チヨビレ島の表裏
「いやぁびっくりしましたねぇ! お二人がいてくれて良かったですよぅ!」
最後の一人を縛り上げて、ホッとした顔で透子はそう言った。哀れな悪党共は全員、甲板に引きずり出され縄でぐるぐる巻きで転がっている。
「今回は俺一人で事足りたよな。雑魚しかいなかったし。」
「そういえば合図を用いた変化は初お披露目だったな。ごく簡単で、まあよかったのではないか?」
「へへ。」
半人半獣の姿で照れ笑いしている零毬。裂けた口から覗く鋭い牙に、近くにいた海賊数人が震え上がっていた。
獣の性によるものかこの状態の彼はかなり凶暴で、対峙した者の手足を噛み砕くなど平気で行う。化け物の暴れ振りに戦意を喪失した者も多く、大砲を撃っては騒いでいた悪辣さもなりを潜め大人しいものだ。
「さて、楽しい尋問の時間だな。」
幼い見目に反した怜悧な目つきで、捕虜を睥睨するネメシア。
カツ、カシャリと義足を鳴らし歩む先はとっくに決まっていたようだった。
もったいぶった緩慢さで近付き、最も早く武器を捨て投降した一人の男を見下ろす。怪我一つないのに他の誰よりもひどく怯え、歯の根が合わない様は異様なほど。少女の可憐な唇が開きかけたその時、男の恐怖心は限界を超えた。
「お許しください!! お慈悲を、どうか、ごめんなさいごめんなさい許してくださ、ヒッ、ィ、嫌だ神罰だけは! 許して、ごめんなさいなんでもします償いますからどうか!!」
自ら床に頭を叩きつけ、喉が裂けんばかりの声で懇願しだす。引き攣り聞き苦しい雑音となる呼吸、泡を吹きながら謝罪の言葉を繰り返す口。
勝手に恐慌状態に陥り、挙げ句勝手に発狂され、ネメシアは「なんだこいつ……」と思った。
過剰な畏怖は周囲に伝播していき、無法のあらくれだったはずの海賊たちは一人、また一人とひれ伏していく。目を合わせないように、礼を失さぬように、祈りを捧げる信徒のように。
何もしていないのにこの有様。
どうにかしろと雄弁に語る主の視線を受け、苦笑いの獅子は男へ歩み寄り。
「黙れ。これ以上我が主に無礼を働くか。」
淡々としたさほど大きくもない声が、その他一切の物音を刈り取ったかのように重い沈黙を落とす。
「貴様の出身は北の、ホウライという島だな。」
「島守の柱の盗掘を手引きしただろう。」
「守り神を軽んじ、信仰を金に換えた愚か者。」
きっぱり断定する口調で、一言ずつ強調しながら語りかける。さながら罪状を読み上げる判官のようで、対する男は浅い息さえ圧し殺してただ言葉を受け止めていた。
屈んで男の後頭部を鷲掴み、圧をかけながら尋問に移る。
「許しを得たくば問いに答えよ。盗品はどこで手放した? この先の隠れ里か?」
「そ、そうです……な、七本全部、競売にかけられて……」
「誰が買った? 加工はされたか?」
「おれ、いや私は下っ端で、会場には入れなかったのでそこまではわかりません……あっ、でも支配人なら! 隠れ里の頭で競りの責任者だから、売買記録を残しているかもしれません!」
「では隠れ里の入り口はどこだ。」
「し、島の裏に非正規の港があって、そこから出入りしますが……船も人も登録されてないと通れないので、あ、あなた方は多分無理かと。陸路でも入れるらしいんですが、条件が合わないと道がわからないようになってるらしいです。仕組みの詳細は知りません!」
「……主サマ、どういたしましょう?」
こいつこれ以上は役に立たなそうだぞ、あとはどうしてやろうか。という伺いを仕草から読み取って、少女は僅かの間考え込んだ。
「むぅ、今こやつらを引き連れて上陸しても邪魔になる。ならば隠れ里の内部で利用できる駒に仕立て上げてやろう。零毬! 全員に隷属の陣を刻め!」
「御意に。」
ちょうど平伏したままなので、髪や服で隠れやすいうなじ辺りに爪の先で陣を描いていく。極細の引っかき傷、薄いかさぶたの線だが、陣の効果がある限りこの傷が癒えることは無い。ある意味神罰らしい演出になりそうだ。
「では命令だ、船を動かせ。逃げていくよう見せかけろ。戦意を喪失した海賊が離れようとしたので、私たちは船に戻ることを優先し捕縛を取りやめた。そういう筋書きでいくぞ、いいな二人とも。」
「はい。」
「分かりました!」
「我々が去った後は隠れ里に帰れ。精々怪しまれんようにな。」
「「「ははぁ!」」」
声を揃えて恭順を示し仕事に移っていく海賊たちを見送り、透子は祈りの姿勢をとった。来たときと同じように、三人は空へと打ち上げられる。
ごおごおと耳元で荒れる冷たい風。
もうすぐ船に届くと思われたとき、彼らを包んでいた空気の流れが突然乱れた。
「あっすみません! 距離を読み間違えました落ちますぅ!!」
「透子、貴様ァ!?」
「このポンコツ!!!」
挽回の策無く、ドボンと頭から海に飛び込むことに。
すぐに救助してもらえる位置に落ちたこと、帰還を優先した説得力が増したことは不幸中の幸いだった、がもちろん透子は後で散々になじられたのだった。
これ以降は事件が起きることも無く、船はチヨビレ島へ到着。彼らを迎え入れた港町は、華美さはなくとも整った清潔感ある景観をしていた。気になる点があるとすれば、町から島内に入ろうとすると、関所の代わりに教会を必ず通らなければならない変わった造りだろうか。
「ここの教会は、いわば対悪魔用の砦なのですわ。外から侵入されないように、内から逃がさないように。」
渡航客が集められた集会所にて、笑い皺の深い穏やかな修道女が歓迎の言葉と共にその疑問に答えてくれた。
「チヨビレ島は度々悪魔の襲撃を受けておりまして、女神の加護が無い方はよく行方不明になってしまうのです。支部の最高位司祭様が退治に動いていらっしゃいますので、浄化の一報が届くまでは、皆様もどうかお守りを肌身離さず持っていてくださいね。」
そんな説明付きで配られたガラス板。よくあるお守りと同じくらいの大きさで、上部の穴に紐が通っており玻璃教の象徴が刻まれている。受け取った人々はそれぞれ首にかけたり腕に巻いたり、ちゃんと身に着けてから解散していった。
部外者が去ったのを確認して、扉が閉ざされる。老修道女が控え目に両手を伸ばし、察した透子が握手に応じると、笑い皺通りの笑顔を見せてくれた。
「透子様! お噂はかねがね! しかも我々が悪魔に苦しめられているこの時に来てくださるなんて感激ですわ、これもきっと女神様のお導きね。奴らに勘づかれないよう、同志たちには透子様のことを口外しないように通達しておりますの。表だった歓迎は出来ず申し訳ありませんが、どうぞ我らの怨敵を屠り、平穏を取り戻してください!!」
「お任せください、うちの信仰と聖女の名にかけてやってみせます!」
とびっきりの笑顔を返して、快く送り出される透子。気遣いを無駄にしないため、特徴的な服は町人風に着替えて外に出た。
「良かったな、また歓待という名の拘束をされたらと心配してたんだ。」
「船旅に二日かかった、後は七日。早急に地理を把握しつつ、隠れ里の入り方を探るぞ!」
ひっそり失礼な本音を溢す零毬、残日数を思い起こして気を引き締めるネメシア。青白い石畳が敷かれた道を、一行は急ぎ足で進んでいく。
チヨビレ島は、地図上ではテフとほぼ同じくらいの大きな島だった。
しかし実際のところ、緩急の激しい起伏、切り立った崖となっている外周が障害となり、開発されている範囲はすこぶる狭い。整えられた道に沿ってポツポツと民家が並んでいるために、町の形はやけに細長くなっていた。
情報収集の聞き込みをしながら丸一日と少しで町を回りきったが、不審な物も無く道行く人も親切と、疑わしいところは見受けられない。悪魔の話があるためか信徒か否かを問わず例のお守りを皆着けている、くらいしか目に留まることがない退屈な町とも言えた。
島の中央かつ町をちょうど二分できる位置にある、噴水を据えた大きな広場。
「ここは外つ国の建築様式が目立つな、石畳や噴水、石造りの家。」
涼を取ろうとした三人は自然と噴水に引き寄せられ、その縁に腰掛け休憩していた。
「同志の数も多く、持ち込まれた文化や技術が使われているみたいですね。穏やかで暮らしやすそうです、本当にここに悪人が集まる場所があるんでしょうか?」
「隠れ蓑にする町を派手に荒らすものか、表面的な平穏さなど気にするだけ無駄よ。それに……今の段階でも断言できる、この島を治める立場の者は、裏社会と通じているとな。」
ネメシアの言葉に零毬も透子も目を見張る。さっと周囲を警戒してから少女を中心に身を寄せ合った。
「主サマ、何か分かったなら教えてくださいよ。」
「むしろ気づかんのか貴様らは。」
鈍い二人に呆れを隠さず、小さな声で解説を始める。
「この町は何もない。観光資源も産業も。それなのに町並みは整っているし、ガラスの守りとやらも平気で配りまくっている。質素で穏やかに見せかけておきながら、金の気配が強すぎる。」
「あ、確かに! 外つ国の様式って、どう考えてもこっちのやり方より金かかってそうだな。」
「ガラスのお守りは量産が大変だと聞きました。透明なガラスを造るのも、それを綺麗なまま加工するのも技術と人が必要だと。だから教典の価値も高まるんです。」
「極めつけに拐かされるのはお守りを持っていなかった者……ここまで揃えば、おのずと答えが浮かび上がってくる。零毬、お守りを手放せ。噴水に沈めてしまうと良いぞ。」
「了解。」
即実行し完全に身体からそれが離れたとき、彼の目に映る景色から偽りは取り除かれた。
「物が増えた……いや、元々あったのに見えないようにされてたのか。しっかし違和感を持つかどうかのギリギリを攻めてるな、これ。」
「なんです、何が見えてるんですか? お守り外しても何も変わりませんよ!?」
「透子は信徒だからだろう、よく出来たまやかしだな。不信心者、または好奇心の強い迂闊な者を獲物として選りわける、綿密で小狡く人為的な、罠だ。」
『視界共有』の陣札を渡されてやっと、三人揃って同じ物が見えた。ほとんどは変わりがないが、まるで隙間に潜ませるように些細な掲示物や看板が増えた町並み。間違い探しのような景色に透子が思わず目を擦る。
「行方不明者の目撃情報に、何もない場所を見つめていたなんて話もあったよなぁ。こういうことか。」
「人目の無い場所に誘導する内容が書かれている。従ってみようではないか。」
そう言って、少女は意気揚々と噴水の縁から降りて歩き出し、大の大人たちが雛の如くついていく。少し離れた藪から顔を覗かせた看板には、『この先……のため……』と掠れきった文字と森の奥を示す矢印。他人に見とがめられる前にとズンズン進んでいけば、うっすらと獣道が続いていた。
「子どもとか引っかかりそうだな……」
「そうですね……」
声を潜めてやりとりするが、周囲に誰かいる様子も無く風が吹き抜けるばかり。
「これだけ草が生えているのに道筋が分かるということは、常に誰かが通っているか整備しているのだろうが……む。」
獣道は終わり、目の前にあったのはオンボロの小屋だった。町と違い伝統的な木と漆喰の建築で、戸は腐ってしまったのか無くなっている。子どもの遊び場や雨宿りにちょうど良さそうな、そしてチヨビレ島の裏事情を考えると明らかに疑わしい廃墟に臆さず近づく少女。
内部へ踏み入ってみるが、当然ながら何もない。枯れ葉や土が床に薄く積もっているだけの四角い部屋に、なんとなく居心地悪さを感じて腕をさする透子。
スン、と鼻を鳴らして急に零毬がしゃがみ込み、
「金属の匂いがする。」
その言葉が聞こえたかのように床が口を開けた。
激しく金属塊が擦れる不協和音に苛まれながら、三人は真っ逆さまに落ちる。
「きゃああっ!!」
「ッ!?」
咄嗟に互いを掴み合ったお陰で全員が零毬の防御結界に入った。篭手が放つ一瞬の光で、落ちた先が急斜面の通路になっていると知れたものの止まる術は無い。球状の結界はとんでもない勢いで転がり落ちていくのだ。
「「わああああぁぁぁ~~~~っ!!」」
「うるさ。」
悲鳴を上げながら体感十秒ほど、柔らかい何かに突っこんだことで回転は止まり、結界も消えた。
「……なんだこれ、ぼろ布の山?」
「見てください、鉄格子! 閉じ込められちゃってますよぉ!?」
緩衝材となってくれたらしい布きれたちを振り払うと、正面に鉄格子。落ちてきた穴は高い位置にあり、壁は平坦な石造り。どうみても牢屋である。
格子戸に飛びついて騒いでいた透子だったが、複数の人の気配に後退し身構えた。ぞろぞろやって来る見知らぬ男たち。
「活きのいい女だな、高く売れそうだ。」
「奥の幼女の方が値がつくだろ、女は俺たちで遊ぼうぜ!」
「賛成!」
「男は、キズ物か? じゃあ処分だな、サクッと殺っちまおう。」
一行を値踏みしては下劣な台詞を吐く輩、ネメシアの機嫌が急転直下。
愚か者が雷に焼かれる前に情報を引き出せないかと、零毬は前に進み出てさりげなく主の視界を遮った。
「お前らは何者だ? ここから出せよ。」
「何者だって? どうみても悪者だろぉ?」
「なんで強気なんだよ立場わかんねえのか。」
「ま、一つ言えるのは、不信心者に救いは無いってことだ。」
真面目に取り合ってくれるわけもなく銃口が向けられ、ネメシアが発する怒気も膨れ上がる。これはどうしようもないな、と臨戦態勢を取ったその時、なんと聞き覚えのある声が割り込んできた。
「おーおーちょっと待ちねい。そちらのお三方はオレの客人だぜ。」
「は? ……って金舵親分!?」
一斉に男たちが場所を譲り、いつぞや世話になったあの楽団長がそこに立つ。
「どうも出迎えの奴らと行き違っちまったらしい。大変申し訳ない。」
「中々に手厚い歓迎だと思っていたところだ。久しぶりだな?」
つかつかと男の正面へ歩を進め当たり前のように言い返す少女に、さっきまで騒いでいた悪党どもが息を呑む。意図の読めない笑みを浮かべ、金舵が鍵を開けろと手振りで命令した。
牢を出て金舵に先導されるまま歩く。冷静に堂々とした態度を崩さない主。倣って零毬も背筋を伸ばしているが内心動悸が収まらず、真後ろにいる透子がキョロキョロまごまごする気配も分かってしまい余計に不安を煽られた。
牢屋が並ぶ廊下が続き、突き当たりに扉。
扉が押し開けられワッと流れ込んでくる喧騒、祭日の大通りのように行き交う大勢の人々は、皆どことなくガラが悪かったり凄みがあったり。
そこはまさしく目的地、悪党どもの隠れ里に違いなかった。
金舵がまっすぐ向かった先は広い空き地、建てられた天幕に楽団宝船の文字。楽団員たちの驚いた顔が三人へと向けられる。道すがら適当な者に指示を与えつつ金舵は天幕に入っていき、止まったのは応接間らしきところ。
革張りの長椅子に腰を下ろした男は、対面に座るよう促してくる。家具類がとんでもない高級品だと気づいた零毬が身を縮こまらせるのをよそに、容赦なく背もたれに身体を預け尊大な態度のネメシア、そして物珍しそうに目の前の長机を見ている透子。
壁代わりの布一枚を隔てて多くの人の気配が行き交い、やがて次々と料理や飲み物が運ばれてきた。
「これはこの間の詫びだ、そう警戒しないでくれよ。毒盛るくらいならあそこで助け船なんか出さないだろ?」
突き刺さった疑いの眼差しに苦笑しながら、金舵は率先して食事を口に運ぶ。
料理は大皿から取り分ける形式、注がれた飲み物は盆ごと差し出され選べる、残った杯が金舵に渡されるなど、見える範囲ではその言葉に嘘は無さそうだ。裏工作は幾らでも出来るだろうが。
お供たちが尻込みする中、気負いなく杯を傾け串焼き肉をかじるネメシア。彼女の目配せを受けてようやく二人も手を伸ばし、重苦しい空気で食事会は始まった。
「で、何の用だ。わざわざこんな場を設けてまで、私たちと接触する理由が分からん。」
「本当にお詫びのためさ、ご機嫌取りとも言えるかな。何かの拍子にあの時の仕返しをされちゃ敵わねえ。勝ち目がないならせめて恩を売っときたかったのさ。もしこの隠れ里で暴れる気なら協力するぜ、そっちについた方が安全だろうしな。」
「……我々が騒動を起こすのを期待している、とも聞こえるが?」
「何企んでやがる。後ろ暗い連中にとってここは重要なはずだ、人を攫うための大がかりな仕掛けや隠蔽のまじない、港まである。代わりになりそうな場所がウォカナ列島にあるとは思えねえ。」
主従の指摘に、愉快そうな顔の金舵は太陽と潮に焼かれたごつい手で顎を撫でつつ答える。
「お嬢さまも坊主も正解だ。ここからはちと長い自分語りになるが……まぁ許してくれや。
オレは若い頃にこの楽団を結成してから、裏社会での確固たる地位を得ることに腐心してたんだ。一目置かれるか否かで楽団の未来が左右されるからな、この隠れ里の設立にも一枚噛んだりして……結果的にやり過ぎた。想定以上に重要視されるようになっちまって、当時はしめたもんだと喜びもしたが流石に都合が悪い。支配人はオレと手を切って別の奴と組み直しやがって、敵も随分増えた。
ここからが本題だ。楽団宝船は活動を海外に移すことにした。そのために、追っ手となりうる同業者を減らしたいし元手の金品もかっぱらっていきたいわけよ。悪党が大集合するこの好機を逃したくないが戦力不足、悩んでいたときにあんたらを見つけたんだ! 期待してるぜ、特にお嬢さまの人外ぶりにはな!」
声に滲んだ興奮を飲み込むように、言葉を切って酒をあおる金舵。正面のネメシアは表情ひとつ動かさない。
「あんたらがここに用は無くてすぐ出てくとか、オレたちとは協力出来ないって言うなら別に構わねえ、ただ、穏便に脱出できたことに免じて、オレたちを攻撃しないでほしい。」
「貴様らが邪魔にならなければ関わる気も無かった。不利益を被ったわけでもなし、小さなことを根に持つ質でもない。我々の目的は競りの売買記録の入手、そして呪いの宝石呼ばわりされているとある石を全て回収すること。私の役に立つ気があるのならば、貴様に利用されてやってもいい。」
少女の上から目線な物言いを、機嫌を損ねるどころか当然のように受け止めて男は手を差し出した。
「オレたちは隠れ里の情報を提供し、舞台を全力で整える。お嬢さまは好きに暴れてくれ! お互いに目的を達成できるよう働くぜ、オレたちは受けた仕事はきっちりこなすって評判なんだぜ。」
「ふん。」
ぱしりと小さな手が握り返して契約は成り、またしても一行は楽団の世話になることとなった。
「ネメシアちゃん、本気です? 一回はうちたちを殺そうとした人たちで、人を平然と売り飛ばそうとする人たちですよぅ!?」
宛がわれた部屋で、透子がネメシアに詰め寄る。あくまで小声、周囲をちゃんと警戒しているらしい。
「ここは敵地、時間制限もある、利用できるものは全て利用して当然だろうが。」
「百歩譲って利用……協力し合うのは構いません! でもその後はどうするんです、悪い人たちを野放しにはしませんよね!?」
「私は人間の言う善悪に興味が無い。犯罪者だからといって捕らえる義務もない。貴様に全員を相手取る自信があるなら好きにしろ。」
冷ややかに正論をぶつけられた女が押し黙り、零毬が空の酒瓶を置く音がやけに耳につく。
「明日から隠れ里内の下見と作戦会議が決まってんだ。今は寝て、情報集めてから考えろよ。」
「まぁ悪いようにはならんさ、主導権はいつでも私にあるのだから。」
楽団員と揃いのヒラヒラとした、目に鮮やかな衣装を着せられた三人。ネメシアは赤と黄の二色、零毬は青と緑の水玉、透子は紫と白の縦縞。
「動きづら……」
「引くほど似合わんぞ零毬……! 透子のも目がチカチカする!」
「うち、こういうのちょっと好きかも。」
「主サマの配色、なんかこどもっぽ……いや、なんでもないです。」
などと言い合いながら、さも団の一員ですと言わんばかりに金舵の後をついて行く。新入りに案内する体で、一日かけて隠れ里の構造や施設を教えてもらうことになったからである。
「ここはな、元々あった大きな窪地を更に掘り下げて作った円形の町なんだ。外周に沿って各組織の拠点や宿があって、環状の大きな道路を挟んだ内周に諸々の施設がある。賭場や娼館は序の口、ヤク遊び用の穴倉もあるが、オレたちは拷問くらいでしか使ったことねえな。」
「うぇ……」
さらりと語られた内容に嫌悪を抑えきれず、透子が呻く。
「あとは商品を置く倉庫、時期を問わず人や物が流れる闇市場、支配人の屋敷。そして一番ド真ん中、最も厳重な場所が競り会場だ。金と権力を持て余した奴らは恨みもたいそう買ってるもんだ、だから何事もなく催しが終わるように、問題が起きないようにと警備が手厚い。警備担当は、隠れ里を利用できる中でも一定以上の人数を擁する組織が持ち回りでやってて、残念ながら今回はオレたちじゃねえ。まあ内部には詳しいからどうにでもなるさ。
さて、すぐ見に行ける場所は限られるが……どっか気になるところはあるかい?」
「倉庫だ。目的の物がどのくらいあるかで後の動きが変わる。」
ネメシアが即答し金舵は進む方向を変えた。円の中心へ、大通りから横道へ。
「悪人の集う犯罪都市って聞いてたから、もっと血を血で洗うような治安の悪さとか、ごみごみして汚い場所、みたいな想像をしてたのになんか普通だな。意外だ。」
周囲から人が減ったのを良いことにそんな感想を漏らした零毬。わからなくもないけどな、と前置きしつつ金舵が解説を入れてくれる。
「暴力だけで手に入るのはせいぜい日銭だし、すぐ捕まったり復讐されたりしておしまいさ。悪事で大きく長く稼ぐには知恵が必要、上手い交渉には品性が必要。どちらか足りなきゃここに来る資格がねえ、どちらもなんか論外ってわけよ。ここにはここの秩序がある。」
「そんなまともっぽいこと言うなら、真っ当に生活した方が良いと思いますぅ……」
「全員倫理が足りないんだろ。」
「ちげぇねぇ!!」
わはは! 手を叩いて笑う男から、引きつった顔の透子が一歩離れる。普通より善悪に敏感な彼女にとっては、笑い話になどできはしない内容だ。しかし残念ながらここに彼女の味方はおらず、慰めの言葉もないまま一行は倉庫街に到着した。
「ここがオレたちの借りてる倉庫だ。よそんとこのは流石にお邪魔できねえ、こっそり覗くだけにしとけよ。」
その注意が耳に届いたか怪しい迅速さで、少女が倉庫に突っこんでいく。様々な箱や袋を通り過ぎ、手に取ったのは奥に隠れていた小さな包み。布と綿で丁寧に守られていた中身はもちろん。
「未研磨だ、しかもでっけえ! やりましたね主サマ!」
「こないだ大枚はたいて入手したのになあ。」
金舵の名残惜しそうな発言が引っかかったのか、ネメシアがくるり首を巡らせそちらを見た。
「おっと、べつに渡すのを渋るつもりは――」
「わざわざ手に入れたと言ったな。なんのためだ?」
「ああそっち……大したことじゃねえ、ここの競りに出して更に値をつり上げるつもりだっただけだ。支配人が人を雇ってまでこれをかき集めてるって情報を得て、奴から金を巻き上げる好機だと思ったのさ。」
「支配人が? ふむ……そやつの周囲で異常なことが起こったりはしていないか?」
「異常っつっても、場所が場所だから死体や行方不明者はよく出るしなぁ。強いて言えば、性格が変わったくらいか。元はキレやすい奴だったのが、穏やかってより無感情気味になってるらしい。」
「ふぅむ? 想定と違うがまあよい、グリフィスの総数は分かった。倉庫の物は全て競りにかけられるのか?」
「いいや、本当に高値がつく目玉商品だけが大競りに出品される。他は闇市に流されたり、組織同士の交渉材料だったりするぜ。交渉材料以外は、それぞれ専用倉庫に移されて検品されるから、その二カ所を押さえれば効率が良いだろう。」
「ではそのようにして、そちらも下見しつつ作戦を詰めて……おい、透子は何処だ。」
ここでやることは一段落、と踵を返したネメシアが眉をひそめる。閉めたはずの入り口が開いていることに気づき、顔を見合わせ、慌てて全員外へと飛び出した。
よその倉庫の壁をよじ登り窓に張り付く馬鹿を見た瞬間、変化し回収に走る零毬。一呼吸の内に口を塞ぎ地面に押さえつけた手腕に、ピュウ、と金舵が口笛を吹いた。
「目立つ格好で目立つことしてんじゃねぇ、このバカ!!」
「そうだぜ、別の組織に睨まれたら面倒なことになっちまう。」
諌められても反応せず、彼女はひどく怒った顔のまま。初めて見る表情に、零毬は少し悩んだものの押さえる手をどかしてやった。
「居たんです、中に、人が大勢……」
「俺たちも売られかけたし、人間の商品があってもおかしくないじゃねえか。」
「おかしいですよ!! そもそも許されないことですからね!? 麻痺してません!!? うちは、うちの信仰にかけて彼らを見捨てられません!!」
「ほう? ではどうする、貴様だけ別行動するのか? 一人で何を成せるというのだ。」
身を起こし喚く女に、歩み寄ってきたネメシアが問う。昨晩と似た問答、だが今の透子に引き下がる気配はない。
「……ここの人たちを救助できたら、きっとたくさんの信仰を集められます。地道に各地で活動するより早く、確実に。教会本部への案内が早くなりますし、協力していただけたらお二人を招く口実にもなります。あなた方の目的の助けになりませんか?」
「貴様に拘らずとも、我々の目的は達成できるが。」
「分かっています。決められるのはあなただけ、断られたらうち一人で行きます。ただ死ぬだけで終わるとしても。」
祈るように手を組んで、美しくも無慈悲な少女を見上げる。言動に反し縋る目はしていない、怒りを込めて睨んでさえくる透子に、夜明け色の目が眇められた。
ガランッ、カラカラ……。
張り詰めた空気を裂く雑音。皆の視線が一斉にそちらへ向く。
見張りだろう男が一人、木槍を落として立ち尽くしていた。
先手必勝、何かされる前にと飛び掛かり、その顔に見覚えがあるとギリギリ踏み留まる零毬。
「あ? お前あの海賊の一人か。なんでここに。」
「け、警備担当なんです……も、もちろんあんたたちのことは報告しないっす!」
半獣姿の彼に迫られ震える男の言葉に、思わずといった様子でネメシアが声を上げた。
「警備担当だと?」
「アッあ、はいそうです! いかがしましたか……?」
数秒考え込んだ後、少女はフッと透子に笑いかけた。
「喜べ透子、状況は貴様に味方した。救出も作戦に組み込んでやろう。」
キョトンとした透子だったが、言葉の意味が飲み込めた瞬間破顔し、
「ありがとうございますぅっ!!!」
抱きしめようとした腕はさっと躱された。
「しかしそうなると時間を気にしなくては。金舵よ、大競りはいつだったか。」
「明明後日の昼から開始だぜ。」
「分かった。残りの場所は急ぎ足で案内を頼む。それと作戦会議には、あの海賊どもも呼べ。」
「へぇ?」
興味深そうに金舵は見張りの男を見やる。当人は何も分からないまま、己の不運を呪うばかりであった。