誓いと再出発
呼ばれた、と思って目を開けた。ゆらゆらぼやける視界、誰かの声がするが、はっきり聞こえない。まるで耳に水が入った時みたいだな、などと考えて目を擦ろうと、腕を動かして。
本当に水中にいると気づき、零毬はパニックに陥った。
「零毬さん!? ちょっと落ち着いて、今、液を抜くから暴れないで!!」
巨大水槽から解放される頃には、息も絶え絶えという有様になっていた零毬。差し出された布で身体を拭きつつ、目の前の少年に胡乱な目を向ける。
「……で、おまえ誰だよ。」
「あっはい、はじめまして! 僕はゼスタ、姉さんから貴方の世話を任されてました。」
白銀の髪を後ろに流し、夕日色の瞳を輝かせて少年は名乗った。
「姉さん……?あ、ネメシアの弟!?」
「そうです! 零毬さんの話は散々聞かされてましたよ! さあ早く着替えて、姉さんがお待ちかねなんです!」
渡された着流しを急いで着て、ゼスタに先導されるまま歩く。真っ白な石造りの廊下は信じられないくらい天井が高く、大きな窓が並んでひどく明るい。場違いさを感じながらつい周囲を観察してしまいそうになる。
「ここです。」
階段をいくつも上がった先の一室で立ち止まり、ゼスタはとんとん、と扉を叩いてから中へ入る。
「やっと起きたか、零毬。」
そこは完全に私室のようで、本棚や机、寝台があり、部屋の中央付近に陣取る長椅子に、ネメシアは座っていた。太ももの上に本が広げられている。
ネメシアの声掛けに返事もせず駆け寄った零毬、勢いそのままに彼女を持ち上げた。
ばさり、本が落ちる。
「うお、なんだ?」
「なんだはこっちのセリフだよ!! どうしちまったんだアンタ!!!」
高い高いするような形で、少女を掲げて叫んだ。ひらひらと服が揺れる。まるでてるてる坊主のように。
あるべき足が、無い。正確には太ももの途中から無くなっていた。しかも左の袖も中身が入っていない。ただでさえ小柄で軽いネメシアが、欠損した分更に軽くなっている。その事実を実感してしまい、零毬はめまいを覚えた。
「これか? あの町に不法侵入した罰金と、貴様の切符代として支払ってきたのだ。気にする必要は無い。」
「気にするわ!!!!!」
とりあえず落ち着けとどつかれ、二人で椅子に収まる。本は拾われ横に退けられた。
「これほど体積が減ってしまうと、自然回復では間に合わんし身体の大きさを変えることも出来ん。なので、私の材料を回収しにいくぞ。」
「材料……」
「聖地に生えていた石柱があるだろう。あの物質、グリフィスで手足を造り移植すればいいというわけだ。」
「じゃあ早速!」
「待て。」
せっかちな青年の視界を塞ぐ、一枚の紙。
「何だこれ……契約書?」
「内容はあの町で言ったことだな。貴様は私のものとなり、私は貴様に安寧を保障すると。この紙には約束に強制力を持たせる術が仕込んである。ここに名前と、血判を押せ。」
「ふうん。」
零毬は躊躇いなく署名する。血をつけた親指をぐっと押し付けると同時に、契約書の文字が光に変わった。ふわりと浮かんだ光は空中で魔法陣を描き、零毬とネメシアの両手首に巻き付くように動き、そして染みこむように消えた。
「これでいいのか?」
「……ろくに読みもせず署名したな、貴様。」
「別に良いだろ。俺はもう、アンタに全部やるって言ったんだから。」
呆れながら、少しまんざらでもなさそうな声色の少女。ニヤリと笑い返す青年。良い雰囲気になりかけたあたりで、ぱちぱち、と部屋の隅から拍手が聞こえてきた。顔を向けるとゼスタ少年が生温い笑顔で拍手している。
「よかったじゃん、姉さん。僕も頑張ったかいがあったよ。」
「おまえどうしてそんな隅っこに……まあ、助かった。長らく引き留めて悪かったな。」
「ううん、僕が焚き付けたんだし。でも、そろそろお邪魔みたいだから、もう行くね。」
姉さんをよろしくお願いします。
最後、零毬にそう言って彼は出て行った。
「弟君、行くって何処へ行くんだ?」
「さあ? 気ままに旅をしているそうだ。私たちも、ここでじゃれ合うのは止めにしよう。」
見せたいものがあるというネメシア。彼女を抱えて命じられるまま、白くだだっ広い建物を歩き回る。他には生き物の気配も無く、静かなものだった。
「ここだ。」
明らかに豪華で巨大な扉に辿り着き、少々手こずりながら中に入ると。
「うおぉ……」
広い、とにかく広い部屋だった。天井が遠い。真っ直ぐ敷かれた赤い絨毯に従い進む。終端には祭壇と、大きな二つの人物画が飾られていた。祭壇を囲むように光る球体がふよふよ浮いていて、周囲を照らす。球体は過去にネメシアが造った箱庭たち、主君の慰めに捧げているのだという。
人物画を示して少女は言った。
「主君と、その御夫君だ。ここに遺体や魂が残っているわけでは無いので、色々供えているのは私の自己満足でしかないが。」
「ほーん……ネメシアと似てるな。」
「私は御夫君を元に造られたそうだから、似ていて当然だ……私は、あの男のことは好きではなかったが。あの男は主君を愛していながら、主君と道を違えたのだから。」
忌々しさ半分の眼差しを、男性の肖像画に向け、しかしすぐに逸らした。
「こほんっ、まあせっかくだから、貴様も我が主君のご尊顔をしっかり覚えておけ。人間には確か、婚約した男女が互いの保護者に挨拶するとかの風習があっただろう?」
「あるけど、俺たちのは違うだろ。」
「簪を贈っておいてそれは通らんぞ。」
「……アンタあの時は知らなかった挙げ句、命令して作らせたもんじゃねえか。無理に人間の慣習をなぞんなくてもいいよ。」
「貴様、思い違いをしているな。」
がしっと零毬の顔をつかまえて、覗き込むように目を合わせる。ぎくり固まる青年に、言い聞かせるように。
「私が欲するのは貴様の全て、だぞ。下僕としての貴様も、愛玩動物としての貴様も、伴侶としての貴様も余すことなく。だからこそ人間の生活を学び直して、誓いの儀式を再現しようとしているのだ。」
そしてそのまま唇を重ねた。触れ合うだけの口付けに、伝わってくる鼓動が面白いくらい早まるのを感じて、少女は吐息だけで笑う。そっと離れる距離、零毬はぐるぐる視線を泳ぎ回らせた末。
「…………大人の姿になってから、もっかいしてくれよ。」
「っふ、はは!」
バレバレの見栄を張った彼に、ネメシアは堪えきれずに噴き出したのだった。
少女に指示され、また広い廊下を歩き回る。それなりに時間が経ったように思えるが、外は変わらず晴天で日の光が差し込み、他の誰かの気配も無い。
「ここ、アンタの故郷なんだよな?なんでこんなに静かなんだ?」
「この世界はとっくに滅びているからだ。私と、弟と、もう一人。生き残りは三人だけ、日は沈まず夜など来ない。弟たちは外へ旅立っているから、今は私と貴様しかいないわけだ。」
「ええ……」
「言っただろう、何もないところだと。ほらそこの部屋だ。」
今度は普通の扉を示され、中に入った。すぐさま何かの駆動音が耳に届く。見たこともない用途不明のカラクリが忙しなく働いていて、工房だろうかなどと予想しつつ零毬は足を進めていく。
「あの緑の光がついている所、あそこを開けて中身を持ってこい。私はその辺の椅子に座らせてくれ。」
「はいよ。」
壁際に寄せられていた椅子を一脚、引っ張ってきてネメシアを降ろした。すこぶる上機嫌の少女を横目に、言われたとおりカラクリの中を覗くと。
「……義肢?」
ピカピカ銀色に輝く、人の手足の形をしたものが三つ。両足と左腕。大きさもネメシアにちょうどよさそうだが、中身は空洞である。
「どうすんだこれ。」
「まず左腕から寄越せ。」
待ちきれぬとばかりに右手を伸ばすネメシア。その手に義手を渡して袖を捲り上げてやる零毬。露出した腕の先は、元からそうだったかのようにつるりとした皮膚が覆っていて、痛々しい見た目でなかったことにこっそり安堵したり。
義手をはめ込むと、バチンッと激しい音が上がり少女の体表を光が走って、魔法陣に似た軌跡を描いた。く、くん、と、空っぽだったはずの義手が動く。若干おぼつかないながらも腕を上下させたり、ぐっぱっと手を動かして、彼女は得意げに笑う。
「急ごしらえにしては上出来だろう。私の体を構築する陣を、この改造・調整したパーツに書き込んだのだ! 必要最低限しか写せなかったが、日常生活を送るには十二分だ。」
喋りながらさっさと両足も接続を終わらせ、自力で立ち上がって見せたネメシアだったが足を動かした途端よろけ、倒れそうになる。
「おいおい、大丈夫か!?」
「むう……やはり軽すぎたか、重しを入れるなりしないとバランスが取れん。」
慌てた零毬が受け止めるとネメシアはすぐ体勢を立て直したが、やはり安定せず椅子に座り直した。しばらく考え込んでいたもののやがて首を横に振り、気を取り直すように顔を上げて言う。
「私のは追々調整すればいいのだ、本題はこれではなくて……」
チン、と気の抜ける音が遮った。
「出来たか! 何をしている零毬、早くしろ!」
「はいはい。」
新しくカラクリから出てきたのは、黒い革製の籠手のようなものだった。しかし籠手にしては短いしおかしな造りだ。少女に渡せばニコニコと手招かれる。
「これは貴様への贈り物だ。右手を出せ、着けてやろう。」
まず先端の輪っかに中指を通される。
手の甲から手首にかけてそれが被せられ、手のひら側でぱちり、二本の革紐が合わせられ留まる。
手首から上も同じように革紐と留め具で固定して少女の手が離れ、零毬はまじまじと、その贈り物を眺める。
手の甲で黒い革紐が五芒星を描き、その中心には金属の台座にはまる透明な石。石を守る蓋に見覚えのある意匠が使われている。
「これ、俺が作った簪の飾りと似せたのか。」
「お揃いというやつだな。人間が近しいもの同士や所有物に目印をつけるやり方なのだろう?」
(相変わらず認識がちょっとズレてんな……)
手首を覆う板状の部分は、しゃれっ気のない黒一色と見せかけて細かい凹凸による模様が入っていた。よくよく見ればそれは魔法陣になっており、引くほど守りが重ねがけされていて下手な盾にも勝りそうなほど。
「仕上げだ。」
ネメシアが透明な石に手を触れさせた。瞬間光が迸り、ごうっと体内を何かが駆け巡る音を聞いた気がした。ぶるぶる頭を振ってしきりにまばたき、自分の身体を見下ろす零毬。光はもう消え失せていたが石の色が変わっていた。ネメシアの瞳の色に。
「私の力を蓄えておけるようにしたものだ。もし単独行動中に大怪我をしても、貴様の判断で回復が出来る。うっかり死んでも刻まれた陣が貴様の魂を保持するから、この間のように必死に探し回ることにもならん! 他にも色々機能を詰め込んだ、零毬専用の装備だ!!」
「俺専用……」
「私のように、古い装備品を流用しようかと思ったのだがな。貴様は右目以外は凡庸で地味だ。煌びやかなものは似合わないと判断した。」
「悪かったな平凡な面で!」
「怒るな、別に貴様の容姿を貶めているわけではないし、どんなものなら似合うかと考えるのは楽しかったぞ?」
偽りのない少女の笑みに照れ、青年が押し黙っている間に義足の調整が終わったようだ。書き足された魔法陣が働き、今度こそしっかり立ち上がったネメシアが零毬の手を引いた。
「契約は交わした、護りも身に着けた。後はどうとでもなるだろう。ホウライへ行って箱庭その他を回収するぞ、この場所では旅の物資も準備できんからな。」
光と共に降り立ったのは、懐かしい石畳の広場。季節は春の盛りを過ぎた頃のようで、萌ゆる緑と優しい暖かさの風が心地良い。
「なんかすげー久しぶりに感じるな。」
「まず箱庭だ、急ぐぞ。」
ゆっくりと首を巡らせ眺めた景色、僅かに浮かんだ違和感が形になる前にネメシアの指示が飛ぶ。森に背を向けて箱庭へと走り出す。
さて目的の場所は、美しい姿のままで二人を迎え入れた。砂や落ち葉が舞い込んで溜まっているところもあるが、見慣れた小さな世界に荒れた様子は無い。
「……そういや詐欺師と戦う前に結界を張り巡らしてたな。そのお陰か誰かに入られたりしなかったみたいだ。でもさすがに家は埃っぽいなあ。」
「掃除は急務だな。零毬、あったはずの食料の残りは何処にやった?」
「ちゃーんとあの変な戸棚にしまったよ。四番目だったかな。」
「ならばよし。」
どたばたと掃除して、合間に芋を焼いて腹を満たし、また箱庭で生活出来るように整え直し終わった。日が暮れて、今日の活動はここまでと就寝し、翌朝。
「じゃあ今日こそグリフィス、だっけ? 例の石柱を取りに行くか。」
「ああ……」
外へ意気揚々と出た零毬の後ろで、ネメシアが立ち止まる。こてりと首を傾けて見守っていると、不意に空気が揺れ何かが変わった。
「おい、何を……は!?」
「箱庭を回収しただけだぞ。」
驚き駆け戻った零毬の目に飛び込む、まっさらな洞窟。整えた庭も広がっていた芝生も無い、その全ては少女の抱える光の球に収まっていた。
「これからは持ち運んだ方が便利そうだからな。この状態でも出入り出来るので生活に困らないのだ、良いだろう!」
「凄い……けど、水源とかどうなってるんだこれ。」
「詳しい理論が聞きたいか? まず概念の固定と物質の干渉、性質の任意変化と――」
「いらねぇいらねぇ絶対わからん!」
そんな一幕を挟んで、聖地へと繰り出した二人だったが。
「どういうことだ!? なんで聖地に人の手が入ってやがる!! グリフィスもないし番犬もいなくなってるぞ!」
「まあ、だろうな。」
かつては人間の立ち入りが厳重に戒められていたはずの鬱蒼たる森は、道が通され其処此処に建物も建ち、人が往来し、昔書いた地図とはすっかり変わってしまっていた。動揺した零毬が、訳知り顔で頷くネメシアに説明を急かす。
「そんなにあわを食うことでもない。貴様の器を修復し、魂を探し出すまで百年と幾らかを費やしたからな。人間の変化は早い、こうなっていてもおかしくないと思っていた。」
「百年!!? 俺そんなに長くあの町に居たのか!?」
「死者の感覚などアテに出来ないぞ。私が去ったことで力の供給は止まり、番犬どもは活動不能になり、グリフィスも強度が下がってしまったのだろうな。そして発展を求める人間が開拓を始めた、というところか。」
「聖地に入るなんてバチ当たりだって煩かったのに、変わっちまうもんだなあ。百年で町に何かあったのか……」
「グリフィスの行方の手がかりを探すためにも、行ってみる必要はあるな。」
目眩ましの陣は今回も有用で、ガシャガシャ義肢を鳴らして歩くネメシアにさえ人々は関心を向けない。ましてや道の端できょろきょろするばかりの零毬など、観光客と変わらないだろう。
百年も経てば町人の家はすっかり建て替えられていて、故郷が全く知らない町になってしまった現実に、零毬は少し呆然としてしまった。唯一、港からお社へ一直線に続く大通りだけは、同じ場所にあって町の中心のままであったけれど、周りが違うとそれもわからなくなりそうで。百年って凄いんだなあと感慨に浸る彼を放置して、ネメシアはてきぱきと、適当な人間に声を掛けて回る。
ややあって情報収集に区切りをつけた少女は、アホ面晒す連れを手近な茶屋へ引っ張り込んだ。
「ざっと纏めると、若い奴らの認識では『聖地』というと山の中腹以上の範囲らしい。老人からは、昔々慈悲深い神姫様が、神託にて開墾の許可を下さったのだという話を聞き出せたぞ。カミサマだ、聖地だ不可侵だと散々言っていたくせに、番犬という障害が無くなったらすぐに欲望に走ったわけだ。人間らしいな。」
茶と団子を注文し、おやつ休憩としつつ情報を共有。あからさまに発展し豊かになった町を、ネメシアは鼻で笑う。それに対して零毬は、じっくり甘味を味わうだけの時間を使ってから、それは違うのではと口を開いた。
「そうするしかなかったんじゃねえか? 番犬は聖地を、神姫様を護る存在。それが居なくなるなんて只事じゃない。ただでさえ怒らせたと思ってたところだったろうし、見捨てられたと考えた可能性は高い。でも島民はみんな神姫様を心の拠り所にしてる。正直に公表したら大混乱、誰かが何かの拍子に気づいても同じだ。だから神託がありましたとでっち上げた、とかどうだ。」
「ほう、それもあり得そうな話だ。まあ我々にはもう関係ないが。本題たるグリフィスも信仰の対象になっていたらしいのだが……これ以上詳しいことはお社で聞いた方が良いと言われてしまった。」
「……じゃあ、行ってみるか。」
「盗掘された?」
「そうなのです! 忌々しい、罰当たりな愚か者どもに!!」
お社は記憶にあるよりも立派になっていて、参拝客を迎える守護獣の石像や、あちこちの装飾が黒いものに置き換わるなどこちらも年月のもたらした変化が感じられた。番犬の話や詐欺師と戦った顛末も少し伝わっているようで、黒い動物が御使いとして扱われている。
神託を受けたという偉大な宮司の肖像画を見て、零毬が顔を曇らせたりもしたがとにかく話が出来そうな者を探す。掃除中の神主に話を振ってみると、憤懣やるかたないと言わんばかりにつらつら語ってくれた。
「島守の柱は、満天の星空を閉じ込めたような見た目の美しい鉱石で出来ていました。かつて聖地と呼ばれていた場所に、開墾の許しを得て立ち入った我らの祖先が神姫様の守護の証と祀ったもので、敬意を表すために島守の柱と呼ばれるようになったとか。やがて信仰を示すために柱を巡礼する風習が生まれ、道が敷かれ、外との交流が活発になった近年では観光名所にもなり始めていました。しかし……同時に、あまりよろしくない人間に目をつけられるようにもなりました。地質調査させろだの、宝石として売ってくれだの、こんなちっぽけな島にはもったいない、譲ってくれと失礼な輩が!!
挙げ句の果てに、『神姫様は我らが女神様と同じ、慈悲深い救いの神! 我々は同士!』などと勝手にこちらを改宗してこようとする頭の沸いた他宗教のものまで!!!」
当時を思い出してか、初老にさしかかるだろう彼は顔を真っ赤にして拳を握る。
「もちろん私たちは全て突っぱねました! 無遠慮に神姫様の土地を踏み荒らしたり富のために信仰を売ったりなどしません!! ましてや島の守り神と、外つ国の宗教を同一視しろなど、双方に失礼でしょうが!!」
怒りに任せ捲したてていたが、急に一転して肩を落とす彼。健康が心配になってくる。
「とは言っても何処にでも不信心者はいるものでして……島の者が盗掘を手引きしたようなのです。島守の柱が無くなる前後に姿を消した人間は、金に困っていたという共通点がありましたから、報酬に釣られたのでしょうね。嘆かわしいことです……」
「それで? 盗人の手がかりは何もないのか?」
「一応、本土へ運ばれたのは確かです。直接外洋を渡れるような立派な船ならば、ホウライでは悪目立ちしますから。しかしそこから交易船等に移されれば追いかけようもありません……正直、現状は泣き寝入りしているとしか。」
「そうか、参考になった、礼を言う。」
「はぁ……?」
満足げに頷いて回れ右をするネメシア。聞くだけ聞いてお参りもせず帰って行く二人に不審そうな目が向けられるが、大したことではない。
「本土か……俺が島を出たのは、アンタを追いかけてったあん時だけなんだ。更に百年経ってるから、聞きかじった知識も無意味な、完全な未知の世界だよな。」
「取っ掛かりがあるだけ良い、急ぐわけでもなし。」
「いいのか? アンタの手足だろ?」
「貴様がいる。」
「……はは、そうかよ。」
本土への定期船に乗り込む。つつがなく出港した船の上、手すりにもたれかかって海を眺める零毬。ガシャ、カチャリと義肢を鳴らして彼の後ろにネメシアが歩み寄った。声を掛け合うことも無く、自然に少女を抱え上げる。ヒンヤリした金属の感触、前よりも軽いその身体。
軽くなった分にこそ重みがあるというのも不思議な話だが、ネメシアが自分を求め対価として支払った分なのだと思うと、嬉しいような申し訳ないような、たまらないような心地で満たされる零毬だった。海風に乱されるお日様色の髪を撫でつつ、少女に話しかける。
「そうだ、これからは前みたいに主サマって呼んで、下僕……じゃ外聞が悪いな、従者として振る舞うか。アンタの尊大な物言いも誤魔化しやすくなるだろ。」
「なるほど。いちいち陣札を使うのも面倒だと思っていたところだ、採用しよう。……旅を楽しみたいと、楽しみだと思うのは初めてのことだ。弟が、少しは心を育てた方が良いとしつこく言ってきた気持ちが、やっとわかった。これは良いものだな。」
お返しとばかりに、唯一残った生身の右手で、栗色の髪をわしゃわしゃかきまぜたネメシア。帯を飾る簪と手を守る籠手が陽光を反射し光った。
「新婚旅行、いや婚前旅行か? 弟への土産話をたくさん作りたいな!」
「それ他人に聞こえるようには言わないでくれよ頼むから……」
互いにしか聞こえない小さな声で話し、笑い合う。そして揃って天を仰いだ。今日は晴天、新しい始まりに相応しい日だろう。