第二十話 【vs序列一位part2】
自ら腕を持ち上げることができなくなり、だらんと垂れ下がった手をそっと地面に置く。
まだ温かいその手も、この神殿が消えるころには冷たくなっているのだろうと思うと、寂しいとも悲しいとも違う、よくわからない感情が胸を駆け巡る。
だけど、ここで呆けているわけにはいかない。
そんなことをしていては、師匠から貰った力も気持ちも台無しにしてしまうから。
天を仰ぎ、込み上げてくるものを抑え込む。
大きく深呼吸をして、今やるべきことの為に前を向く。
「――ラディナ」
不安そうでもあり、悲しそうでもあり、申し訳なさそうでもあり。
そんな複雑な顔をしたラディナの名を呼ぶ。
「……はい」
色々と思うところはあるのだろう。
ここでどんな戦闘があったのかわからない。
だけど、表に出たものには必ず意味がある。
ラディナの気持ちは、きっと葵には計り知れないだろう。
でも今は、その気持ちも感情も、表に出させてあげられるだけの余裕がない。
自由にさせてあげられない自らの弱さを憎みつつ、身勝手に願う。
「師匠を頼む」
「……お気をつけて」
こんな状況だというのに――否、こんな状況だからこそ、ラディナは葵の言葉に文句ひとつ言わずに頷いてくれる。
その甘さに付け込んでいるという自覚が、葵の心を締め付ける。
ただ今は、そんなことに構っている余裕はない。
葵の安否を憂い、頭を下げたラディナの脇を通り過ぎる。
後ろに置き去りにしたラディナたちの方を振り向かず、作られた道をそのまま進む。
マルセラがちゃんと道を作ってくれているから、どんな方向音痴でも迷うことはない。
それを知っているから、ただ最速だけを求めて足を前に運ぶ。
一歩、また一歩と踏み出すたびに、人為的な音が耳に届く。
視界には映らないが、道が作り替わっているのだとわかる。
葵の為に道を作り、繋げてくれている。
感謝を胸にしばらく走り続けると、道が作り替わるのとは違う人為的な音を捉えた。
この世界に来てから聞き慣れた、人と人とが戦う音。
金属が何かを斬り裂き、斬り裂かれた物体が砕け落ちる音。
“魔力探査”で音の方へ意識を飛ばすと、そこには不気味な繭のようなものがあった。
視界に捉え、それが黒色であるのを確認すると同時に、“魔力感知”がその中にラティーフとアヌベラ、そして見知らぬ魔人の魔力を捉えた。
故に、ここまでの疾走を威力へと転換し、迷うことなくその繭を蹴破って中にいる魔人へと跳び蹴りをお見舞いした。
「――大丈夫ですか?」
「……あ、ああ。葵の方は大丈夫だったか?」
「はい。俺は問題なく。荒野の方も勝利を収めたそうで、ラディナたちも師匠が連れ戻してくれました」
「お前その左目……そうか。じゃあ、俺たちがしっかりしなきゃならんな」
葵の血の跡がある閉じた左目を見て、ラティーフは何かを悟ったような顔をする。
次いで這い蹲った状態から立ち上がり、ラティーフは不敵な笑みを浮かべる。
アヌベラもクールに、されど表情とは裏腹に猛烈な炎を瞳に宿してぶち破られた黒い繭の先を見据えている。
ラティーフたちとの連携が取れるかどうかは未知数だ。
だけど、ラティーフたちならば葵に合わせられるだろう。
そう信じて、葵は己のやり方を貫くまでだ。
「……本当に生きてたんだねぇ。まさかまさか、死から蘇る生き物がいるとは思ってもみなかった」
堪え切れない笑いを携え、魔人は繭へと戻ってくる。
ダメージを負った様子はなく、疲労感も全く感じない。
どれほどの戦闘がラティーフとの間にあったかわからないが、ラティーフたちの被害を見ればその実力差は明白だ。
葵が加わればこの状況が好転するかどうかはわからないが、少なくとも悪化することはないはずだ。
「俺が突っ込みます。カバーお願いできますか?」
「任せろ」
「魔王は重力系の干渉魔術を使います。動きは複雑にしたほうが良いかと」
「わかりました」
短く作戦会議を終え、魔王へと視線を向ける。
その魔王は飄々としており、この状況を楽しんでいるような雰囲気を感じる。
「じゃあ改めて名乗るよ。ボクはダレン。魔神序列一位の魔王ダレンだ」
葵たちの様子を鑑みることなく、ダレンは自己紹介を始めた。
漫画などではよくある展開だが、実際にそれをされると頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
まだ親しくもなければ、特に相手に興味も湧いていない葵にとって、魔王ダレンの自己紹介は本当にどうでもいい。
「あらら? また名乗ったのに驚きがない……」
不思議だな~、おかしいな~と頭を捻るダレンに向けて、葵は構える。
初手から様子見の意味も兼ねて、抜刀最速の紫電一閃を放つ。
葵の構えを見て、ダレンは何かに気が付いたように表情を変えた。
「お。何か見せてくれるのか?」
ダレンは楽しそうに笑う。
それが酷く矛盾しているように見えて、違和感と懐疑を覚える。
言葉と表情に違和感があるわけではない。
何というか、戦いの最中だというのに全てが軽すぎる。
油断なら好都合だが、余裕からくる軽さならば危険だ。
ラティーフとアヌベラと言う最高峰の援護があるとはいえ、より警戒を高めていかなければならない。
「行きます」
そう心に決めて、葵は声をかける。
それに頷いたのを確認せずに、葵はダレンに駆け出す。
真正面から実直に進んでくる葵に対し、ダレンはカスバード以上の魔術を威圧するかのように展開し、それを一斉射出する。
全てが即死級の威力を内包している。
その上、“身体強化”がなければ葵は反応すらできなかっただろう速度で迫ってくる。
その事実が、目の前の魔王の強さを証明している。
だが今の葵は“鬼闘法”も合わせた“身体強化”を全身に施している。
反応も対処も問題ない。
それを証明するように、葵は迫りくる魔術を『無銘』で斬り伏せる。
魔術を斬り伏せることができる刀だというのは、最初のカスバードとの戦いを見ていたから知っている。
ものの一秒程度で十を超える魔術を斬り、葵の背後を追従する形でカバーに回ってくれているラティーフも、ただの剣で魔術を斬っている。
その技術の高さに驚いている暇もなく、葵は真っ直ぐにダレンへと迫る。
「――左!」
声を張り上げて、自身は右へ跳ぶ。
直後、葵が進もうとしていた先に不可視の圧が落ちる。
「避けた……!?」
「ナイスだ!」
葵の声掛けを理解してくれたラティーフが、不可視の衝撃を挟んだ先で葵を称賛する。
前もって作戦を伝える間もなかったため、“アヌベラからのアドバイスを受けた上で尚直進する”という行動だけで理解してもらえるかが不安だったが、この一回で問題ないことを理解できた。
大きな一歩だと内心ほくそ笑むと同時に、重力の干渉魔術が落ちる場所を葵なら理解できるというもう一つの収穫があったことも、大きな一歩だ。
驚き目を剥くダレンを他所に、葵たちはやはりダレンへと直進することで距離を詰めていく。
一瞬は驚き立ち止まっていたダレンも、魔王らしく即座に我を取り戻し、再び魔術の多展開と同時射出を行う。
先ほどよりも数が多く、捌くのが難しくなっているが、支障たり得るほどではない。
それに――
「後ろ!」
「――ッ!!」
重力の魔術を使うときはほんの僅か、乱れとも言えない程度に展開している魔術に差異が出る。
威力でも数でも速度でも。
そのどれかに僅かな変化がある。
それさえ見逃さなければ、出てくる場所がわかっている攻撃を避けることも、避ける指示を出すことも容易い。
葵の異常な“魔力操作”の練度――引いては“魔力感知”のレベルの高さありきの戦術だが、それを利用できるうちは利用し続ける。
勝利への最短は、そこにしかないのだから。
「……ならば、素直に相手になろう」
ダレンが魔術の展開を止め、グッと力を溜める。
脚も拳も、すべてに均一に力を入れて、徒手格闘の構えのようなものを取る。
それが意味することは、自らへ迫る葵たちと素手で戦うということなのだろう。
覚悟を決めるまでの速さに羨ましさを覚えつつ、しかし葵たちの土俵に上がってくれるなら好都合だとより一層力を溜めて距離を詰めたダレンへと『無銘』で斬りつける。
「――ッ!」
「……うん」
葵は大きく後ろへと跳び退く。
攻撃を失敗したわけではない。
しっかりと当てたし、何ならダレンの右腕を斬り落とした。
「斬られた先から魔術で再生してんのか」
「そうだよ。さすがにその刀や剣に斬られれば無傷と言うわけにはいかないから……これくらいしなきゃ君たちを抑えることもできないよ」
くっついている右腕の先にある手をひらひらとさせ、葵の言葉を肯定する。
余裕が感じられる態度だが、事実として今のダレンには余裕があるのだろう。
レベル制MMORPGの理不尽さを叩きつけられたモブたちのような気持ちを胸に抱きつつ、もしその例に準えるなら再生能力を上回るだけの攻撃を与え続ければいいだけだ。
最後の一撃は加えられないが、それを知っているラティーフならいい塩梅にカバーしてくれるだろう。
「攻勢に出続けます」
「ああ」
近くにいるラティーフへ向けて言葉を発する。
その意図を理解してくれたラティーフが短く頷いた。
頼りになりすぎるその存在のありがたみを肌身で感じつつ呼吸を整える。
どんっと音を立ててダレンへと直進し、その懐へと入り込む。
『無銘』の間合いの更に内に入り、ダレンの徒手格闘の間合いに自ら入る。
自身の得物の間合いから相手の間合いへと入り込む愚行を犯し、その隙を見逃さないダレンの拳が葵へと迫る。
「――グバッ!?」
口から息と少量の血を漏らしたのは、攻撃したはずのダレンだった。
決して大きいとは言えない体が宙に浮き、その下には健康的に焼けた葵の拳があった。
ダレンの着ているコートの腹部に捩れが刻まれ、それをしたであろう拳には捻りが加えられている。
その一撃を放った張本人である葵は、宙に浮き自身の体を御せないダレンに向けて“心結流”の徒手格闘を見舞う。
一撃の威力より速度に振り切った数多の連撃を、的確に人体の急所を狙って放ち続ける。
威力が低い攻撃でも、常に急所に喰らい続ければダメージは溜まる。
それは、攻撃を喰らうたびに体の動きが鈍っていくのを実際に体験している葵がよく知っている。
そもそも一撃の威力を極めるのなら、葵のような体格では無理だ。
ラティーフのように屈強な肉体がなければならない。
いくら見た目=筋力量ではない世界に来たとて、それはあまり変わらない。
その当たり前を知っているから、自身の武器である速度に振り切った攻撃で、最大を出せるように動いた。
その考えが功を奏し、ダレンは宙で身動き一つとれずに葵の攻撃に晒され続けている。
反撃をしようにも、次々に自身へと迫る攻撃の痛みから身を守るのに必死でそんな余裕がない。
だから、自身に迫るもう一つの影への対処が遅れた。
「――ッ!」
ダレンが気が付いたときには、背後にそれはいた。
子供ほどの大きさはある大剣を上段に構え、宙に浮かせられているダレンよりも更に上の位置から見下ろしている。
その瞳には誰が見てもわかるほどの殺意が込められており、弱者ならそれを見ただけで漏らすような威圧感を放っている。
およそ、人類を守る側の人間が放っていい殺意ではない。
ラティーフの瞳をダレンが捉えた瞬間、自身の死を悟った。
大剣がダレンの頸目掛けて振り下ろされる。
「――危ないッ!!」
葵はラティーフが振り下ろす大剣へ向けて風の魔術を放つ。
できればラティーフの体ごと持っていけるような暴風を、風弾に圧縮して放った。
結果、想像以上の威力を発揮し、ラティーフを大きく後退させた。
そして、ラティーフが一瞬前までいた場所に――正確にはダレンを中心とした一定範囲に、葵が感じた中で最強の威力が込められた重力が落ちる。
それは葵たちが足をついている繭が歪むほどの威力。
あの場にラティーフがいれば、相討ちは免れなかっただろう。
人類の勝利を考えるのなら、それは当然の選択とも言えるのだろうが、少なくとも人を殺せない葵にとっては身近な人が死ぬのも当然許容できることではない。
ラティーフを避けさせることに成功した葵は、自身の回避が少しだけ遅れ、右腕に不可視の重力を喰らった。
その威力の高さを身を以って体感した葵は、腕が痺れる程度で済んだことに感謝する。
「アヌベラさん、助かりました。でもすみません。強化の魔術貰ってたのに倒し切れなかった」
「あそこまで追い詰めたのは葵さんの力があってこそです。ラティを救っていただき、こちらこそ感謝したい気持ちですよ」
フォローと感謝を欠かさないアヌベラは、やはり見た目通りの好青年だ。
全く以って羨ましい限りだが、今はそこへ感情を使っている場合ではない。
そう言い聞かせて意識をダレンへと向ける。
「ああ……強いな。刀が主兵装じゃあないのかよ」
体の隅々までダメージを与えたのがよかったのか、全てを治癒できているわけではないようだ。
重要な部分の治癒は済んでいるのだろうが、まだ顔には打撲跡が見えるし、腕を抑えているからそこも治せていないのだろうと推測できる。
そこへ、葵によって吹き飛ばされたラティーフが迫る。
手負いのダレンへ追撃に出てくれている。
視線が一瞬こちらを――おそらくはアヌベラを見たことから、きっと葵にはない信頼関係を通じてのアイコンタクトがあったのだろう。
「やはり重力が厄介ですね……」
「そのことなんですが、この繭が結界なら繭にその秘密があるのでは? 確か、結界には自身の強化や他者の弱体化なんかの付随効果をつけられたはずですよね?」
「……干渉魔術を付随する結界なんて本当に作れるのかわかりませんが、相手は魔王だ。やれないと決めつけるのは早計でしょうね」
手負いのダレンは、ラティーフ一人の相手に手一杯のように見える。
ふらふらと危ない足取りで、しかし攻撃そのものはしっかりと避けている。
否、本当にちょっとずつ治癒を行っているのが見て取れるから、きっと手負いのダレンとラティーフの実力は拮抗しているのだろう。
つまり、時間が経てば不利なのはラティーフだ。
「俺が繭の解析をします。アヌベラさんはラティさんの援護に」
「……わかりました。こちらは任せてください」
頼もしい返答に心強さを覚え、ラティーフたちとの戦場とは真反対へと走る。
繭の端に辿り着き、繭へ魔力を通してその構造を“魔力感知”と“魔力操作”で探る。
表面から内面へ、深く深くへと潜り込み、絶大な集中を以てその解析に当たる。
「魔術陣によく似てる……結界は魔術陣の応用――いや、心の具現化だって話も聞いたことあるからつまりこれは心の具現化を無理やり形にした結果か……?」
ブツブツと呟き、感覚と耳を使って頭の整理をする。
書くものがあれば触覚も使っての解析ができたのだが、生憎と今は脳内キャンバスしかない。
心許ないノートだが、それしかないならそれを最大限活用するまでだ。
「ここが……内外を遮断する部分か。あまり強固じゃないのは捉えた相手を逃さない自信があるから? それが重力の干渉魔術か?」
一つ一つ、積み上げてきた魔術陣の知識と魔術の知識を、前世でのラノベや漫画などでよくあるテンプレと言われた思考を踏襲させつつ、解析を進めていく。
脳内キャンバスに描かれたはちゃめちゃに大きな魔術陣の上を練り歩きつつ、描かれた一つ一つの魔術陣の内容を確認していく。
「じゃあこっちは結界内の部分になるわけで……うん。ならこれが……いや、これは自己強化か」
全体で五つある魔術陣のうち、二つの解析を終えた。
まだ三つあるが、ラティーフたちを信じて焦らずに一つずつ解析を進めていく。
「これは……魔素を取り込む魔術陣に似てるな。一部が違ってるのは……いや、今はそれが知りたいんじゃない」
自身の欲が出そうになり、ギリギリのところで我に返る。
ここで余計な方向へ集中が加速すれば、葵自身では手が付けられなくなる。
そうなれば、いくらラティーフたちが時間を稼いでくれていても意味がない。
やるべきことを全うしろと改めて自分に言い聞かせ、残った二つの魔術陣へと意識を向ける。
「これは……さっきと同じ。ならこっちが干渉魔術の魔術陣……じゃない?」
どういうことだ? と葵の頭に疑問が生じる。
最後の二つは三個目に見た魔術陣と同じ、外から魔素を取り込み魔力へと転換する魔術陣だった。
肝心の重力の干渉魔術に関する魔術陣が見当たらない。
結界を構成する魔術陣に、ダレン自体を強化する魔術陣、そして三つの魔素を取り込む魔術陣。
葵の解析の結果、その五つで構成されていた。
「……? 干渉魔術は繭の効果じゃなくて魔王自身の魔術か……?」
そう考えるのが妥当だし、そもそもそっちが先に頭に過る可能性だろう、と自身を罵倒する。
だがそれも一瞬だ。
今やるべきは解析結果をアヌベラに伝え、援護に戻るだけ。
厄介なだけの重力は、ダレンを殺す弊害であっても障害じゃない。
なら無視でいい、と意識を現実に引き戻す。
『――相手は魔王だぞ?』
高々ひと月と少しで詰め込んだ程度の知識で何をわかった気になっているんだ? と葵の中の葵が指摘する。
その言葉にハッとし、背後へ振り向く。
当然、ここは葵の思考の中なのだから誰もいるはずがない。
だけど確かに、葵に注意を飛ばした何者かがいた。
そしてその言葉は、葵に容赦なく突き刺さる。
「……それも当然か」
何でもできる気になっていたところに釘を刺されたみたいだ、と自分を馬鹿にする笑いを浮かべる。
だが、今はそれがいい方向へと転んだ。
わからないなら、わかるまでやれと言われたような気分だ。
そんな時間があるかどうかはわからないが、それでも与えられた――自ら取りに行った役割は果たすべきだろう。
重力の干渉魔術の効果がなく、それが純粋にダレンの魔術だったとしても、葵にはまだやれることがある。
だから、それを果たすのだと葵は受け継いだ力を行使する。
「師匠、使うよ」
どこかで、ナディアが頷いた気がした。
葵の中に在る魂か、あるいはただの葵の妄想か。
それでも、そのナディアは背中を押してくれた気がした。
勘違いでも、それが葵に勇気をくれる。
「魔眼、解放」
視界の半分が黒に染まる。
何も映さない暗闇の世界が、葵の視界の半分を奪った。
葵の“魔力操作”の一割以上の操作権も同時に奪い、その制御の難しさを思い知らされる。
尤も、慣れ自体はすぐにやってきて、次第にその暗闇に慣れてきた左目が光を映す。
一部、右目の視界に重なるようにして光が浮かび上がる。
それが何を意図するのかわからないが、今現状で分かったことは葵が“魔力感知”という感覚で理解していたものを、実際に認識できる眼だと言うことだ。
そして、眼で捉えられれば見え方が変わるものも当然ある。
「――ハハッ。なるほどな。そりゃ、気づけないわけだよ」
魔術陣を指でなぞって、おかしそうに笑う。
それも仕方がないことだと、葵は半ば諦めたようにも笑う。
「なるほど、思考が至らなかった。魔術陣を構成する線の部分に魔術陣を隠すなんて……マジで魔王はバケモンなんだな」
魔術陣は形だ。
それには基本的に文字が用いられ、次に関係性の為の紋様を用いる。
結果、葵たちがよく知る魔法陣に似たものが魔術陣として出来上がる。
魔王が繭の結界に使っていた魔術陣は紋様に当たる部分の線を微細の文字で書くことで、魔術陣として機能させていたのだ。
つまり、繭を構成する魔術陣も、自己強化の魔術陣も、魔素を魔力へと転換する魔術陣も、そのすべてがブラフ。
目的はたった一つ、その魔術陣に隠した干渉魔術の魔術陣を見つけさせないためのフェイクだ。
「見つけた……なら、これを逆手に取ってみようか」
今ならできる気がする、と視線をあちこちへと転じる。
この繭を構成している魔術陣はここにあるが、それを機能させている核は別にある。
魔力の流れが別へと流れており、それを眼で捉えたからこそ理解した。
その流れを辿り、一つの終着点へと辿り着く。
全ての流れが集約し、再び流れていく原点。
これを掌握すれば、この繭そのものを乗っ取ることができる。
そうすれば、自己強化が葵に乗り、干渉魔術も思いのままだ。
繭の解除も葵に決定権があるから、この繭を抜けることでしかダレンに勝ち目はなくなる。
繭の再構築は技術不足でできないが、維持程度なら葵でもできる。
勝機を見出し、頬に笑みが張り付く。
だから、現実で起こっていることに気が付けなかった。
「葵ッ!」
焦りを孕んだ声が、葵の鼓膜を震わせる。
そちらへ視線を向けてみれば、そこにはほんの数十センチほど先に現在進行形で葵の顔面を捉えようとしている拳があった。
その拳の先にはダレンがいて、その先にはラティーフとアヌベラがいる。
脳内で歩き回っていたはずが、現実世界でも動いてしまっていたらしい。
近くにあったはずの突き破った繭が遠くにあるから、その推測で間違いないだろう。
ならば、今葵の目の前に差し迫る拳も現実だ。
それと向き合うために、目の前の拳へと意識を向ける。
とはいえ、ただの拳だ。
喰らえば、顔面を殴られた痛みが葵を襲うだろう。
だけど、それだけで済む気がしない。
もっと何か、嫌な予感がする。
でも今の葵には避ける術がない。
意識の世界から出てきたばかりで、思考だけが回る。
それが肉体に反映されることはないし、そもそも回っているのは思考などではなく走馬灯のようなものだ。
死を覚悟し、その前に頭が見せる幻想。
もしこれが思考なら、もっと生き延びるための考えを思い浮かべているはずだから。
“身体強化”も“鬼闘法”も、解析の為に全力を注いだ“魔力感知”と“魔力操作”の為に切っていたから、この瞬間に付け直しても間に合わない。
そもそも、まだ集中が切れていない。
これほどまでに走馬灯が回り続けるのは、その過集中の影響と言って差し支えないだろう。
ここに来て、葵の長所であり短所である集中力が、短所の方に傾いた。
何て呆気ない最後なんだろうか、と漠然と感じる。
『人間は死に直面してこそ本性が現れる』なんて言うが、それは本当だったのかもしれないとふと思う。
何せ、今までことあるごとに言葉にしてきた「結愛の為に」という言葉が、思考のどこにもないのだから。
所詮、後天的に植え付けられた恩義と贖罪の気持ちが生み出した偽りの感情――ただの偽善だ。
その事実を前に、葵は自身を鼻で笑う。
やはり本心では、自分が可愛いだけのただの人間だったんだと自覚し、今までの人生に虚無しか感じられなくなる。
結果、葵の思考が導き出した答えは、“どうでもいい”だった。
自身の死も、地球に残してきた家族も、クラスメイトも、この世界で出会った人たちも、この大戦も、結愛のことも。
「――あそこから間に合うのかよ」
「……ぇ?」
だから、葵とダレンの間に割って入り、葵のことを庇ったラティーフの行動に、疑問しか抱けなかった。
そんな葵を他所に、ラティーフは歯を食いしばって笑う。
「そんな顔させちまって、すまねぇな。元々は、俺たちの問題にお前たちを、巻き込んだのが原因だが……すまねぇ」
「――もう全部、どうでもいいんだよ」
謝罪を口にするラティーフに、葵は無感動に告げた。
今目の前で起こった人死にも、葵は心一つ動かさない――否、動かせない。
それが当たり前であったかのように、葵は何も感じられない。
つくづく、自身が飾りでできていたのだと実感させられる。
「謝っといて何なんだが、一つだけ言わせてもらっていいか?」
「……ああ」
葵の両肩をがっちりと掴み、ラティーフは光を映さない葵の目を見てはっきりと言う。
「目の前のことから逃げるな。ちゃんと現実を受け止めて戦え。今のお前のそれは、お前の本心でも本性でもなく、自分を守るためだけの“逃げ”だ」
「――ッ」
「現実を見ろ。事実を受け止めろ。その上で、ちゃんと戦え。……それが、最後の、俺の――」
そう言って、ラティーフは力を失い地面に倒れた。
ラティーフの顔に向いていた視線はその先で戦っているアヌベラとダレンを映し出す。
それが視界に映り、同時にラティーフの言葉が頭の中を反芻する。
「――本当に謝る気があったのかよ」
拳を握り、苦し紛れにそう言った。
ラティーフが笑った気がした。
大きく息を吸い、現実に引き戻した意識を集中させる。
いつも通り“魔力感知”を起動させ、戦闘用に臨戦に切り替えたうえで“鬼闘法”と“身体強化”を施す。
そして、アルトメナに納めていた『無銘』を取り出して構える。
「あとで文句言ってやる。だから、殺させはしない」
ダレンへとその切っ先を向けて、葵は笑みもなく言い放った。




