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第16話 紫色の悪夢

 楽しい日だったなあって、雑な感想としてはそう。

 日はいつまでも高くて、19時に駅で別れるまでずっと外は明るかった。

 暑さもひかないで、ずっとサウナ状態。

 喫茶店を出てからも、人工的な冷気を求めてあたしたちはすぐカラオケに飛び込んだ。

 そこでアッキちゃんの生歌なんか聴いちゃって、あたしだけが観客のライブ気分ですごくはしゃいじゃった。マイクを向けられても、一緒に歌うなんて出来なかったけど。

 あたしは一曲だけ歌った。どうしてもってアッキちゃんが強引に入れた曲だったので、一人で歌うならいいよって言ってマイクを取った。

 アッキちゃんの声とあたしの声が混じるのは、差がありすぎていたたまれないから無理。

 

「かわいい声なんだから、もっと自信もって歌えばいいのに」


 とは言ってくれたけど、ステージに立つひとに言われても恐縮しちゃうだけだ。


 初めて二人の写真が撮れたのはよかった。

 チェキより先に、プライベートで撮ったツーショットを得てしまった。友だち特権ってやつ。

 これはあたしの優越感をばっちりくすぐった。

 

 というわけで総括としては楽しかったのだけど、あたしの心に二つのわだかまりが残った。

 灯りを落とした部屋で、ベッドに横になったあたしは、その二つについてもやもやと考え続けていた。

 

 一つ目は、舞火の件。

 あの女がまだアッキちゃんの周りをうろついているということに、不穏なものを感じた。

 二つ目は、アッキちゃんが自分を傷つけることに対して、まともに返せなかったこと。

 守りたいと口で言いつつ、いまのあたしではアッキちゃんを守れない。むしろ、守らせてしまう。アッキちゃんは不死の自分を平気で盾に使う、っていうことが分かってしまった。

 

 付き合いたいという言葉を宙ぶらりんにして、友だちって立場で近くに居て、なんだか美味しいとこ取りしているみたい。

 みたいじゃない、事実そうなんだ。

 

『じゃあ、どんな力が欲しい? アッキを守るために』


 舞火の声が思い出される。

 いまのあたしではアッキちゃんを守れないみたいなことを言われたんだ、って改めて思って、フレッシュな怒りが湧いてくる。

 なに言ってんだバーカ!

 って思うけど、バーカ! で切り捨てられないのは、舞火の言葉が当たっているからだ。

 あたしが漠然と「守る」なんて言ったところで何が出来るんだって、今日一日で思い知らされた。

 

――なにが出来る? どうしたら、……どんな力があれば、アッキちゃんを守れる?


 いつの間にか舞火の言葉に誘導されるように、そんなことを考えながら、まぶたを閉じた。

 カーテンの隙間から、薄明るい夜の空がのぞいている。

 まぶたの裏に、白い月の残像が残った。月を横切る影はなんだったろう。

 

 


 あたしとアッキちゃんは、新宿駅のホームにおりる前の、小さなロッカーにもたれて立っている。

 アッキちゃんがスマホを出して、「ここで撮るのもエモそう」って言って馴れた感じで腕を伸ばす。

 写真かな、と思ってカメラを見つめたら、アッキちゃんが面白そうに笑う。そこで撮っているのが動画だって気づいて、「決め顔で止まってるところ録画しないでよ!」って怒る。そこも全部撮られてる。

 マスク有りの決め顔だと、あたしとアッキちゃんはそこそこ似ているけど、動画になるとあんまり似てないなって、そばで見ている別のあたしが思ってる。


 あたしを見ているあたしの視点がある。

 

 場面が飛ぶ。

 アッキちゃんがバイバイというように手を振って、ホームにつながる細いエスカレーターを降りていく。

 二人が並んで乗れない細いエスカレーターだ。

 降りる先はかすんでいて見えない。白いもやの中に降りていくアッキちゃんを追って、あたしもエスカレーターに乗る。

 アッキちゃんを待つ別のあたしが、先にホームにいて、もやから現れるアッキちゃんを見ている。


 アッキちゃんは別のあたしの方に手を振る。今度はバイバイじゃなくて、会えたね、の意味で振っている。

 手のひらにはもちろん火傷跡もなにもなくて、きれいな手だなあと思う。

 何もなかったようなその皮膚を見て、あたしはちょっと悲しくなっている。

 火傷したという事実がまるごと消えているから。

 アッキちゃんの再生は、事実の消去の繰り返しなんだ。

 黄泉返りだって、死という事実を消去した結果だ。


 彼女の頬やお腹や胸に残る、海水を浴びて出来た傷だけが、確かさのある時間の跡だ。

 でも全身を海水にひたしたら、泡となってアッキちゃん自身が骨も残さないで消えてしまう。黄泉返りで得た時間とか、存在とか、そういうものが全部『無』になってしまう。

 そう思うと、一生というものが当然重いものになる、と信じていたあたしの言葉は残酷だった。アッキちゃんの反応の意味が、分かる気がする。

 

 ああ、どうしたらいいのかな、アッキちゃんに何をしてあげたらいいのかな。

 

 もやを通り抜けて、アッキちゃんがあたしのそばに来る。

 フラッシュモブみたいに、ホームにいる人たちがいっせいに群がってくる。

 人の波に流されるようにして、あたしもアッキちゃんに近づいていく。


 アッキちゃんを取り囲む人たちが、服を引っ張ってびりびりに破いていく。

 紙みたいに簡単に破ける。

 それからあたしの服も、よく見たら最初から着ていないみたいだった。

 裸でホームにいる自分におどろいて体を隠そうとしたら、後ろから二人のおばあちゃんがあたしの両腕を抑えた。

 おばあちゃんは双子みたいにそっくりだ。


 アッキちゃんを海水から守るために、何をするべきかあたしは気づいた。

 裸のあたしとアッキちゃんが、群衆に押し流されるみたいにしてぴたりとくっつく。

 ウィッグまでむしり取られたらしいアッキちゃんの、ぼさぼさになった白い髪があたしの肩にもたれる。

 あたしたちは抱き合って、絡まって、溶け合おうとする。

 

「やめろ! アッキちゃんから離れろ!」


 あたしの声だった。こんな声が出せたのかってくらいの大声。

 エスカレーターをやっと降りきって、人の波をかき分けながら、あたしがやってくる

 上から降りてきたあたしは怒り狂ってる。

 あたしとアッキちゃんに向かって、怒りをふりまきながらやってくるあたしを、あたしの目はホームの天井からも見ている。

 

「アッキちゃん! だめ! ()()()()()()()()!」 

 

 そうだ、あたしの言う通りだ。アッキちゃんは、裸で絡みつくあたしから離れないといけない。


「アッキちゃんは、完全にならなくていい! 完全なアッキちゃんは別のアッキちゃんだよ! ああもう! 邪魔すんな! 邪魔するやつは全員……」


 ――全員、アッキちゃんと同じ目にあって苦しめばいい!

 

 ぶわっ、という音とともにホームが紫に染まった。

 白いもやも、人も、ホームの黄色の線も、裸のあたしとアッキちゃんも、全部を紫に包んだ。

 叫び声とともに人の群れが形を崩していく。

 みんなおかしな踊りをおどってるみたい。手を体に巻き付けて、離して、足もくにゃくにゃと関節が壊れたみたいに動く。

 どうしたの? みんな?

 みんなの様子をみながら、裸のあたしも体をくにゃくにゃさせている。


 猛烈なかゆみと痛みが襲ってきている。

 皮膚がただれて、血をふいて剥がれ落ちていく。

 ホームの灰色がピンク色に染まっていく。


 アッキちゃんだけは、紫の粉から守られている。

 怒り狂っている方のあたしは、全身から粉をまき散らしている。

 

「アッキちゃんが好きだよ! アッキちゃんを守りたいよ!」


 叫ぶたびにぶわっと粉が舞う。

 皮膚がただれてもだえている方のあたしは、怒り狂うあたしが羽化したことを知った。


「お前ら全員潰してやる!」


 叫び声と同時に、大量の蛾が羽ばたいていく。

 崩れた人たちを踏みつけにして、蛾を背負ったあたしがアッキちゃんに手を伸ばす。

 アッキちゃんも手を伸ばして、二人の指先が触れようとした。


 


 目を覚ますと、あたしは天井に向けて手を伸ばしていた。


「変な夢を見た気がする……」


 呟いて、汗だくの体を起こす。

 怒りがまだ体のなかに渦巻いている。夢のなかのあたしはアッキちゃんの手をとれたのだろうか。

 胸の前で手を握り合わせる。

 ふと、窓のサッシのところに赤い粉が散っているのに気づいた。ようく見ないと気付かないくらい少量だ。


「これ……なんの粉?」

 

 サッシをこすると、脂っこいような、べたっとした粉が指についた。

 ティッシュで拭き取ろうとしても、粉はなかなかきれいに落ちてくれない。

 あたしは、粉のついた指で他のものを触らないように気をつけながら、階下に降りる。

 手を洗って粉を落とすと、朝からまとわりついていたイヤな気分が少し晴れた。


 洗面台の横の窓から、夏の朝の陽が差し込んでいた。

 今日は登校日だ。

 朝のホームルームだけだから、午後からあるSin-sのライブには間に合うはず。

 アッキちゃんの活動復帰初日だから、絶対に現場に行きたい。

 ヘアアイロンのスイッチを入れて、洗顔のためのターバンで髪をまとめる。

 洗顔フォームを泡立てようとしたときだ。

 腕に、おかしなアザがあることに気がついた。誰かにつかまれたあとにも見える。


「なに、これ……」

 

 そう呟いて見つめていると、アザは異様なはやさで薄くなり、消えた。

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