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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
空っぽの毬栗
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番外編 ネメシアの話

 一歩外に出れば、私の当たり前は当たり前でなくなった。

 太陽は動き回り、海は波を立て、大抵の場所に何かしらの生命が息づく。めまぐるしく変化し続ける全てが我が故郷とは対照的で、彼処には死と停滞しかないのだと突きつけられる心地がした。


 弟は言った、旅は良いものだと。

 知らぬを知り、出会いを楽しんでいるらしい弟、その話を聞いている分には、私も楽しむことが出来たのに。

 私が外に出ているということ。

 不要な知識を得てしまうこと。

 変化を目の当たりにすること。

 ……故郷を、『寂しい』と形容してしまうこと。

 その全てが、私は役目を果たせなかったのだと責めるのだ。主君の望みを叶えられなかった役立たずと。最後の最後で主命に背き無意味に生き延びた裏切り者と。

 弟は与えられた役目を終えて自由になった、少々の羨みはあれどそれが当然の権利だと知っている。ただ、私は同じになれないだけ。


 やがて呵責の念から逃げるために捧げ物を集めるようになった。主君のためと思えば、自己満足であったとしても身体は動くと気づいたからだ。


「何が良いだろう、主君に相応しいものは?」

「折角なら故郷に無いものが良いか。」

「別の世界の景色を、切り取って持って行くのはどうだろう。」


そんな経緯で造り始めた箱庭も二十一個目、今回は人間たちの真似をして、花木を揃えた庭だ。特に桜の花は美しいと思ったので、さっそく植えてみたのだが……何かが違う。


「何か足りないような……?」


 標本化の陣でこれ以上朽ち衰えることがないようにしたのに。私の心を動かしたはずの美しさを、見失ってしまった。

 足りないことは分かるのに解決できず、散らない花を眺める日々。


 結局諦めてそのまま庭造りを再開してしばらく後、ある冬の日。落ちてきた一人の男。汚い肉塊を掃除しようと近寄って、私はそれに出会った。


 美しさで、本気で身体が震える体験をしてしまったのだ。


 美しい瞳……ギラギラと力強く輝き、薄茶、緑、青と複数の色が溶けることなく鮮やかに主張する。もっとよく見たいと思った途端に、流れこんだ血がそれを朱一色に染めた。


 死んでいく。


 死ぬな。


 まだその美しさを損なうな。




 まだ、見ていたいのに。




 気づいたときには男の命乞いを受け入れ、契約を交わした後だった。







 自分以外の誰かが傍にいる状況は、実に久しぶりのことで。

 しかもそれが、弱くて脆くて生意気な人間だというのは始めてのことで。


 男は美しい瞳を頑なに隠し、私から距離を置く。治し生かす為に常にエネルギー不足を強いられ動けないのに、人間は能力が低くて仕事を任せられない。

 こんな状況を自ら作ってしまったことに後悔したが、捨ててしまおうとは一度も考えなかった。当時自覚できなかったのが不思議でならないが、既にそれだけ惚れ込んでいたのだろう。


 大きな転機は考えるまでもなく、反逆の日だ。再び相見えたあの瞳に、柄にもなくはしゃいでしまったのを覚えている。弟の助言に従って説得を試み、私たちの関係は少し変わった。

 顔をつきあわせ、言葉を交わし、行動を共にする。すると、“人間の男”という漠然とした認識は、“零毬”という一個体の輪郭を持ち、今まで見えていなかったものが見えるようになった。


 瞳を眺めるとやたら嫌そうな顔をする。

 髪の毛は意外と触り心地が良い。

 手際の悪さをごり押しで誤魔化すところがある。

 怠けたがりで寝起きが悪く、しかし最低限やらなければと認識していることはちゃんとやる。

 酒が大好きで、酔ったときだけは大口を開けて笑う。

 皮が分厚くてごつい手。

 力強く、ずっと聞いていたくなる心音。


 一つ知るごとに、世界が眩しく鮮やかになっていくようだった。呵責の声は遠ざかり、“私がやりたいこと”が自然と浮かぶようになった。

 あれだけ恐れ、憎み、拒んだ自身の変化すら受け入れてしまいそうになるほど、甘美な日々。


 飼い慣らして永遠に傍に置きたいと願い……しかしあることをきっかけに願いは変わった。

 零毬が私を庇い火傷を負った時。このたった一人の人間が損なわれることが、他の何よりも耐え難い不快感をもたらした。輝く世界ごと崩れ去るような、まるで、主君の死を感じたときのような。







 だから手放す用意をしたのに。最悪の場合でも零毬が傷つけられないように置いてきたのに。


 どうして。


 何故。


 今、私の腕の中で、息絶えようとしているのか。







 蝋のように白くなった頬を、親指で撫でる。残った温もりを海風がさらっていく。

 私が愛した全てが、私の腕の中で消えていくのを見届けた。

 改めて亡骸を確認すると本当にひどい有様だ、右腕は丸ごと無いし全身切り傷だらけ、銃創からははらわたが溢れかけている。あの瞳は、零毬の最期の吐息と同時に火が消えるように色を失い、白っぽく濁ってしまった。


「零毬……」


 返事は無い。幸せそうな微笑みが憎たらしい。

 そっと身をかがめて青ざめた唇を食めば、血の味と死臭がした。


「貴様がどう思おうと、私は貴様を取り戻す。私を変えた責任は取ってもらわなければ。」


 血を流し尽くしてすっかり軽くなった身体を抱え上げる。どうやって器を治すか、魂を戻すか思考を回転させる。


 零毬を取り戻す。

 たとえこの身体を切り売りしてでも、絶対に。







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