第9話 依頼(1)
フカフカとする赤いカーペットが足音を吸収し、壁には人物や風景の絵画がいくつも並んでいる。部屋の中央に低いテーブルと高級そうな黒いソファが向かい合わせで置かれている。
一番奥にはドンと構えた部厚い装丁の本が収められた本棚と、ベッドとして使えそうなくらい長い木の執務机があり。黒革の椅子の上には、顔がゴツく体格のいい中年の男が手を組んで座っていた。
「下がっていい」
仕立てのいい黒いジャケットに収まり切っていない筋肉を揺らし、バークたちを連れてきた役人を退室させる。
どうやら役人より偉い立場の人間のようだ。そもそもここに入ってくる前に城の門を通って来たのだから、普通に考えれば街の要職クラスの人物像なのだろう。
強面の男はスッと立ち上がると机の前に移動し、こちらを高い位置から見下ろしてきた。
「私は防衛大臣をしているハンと言う」
大臣という官職のイメージにはない肉体と野太い声に、おそらく兵士上がりなんだろうなとバークは勝手な想像をしつつ自己紹介を返した。
「なんでも街中に現れた付喪神を退治したとか」
「退治したのはこの二人なのは間違いないけど……周辺もちょこっと壊してしまって……」
事実確認をされ言い逃れできない状況に、バークは相手の顔色をうかがうように言葉を紡ぐ。付喪神を倒したことには感謝するが、それはそれとして弁償しろとか器物破損の罪で投獄なんてことになりたくはない。その思いで反省の色を濃く見せつつハンの言葉を待つ。
防衛大臣を名乗った男は品定めするように、ジーッとこちらを順番に見つめていく。最後の審判を匂わせる雰囲気にゴクリとバークは息を飲み込む。
防衛大臣に罪の量刑を決める権利があるわけではないが、逮捕権は当然あるはず。ここで拘束されれば街を出ることすらできなくなる。
目の前の人間に自分のすべてを握られている感覚に、ほんの数十秒が数時間にも感じられる中、ハンは短く息を吐くと大きな口を開いた。
「付喪神を放置していたら気づかぬうちにもっと被害が広がっていた。街の多少の破損はこちらで修繕するから気にすることはない。むしろ感謝しているぐらいだ」
強面から一転、柔和な笑みを浮かべ客人をもてなすようにバークたちを近くにあったソファへ促す。その態度に肩の力が一気に抜け、バークがへたり込むように座ると、ハンも重量のある体を深々と向かいのソファに沈めた。
「こちらへ呼んだのは他でもない。付喪神を倒した実力者のあなた方に、最近起きている不可解な現象の調査に協力して欲しいのだ」
ハンは神妙な面持ちで上体を乗り出し、こちらの瞳を見つめてくる。まるで品定めをされているかのような鋭い眼光に怯みそうになるが、なんの負い目もなくなった今なら大丈夫と自分に言い聞かせ、バークは胸に手を置いて気持ちを整えた。
「防衛大臣が一般市民にそんなこと依頼していいのか?」
街の警備のトップが役人や兵士に命令するようなことを、どこの誰とも知らない人物に頼む。忌憚なく言ってしまえば、自分たちの捜査力や防衛力が機能していないと自白しているに等しい。
普通なら有り得ない話の流れにメルとティアも興味深げにハンを見つめていた。
「我々も全力を挙げて当たっているのだが解決に至らず。しかもほぼ確実に付喪神の仕業であると判断しているのだ。付喪神相手となれば街の兵士だけでは死傷者は免れない。そこで呪具の使える吸血鬼の方々に助力を願おうと思っていたところ、あなたたちがタイミングよく現れたという次第だ。もちろん報奨金も支払う」
バークたちの顔を真っ直ぐに見据えてハンは意思を問うてくる。
どうやら嘘でも冗談でもないようだ。
それほど切羽詰まっているのか、市民の生活を最優先に考えているのか。どちらとも知れないが、話としては願ったり叶ったりではある。
だがバークは一人で決めるわけにもいかない話ということで、横に座っていたメルとティアに問いかけた。
「二人はどう思う?」
「付喪神が関係してるなら、どうせ探すつもりだしいいんじゃない?」
「先立って情報が得られるなら好都合だと思います」
どうやら二人も乗り気だ。ならば断る理由は何一つない。
つい数分前まで逮捕されるかもしれないとビクビクしていたバークの気持ちは晴れ、むしろ雲を眼下に眺める山の頂にいるように澄み渡っている。
バークは上体を前のめりにすると、軽く咳払いをしてから言った。
「俺たちも付喪神を追っているし、路銀が稼げるのはありがたい。その依頼、喜んで引き受けさせて貰うよ」
「私たちに任せなさい。付喪神を倒してきた数は三桁は余裕で行くから」
「詳しい情報を教えてください。まずは付喪神が原因かどうか確認します」
メルとティアもプロとしての自信を言葉で示す。
長年生き抜いてきた実績と経験が息づき全身から溢れ出る空気に、ハンの表情は明るさを増していった。
「感謝する。言葉だけで説明するより実物を見て貰ったほうが早いだろう。付いてきてくれ」
ソファから立ち上がり早速取り掛かって欲しいと、ハンは部屋を出ていく。居ても立ってもいられないといった様子に、バークたちは置いて行かれないようすぐに追随した。
石造りの廊下にカツカツと靴の音が響き、否応にも緊張感を高めていく。心なしか少しずつ歩調が速くなっていくハンの足音に、バークたちの足も自然とスピードが上がっていく。
「どこまで行くんだ?」
「城の中にある、とある部屋だ。そこに今回の事件のすべてがある──いや、いる」
その言葉が何を示しているのか聞き返そうとしたが、ハンのきつく結ばれた口元に深刻さを垣間見、バークは喉まで出かかった言葉を引っ込める。
そして城の隅の隅にある誰も来ないような人気のない廊下の突き当りにあった扉に来ると、ここが目的の場所なのか立ち止まった。