第二十一話 『vs序列一位part3』
「ラティさん!」
「そんな……っ!」
自身の不甲斐なさを啖呵とともに切り捨てて、握り直した『無銘』の切っ先をダレンへと向けた矢先、葵が突き破った繭の穴から二つの声が聞こえた。
そちらを見れば、少しだけ息を切らした日菜子と翔が繭に足を踏み入れたところだった。
二人ともがこの繭の中で起こっている現状を確認し、悲痛そうな表情を浮かべている。
何せ、見知った人――それも、この世界に来てから色々な面で良くしてくれた人が、血を垂れ流して倒れているのだから。
「小野さんはラティさんの治療をお願いします。その間、二人にはあいつを近づけさせないために手伝って欲しい」
「わかった。翔、できるか?」
「は、はい!」
今来たばかりの日菜子と翔も巻き込んで、手短に指示を飛ばす。
その人選の意図を汲んでくれたのか、アヌベラは状況が掴み切れていない翔へと名指しで指示を飛ばした。
それを受け、翔はようやく頷いた。
葵の傍まで駆け寄り、腰に帯びていた剣を正眼に構えた。
まだ状況が完全に把握できていないだろうし、自身を大切にしてくれていた人の安否が不明な状態で急に戦いに駆り出されるという酷い扱いを受けているにも拘らず、文句一つ言わずに付き合ってくれる。
日菜子もそうだが、この惨状を作り出してしまった葵はあとで謝る必要がある。
だがそれはあくまで後での話だ。
今はそれよりも、やるべきことがある。
己のしでかしたことに対しての、責任を果たさなければならない。
やるべきことの順序は間違えてはいけない。
「二宮。俺が前に出る。アヌベラさんの護衛と俺の援護、同時にできるか?」
「……やってみる。あまり期待はしないでくれ」
自信なさそうに頷いて、翔はアヌベラの近くに寄った。
ポテンシャルで言えばかなりのものがあるはずだが、そこまで自信がないらしい。
日本人にありがちな謙遜の類なのか、あるいは自己肯定感の低さなのかはわからないが、ともあれ援護役の護衛を努めてくれるのなら立ち回りやすくなる。
この戦いに介入して初めて取った構えを踏襲する。
抜刀時最速の突き技。
音速に迫らんとするほどの一閃を、援護があると信じて攻撃に全振りする。
防御は考えない。
この戦いが始まってからほぼずっとにやけ顔を張り付けているダレンを見据え、脚に力を溜める。
腕は『無銘』を支える程度の力だけを込めて脱力し、余分な力を脚に伝えるような気持ちで。
葵の構えを見ても、ダレンはやはり笑みを崩さない。
既に一度見ている攻撃だから、という可能性もあるが、それよりもダレンにはカスバードと同じような、強者と戦うことに喜びを覚えるような変態性を感じる。
もしカスバードと同じ性質ならば、葵が何かをしてくれることに期待しているのだろうか。
ただ、考えても結論は得られないので、考えるだけ無駄だとその思考を放棄する。
「お願いします」
後ろにいるアヌベラと翔にそう告げて、葵は溜めていた力を解放した。
ドンッと重い音を鳴らして葵が駆ける。
ダレンへと迫り、脚へ伝えていた力を腕へと移し、速度を乗せた一撃を放つ。
「……やるね」
脇腹に浅くない傷を負ったダレンが、葵を見据えて言った。
躱そうと思ったが躱せず、その期待以上の攻撃に対して余裕を以て口を開いた形だ。
その余裕を潰すために、突き出した『無銘』を引き戻す。
その過程で傷口を広げるためにダレンを斬り裂こうとしたが、それは完全に避けられた。
しかし宙へと浮く形でサイドステップを踏んだダレンへ、引き戻した『無銘』で再び突きを放つ。
その突きは風の魔術を真下に放ち、上へと体を浮かせることで回避された。
決して空中は身動きが取れない不利ポジションではないと示される。
むしろ、高所と言う位置にいる以上、魔術主体で戦えるダレンは有利ポジにいるとさえ言える。
しかしながら、宙に居続けるということは風の魔術で浮くにしろ重力操作の干渉魔術で浮くにしろ魔力を多かれ少なかれ消費する。
どれだけ莫大な魔力量があっても、そんなことを続けていればいずれは魔力も尽きる。
一番簡単なのは、それまで耐え続ければいいだけ。
そのころになればラティーフも復帰できるだろうし、そうなれば完全にこっちのものだ。
しかしそんなに時間をかければ、葵も消耗する。
“鬼闘法”は大気中の魔素ありきの戦闘法で、魔人も魔眼を介せば大気中の魔素で魔術が行使可能と聞く。
つまるところ、全ての条件において時間をかければ有利になるわけではないのだ。
だから、その作戦は最終手段。
この繭内の全ての魔素を使い切る勢いで、“鬼闘法”のブーストを掛ける。
己の絶大な“魔力操作”技術を信じて、今までに試したことのない量の魔力を体内に循環させる。
諸刃の剣で捨て身の強化。
できれば必勝、できなきゃ
「ラティさん!」
「そんな……っ!」
自身の不甲斐なさを啖呵とともに切り捨てて、握り直した『無銘』の切っ先をダレンへと向けた矢先、葵が突き破った繭の穴から二つの声が聞こえた。
そちらを見れば、少しだけ息を切らした日菜子と翔が繭に足を踏み入れたところだった。
二人ともがこの繭の中で起こっている現状を確認し、悲痛そうな表情を浮かべている。
何せ、見知った人――それも、この世界に来てから色々な面で良くしてくれた人が、血を垂れ流して倒れているのだから。
「小野さんはラティさんの治療をお願いします。その間、二人にはあいつを近づけさせないために手伝って欲しい」
「わかった。翔、できるか?」
「は、はい!」
今来たばかりの日菜子と翔も巻き込んで、手短に指示を飛ばす。
その人選の意図を汲んでくれたのか、アヌベラは状況が掴み切れていない翔へと名指しで指示を飛ばした。
それを受け、翔はようやく頷いた。
葵の傍まで駆け寄り、腰に帯びていた剣を正眼に構えた。
まだ状況が完全に把握できていないだろうし、自身を大切にしてくれていた人の安否が不明な状態で急に戦いに駆り出されるという酷い扱いを受けているにも拘らず、文句一つ言わずに付き合ってくれる。
日菜子もそうだが、この惨状を作り出してしまった葵はあとで謝る必要がある。
だがそれはあくまで後での話だ。
今はそれよりも、やるべきことがある。
己のしでかしたことに対しての、責任を果たさなければならない。
やるべきことの順序は間違えてはいけない。
「二宮。俺が前に出る。アヌベラさんの護衛と俺の援護、同時にできるか?」
「……やってみる。あまり期待はしないでくれ」
自信なさそうに頷いて、翔はアヌベラの近くに寄った。
ポテンシャルで言えばかなりのものがあるはずだが、そこまで自信がないらしい。
日本人にありがちな謙遜の類なのか、あるいは自己肯定感の低さなのかはわからないが、ともあれ援護役の護衛を努めてくれるのなら立ち回りやすくなる。
この戦いに介入して初めて取った構えを踏襲する。
抜刀時最速の突き技。
音速に迫らんとするほどの一閃を、援護があると信じて攻撃に全振りする。
防御は考えない。
この戦いが始まってからほぼずっとにやけ顔を張り付けているダレンを見据え、脚に力を溜める。
腕は『無銘』を支える程度の力だけを込めて脱力し、余分な力を脚に伝えるような気持ちで。
葵の構えを見ても、ダレンはやはり笑みを崩さない。
既に一度見ている攻撃だから、という可能性もあるが、それよりもダレンにはカスバードと同じような、強者と戦うことに喜びを覚えるような変態性を感じる。
もしカスバードと同じ性質ならば、葵が何かをしてくれることに期待しているのだろうか。
ただ、考えても結論は得られないので、考えるだけ無駄だとその思考を放棄する。
「お願いします」
後ろにいるアヌベラと翔にそう告げて、葵は溜めていた力を解放した。
ドンッと重い音を鳴らして葵が駆ける。
ダレンへと迫り、脚へ伝えていた力を腕へと移し、速度を乗せた一撃を放つ。
「……やるね」
脇腹に浅くない傷を負ったダレンが、葵を見据えて言った。
躱そうと思ったが躱せず、その期待以上の攻撃に対して余裕を以て口を開いた形だ。
その余裕を潰すために、突き出した『無銘』を引き戻す。
その過程で傷口を広げるためにダレンを斬り裂こうとしたが、それは完全に避けられた。
しかし宙へと浮く形でサイドステップを踏んだダレンへ、引き戻した『無銘』で再び突きを放つ。
その突きは風の魔術を真下に放ち、上へと体を浮かせることで回避された。
決して空中は身動きが取れない不利ポジションではないと示される。
むしろ、高所と言う位置にいる以上、魔術主体で戦えるダレンは有利ポジにいるとさえ言える。
しかしながら、宙に居続けるということは風の魔術で浮くにしろ重力操作の干渉魔術で浮くにしろ魔力を多かれ少なかれ消費する。
どれだけ莫大な魔力量があっても、そんなことを続けていればいずれは魔力も尽きる。
一番簡単なのは、それまで耐え続ければいいだけ。
そのころになればラティーフも復帰できるだろうし、そうなれば完全にこっちのものだ。
しかしそんなに時間をかければ、葵も消耗する。
“鬼闘法”は大気中の魔素ありきの戦闘法で、魔人も魔眼という魔石の代わりを為す媒体を介せば大気中の魔素で魔術が行使可能と聞く。
つまるところ、全ての条件において時間をかければ有利になるわけではないのだ。
そもそも翔や日菜子、アヌベラたちも魔素を使い魔術を使っている。
だから、その作戦は最終手段。
己の少ない長所の一つである“魔力操作”の練度を信じて、今までに試したことのない量の魔素を魔力へ転換し体内を循環させる。
成功すれば段違いの“身体強化”を施せて、失敗すれば四肢爆散。
諸刃の剣で捨て身の強化。
できれば必勝、できなきゃ必敗。
どうせこの大戦に勝てなければ負けなのだ。
割り切る――否、開き直った葵は状況に似合わぬ不敵な笑みを浮かべる。
「……やはり同族か」
ダレンは今までにないくらい嬉しそうに笑う。
それが意味するところもしっかりと理解した上で、敢えて否定しない。
結局、他人がどう思うかと自分がどう思うかは違う。
自分がそうじゃないと思っていても、他人がそうだと思っているのなら一般的にはそうなのだ。
だから、否定しない。
その思考すら無駄だと割り切り切り捨てて、戦闘へのリソースとして供給する。
再び踏み込み、今度は前ではなく上に進路を向ける。
その先には変わらずダレンがいて、宙で浮いたままのダレンへ攻撃を仕掛ける。
まずは斬り上げ、ダレンの出方を窺う。
それを横にスライドすることで避けたダレンは、葵の右半身を焼き尽くさんと拳に魔力を込める。
「――ッと」
しかしその攻撃は中断される。
下方から魔術による援護が飛んできて、中断せざるを得なかった。
葵から距離を離す形で一歩引き、チラリと下へと視線を向ける。
その先には葵の援護を任されたアヌベラと翔の姿があり、今の援護はそこから発せられたのだと理解する。
援護の癖に殺そうとしているのが丸分かりな威力が素晴らしいとダレンは笑みを浮かべ、それをわかった上でまだ脅威度の高い葵へと視線を転じる。
「? どこへ――ッ!」
「チッ」
視線を向けた先にあったのは黒いだけの繭のみ。
そこにいたはずの葵の姿はなく、“魔力感知”でも捉えられない。
ほんの一瞬、僅かに視線を外しただけでどこに行ったと疑問を呈そうとしたダレンは、自身の左手首が飛んだことを理解する。
血を噴き出しながら手が落下していくのを眺めつつ、それをした張本人へと楽しそうな笑みを向ける。
「凄いなお前!」
自分の腕が斬り飛ばされたというのに無邪気な笑みを浮かべるダレンへ、葵は苦々しい顔を向ける。
それはこの状況に対しておかしな表情を浮かべるダレンに対してではない。
だがそんなことを知る由もないダレンは、葵の目を無視して真下へと急降下する。
斬り飛ばされた左手を掴み取り、切り口と強引にくっつける。
せっかく精神的な負荷を乗り越えて深手を与えられたのに、こうも容易く再生されるのは不味いと追撃にでる。
「――!」
瞬間、脳裏にある光景が流れ込む。
何かしらの妨害を受け、追撃ができなくなるという光景だ。
葵は追撃を防がれまいと、反射的に靴の突風を利用して横へと跳んだ。
その直後、元々葵がいた場所に暴風が放たれる。
圧し潰すほどの威力はないが、しかしダレンへ迫ることは許さない程度の暴風。
葵の脳裏に流れた光景と大差ない現実が、目の前に展開されている。
事前動作もなく、筆誅だと思われた攻撃を避けられた事実に、ダレンは初めて喜び以外の驚きと言う感情を表に出す。
そんなことができた葵自身も驚いているし、何なら葵が一番驚いていると言っても過言ではないが、それはあとでも問題ないと意識を切り替え再度追撃に移る。
未だ驚きから抜け出せていないダレンへと靴の突風で迫り、再生しようとしている左手とそれを支えている右手を一閃で斬り飛ばす。
「――ッ!」
鮮血を散らしながら手首から両断された手を眺め、驚きから苦痛を表情に出す。
見るからに思考が鈍り、動きも止まっている。
攻め立てるのなら今しかない、と己を奮い立たせ、まずは地上へと引き摺り下ろす。
踵落としでダレンを穿ち、諸にそれを喰らったダレンは地面へと勢いよく衝突する。
地面すら揺らすほどの衝撃を一身に浴びたダレンは、呻き声をあげながら立ち上がろうとする。
そこへ、翔とアヌベラの魔術が迫る。
攻撃の魔術ではなく、足止め――動きの阻害を目的とした魔術。
水と土で泥が生成され、それがダレンの足と、ついていた手へと纏わりつく。
瞬く間に足を覆い包んだ泥が、今度は固くなってダレンの手足を固定する。
行動の阻害から行動の制限への変化。
その硬くなった泥――岩に等しい硬度を持つそれを壊すにしろ、次に来るであろう必中の魔術を防ぐにしろ、一瞬の思考と言うタイムラグは発生する。
尤も、ようやく驚きから我を取り戻し、平常運転となったダレンはその思考すら一瞬にも満たない。
素早く“魔力感知”を展開し、繭の中の状況を把握する。
ダレンの動きを止めた魔術師たちが高威力の魔術を放っているのを確認し、そちらに視線を向ける。
「“劫火”」
火系統の上位魔術。
炎の威力を風の魔術で底上げした、炎弾の上位互換。
それが同時に五つ。
一方向ではなく、ダレンを包囲する形で展開、射出された。
速度威力ともに申し分なく、人一人殺す程度なら造作もない。
そんな一撃を前にして、ダレンはやはり嬉しそうに笑う。
両手を合わせ、子気味良い音を鳴らす。
劫火とダレンを結ぶ直線上に水の玉が無数に生成され、それが物理的な障壁として立ちはだかる。
しかし多大な熱量を誇る劫火はただの水の玉など諸共しない。
その全てを水蒸気として無力化しながら直進する。
だが完全に防げないだけで威力が低減しないわけではない。
威力も速度も僅かに低下してダレンへ直撃し、鼓膜を破るほどの爆発が起こる。
空気とともに神殿が揺れていると錯覚するレベルの大爆発で爆煙が立ち上り、つい数瞬前に繭の中に蔓延した水蒸気と相まって視界が塞がれる。
手の届く範囲がギリギリ視認できるレベルに視界が不十分になり、目視での状況把握ができなくなる。
そんな中、繭の内の状況を寸分の狂いなく把握できているダレンは、変わらぬ笑みを浮かべる。
「? 一人いな――ッ!!」
人数と位置を完全に把握し、ほくそ笑もうとしたダレンはその差異に気が付き動きを止める。
その間隙に、頸への大打撃を受けた。
威力が分散せずに頸にだけ集中し、ダレンの体は吹き飛ぶことなくその場に留まる。
つまり、ダレンに位置を悟らせず、“魔力感知”にすら映らないでいられる人間からの連続攻撃が猛威を振るうのは、火を見るよりも明らかだ。
即座に治癒をしようと、消し飛びかけた意識を手繰り寄せ、ダレンは頸への治癒魔術を行使する。
「させない!」
先の打撃の風圧で、水蒸気と爆煙が晴れたのだろう。
空いた視界の先に、ダレンへと手を向ける翔の姿があった。
先の事態を鑑みてか、手の先に生成されたのは炎ではなく岩。
貫通力を高めるために先端が鋭く尖っており、空気抵抗を減らせるような円錐に近い形状を取っている。
そんな“殺す”為の一撃が、容赦なくダレンへと向けて放たれた。
速度に風の魔術でブーストをかけているのか、今まで見た中で最速でダレンへと迫るそれを見て、凄い反応と良い判断だね、とダレンは内心で翔のことを称賛する。
「だけど、その程度じゃボクは倒せないよ?」
治癒と並行して、ダレンは右手で魔術を組み上げる。
視認すら難しいレベルの針金のような岩針とでも言うべき細い岩を生成し、それを翔の岩へと刺し穿つ。
粉砕されることなく翔の放った岩へ刺さった岩針は直後、小さな爆発を引き起こす。
「なッ――!」
「惜しかったね」
小さな爆発とはいえ、その威力は翔の岩を破壊するだけの威力は持っていた。
無数の欠片となって辺りに散らばった翔の岩は、目的だったダレンへ届くことなくその役目を終えた。
ダレンへ岩が届くまでの数秒で治癒の魔術と並行して魔術を展開し、寸分違わず狙ったところに撃つという人外じみた芸当を目の当たりにし、翔は正しく目の前の存在が魔王なのだと実感する。
見た目や言動に引き摺られ忘れかけていた事実を、ようやく再認識した。
「あれが当たってれば、ボクも負けていたかもしれないね」
お道化てみせるダレンは、今の翔には煽っているようにしか見えない。
せっかく葵が作ったチャンスを棒に振ってしまった自身に嫌気がさして、その煽りが正しく翔に刺さる。
葵ならこんなヘマはせずにダレンを仕留められていただろう、と思ったところで、その本人の追撃がなかったことへの疑問が湧いた。
あれだけのダメージを与えていたのに、なぜ葵は追撃を行わなかったのか。
「いや、お前の負けだよ」
その答えは翔の後ろ――ラティーフの治療をしている日菜子の更に後ろにいる葵が示して見せた。
繭に手を当てており、その部分に白いヒビのようなものが走っている。
それが何かを理解する前に、暗黒の繭が一転し外の神殿と変わらない真っ白な空間へと変貌を遂げる。
まるで、葵が手を当てていた白いヒビが広がって言ったかのような様変わりに翔は思わず唖然とする。
「結界の所有権の上書き……意趣返しかな?」
「違う。ただ意地だ」
さっきは集中しすぎて戦闘そっちのけでこの繭の結界に浸っていた。
それが油断に直結し、あまつさえラティを盾にしてしまった。
己の油断と怠慢で何一つ成し遂げられず、ラティを傷つけただけだなんて結末は、葵のチャチなプライドが許さなかった。
だから、意地を張って取り返した。
ただそれだけのことだと、威張るでもなく、誇るでもなく、ただの事実として言い返す。
「……ハハッ。さすが、最強の召喚者だね――」
今までと変わらない笑みを浮かべ、ダレンは俯いた。
だが今のそれが、これまでのそれとは違うというのを、その場にいた誰もが察していた。
否、察せざるを得なかった。
「――面白いよ」
この戦いの中で初めて見せる冷徹な表情を浮かべたダレンに、翔の全身が総毛立つ。
今までにないレベルで脳内に警笛が鳴り響き、全身が備えろと大声をあげる。
だけど、そんな反応では遅いとでも言わんばかりにダレンの姿が掻き消えた。
だが素の動体視力に“鬼闘法”込みの“身体強化”でさらに引き上げられた動体視力は、その掻き消えたダレンの動きを追っていた。
その目はやがて日菜子とラティーフ、葵を捉え、動く前のダレンと一番近くにいた日菜子の横で、いつの間にか手にしていた剣を振り上げている。
見るからに禍々しいオーラのようなものが視認できる漆黒の剣は、白くなった繭の中ではとてもよく視認できる。
はっきりと、くっきりと、明確に、両の目で視認できている。
視認することしかできない。
どこに振るわれるかも、どういう経路で振るわれるかも、振るわれた後に何があるのかも。
全て未来を視てきたかの如く正確に認識できるのに、それを止める術がない。
体が思い通りに動かず、まるで水中にいるかのような、あるいは無重力空間にでもいるような、将又スローモーションの世界に置いて行かれたかのような。
頭は回っているのに体が思考に追いつかない。
自分の体が認識を超えて動くことを許容していない。
目の前で繰り広げられる光景を前に、ただ見ていることしかできない。
日菜子が――大切な幼馴染が殺される様を、その目に焼き付けることしかできない。
いやだ、やめてくれ。
そんな声も出すことすら叶わずに、ダレンだけが動ける世界を傍観する。
隣にいるアヌベラも翔以上に動けておらず、日菜子とラティーフに至ってはダレンの姿を認識すら出来ていない。
その奥の葵も、翔と同じように動き出そうとしているだけでそれ以上はない。
変化に気づいた表情のまま変わりないのが、翔の認識を正しく証明している。
殺させたくない。
まだ何もできていない。
日菜子への贖罪を、何もしてあげられていない。
後悔が一瞬で押し寄せ、その後悔が翔の動きをアシストする。
僅かに動いた手の先――届くはずもない日菜子へ向けて差し出した手の指の間に、日菜子の死が映る。
瞼を閉じることもできず、日菜子の死を見ることしかできなかった翔の視界に、血飛沫が飛び込んだ。
鮮血を散らし、肉体すらもを斬り裂いた腕は、分断されて宙を舞う。
「――え」
「ッ!?」
呆然とした声を上げた翔を前に、ダレンが驚きを表情に出して大きく跳び退いた。
五体満足で禍々しい剣を握り、その刀身についた血を振るうことで弾き飛ばす。
そして、やはり笑みを浮かべると、楽しそうな声がダレンの口から発せられた。
「あの状況からその女の子を守るなんて、やっぱり君は“最強”だね?」
ダレンが最強と呼称する人間は、この場に一人しかいない。
翔の視界の中、日菜子とダレンの間に入り、日菜子へ向けられた凶刃を右腕で受けた葵が、ヨロっと体勢を崩しかける。
「小野さん。怪我無い、よね?」
「――あ、ぅん。無い、よ?」
「それはよかった」
血が溢れ出る腕にどこからか取り出したタオルを手際よく巻き付ける。
利き手が無くなったというのに、誰もが見惚れるような手際でタオルを縛り、魔術のある世界で物理的のそれ以上の出血を抑え込む。
「魔紋のおかげだな……この距離なら転移できた」
その言葉で、今の一瞬で何があったのかを理解しようとして、やはり何も理解できなかった。
葵が転移を使えたのか、という疑問もあるし、それ以上にあのダレンの動きを葵が捉えられていたというのにも驚きだ。
葵は動体視力や反射神経が人より劣っているというのを自称していたから、いくら“身体強化”のレベルが数段上な葵でも無理だと思っていた。
でも、実際はそうならなかった。
日菜子は助かり、その代わりに葵が右腕を失った。
「さてどうする? 最強の君も、片腕を失えばそれまでだよ。ここで降参するなら命は奪わないけど?」
「ハッ」
挑発ともとれるそれを、葵は鼻で笑った。
想定していない反応がノータイムで返ってきて、ダレンは怪訝な表情を浮かべる。
「降参? そんなのは自分が負けると確信したときにする行動だろうが」
「……まだ負けてないと? 君は片腕を失って、俺は剣まで抜いたのに?」
「当然だ。むしろ逆だね」
「逆?」
要領を得ない葵の言葉に、ダレンは疑問を募らせる。
圧倒的優位に立つはずなのに、どうしてかいまいち押し切れない。
場を支配するための言葉が、悉く葵の言葉に打ち消されていく。
そんな現状を前に、思わずいつもの笑みが浮かんでくる。
強者との戦いは楽しいものだと、因子がこの現状に呼応する。
「今の俺は多分、文字通りの最強だ。あんたらが言う最強の、更に何段も上のな」
「ふーん……その根拠は?」
楽しそうに葵の語りを聞くダレンは、ニヤニヤと笑みを浮かべながら問いを投げる。
それに対し、葵は不敵な笑みを浮かべて答える。
「俺のままオレの力を使う。ほら。最強以外の何でもないだろ?」
その答えは、答えになっていない。
その場にいた誰もが、葵の答えを理解できていない。
それはまだ葵の腕が失われたことに追いつけていない日菜子も、意識を失ったままのラティーフも、二人の会話を聞くだけだった翔やアヌベラも、そして会話をしている張本人でさえ、理解できない言葉だった。
葵が、自己満足の為に発した、会話とも呼べないただの独り言。
一方通行の言葉を会話と呼ばないことくらい、流石に葵でも知っている。
そもそも今の葵は、誰かに葵の身に起こっている現状を説明する気など毛頭ない。
故に、会話を成り立たせる必要がない。
今のやり取りは、全てダレンを困惑の海に落とすことにのみ注視した盤外戦術。
それ以外に、意味なんてない。
「行くぜ魔王。俺が、この戦いを終わらせる」
「――そうだね。君が危険だってのは今分かったよ。だから、終わらせよう」
互いに似たような笑みを顔に張り付けて、最後の戦いが始まった。