第十九話 【vs序列一位part1】
壁も床も天井も。
全てが白い神殿で、三人の男が対峙している。
一人は、人類でトップレベルの戦闘技術を持つ王国の騎士団長にして、この大戦において大部分の戦力を担っている召喚者たちを一番近くで見続けた人間、ラティーフ。
いつものようなラフな格好ではなく、動き辛そうな銀色の全身鎧を身に纏い、子供ほどの大きさもある大剣を片手に一本ずつ持っている。
両手に握る大剣は、いわゆる魔剣と呼ばれるような代物ではないが、それゆえ非常に硬く、重いため、“叩き斬る”ことに重きを置いているのならば最高の逸品と言えるだろう。
“身体強化”なしでもそれらを真面に振るえるほどの筋力を持つその強靭な肉体は、今や希少金属として知られる最硬の金属で作られた全身鎧によってその防御力を向上させている。
つい最近、開発されたアクティブマジックを鎧のパーツ毎に刻み込んでおり、魔術的な要素に対しての防御力も一級の防具を凌ぐ国宝級の代物だ。
値段にすれば、億はくだらない。
そんな歩く国庫と言っても過言ではない装備に身を包んだ男の隣に立つのは、ラティーフの相方にして魔術のエキスパートであるアヌベラ・トゥ。
ラティーフと違い、布製のコートを身に纏い、局所を守る程度の金属防具しかないことから、明らかに軽装に見えるが、コート部分は対刃対魔という二つの特性を併せ持つ布で、色こそ違うものの、その素材は葵が来ているコートと同じ魔物の糸から編まれたものだ。
焼けたり破けたりしても、魔素さえあれば自動で修復するという機能が付いており、普段使いにも最適な逸品だったりする。
両腕の籠手には三色の魔石が嵌め込まれており、その籠手部分は初代勇者が作り出した多少の打撃や衝撃ではビクともしないほどに硬く、しかし取り回しのしやすい軽い金属でできている。
「なるほど。あなたたちが王国の両師団長ですね? ……少し、圧が怖いな」
そんな二人に睨まれた少年とも青年とも言えるような年齢の男が、委縮したように軽口を叩きながら眉を困った風に顰める。
黒一色のローブを身に纏い、その下にはラティーフとアヌベラの鎧部分を足して割ったような程度の、コートと同じ黒い防具で固めている。
考えようによってはいいとこどりとも取れるし、中途半端とも取れる。
尤も、対面する魔王がそのどちらかなど、考える余地もない。
手に持つ得物は細く鋭い切っ先を持つ刀で、その刀身も真っ黒だ。
肌が白く、髪色も白いため、全てが神殿に浮いているわけではないが、全体を見るとやはり白い神殿に黒が浮いている。
銀という保護色になりかけているラティーフたちとは装備の時点で大違いだ。
視界で捉えやすい捉えにくいは、戦いに直接関わってくる。
“魔力感知”という視界以外で外界の情報を得る方法もあるが、やはり人型の生物である以上、視覚から得る情報は多い。
故に、その差異はかなり大きい。
「あ、そうだ。まだ挨拶してませんでしたね」
相変わらず警戒を解かず、しっかりと目の前の少年を見据えるラティーフたちに、あっけらかんと言って見せた。
敵前であるにも拘らず、無警戒にぺこりと頭を下げた。
「ボクはダレン。魔神序列第一位――キミたちが魔王と呼ぶ存在だよ」
てへっと擬音が付きそうなくらいの笑みを浮かべ、魔王ダレンが堂々と言い放つ。
醸し出す雰囲気は、およそ見た目通りの少年が放つものではなく、名乗った通り魔王の存在感を放っている。
ただその場に立つことすら許さないような存在感に、ラティーフとアヌベラは飲み込まれる。
今まで多くの魔物と命を懸けた戦いをしてきたラティーフたちだが、そんな魔物たちとは比べ物にならないくらいの存在感だ。
「大丈夫か?」
「……ああ。意外と、冷静でいられてるよ」
主語がないアヌベラの言葉に、ラティーフが頷く。
二人の間ではしっかりと意思の共有ができているので何も問題はないが、その輪から外れた者が一人いる。
「あれ? 名乗ったのに驚きがない。おっかしいな……こうすれば相手はビビるってばあちゃん言ってたのに」
嘘つかれた、と嘆きの言葉を漏らす。
だが、それは心からの気持ちでない。
仕草と声音から、その“ばあちゃん”とやらへの厚い信頼を感じる。
「ま、いいや。気持ちを切り替えて……よしっ」
深呼吸を挟み、ダレンはラティーフたちを緩やかに見据える。
体勢も正さず構えもなく、ただその場にしっかりと足を付いただけ、という印象を受ける。
存在感だけで、やる気の“や”の字も感じられない。
葵がいたならば、遊び感覚でプロの世界に足を踏み入れた子供のような異質さ、と表現していただろう。
そんな異質は、やはり文字通りの異質っぷりを最初から遺憾なく発揮した。
「――ッ! これは……!」
「結界が塗り替えられた……ッ!」
人類軍を守り、同時に僅かな支援を行っていたマルセラの大結界が、一瞬のうちに塗り替えられる。
白から黒へ。
太陽を失った大地のような真っ黒な世界が、その場に居た三人を飲み込んだ。
手の届く範囲すらまともに視認することもできない世界に閉じ込められ、ラティーフたちはこの一瞬で焦燥感に駆られる。
“魔力感知”で知覚こそできるが、あくまで理論上は可能と言うだけであって、そもそも“魔力感知”だけで外界からの情報を得て、その上で行動するなんて芸当ができるわけがない。
そんなことができるのは、よほど“魔力操作”に長けた人間か、あるいはそれに努力を費やしてきた者だけだろう。
少なくとも、ラティーフは元より、類まれな魔術のセンスを持つアヌベラでさえ、そんなことはできない。
ダレンにそれができるのかどうかはさておき、そもそもこの結界の術者であるならば、結界内の把握は容易いはずだ。
つまるところ、今ラティーフたちは危機に瀕しているということになる。
ダレンと出会った時にはさほど感じなかった焦りが、ここになってようやく押し寄せる。
「ラティ。照らせるか?」
「――すまん。すぐやる」
アヌベラの一言で我を取り戻し、ラティーフは魔術を組み立てる。
先ほどのアヌベラの質問に、意外と冷静でいられてる、なんて答えてはいたが、どうやら冷静などではなかったらしい。
自らの二つ名にまでなった闇を払う“光”を。
火の魔術を水によって拡散させ、人口太陽のようなものを作り出す。
その性質も成分も似通ってなどいないが、闇を払える光を放つという意味では太陽と言っても差し支えないだろう。
光源ができたことで、闇が晴れてその全容を視認できた。
本当に大結界を飲み込んでいるのか、その結界は半球状になっていて、先ほどと変わらない立ち位置にダレンは立っていた。
ラティーフの方を見て、驚きに目を見開いている。
「おっ? おお、なるほど? 火と水の合わせ技ですか。そんなことができるんですね」
感心したように頷くダレンに、ラティーフたちは僅かな戦慄を覚える。
一度見ただけで魔術の全容を暴くなんて芸当は、過去には初代勇者、今では翔の恩寵でしか聞いたことがない。
そんな技術と呼べるかどうかも怪しいものを、魔王は行使している。
明らかに別格だと、本人の知らないうちに格付けされてしまった。
「だから、何だってんだ」
尤も、そんなことで負けを認めてやるほどラティーフたちの覚悟は甘くない。
見えるなら問題なく戦える、とそれぞれの得物を構え、ダレンへと向ける。
人類でも最強格に分類される二人を前にして、ダレンは嬉しそうに笑う。
その純粋無垢な笑みだけを見れば、とても人類の大敵である魔王には見えない。
だが、その実力ははっきりと人類の大敵足りうるのだとラティーフたちは知っている。
だから、油断はない。
最初から最後まで、全身全霊で戦う覚悟ができている。
「沢山、楽しませてね?」
ダレンが言葉と同時に千手観音像のように両手を広げる。
手の動線上に、掌に乗るサイズの魔術が展開される。
火も水も風も雷も土も。
基本の属性全ての魔術が、瞬く間に展開されていく。
その技巧は日菜子や翔、駿介と言った召喚者の中でもトップレベルですら凌駕する。
魔力量が膨大な葵、と表現して差し支えないレベルだ。
少なくとも、アヌベラの魔術で相殺できるようなレベルではない。
「俺が出る。漏らしは頼む」
「わかった」
ラティーフの短い言葉に、アヌベラが頷く。
主語がなくても通じるのは、流石に十年近くもペアを組んできた二人の連携の一部だ。
そんな二人のやり取りを見て、ダレンは更に笑みを深める。
楽しそうに、嬉しそうに、無邪気な笑みを浮かべている。
そんな状況で、ダレンは容赦なく魔術を射出した。
音速に迫る速度で放たれた魔術を、両手にそれぞれ持った大剣で叩き斬る。
短剣でも振るっているのかと言わんばかりの速度で子供ほどの大きさの大剣を振るう。
ファンタジーっぽいと言えばそうとも言える光景を前に、ダレンはやはり嬉しそうに笑う。
新しいおもちゃを買ってもらった子供のような純粋無垢さを、ダレンからは感じられる。
そんな笑みを深めながらも、放つ魔術の手は緩めない。
カスバードと同じかそれ以上の魔術展開速度と射出速度で、魔術の弾幕が張られる。
量自体も凄まじいのは当然、一つ一つの威力もそこいらの魔術とは比較にならないほどに高い。
剣に魔力を纏うことで魔術と相殺しているが、一つでも食らえば腕くらいなら軽く吹っ飛ぶだろう。
物体に魔力を纏わせるという工程すらやることから考えると難しい上に、文字通り必殺のレベルで迫りくる魔術を相手にし続ければ、いくら豪胆なラティーフとはいえ崩れるのも時間の問題だ。
故に――
「――行くぞ」
アヌベラの返事も待たず、ラティーフは駆け出した。
その先にいるのは、変わらず両手を広げたままのダレンだ。
迫りくる魔術の弾幕を、自身へ確実に当たるものだけを剣で相殺し、それ以外を後方へと見逃す。
魔術が向かう先にはアヌベラがいるが、少なくとも斬り漏らし程度の魔術を相殺できないような魔術師ではない。
故に、背後の心配をすることなく、ラティーフはダレンへと詰め寄る。
開いていた距離をぐんぐんと詰める。
必殺に至る威力を秘めた魔術ですら足止めにならない事実に、ダレンは焦る様子はない。
むしろ、より嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「いいね! 流石は王国の騎士さま!」
その言葉とともに、ラティーフの背中に重しが圧し掛かる。
突然のそれに、ラティーフは反応することができずに膝をつく。
咄嗟に大剣を交差させ、迫る魔術からの壁を作ることはできた。
だが足を止めてしまったことで、立ち上がることができなくなった。
その事実を悔やみつつ、背中へと視線を向け、そこに何も載っていないことを確認する。
「重圧……干渉魔術の類か」
「正解だよ」
ラティーフが正解を口にしたのに、ダレンは驚く様子も見せない。
まるで、正解を当てられるのが初めからわかっていたかのような態度だ。
だがどうあれ、今のラティーフが無防備なことに変わりはない。
日菜子のように魔術を曲げることができるなら、目の前に突き立て壁とした二振りの大剣は意味を為さなくなる。
だがそのラティーフを守るように、後方から大きな炎弾が放たれた。
動線上にあった魔術を飲み込み、勢いを落とすことなくダレンへと迫ったそれは、前へ手を出したダレンを目前にしてパンッと弾けた。
だがダレンを襲う魔術は終わらない。
足元の闇を突き破って円錐状の岩が隆起し、ダレンを突き穿たんと迫った。
それを真上に跳ぶことで退避し、同時に大きな岩弾を放つことで相殺する。
宙へと浮いたダレンへ、一連の攻撃を放っていたアヌベラは渦巻く水流を放った。
規則的な不規則で渦巻く水流を捉えられず、ダレンはその水流に飲み込まれる。
水圧も水勢も大したことのない水の渦は、ダレンへと大したダメージを与えられない。
精々が窒息させられるくらいだ。
だけど、アヌベラの目的はそこにない。
「電撃」
水の渦を伝い、アヌベラから放たれた電撃が流れる。
電撃が放たれた瞬間にアヌベラの意図を理解したダレンは、自らに纏わりつく水の渦からの脱出を試みるが、それよりも早く電撃がダレンを襲う。
大体の生物は電撃の強くなく、いかに魔王と言えど生物の例に漏れなかった。
辛うじて致死に至る前に水の渦から脱出したが、全身が痺れているのかよろよろと足回りが安定していない。
その事実に本当ならば少しでもダメージを与えられたと喜ぶべきなのだろうが、生憎と攻撃を受けたはずのダレンの顔には変わらず笑みが張り付いている。
その事実が、アヌベラに喜びの感情を発露させるのを躊躇っている。
「助かった」
しかし、アヌベラの役目は元々ダレンへの攻撃ではない。
攻撃はあくまで手段であり、目的は重圧に拘束されたラティーフの解放だ。
そして、その目的は達せられた。
黒い床に突き立てた大剣を引き抜いて、ラティーフは立ち上がる。
未だに電撃によって痺れているダレンは、自身の戦闘能力が落ち込み、相手の戦力が増しているという現状を前にしても、やはり笑っている。
「いいね……流石に強い。でも、楽しいなぁ」
狂気的とも言えるその言葉に、ラティーフたちは警戒を強める。
心に狂気を抱く者は、往々にして強者だ。
それは過去の時代から変わらない。
警戒を強めたまま、ダレンが痺れで真面に動けないこの状況を最大限利用せんと再び攻勢に出る。
「――ッ!?」
ラティーフとアヌベラが地面に這い蹲った。
防御だとか体勢を整えるだとか、そんな余裕はまるでなく一瞬で圧し潰された。
地面に縫い付けられたかのように、指の先すら動かせない。
警戒も実力も鎧袖一触にしてしまう程の圧倒的な強者。
ダレンに挑むことは、赤子が大人に挑むかのような無謀さなのだということを、その一瞬で叩きつけられたような気分だ。
「このまま……寝ている、ようじゃ……ダメ、なんだ」
そんな事実を叩きつけられても、ラティーフたちがここで逃げることは許されない。
こちらの都合でこの世界に喚んだ彼らは、今もきっと果敢に戦っている。
本来なら背負うこともなかった重荷を背負わせている以上、ここでその責任を放棄するのは道理が通らない。
故に、諦めるわけにはいかないのだ。
「さぁ、まだまだ楽しませてもらうよ――ッ!?」
ラティーフが重圧に反発して立ち上がろうとした矢先、目の前で痺れながらも笑っていたダレンが真横に吹き飛んだ。
暗闇の結界を突き破り、白い神殿への廊下を勢いよく転がっていった。
「なんか変な繭があったからぶち抜いてみたけど……」
その事実に呆然とし、圧し掛かっていた圧力が消えていることにすら気がつかなかったラティーフたちの耳に、見知った声が届いた。
先ほどまでダレンがいた場所に、暗闇に溶けるコートを着た少年が立っている。
黒目黒髪の冷めた目をした少年は、それだけ呟いてラティーフたちの方を見た。
「やっぱり、正解だったみたいですね」
ラティーフたちの現状を見て、綾乃葵は安心したような笑みを浮かべた。