神の下僕
とある山の頂、たくさんの篝火を焚いて人々が儀式を行っている。真冬の冷気もものともせず、神主らしき人物は祝詞をあげ続け汗さえ浮かべ。その声に必死さや懇願の色が滲んでいたのは確かだった。
光が差す。夜が明けた。祝詞が止む。
神主の後ろで跪き祈りを捧げていた人々は、一斉に立ち上がってあるものを取り囲んだ。
棺桶だ。中身は儀式の最中もずっと呻き声をあげていたが、人々の目に同情は微塵も無い。
持ち上げられた棺桶の行く先は、火口。死火山であるため噴煙やマグマは無く、代わりに黒々とした闇が遠く深く満ちていた。勢いをつけて放られる棺桶。ひときわ大きな声が薄い木の箱を突き抜け、反響し、不気味な余韻を残して消えていった。
目を開ける。明確な思考を持たないまま、視線を動かす。じわじわ狭まる視界に白い足が入ってきた。
(助けてくれ……)
ようやっとはっきりした思考も、すぐにほどけていく。
「死に…だ、ぅ……な……」
伸ばした手が何に触れたかも分からない、冷たく暗い気配に呑まれるように意識が消える。
「起きろ!!!」
怒鳴り声に飛び起きた青年。どこも痛くない、と思った直後左耳を千切らんばかりの強さで引かれた。
「いっっってえ!!!」
「いつまで寝ているつもりだこのたわけ!」
引かれた勢いで寝台から転げ落ちる彼の前に、少女が立つ。
齢は十ほどか、白地に金や赤で牡丹、梅、菊などと鞠が描かれた高そうな着物を纏い帯は金の丸七宝柄。宝石を散りばめた髪飾りを戴き、あどけなくも整った顔を怒りに染めている。夜明けの空のような、薄青と赤紫色が同居する瞳。日の光に似た薄い金色に輝く髪は、町人では見ないほど短く首にもかからない長さで、毛先が遊ぶように跳ねている。透き通るような白い肌、夢うつつと見紛う神々しい美貌。
「……神様?」
「は? 頭を直し損ねたか。いや元々悪いのか?」
見た目の割に口が悪い。
「違うのか……? 俺は神に、生贄として……」
「そんなことはどうでもいい!! 重要なのは貴様のしでかしたことだ! こっちへ来い!!」
有無を言わさず青年を引きずり外へ向かう少女。建物から出て目の前は庭であった場所のようだ。植木や花が無残に折れ、潰れ、安っぽい塗装の木片がそこら中に散らばった酷い有様をしている。木片は間違いなく青年の入れられていた棺桶の残骸で。
「貴様が落ちてきたせいで、せっかく完成間近だった箱庭が台無しだ! この償いとして、元の、いや、より出来の良い庭を作り上げるまで私の下僕として働いてもらうからな!!」
「は? 嫌だね。俺は落とされただけだし、おまえが神様じゃねーんなら従う理由はねえ。偉そうにすんな。」
少女の手を振り払い、立ち上がって土を払う。更に機嫌を損ねた様子の少女を無視し出口らしき方へ歩こうとした彼だったが、不意に寒気に襲われて膝を折った。
「な、なん……」
「下僕として働いてもらうと言ったはずだ。死にたくないという貴様の願いを叶えてやった対価でもある。貴様の命は私のもの、簡単に取り上げられるのだぞ。」
這い蹲る青年の頭を掴み、顔を上げさせた彼女の表情は、使えない道具を見るような冷えたものだった。
「分かったか、いがぐり頭。貴様はこのネメシアの下僕、逆らうことは許さない。私を敬い、忠実に働け。」
「………わかった、わかりました!」
ギリ、と力を込められる気配を察知して慌てて返事する青年は、それでも反骨心を宿して声を発した。
「れいがです。俺の名前は零毬。」
「名で呼ばれたくば相応の働きをしろ。」
零毬の頭から手を離し、ネメシアは改めて彼を確認するように眺めた。
生贄の証だろう白装束を着ているが、血塗れの穴だらけでそのままではいさせられない有様だった。履き物も無い。髪と左目は栗色で、右目は何故か閉じたままいる。
「何故目を開けない?」
「そういう癖がついてるもんで。」
端的な返答。気にしたのは一瞬だけ、ネメシアの思考は零毬を働かせることに向いた。
「まずはそのみすぼらしい格好をどうにかしよう。着いてこい。」
一度屋内に戻り戸棚の前に立った少女は零毬を振り向き、手を差し出す。状況を理解できないまま零毬がその手を取るのとネメシアが棚を開けるのは同時だった。
ぱ、と景色が切り替わる。二人は薄暗い蔵の中に移動していた。驚いてキョロキョロする零毬を置いて長持の一つを物色し、作務衣を取り出すネメシア。
「何が起こった……?! ここは一体?」
「蔵だが。物が多くてな、しまう場所が足りないが外にいちいち取りに行くのも面倒で、蔵を空間ごと切り取って戸棚にしまったのだ。ほら、服。」
説明されてもただの人間には理解が難しい内容だった。聞かなかったことにして零毬は受け取った服を広げる。少し大きいかもしれない。
「他にも色々入っているから好きに使え。着替え終わったら出て来い。」
散らかしたら片付けろ、と付け加えながら蔵の扉の方へ行く。扉に触れると少女の姿は消えてしまった。外に出たのだろう。
受け止めきれない現実を横に置いて、ありがたく身支度を調えることにする零毬だった。
「うむ、まともな見た目になったな。」
黒い作務衣に足袋、草履。簡素ながら真っ当な服装になり本人も少し落ち着いた様子。
「とりあえず掃除から、ですかね。」
「うむ。」
庭に出て木片を拾い集める。黙々動く青年がゴミを積み上げていると、少女も部屋から木箱と布を引きずり出してきた。
「これは貴様の処置に使った簡易寝台だ。血で汚れてしまったからこれも捨ててしまえ。」
「じゃあこの布で木片を纏めますかね。ところでゴミはどうすれば?」
「外で燃やしてこい。ここでやると匂いと煙が気になる。」
ぽいぽいと火打ち石や油を投げ渡すネメシア。それを懐にしまって作業を続ける零毬。木片以外にも潰れた花を抜き、壊れた柵を取り除き、折れた木は薪にするため別個に置いておき……片付けが終わる頃、日は完全に暮れていた。
「はあぁあ、なんでこんなことになっちまったんだか……」
ぶつぶつ文句を言いながら、零毬は外へ歩く。ネメシアが箱庭と呼ぶ場所は火口から真っ直ぐ下、山中の空間であるそうで、出るにはそれなりの長さの洞窟を行くしかなかった。明かりは手元の提灯ひとつ。
「確かに死にたくないと願いはしたが、その代償があんなちんちくりんのクソガキの世話とは。高圧的でムカつくし、無償労働だし。……寒くなってきたな。箱庭はちょうど良い温度だったけど、そういや外は冬真っ只中か……」
防寒着も貰うんだった、と心から後悔している間に雪景色が眼前に広がった。風は無いが真冬の夜中はあまりにも寒い。
「やべぇ、すぐに火を起こさねえと今度は凍死の危機だ!」
雪の深い外まで行くのを諦め、洞窟の端で背負子からゴミでいっぱいの木箱を降ろす。油を染みこませた布きれに火花を落とせば、小さな火が出来た。
(火が大きくなる前に凍えそうだ。安定して燃え始めたら戻って、次のゴミと服取ってきた方が早いかもな。)
かじかむ指を温めつつ、周囲を観察して暇を潰す。
「山の中腹くらいか? ここ。立ち入り禁止の聖地ど真ん中に、俺みたいな罪人がいるなんて町の連中が知ったらどんな顔するんだろうな……ん?」
獣の息遣いが、耳をかすめた。
反射的に飛び退いた瞬間。
何かが雪を巻き上げて突っ込んでくる。ぱっと見は犬のよう、しかし。
「なんだ!? 火を恐れないなら普通の獣じゃない……噂に聞いた聖地の番犬か!!」
「グルルァ"!」
再び突進。身を捻って躱し走り出す。零毬は対抗手段を持っていない以上、逃げるしかなかった。
「ガルルッ!」
「ガゥッ」
「げっ、増えやがった!」
計三匹に追われ、走る。
走る。
距離を詰められる。
一匹が彼の右足に食いついた。
「ッ! くそが!」
倒れつつ右足を振りあげる、飛び掛かってきた二匹目の牙が一匹目を傷つけ同士討ち。
足が自由になる。
立ち上がろうとした零毬だったが三匹目に飛び乗られ地面に叩きつけられた。
(死ぬ……!?)
咄嗟に首を手で覆い守るが、覚悟した痛みは襲ってこない。
「案の定、か。まったく犬にまで這い蹲らされるとは恥ずかしくないのか。」
少女の声。のしかかる重さがなくなり番犬たちの足音が遠ざかった。
顔を上げ、ネメシアの姿を確認して、へたり込む零毬を彼女は真顔で見ている。
「ネメシア……様?」
「気安く名を呼ぶな。」
「じゃあ主サマ。なんでこんなとこに? 助けに来てくれたんですか?」
「まあそうなる。番犬のことを失念していたのは私だが、人間がこんなに弱いとは驚いたぞ。」
「悪かったですね! 大抵の人間は武器無しじゃ獣に勝てやしないんですよ!?」
「それはよく分かった、このままでは貴様が使い物にならんこともな。箱庭に戻るぞ。貴様にくれてやる物がある。」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 俺さっきので足をやられ、て?」
素早く踵を返すネメシアに慌て、追いかけようとした零毬は右足の痛みが消えていることに動揺した。噛み傷も、無理に動かして痛めたはずの関節も、元通りになったかのよう。服に残った穴と血だけが、怪我の名残だった。
「私と契約している限り、多少の傷はすぐ治る。安心して働け。死にたくない貴様には嬉しかろう?」
「は、はあ……」
それはもう呪いじみているのでは、とは言わない頭のある零毬。黙って主について行くのだった。
「これだ。ちょっと着てみろ。」
「随分真っ黒な毛皮ですね? 禍々しいっていうか、おどろおどろしい感じがするのは気のせいですか。」
ずい、と差し出された毛皮。大きさはネメシアがすっぽり収まりそうなくらい、毛質硬め。
「説明は後だ、着ろ。」
「大丈夫なんですよね?」
「………」
「大丈夫なんですよね!?」
含みのある反応に少し怯えながらも羽織ってみる。少し重たいくらいで何も起こらない。
変化は首元で留め具を留めてからだった。
パチッと音がした途端黒いモヤモヤが湧き出し零毬は飲み込まれてしまう。ほんの一瞬、それだけで彼の姿は豹変した。
四肢と胴体が毛皮で覆われ足は獣のごとく、両手の爪は鋭く、先端に毛束の生えた長い尻尾が揺れ。人ならざるものとなった己に素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「な、なんっっっだこりゃあ!!?」
「面構えも変わっているぞ。」
渡された鏡を覗けば百人中百人が化け物と言いそうな顔が映った。髪と左目が黒く染まり、瞳孔は猫のように細く、ギザギザの歯と尖った耳。
「それは昔旅した先で手に入れた物でな。何人も食い散らかした化け物の毛皮で、どんな刃物も通さない頑丈さを持つが纏う者を化け物に変える呪いがかかっている。その力を自在に扱えれば番犬程度どうとでもなるはずだ。」
「こっこれ元に戻るんですか!? ……あ、外せばいいのか。」
留め具を外せば元の姿になり、ホッとした零毬はもう一度変身してみた。
「足の形は変わったけど違和感は無いな。普通に動かせる。ふーん……自分の手は毛皮に邪魔されないで懐を探れるし、道具とかも取り出せて便利かも。着物の上を毛皮に包まれてるの変な感じだ。」
「問題ないならそろそろゴミを片付けに行け。動いた方が変化も分かりやすいだろう。」
「……あの、そもそも番犬に俺を襲わないよう命令すればよくないですか?」
「あれらは私を襲わないだけで命令に従うわけでは無い。諦めるんだな。」
「そりゃ残念。」
化け物の目は暗がりも見通し、腕力も強かった。残りのゴミを纏めて担ぎ凄い早さで移動する零毬。最初からよこせっての、などとぼやいているうちに火をおこした場所まで戻ってきた。
「まだついてるな、手間が省けるっと。」
燃えやすそうなものから火にくべていく。
パチパチ、じわじわ燃えるのを見守っていると。
「……この力はほんと便利だな。感覚が鋭くなって、音や気配がよく分かる。」
手近な石を拾う。そのまま最低限の動きで投げた。
ビュッ!
ビシィッ!!
「グルァ!?」
死角で飛び掛かる体勢を取っていた番犬が悲鳴を上げる。軽く踏み込むだけでひるんだ番犬の至近距離に。
スパッ。
振り抜いた爪の軌跡通りに、番犬の体は切断され雪を染めた。
「さっきのお返しだ。しっかし力加減が難しいな、気を付けないと飛びすぎたりやり過ぎたりしそう……」
「ガゥッ!!」
「!」
物音を聞きつけた二匹目が走ってくる。反射的に飛び退くが、
ごちっ!
「いっ! たくねえ、けど。言ったそばから飛びすぎた……」
脚力を制御できず天井に頭をぶつけてしまい、尻もちをついた隙に噛み付かれるが、番犬の牙は毛皮を貫通しなかった。
「なんだよ痛くも痒くもねえ!」
いっそ愉快な気持ちになって番犬の頭を殴りつける。あっさり絶命したそれを振り払ってゴミ片付けに戻る零毬だった。