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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
割れた硝子瓶
12/25

ポンコツ宣教師

 ゆっくりと波を掻き分けて、船が港に入っていく。階段代わりの板が置かれ、ぞろぞろ乗客が降りるとただでさえ賑やかな港に歓声が加わった。待ち人を迎えてはしゃぐ者、積み荷を運べと檄を飛ばす商人、そして見知らぬ景色に興奮する田舎者。


「ほーん、ここがウォギトって町か。建物の雰囲気はホウライと変わらないな。」

「こっちの影響をホウライが受けたのだろう、当たり前だ。」


 人々に紛れて、片目を閉じたまま周囲を見回した青年が、腕に抱えた少女と言葉を交わした。そのままふらり、歩を進める。海に揺蕩う立派な船たち、鼻を擽る美味しそうな匂いに高鳴る胸を押さえて主たる少女に問うた。


「で? 旅ってまず何やるんだ? 宿取るのはわかるけどよ。」

「何故私に聞く。」

「俺には経験無いし、アンタはあっちこっち行ったことあるんじゃなかったのか?」

「逆に私が、人間のように物資や旅程を気にしたことがあると思うか?」

「……それもそうだな。」


一瞬途方に暮れたように立ち止まるが、まぁいいかと気持ちを切り替える青年。


「俺たちには箱庭があるもんな、大抵のことはどうにかなるか。」

「目下の悩みは手掛かりの少なさだ。零毬、降ろせ。私の感覚を頼りに歩いてみたいのだ。」

「ああ、でもしっかり手は繋いでくれ、置いてかないでくれよ、ネメシア。」

「わかっている。」


 そっと少女を降ろすと、義足が硬質な音を立てた。ほっそりした小さな手を握って、改めて前を向く。


「行くぞ、零毬。」

「はい、主サマ。」




 彼らの探し物、グリフィスの正体は超圧縮され結晶化したエネルギーの塊。源たるネメシアから離れれば少しずつ解けていくため、その残滓を手繰って見つけ出すという方針である。


「うわ、牛馬の肉が普通に売られてる……変な感じだ。」

「この変化の仕方は……全く別の文明、文化の影響を受けているようだな。他の世界でも度々見た、文化が交わる過渡期というやつだろう。」


暢気に観光しているように見えて、ネメシアの足取りに迷いは無い。歩いて、歩いて、どこもかしこも人がたくさんいるなと思った矢先。


「皆さんも、女神様を信じましょう! 手を取り合い助け合えば、生前も幸せ死後も救済を受けられるいいことずくめです!」


大声で胡散臭いことを語っている何者か。思わずそちらに目を向けると、女が大袈裟な身振りで説法をしている。その周囲を人々がきれいに避けているため、一人芝居でもしているかのようだ。


「……奴だ!」

「えっ、アレに近寄るのはちょっと……主サマ!?」


 バタバタと女に走り寄る二人、通行人の幾らかにぎょっとした顔をされて、零毬の目がちょっと死んだ。その気持ち分かる、俺も近寄りたくねえ、と心の中で呟いている従者に目もくれず引きずっていくネメシア。


「あ、あなた方……! 女神様、うちの説法がついに、誰かの心を動かせたのですね!!」


自分の前に人が立ち止まっただけで、感極まった表情で両手を組む女。


「うち、透子って言います! 玻璃の女神教の宣教師です! 玻璃教の教えに関心を持っていただけて嬉しいです~! あなた方のお名前は?」

「私はネメシア、こっちはげ……従者の零毬だ。ぜひ詳しい話が聞きたい。」


肯定の言葉にキランキランと目を輝かせる透子を、零毬は気が乗らないなりに観察し始めた。

 足首まで覆う長さの黒衣の上に、真っ白の上着、黒い革の履物。背丈は零毬より若干高く、ネメシアやゼスタが着ていた馴染みの無い服装に似ている格好。垂れ目かつ細目なので目の色はよく分からないが、髪の色は煌めく銀色だ。


 そして、ここまで近づいてやっと気づく、異様な気配。戦闘中のネメシアのような、肌をざわつかせる濃密な力の圧。


(こいつが持ってるのか……!?)


目が覚めた顔で背筋を伸ばす彼の横から、小さく溜息が聞こえた。やっとか鈍い奴、と言いたげな少女から顔を背ける。二人が無言のやりとりをしているうちに、透子は大荷物の中から何かを引っ張り出してきた。


「こちら教典です、十五円三十銭になりまぁす!!」

(現代日本で三十万六千円)

「待て待て高ぇよ高すぎる!! ふざけてんのか!?」

「失礼な人ですねぇ!? 玻璃の女神様について、教義について絵と文字でわかりやすーく説明されている、有志が手ずから書いたものですよ! お支払いは現金ではなく、洗礼、日々の祈り、布教活動などでポイントというのを貯めて、そこから払えるんです。隣人と手を取り合って争いや貧困を退けるのが女神様の教え、金銭を無理に用意する必要はありません。ただそれだけの価値があるので大事にしてくださいという意味であり、活動の目安としての額ですよ!」

「なるほどありがとう、従者の非礼は詫びる、後でしつけ直しておこう。」


零毬の脇腹に肘を叩き込み黙らせながら、微笑を浮かべ教典を受け取ると、ネメシアはこう続けた。


「では宣教師どの。一度教典に目を通してから有り難いお話を聞きたいのだが、お会いしたい時は何処を訪ねればよいだろうか?」

「この通りを真っ直ぐ行った、紅葉というお宿に泊まっています。何かあったらお気軽に頼ってくださいね~、手を伸ばし助けるのが玻璃教の基本であり根底なので!」


 ではまた~、と大きく手を振りながら離れていく、能天気な女の声。


「……さて、その紅葉とやらで部屋を取るぞ。」




 狭い部屋しかない安宿でしばらく泊まることになった二人。座椅子にて悠々とくつろぎながら、教典を読むネメシア。その傍らで義足を丁寧に手入れする零毬。濡らした手拭いで土埃を拭き取って、乾かすために部屋の隅へ移動させていた青年が、本を閉じる音に振り返った。


「もう読み終わったのか?」

「ああ。まず玻璃の女神とやらだが、ここから更に西の大陸のティエスート国にかつて降臨し、民を救った存在であるらしい。玻璃教の発祥はそこだ。無色透明な体を持ち、人間に認識できるのは声だけ。悪魔との戦争で傷つき倒れた人間たちに、神の秘薬を惜しみなく与えて救った、その伝承から無私の慈悲と薬学、無色透明が神聖なものとして扱われているようだな。」


 語りながら少女は本を置き、左上腕に手をやった。バチンッ、ガシャン。着物の袖から転げ出た義手も、零毬の手によってきれいに磨かれる。


「人間は皆手を取り合って悪魔に対抗するべし、そのためには身を削ってでも他者に尽くすべし、だそうだぞ。」

「は? 誰が真面目に実行するんだよ、あのアホそうな女はともかく。」

「あくまで建前ということだな。実際教義には金や利権に絡む内容も多い。最たる例は、透子が言っていたポイント制度だ。教典の表紙を見ろ。」


 己の手をしっかり拭いて清め、零毬は火鉢で暖めていた別の手ぬぐいを取る。気を遣いながらネメシアの着物を緩めて、首筋や肩や背中を優しく、一等大事にするように拭いていった。

 その合間に目をやった教典は、配り歩くにしてはやはり装飾過多といえる物で。


「そのキラキラしい本がどうしたんだ。」

「表紙のこの紋様、玻璃教のシンボル……象徴、らしいのだが。上部が開いた四角い囲みは薬瓶を、内側の星に似た形は祝福を示すものらしい。祝福部分はこの通り、透明なガラスが埋め込まれている。これを傷つけて曇らせる、破損することは重大な背信行為であり、新品をもう一冊買わされることになるんだそうだ。もちろん前の分の支払いは無くならない。」

「はぁ!? なんっだそりゃえげつねえ……!」

「透子が言っていた通り、現金は求められない。しかしポイントではマイナスとして扱われる。すなわち負債だ。負債を清算しなければ正式な信徒と認めてもらえない、救われない、だから教会の奨める仕事や布教活動を熱心に行う。体の良い奴隷だ。」


着物を整え直し、背もたれに身を預ける少女。その隣であぐらをかいた青年が教典を適当にめくった。


「見れば見るほどひっでえな。減点行為も事細かに決められてるし、加点行為で増えるのは微々たるものじゃねえか。」

「ちなみに最もポイント効率が良いのはお布施だ。つまり信仰は金で買える。」

「拝金主義ここに極まれり……」


 やってられるか、と本を閉じネメシアを抱き上げる。そっと横たえて掛け布団も整え、明かりを消した後自分も布団に入った。

 目を閉じ……ようとして、ごそごそ動く隣を見やる。月明かりの中、片腕だけでにじり寄ってくる少女はちょっと怖い。


「どうした? 明日はあの透子って女と話すんだろ、早く寝ようぜ? おい、なんでしがみついてくるんだよ、船旅と違って広々とした布団で休めるってのに。」


零毬の抗議を黙殺し、彼の胸に耳を押し当てるネメシア。力強く心地よい命の音と、安定した体温が伝わる。

 ネメシアは忘れたくとも忘れられなかった。

 生暖かい血のぬめりも、

 途絶えゆく心音の弱さも、

 握り返されない手の冷たさも、

 薄れず変わらず鮮明に、今も目の前にあるかのように思い起こすことが出来る。百余年の間、繰り返し想起した、失った日の記憶。


「どうしたんだよ……?」


 顔を上げると、今にも眠気に負けそうな半目の零毬。主の心を知ってか知らずか、寝かしつけるように背中を撫で始めた。その手に安堵を覚え、瞼を閉じる。


「おやすみ、ネメシア。」

「ああ、おやすみ。」


 大事な零毬が己の傍に在ることを確かめて、今日もネメシアは眠りにつく。




 翌日、宿にほど近い小料理屋にて改めて透子と相対する。

 高貴な生まれだが悪党に家を焼かれ孤児となったネメシアと、困窮していたところを拾われた恩で従者となった零毬で、盗まれた家宝を探す旅をしているという設定の身の上話を語った。虚実織り交ぜた、まあまあありそうな作り話を、


「うぅっ……グスッ、こんな小さいのにそんな苦労を……」


期待通りに信じてくれたポンコツ宣教師。鼻をすすりながら気持ちキリッとした顔をすると、胸を張ってこう言った。


「実はうち、宗教都市ウォシイラから来て、このウォギトを始めとした試練の旅に挑んでいるんです! よろしければ一緒に行動しませんか? この出会いもきっと女神様のお導きですよぉ!」

「我々も大変困っていたところだった、願ってもない申し出だ。これからどうぞよろしく頼む。」

(しらっじらしぃ~……)


 無表情で透子と握手するネメシア。チョロすぎる女に呆れたり、顔色一つ変えず思ってもいない言葉を連ねる主を恐ろしく思ったりしつつ、都合良く事が運ぶ様を見守っていた零毬は、料理の最後の一口を頬張った。


(おむらいすだの、すてーきだの、よくわからん名前の飯ばっかりだが濃い味付けで食いでがあるのは最高だな。外つ国の文化も悪くねぇや。)


ほくほく顔で腹をさする彼を完全に無視して、透子がネメシアの手を引き店を出ようとする。


「さあ! そうと決まれば善は急げ、行動あるのみです!」

「何をするのだ? 宣教師どの。」

「気軽に透子とか、お姉ちゃんって呼んでもらって大丈夫ですよぉ!! 教えを説くのも盗品探しもまずは会話から! 外に出なきゃ始まりませんよネメシアちゃん!」

「……零毬、これで支払ってこい。」


透子の勢いに引きつつ財布を残して連れて行かれる少女。


「ごちそうさまでした。」

「ありがとうございましたー!」


元気な店員の声を背に外へと出る。雑踏のど真ん中で声を張り上げている透子に苦笑いしつつ、ネメシアの元に走って行った。


 二日半ほど布教活動に付き合い、その結果。


「追加入信者無し! 宗教について詳しかないが、こういうもんなのか? アホ女のやり方が悪いせいじゃなく?」

「信教はその者の人生や精神を左右しうるもの、新しいものがやすやすと受け入れられる訳がない。が、それはそれとして透子はダメだな。」


二人は少し離れたところから、奮闘する透子を眺め小声で言い合っていた。


「教義の実践を兼ねて、困りごとを聞いて回るのはまだわかった。手に余るモンにまで手ぇ出すなや!! アホか!? 迷惑掛けて追い払われたら本末転倒だろうが!!」

「上手く会話の切っ掛けになっても教典を出した途端、皆怪しんで逃げていく。馬鹿正直が過ぎて話術で人を取り込めん奴だな。あげく盗品を探しています、知りませんかと直接聞いて歩く……盗品と知っているものが答えるわけなかろうに。」

「今じゃ簡単な雑用を押しつけられる便利屋扱いだもんな。宣教師に向いてねえよ、教え諭すようなアタマ、あの女に無いだろ。」

「考え方も知力も、な。試練と称して放逐されたのでは、と思ってしまうポンコツさだ。グリフィスについて探ろうにも要領を得ない、おそらく教会本部とやらは関係ありそうだが、現状で深掘りは出来ないし……」

「ちょいとズルしてでも入信者増やして、本部に案内してもらった方が早いかもな?」


 愚痴が悪巧みの相談に変わり始めたとき、きゅ、と眉根を寄せてネメシアが振り返った。


「……何か?」


ニヤニヤしながら普通を装って近づいてきていた三人の男たち。先んじて声をかけられたことに驚いたようだったが、すぐ取り繕って少女を囲むよう陣取った。


「そんなに警戒しないでくれよお嬢ちゃん。おれたちゃいい話を教えてやろうと思っただけなんだ。」

「あの宣教師サマが聞いて回ってたぜ、嬢ちゃん盗まれた家宝を取り戻す旅してるんだって?」

「こっそり盗品を扱うような店に心当たりがあってなぁ。特別に案内してあげるよ、ついておいで。」


すんでの所で舌打ちを抑え込み、零毬へ目配せ。それを受け即座に割って入った青年に、当然彼らはいい顔をしない。


「あ? なんだてめぇ。」

「お嬢様の従者に決まってるだろ。情報には感謝するが、お嬢様をそんなところに行かせるわけないのも分かるよな?」


今度は男たちが顔を見合わせる番だった。


「だったら主従揃って案内しやしょう。ならいいでしょ。」


お付き一人程度と侮ったか、そんなことを言い出すごろつきにスッと零毬の目が据わる。


(叩き潰していいか?)

(……人目につかない所へはあちらが誘導してくれるだろうし、まあ良いだろう。)


サクッと始末をつけた方が都合が良いと、ごろつきについて歩き出す二人。想定通り路地へと誘導される中、確実に仕留めてやろうと、零毬は神経を研ぎ澄ませ。


「あれ~? どこいくんですかぁ?」


その集中を間延びした声が乱した。その場の全員が嫌そうな表情を浮かべたが、のほほんと現れた透子は気づかない。


「んもう、移動するなら声かけてくださいよぅ。この方たちはどちら様で――っ“止まりなさい”!」


一転鋭い怒声が飛ぶ、こっそりネメシアに手を伸ばしていた男がびたりと止まる。


(今のは……!?)


覚えのある感覚に首筋の毛が逆立つようだった。かつて傀儡化の陣で身体を支配されたときのような。それを使うときの主を思い出させる言い方と力の流れ。


「な、なにしやがった!? 動けねえ!」

「あなた今、ネメシアちゃんに何かしようとしてましたね!? 不審者! 憲兵に突き出しますよ!?」

「黙れ!!」


喚く透子に焦った声を上げ、ごろつきが殴りかかった。




 ガッッッシャアアァァァン!!!!!




 突如耳を劈いた破壊音に主をかばった零毬、きゃらきゃらからから、硬く小さいものが散らばる音が止み、そっと顔を上げる。


「……は?」


 殴った当人は血まみれになって悶絶していた。他の者はただ呆然と、同じ場所を見つめていた。


(透子が、殴られた勢いで、地面に叩きつけられて……?)


目を伏せる前に見たものと、今目の前にあるものが一致しない。

 たくさんのガラス片が転がっている。光を照り返す合間に肌色がある。着色したガラス細工を壊したらこうなるのかもしれない。

 服は着られていたままの形だが、布を押し上げる中身は鋭角で、人体の形では無い。


 生身の人間が、ガラス細工のように砕けたのだと。


 認識は追いついたが理解は未だ置き去り、誰も言葉を発しない。音に引き寄せられた野次馬が、コソコソ話をし始めたとき。


「ひどぉい! これだからならず者はぁ!!」


離れたところから透子の声がした。ヒッ、ギャアッ、悲鳴と共に人垣が割れ、出来た道をネメシアが駆け抜ける。ちらっと見えたその横顔は、好奇心に輝いていた。

 彼女は躊躇いなく、人々に遠巻きにされた一塊のガラスを拾い上げる。


「ありがとうございますネメシアちゃん! あなたはやっぱり良い子ですね~!」

「不思議な体をしているのだな、元に戻るのか?」

「大丈夫ですよぅ、ちょっと体の方へ連れてってくれますか。」


生首(ガラス製)を抱えて歩く少女。衆目が集まる中、ゆるり開かれた透子の両目。内側にヒビの走ったガラス玉を思い起こす、ギラギラ虹色に光る目玉だった。


「慈悲深き玻璃の女神様、奇跡を与えし大いなる女神よ、どうか道半ばのわたくしに救いの手を……」


静かな囁きに呼応して、さらさら、きゃらきゃら、音を立ててガラス片が集まる。人の形になっていく。頭の無いまま起き上がった体にどよめく野次馬。首があるべき場所が瓶の口の形であると気づいたネメシアが、持っていた首をはめてやると、ついに元通りになる透子。


「……さて!」


軽やかに向き直った先、三人のごろつきたちは。一人は動けないまま、一人は血まみれで震え、一人は腰を抜かしてへたり込んでいる。スタスタと怪我をした者へ歩み寄ると、膝をついてその手を掬い上げた。


「癒しよ!」


握った手から光が生まれ、ごろつきの全身を包む。時間にして一瞬、輝きが散り去ると傷はすっかり治っていた。男は信じられないという顔で己の手を見たり動かしたりしている。


「うちは誓いの儀式を経て、女神様の眷属になっているのです! ですからうちに振るった暴力は、今あなたが体験したように跳ね返って痛みを与えます! これに懲りたら暴力はおやめなさい!!」

「あんた……一体何者なんだ。」


変な体勢で固まったまま全てを見ていた別のごろつきが、震え声で問うと、彼女は立ち上がって胸を張った。


「玻璃の女神様の名代として、この地に救いを齎すためやって参りました。宣教師にして救世主候補、透子と申します!! ……あ、もう動いて良いですよ。」


堂々と名乗りを上げた後、思い出したように付け足された言葉。男がやっと解放されて崩れ落ちたのを皮切りに、ざわざわと周囲に音が戻っていく。

 奇跡を実現してみせた宣教師に、人々が向ける眼差しの色は変わった。絡んできたごろつきに至っては祈り縋るような有様である。


「面白いな、あんな人間は見たことがない!」


そしてここにも一人、目の色を変えた者が。


「ただの凡骨かと思えば、珍しい個体だったようだ。どうせしばらく観察対象にするのだし、興味を持てる要素があったのは都合が良い。」


一部始終を静観していた零毬の傍へ、走って戻ってきたネメシアが興奮気味に語る。ひどく楽しげな様子の主、増した不愉快さに透子を睨みつける零毬。


(お珍しくて、派手でキラキラだったもんな。主サマお好みの要素が揃ってるから仕方ねえ。まぁいいさ、普段はどうせ役に立たねえポンコツ女、ネメシアの大事なもんは“俺”だから。)


 自分以外の人間に興味を持たれた、不安と嫉妬。その二つを知らず胸の内に宿しながら、零毬はいつも通りネメシアを抱え上げるのだった。




 翌日以降、布教に出かけるまでもなく透子の元へ人々が訪れるようになった。対応にてんやわんやしつつ嬉しそうな透子。彼女の邪魔をしないよう、という建前で他人事のように見守る二人。


「最初っからあの力を見せびらかせば良かったのに、俺たちが付き合わされた分は無駄だったじゃねえか。腹立つ女だ。」

「それはそれで便利に使われるばかりになっただろう。砕け散り、そこから復活して見せたこと、玻璃教について大声でふれ回ったことが合わさり結果が望ましい方へ転がった、という感じだった。」

「……これからどうする? ウォギトにめぼしい手がかりも無かったし、あの女もすぐには動けねえだろ。」

「そうだな……」


太ももに乗せた栗色の頭を、まさに猫を扱うように撫でるネメシア。主に身を委ね、畳に手足を投げ出して脱力しきった零毬は、満足顔な少女に安心し心地良さに目を細めた。


「もう数日くらいなら、こうしてのんびりしても良いのだが。」

「アンタがいいなら俺もいいよ。」


 主従の穏やかなふれあいはしかし、無粋な足音に中断された。スッと表情を消した少女に、急いで起き上がる青年。直後に戸を叩く音。


「ネメシアちゃん、零毬さん、今大丈夫ですか?」

「あぁ。」


入ってきた透子はニコニコと上機嫌。


「どうした? 手が空いたのか、随分忙しそうに見えたが。」

「ご心配には及びませんよぅ! 実は本部に定期報告を送っているんですが、ウォギトで一定の信仰を獲得したと認められたんです! それにより応援団が派遣されるとのこと、彼らが到着し次第活動を引き継いで次の土地へ旅立つように、と通達を受けました! なので、今後の相談をしたくて!」

「ほう。」


 なんともちょうどいい申し出に、主従は顔を見合わせる。その間にも透子は座卓を占領し、何かを広げ始めていた。


「これは……本土全体の地図か。」


本土改めウォカナ列島は、口を開けた魚に見える形をしていた。北側が頭で、下顎にあたる場所に現在地ウォギトの名が書かれている。


「中央を貫くセポネ山脈に沿って南下して、ワタヌキ、テフ、チヨビレ島、ハイリで布教しウォシィラに帰る、というのがうちの計画なんです。」


地名を口に出しながら、順番に地図上を指差す。大体一周、という道筋にふと首を傾げた零毬が口を挟んだ。


「ワタヌキの横、その黒い部分は何だ?」


魚でいえば腹の辺りに真っ黒な場所がある。隣のワタヌキよりずっと広いのに、地形も町も書かれていない。


「そこは禁足地ですよぅ、立ち入った者は誰も帰ってこない呪われた地なので、こういう風に黒塗りなんです。地形とか調べようもないですからね。大昔にウォカナ列島を統一せんとした王様がいたけれど、調子に乗りすぎて神すら従えようとした結果、祟られて都ごと滅んだ跡だといわれています。」

(詐欺師か……)

(あいつそんな凄いやつだったのか……)

「特に不都合とか、まだウォギトに滞在したいとかってありますか? ……どうしました、お二人とも変な顔して。」

「なんでもない。私たちは透子に合わせる。」

「分かりました! では出発予定は三日後です、準備しておいて下さいね!」


いそいそと地図を畳み、透子は素早く元気良く帰っていった。


「だそうだ、準備と言ってもなにをすればいいのかなど知らんが。」

「あー……食料とか着替えとか、持ってる振りくらいしないとまずいかもな。俺が用意する。」

「任せた。」




 出立の日。手ぶらのネメシアと荷物を全部引き受けた零毬、零毬より大荷物を担いだ透子の三人が、馬車に乗り込む。


「これ、どうしたんだ?」

「新しく入信した同志が手配してくださったそうです! ワタヌキまで送ってもらえるらしいので甘えさせて頂きました! うち一人なら歩いても平気でしたけど、ネメシアちゃんには辛いでしょう? さ、どうぞ!」


最初に乗り込んでネメシアに手を差し伸べた透子だったが、零毬がそれを無視し主を荷台へと持ち上げた。


「俺の主サマのためにありがとう、礼を言うよ。」

「……いいえ、うちは当然のことをしただけなのです。」


当てつけのようなお礼に、青年をじとりと睨み返す透子。

 見えない火花を散らす二人に構わず馬車は走り出した。宿の前から町の外へ、ごとがと音を立てて進んでいく。街門が見えてくると同時に、道の端に居並ぶ人々も見えてきた。彼らは手を振って、口々に透子へと感謝や応援を述べ、透子も手を振り返す。


「皆さん! お忙しいのにお見送りありがとうございます!」

「前代未聞の苦行に挑む同志のためであれば、このくらい当然です。いってらっしゃい透子、あなたが救世主に成る日を、皆が待ち望んでいるのですから。」

「はい! 必ずや試練を乗り越え、恩返ししてみせますね!」


「……ふふ、気をつけてね。あなたドジっ子だから心配だわ。」

「えへへ!」


ピシリとした態度で言葉を交わした直後、すぐ雰囲気を和らげ笑顔になる透子と一人の修道女。元々知り合いであったことをうかがわせる気安さで、別れの挨拶をして。ついに一行は門をくぐり抜けた。


 ゆっくり離れていくウォギトの町を、じっと見つめる透子。


「なあおい、お前メシやになるって話してたか?」

「違いますメシア!! 救世主! 世に救いを齎す神の代行者って意味ですぅ!」


感傷に浸っていたのを邪魔され憤慨しつつ、律儀にも零毬に向き直り答える。


「救世主とは、人々を救うために現れる神の代理人、またはそれに相当する力の持ち主のこと……と教典では定義されています。玻璃教では古来より女神様に身を捧げ眷属となりしものが信仰を集めることで、名実共に救世主へ至るという言い伝えがあり、うちは今まさにそれを実現する旅をしているわけです! うちの身体は眷属化によって硝子瓶の如く脆く、空洞に変わっています。集めた信仰に応じて空っぽのうちは“祝福”で満たされ、一杯になったら教会本部で最後の儀式を行うらしいです!」


そう言って捲られた白い上着。黒い長衣の腹部だけ生地が透け、微かにキラキラ光っているのが分かった。


「へえ、なんだそれ、そこだけ網になってんのか。」

「レースっていうんです! もっとおしゃれで繊細な、外つ国由来の装飾なんですからそんな武骨な言い方やめて下さい!」

「この前のように砕けたら祝福も散ってしまうのではないか?」

「……そこは何も言われなかったので大丈夫、なはずです。脆いガラスの身体で危険な布教の旅をすること自体が偉業であり苦行という扱いなので……」


 あれやこれやと言葉を交わす三人を乗せて、のどかな道を、がたごとと馬車は進んでいく。





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