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会社でヤギを飼うことになったんだが

作者: 倉木おかゆ

「メエェェェェーッ!」


 ヤギが鳴いている。今朝、出勤するとオフィスにヤギがいた。一瞬目を疑ったが、間違いない。ヤギが会社にいる。


「おはよう。八木やぎ君。今日もいい天気だねえ」


 ヤギの横に課長が晴々(はればれ)とした顔で立っていた。普段と変わらない様子で俺に挨拶をしてくる。隣にヤギがいるというのに。


 俺の名前は、八木やぎ 新太郎しんたろう。入社2年目のサラリーマン。ようやく仕事にも慣れてきて、さあこれからという感じだったのだが。


「おはようございます。課長。ところで、そのヤギは何なんですか?」


 とりあえず上司に挨拶を返すことを優先したが。まずは目の前にいるヤギについて触れざるを得ない。


 俺が尋ねると、課長はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「よくぞ聞いてくれた。八木君。紹介しよう。彼女の名前はマサ子。見てのとおりヤギでね。実は、動物園のふれあい広場から我が社に出向してきてくれたんだよ」


 白い毛並みが艶々(つやつや)と。紹介されたのが嬉しかったのか「メエェェェェーッ!」と満足そうな顔で鳴いている。


「いえ、課長。俺が知りたいのはヤギの名前ではなく。どうして会社にヤギがいるのかってことなんですが……」


「さすが八木君。いい質問だ。このヤギを会社で飼うことになったのは他でもない」


 課長が話している途中だが。既に、このヤギを会社で飼うことは決定しているらしい。サラっと聞き流すのは難しい事実だが。話の続きに耳を傾ける。


「君も知ってのとおり、我が社でもデジタル化が進み。ペーパーレスを皆が意識しているが。どうしても紙のゴミというのは無くならない。このオフィスでも大量のシュレッダーダストが発生している」


 紙のゴミの話と目の前にいるヤギ。どうしようもなく嫌な予感しかしない。


「そこで私は考えついたのだ。その紙、シュレッダーじゃなくてヤギに食べさせればいいじゃん!ってね」


 やはり…… 嫌な予感は的中した。そんな小学生が思いつきそうなアイディアで、オフィスに動物を入れるのは信じられないが。もう目の前に、既にヤギはいるのだ。


「これで我が社ではシュレッダーという無駄な作業は無くなった訳だ。無駄な紙は全部、このヤギのマサ子が食べてくれるからね。はっはっは! という訳で、八木君。君にはマサ子の世話を任せるよ」


「えッ!? 俺が世話するんですか!?」


 余計な仕事を増やされて、課長に対して激しい殺意を感じた。



 それから一週間後――――


「おい! 八木ィ! マサ子がふんしてるぞ! 臭せえんだよ! さっさっと片付けろ!」


 先輩の怒鳴り散らす声。当然、ヤギも生き物だ。食べたら食べた分だけ排泄する。


「ちょっと、八木ィ! マサ子がメェーメェーうるさいわよ! 静かにさせてよ!」


 その苦情は俺でなく、マサ子に直接言っていただきたい。


 マサ子の世話係に任命された俺は、ほぼ一日中マサ子の世話に翻弄されることになった。そんな俺の元に課長がやって来る。かなりイラついた顔をしている。


「八木君。もう私は我慢の限界だよ…… この獣臭い匂い。会社はね! 動物園じゃないんだよッ! 家に帰っても娘から『お父さん臭い! あっちに行って!』って言われるんだよ! だいたい、どこのどいつだ! 会社でヤギを飼おうなどと言い出したのは!?」


 いや、お前ですけど。


「しかし、課長! マサ子のおかげでシュレッダー作業は確かに無くなっています! それにシャンプーも変えたので、匂いも前よりはだいぶマシになって……」


 信じられないことに、俺はマサ子をかばっていた。マサ子を否定されることは、この一週間マサ子の世話をしてきた俺自身も否定されることだったからだ。


 それに、一週間も世話をしていたら情も移っていた。マサ子も俺に懐いてくれている。


 だが、課長の怒りは収まらない。そして、ついに。


「もうダメだ! マサ子には動物園に帰ってもらう! 本日中に辞令を出す! 出向は取り消しだ!」


 どんなにクソ人間だろうと、会社では人事権を持っている人間には逆らえなかった。その日のうちにマサ子はトラックに乗せられて動物園へと連れて行かれた。


「マサ子ーッ! マサ子―ッ!」


 俺は走って追いかけたが、すぐにトラックは見えなくなってしまった。



 そして、マサ子のいない時間が過ぎていく……


 心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いたような感覚。仕事が全然手に着かない。マサ子の世話をしていた時は、不思議と充実感があったのに。今は、まるで嘘のようだ。


「不思議ね…… あれだけメェーメェーうるさかったのに。いなくなったら何だか寂しいわ」


「本当だな。あの獣臭い匂いが懐かしく感じるんだよな……」


 マサ子がいなくなって寂しさを感じているの俺だけではなかった。あれだけ俺に怒鳴り散らしていた先輩たちもマサ子恋しがっている。


「そうか…… そうだったんだ!」


 俺は突然立ち上がった。そして走り出した。



 そして、次の日――――


 課長がひきつった笑みを浮かべている。その日の朝、社長が俺たちの部署にやって来た。


「紹介しよう。……と言っても、君たちは既に知っているだろうが、ヤギのマサ子君だ」


 社長の隣にいたのは、あのヤギのマサ子であった。「メエェェェェーッ!」と嬉しそうに鳴いている。社長は続けて話した。


「マサ子君には、我が社で新しく設立したアニマルセラピー部の部長をしてもらうことになった。みんな、よろしく頼むよ」


 マサ子は、うちの課長よりも偉くなった。課長は、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。



 あの日、俺は社長室に向かって走った。そして直訴したのだ。


 マサ子がもたらしたものは、単なるシュレッダーの代わりなんかじゃない。紙を食べる時のムシャムシャした愛くるしい顔。メェーメェーと人懐っこい鳴き声。


 そう癒しだったのだ……


「八木君には、アニマルセラピー部生活課の課長をしてもらう。マサ子君の世話をこれからも頼むよ!」


「はいッ! 社長!」


 

 ~Fin~


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