第28話 完全な黄泉返り人
「あ、アッキちゃん! アッキちゃんの腕が!」
「大丈夫だよ、もえ。大丈夫だってことは、知ってるでしょ」
目の前で、傷口がふさがっていく。
巻き戻しされた映像みたいに、筋肉と脂肪が絡み合って、皮膚がとじる。これを見るのは二度目。二度と見たくなかったけど。
「あ、ああ、素敵。黄泉返りの力を目の前で見られるなんて。ああ、ふふ、こんな近くで。奇跡よ、奇跡。イッちゃう」
アッキちゃんの再生を見て、女がナイフを握ったまま手を合わせる。
恍惚とした顔が、キモい。
「っ! さわんな! バカい…ぬ!」
アッキちゃんの悲鳴にハッと我にかえったあたしは、再びポチの方に意識をやる。
ポチが、アッキちゃんの細い首をつかんで、ぎりぎりと締め付けながら持ち上げている。
アッキちゃんの顔が赤くなって、青くなる。離れていても、ミシ、ミシ、って音が聞こえてくる。
締めるを通り越して、折ろうとしているのかもしれない。
そんなことしたって、アッキちゃんは死なない。だからこそ手加減なしに折られようとしている。
動きたいのに、周りを信者どもに囲まれて動けない。
腕も、足も、頭も、腰も、あらゆるところを掴まれて、体重をかけられている。
「見られるぞ」
「首が折られてからの蘇生……!」
「おお、ありがたい、早く見たい」
「早く早く早くへし折って」
信者どもの声がうるさい。異常者どもが。
「や、め、ろぉぉおおおおおおぉお!!!!!」
唯一動かせるのは、喉。力の限りにあたしは叫んだ。
脳の血管が切れそうなくらいムカついていた。
右腕のアザがカアッと熱を持ったかと思うと、視界が紫色に染まる。
無数の毒蛾が――あたしの式神が、激しく飛び交って、鱗粉を降らせていた。
「ポチ! ふせ!」
戴天の声が響く。
大量の鱗粉は、あたしと信者たち、アッキちゃんとポチ、その全てに降りかかった。無差別に降り注ぐ厄災だ。
呆けた顔で毒蛾を見上げていた信者たちは、次の瞬間には目・鼻・口、といった顔にある粘膜のすべてをただれさせることになるだろう。
残念ながらそれを見ることは出来ないけれど。
なぜならあたしは、とっさの判断で顔を伏せて、体を縮こませたからだ。
判断は正しかった。
守りきれなかった首の後ろと耳が痛痒くて、燃えるように熱くなったけど、目と呼吸器官は守りきれた。この二つが無事なら、戦うにも逃げるにも支障はない。
そして予想も当たっていた。
あたしを押さえつけていた信者たちは、いっせいに飛びのいて絶叫・転倒・悶絶・発狂、というありさまだ。
「アッキちゃん! 首、大丈夫だった!」
ふせ、をしているポチの横で座り込んでいるアッキちゃんに駆け寄る。アッキちゃんは、喉を潰されかけたことによって激しく咳き込んではいるけど、無事そうだ。
鱗粉にさらされた肌は、ただれた状態から回復するところだった。
「ポチ、ゴ―!!」
戴天の声がまたしても響く。ふせをしていたポチが、あたしと同様、首や腕をただれさせたまま立ち上がろうとする。
「来るな! 消えろ! あたし達の目の前から!」
あたしの声に応えるように、毒蛾が戴天とポチのもとに飛んでいく。
ポチのもとには五羽行った。
顔に、腕に、脚に、肌の出ているところに貼り付こうとしつこくまとわり付く。ポチがどれだけ怪力でも、飛び交う毒蛾にとっては無意味だ。
うちの一羽がポチの右目に貼り付くのに成功した。
「ギャワワン!」
ポチが絶叫し、くにゃくにゃ踊りがはじまる。
周りの信者と一緒に悶え、苦しみだす。
戴天は、というと、彼女のもとには数え切れない数の毒蛾が向かっていた。
あれがいっせいに顔に貼り付いたら、窒息しちゃうんじゃない? ってくらいの数。
紫の塊にみえる毒蛾の群れに囲まれて、戴天はそれでも余裕の表情をしていた。
毒蛾が――戴天の顔を覆いつくす。
「きゃああーーーーー!!」
絹を引き裂くような、って言うんだっけ、そんな甲高い悲鳴がこだまする。
「た、戴天!?」
なんてアッキちゃんは、かすれた声で叫ぼうとする。あまりの状況に、戴天が死ぬんじゃないかって焦ってるんだろう。あたしが式神で人を殺してしまうかもって、恐怖もあるのかもしれない。
それでもあたしは安心も不安も抱けない。あるのは緊張だけ。
戴天の手が、毒蛾をつかんで、引き剥がす。一羽ずつ握りつぶしていく。
冷静な動きだ。
戴天の顔はただれて人相が変わっていた。思わず息を飲むような、衝撃映像って感じ。
毒蛾を握った手もぼろぼろに皮膚が向けている。
戴天の足元には、落ちた毒蛾の紫の羽根が、戴天の皮膚と一緒になってまだらの模様をつくっている。
「ああ、私の顔、私の顔が……! ――なんてね」
腫れ上がったまぶたで遮光器土偶みたいな顔になっていた戴天が微笑む。
微笑めるくらいには、頬が回復している。
見る間にまぶたの腫れはひいて、きれいな二重に戻る。明るい茶色の瞳が、人懐こく光ってる。
「私には効かないよ、残念。ってそんなに驚いてないみたいだね」
「だって、冷静すぎるから。あんた顔狙われたら真っ先に逃げそうなタイプだし、そもそもあたしの式神を知ってるなら、裏から指示だけして出てこないでしょ。それが堂々と姿を現したってことは……」
「そう、あたしも黄泉返りなの、それも、完全なね」
痒みにもだえる人たちが、あたしを囲んで踊るみたいに身をよじらせている。
うめき声の合唱は、なんだか原始的なお祭りを思わせる。もしくは、読経?
うーうーうーうーあーアーアーアー
「戴天……そう、なの……?」
「そうだよ〜、ちなみに私の髪は本物。アッキみたいなウィッグじゃなくてね。ねえ、トモカヅキを被いて完全な黄泉返り人になれば、アルビノ体質からも解放されるの。悪い話じゃないのに、どうして嫌がるのかしら」
ヒイイイイイーギィイイイイーーー
「イヤなものはイヤ、それだけだよ。あたしは完全な黄泉返り人になんてなりたくないし、教団の広告塔にもなりたくない。完全な黄泉返り人なんだったら、自分が広告塔になればいいじゃない」
ぴぃいいぃいーーーああああああーーー
助けて。助けて。
痛い痛い痛い。
「星になれって? まっぴらだよ。私はそのために作られたけど、あんな不自由で大した儲けもないお人形さんはまっぴら。空っぽの人間の方がふさわしいよ、アッキみたいにね。ねえ、不完全な黄泉返り人さん、完全な黄泉返り人の私に、さっきから口が過ぎるんじゃない? 敬いなさいよ、ほら」
そう言って戴天が大きく口を開いて、舌をべえっと引き出す。
その舌の上には、五芒星と格子柄のタトゥーがあった。
「ね、アッキ、完全になろ? パーフェクトになろ? 最強の私の言うことを聞きなさい。そして星として教団に尽くしなさい」
うううワワワ……ワワ……うう……
目を腫らして悶えていたポチが、よろめきながら戴天の元へと移動する。
「ワウ……」
「ああポチ、私のタトゥーが見たいのね。かわいそうに、目が見えなくなってるんだね。野蛮な式神のせいで。大丈夫、あなたは目が見えなくても、体を動かせる。私の指示通りに、あいつらをさらうんだよ。トモカヅキにする方の娘は、殺しちゃだめよ。腕や脚がちょっと折れるくらいならいいけどね」
抱きついてきたポチの顔を両手でつつんで、額を近づけながら戴天が言う。
「ゥワゥ……!」
歓喜の吠声を上げたポチは、首からうえをボロボロにただれさせながら、あたし達に向き合ってきた。
「狂ってる」
アッキちゃんが吐き捨てるように言った。




