第70話 ハンツの欲望
決戦の前触れ回ですが、敵が極めて傍若無人なため、途中までの流れに不快感が出るかもしれませんのでご注意下さい。
わたしの感覚は間違っていなかった様で、ハンツは高笑いすると、今度はわたしへと声を掛けてくる。
「さて、うぜえ衛兵も潰したし、次はお前だ。女、立ち上がって、こっちを向け。逆らうなら、さっきの衛兵の命は無えと思え」
ロスさんを人質にするやり方にイラっとしつつ、わたしは立ち上がってハンツを見据える。
その瞬間、ハンツは最初こそぽかんとした表情を見せたけど、続いて色欲に塗れた顔に変わると口笛を吹いた。
「ほう、これはこれは。こんな田舎町にこれ程の上物がいるとはな。さっきの回復魔法も大したものだし、これは思わぬ拾い物かも知れねえ」
思った以上に、ハンツが周りを冷静に観察していた事を知り、わたしは驚く。
尚も、ハンツはわたしに不躾な視線を向けてきて、時々独り言を言いつつも、舐め回す様にわたしを見続けた。
その視線の気持ち悪さに、わたしは思わず自分の身体をかき抱いたけど、ハンツはその様子を見て益々獣欲に駆られた表情へと変わっていく。
「……なるほど。魔法の腕は極上、そして容姿も極上だな。よく見りゃ、容姿だけを見ても白雪姫や公妃様より上玉ってところか。そこに、あれだけの魔法の腕まであるんなら、最早奇跡だな」
ハンツはなおもぶつぶつと独り言を言っていたけど、何か考えがまとまった様で、すっきりした表情になるとわたしへと向き合った。
「まずは嬢ちゃんの名前を教えて貰おうか」
「……フミナです」
この状況をどう乗り切るかを考えつつ、わたしはハンツに従って名前を答える。
それを聞いてハンツはいやらしく嗤うと、あり得ない要求を告げた。
「なるほど。ならフミナ、今からお前は俺の嫁だ。反論は認めねえ」
「……意味が分かりません。正気ですか?」
ハンツが語ったあり得ない要求を受けて、わたしは唖然としつつも反論する。
ロスさんやファルコンの懸念が当たった感じだけど、実際に薄汚い欲望を向けられるのは、想像以上の嫌悪と恐怖があった。
しかし、ハンツはそんなわたしの態度もそそるのか、ニヤニヤしながら欲望に塗れた目を向けつつ答えを返す。
「ああん? 最強勇者たる俺様の嫁になれるんだ、女として名誉だろう?」
「わたしにはケダモノと付き合う趣味はありません。そもそも、本当に勇者なのでしたら、王侯貴族の関係者が取り込みに掛かるのでは?」
実際には、男と付き合う事自体があり得ないけど、わたしは一般論も交えてそう返す。
しかし、それもハンツには馬耳東風な様で、更に奴は聞かれもしていない事まで語り出した。
「ま、フミナの言う事は一理あるぜ。俺様の種を欲しがる貴族共はわんさかいたしよ。ただ、俺としては公妃様をどうしても落としたくてね。そんなところに、公女殿下を連れ戻せば俺に抱かれるって約束を取り付けたんで、わざわざこんな辺鄙なところまでやって来た訳さ」
一国の妃を落としたいとの話には、わたしも思わずドン引きする。
しかし、ハンツはわたしの反応は一顧だにする事もなく、突然わたしを獣の様な目で見据えると、続きを語り出す。
「とは言え、ここに来たのは結果的に大正解だったな。まさか、公妃様以上の女が見つかるとは思わなかったぜ。ああ、血筋とかも問題ねえ。公妃様を抱く代わりに、お前を俺の女にする事を認めさせれば良いだけだしな」
そこまで話すと、ハンツは改めてわたしを見据えてニヤリと嗤う。
わたしに向けられたいやらしい表情に思わず怖気を感じたけど、わたしは一つ深呼吸すると、ハンツを挑発する様に答えを返した。
「はっきり言いますが、あなたの要求はお断りです。そもそも、わたしは自分より弱い男性とお付き合いするつもりはありませんので」
「ほう、面白れえ事を言うな。試してみるか?」
「あなたが宜しいのでしたら。但し、周りに被害が出ない様、街の外で」
街の外での一騎打ちを実現すべくそう提案すると、ハンツは一転して嗤い出す。
その反応に思わず戸惑っていると、ハンツは想定外の脅迫をしてきた。
「ハッ、まだまだ子どもだな。良いか、俺とお前は対等じゃねえ。お前がこの場を離れるなら、こいつらを皆殺しにする。それでもお前が戻って来ないなら、戻って来るまでこの街の人間を殺し続けるだけだ」
「なっ…………!」
「分かるか? この街に守りたいものがある以上、お前は俺に逆らえねえ。俺様は別にお前に従う謂れは無えんだよ」
「この、クズが……!」
ハンツの信じられない言い様に、わたしは思わず絶句して奴を睨み付ける。
しかし、その反応は奴の嗜虐心をくすぐったらしく、ハンツは尚もわたしに対して信じ難い要求を続ける。
「良いねえ、その目。是非とも屈服させてやりてえ。……そうだな。フミナ、今すぐ俺様のところまで来いよ。この場で女にしてやる」
「何を……、言っているんですか……」
「全部口にして欲しいのか? それと、俺様は有象無象に興味は無えし、お前をものに出来るなら手段は選ばんぜ? よく考える事だな」
「くっ…………!」
ハンツの無茶苦茶な要求に対し、わたしは奴への対抗策を考えつつも、ゆっくりと従う素振りを見せる。
博打の様な案は浮かんだものの、そのタイミングが掴めない事もあり、ギリギリまで時間を稼ごうとしたところ、わたしの腕を掴んで止める者がいた。
「……えっ?」
「魔女よ、奴に従う事はない。俺達の事は俺達自身で何とかする」
ファルコンはそう語ると、ハンツと対峙すべく身を起そうとする。
しかし、元々負った怪我が酷過ぎて、彼は立ち上がる事も出来なかった。
そんなファルコンに対し、わたしは本日納品する予定だったポーションを取り出して預けると、彼を安心させるべくぎこちない笑みを浮かべる。
「大丈夫です、わたしは自分の身が一番大切ですし、犠牲になるつもりはありませんから。……これをロスさんに飲ませて貰えますか?」
それを見て、ファルコンはわたしとじっと目線を合わせると、諦めた様にふっと苦笑する。
「ああ、善処しよう。……信じて良いんだな?」
「はい、任せて下さい」
「そうか。……すまない」
わたしはファルコンとの会話を終えると、改めてハンツを見据える。
それに対して、ハンツはニヤニヤと嗤いながらわたしを急かした。
「俺様はデキた旦那だからな、ちったあ待ってやったぜ。別れが済んだなら、さっさとこっちに来たらどうだ」
「言われずとも、今から伺いますよ」
そう言ってから、わたしがハンツに近付いていくと、奴は淫欲に塗れた目でわたしを不躾に眺める。
その気持ち悪さに身震いしつつ、わたしが賭けに出る機会を伺っていると、ハンツの後ろから不意に一人の少年が飛び出した。
少年は大きなナイフを構えていて、それは完全に無防備だったハンツの右太腿へと突き立てられる。
「お、俺は黒曜の魔女さんに恩義があるんだ! それをここで返さなくて、いつ返すってんだよ!」
しかし、少年のナイフはハンツにかすり傷すら付ける事が出来ず、逆にナイフが跳ね返された事で少年は後ろに倒れ込む。
それでも、少年の行動に意味はあった様で、ハンツはイラついた表情に変わると少年に殺気を向けた。
「ひっ…………」
「……ああん? 何かと思えば、さっきのガキか? 俺様はこれから良い女とイイ事をしようってのに、萎えるじゃねえか!」
ハンツはそう言うと、怒りのまま拳を振り上げる。
それは、そのまま少年へと振り下ろされ、その身を砕くかと思われた。
しかし、ハンツの拳は何事もなく少年を通り過ぎると、少年の姿は揺らめいた後に掻き消える。
「んな!? ガキが消えた、だと!?」
「それは[蜃気楼]の幻影です。ありがとうございます、勇敢な少年」
想定外の現象を前に唖然としたままのハンツを見て、この好機を逃さず、わたしは奴に触れて[転移]する態勢へと入る。
その絡繰りは[蜃気楼]で、わたしはハンツに従う振りをしながらも自身の姿を欺いて、奴と共に街の外へ[転移]する機会を模索していた。
但し、一緒に[転移]する為には奴に触れる必要があり、それは極めて危険な賭けでもあった。
そこに、少年が特攻を掛けてハンツの意識を逸らしてくれたお陰で、奴へ気付かれる事なく近付く事が出来たのは僥倖だったと言えるだろう。
少年に対しても、彼が倒れ込んだ際に[蜃気楼]を掛けていたので、ハンツの拳が空を切った恰好になり、犠牲者が出なかったのも幸いだった。
「後はわたしに任せて下さい。――[転移]」
かくして、わたしは一か八かの博打に勝って、ハンツと共に街の外へと[転移]した。
かくして、何とか街中からの[転移]に成功しました。
フミナにとって強敵との一対一は初めてですが、負けられない戦いでもあります。




