問はいっとう酷いものと聞く。本部の方が情報も得られる、急いだらどうだ?


そうこんな木っ端悪魔をつるし上げるよりそっちの方が有益だだから見逃してくれ!!!」

「貴様強気な振りをするか下手に出るかどっちかにしろ。」


 嘲笑か呆れか判然としない短い吐息。下げられる剣先に、あからさまに安堵を見せる悪魔は本人(?)の言う通り力も地位もあまりなさそうである。

 今のネメシアにとって最も重要なのは零毬をおいて他にない。

 もう少し締め上げておきたい気持ちはあれど、深追いすれば小物は悪あがきに人を呼びかねない。ここは引くべき、と少女は開け放ったままの窓に手をかけた。


 高く跳躍し、厳重なはずの警備も塀も飛び越えて消えていくその姿を、窓に駆け寄り見送った悪魔は苦々しげな顔。


「なんなのだ、あれは……!? 人間でも悪魔でも精霊でもないし、神霊でもないなど……。まあいい、救世主の儀式が間に合えばあれも排除可能だ! …………そのはずだ、あの幼女が想定より強かったりしなければ……なんて報告しよう……」


 そんなことは知らないネメシア、いったん箱庭に引っ込み、かつての戦装束に着替えなおす。久しぶりの金属鎧が身体に馴染むのを確認して外に出た頃には、朝焼けがほのかに空を彩り始め、木々の影はより一層濃く見えるそんな時刻であった。


「教会本部のあるウォシィラは、北へまっすぐ。造ったばかりの足を慣らすにちょうどいい距離だ。」


 ざりりと地を強く踏みしめる。

 全身をばねのごとく、撃ち出された矢にも似た速さで、白金の戦乙女は脇目もふらず次なる戦場へゆく。




(誰か……誰か助けてください! 気づいて、お願いです……!)


 ウォカナ列島で最も巨大な宗教施設といえば、ウォシィラのコトトヒ大聖堂。穢れのない真白の石壁に銀の燭台が連なり、その全てに灯された火が、大勢の信徒たちに平等に明るさをもたらす。肩が触れ合うほどの人口密度も気にせず、皆一様に頭を垂れて両手を握り合わせその時を待っていた。

 贅を凝らした色ガラスの大窓に朝日が差し込む。

 計算されつくした窓の角度が、とある一か所に光を集めそこに佇む人物に後光を纏わせた。


「時間になりました。列島一周、試練の旅を成し遂げた透子様のために、祝祭を始めましょう。」


 司会の声に被っていた薄布を取り去った透子の顔は、相も変わらず穏やかな微笑みを湛えていた。


(うぅっ、目も口も、体全部が言うことを聞いてくれません……! 前触れもなく体の自由が奪われて、うちじゃないうちが普通に生活してる……)


 憧れの聖堂で舞台に立ち、同志たちの幸せそうな笑顔と数多の祝福の言葉を浴びる。あれほど焦がれた光景なのに、応えているのは己の身体を乗っ取った別の誰か。何もできず気づかれることもなく、幽霊になった気分だ。


「透子ちゃん、いえ透子様! おめでとうございます!!」

「あのそそっかしい子がこんなに立派になって……苦難を乗り越えたからかしら? すっかり大人の落ち着きを身に着けたわね。」

「私たちも鼻が高いですよ!」


 見知った顔がそばへやってくる。口々に褒められ、しかし異常は察してもらえず去っていくのを見送る。


 助けてほしくて、縋り付きたくて、でも指先すらピクリとも動かせなくて。


 主役だけ生き地獄に置き去った、豪華な宴はつつがなく進行する。




(結局誰にも気づいてもらえなかった……なんで!? うちこんなんじゃないでしょ!? 人生でこんな落ち着いてたことないですよ別人でしょこんなの!! まさか一生このままなんてこと、ないですよね……?)


 孤独と恐怖に打ち震えながら、通された控室で休息する透子。とはいえこの状態になってからは体の感覚の一切と切り離されているので、肉体的疲労はわからない。許されているのは視覚、聴覚の情報と思考することだけ。

 限られた外界からの情報も、人の目がなくなったとたん置物のように動かなくなってしまった体では頼りにならない。娯楽に手を伸ばすでもなく、ぴしりとした姿勢で座り続けている自分自身に、透子は嫌な予感を覚えてしまった。


(人形……操り人形……うちは、まさか? いや、でもいつ?)

「お待たせいたしました、透子様。最後の儀式の場へまいりましょう。」


 絶望と混乱に染まりきる前に迎えが来たのは、本当に幸いだったのか。


 導かれるまま、高位聖職者しか入れない通路を歩く。大聖堂の地下には特別な儀式場があり、透子も記憶はないが眷属化の儀で入ったことがあるはずだった。

 通路を抜けると小さめの講堂、そこをさらに奥へ進むと、驚くほど巨大な吹き抜けに面した螺旋階段にたどり着いた。


(ひっろい!! とんでもなくでっかい縦穴! 三、四階分の高さはありそうです! 最後の儀式については何も聞かされていませんけれど、いったい何をするんでしょう? もしかしたら悪魔の術も高位の方々なら、ってそれが狙い!? 教会の偉い人が集まったところでうちを操って、とか!? まずいです、でも伝えることができない……!)


 焦っても状況は変わらない。変えられない。何の影響も与えられない。

 とうとう最下層まで下りきり、居並ぶ者たちがお目通りなど本来は考えられない錚々たる顔ぶれであることに、透子は色々な意味で震え上がる。

 透子の心配に反し体は大人しく祭壇に収まった。ウォシィラを、ウォカナ列島の全信徒を束ねる神官長が祭壇の下まで進み出て彼女を見上げる。身分の高い相手を見下ろしてしまうことに内心あたふたするも、周囲は無反応で神官長も当たり前のように礼をし口火を切った。


「透子様。」

(ヒエッ神官長様に様付けされるなんて!)

「“祝福”が満ちた折に女神様の神託が下ったかと思いますが……」

(えっ知らな――)

「はい。私に求められていることは理解しております。」

(んぇ?)

「私の命を捧げることで、この身に満ちた液体はまことの霊薬に変じ、多くの人々を救う礎となる……それが救世主になる、ということなのですよね。私も驚きはしましたが、既に覚悟は決まっております。儀式を始めてください。」

(え? え? え!?)


 己の口から己の声で語られる初耳な話と知らない覚悟。


「それでこそ信徒の鑑。透子様の成された功績、その尊き慈愛の心、必ずや後世に引き継ぎましょう。玻璃の女神様に誓って。」

(待って……待ってください………!)


 現実を受け止めきれないまま、とっさに周囲の様子をうかがう。

 涙を流しながら祈る者、無表情の者、欲に塗れた表情が隠しきれていない者、憐みの目を向けてくる者。高い壇上からは全員がよく見え、動揺を露わにするものは一人もいない。

 つまりそれは、全て承知の上で救世主候補を募り旅の支援をしていたということ。一人の人間に、透子に死への道行きを、そうと知らせずに歩ませたということ。


 助けなど、救いなど、夢見た優しい世界など。


(やっぱり全部噓だった。最初から幻だった、存在しなかったんだ……)


 儀式が始まる。

 畳一枚分ほどの大きさの鏡が四枚、透子を囲むように設置される。そこに映る彼女は膝をつき手を組んだ祈りの体勢をとっていた。詠唱が厳かに始まり、“祝福”と呼ばれる液体が呪文に反応し眩く光りだすのが服越しでもはっきりとわかる。増していく輝きが鏡によって増幅、あっという間に白く染まる視界。

 ただただ真っ白な景色と脳を揺らし続ける重々しい声で時間の感覚すら忘れそうになってきたころ、すぅっと光が収まった。


(あ……)


 まず目につく、色の抜けた肌。一塊に癒着した髪の毛。服を着たガラスの像が、祈りと慈愛の微笑みを湛えてそこにあった。大鏡が外され、誰かが台車に乗せた大きな瓶を運んでくる。口の広い造り、側面の光を表す文様、教典にもある玻璃教の象徴のよう。

 急に視界がぶれると同時にきゅぽ、と音、見える角度が変わって頭を引っこ抜かれたとようやく気付く。横倒しにされたガラス像の首から、水よりはとろみのある、蜂蜜よりはさらさらした黄金色の霊薬が流れ出して瓶に移し替えられていく。

 最後の一滴が、ぽたりと瓶に吸い込まれ波紋をつくった。

 元のように起こされる身体に、頭部が嵌め直される。


「最後に、役目を終えた救世主を女神さまの御許へ送りましょう。送還の儀を行います。」


 神官長の宣言を合図に、壁に掛けられていた大きな槌が数人がかりで壇上に運ばれてくるのを見た瞬間、バチリと思考回路が再起動した。


(……嫌、)


 すっかり呆けて空っぽだった頭が目まぐるしく動き出す。

 混乱、嫌悪、拒絶、憤怒、噴出する感情わめきたい衝動はしかし次に聞こえてきた風切り音……大きなものを頭上へ勢いつけて持ち上げたような音で恐怖一色に塗り潰された。


(嫌嫌いやイヤ嫌、嫌、嫌だ、いやああああぁぁっ!!!! うちこんなことになるなんて聞いてない!! 覚悟なんてしてない!!! 嫌、誰か助けて!!!)


 悲鳴は音にならず誰とも目は合わない。


(これが予定調和なんですか!? これが女神様の御意思なのですか!!? こんなことが許されるの、今までの救世主もこうやって殺されたの!??)


 もうとっくに手遅れ、変質させられた体はもう呼吸も拍動もないだろう。それでも諦められず……いや、そこまで考えてもいない、心の中で喚く以外何もできないからそうしていた。


「結界を張りますので最前列の方は少々お下がりください――」

(やだ、やだやだあああぁアァッ誰かッ!!! こんな悪魔みたいな所業! 許されるはずが……!! 

ネメシアちゃん……!

零毬さん……!!


助け)


 槌の振り下ろされる音が、聞こえた。




 猟犬たちが見張りの首を噛み砕く。褒めるように一撫でして、ネメシアは無防備になった扉から中へ入る。零毬と結び合った誓いの鎖を手繰って、コトトヒ大聖堂の地下通路をずんずん進む。


「ん?」


 ぐしゃっ。運悪く行き当たった見張り兵の頭が潰れた。

 少女が怒りに任せて力を注いだ猟犬はいつもより元気いっぱい、常人の反応を許さない速度で相手を屠るため、侵入者の存在はまだ露呈せず夜の静けさは続いていた。目撃者も残さず殺して急造の箱庭に死体を押し込んで隠滅し、さてと顔を上げたその時覚えのある咆哮が壁を床を揺らす。

 少女の顔が喜色に輝く。


「零毬!」


 恋する乙女のような軽やかな足取りで駆け、突き当りの扉を蹴破った。

 開けた部屋、あちこちに置かれたかがり火が黒獅子の巨体を照らし、その黒さを際立たせる。太く頑丈な鎖に縛められながらも抵抗の意思を示す獣に、向けられる武器、放たれる魔法。

 喜から怒へ一転、ネメシアは漆黒の剣を抜き放った。


「何奴ッ――」


 まず三つ、首を刎ねた。

 槍を構え向かってきた者は剣で受け流しつつ懐へ、腹を一突きそのまま横薙いで臓物をぶちまける。恐怖に竦んだ者らはまとめて雷で焼き尽くし、少し距離のあった残り数人が猟犬に弄ばれる声を背景に、ネメシアが零毬へと手を伸ばす。


「零毬、私のことはわかるな? もう大丈夫だ。」


 フゥフゥと荒い息をしていた獅子だったが、小さな手が毛並みを整えるように撫でつけるうちに落ち着いていき、やがてドサリとその身を横たえた。

 ぶわっと瘴気が散って、人の姿に戻る。惨い傷の数々が露わになる。

 胴体や手足は、いくらか肉が削れていたが致命傷ではない。出血量は若干危険域に突入しているか。


「っみ、るな……」


 一番ひどい傷を確認しようとしたが、掠れた声と血塗れの手に遮られた。


「いやだ……! 見、ないで……くれ……!」


 顔の右半分を隠そうと首を捻る彼の、両頬に手を添えて優しく囁きかける。


「何も不安に思うことはない。ちゃんと綺麗に治してやるし、まかり間違ってその瞳が永遠に失われたとしても、私が貴様を捨てることはない。」

「……それでも、見られたく、ない……」

「痛くてつらいだろう? 大丈夫だから、少しだけ力を抜け。」


 努めて穏やかな声で呼びかけを繰り返しながら、傷口に陣札を貼り付けていく。掌に伝う震えは変わらず、しかし拒むような硬直が薄れたのを感じ取り、そっと顔の向きを変えさせた。

 血の気が引いた左半分と対比して、真っ赤な右半分が際立つ。

 瞼ごと潰れた右目が、止まらない涙のように、血を流し続けている。


「………随分ひどくやられたな。結界を張って私を待てばよかったろうに。」

「そうしたんだよ! そしたら奴ら、グリフィスを弾にして撃ってきて、それが結界を素通りしたんだ! 油断してて右目に直撃して、焦って変化して……」

「そうか、同じ力は弾けなかったか、すまない。後で修正してみよう。」




 治療が進むにつれ、いつものふてぶてしさを取り戻す零毬。何枚もの陣札を費やして、眼球まで元通りに治るころにはすっかり気力も回復したようだった。


「あんなに弱々しかったのが噓のようだな。切り替えが早いではないか。」

「……右目がだめになった時から、アンタに何言われるか不安でしょうがなかった。今は安心したから、もう平気なだけだ。」

「ふふ。」


 ふいとそっぽを向いた側頭部の、赤く色づいた耳に緊張を緩ませる少女。胸に沸いた衝動に忠実に、栗色の頭をわしわしかき混ぜればもっと赤くなった。


 そうして風呂と着替えのために青年が箱庭に移動した直後、猟犬が戻ってくる。主の邪魔をしないよう、賢くお利口に待っていた犬たちが、獲物をしっかり引きずって。


「一部は生け捕るように指示して正解だった。」

「こ、の……悪魔、め…………」


 手足の腱を噛みちぎられ、首だけ何とか持ち上げて少女をなじる信徒の一人。じろり、と感情の消えた夜明け色が見下す。


「私の宝物を損なっておいてよく吠える。楽に死ねると思うなよ。」




「零毬、身支度は済んだか? 透子を確保したぞ!」

「主サマの仕事が早ぇ。」


 零毬が風呂上がりの髪を乾かしきらぬうちに、より返り血塗れになったネメシアが箱庭に戻ってきた。猟犬ともども水浴びを済ませ、囲炉裏端に腰を落ち着けた少女と、土間に鎮座するある物体を交互に見やり、青年がおずおずと口を開く。


「で、あいつどうしたんですか?」

「さあ? 私が見つけた時には粉々に砕かれて石の箱に納められていた。信徒から奪った魔法教本を参考に、修復魔法で形こそ取り戻せたがそこから打つ手を失い、とりあえず持って帰ってきたのだ。」


 ギラギラ光を跳ね返す透明なガラスの像、息遣いを感じそうなほど精巧なそれは、確かに透子の顔をしていた。本人だったら土間に直置きしたままでいいんだろうか、と思わないでもないが面倒なので言わない。


「ガラスと化した肉体に魂が閉じ込められ、外部への干渉を封じられた状態になっているな。透子を発見した部屋には、同様に粉砕された魂入りガラスが一人一人箱に入れられ安置されていた。搬出入口もあったからどこかへ運んで加工するのだろうな。」

「……加工って、何に……?」

「色々。聖堂のガラス、教典、チヨビレのお守り。融かされ混ぜられ魂としての個すら失う、哀れなものよ。さて、その哀れな者代表に、何があったか教えてもらおうか。」


 ひょいと立ち上がり、透子像の額に触れるネメシア。物理的接触から心を読み取る、昔零毬にも使った術だ。


「話は聞こえていたか? そうか、ああ、伝わっている。うるさい喚くな、落ち着け……零毬、布団か何か、巻き付けられる布を持って来い。」

「はあ。」


 ひとまず薄い一枚布を渡すと、それは透子に羽織らせるように結ばれる。


「話より先に裸を隠したいとうるさくてな。」

「んん? あ、ほんとだ。服はガラスにならなかったんだな。」

「じろじろ見るな、だと。」

「へいへい。」




 ややあって事の顛末を聞き出し終えた主従は、透子の記憶を導に地下祭壇を目指すことに決めた。隠密行動のためいったん鎧を脱いだネメシアが、声を響かせないよう零毬の後ろについて小声で話す。


「透子を元に戻すには、何をされたのか明らかにする必要がある。術式を解読し反転させた陣を構築、使用できれば一番確実だろう。それでだめなら知らん。」

「わかった。しっかしこの宗教は何が目的なのかちっとも見えてこねえな、悪魔との関係性もあいまいだ。なんで人間をガラスに変える? 集めさせて奪った祝福は結局何なんだ? 謎ばっかでモヤモヤするぜ……」

「悪魔については仮説を立てられなくもないが、今はどうでもいいことだ。グリフィスが集まっているはずなのに見当たらないことの方が気にかかる。」

「チヨビレの金庫みたいに隠蔽されてるんだろ、たぶん。」


 透子が案内された道順をなぞって進む。ふいに他の誰かの足音がし始め二人は即座に口も足もぴたりと止めた。足音は二人分、忍ぶでもなく堂々と靴音を響かせネメシアたちの目指す方向へ歩いていくので、自然と後をつける形になる。


「まさか我々の代で救世主が成るとは! 幸運なことだなぁ、これで我らも人を超えた高みの存在になるのだ……!」


 ひどく高揚した呟きが漏れ聞こえ、思わず顔を見合わせる。教会の核心の語り手が、都合よくあちらからやってきたようだ。


「玻璃教の秘奥中の秘奥、天使の存在! 救世主がその命と引き換えにもたらす霊薬が、人間を高次元へ進化させる! 永く約束された若さ、尽きぬ命、圧倒的な魔法力!! 数え切れぬほどの儀式を行い数多の屍を積み上げた甲斐があったというものよ!!」

「声が大きいですぞ……! 教義重視の人道派に聞かれたら面倒です! 悲願達成前こそ慎重にいかなくては。」

「おぉすまなんだ、これまでの苦労が報われ、我が世の春がやっと来ると思うと浮足立ってしまって。」


 今喋った者たちは私欲重視派のようだが、透子の話では満場一致で儀式を行ったらしいので考え方は違えどここまでが予定調和なのは同じだろう。とどのつまり、人より優れた何かになることが玻璃教の最終目標なのだろうか。

 やがて人の気配は増え、合流しぞろぞろと地下へ下っていく。螺旋階段に差し掛かるあたりで意識して距離を取り、儀式の様子を上から覗くことにした。


「あれが透子の言っていた祭壇だな。とりあえず複写しておくか。」


 柱の陰にぴたりと背をつけ、右手に小さな望遠鏡、左手に筆記具を持ち、手すりを机にしてネメシアが魔法陣らしきものを描き始める。あっという間に、判で押したかのように綺麗な図を渡された零毬が素直にドン引いたころ、吹き抜けの遥か下から響いてくる声。


「皆様、ついにこの時が来ました。玻璃の女神様に悠久の奉仕を捧げる覚悟ができた方から、杯を持ち霊薬をお受け取りください。」


 始まった、と主従揃って下を覗き込む。全員躊躇わず杯を満たしたようで、あまり時間をおかず乾杯の音頭がとられた。


「女神様に! 玻璃教と人間の繁栄に!! 乾杯!!」


 上を仰ぎ見られる危険を察知し、さっと頭を引っ込める二人。理解できないと首を捻る零毬がぽつり呟いた。


「人間ガラス瓶から湧いた正体不明の汁だろ? よく飲めるよな。」

「そんな表現をされるとかなり嫌だな……。まぁ、人間を釣り上げるエサは山ほどあるし、この教会のように権威が真面目に語れば信じる者も増えるのは想像に難くない。中身が空っぽの嘘っぱちでも、だ。」


 ……カラーン。

 空の器が落ちた音が、大きな空洞にはよく響いた。もう一度下を見れば、神官長を除いた全員が倒れたり、うずくまったりしているのが分かった。


「……なんだ、あれ。」


 その光景に、零毬は物理的視覚によらない変化を感知する。苦しむ者たちが何かに塗り替えられていくような、白い布に墨を溢して、染みて広がっていくのを眺めるような、言語化の難しい嫌悪感に腕を擦る。


「魂ごと別物に造りかえられていく……おそらくは、これをたくらんだ黒幕の端末として。あの神官長も同じ気配がするから先の犠牲者の一人なのだろう。地位や影響力のある人間を手足として玻璃教を広め、人を集め、新たな手足を増やし……これなら元の思想や性格も関係ない、この仕組みを考えたやつは余程人間を余すところなく活用したかったらしい。」

「人間からすりゃおっそろしくてたまらねえ話なんだが!? ……でもここからどうするんだ、あいつらと戦ってグリフィスの隠し場所を吐かせるのか?」

「んん、少々エネルギー残量が心もとない、一度出直して――」


 不自然に声が途切れ、目の前にいたネメシアが消える。

 一拍遅れて聞こえた鈍い音で、彼女が何かに引きずり落とされたことを認識した。


「ネメシアッ!!?」


 手すりから身を乗り出す。神官長の生白い腕が長く伸びて、少女の左腕をがっちり捕まえている。落下地点らしくひびの入った床に踏ん張って、ネメシアは白い手を振り払おうと綱引きじみた攻防を始めていた。

 すぐさま変化し飛び降りようと構えた彼を、


「来るな零毬!!」


少女が叫び制するのと、液状のグリフィスが間欠泉のごとく噴き出すのは同時のことだった。ボトボタと重たく粘性の強そうなそれらは、床に落ちた端から神官長の元へと生物のように這っていく。


「無駄ですよ、もうこれらはあなたのものではない!」


 取り返そうと手を突き出す少女を嘲って、それはグリフィスに身を沈めた。激しく波打つ粘液の表面、そこから幾本もの触手が生え周辺の物体を手あたり次第引きずり込みだす。

 目前に迫る魔の手にネメシアは義手の放棄を決断、呼び出した剣で袖ごと切り落としそのまま触手も払いのける。拓けた活路を逃さず跳ぶと、柄を咥え空けた右手だけで手すりをしっかと掴み見事階段に着地。追撃を許さぬ速度で駆けあがり零毬と合流した。


「大丈夫か!?」

「当然……と言いたいところだがだいぶ不利になってしまった。撤退だ。」


 一言交わす間に鎧を召喚し、戦闘を意識しつつ行動は逃げの一手を取る。二人が階段を全速力で上がっていく中、金属光沢を放つ粘性物体は他の神官らも飲み込んで新たな姿に生まれ変わらんとしていた。

 ぐぐぐ、と大きな突起が二つ、上へ伸びる。脱皮するように表面がひび割れ剥がれ落ちると、真っ白な大きな翼が現れる。天使らしさはしかしこれだけ。

 本体部分は屍蝋の肌をした赤子の頭部、その下から何本も腕を生やして、全体像はクラゲによく似た化け物が顕現した。


「きっっっっっっもなんだあれ狂ってんな!?」

「問題は見た目ではなく内包する力だ、今の私では競り負けるだろう。透子を復活させたとて足しにならんし、陣札で力を奪うのもアレ相手では難しいか……?」


 螺旋階段が終わる。外への通路に滑り込んだ青年の足が、真後ろからしたくぐもった衝突音で止まる。振り向けば、少女が透明な壁に行く手を阻まれ忌々しげに顔を歪めていた。慌ててとって返すがやはり見えない障害はそこにあり、叩いてもびくともせず二人は完全に分断されたと悟る。


「やられた……! 箱庭の空間断絶、私から奪った力で私の猿真似とは、馬鹿にしてくれるッ!!」

「アンタの力だろ、破れねえのか!?」


 悲鳴じみた問いに劈く鳴き声が答える、そんな暇は与えないと。

 吹き抜けを飛び上がって追いついてきた天使を、迎え撃たんとしたネメシアは自然零毬に背を向ける形になる。見送る無力さに唇を噛み締めた、青年の脳裏にふとある記憶が蘇り目を見開く。


「……主サマ、もし腕を取り戻せたら、勝てるか?」

「五体揃っていれば苦戦する相手ではないわ。何か策を思いついたのだな? 時間は稼いでやるから急げ!」

「ああ、必ず届ける、待っててくれ!!」


 彼の声色から覚悟と確信を読み取り、一切振り返ることなく信頼を示す少女。走り去る足音に微笑みさえ浮かべて、黒い剣に白い稲妻を宿し切っ先はまっすぐ敵へ。


「では、ささやかな退屈しのぎにダンスのお相手を願おうか? 天使とやら。」


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