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姉の為に。  作者: たかだひろき
第五章 【第十次人魔大戦】編
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第八話 【人類軍本隊VS魔王軍囮】




「来たぞ!」


 焦燥を含んだ大声が、司令部の置かれたテントの周辺に響いた。

 その声が聞こえた召喚者の一隊は、ようやくかと気を引き締める。


 一時間ほど前に作戦を決め、組合員を援護する五人とそれを守る十五名と言う形に分かれ、それぞれの配置についた。

 配置と言っても、五名を囲むようにしてテント側以外の三方に何か動きがないかを確認している。

 もちろん、三人一組で五組を作り、ローテーションを組むようにしているため、一人一人の負担は減らしているつもりだ。

 それも、全ては葵が送ってきた武器のおかげと言えるだろう。

 王国組を戦場に引っ張り出そうとしたあの日、葵の言っていたことが真実だったのだと再確認させられ、有言実行するその姿に、幸聖は少しだけ羨ましい気持ちを抱いた。


「幸聖ぃ。本当にこっち見てるだけでいいの? 私たちも、戦場(あっち)見てた方が――」

「愛。あなた幸聖の話聞いてなかったの?」


 愛佳がテントの向こう――組合員たちが戦っている戦場を指差し、不安とも疑念とも取れる表情で言った。

 しかし、やれやれとでも言いたげな表情で摩耶が愛佳の言葉を遮った。


「私たちは組合員の援護をしている宮野(みやの)君たちを守るの。この大戦は、今の今まで色々と想定外のことが起きているから、当たり前以外にも目を向けろって、綾乃くんが説明書に残してくれてるんだから」

「だからだよ……綾乃くんは確かに何も嘘は言ってないけど、今までのことも考えると完全に信用していいのかわからない」

「それはそうだけど……」


 いつも摩耶にアホだなんだと言われている愛佳とて、摩耶の言っていることを理解していないわけではない。

 魔王軍がこちらの裏を掻いたり、それに対応しようとする人類軍(こちら)を嘲笑うかのように伏兵を送ってきたり。

 数こそ少ないがその一つ一つが大きい事柄ゆえに、想定が覆されることを懸念して、本来なら必要のない後方を監視しているのだ。


「愛佳。確かに葵が言っていたことだけど、金等級の組合員の人でさえ同じことを言ってた。通常や当たり前に捉われていると、足元を掬われかねないって」

「……そっか。うん、わかった。大人しく監視してるね」


 言う人が違うだけでここまで変わるのか、と面白いような難しいような気持ちを抱く。

 摩耶も幸聖と似たような表情で肩を竦めているから、きっと同じことを考えているのだろう。

 同じ気持ちを抱く二人で見つめ合い、思わず笑みが零れた。

 そんな時、雷でも落ちたのかと錯覚するような、耳を(つんざ)く鋭い轟音が至近距離で鳴った。


「なに!?」

「なにってそりゃあ、あれに決まってるでしょ」


 鼓膜を破壊されたのかと思うくらいの轟音に耳を塞ぎながら素っ頓狂な声を上げた愛佳に、同じく耳を抑えていた摩耶が指を差して答える。

 幸聖も釣られてそちらを見てみれば、葵の送ってきた武器――狙撃銃(スナイパーライフル)が、銃口から煙を上げていた。

 それを撃ったのは、クラス一の身長を持つ宮野勇一(みやのゆういち)だ。

 発砲時の轟音と衝撃を一身に受けた勇一は、説明書の忠告通り音を遮断するヘッドホンをつけていたにも拘わらず、震える手でヘッドホンの上から耳を抑えていた。


「大丈夫!?」

「だい、大丈夫。いや、うん。問題はない、けど――いってぇ……」


 発砲時の衝撃を受け止めた右肩に手当てしつつ、膝をついたまま勇一は弱々しく呟いた。

 すぐさま駆け寄り心配の声をかけた中里百合音(なかさとゆりね)が同じように膝をつき、痛む肩に治癒魔術をかけたことで痛み自体は(やわ)らいだ。

 だが、たった一回の発砲で心に刻まれた痛みは残ったままだ。

 すぐに次弾を撃とうとして、体がそれを拒むかのように銃に触れることができない。


「……辛いなら、変わりますよ?」


 勇一の様子を見て、百合音は優しく言った。

 身長差も相まって、互いに膝をついているにも拘らず覗き込むような態勢になっている。

 見上げる形の百合音の顔を、勇一は至近距離でジッと見つめる。


「……いや、大丈夫。中里さんにそんなことさせたら体が吹っ飛んじゃうよ」

「そんなことはないですよ、って言いたいですけど……言い切れませんね」


 ふわふわと表現して正しい、優しく困ったような笑みを浮かべる百合音を一瞥して、勇一は再度うつ伏せになり、狙撃銃のスコープを覗いた。

 その様子を見ていた他の四名は今の勇一の身に起こった事情を正しく理解し、その上で再度立ち向かう勇一の姿を見て驚いた様子を露にした。

 そして全員が顔を見合わせて一つ頷くと、そのまま全員が照準を合わせるようにスコープを覗いた。


「みんな、凄いね」

「そうだね」


 愛佳がその様子を見てしみじみと呟き、摩耶もそれに同調する。

 その会話にこそ混ざらなかったが、幸聖も同じ気持ちを抱いた。

 おそらく、幸聖にはできないことをやってのけようとしている人が五人もいるのだ。

 ならばこその適材適所だろう。


「俺たちはみんなを守ろう。それで、綾乃が渡してくれた力だけで勝ったわけじゃないって、清々しい気分でまた二宮たちに会おう」

「そうだね!」

「うん」


 気持ちを新たにし、愛佳と摩耶にそう告げる。

 二人の心地よい返事を受け取り、再度、持ち場である南側の監視に務める。

 時折、背後で先ほどと同じような耳を劈く雷撃のような轟音と、空気の抜けたような強そうだとは思えない射撃音の二つが鳴っているが、少しだけ離れた位置にいる幸聖たちにはあまり関係はない。

 五月蠅(うるさ)いことに変わりはないし、集中できるかと言われればノーと答えるしかないが、慣れればそう嫌な音でもない。

 視線の先にある木々がなければもっと響いていたかもしれないと思うと、自然には本当に頭が上がらない。


「ちゃんと機能してるみたいだね」

「そう言えば、あの銃って三種類あったけど、何か違いがあるの?」


 十数秒ごとに聞こえてくる銃声から、説明書通りだなと独り言ちる幸聖の言葉を愛佳が拾った。

 それに、意識は西側に向けたまま、視線を愛佳へと転じて答える。


「銃身に黄色のラインが入ってるのが、発射時に電気を流して威力増加を図る、いわゆるレールガンってやつ」

「レールガンって、SFとかでよく聞くやつよね?」

「そう。理論はあんまり知らないから簡単に言うと、めちゃくちゃ弾速が早くなって威力が上がる」

「へぇー。じゃあ緑のはぁ?」

「緑のラインが入ってるのは風の魔術で空気抵抗を減らしたやつらしい。レールガンだとどうしても銃身が熱くなって連射できなくなったり、専用の弾丸じゃないと使えなかったりで色々と面倒があるから、威力は低くなるけど実用としては申し分ないレベルまで引き上げた、らしい」

「……色々考えてるんだねぇ」

「わかってないでしょ」

「さ、流石にわかってるよぉ! 私のこと馬鹿にしすぎじゃないかなぁ!?」

「ふーん。どうだか」


 幸聖も説明書に書かれていたことを()(つま)んで話しただけなので、その内容は詳しく理解していないが、ともあれ魔力による“強化”を施すことで、レールガン化したり、弾丸に風の魔術を付与したりと、元の兵装にこの世界の技術を加えたハイブリッド製の武器だ。

 向こうは想定もしていないだろうから、きっと訳の分からない攻撃に翻弄されているころだろう。


 ぎゃいぎゃいと、本当に監視しているのかと疑わしいくらいに騒ぎ立てている愛佳と摩耶を他所に、幸聖は大人しく視線を戻す。

 どうせあと十秒もしないうちに摩耶が「はいはい」と適当にあしらって終わるのだから、気にするだけ無駄というものだ。


「あれ、でも三種類あるんじゃなかった?」

「あっ、そうそう。一つだけ、形も違ったんだよねぇ」


 幸聖の想定通り、二人はすぐに言い合いを辞めた。

 かと思えば、また幸聖に話を振ってくる。

 尤も、簡単に答えられるものなので、監視をしながら答えることにした。


「ああ、あれは――」

「北より敵襲! 魔物の(かず)、十!!」


 幸聖が質問に答えようとした矢先、右側から大きな声での報告が聞こえた。

 それは、フレデリックの言っていた異常事態(イレギュラー)であり、しかしそのおかげで想定内となったものでもあった。


「丁度いいや。あの銃は遠距離の狙撃もできるけど、本来の使い方は援護射撃じゃなくて――」


 そう言って、幸聖は視線で方向を示す。

 それに釣られ、愛佳と摩耶が視線を転じると、先ほどの質問にあった一つだけ形の違う銃を握っている和田健斗(わだけんと)が立ち上がった。

 健斗は慣れない手際で銃を弄ると、カチャと小さな音を立てて分厚い銃身の半分以上が取れた。

 元々、他の二種に比べて小さな形であった銃はさらに縮み、狙撃銃(スナイパーライフル)と言うよりは自動小銃(アサルトライフル)と表現した方が正しい形に変貌した。


「近、中距離の射撃をメインにした、ボルトアクション式の銃だよ」


 幸聖の説明を現実にするかのように、健斗は立ち上がり、静かに狙いを定めて引き金を引いた。

 およそ、銃と言えばと言うような発砲音が鳴り響き、視線の先――数百メートルの位置にいる魔物の一匹を容赦なく血祭りにあげた。

 ボルトアクション式の名の通り、健斗はコッキングをして薬莢を排出し、再度スコープを覗く。


「つまり、綾乃くんはこうなることも想定していたと?」

「想定していたかどうかはわからないけど、でも狙撃銃みたいに取り回しの悪い銃だけじゃ困るだろうから念のため、とは書いてたね」

「でもあれだね。バババババッってたくさん撃てるやつじゃないんだね」


 こんな感じでさ、と両手を銃に形にして実演する愛佳に、幸聖は困ったような笑みを浮かべる。


「綾乃もそれにしたかったらしいんだけど、反動を制御しきれずに誤射――味方を撃ったら拙いだろうってことで、敢えてあの方式にしたんだって」

「なるほどねぇ」

「銃なんて使い慣れていないから、その方が安全で確実ね」


 幸聖の説明に愛佳も摩耶も納得を示す。

 それを確認し、魔物の襲来に気を取られて自分の持ち場のことを忘れていたことに気が付いた。

 先ほどまでは意識をちゃんと向けていたが、今は視線も意識も向けていない。

 北側から前線で戦う組合員たちの脅威を抜けてきた魔物が来たと言うことは、南や西からも来る可能性はある。

 最後に改めて北側へと視線を向けて、健斗がこちらの近距離戦闘を余儀なくされる位置までには処理しているのを確認する。


「ごめん。説明が長くなっちゃった。持ち場に――」


 戻ろう、と愛佳と摩耶の二人の方を振り向いた瞬間、愛佳を挟んで一番奥にいる摩耶の背後に、陽光を反射しキラリと光るものが振り上げられていた。

 それを認識した瞬間、無意識的に体が動き、腰に帯びた剣を抜刀し、抱きかかえる形で摩耶を凶刃から守った。

 剣がぶつかった時の金属音と火花を散らし、今もなお力を増していくそれに歯を食いしばりながら、未だ反応できていない愛佳の危機感を煽る。


「愛佳ッ! 援護ッ!!」


 幸聖の言葉を受けて愛佳はハッと気を取り直し、同じく腰に帯びた二つの短刀を抜刀して凶刃の持ち主へ襲い掛かる。

 愛佳の援護によってその凶刃は一度大きく跳び退き、木々の近くで着地した。

 丁度陰になっていてわからなかったが、跳び退いたことで陽光が差す地点に着地し、その顔がはっきりと見えた。


「あんた……魔人だな」


 魔人だと断定できたのに、詳しい理由はない。

 何なら、顔が見えていようが見えてなかろうが関係なかった。

 摩耶を攻撃したという事実と、葵から聞いていた“人間ではないとわかる感覚”が、幸聖にそう断言させた。


「違います! 俺は魔人などではない! 地球から来た学生だ!」

「……嘘だな」


 召喚者と同じ境遇の人間が、魔王軍にいるという話は聞いていた。

 事実上の捕虜として拘束されている男を見たし、その男が教えている生徒たちも後から姿を見せるだろうという話も聞いていた。

 だから可能性として、そういう人がいることも考慮しようという話にはなっていた。


 だけど、目の前にいる男は明らかに、人間ではない。

 具体的に言えば、今まで接してきたこの世界の人たちから感じてきた魔力と、目の前の男から感じる魔力は全く別物だ。

 これが葵の言っていた“人間ではないとわかる感覚”なのだろう。

 それに何より――


「嘘などでは――!」

「――いいや嘘だね。あの人は海外の女子高に勤めていたと言っていた。女子高の生徒なら、男であるはずがない」

「……はぁ。そこまでバレてるのか。全く、これだから人間は使えない」


 幸聖に嘘を見抜かれ諦めたのか、目の前の男は大袈裟に首を振った。

 その言い草に思うところはありながらも、抱えていた摩耶を隣へそっと下ろす。


「大丈夫? 怪我はない?」

「う、うん。ありがとう」


 手早く摩耶の状態を確認し、問題がないと判断して魔人へと向き直る。

 捉え方によっては油断ともとれるその行動の間、余裕を見せつけるように欠伸をしながら隙だらけの立ち姿でいる魔人に、少しだけ警戒を強める。


「お。終わったか?」

「……ああ。で、どうするんだ? ここに来た以上、何もせずに帰るなんてことはないだろう?」

「勿論。貴様らの一人くらいは持っていくつもりだ」


 手にもつナイフを器用に回しながら、軽薄そうな笑いを浮かべつつ言った。

 その言葉は直接的な言い回しではないが、だからこそ、こちらの警戒心を煽るものとなった。


「良いのか? お前は一人、俺たちは三人。それに援護もある。逃げるなら今だぞ?」

「ふはっ。勝てる立ち位置にいるやつの言い分じゃあねぇな? ――お前も、人を殺せない(たち)か?」


 ナイフの腹を首筋にトントンと当てながら、目の前の魔人は幸聖を嘲笑った。

 その言動が幸聖の全てを見透かしているようで、気味が悪かった。


「それにな。あんたらの援護とやらは来ない」

「……なんで――」


 魔人の言葉に疑問を返そうとしたとき、遠くの方で金属がぶつかる音が聞こえた。

 それに驚き、そちらへ視線を向けてみれば、遠くの方で誰かと斬り合っている召喚者の姿が見えた。

 その光景を見た瞬間、魔人の言葉を理解し、同時に戦慄した。

 こんな敵地の奥まで誰にもバレずに侵入してきたという事実が、この魔人たちの能力の高さを裏付けている。


 そんな相手と戦って勝てるのかという迷いが、ほんの僅かだが心に生じる。

 その間隙を、魔人は見逃さない。


「――ッ!」


 一瞬で開いていた距離を詰め、幸聖の喉元へナイフを突きつける。

 しかしそれはあと数センチのところで静止した。

 ナイフを握っている右手の手首を、愛佳ががっちり掴んでいる。

 よもや手首が折れるのではないかと思わせられるくらいの力で握られ、少しだけ苦々しい表情になっている。


「よく反応したな」

「幸聖に手は出させないよ!」


 その言葉を現実にするかのように、愛佳は手首を起点に蹴りを放った。

 鋭い風切り音を鳴らして振り抜かれた蹴りは、強引に体を捻ったことで躱される。

 その際に手首も一緒に捻り、片足になっていた愛佳のバランスが崩される。

 握られていた手首を引き剥がし、瞬く間に逆手に持ち替えたナイフで倒れかけている愛佳へ突き立てるように振りかぶった。


「させない!」


 その斬撃を防ぐようにして、摩耶の魔術が放たれる。

 鋭い氷の塊がプロ野球選手の投球速度と遜色ないレベルで放たれる。

 三メートルもない距離で放たれたそれを魔人は易々と躱し、再び距離を取るようにして下がった。


「流石に複数相手はきついな」


 再びナイフを順手に持ち替え、魔人はボヤく。

 しかし悲観した言葉ではないというのは、表情と声音が証明していた。

 事実として飲み込み、活かそうという前向きの姿勢が感じ取れる。

 それがここまで恐怖に感じたことなど、たかが高校生に過ぎなかった幸聖にはあるはずもなかった。

 そんな未知に対し、知らぬ間に恐怖を抱き、気が付けば手が震えていた。

 武者震いなんて勇ましいものではない。

 ただ怖くて、幽霊やお化けに怯える子供のように震えているだけだ。


「愛、行ける?」

「もちろん!」


 そんな幸聖に背を向けて、愛佳と摩耶は魔人に向けて構えた。

 男である幸聖が震え、怯えているその真正面で、幼馴染の女子二人が勇敢にも立ち向かおうとしている。

 その事実に自分が情けなくなり、しかし同時に、魔人が放つプレッシャーとでも言うべき威圧感に気圧され、やはりただ震えていることしかできない。

 それが悔しくて歯を食いしばり俯いた。


「――え」


 俯いた視界の端の方に、摩耶の持つ魔法使い然とした長杖の柄が見えた。

 そしてそれが、小刻みに震えているのも。

 思わず顔を上げ、幸聖に背を向けている摩耶を見つめた。

 表情はわからないが、それでも体が僅かに震えているのはわかる。

 隣に立つ愛佳も、構えこそ訓練通り隙の無い構えだが、幸聖の目に映る横頬は少しだけ強張っているように見えた。


 その事実に、幸聖は二人も一緒なのだということを理解した。

 勇気があるから、勇敢だから立ち向かえるのではなく、強い覚悟があるからこそ、このプレッシャーの中でも立ち向かえるのだと理解した。

 そんな中で何もできず、守りたいと思っていた幼馴染に守られるだけ自分を、ヒーローに憧れていたころの自分が見たらどう思うだろうか。


「……決まってるよな」


 小さく呟き、幸聖は真っ直ぐ――摩耶と愛佳の先にいる魔人へと視線を向ける。

 そして摩耶の左隣まで歩き、手に握っていた名もなき剣を握り締める。


「ごめん。待たせた」


 幸聖が立ち直り、摩耶の横に立ったことに驚いたような表情を見せる二人に、短く謝罪する。

 言葉だけの、視線も、態度も向けていないお粗末なものだが、そこに乗せた言葉は本物だ。


「――大丈夫!」

「うん。それで?」


 そんな幸聖の謝罪に、愛佳はいつものように元気に頷き、摩耶もそれに同調するような、優しい声音で頷いた。

 そして、主語もなく質問を投げてくる。

 普通、こんな大事な場面で主語を飛ばして会話をするなんてのは言語道断だ。

 意思の疎通を間違った際に、大きなミスとなってこちらに返ってくるのだから。

 尤も、それが何を意味しているかなんて、幸聖たちの間柄ならわざわざ言わずともわかる。


「訓練通りやろう」

「「わかった!」」


 幸聖の言葉に、二人が同じ返事をした。

 その返事だけで、幸聖の心に余裕が生まれるのを感じる。

 油断ではない、心地の良い余裕だ。


 ほんの、十数秒程度しかないこの間に、幸聖たちの持つ雰囲気がガラッと変わった。

 怯え、恐怖し立ち止まったものと、恐怖に苛まれながらも、果敢に立ち向かおうとしたもの。

 それらが分かれていたままなら、対処もしやすかっただろう。

 しかし、バラバラだった三人は(まと)まった。

 纏まって一つになった。

 それがどれだけの脅威となるのか、魔人は知っている。


「序列外、ニコラス・キール」


 だから、名を名乗った。

 深い意味はない。

 そんな礼儀が人間にないことも知った上で、ただ自分を奮い立たせるための動作(ルーティン)として行ったものだ。


 静寂が訪れる。

 遠くで鳴っていた金属音も、今だけは聞こえない。

 風が(ささや)き、葉を揺らす音さえ、どこかに置き去ってきた。


「――シッ!」


 最初に動いたのは魔人――ニコラスだった。

 今までの動きが手を抜いていたのだとわかるくらいの瞬足で、文字通り瞬く間に眼前へと迫っている。

 いつの間にか両手に握っている二つのナイフを器用に愛佳と摩耶の二人の急所へ向けていた。


「チッ!」

「はああああああッッッ!!」


 それを“鬼闘法”の使用で引き上げた動体視力と反射神経で捉えていた幸聖が妨害する。

 長剣を斬り上げて、軽い金属音を響かせながら両手のナイフを上へ弾こうとする。

 軌道をずらし、ナイフを標的(ふたり)から外したが、手から剥がすことはできなかった。

 しかしダメージ無しで今の見えていた奇襲を乗り越えられたのは大きい。


 愛佳と摩耶も遅れて状況を理解し、摩耶は大きく跳び退いた。

 それを守るようにして、愛佳がニコラスに視線を固定したまま追従する。

 その間、幸聖がニコラスへと責め立てる。


 “鬼闘法”によって引き上げられた身体能力と、気持ちを入れ替えてから鍛え続けた剣術で、リーチの短いニコラスへと斬りつける。

 ニコラスは技術力でどうにか幸聖の剣を捌いているが、リーチの差もあり自ら攻めることはできない。

 また“鬼闘法”によって引き上げられた身体能力に今のニコラスでは太刀打ちできないこともあり、やはり防戦一方になっている。


 その現状を正しく理解し、冷静に戦況を俯瞰しながら戦う。

 致命的なミスは犯さない程度に無茶をしつつ、リーチの長さを活かして攻め立てる。

 ラティーフのように動きを先読みするだけの経験値はないが、それを補うだけの反応速度でごり押しする。


 想像以上の能力を持っていた幸聖に対してか、あるいは想像通りにいかなかった現状に対してかはわからないが、苦々しい表情を浮かべるニコラスへ、間髪入れずにとにかく斬りかかる。

 大振りにならないように、しかし威力は乗せたまま、体重移動と体の捻りによる僅かな動作で威力を引き上げる。

 教わった全てを利用し、未知の相手と対等に立ち回る。

 幸聖という存在を押し付けて、その意識に幸聖以外の何者も入れないような領域を作り出す。


「はああああッッ!!!」


 気合を込めて振り抜いた一閃が、ようやくニコラスの防御を抜けた。

 浅くだが頬に一筋の切り傷が刻まれ、そこから人体に流れる赤い液体がツーっと垂れてくる。

 今までも苦々しい表情をしていたが、それがより鮮明にニコラスの顔に刻まれる。

 憎たらしげな視線が幸聖を捉え、歯を食いしばる様が見て取れた。



 思い通りの構造が作れた。




 幸聖だけに意識が向いたその瞬間に、背後に回っていた愛佳が、握った拳を引き絞る。

 それにいち早く気が付き、対処しようとしたニコラスへ、幸聖が妨害の一刀を放つ。

 だがそれを視線すら向けていないナイフで逸らされ、幸聖はバランスを崩す。


 ここにきて盛大なミスを犯してしまったと後悔し、追撃に備えようと慌てて体勢を戻そうとして、ニコラスの視線と意識が完全に愛佳へと移っていることを確認した。

 あの一瞬で振り向き、今にも拳を放とうとしている愛佳へともう片方のナイフを振り下ろす。

 いくらナイフのリーチが短いとはいえ、得物があるだけ拳のみの愛佳よりはリーチが長い。

 それに、ニコラスの方が身長が高いため、素のリーチですらニコラスの方が長い。


 幸聖にだけ向けていた意識を逸らしてしまったことへの後悔と、今の幸聖の体勢ではどうやっても援護に間に合わないことを理解し、しかし焦らない。

 幸聖は――幸聖たちは、二人で戦っているわけではないのだから。


 その考えを肯定するかのように、振り向き踏み込んだニコラスの足元が泥濘(ぬかるみ)、お手本のような足の滑らせ方を見せた。

 ツルっと滑り、腕に蓄えていた力も分散して、明後日の方向へ視線が向く。

 その瞬間を待っていたかのように、愛佳の拳がニコラスのお腹を捉える。

 ドコンッとおよそ人体から発せられたとは思えない鈍い音が鳴り、次の瞬間には十メートルは離れた木へと叩きつけられていた。


 その衝撃で枝葉が揺れ、衝撃に耐えきれなかった葉がハラハラと落ちてくる。

 それと同時に、叩きつけられた衝撃で木に張り付けられていたニコラスも落ちてくる。

 多少の痛みを伴う落下に何の反応も示せないほど瀕死に追い込まれているのが、幸聖たちにも見て取れた。


 しかし油断はしない。

 人を殺す覚悟ができなかった以上、追撃はできない。

 だがもし今のが演技だった場合、逆にこちらが不利に追い込まれかねない。

 だから、倒れたニコラスを遠くから傍観するしかない。


「――流石に、近づいては来ないか」


 よろよろと、明らかに弱っているのがわかるくらいに瀕死になりながら、ニコラスは木を背にしながら立ち上がる。

 その声にも先ほどまでの覇気はなく、動きすら鈍っているのがわかる。

 詰めれば、今の幸聖たちでも苦しくなく殺せるだろう。


「……やはり、お前たちは殺せないんだな」


 まるで知っていたかのようにニコラスは語る。

 しかし、その言葉は事実であるがゆえに、何も言い返せない。

 肩に手を当てて、大きく深呼吸をするニコラスを、ただ傍観しているしかない。


「ではその甘さに甘えるとして、ここは引かせてもらうよ」


 満身創痍のまま天を仰ぎ、ニコラスはそう呟いて大きく息を吐いて目を瞑る。

 すると、ニコラスの体がボロボロと黒い灰になって崩れていき、風に吹かれ消えていく砂のように、空へと溶けていった。


 その異様な現象を目の当たりにし、驚きで言葉も出ない幸聖たちは、しばらく何かの罠ではないかと警戒した。

 一分ほど警戒を続けていたが、罠の心配はないだろうと確証はないがそう考えて、警戒を解いた。


「よし、二人はここでまた監視を続けてて。俺は他の人たちの様子を確認してくるから」

「わかった!」

「気を付けて」

「うん。二人もね」


 愛佳と摩耶にこの場を任せ、状況確認の為に、先ほど戦闘が起こっていた場所へと急行した。




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