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第68話 予期せぬ急襲

 その日、アルフルスのスラム街には、いつもとは異なる異様な雰囲気が漂っていた。


 その大きな要因は、異国から来たと思わしき野性味溢れる容貌の大柄な男であり、その男が発する剣呑かつ強大な威圧感によるものだった。

 男はぐるりと辺りを見回した後、気楽な表情で呟く。


「ほう、これがシグルスの何とかって街か。ゴミゴミしたとこは何処も変わんねえな」


 その一方で、スラムのスリやごろつきは、普段の様子が嘘の様に男の一挙手一投足を警戒して息を潜めている。

 それは、あたかも野生動物が闊歩する捕食者を恐れる様な仕草であり、弱肉強食の世界で生きてきた彼らは男の危険性を本能で感じ取っていた。


 その男――オブレスト公国の勇者ハンツは、適当にスラムをぶらつきつつも、何か当てがあるのか歩みを止める事なく進んでいく。


「ま、何処でも蛇の道は蛇だしな。さて、姫さんの手掛かりは得られそうかね?」


 ハンツはそう呟いて道の先を見据える。

 雲の無い晴天の下、スラムに暗雲が漂い始めていた。




 その様な脅威はいざ知らず、〈ストレイズ・ルースト〉本拠地では、今日もごろつきにしか見えない男達が忙しなく働いていた。

 その中でも、一際大柄な禿頭の男――ファルコンは、ごろつき共に次々と指示を出しながら、今は働きに来た少年の相手をしている。


「ファルコンさん、ありがとうございました。これでまた働く事が出来ます」

「ふん、礼なら黒曜の魔女に言え。お前を治したポーションは奴が作ったものだ」


 少年の礼を受けて、ファルコンはそう嘯く。

 元来、工事で生じた怪我等の治療用に渡されていた魔法薬だが、ファルコンは現場判断という形で、この少年の様にそれ以外の理由で治療を必要としている者達にも配布していた。

 悪く言えば横流しに当たるが、スラムの治安維持の一助となっており、またこの少年の様に新たな人手の確保に繋がる事もあるので、一概に悪とは言えないだろう。


 ファルコンのその返事を受けて、少年は興味深そうに質問を返す。


「黒曜の魔女……さん、どんな方なんですか?」

「そうだな……、強く公正で美しい魔女だ。勇者が大切にするのも頷ける程度にはな。ジャン、お前の怪我も奴のポーションがあってこそ治ったと言って良い」


 ファルコンの誉め言葉を聞いて、ジャンは大いに驚く。

 この寡黙な男が女性を褒めたのは記憶になく、またその女性から思っていた以上の大恩を受けたと知ったからでもあった。


 ジャンはスラム街で妹や同年代の少年達と徒党を組んで暮らしており、最近は真っ当な仕事が増えて生活状況が改善してきたものの、その矢先にチンピラの抗争に巻き込まれて大怪我を負った事で、生活が立ち行かなくなる危機に陥っていた。


 そんな中、偶々ファルコンの目に留まった事で、『黒曜の魔女』のポーションを与えられた結果、ジャンを苦しめていた怪我はあっさりと完治した。

 その経験から魔法薬は凄い物だと驚いたのだが、ファルコン曰く『黒曜の魔女』のポーションは特別であり、他の物ではこうはいかないらしい。


 その話を聞いて、ジャンはまだ見ぬ魔女への恩義を再確認する。

 その様子を見つつ、ファルコンはジャンへと仕事の指示を告げた。


「ふん、体が動くなら5番の手伝いに行け。許可証は忘れるな」

「はい!」


 ジャンは元気良くそう返すと、早速外へと駆けていく。

 そんな平和な一幕の中、脅威はひたひたと迫りつつあった。




 その後、ハンツは誰にも邪魔をされる事なく道を歩んでいき、かつての〈ラプターズ・ネスト〉本拠地まで辿り着くと、その現状を見て目を疑う。


 己の経験則から推測してマフィアの本拠地へ来たはずが、まず建物の印象が想定と異なっており、この時点で見込み違いかと首を傾げた。

 また、カタギでは無さそうな人間が建物に出入りしているものの、非合法活動に手を染めている様子がなく、むしろ真っ当な仕事をしている様子が見受けられたからだった。


「どういう事だ? 俺様の見込み違いか?」


 アルフルスのスラム街は、再開発が始まった結果、真っ当な仕事が増えた事で、その雰囲気は大きく改善していた。

 この点では、普通のスラムしか頭になかったハンツにとって、想定外だったと言えるだろう。


 それでも、マフィアの面影は未だ随所に残っており、ハンツはそれに気付くとニヤリと嗤う。

 多少面倒ではあるが、適当に騒ぎを起こせばスラムの顔役に近しい人間が出てくるだろうし、そこから伝手を辿っていく事も可能だろう。


 ハンツはそこまで考えると、丁度自身の近くを通り掛かった少年――ジャンに向けて殺気を放つ。

 勇者からの剣呑な圧力を受けて、ジャンは一瞬意識を飛ばすと、そのままふらりとハンツへとぶつかった。


 ジャンは目の前の肉食獣の様な男を見ると、声も出せずにガタガタと震え出す。

 ハンツはその様子を気分良く眺めると、怒気を孕んだ表情を作ってジャンを脅した。


「ああん? 急にぶつかってきやがって詫びも無しか、坊主?」

「……そ、その……す、すみま……」


 ジャンが震えて満足に声も出せない様子を見て、ハンツはニヤリと嗤う。


「何言ってるか知らねえが、聞こえねえな? ま、後悔は地獄でしてくれや!」


 ハンツは名も知らぬ少年に対し、そう死刑宣告を告げて拳を振りかぶる。

 全力には程遠いものの、ジャンの頭を砕くには十分な威力を持ったその一撃は、しかしながら二人の間に割り込んだ何者かに受け止められ、大きな炸裂音を響かせるに留まった。


 想定外の結末を前に、ハンツは己が拳を受け止めた男を見上げる。

 そこには、ファルコンがジャンの前に立ち塞がる様に立っており、ハンツの拳を握り締めていた。


「ああん? 何だてめえは?」

「何者か知らんが、貴様は何をするつもりだった?」


 己を威圧するファルコンを見て、ハンツは当たりを引いたかと嗤いつつ、尚も挑発する様に答えを返す。


「何言ってんだ? そのガキが俺にぶつかって来たのを見てねえのか?」

「それは、貴様が殺気を飛ばしたのが原因だろう。それに、ぶつかられた程度で命を刈り取ろうというのは、ここの掟に反する行動だ」


 ファルコンはそう返しつつ、ジャンに目配せをする。

 ハンツの殺気を前に動けず震えていたジャンは、それを見て何とか我に返ると、這う這うの体で逃げていく。


 ハンツはその様子をただ眺めていたが、ファルコンが自分へと闘気を向けてきた事で、己の拳を掴んでいたファルコンの手を振り払って対峙した。


「ま、本命を引けた様だから、もうどうでもいいがね。てめえはこのスラムの顔役に近い立場にいるな?」

「……ああ、〈ストレイズ・ルースト〉代表のファルコンだ。この様な騒ぎを起こして何がしたい?」


 ファルコンの言葉を聞いて、ハンツは口笛を吹いてニヤリと嗤う。


「簡単な事さ。ちょっとの間、てめえらには俺様の手足として働いて貰おうと思ってな。てめえをぶちのめせば、連中も俺様の言う事を聞くだろう?」

「……正気か?」


 力こそ全てと言わんばかりのハンツの言い様に、ファルコンは狂人を見るかの様な目を向ける。

 一方のハンツは、馬耳東風の体で、これから始まるであろう闘争を前に愉悦を浮かべて宣言した。


「そんな訳で、てめえの役目は見せしめさ。一応、名乗っておくぜ。俺はハンツ、オブレスト公国の勇者様さ!」


 ハンツの名乗りを聞き、ファルコンは一瞬驚きを浮かべるも、すぐに闘争へと突入していく。

 スラムを舞台とした、二人の無頼漢による決闘が始まった。

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