第59話 隣国の企み
三人称視点での敵役回です。
オブレスト公国首都ベルクゲスト――
オブレスト公国はシグルス王国の西側と国境を接する隣国であり、かつては幾度となく戦乱を交えた歴史を持つ国でもある。
とは言え、それも過去の話であり、現在は魔の森を互いの国境とする事で合意した結果、一定の友好条約が結ばれた事もあって、両国は中立的な関係で落ち着いていた。
普段は荘厳で物静かな雰囲気のベルクゲスト公宮であったが、現在は前例のない事件を受けて浮足立った雰囲気に包まれている。
騎士は忙しなく公宮を走り回り、文官もまた同様であった。
そんな中、そのような雰囲気に飲まれる事もなく、荘厳な雰囲気のままの場所も存在する。
そこは後宮の中でもとりわけ豪奢な部屋であり、大公の寵愛を受ける公妃の住まう部屋でもあった。
その部屋で、公妃――カタリナ・フォン・オブレストは、自らの息のかかった近衛騎士から事の顛末について説明を受けていた。
「……とここまでご説明した通り、末端の騎士の教育が行き届いておらず、マルグレーテ殿下を見失う結果となってしまい、誠に申し訳ありません!」
その説明を聞き、カタリナは公国一と謳われた美貌を歪めつつ、近衛騎士へと一言告げる。
「状況は理解したわ。でも大声を出す必要はあったのかしら? 妾は騒がしいのは好かぬの、覚えておきなさい」
「はっ、申し訳ございません……」
近衛騎士は冷や汗を流しながら、更に深く頭を下げる。
カタリナはその様子を冷ややかに見つめつつ、真に確認したい事を告げた。
「それで、貴方には魔道具の鏡を何枚か渡していたと思うのだけど、出して貰えるかしら?」
「畏まりました、こちらになります」
そう言うと、近衛騎士は数枚の鏡をカタリナへと手渡す。
鏡に映った似姿を保存したり、鏡に映ったものを映像として遠地に転送する魔道具と聞いてはいたものの、近衛騎士はその様子を見た事がなく、本当に写っているか戸惑いつつも公妃の命に従う。
カタリナは鏡を受け取ると、そこに残った映像を読み取り始める。
それを機に、どんどん険しくなっていくカタリナの表情を見て、近衛騎士は更に身を縮め、その勘気をやり過ごそうとした。
やがて、カタリナは呆れた様にため息を吐くと、近衛騎士を叱る。
「これはどういう事かしら? 妾はあくまで丁重に義娘を迎えるよう、申し付けたはずなのだけど?」
「……それが、末端の騎士共がカタリナ様のご意思を曲解致しまして、マルグレーテ殿下を亡き者にしようとした者がおった様です」
「ふうん、それは何故かしらね? 妾が『オブレストの白雪姫』に嫉妬して、とか言うおかしな噂でも耳にしたのかしら?」
カタリナの詰問を受け、近衛騎士の顔色は最早土気色と化し、処刑を待つ囚人の様になっていた。
事実として、カタリナの言い分は正しく、先走った数名の騎士のせいで厄介な状況に陥ったのは否定出来なかったからだ。
『オブレストの白雪姫』――
それはカタリナの義娘マルグレーテに付けられた二つ名であり、彼女が美しく成長するにつれて、公国一の美貌との評判もカタリナからマルグレーテに移り始めていたのもまた事実だった。
その事で、カタリナが前妻の娘たるマルグレーテを疎んだのも事実ではあったが、それで今回の計略を邪魔されるのは話が違うだろう。
その上、鏡の中には先走った騎士共の醜悪な様子が映っていて、ただ義娘を取り逃しただけではない事も、カタリナの不機嫌に拍車を掛けていた。
そういう意味では、騎士共から逃げおおせた義娘を褒めても良いと思う。
何故なら、鏡には義娘を乱暴しようとしている騎士共の姿が映っており、そこから逃げられた後に義娘を始末しようとしている騎士共の姿もまた映っていたからだった。
義娘の価値を大きく毀損しかねない騎士共の暴虐の様子を見て、カタリナは粛清の意思を固めつつ、次の計略を巡らすべく目の前の近衛騎士に告げる。
「事情は分かったわ。そして、最早事態は貴方達の手に余る事も。故に新しい指示を出しましょう、勇者をこの部屋に連れてきなさい」
「な……、あの者を、ですか?」
「二度は言わないわ。貴方達の不始末が招いた結果と自覚しなさい」
「……畏まりました。また、御身のご期待を裏切る結果となり、申し訳ございませんでした……」
近衛騎士はカタリナの身を案じつつも、その勘気に触れぬよう部屋を後にする。
その瞬間、姿見の大きな鏡から一人の男が姿を現した。
一見して線の細い美青年に見えるが、人ならざる危険な雰囲気を持つ不思議な男だった。
「厄介な事になったようだねえ、公妃様」
「うるさい、鏡」
「それにしても醜悪な事だ。仕えるべき公女に対し、自らの欲望をぶちまけようとはね」
青年の言い様を聞き、カタリナは彼を睨みつける。
とは言え、その程度ではこの青年に響かない事も分かっていたので、八つ当たりをしつつもカタリナは青年に問い掛けた。
「それで、妾はどうすれば良いかしら?」
「そうだな。まず現状だが、この騎士共がやらかした結果、公女殿下の魔道具が発動したせいで、想定以上に厄介な状況になっている」
そう言うと、青年は魔道具の魔法が発現した様子をカタリナに見せる。
「な……! これは[転移]!?」
「ああ。あんたの義娘の母親は、結構な魔導士の家系の出だったはずだ。娘の将来を案じて、伝説級の魔道具を遺していても不思議じゃないだろうぜ」
青年の指摘を受けて、カタリナは親指の爪を噛みしめる。
誰にも悟られぬよう水面下で動いていた計略が、実を結ぶ寸前になって現場の騎士共の暴走で潰えたのだから、憤懣遣る方なくなるのもやむを得ないだろう。
だが、そんな彼女の様子を見て、青年は更に新事実を飄々と語る。
「だがまあ、そんな公妃様に朗報だ。公女殿下の居場所が分かったぜ。これは……魔の森のシグルス王国側で、グランツ辺境伯領アルフルスに近いな」
「それは誠か!? どうしてそんな事が分かる、鏡!」
新たに判明した事実を聞き、表情を一変させたカタリナに対し、青年は意地の悪い表情になりつつ告げた。
「公女殿下には呪いを施していただろう? それを辿っただけさ」
「ほう……、隣国のそれも国境近辺なら、まだやりようはあるわね。なら、やはり勇者に頑張って貰うのが一番かしら」
カタリナはそう言うと、嫣然と微笑む。
謀略は形を変え、再び始動しようとしていた。
◆ ◆ ◆
やがて日が落ち始めた頃、ベルクゲスト後宮を乱暴に歩く男がいた。
年の頃は二十代後半というところで、野性味溢れた容貌の大柄な男だ。
男は一際豪奢な部屋の前で立ち止まると、乱暴にノックをした後、返事を待たずに扉を開けて中へと入った。
「公妃様の命に従い、勇者ハンツ、参上したぜ」
「よくぞ来てくれた、勇者よ。とは言え、レディの部屋に入る作法がなっていないわ。気を付けなさい」
「それはすまねえ。公妃様の命とあって、居ても立っても居られなくてね」
カタリナの小言を飄々と受け流し、ハンツはそう答える。
尚も、ハンツは待ちきれない風にカタリナに話しかけた。
「で、用ってのはなんだ? ようやく俺に抱かれる気にでもなったのかい?」
「相変わらず馬鹿な事を……。貴方を呼んだのは他でもない。これから貴方にしか出来ない仕事を与えるわ」
「良いねえ。最初にその褒美を聞いて良いか?」
依頼の完遂は確定事項と言わんばかりに、自信に満ちた表情でハンツは語る。
その様子を見て、カタリナは薄く嗤うと、ハンツの言葉を無視して依頼内容を語り始めた。
「妾の義娘は知ってるわね?」
「『白雪姫』か? 勿論知っちゃいるが、俺からするとまだケツの青いガキだな」
「お前の感想は聞いていないのだけど……、まあ良いわ」
そう言うと、カタリナは今回の事件の顛末を話す。
内容自体は騎士団の不始末としか言い様が無いだけに、良き義母の顔でカタリナはハンツへと語った。
「そんな訳で、義娘は逃げる事こそ出来たけど、自力で帰れない状況でもあるから、信用出来る貴方に頼る事にしたのよ」
「まあ、顛末は分かったが、俺を頼るには理由が弱くないか?」
それを聞いて、少々渋い顔を見せたハンツに対し、カタリナは伏せていた情報を開示した。
「いえ、貴方の力が必要よ。何故なら、妾の義娘はシグルス王国に居るのだから。生半可な手段では取り戻す事は叶わないわ」
その一言を聞き、ハンツの表情が一転する。
面倒な仕事と思いきや、強者との闘争の可能性が高くなった事で、闘争心に火が付いたらしい。
「なるほど、確かにそうなると俺様の領分だ。だが良いのか? その分、報酬も弾んでもらうぜ?」
「構わないわ。そうね……、妾の出来る範囲で、貴方の願いを一つだけ叶えてあげる。これで如何?」
そう言って嫣然と微笑むカタリナに、ハンツは思わず絶句する。
それでも、ハンツは己の欲望のまま正気に返ると、カタリナへと望みを告げた。
「それなら、アンタとの一夜を望んでも良いのかい、公妃様?」
「構わないわ、大切な義娘の為だから。但し、一つ条件があるわ」
まさかのカタリナの承諾を受け、ハンツはゴクリと生唾を飲み込むと、カタリナの問い掛けに頷く。
「義娘の様子を見てからね。あの子が帰ったら儀式を施す必要があるの。とは言え、全く健康な状態で保護出来たなら、精々数日の事よ」
「その程度ならオーケーだ、確かに約束したぜ」
そう答えると、ハンツは既に色々と滾った様子を見せる。
カタリナはそれを冷ややかな目で見つめると、最後に魔道具を渡しつつ、要点を告げた。
「なら、それをお持ちなさい。そちらの鏡は義娘の位置を示す魔道具よ」
「了解だ。なら、こっちは何だ?」
「そちらは義娘を襲おうとした愚か者達を映した魔道具よ、行き掛けの駄賃でこいつらは始末なさい」
「なるほどな。アンタのためなら安いもんだぜ」
ハンツはそう言うと、これで話は終わりと言わんばかりのカタリナを見て、部屋を後にする。
彼女が何らかの企みを抱いているのは明らかだったが、あの極上の美貌をこの手に出来るなら、それは些細な事だろう。
異国の企みが、アルフルスに災厄として降り掛かろうとしていた。




