第3話
「……彼のせいで、台無しですね」
キールの後姿を見送りながら、収集が付かなくなってしまったこの事態に、私はため息をついた。
ご令嬢たちはそれぞれに声を潜めて、こそこそと話をし始める。
この出来事は、尾びれ背びれがついて、瞬く間に噂されるだろう。
私とキール、そしてリナの三角関係の様子が、面白おかしく。
「……」
「……申し訳ない」
不意に後ろから謝る声がして、私は振り返った。
クランド様が、私をジッと見ていた。
またまたドキンと、胸が高鳴る。
相変わらず、綺麗な顔。
弟のせいで、ご自分が謝るなんて。
「大丈夫です」
にっこり微笑む私に、彼は困ったように頬をかいた。
「本当に。キールのためにあんなことまで……。キールはどうして気が付かないのでしょうね」
「……、私など、眼中にないからでしょうね。まあ、お互い様ですが」
「お互い様、ですか」
苦笑する彼に笑顔で答えながら、私は再び、キールが消えた先を見つめる。
「本当に、世話のかかる婚約者様です」
「世話、とは?」
「……私は、キール様の婚約者ではありますが、キール様を想っていません」
「また、ハッキリと……」
「本心ですから」
困ったような表情のクランド様に、私は微笑む。
「キール様とリナには、幸せになってもらいたいと思っています」
「……キャンベル侯爵が、キールを受け入れると?」
「……。わかりません。娘の幸せのためにウィリアムズ公爵家を敵に回す気骨が、キャンベル侯爵閣下にあるかどうか……」
バーナード侯爵家はウィリアムズ公爵家に引けを取らない地位がある。
同じ侯爵でも、少し落ちるキャンベル侯爵家にとっては、皇太子妃ほどではなくても、喉から手が出る程欲しい婚姻相手だろう。
しかし、現状、キールは王族の遠縁、ウィリアムズ公爵家の婚約者だ。
王族を敵に回してまで、そんなことはしない、かな。
「嫌いって言えちゃうところがまた、かわいいですね」
苦笑する私をクランド様が見つめる。
「俺にはユリナが一番可愛いよ」
「!」
にこっと微笑まれて、私の息が止まる。
俺にはユリナが一番可愛いよ・俺にはユリナが一番可愛いよ・俺にはユリナが一番……
「……」
いけない、反芻してしまった。
この人はもう、こんなこと平然と言えるんだから。
「またまたっ! ご冗談をっ」
焦る私に、
「冗談じゃないのに」
て、クランド様は苦笑する。
「……」
まあ、それこそ、私のことを妹として見ている証拠なのだろう。
恥ずかしさで赤くなった頬を手で冷やしながら、私は使用人たちに指示をする。
「今日はお開きにします。ご令嬢たちを見送ってください」
使用人達は頷くと、手早くご令嬢たちを促した。
「クランド様、この後のご予定は?」
見上げた先で、クランド様はにこっと微笑んだ。
「……特にありません」
微笑まれた顔に、またドキッと胸が高鳴るが、私は気が付かないふりをした。
「では、ご一緒してください」
「はい、では、いつもの場所で……」
頷くクランド様に、私はそよ風に吹かれてなびく自分の髪を耳にかけながら、笑顔で答える。
「はい。アンに、準備してもらいますね」
私とクランド様は、もともとそんなに親しい間柄ではなかった。
幼少から木陰で一人、静かに本を読むのが好きだった私は、庭でのんびり過ごしていることが多い、ちょっと変わった令嬢だった。
前世の記憶を思い出してからは特に、その時間は増えている。
その、読書の時間にクランド様がご一緒するようになったのは、
たまたま、ウィリアムズ家の長男、ライアンお兄様を尋ねて来られたクランド様が、幼い私が一人庭に行くのを不思議に思って後を追ってきたことがきっかけだった。
そして、私が、彼を意識し始めたのは、あの事件がきっかけ。
それは、私が前世の記憶と葛藤していた頃の話。
ヒロイン、アイリス・クラーク伯爵令嬢が私たちの前に現れた日、一気に前世の記憶が流れ込んできた。
この絵本の世界での生活と、藤井友理奈として生きてきた生涯。
そのふたつの記憶を処理するのに、一人になりたかった。
友理奈としての最期の記憶はない。
ただもっと、うまく生きれたらと、思っていた。
その思いが、転生という形で現れたのかもしれない。
誰からも脅かされず、馬鹿にされない地位。
ウィリアムズ公爵令嬢という身分で、三人の兄弟に囲まれ、父と母からも愛される、ユリナ・ウィリアムズは幸せに生きている。
それは、アイリスが来て半年ほどたったあの日のこと。
「ああ、やっぱりここにいたね」
「……クランド様ぁ!」
がさッと茂みの中を覗き込まれたその姿に、私の胸が弾む。
私好みのイケメンは、私の前に来ると、にこやかな笑顔を向ける。
騎士として働くクランド様は、同僚で学友だった私の兄、ライアン・ウィリアムズと一緒によく、ウィリアムズ家に顔を出していた。
「部屋に居なかったからここかなと思って。差し入れ、持って来たよ」
「わぁ。今日は何のお菓子ですか?」
貴族が食べる洋菓子は甘ったるくて、私の口に合うものが少なかった。
それを知ってか、いつからか、クランド様はちょくちょく市場のお菓子を差し入れしてくれる。
紙袋のなかを確認しながら、私は嬉しそうにして見せる。
13、4歳のふりをしても、どうしても友理奈としての自分が強く出ていた。
そして、子どもっぽく感じてしまう同級生よりも、クランド様と一緒の時は穏やかに過ごせる数少ない一時。
「今日は何の本を読んでるの?」
「この前、クランド様がおすすめしてくださった、冒険ものです」
「ああ……見つけたんだね」
「はい、この前偶然」
私はにこっと微笑み、受け取った紙袋から出したチョコチップクッキーをほおばりながら答えた。
はぁ~、この食感、この味、
「……」
しあわせ~~~……
にんまり笑顔を浮かべる私を見て、クランド様も優しく微笑む。
私の横に、同じ木を背にして、クランド様が腰を下した。
「お久しぶりですね。最近お仕事お忙しいのですか?」
「ん? ああ、王宮の警備にかわったからかな」
「王宮のですか?」
「うん、そう。皇太子殿下の護衛に」
「こう……、すごーいですね!」
「……」
目をキラキラさせる私に、クランド様はちょっと寂しそうだ。
「これから忙しくなるから、ここにはなかなか来れなくなるかもな」
「……?」
ぼそっと呟かれる言葉に、私はクランド様を何気に眺めていた。
眺めていて、気が付いた。
あれ……?
顔色が、悪い……?
「あのっ! クランド様。……っ!」
声をかけた私の視界に、急に見慣れない大きな黒いものが目に入る。
それを見て、私の身体は恐怖で固まった。
「……ユリナ?」
青ざめた私に気が付き、クランド様は不思議に思うも、すぐにその正体を察知する。
手元に置いていた剣をとり、身構えた。
野犬……?!
私たちの前に現れたのは、どこから迷い込んだのか、私たちを見て唸る、飢えた野犬だった。