王都の社交界で浮かれるシャロンは愛人との逢瀬を楽しむが・・
ポトフ伯爵の結婚生活は思っていた以上に順調だった。
シャロンは最初は領地の女主人ということに慣れなかったが、伯爵や両親の助けもあり、ほどなくその役割にも馴染み、家臣や領民からも美人の若奥様として親しまれるようになる。
ポトフ伯爵家は、貧困から再建したこともあり、その財力に比べ家臣団も少なく、屋敷も質素であり、質実剛健の家風であるが、シャロンは侍女もいない家で家事をこなしてきたためそのことに不満はなく、むしろ広い屋敷や侍女・従僕に仕えられる生活に戸惑っていた。けれど彼女の自ら働く姿は伯爵や家臣の好感を得た。
伯爵は妻の手料理に舌鼓を打ち、領内のあちこちを妻に見せて回った。
王都の小さい屋敷に閉じこもっていたシャロンには何もかも珍しく、この広い領地の女主人が自分であるとは信じられなかった。
しかし、伯爵が不在のときの領内の政治の決定権はシャロンにある。シャロンは家政を担うとともに、領内の勉強を懸命に行い、少しでも伯爵夫人に相応しくあろうと頑張った。
ポトフ伯爵は、妻のその様子を見て、2年間は子供を作らずに過ごすこととする。女主人の仕事の勉強と子育てが重なれば、この頑張り屋の妻がパンクするのではないかと心配したからである。
2年を経過し、そろそろ世継ぎをという声が高まる中、伯爵とシャロンも子供を作ることとする。シャロンは18歳となり、美少女から磨きのかかった美女となり、伯爵は手元から離さなかった。家臣団からその溺愛ぶりをからかわれているほど仲のいい夫婦であった。
その前から、隣領のソーダ侯爵家の内紛は更に深刻となり、もはやポトフ伯爵が燃料を補給しなくとも燃え盛っていた。戦火が領内に広がり、多くの難民がポトフ領に逃げ込んできて、伯爵は頭を痛めていた。
その対策として、タンドリー侯爵に王宮工作を依頼し、ソーダ領の治安維持を目的とした侵攻の許可を願ったところ、多額の賄賂と引き換えに認められることとなった。
「シャロン、ソーダ侯爵領に行ってくる。
内戦で疲れ切っているので大した戦争にはなるまい。
うまく収まれば従属領として、生まれてくる子供のための富を増やしてやろう」
狩りに行ってお土産を持って帰るという気軽さでポトフ伯爵は話す。
「旦那様、ご無事でお帰りください。
旦那様が不在の間、ちょうど王都の弟の卒業式があるので、久しぶりに両親と行ってまいります」
「そうだな。私も行ければ良かったが。弟さんと妹さんによろしく。
王都では楽しくやればいいが、社交界には気をつけて。あそこは表面は華やかだが、裏に回れば人を貶め合う恐ろしいところだ。深入りしないように」
ポトフ伯爵の力で、弟は政府に就職が、妹は官僚の子爵と婚約が決まっていた。
妹は縁戚であるタンドリー侯爵夫人の紹介で社交界にも出入りし、姉にも手紙で自慢していた。
伯爵は、貧困から立ち直ってから寄り親であるタンドリー侯爵夫妻に連れられ、社交界にデビューしたが、貴族学校も行かず、洗練された礼儀作法や流行のファッションに疎いことを陰で笑い者にされ、それを知ってから二度と顔を見せることはなかった。
シャロンと両親が王都に到着すると、弟妹がやってきた。
彼らはポトフ伯爵からの援助を受け、子爵家子弟として相応しい生活を送れるようになり、貧しい時代とは見違えた様子だった。
両親と姉を王都のあちこちに案内する。お金がないときには来ることも食べることもできなかった場所だ。
(お金があれば、王都はこんなに楽しい場所だったのね)
シャロンは思う。
タンドリー侯爵夫人もやってきて、義理とはいえ娘だからと高級店へ連れて行き、伯爵夫人に相応しい格好をするように強く勧める。
ポトフ伯爵からは、愛する妻が恥をかかないよう多額の小遣いを貰ってきた。
シャロンはこれまで領地の店で仕立てた服を着ていたが、侯爵夫人や妹に暗に見すぼらしいと非難されたため、店員の勧めるがままに、高価な服、アクセサリーを揃えていく。
侯爵夫人に付き添われた社交界のパーティーは、シャロンにとって幼い頃に読んだ絵本に出てきたような夢の場所だった。
そこでは、綺羅びやかな衣装を纏った貴族の貴公子や令嬢が、華やかに踊り、歓談している。
怖気づくシャロンを侯爵夫人が知人に紹介していくと、みな笑顔で歓迎してくれる。貴族の当主やその夫人はポトフ伯爵の富裕ぶりと若い妻への溺愛が噂として伝わり、愛想を売って損はないと思われていたし、若手貴族はシャロンの美貌を見て近寄ってきた。
シャロンは夫の言いつけも忘れ、社交界でチヤホヤされ居心地よく入り浸ってゆく。
しばらくして、シャロンが社交界になれた頃、男たちからは婉曲に愛人にならないかという誘いがやってくる。
驚いたシャロンは拒絶するが、侯爵夫人からは、貴族の夫妻がお互いに愛人を持つのは当たり前のこと、いかにいい愛人を持つかが貴族の格を示すのよと言われ、更に驚く。
パーティー会場で、侯爵夫人から、「あそこの公爵夫人はあの若い子爵が愛人で、あそこの伯爵は男爵夫人を愛人にしているわ。私もいるのよ」とダンディな中年貴族を紹介される。
「私達は政略結婚だから、正式な夫や妻は変えられないけど、別に本当に好きな人を持たないと生きている甲斐がないわ。あなたもいい人がいれば愛人を作ればいいのよ」
そう言われて、自分に言い寄る男を見ると、武骨な夫とは異なる、物語の王子様のような貴公子がたくさんいる。
(まるで絵本に出てくるお姫様のよう)
侯爵夫人の貴族の当たり前という言葉を免罪符に、シャロンはすっかり舞い上がり、貴公子たちとの恋愛ゲームに興じた。
その中でもシャロンが気に入ったのは、シェラスコ公爵の次男のジョージだった。その輝くような容貌に洗練された風采、高価な装飾品、まさにシャロンの幼い頃の憧れの王子様そのものだった。その白く美しい手をとって踊った時、シャロンは、ゴツゴツとした岩のような手をした夫と比較し、ジョージの手を芸術品のようだと思った
何度も舞踏会のパートナーを務め、食事をともにし、周囲からも恋人と思われていたが、シャロンは身体だけは許さなかった。
貞操を失えば、夫に申し開きできないという思いが彼女を引き止めていた。
しかし、ソーダ侯爵領の平定が終わったので領地に戻るという、夫からの手紙を見て、シャロンの気は変わった。
領地に戻れば、もとの田舎暮らしで、今度は子育ても加わる。
シャロンの楽しい時間は終わってしまう。
「ジョージ様、明日の晩、時間を取れますわ」
シャロンの言葉に待ちわびていたジョージは大喜びする。
早速ホテルを予約し、明日を約束する。
次の日、シャロンはこれまでにないほどのおめかしをし、パーティーに出かける。
そして、その後ジョージと馬車に乗り合わせて、ホテルに入る。
ドキドキしながらシャワーを浴び、裸でジョージと抱き合う。
(これが最後。あとはこのことを思い出に、領内で貞淑な妻として大人しく暮らすので許してください)
夫に心の中で詫びを言う。
その時、ドアが蹴破られて、まさにその夫、ポトフ伯爵が数人の部下を連れて入ってきた。その顔つきは今まで見たことがないほど険しいものであった。
凍りつくシャロンを尻目に、ジョージは裸のまま窓から飛び降り、逃げ出す。
ポトフ伯爵は、窓に近づくと、弓を構え狙いをつけて矢を放つ。
その矢はジョージの尻に深々と当たるが、血を流しながらも隠れていた従者から受け取った服をまとい、逃走する。
ポトフ伯爵は部下に命じる。
「間男を追え。捕まえたら生かして連れてこい。
生まれてきたのを悔やむほどの苦痛を与えてやる」
そしてシャロンを冷たく見下ろし言う。
「お前のことを放置しておいたと思っていたのか?
王都での振る舞いが怪しいと侍女長から連絡を受けた後、言動を調査し、すべて把握している。
イケメンの愛人を欲しがったことも、俺の手が鉱夫のようだと莫迦にしたこともな」
「あれは友人に冗談で話しただけなのに何故?」
「お前の友人とやらは金を握らせればベラベラと話していたぞ。
俺が社交界は怖いところだと言っただろう。
みな、貧乏貴族の娘が成金の妻となり、立派な格好をしているのが気に食わず、墜落していくところが見たかったのだ。
悪意の塊だ、貴族社会という所は」
「でも、愛人を持つのは貴族にとって当たり前と聞きました」
「よく見てみろ。貴族でも夫婦円満なところはいくらでもある。
愛人を持つのは、仲が悪いが利害関係に縛られ離婚できない夫婦だ。それでも世継ぎを生んでからが条件だ。我が家はドチラの条件にも当てはまらない。
すぐにわかることに気づかなかったのは知りたくなかったからだろう」
自分の思っていた前提が崩れ去り、シャロンは呆然とする。
そう言うと伯爵は問答に疲れたようにシャロンから顔を背け、部下に言う。
「侍女長、この女に服を着せろ。夫以外に裸を見せるべきでないということを知らないようだ。
お前達、帰るぞ。
そして、俺をコケにした奴らにそのツケを高く支払わせてやる」