【動き出すもう一つの勢力】
心地のよい太陽の日差しが降り注ぐ広い草原で、一青年とも少年とも言える年齢の男が“のんびり”を体現するかのように横たわっていた。
日向ぼっこを楽しんでいる幼稚園児のように、警戒も何もなく、戦ぐ草花とともに気持ちよさそうに目を瞑っている。
「あっ、ここにいた! 探しましたよもう!」
そんな男の元へ、肩ほどまで伸びた美しいプラチナブロンドの髪と呼吸を少しだけ乱した一人の少女が駆けてくる。
冒険者然とした格好に身を包み、脇には大きめの辞書と見紛うほどの大きな本を抱えている。
男の視線の先にあるような広い空を似たような蒼い瞳で、男のことを睨むように見据えている。
しかしその睨みは、少女の持つ特有の可愛らしい雰囲気によって中和されてしまっている。
「そんなに慌ててどうしたの、パティ? ……せっかく伸び始めた髪が乱れてるよ?」
「えっ、あっ、ほんとだ……じゃなくて! 用事があって探してたんです!」
茶化さないでください! と可愛らしく怒るパティ――パトリシアのそれは、こちらに全く伝わってこない。
パトリシアは至って真面目に責務を果たそうとしているのに、持ち前の天然と可愛らしさからほとんどの場合において空回りする。
結果はいつも悪くない方に転ぶのだが、パトリシアとしては目標である女性に近づくために、もっとスマートに事を運びたい、とたびたび愚痴を零し、その度に憧れの女性に慰められている。
「ごめんごめん。それで、用事って?」
「あっ、そうでした! アヤさんより連絡です!」
パトリシアは脇に抱えた本を付箋を頼りに開いて男の前に差し出す。
その行動と返事の内容から彼女の目的を全て悟り、男は本を受け取る。
「――もーし? もしもーし」
「聞こえているよ」
「よかった。お疲れ様です、フレッド様」
「様は止めてくれと言っているだろう、アヤ。それで、本を使ってまでの連絡ってことは一刻を争う用事だね?」
「その通りです」
人間の世界において、まだ各国の長同士の連絡にしか使われていない遠距離通信を使っての連絡なのだから、それを知ってさえいれば誰でも同じことを考えるだろう。
まだ一般に普及できていないため、可能な限り秘匿しておくに越したことはないのだから。
「まず最初に、魔王軍が動いたそうです」
「……そうか」
アヤの報告を受け、少しだけ間を開けて返事してしまった。
異世界から人を召喚すると言う暴挙を行おうとした会議では、第十次人魔大戦まであと数年――少なくとも五年から十年はあるだろうと予測されていた。
今までよりも魔王討伐から誕生までのスパンが短くなり、それを考慮した上での計算だと聞いていたが、あの会議からまだ二年と経っていない。
その読み間違えは、こちらの予測不足か、あるいは魔人側に何かしらの策があるか。
原因はわからないにしろ、やるべきことは決まっている。
「では我々も動こう。まだ目的は完遂できていないが、その前に終わってしまっては困るからね」
「わかりました。動かす人員は?」
「そうだな……とりあえず子供たちと君たちは当人の意思に任せる。参加の意思があるものは必ずスリーマンセルを崩さないように。勝てないと思ったら即撤退し、安全を確保出来次第俺たちに連絡をしろと伝えて」
「フレッド様と奥様は?」
「参加するよ。一般参加は認められているし、それなら細かな部分で軍に指示されないで済むからね。だけど、指揮は取らない。今正体がバレるのは避けたいから、俺たちは俺たちで動く。だから、助けに行ける可能性は低い。さっき言ったことを守るように厳命して」
「わかりました」
フレッドからの支持を受け、それを手早く伝達しているのが本を挟んでいてもわかる。
アヤがいなければフレッドたちの組織は破綻していると言っても過言ではないから、その仕事ぶりには本当に感服しかない。
「それで、まだ報告があるんでしょ?」
「……はい。こちらは先ほどのものより急を要するものでもないのですが……」
妙に歯切れの悪いアヤに少しだけ疑問を抱きながら、少しだけその先を推測しつつ言葉の続きを待つ。
「例の依頼絡みの組合員が近くまで来ているとの報告を多数受けています。その中に女性はいないようなのですぐに見つかるとは思えませんが……」
「なるほどね。でも心配しなくても大丈夫だよ。おそらくその冒険者たちは手を引くだろうから」
「……なぜか聞いても?」
アヤの質問に、フレッドは勿論だとも、と気前よく返事をする。
「と言っても簡単な理由だ。大戦が始まるのに他所の国へ人探しに行くような高い階級の組合員はいない。そんなことをしている間に人間側が敗北すれば、その組合員は褒賞も払われない依頼を受けてしまったことになるからね。戦闘能力の低い階級の者であれば話は別だろうが、そういう組合員は他国へも行く必要のあるあの依頼を受けはしないし、魔物のことも考えればそもそも受けられない。だから、もうしばらくして魔王軍のことが知れれば、その組合員は手を引くだろう」
「なるほど……その通りですね」
「ま、明かしてしまえばただ当然のことなんだけどね。そういうわけだから、その心配はしなくていい。それより、魔王軍の方を優先してくれ」
「畏まりました。では、失礼します」
アヤがそう言うと、本は淡く放っていた光を失わせた。
それを確認して、フレッドはパトリシアへと本を返す。
「ありがとう、パティ。助かったよ」
「いえ、これが私の仕事ですので! ……それであの、一つ質問よろしいですか?」
「ん? なんだい?」
パトリシアはフレッドから受け取った本を両手で抱きかかえながら、恐る恐ると言った様子で質問を投げた。
怯えているわけではないのだろうが、身長の低さと持ち前の可愛らしさから、怯える小動物のように見えてしまう。
「依頼の件について、手を打たなくていい理由を仰っていましたが、他にも何か理由があるのではないでしょうか?」
「――いや、無いよ。どうしてそう思ったの?」
「いえ、特にこれといった理由はないのですが……」
「なんとなくそう思ったってことね」
はい、と少し申し訳なさそうに俯くパトリシアを見て、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
それを誤魔化すために、ちょうど撫でやすい位置にある頭を優しく撫でる。
「そんなことで申し訳ないと思う必要はないよ。たとえ間違っていたとしても、そういう直感は大事にしていくんだよ? それが命の危機を回避することに繋がるかもしれないからね」
「……はいっ」
フレッドの励ましを真っ直ぐ受け取って、パトリシアは元気の良い返事をした。
勢いよく頭を下げてフレッドの言葉に感謝をすると、来た道を走って帰っていった。
その様子を眺めつつ、フレッドは大きく伸びをして、ふぅと小さく溜息をつく。
「――パトリシアの前で嘘を吐くのは大変だな」
誰に言うでもなく、空を見上げて独り言ちる。
さっきもパトリシアに言ったことだが、彼女の直感は異常なほどに優れている。
数多の戦闘を乗り越えてきたベテランの中には同じような直感を持っている人間も多数いるだろうが、少なくともパトリシアはフレッドの組織に入る前までは至って普通の村娘だったのだ。
おそらくは経験からくる直感ではなく、天性の――恩寵のようなものなのだろう。
それゆえに、誤魔化したいことや嘘をつきたいときは困る。
尤も、パトリシアの場合は天然が邪魔をしてしまう場合が多々あるし、今の場面においてもこちらを信じてくれているからこそ、深く考えずに引いてくれた。
それに感謝しつつ、天に向けていた死線を元に戻す。
「……いつかちゃんと、話すから」
弁明でもするように呟いて、フレッドはパトリシアの後を追うようにして歩き出した。