第8話
「こ……っ」
皇太子殿下、と、言いそうになって、アイリスは自分の口を押える。
殿下の声に答えるように、もう片方の腕を大きく振り上げた。
「……」
あれ?
私の目の前で、無事に合流する二人を見届ける。
なにも、起きない?
慌てて周りを見渡すが、暴漢らしい人たちは見当たらなかった。
「……」
考えすぎか、と、ホッと胸をなでおろして、二人を見た。
仲良く語らう様子から、私は思わず微笑んでしまう。
ああ、目の前に、大好きだった絵本の主役が……。
二人ともラフな格好ではあるが、輝いて見える。
眩しいわ……。
街で偶然会った恋人達って、こんな感じかな……。
友理奈の時とは違う。
会いたいときに会いに行けない。
交通も、連絡手段も発達していないこの世界で、今度はいつ、クランド様に会えるだろう。
「……」
ユリナは受け身でいるしかない。
クランド様をただ、待ってるだけ……。
「……」
だめだめ、今は考えない。
しかし。
さすがに皇太子殿下に護衛がいないのは……。
不安になって辺りを見渡すが、やっぱりそれらしい人影は見当たらない。
まあ、私が気が付かないだけで、近くに居るのかも?
「……」
もう一度、二人の様子を確認する。
物語のそのシーンには、皇太子殿下と共に騎士の姿がある挿絵もあったはずだから、ココはその騒動が起きるシーンではないんだろうな。
なら、二人のお邪魔にならないように退散しなくては。
お忍びで街に来てるんだから、挨拶はしない方がいいよね。
二人で話し込んでるし、私はこのまま帰ろう。
と、二人に背を向けた時だった。
「ユリナ・ウィリアムズ公爵令嬢だな」
皇太子殿下に名を呼ばれ、びっくりして振り返る。
「……私を、ご存じなのですか?」
「ああ……。ライアンの妹だろう」
「……そう、ですね。兄も護衛の一人でしたね。……お初にお目にかかります」
と、私はスカートを持ち上げ、軽く会釈する。
中心部から離れているとはいえ、周りの目がないわけではない。
皇太子殿下だと気が付かれるのは、危ないよね。
少し無礼ではないかと思ったが、私の対応は間違っていなかったらしい。
「……いや、そうか。初めてなのだな」
「?」
皇太子殿下の意外そうな声がして、私は顔を上げた。
「話は、ライアンとクランドの二人からいろいろ聞いてる。こちらは初対面の気がしなくてな」
と、皇太子殿下は私を見て呟いた。
「二人から、何を……」
驚きを隠せない私を見て、皇太子殿下は意地悪にニヤッと笑った。
「お前、クランドの恋人だろう?」
と。
「……こ」
こ、恋人……っ?!
なんだかその言葉が新鮮で、私は思わず赤面していた。
「ユリナお姉さま?」
「こっ。恋人だなんて……」
「違うのか?」
「……」
違くないですけど。
「そんな話まで、聞いていらっしゃるのですか?」
「ああ。クランドとライアンの二人のお前への偏愛は、耳にタコができている」
「~~~……」
「それに、いつも、アイリスを気にかけてくれて、礼を言う」
「え……?」
私は驚き、ようやく皇太子殿下の顔を見た。
「アイリスからも、お前のことは聞いている。いつも、助けてもらっていると」
皇太子殿下の表情が柔らかく微笑んだ。
「いえ。私はお礼を言われることは何もしていません」
と、再び目を伏せる。
「そうゆう所が良いと、アイリスから聞いている。ライアンとクランドは当てにならないが、アイリスの目は確かだ。俺はお前を評価している」
「……ありがとうございます」
嬉しいな。主役の二人から誉められた。
「そう、謙虚なところを、クランドも見習うべきだな」
「……」
クランド様ぁ……。
一体、皇太子殿下に何を吹き込んでるの……っ!
「ライアンはともかく、クランドは俺よりお前を一番に優先するだろう」
「……」
唖然とする私に、皇太子殿下は笑う。
「まあ、奴のそんなところも、俺は気に入っている」
「……ですが、それでは困りますね」
「いや、問題ない」
「え?」
「俺は、奴より……、奴らの次に強いから、自分の身ぐらい自分で守れる」
自信たっぷりな殿下を見て、私は思わず笑ってしまった。
「だから、護衛の方もいらっしゃらないのですか?」
「……っ!」
私の言葉に、皇太子殿下は思い出したように顔が青ざめた。
「……護衛はまいてきた」
「え?」
皇太子殿下は考え込むようにしばらく黙る。
「……」
まいてきた護衛って、クランド様じゃないですよね……。
あ、ライアンお兄様?
「……」
どっちにしても、責任問題なんじゃ……?
恐る恐る見上げると、殿下は何かつぶやいているようだった。
「見つかったら怒られるな。……確実に、何されるかわからん。仕返しもあるだろうな……」
「???」
皇太子殿下は何を心配されてます?
「ウィリアムズ公爵令嬢っ!」
「はいっ?!」
突然名前を呼ばれて、反射的に大声で返事をしてしまう。
「ひとつ、相談があるのだが……」
「?」
皇太子殿下が、伺う視線を私に向ける。
「その護衛をまいたので、見つかったら恐ろしい剣幕で怒られるだろう……。お前に俺のフォローを頼みたい」
「……」
私はキョトンとしてしまう。
そうか、やっぱり今日の護衛はクランド様かライアンお兄様なのね。
「わかりました」
私が笑うと、皇太子殿下は安心したようだった。
「護衛を捜しに行くか」
と、皇太子殿下が顔を上げた時だった。
「姉貴、ここに上等な獲物がおりますぜ」
と、嫌らしい声がして、私の身体が凍り付く。
「貴族のお嬢ちゃん達か? へー、お金、持ってそうだね」
いやいや……、その人、皇太子ですから。
私たちはあっさり、十数人の盗賊に囲まれていた。
って街中で堂々と盗賊に絡まれるって……。
「……」
ん?
これがその、例のシーン? 皇太子殿下も一緒に……?
絡まれてるアイリスを颯爽と助けに来るシーンでは……?
殿下はアイリスをかばうように盗賊の前に立つ。
あ……。
離れた場所にいたアンが私と目が会うと、大きくうなずいて去って行く。
殿下の護衛がお兄様やクランド様ならば、運良ければ出会えるはず。
街を警備してる騎士も見回りしてるだろうし。
「……」
アンが戻ってくるまで時間を稼がないと。
「盗賊の頭が、女だったとはな」
「……」
殿下の言葉に、彼女はふんっと、鼻を鳴らす。
「おとなしく金を出す気はないようだね」
「……あいにく、持ち合わせてないんでね」
「……」
強気な皇太子殿下が頼りになるんですが。
「痛い目にあったら、出す気になるかしら?」
ニヤッと笑った彼女の合図にあわせて、周りの男たちが動き出した。
「ま、待ってください! お金なら、私が用意しますから」
焦る私が声を上げる。
殿下は私を睨むが、
「素手でこの人数を相手にする気ですか?」
と、私に言われると、状況を把握して口をつぐんだ。
「お、話が分かるじゃん」
彼女は私を見て笑う。
「なので、こちらのお二人は解放してください」
「なぜだ?」
「二人に、私の使用人にお金を持ってくるように伝えてもらうのです。彼が言った様に、今、持ち合わせがございません。お付きのものもおりませんし。私が残ります。問題ないでしょう?」
「その必要はないかと」
「え……?!」
声の方を振り向くと、塀の上に、平民の服に身を包んだクランド様がこちらを見下ろしていた。
「なんだ、お前は!」
ざわつく盗賊を無視して。
「殿下」
と、クランド様は殿下に向かって剣を投げた。
皇太子殿下は剣を受け取ると、ニヤッと笑う。
「よくやった、クランド」
殿下が剣を抜いたのを合図に、盗賊の攻撃を殿下が迎え撃つ。
殿下は器用に、アイリスをかばいながら立ちまわっていた。
それを呆然と見ていた私の耳に、クラウド様の声がする。
「ユリナ……」
ふわっと目の前にクランド様が舞い降りてきた。
「……」
その光景に、私は目を奪われていた。