表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
割れた硝子瓶
15/25

相食む獣

 最初に狙われたのは零毬だ。


「っど、わあああぁぁぁ~!?」


 人の反応速度を上回る突進、もろに食らって山を転がり落ちる青年。あっという間に悲鳴が遠ざかる。


「こっのぉ……!」


 ぶぉんッ、のろまな槌は掠りもせず獅子に鼻で笑われる。よたよたと愚直に追いかけるだけの透子に、額に手を当て嘆息するネメシア。


「透子! 当てられないなら無意味だぞ。邪魔だから零毬を回収してこい!」

「えぇ!? でも、ネメシアちゃんだけ置いては――!」

「聞こえなかったか!? 邪魔だ!!!」

「はいぃっ!!」


 びゃっと跳ねて走り出す女を見送る。手放された槌が残光を散らし消失、正面から向き合った少女と化け獅子。


「良かったのか? あの女、退魔の力だけは強かったが。」

「貴様を消し飛ばすだけなら私だけで十分だ、そんなこともわからんとは所詮獣だな。」


 余裕顔の獅子を無表情に煽り返し振るう一閃。

 後ろ足を一本切り飛ばされ、しかし獣はニタニタ笑い続けていた。

 ざわり蠢く霧、落ちた足が霧に溶けて獣に戻る。


「この地はワシの支配下! 空気に土に染みついた怨念全てがワシの力!! いくら神の如き小娘とて、本調子でもないのに勝てる気でおるのか!?」

「吠えるな喧しい!!」


 横薙ぐ剣、

 飛ぶ首、

 飛んだついでに食らいかかってくるのをひらりと避け、更に縦に両断。

 真っ二つにされた頭が形を失い、胴体に吸い込まれまた再生。


 少女が雷撃を放つ、だが獅子はものともせず正面を突っ切り小さな体を撥ね飛ばした。


「ちっ! 義足では踏ん張りが利かんな……!」


 空中のネメシアをひと呑みにせんと跳ぶ獅子。

 ずらり並んだ鋭い牙が迫る。

 少女は冷静に、剣の重さを利用して体を回転。

 黒い剣が白い光を纏う。


「はッ!」


 ダァンッ!!!


 落雷のような轟音と光を発して大地に降り立った少女。その軌道通り、頭から尻尾まで綺麗に切り裂かれ獲物を逃した獅子が不機嫌に唸る。

 敵に悟られぬようひっそり動いたネメシアの視線、その先は零毬の飛ばされた方向。


 忘れてはならない、彼女らの目的は化け獅子を退治することではなく、その力を再び手に入れることなのだ。




 この作戦における主役、零毬なのだが――彼は木に引っかかったまま、じっと考え込んでいた。下から透子に呼び掛けられているのにも気づかないほどに。


(化け獅子の物言いといい、最初に狙われたことといい、思ってた以上に俺が警戒されてる。毛皮状態での記憶があるなら、俺もネメシアも手の内が割れてることになるし、奴の不意を突くのは難しい。必ず俺が触れられる隙を作るには……)


「じゃあいきますよー!」

「んぁ?」


 ドォン!

 バキバキメキッ。


「おわああぁ!?」


 音と衝撃、揺れた木からずるんと落っこちる青年。下草に受け止められ、慌てて起き上がり倒木を避けて原因を睨みつけた。


「なにしやがる!! 危ねえだろ!!!」

「だって声かけても反応しないから、気絶してるんだと思って……さっきも結界に守られるの見ましたし、大丈夫だと思ったんですぅ。」

「……まぁ、いい。ちょうどお前に聞きたいことがあったんだ。」


 適当に座り込んで話し出そうとする零毬に、ささっと結界を張って瘴気を遠ざける透子。


「それだよそれ! お前瘴気や呪いに対抗する手段を持ってるだろ、化け獅子を足止めできそうなもんはねえのか!?」

「あんなにでっかくて強い呪いの塊に、うち一人の力でどうこうなんてできませんよぉ!? できたらそっちの方が人外ですってぇ!! 攻撃が当たれば削れるかもしれませんが、そのためにも足止めが必要そうで……ネメシアちゃんに邪魔って言われたし……」


 だんだん小さくなる声、質問を重ねても出来ない、歯が立たないとしか返ってこないことに苛立つ。そろそろ透子に見切りをつけようとしたその時、ふと思い出した出来事が一つ。


「あれはどうなんだ? 前に言ってた、お前に攻撃したらメガミサマの加護で跳ね返る的なやつは。」

「確かにあれは、うちの力ではなく女神様の御力。悪しき存在に絶大な効果を発揮するでしょう……しかし、ガラス片は犯人に向かいはしても追尾までしませんよ? 避けられて終わりだと思います……。それに、いくら直るとしても積極的に砕け散りたいわけじゃないんですよ!」

「今すげー良い策を思いついたんだよ。黙って協力しろ、こんなとこでくたばりたくなけりゃな。」

「えぇえ~……」




 場面は戻って、ネメシアと化け獅子。互いに決定打を打てず泥仕合を続けていた。

 ネメシアが斬っても焼いても、獅子は周囲の瘴気を取り込んで回復する。

 獅子がどんなに奮戦しようとも、ネメシアに傷を負わせられない。


「無駄な抵抗をするな、貴様に活路などない。」

「よく言う、小娘こそワシをどうにかする手段を持っていないではないか! 小僧頼みの時間稼ぎなのがバレバレじゃ!!」


 前脚での薙ぎ払い、地面が抉れ礫弾が襲い来る、それを文字通り斬り抜ける少女。


「小僧も一人の人間であるのは変わらぬ、ワシを御しきるには器が足らぬ!!


そして! 


紛い物の手足はそろそろ限界のようじゃな!!」


 畳み掛ける獣、飛び退こうと力を込めた足が軋む。ほんの瞬き程の遅れが、獣の爪を届かせた。


 強かに地に叩きつけられる華奢な身体。

 遂に義足がひしゃげ、立てなくなったネメシアを両の前脚で捕らえて獅子が牙を剥く。


「重い、獣臭い。」

「最後まで憎たらしい小娘よ。その澄ました顔、ぐちゃぐちゃにしてやるでな!!」


 勝ち誇るような言葉。

 少女を食いちぎらんと開かれた化け獅子の口。


 しかし少女に届くより先に、横から飛んできた何かがすぽりとそこに収まってしまった。


「ムガッ? ッウグアアァァア~~~ッ!!?」


 反射的に閉じられた口から、


 パキャァンッ!


と甲高い音が。ぐるんと白目をむいて獅子は悲鳴を上げ、大きく口を開けたままなにかを振り払うように藻掻き始めた。


 ガラス片がパラパラと舞う。


 転がり落ちた丸いもの。


「もおぉ! ヨダレでべちょべちょ!! 後で覚えといてくださいよ~~っ!!!!!」


 透子の怒声が響くと同時に、物陰から飛び出す人影。瓦礫を足場に跳ね登り、軽やかに獅子の背に降り立つ。


「待たせたな、こっからが本番だ!!」


 振り落とされないようしがみつきながら、零毬はそう叫んで紙束を投げた。宙でばらけた陣札が光を放ち獅子へ殺到、首輪のように張り付けば急激に獅子が縮んでいく。


「あ、あれが零毬さんの秘密の力!? 凄い、けど何がどうなってるのか全然分からない!」

「あの首輪で、瘴気や呪いの吸収を阻害しているのだ。これは上手くいきそうだな。」

「ネメシアちゃん!」


 ズリズリ這いずって透子(首だけ)の傍までやってきたネメシア。剣で地面に『障壁』の陣を描き、近くの岩にもたれて座る。


「後は零毬がどうするか……」


どう攻略するか楽しみだなと、確かな信頼を滲ませて彼女は笑った。




「ウウゥ、グアアァアァ~!!」


 人語を忘れたように唸り、叫び続ける獅子。


「アァ、アアアアァアァァァ!!!」

「痛えだろうなあ、口や喉にガラス片が突き刺さってんだから! 降参して毛皮になっちまえば楽になるぜ? ッおわ!!」

「ガアァッ!!!」


怒り狂い全身を振り回すように暴れる獣が、瓦礫の山に突っ込む。飛び散るガラクタが零毬にも降り注ぐが、


「効かねえよっ!」


主に与えられた護りが効果を発揮。獅子が大木に体当たりしようがひっくり返って背を地面に擦りつけようが彼には届かない。


(しかし振り回されれば目も回る、もうちょっと大人しくしてもらわねえとしがみついてられねえな……!)


 隙を見て小刀を抜く。右の人差し指に傷をつけ、朱墨代わりに首輪に書き足していく。


「てめえが呪いの塊なのは変わらねえんだろ!? だったら、俺に従え!!」


 目を閉じても書けるほど書き慣れた、『隷属』の陣。


「ガッアァ!? おのれえええぇ!!!」


 分厚い毛皮越しにも強張る感触が伝わる。すかさず小刀に描く『簒奪』、両手で持って全力で獣の背に突き立てる!


「ギャアァアァアァァ!!」


「うわうわうわっ!! 瘴気が、あんなの直に浴びたらおしまいですよぉ!」

「普通は、な。」


 血飛沫ではなく黒いなにかが傷から噴き出す。それを浴びた零毬が真っ黒に染め上げられ、透子が悲鳴を上げた。


 黒い髪、おどろおどろしく渦巻く毛並み。

 溢れる力に、ニタリと覗かせたギザギザの歯。

 ネメシアにとっては懐かしいその姿。


 呪いを纏って己が力とする、零毬の本領発揮である。更に獅子と深く繋がったことで気づけたことがあった。


(隷属と簒奪を重ねても支配しきれないのは、こいつが『禁足地の主』だからだ。土地に根付いた怨念、人々の噂、それらがこいつの存在と力を固定している! なら俺のやるべきことは一つ!)


 ドッ!


 獅子の背を思い切り蹴って上に飛び、稼いだ高さを威力に転じて脳天に爪をぶっ刺した。即離脱し苦しむ獅子の目と鼻の先に立つ。


「今からてめえの心を折る! てめえから、『禁足地の主』の座を奪い取ってな!!」

「調子に乗るな小僧ぉああぁあ!!!」


 陣の効果を振り切って獅子が叫ぶ。

 がちんっ! 紙一重の距離で閉じる顎、剥き出された牙を拳で砕けば苦鳴と共に瘴気が流れ出し零毬の体に吸い込まれていった。

 快哉をあげる暇無く獣の反撃。

 巨体に弾き飛ばされ地面を削りながら転がる青年、立ち上るモヤが獅子へ向かっていく。


 爪で、牙で、全身で全力で互いに削り合う一人と一匹。

 受けた、与えた痛手と比例して移動する瘴気。


「あれはいったい、何が起こっているんでしょう……?」

「単純に、力の奪い合いだ。現在奴らの力はほぼ釣り合った状態、力の天秤を自分側に傾けようとして、相手の皿から奪い取っているわけだ。

……しかし、ふむ。呪いを纏うと守護が発動しなくなってしまったな。

別存在由来の力を扱うせいか? 

対象を誤認識している? 

後で調整が必要だな……」


 途中から考えに没頭しぶつぶつ呟くばかりになってしまったネメシア。会話を諦めて視線を戻した透子、その先で繰り広げられる獣たちの戦い。


「女神様、うち、これからどうなってしまうんでしょう……」


 自身の常識を覆される光景と経験に、そっと己の主神に祈りを捧げ始める。

 そんな混沌の最中。


 ジリ、と。

 誰の耳にも届かないほど微かに、紙の焦げ付く音がした。




 息つく暇も無い猛攻を掻い潜りながら、零毬は至極正確に、力の流れを観測していた。

 計算通り、ほんの少しの優勢を保っている自分。

 どの陣が死んで、どの陣が生きているか。

 化け獅子の余力。

 禁足地全体の淀み、呪いが、この場に引き寄せられつつあること。


 それらから導き出された一つの突破口に、手を伸ばす機を待つ。


「どうした!? めっきり口数が減ったのう!! 人間ごときがワシに敵うわけが無かったと理解したか!!!」


 獅子の挑発を努めて受け流す。体力が限界なのは事実、口を開いて呼吸を乱す訳にはいかなかった。


(くそ、普段から体力作っとこう……)


 避けきれず右頬から血を流し、そう決意した瞬間。ぷつんと切れた集中、制御を失う身体。はっ、と体勢を直す一呼吸の隙に、青年の姿は獣の口腔に消えた。


「ああーっ!! 零毬さぁん!?」


 人間一人を見事丸呑みした化け獅子だったが、直後びょいんっと大袈裟なほど跳ねた。頭を振り回し体をよじらせて、明らかに苦しみ悶えている。


 ザグッ、獣の身の内から爪が生える。噴き出す瘴気。

 抵抗するように動きが激しくなり、だが爪は引っ込むことなく黒い腹を掻っ捌いた。

 そこから飛び出してくる零毬。

 声も発さず、どうと倒れこむ獅子。

 

「やっ! た、ぁ……?」


 喜びかけた透子が、見守っていたネメシアが揃って目を見開く。

 漂う血臭と、鮮血に濡れる地面。膝をつき荒い呼吸をしている零毬。彼の体にいくつも突き刺さった、大きなガラス片。


「クッソ痛え……っ! まさか自爆も覚悟の上でこんなことしやがるとは、思ってなかったよチクショウ……!!」

「ク、ククク……痛かろう!? 今の貴様はワシと同じ条件、浄化される苦痛と脱力感をたんと味わうがいい!!」


 動けない零毬、対して獅子の腹の傷は塞がりその身を起こしつつあった。


「与えられた苦痛を返すこと、邪魔な浄化の力を取り除くこと、どちらも狙い通り一石二鳥よ!!!」


 内側から化け獅子を弱らせていたものが無くなってしまい、急速に天秤は傾き出す。黒い身体が膨れるように巨大化し、いつの間にか焦げ付き変色していた首輪がバリバリ引き千切られた。


「貴様を喰らって、その力もワシのものにしてくれよう!!」


 咆哮が轟く。

 禁足地に淀む全ての呪いを収束せんとする獅子、真っ黒な霧が湧きたち濃度を増し、もはや闇と呼ぶべき漆黒。


 全員の視界が閉ざされるその瞬間、零毬は顔を伏せ、静かに右腕を掲げていた。


 闇。

 音すら呑み込まれた静寂。

 だがそれも一瞬、星のような光が生まれ、カッと輝いて容易く闇を切り裂く。

 後に残ったのは、もはや最初の三分の一まで縮んで、呆然としている化け獅子だった。


「なんだ……なに、が……?」


 思わずといった様子で、獅子がネメシアに目を向ける。圧倒的な光と力は、確かに彼女の気配を持っていたからだ。しかしネメシアは首を横に振り一点を示す。

 その先にいた零毬は、纏っていた呪いが消えた血塗れの姿で。その痛々しさに反してこれ以上ないほどの嘲笑を浮かべていた。


「自分の勝ちだって思うと油断するよな? わかるぜ俺も昔やらかしたことがあるからな。でも残念! 俺はてめえが首輪を抜け出す、この時を待ってたんだよ!! てめえがかき集める呪いを奪うために!!」


 光に蹴散らされた黒霧が、彼の背後で凝る。巨大な無貌の怪物にも見えるがただのハリボテ、浮いているだけのそれ。


「奪ったからなんだ!? ガラス片の浄化力が邪魔で身に纏えないだろう! ワシにはまだ、貴様を噛み殺すだけの力があるぞ!!!」


 残った力で地を蹴った獣。

 しかし零毬が上げたままだった腕を振り下ろした途端、獅子の身体が真っ二つに割れ、べしゃりと地面に広がった。見上げれば闇の塊が同じように裂け、形を失っていく。


「今、禁足地の外からはどう見えてると思う? 


『突然でかい黒い影が現れた』

『あれは禁足地の主に違いない』

『禁足地の主が、何者かに退治された!』


何も知らない奴らはそう考えるだろうな!」


 いつの間にか化け獅子からは肉と骨が消失し、かつてのように、毛皮だけとなっていた。それを乱暴に掴み上げ、


「俺に負けたんだ、てめえはもう“主”じゃねえ!! てめえの力はもう俺のもんだ!!!」


高らかに宣言する零毬。言霊がトドメとなり、化け獅子の意思がしゅうぅ、と抜け出て完全に沈黙したのだった。




「…………ッは~~~~~!! ネメシアァ!! やってやったぞオラァ!!!」

「うんうん。良くやったな、座っていろ。血が噴き出しているぞ。」


 観戦しながら義足を修理し終えていた少女が、平然と立ち上がって従者をねぎらいに行く。ガラス片を引っこ抜きつつ飾り篭手に目を留め、色を失った宝玉に得心いったと頷いた。


「貯めてあったエネルギーを解放して、化け獅子の力の大半を吹き飛ばした訳か。よく思いついたものだ。」

「昔アンタが言ったんだろ、呪い以上の力なら化物皮を貫通できるって。だから不意打ちで奴に大打撃を食らわせて、その他大勢の認識を利用して、化け獅子の支えを全部崩す作戦だった。」


 疲れた、今日はもう動けねえ、と主にもたれ掛かる零毬。そんな青年を甘やかすように、小さな手が傷をなぞり癒していく。


「本当に禁足地の主を退治してしまうなんて……」


 そして二人から存在を忘れ去られていた透子だが、美しく晴れ渡った元禁足地に意識が向いていたので気がつくことは無かった。


 完全にやりきった顔でネメシアの治療を受けていた零毬、しかし掴んでいたはずの毛皮の感触が消えたことに目を見開く。手の中から逃げていく黒い粒子状の光に思わず飛び起きた。


「あーーーっ!!? えっ消え、なんで!? もしかして威力過剰だったか、待て待て嘘だろこんなに苦労して成果無しはあんまりだ!!!」


地面に拳を叩きつけて嘆いても、毛皮が元に戻るわけも無く。

 ひどすぎる骨折り損のくたびれもうけに、うずくまって若干泣き出してさえいる青年。どうしたものかと少女が困っていると。


「あわ、あわわ。」


 視界の端に透子(未だ首だけ)が引っ掛かり、その視線を追って上を見て……静かに素早く距離を取る。


「……え、なに?」


 彼女らの様子に気づいた零毬が頭を上げきるより早く、上空に留まっていた瘴気の塊が彼を包み込んだ。

 ごうごうと風が渦巻く。飛ばされかけた透子を拾ってやりつつ、不定形のモヤが明確な輪郭を得る様を見守る。


 風が止んだ。


 そこに立っていたのは、体高六尺ほどの、真っ黒でおどろおどろしい毛並みの獅子。透子が器用にも頭部だけで震えだす。

 一方ネメシアは躊躇うことなく獣に声を掛けた。


「零毬。」


呼びかけに反応してこちらを見た、その右目の色鮮やかなこと。


「……ネメシア、俺、今どうなってる?」

「先程の化け獅子そっくりに変身した、ように見えるな。貴様自身の感覚はどうだ?」

「うーん……いまいちはっきりしないな。目線が高くなったのも相まって、宙に浮いてるようなふわふわ感がある。」


 頼りない足取りで一歩踏み出す獣。口は動いていないのに、答えるのはちゃんと零毬の声。透子を左脇に抱えて右の手を差し伸べるネメシア、意図を察して少女の前にお座りし、その手に擦り寄る零毬。


「……触れた感触はあるな。」


 少女の手が毛の流れに沿って動くと、心地良さそうに目を閉じた。低く鳴る喉は無意識だろうか。


「ところでそれは、自力で調整、あるいは解除できそうか?」

「多分? やってみる。」


 言葉と同時に獅子の姿がぼやける。水中の水草か何かのようにしばらくゆらゆら蠢いてから、ぎゅっと人の大きさに圧縮。半人半獣の、化物皮を纏ったときの姿になってみせた。


「っしゃ、できた!」

「おお!」

「物理的に着るんじゃなくて、俺の意思一つで扱えるみたいだ。凄く便利じゃねえか、これ!」


 最終的に呪いの力を身の内に収めきり、元の姿に戻る。はしゃぐ彼に拍手を送ろうとして、少女は持っていた透子と目が合った。


「いい加減元に戻らせてくださいぃ! あと説明してください色々全部!!」




 まず一度落ち着くために、大昔の記憶を頼りに水場を探し出し野営地を定めた一行。


「零毬さん、頑張って! ほら着物!」

「よしよし、寝床はこっちだぞ。」

「…………ぐぅ。」


 ぱたり。


「おや、あとちょっとだったのだが。仕方ない、適当に日陰に転がしておくか。」

「結構冷たいこと言うんですね……」


 まだ日没は遠かったが、零毬が寝落ちてしまった。知恵と体力を使い果たすほど激しい戦闘の後である、体を洗って服を着るまで耐えただけ凄いことだろう。

 ネメシアはなんだかんだ言いつつ天幕まで彼を運び、毛布を掛けてやり、そのまま横に座って寝顔を眺め始める。健やかな寝息だけが聞こえる中、気力を振り絞って、透子は小さな背中に声をかけた。これだけは聞いておく必要があると思ったので。


「あ、あなた方は、一体何者なんですか?」


 少女は振り返りもしない。


「人間ではないってことは良く理解しました……玻璃教への興味や信仰でうちに接触したわけではないことも。では何故うちと旅を? 目的はなんです? 


……まさか零毬さんって、悪魔の血を引いてたりします? 呪いや怨念を操る能力は悪魔の特徴なんですよ。返答次第では退治も視野に入れなければならないんですが……!」


緊張に冷や汗をかきながら言い募っていると、悪魔という単語を出した途端にネメシアが振り向いた。


「そういう面白いことは、零毬が起きているときに言ってほしかったものだ。絶対に愉快な反応を見せてくれただろうに。」


 一瞬身構えた透子だったが、予想外の方向から文句を付けられ思い切り戸惑う。その内にネメシアは体の向きを変え、彼女と向き合った。


「私は人外だが零毬はただの人間だぞ、間違いない。貴様の質問に答えるには、まず語らねばならないな。


私たちの馴れ初めを。」




 ぐるる、と腹の虫が鳴いた拍子に、零毬は目を覚ました。

 味噌の香り、焚き火の爆ぜる音、少女たちの密やかで楽しげな声。穏やかな雰囲気に疲れの残る頭は二度寝を求めたが、暴れ回る空腹感に勝てずのそりと起き上がる。


「む、やはり起きてきたか。」

「味噌玉と干し肉を使った、なんちゃって豚汁ですよ!」


 太陽はとっくに沈みきり、星が空を埋め尽くしていた。寝惚けた顔のまま火の傍らに座り、お椀を受け取る。


「どうだ、美味いか?」

「……あっちくてわかんね。」

「だいぶねぼけてますね。干し芋もありますよ。」

「食べる……」


 世話焼き半分、揶揄い半分で青年を構っていた少女らもそれぞれ食事を始め、会話が途絶えた。

 胃に食べ物を流し込むうち、眠気は遠のいて思考が正しく動き出す。すると、やたら機嫌の良い透子が目についた。戦闘で飛び道具としてぶん投げ、獣の口に突っ込む暴挙に随分怒っていたはずなのに、と内心首を傾げる零毬。


「ネメシア、もしかしてもう透子と話したか?」

「えぇ! 零毬さん、すっかり寝入ってましたから、その間に!」


 小声で聞いたつもりが、逆隣の透子に答えられる。


「ネメシアちゃんはこの世のものでは無い、つまり神様で! 零毬さんは神に見初められて眷属となった人間だそうですね! つまり零毬さんは、信仰先は違えどうちと同じってことですよね!?」

「……おぉ、そういう納得の仕方になんのか。」

「ネメシアちゃんの力の結晶が盗まれ、取り返すためにうちの旅に便乗した、というところまで聞きましたよ。玻璃教に窃盗容疑がかけられているのは遺憾でしたが、それなら潔白を証明すればいいだけですからね! 事実だったら玻璃教徒として是正しなければなりませんし!」

「主サマの呼び方は据え置きなのか?」

「ご本人から許可されたので……他の人の前では畏まった振る舞い出来ませんからね、特に同志の前では……」


 ざっと聞き出したところ、都合の悪い部分は伏せつつ必要な説明は終えてあるようだ。


「で、俺たちの事情を知って、それでも一緒に行動できるのか? お前。」

「もちろんです!!!」

「うわ……」


 立場的意味を気にかけた零毬の問いに、透子は食い気味に答える。

 勢いよく身を乗り出し、瞳はいつもの眠たげなそれではなく、キラキラと燃えるように輝いていた。使命感に、信仰に、そして好奇心に。

 うざったそうな青年の反応は見えていないようだ。


「ただでさえ信仰を広める助言をいただいている上、ご迷惑をおかけしているかもしれないんです! 何かの形で報いねば玻璃教徒の名折れ!! 何よりまことの神秘に触れる機会などそうそうあるものではないんですよ!! やはりこの出会いは女神様のお導きであったと、うちは再認識したんです!!!」


 圧に押される零毬の視界の端で、ネメシアが愉快そうに笑う。零毬の反応か透子の愚直さか、何がおかしいのかは分からないが、主が良いならそれでいい。そう思いながらも面倒さを増した透子に憂鬱さを隠せず溜息をつくのだった。





次回以降は更新が空きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ