社長がやって来た!
「おい! 樹、辞令書は大塚に回したんだよな!」
と専務の席をこちらから見て、右後方にあるドアが、バーンという効果音付きで開いた。
――待って? そこって専属秘書の控室だって、今さっき西条さんに教わった場所だよね!?
「兄さん、何でそこから来るんですか・・・」
呆れ顔の樹専務は祐一と同じ事を考えたようである。
大変、常人寄りで好ましい。
「おお! 神谷、待ってたぞ。急でスマンな」
この挨拶、一昨日も聞いた気がする・・・
「お前も分かってただろうが、経理課のテコ入れだからな。諦めろ」
ガハハと笑う、石川隼雄社長46歳。既婚。
イシカワ・コーポレーションの社長である。
「まあ、他の部署も考えたんだがな、どうせもうすぐ麗奈と結婚するんだ。経営者サイドを覗いとくのもいい経験だろう」
「はぁ、確かに」
「後を継ぐ必要は特にはないんだがな、樹もいるし」
専務が苦笑いをしている。
「だが、お前はキレるやつだから、そのままにしとくのも惜しい、で、取り敢えず引っこ抜かせてもらった」
踏ん反り返る隼雄に樹が、
「引き抜きって言おうよ」
と、苦笑いをしながら訂正する。
「そうですか・・・ただまあ、経理課だと年間の計画が立てやすいので、便利ではあったんですが・・・」
「「?」」
「長期休暇が取りやすいんですよね、で、その間は忍者としての活動してましてね・・・」
うーん、と天井を睨む祐一。
「今年はまだ夏まで契約が残ってるんですよ」
「え、ホントに忍者なんだ・・・」
樹が何故か顔を赤くして、祐一を見ている。
「はあ。まあ、組合が有りまして、そこに共済費を入れる決まりもあって」
「会社みたいだな・・・」
呆然としている隼雄。
「年間の活動も報告義務があるんですよね」
「「オイオイ・・・」」
隼雄と樹が呆れ顔で呟く。
「まあ、共済費も積立みたいなもんで、お互いに怪我した時とかの補償が・・・」
「大変そうだな忍者って・・・」
樹がボソッと呟いた。
×××
「ところで、忍者としての活動ってのは何してるんだよ」
何故か専務の部屋の応接セットに座り、珈琲を飲む3人。
勿論、珈琲を入れたのは祐一である。
因みに珈琲は秘書の控室に、備え付けの簡易キッチンがありそこの戸棚に珈琲豆や真新しいドリッパーや珈琲ポットやらが納められていた。
作為的な何かを感じ取ったのは祐一だけだろうか・・・
「俺は、海外に行ってますね、主に映画のスタントやってます。あ、勿論顔出し無しの契約で。その辺りは日本よりずっとしっかりしてるんで」
ははははと笑う祐一。
「お前、まだスタントマンやってたのか?」
「凄い〜・・・」
少々呆れ顔の隼雄社長と、目をキラキラさせる樹専務。
「日本はちょっと契約が甘いというか、お国柄でしょうかね。現場が結構な頻度で、なあなあになりやすいので芸能界には2度と近付きたくないですね・・・」
実にしょっぱい顔になる祐一を見て、騙されてテレビ出演したからなあ〜と哀れむ顔の残り2人・・・
「まあ、そうだなあ。海外だと、間違いなく違約金が発生するだろうから契約は守るよな」
腕組みをして隼雄が頭を傾げて考える。
「まあ、ウチの会社は副業オッケーの会社だから、何やってもいいんだけどね、結婚するんなら危険な仕事は控えめにしたほうが良いかもね」
樹は麗奈と祐一の結婚後の事を考えているようである。
「いえ? 別に危険じゃ無いですけど」
ちょっと天井を仰ぎ見て考える祐一。
「崖から飛び降りたり、爆破シーンで跳んだり、車やバイクでカーチェイス位しか無いんで。偶に殺陣と乗馬があるくらいです」
「「充分危険だよ!!」」
「でも、一昨日異世界に行った時、熊モドキみたいな野生生物が目の前に出て来たじゃないですか。あんな事はありませんよ? 映画なんて所詮は作りモノ相手ですからね」
そう言って、首を捻る祐一。
「野生生物? 熊?!」
樹がちょっとだけ引き攣った。
そういや、コイツは魔獣を素手――足だったが――で、しかも1人で撃退した男だったなと隼雄は遠い目になった。
「まあ、スタントマンの方は追々考えたらいいんじゃないかな? それより秘書はどっちに付くかを考えないと。会長も社長も2人共が仕事内容も、出先も全く違うからね〜」
樹が、建設的な意見を述べてみる。どうも忍者と一般人の価値観の違いは、直ぐには埋まらないと考え始めたようだ。
うん。正解。
ちょっとだけ祐一は考えてから、
「樹専務の秘書は駄目ですかね?」
と言った。
×××
結局デスク周りの片付けすら、何も進まないままに昼休みだけが時間通りにやって来た。
「まあ、今日のところは荷物の移動を午後から始めて、仕事の段取りは西条に教わってくれ」
隼雄社長が、眉根を指で揉みながら、午後からの予定を祐一に伝え、不毛な?話し合いは終わった。
「あ。そうだ、今年の夏はアメリカへ撮影に行く予定なんです。最終はハワイへ移動して終了する予定なんですけど、その後、ハワイで挙式とかどうでしょう? 麗奈さんや社長達はパスポート持ってますよね?」
と、終わり間際になって祐一に真顔で質問された時、隼雄社長と樹専務の2人はひょっとすると神谷祐一という男は、トンデモない価値観の持ち主なんじゃないか? と、今更ながら気がついたのは余談である・・・