第2話
「……」
華やかなその笑顔は、ティーパーティーに参加していたご令嬢たちを色めかせた。
もちろん、自分の笑顔の効果を、彼はよく知っている。
リナが皇太子殿下に夢中でも、キールの笑顔にときめくだろう。
私、ユリナ・ウィリアムズ公爵令嬢の婚約者、なんて肩書は、彼にとって邪魔でしかない。
わかっている。
わかっているけど、人目もはばからず、ここまであからさまにされるといい気分ではない。
当然、リナは毎回、キールに言い寄られるたび困った顔をする。
私とキールは、形だけの婚約者。
キールがリナを好きなように、私にも想い人は、いる。
でもそれは、周りに悟られてはいけない、絶対に。
無関心な私はそのまま席に付こうとするが。
「! リナ嬢、泣かれたのですか?!」
キールがリナの涙に気が付いて声を上げたので、思わずそのタイミングを見逃してしまった。
嫌な予感がする。
キールは立ち上がり、私を振り返る。
「お前! リナ嬢を泣かせたのか!」
と、鋭く睨み、怒鳴りだした。
見慣れた、怖い顔。
とにもかくにも、彼は私を好かないから、常に突っかかってくる。
華やかだったこの場の雰囲気も、一気に悪くなった。
「……」
泣いたのは、私の言葉に感動した結果であって、悲しませたわけではない。
言っても、無駄だけど……。
すでに聞く耳を持たない彼に、何を言っても受け入れないだろう。
悪いのは全部、私。
リナが私に向ける好意に対する嫉妬なのか。
ああ、彼にとって悪役は私だから、悪者から令嬢を護るナイトか、そんな感じ?
「……」
いけない、卑屈になってしまった。
けど、面倒だな。
「キール様っ! これは違います……っ」
と、リナが慌ててキールの腕を取り、必死に訴えるが、キールは頭を振った。
「いえ、いいのです。本当のことは言いにくいでしょう」
と、リナに同情する素振りさえ見せた。
「……」
キールが私を嫌っているのは、有名な話だ。
嫌われるきっかけは何だったろう?
もう、記憶もない……。
しかし、なんだろう、この茶番。
つい、大きなため息をもらす私に、キールの怒りは増したようだ。
「……その態度はっ!」
と、私に勢いよく詰め寄ってきた。
突然迫り来るキールに驚いて、私は思わず後退る。
「!」
はず、だった。
ヒールが地面に引っかかって、足がうまく動かなかった。
身体が支えを失って、そのまま後ろに倒れそうになる。
「きゃぁ!」
「ユリナ様っ!」
周りにいたご令嬢たちから、小さな悲鳴が上がる。
遠のくキールも、さすがに焦った顔をしていた。
あ、不機嫌以外の顔は久しぶりだな。
倒れるのはいいとして、痛いのは嫌だな……。
なんてのんきに考えていた私が感じた痛みは、
思っていたものより軽い衝撃だった。
まるで、誰かとぶつかったような……?
「ん?」
視線を上げる私の視界に、青空の次に入って来たのは、
クランド様ぁ……?!
の、顔だった。
クランド様だと認識した途端、私の心臓は跳ね上がる。
クランド様は、私が地面に倒れる前に、ご自分の胸で私の頭を受け止め、私がずり落ちないように腕で身体を支えてくれていた。
いきなりのことに驚いて、私はしばらく目を丸くしたままクランド様を見つめる。
長い前髪がかかった切れ長の青い瞳が、心配そうに私を見ていた。
「大丈夫ですか?」
と、覗き込まれる顔が間近に迫り、かけられる声が近くて、私の顔が一気に沸騰する。
いけない、みんながいるのに……っ!
取り乱しそうな心臓を必死に抑えて、私は。
「……あ、ありがとうございます」
と、クランド様に手伝ってもらいながら、体勢を整えた。
いきなり、私が想いを寄せる人物のどアップには驚いたけれど。
取り乱している場合ではない。
私は、周りに気が付かれないように深呼吸をして、改めてクランド様にお礼をした。
両手でスカートを少しつまみ上げ、静かに膝を曲げる。
「助けていただき、ありがとうございます。クランド・バーナード卿」
そう、彼はキールの兄、バーナード侯爵家の長男、クランド・バーナード様。
私の、想い人。
今日もきれいなお顔で。
うっとりしてしまう心の中では、クランド様の登場にキャーキャーしているが、平静を装って、すまし顔。
彼は、28歳で王国を警備している騎士団長。
今は主に、皇太子殿下の護衛をしているはず。
私の好きな顔立ちをしているイケメン。
唯一、私の周りで既婚者でもなく、婚約者も居ない年上の、男性。
「君が無事で、よかったです」
と、クランド様は笑顔で答えた。
「……っ」
はぅ……、その笑顔がまた……素敵です。
キールではなく、クランド様が婚約者だったら……と、何度思ったことだろう。
クランド様は、私の無事な姿を確認すると、今度はキールにその身を向けた。
「キール、彼女は公爵令嬢だ。無礼なのはお前の方だろう」
静かで低い声と、鋭く射抜く瞳に責められて、キールは縮こまる。
「……すみません、兄さん」
バツが悪そうなキールは、それでも私に謝るのは嫌なようだ。
「ユリナお姉さまに謝ってください!」
「へ?」
突如上がった声に、私は思わず変な声を上げてしまった。
驚いたのは私だけでなく、その言葉を向けられたキールも同じようだった。
「ユリナお姉さまは何も悪くありません! それなのに……っ!」
うるうると涙を浮かべて訴え、キールに詰め寄っていたのは、リナ、だった。
か、かわいいっ!
多分、キールも私と同じことを思ったに違いない。
その顔が赤くなっているのが、その証拠。
「し、しかし、リナ嬢……っ!」
慌てるキールが聞く耳持たないので、リナはキッとキールを睨みつけ。
「キール様なんて、嫌いです……っ!」
と、涙を流しながら走り去ってしまう。
「……」
さすが、メインの登場人物。
去って行く姿が絵になる……。
この場面って、リナが泣いて退場していくシーンだったの……?
あ、でもこれで、ティーパーティーはお開きね。
状況がわからず立ちすくむ人たちと、
あっけにとられて呆然とする私たち。
ヒロインのアイリスも、置いてけぼりだ。
「……」
「……っ! リナ嬢!」
そんな中、キールがハッと我に返って、リナを追いかけようとする声を上げる。
が、私とクランド様の視線に気が付いて、思いとどまったようだ。
「……」
気にせず、追いかければいいのに。
と、冷ややかな視線を送るが、私の後ろに立つクランド様からの殺気に、キールは怯んだのだろう。
「兄さん……」
「相変わらずだな」
と、呆れるクランド様に、バツが悪そうなキールは目を逸らした。
追いかけないのかな?
早く行けばいいのに。
「……」
仕方ない。
「キール様」
「……」
私の声に、キールは嫌々私の方を見た。
「リナのこと、お願いいたします」
と、私はキールに向かって丁寧に告げる。
「……」
私の言葉に、キールは驚いたようだ。
お?
また不機嫌以外の顔したなぁ……。
「私の代わりに、リナを追っていただけますか?」
と、私は先ほどクランド様にしたのと同じ心のこもったお辞儀を、キールに対して、した。
「私の気持ちを、代わりにお伝えください」
さあ、これで堂々とリナを追えるでしょ?
と、私は目でキールに訴える。
さっき、私を転ばせてしまった罪悪感もあるのだろう。
キールは素直に従った。
「……わかりました、ユリナ嬢」
と、私の意図を理解した返答だった。
行動も、きちんと丁寧に、私に、頭を下げたのだ。
しかし、その表情は少し悔しそうに唇をかんでいた。
キールはクランド様に無言で頭を下げると、改めてリナを追って行った。