第十三話 【爪痕】
エアハルトの瞳に映る瞳孔と同じ色の円環は、葵にとっては悪の象徴のようなものだ。
何せその円環は、ラディナたちを連れ去った魔人たちが瞳に宿していたものと同じもの。
つまり――
「――魔眼」
「そんな……だって、あれは……」
ソフィアの動揺が思考と言葉を通じて伝わってくる。
だからこそ、今のエアハルトの身に起こっている現象を前にして、こんなにも動揺している。
その動揺が思考を通じて直接伝わってくるため、葵までもがその動揺に食われそうになる。
あの時、魔人たちが魔眼を使って何をしたのかははっきりとはわからない。
ナディアから聞いた限りでは、魔眼というのは魔紋や鬼人族のツノと同じ魔石の代わりになるものであり、それとは別に恩寵のような力を持っていると言っていた。
そもそも、魔眼を持つものが魔人なのか、魔人が魔眼を持つのかがわからない。
前者ならばエアハルトは魔人になったと言うことだし、後者ならばエアハルトに魔眼が与えられただけでスペック的な面はそこまで変わらない。
理解できない現状が重なり、不安とソフィアの動揺も相まって頭がパンクしそうになる。
だから両手で頬を叩き、意識のリセットを図る。
「何のための“鬼闘法”だ。何のための魔術陣だ」
言葉に出して、自分に言い聞かせる。
何の為にこの一か月を過ごしてきた。
何の為に様々な技術を身に着けた。
何の為に、ここにいる。
「そんなもん、決まってるよな」
呆れたように笑って、一つ深呼吸をする。
そして左半身を前にし、腰を落として、視線はエアハルトへ固定したまま『無銘』の切っ先を後方へ向ける。
未だ組織員たちはエアハルトの変化についていけていない。
理解不能と表情が物語っているのが、何よりの証拠だ。
だから、エアハルトにのみ全神経を集中させる。
「ソフィアさん。今から俺は、あなたへ意識を向けられなくなります。ここまで付き合わせておいて身勝手だとは思いますが、自分のことは自分でお願いします」
「……はい。ラディナの為にも、どうかお気をつけて」
皮肉の利いたいい激励だな、と内心で笑う。
だが、その笑いも一瞬。
意識は既に、エアハルトへと向けている。
もう二度と、大事なものを失わないために。
あの日の後悔を払拭するために。
ここで勝つことでそれを自らに証明する。
その為の、この戦いだ。
「お前は俺とそっくりだな」
「一緒にするな。俺はお前みたいな犯罪を犯すような人間じゃない」
戦闘の火蓋が切って落とされる前に、エアハルトが語り掛けてきた。
その内容は著しい侮辱に聞こえ、それに口頭で反論だけして頭では冷静を保っておく。
葵の返事にエアハルトは少しだけ寂しそうな顔をしたが、それもすぐに引っ込んだ。
一瞬の静寂ののち、対峙する両名の姿が消えた。
そう錯覚するほどの速度で斬り合う。
今まで周囲の組織員に向けていた分の“魔力感知”をエアハルトにのみ絞り、余剰分は全て“鬼闘法”に注ぎ込んだ、葵が出せる最大威力で最高速度の戦闘。
それについてこられた時点で、エアハルトがすでに人間を辞めているのは理解した。
瞳に宿る光の円環が飾りではないと言うことの証明だ。
葵にはもう切り札と呼べるものはないが、エアハルトにはまだ魔眼がある。
覚醒させたばかりの力を簡単に扱えるとは思わないが、時間を掛ければ扱える可能性は高まる。
それに、大気中の魔素を利用する“鬼闘法”は、時間をかければかけるほど不利になる。
“魔力操作”に長け、魔力へと転換したときの割合とその後のロスは少ないが、他人よりも圧倒的に少ないだけであってゼロなわけではない。
時間をかけるメリットと言えば、葵の偵察が失敗したときのための援軍が来る可能性が高くなることくらいだが、魔人と化したエアハルトの相手としては不十分だ。
つまり、葵が殺さねばならない。
一瞬のミスが命取りとなる戦闘の合間に、自身へ圧をかける。
もっと深く集中しろ。
大海に負けないほどに広く。
深海すらも飲み込めるほどに深く。
指抜きグローブの上からでもわかるくらいに魔紋が光り輝き、右手の甲が熱を持つ。
“魔力感知”で認識した行動から鍛えてきた思考による推測でエアハルトの動きを先読みし、“鬼闘法”による身体能力の強化と反応速度でギリギリ勝てている。
葵がこれまで培ってきた体術と、ナディアから習い続けている刀がなければ、既に敗北していた。
ついさっきまで、エアハルトに勝ち目はなかった。
全神経を集中させていない葵にすら負けていた相手が、たった一つの要因で追い縋ってくるなんて、だれが想像できるだろうか。
今までの努力が馬鹿らしくなる成長速度に苛立ちを覚える暇すらない。
一瞬の乱れが命を落とすきっかけになる戦闘。
曲刀の精度が斬り合うごとに増していくのを体感する。
エアハルトの顔に張り付いた憎たらしいほどの笑みが、その事実をより確かなものへと昇華する。
このまま拮抗した戦いが続けば、いずれは葵の敗北は免れない。
だと言うのに、不思議と頭の中はクリアだった。
これ程の速度の激戦の中で、表情までしっかりと認識できているのがその証明だろう。
パキィンと甲高い音を立てて、エアハルトの右手に握られていた曲刀が折れた。
偶然折れたのではない。
エアハルトとの戦闘が始まってから地道に狙い続けた結果が、今になってようやく形となって現れたのだ。
その絶好のチャンスを見逃さない。
風刃を纏わせ裂傷を強化した『無銘』で斬り込む。
得物の数というアドバンテージを失ったエアハルトはそれを防御しきれず、腕の両断とまではいかずとも、まともに右腕を使うことはできないくらいの深い傷を負った。
追撃を恐れたのか、エアハルトは大きく跳び退く。
いってえと呟きながら傷口を抑えて、少しでも出血を抑えようとしている。
「――召喚者ってのはバケモンかよ……これでもまだ届かねえとは」
受けたダメージと現在の状況とは釣り合いの取れない笑みを浮かべながら、そう独り言ちる。
第三者が見ても、現在優位にあるのは葵であり、エアハルトは追い詰められ、余裕がなくなっていてもおかしくない。
だと言うのにそんな表情ができると言うことは、まだ負けるビジョンが見えていないと言うことに他ならない。
「お前はそんなになってまでどうして王女を狙う? お前たちみたいな少し大きめなだけの組織が王族に手を出せば確実に潰されるのは俺でも理解できるぞ」
油断なくエアハルトの一挙手一投足を監視しつつ口を開く。
まだ諦めていないエアハルトの執着の由来が純粋に気になった。
答える気がないのならそれでいい、ともはや独り言のように呟いたその発言は、傷口を抑えたままのエアハルトにしっかりと届いた。
「言ってなかったか? 金が要るんだよ。それも馬鹿みたいな額がな。王女様にはその糧になってもらおうと思ってな」
「いや無理だろ。王女を攫った時点でお前たちはもう立派な犯罪者だ。今まで通りちまちまと国に目をつけられない程度に悪戯してりゃ、こんな騒ぎにはならんかったのにな」
「へえ……お前、俺たちのことしってんのか」
「ああ。正確には、俺がここを見つけるまでに探ってもらったって言った方が正しいけどな。この数日でお前たちのことを調べ上げられるくらいには、それだけソフィアが大切に思われてるってことだよ」
「なるほどなるほど。だから俺にもう未来はない、と」
「お前たちに未来はない、のほうが正しいな」
「おっかねえなあ」
魔人特有の再生能力か、傷口からの出血が止まったエアハルトは、しかしまだ自由にはならない右腕も使って大袈裟な身振りで葵の言葉に怯える素振りを見せる。
尤も、口調は動きと全く釣り合っていない。
「まあでもそこは問題ないさ。俺が売りつけるのは王国ではなく帝国だからな」
「帝国? ああ、ソフィアのお姉ちゃんか」
「その通り。あの国には王国の第二王女を放っておけない事情がある。だけど、あの国に自軍の戦力をすり減らしてまで俺たちと戦う必要はない。だから王国に嗅ぎつけられる前にここを出ようと思ってたんだが、思いのほかお前の到着が早くてな。でもまさか、王女様の身分を知ってる学院生がいるとは思ってなくてこの通りだ」
「それは残念だったな」
心底残念そうに言うが、やはりその口調には緊張の欠片もない。
まるで何かの機を窺っているかのような、そんな不気味さも覚える。
それに、このまま時間を浪費していても、どうせ右腕の治療を完了させてしまうだけだ。
最後に一つ、気になったことだけ聞いて、この激戦の合間にできた緩やかな時間を終わらせることにする。
「最後に一つだけいいか?」
「なんでもどうぞ?」
左腕で譲るような素振りを見せて、葵の疑問の続きを促す。
それに甘えて、今の会話で気になった確信へと迫る。
「お前が、自分や自分の仲間までも危険に晒して金を欲する理由は何だ? 何がお前をそこまで駆り立てる?」
「……聞きたいのはそんなことか?」
もっとあるんじゃないのか、とでも言いたげなうざったらしい表情をしているエアハルトに、真剣の眼差しで答える。
冗談に取り合わなかった葵に落胆し、溜息をつく。
「簡単だよ。俺は平和な場所が作りたい」
「平和な場所?」
「そう。平和な場所だ。帝国の貧民街みたいに、大多数の人間の人生が詰んでいる場所を救いたいんだ。あのクソみたいな国をぶち壊し俺が頂点に立って、そんであそこにいるみんなを救いたい。金があれば実力以外の全てが手に入る」
「それが金を欲する理由……なのか?」
「無理だと思ってるか? 残念ながら、あの国は実力至上主義だ。俺が現人類において最強と言われる帝王に実力で勝れば、あの国は名実ともに俺のものだ。そうなりゃ国をどう変えようが俺の自由だからな。限りなく難しいだけであってできないことはないんだよ」
エアハルトの言っていることは理解できる。
確かにあの国は現皇帝を公式の場で倒せば、皇帝の位を受け告げる。
現在の皇帝も、前皇帝を十九歳という若さで倒し、その位を受け継いだ。
この場合は父親と息子の対決だったが、前皇帝とその前の皇帝に血縁関係はない。
前例が何度もある以上、エアハルトのやってのけようとしていることに不可能はないだろう。
それに、もしこれが国を賭けた戦争にまで発展するのなら、戦力を集め、帝国軍を打ち負かすほどの猛者で組織を作ればいけないこともないだろう。
その為にお金が必要だと言うのなら、手段に些か問題があるとは思うが、それ以外の点では何も問題はない。
「……帝国の長になって帝国のシステムそのものを壊すのに、帝国の力を借りるのか?」
だけど、葵が言いたいことはそこではない。
エアハルトは帝国にソフィアを売りつけ、金にすると言った。
なぜ金にするのかと言えば、最終的には帝国を打倒するためだと。
だからこそ、エアハルトの心情としてその手段を取るのは有りなのか、というところが気になった。
敵の金銭的な戦力を奪うと言う意味では、いい作戦だと言える。
帝国からすれば、それを断れば王国との関係にヒビが入りかねない提案だし、何より嫁いだ第一王女の妹であるのだから、断るという手段がそもそも取れないのだから。
だが、エアハルトの言い分を聞いている限り、そうは聞こえなかった。
帝国を打倒するための金を集めたいと言っていたはずだ。
その金で武装を整えるのか、あるいは帝国に不満を持つ者たちを買収して、戦力とするのかはわからないが、ともあれ根本は金を集め、帝国を乗っ取るのが目的であることに変わりはない。
だからこそ沸いた疑問。
「――え?」
そんな疑問にエアハルトは呆然として、辛うじてそう呟いた。
葵の言い分に対して浅はかだと笑うわけでもなく、あるいは目聡いなと感心するでもなく、呆けるようにして口を唖然としている。
「いや、だって。は? なんで、俺……」
その反応は、言われるまで気が付かなかったというよりも、言われて再認識した、というような“不自然”を具現化したようなものだった。
左手で自身の頭を押さえ、自身へ問いを投げては答えを出せずに同じことを繰り返す。
何度も何度も同じことを繰り返すその様は、傍から見ても異常だとわかる。
「俺は、そうだ。帝国を俺のものに……だからこんなことまでして――いや」
頭の中の何かに抗うようにして、もはや目の前の葵にすら目がいかないくらいの動揺を見せる。
頭を振って、必死に何かを払おうとしているその様は、寄生虫に頭を乗っ取られ体の自由を奪われ操られている虫のように歪で、違和感の塊だ。
「これは、俺の意思なのか――?」
何かに確信したようにエアハルトが呟いた。
刹那、その場で未だ警戒を解いていなかった葵にしか気づけないような、繊細かつ緻密な魔力が流れた。
ほんの一瞬でそんな繊細な魔力を放てるなんて想像だにしていなかった葵は、それを放ったエアハルトへと最高レベルまでに警戒を高める。
「ア、ッグアアアアアアアアアアッッ!!!!!」
直後、耳を劈くようなな悲鳴を上げ、エアハルトがその場でのたうち回る。
原因がわからず、しかしそれは葵を騙す戦闘中のブラフの域を超えている。
その事実が余計に葵を混乱させ、どういう状況なのかという判断を鈍らせる。
そんな迷いが頭の中を巡っている間も、エアハルトは苦痛の咆哮を上げ続け、それを少しでも和らげようという本能が頭へと手を添えさせている。
絶叫前の動作とそれから察するに絶叫の原因はおそらく頭にあるのだろうが、どんなものかという見当が全くと言って良いほどにつかない。
強いて言うならば魔人化の影響なのかもしれないが、それと頭痛に何の関係があるのかわからない。
「――いや、むしろそれしかない……?」
ナディアは魔人の発生元を教えてくれた。
曰く元は全員が人間で、魔物の肉や、魔物に関わりのあるものを体内に多量に取り込んだ結果、魔物の性質を持つ肉体へと変化したものが魔人だと。
魔人と化した全員が人間の上位互換のようになったが、しかし代償も大きく、まず肉体の急な変化により体が付いていけず、長生きができない。
そもそも体が変化に耐えきれず、四肢が爆散したり、あるいは体のどこかに異常が出て魔人になる前に死ぬ、などの要因がある。
エアハルトの身に起こっているのがもしこの影響に因るものならば、エアハルトはもう助からない。
しかしエアハルトがあの筒の中身を取り込んでからほんの僅かではあるが時間が経過している。
体が耐えきれないと言うのならもっと早めにその影響が出ていてもおかしくないし、何より魔眼を手にしていると言うことから、魔人化には成功していると言えるだろう。
ならばそれ以外の原因があるのかもしれない。
とはいえ、それ以外の原因など見当もつかない。
「――ハルトッ!」
葵が悩んでいる間に、組織員の中から一人の女性が飛び出した。
エアハルトとあまり変わらなそうな年齢の、勝気な雰囲気を持つ女性だ。
そんな女性はエアハルトのことを呼び、円盤の糸で肌が傷つくのも躊躇わずに駆け足で傍へと近づく。
絶叫しながら地面を転がりまわっていたエアハルトは、その女性の叫びを聞いて絶叫を意地で抑え、そちらを向いた。
「あぁ、ディアか……すまんな」
「大丈夫、大丈夫だよ。すぐに治る――」
ディアと呼ばれた女性は、葵が傷を付け未だに動かせない右手を握り、優しく呟いた。
そんなディアの言葉を、頭を押さえていた左手で撫でることで、エアハルトはディアの言葉を遮った。
「――ごめん。俺が未熟なばっかりに利用された……」
「何を言ってるの……? そんな、終わるみたいな言い方――」
「――俺はもう生きられない。だから俺が言葉の通じない化け物になる前に、約束通り、俺を殺してくれ」
「そんな……」
エアハルトの諦めたような表情と声音で、ディアは絶望を表情に宿す。
周りの組織員の数名は今の言葉の内容を理解しているのか、ディアと同じようなあり得ないことを目の当たりにしたような表情になっている。
しかし葵を含む大半の人間が、今の言葉の内容を理解できていない。
「ちょっと待て。殺すも死ぬのも好きにしろ。だけどせめて、事情は説明しろ」
「あんたっ――」
葵の言い草にディアが立ち上がろうとするが、エアハルトがそれを手で牽制する。
アイコンタクトでやり取りしたのち、ディアに代わってエアハルトが葵に視線を向ける。
「ハッ。言い方ってもんがあるだろうよ……まあいい。全部簡単に説明する。足りない部分は想像で補うか、あとでディアにでも聞いてくれ――」
そう前置きして、エアハルトは話し始めた。
約十年前、上級貴族が暮らす地域の一軒で火事が起こった。
その火事はあっと言う間に近くの家を飲み込んで、少し離れた貧民街までをも巻き込んだ。
幸い、貴族たちの暮らす一帯の地域は国からの援助もあってすぐに復興したが、貧民街への補助はなく、長い間放置された。
家と呼べるほどの代物なんてなかった貧民街の住人は、火事の影響で雨風を凌げる場所すら失い、その年には多くの人間が死んだ。
エアハルトは貧民街出身で、戦闘の素質があり帝国の軍部に身を置く存在であったが、その火事の影響で親しかった多くの友人たちを失った。
国が補助をしていれば助かったかもしれない命があったのに、それをむざむざ見捨てた国に対し疑念を抱き、翌年には離反して今の組織――正確には善良な行いをしてお金を貰う組織を築いた。
そこから色々な苦難があったが、帝国の貧民街を救うと言う目的に賛同してくれる仲間も徐々に集まり、組織と言えるほどに大きくなったころ、一人の青年が組織に入った。
彼はぱっと見でなんとなく嫌悪感を覚えるような青年だったし、少し変態的なところもあったが、至って真面目な青年だった。
そんな青年が入ってきて数年が経った頃、エアハルトは今のままではいつまで経っても貧民街を救えないと方針を少しだけ変えた。
その些細な変化が積み重なり、今となっては悪事を働く組織に成り果て、今日のこの惨事を引き起こした。
「そんなところだ。今考えると、方針を変えた理由も俺らしくない。帝国のクソどもみたいなことはしないって決めてたのにな……」
悔しそうに呟いて、エアハルトは仰向けのまま天井を見つめた。
そこには悔しさ以外の感情も感じ取れる。
「……その青年ってのは――」
「――ああ。王女様の部屋を見張らせてたアイツだ」
その言葉を聞いて、葵は“魔力探査”で洞穴全体を感知する。
しかし、洞穴にその男の姿はなかった。
姿形も覚えているし、何なら魔力のパターンも覚えている。
だけど捉えられない。
知らなかったとはいえ逃してしまったと言う事実が、責任として葵に突き刺さる。
「気にするなよ。元はと言えば見抜けなかった俺の責任だ」
「……」
エアハルトの言葉に葵は答えない。
確かにその通りではあるのだが、それでも葵に一分の責任もないわけじゃない。
だから、何も言えない。
「俺と同じ道を辿るなよ」
「……俺が騙されると?」
葵の解釈にそうじゃない、と少しだけ笑うようにして言う。
「違うなら聞き流してくれていい。……お前は俺と同じで、何かを失った人間だろ? だから、俺を反面教師にしろ。同じ道は辿るな」
その言葉は葵に響いた。
確かに、葵はこの世界において、これまで失ってきた。
得たものもあるが、それらは全て失ったからこそ得ようと思ったものであり、そうでなければ今の葵はいない。
だから、エアハルトの言葉が深く響く。
「あと言っておくが、俺はあの筒の中身を知らないし、そもそも俺はあの筒の存在を知らなかった。騙されたと言うよりは操られていたと言うのが正しいだろうな」
あの時、意味不明な言葉を発していたエアハルトに抱いた寄生虫のようだ、という認識は、まさしくそのものだったことに驚く。
ということは、エアハルトが絶叫する前にエアハルトから発せられた魔力は、エアハルトに注がれた魔力だった可能性がある。
エアハルトはそんな葵の反応など気にしないように目を瞑り、大きく深呼吸する。
「そろそろ限界だな。最初はお前――あー、名前なんだっけか」
「……綾乃葵だ」
エアハルトは戦闘の前に、確かに葵の名前を呼んでいた。
なのに現在は忘れている。
それが痛みの影響なのかもしれないが、操られていたということは、あの時葵のことを“召喚者綾乃葵”と言ったことも、全て操り主の発言だったと考えれば辻褄が合う。
「そうな。葵に殺してもらおうと思ってたんだが、無理そうだからディア。頼む」
「ちょっと待て。俺には無理ってどういうことだ」
「そのままの意味だよ。お前に俺は殺せない。ほら、だってお前、手ぇ震えてるじゃんか」
人差し指で指摘された先、『無銘』を握る葵の手は無意識のうちに震えていた。
それを指摘され、隠すようにして左手で震える手を抑える。
「今話しててなんとなくわかったが、お前は優しい奴なんだな。優しいから、自分を殺し、その体で抱えきれんくらいに抱え込んで、自分の大切な人を脅かす存在を徹底して排除しようとする。そしてその歪さに、自分が気が付かない」
「……何が言いたい?」
エアハルトの言っていることは何も理解できなかった。
でも確かに、今までの十七年余りの人生で一回は言われたことのあることばかりだった。
自分の全てを見透かされたようで気味が悪く、反射的に睨みつけた。
そんな葵の睨みも虚勢だと理解しているのか、エアハルトは穏やかな笑みを浮かべる。
「無意識でも無理をし続ければ、いずれ綻びができる。俺みたいに利用されるかもな。だからせめて一つくらい、自分に素直になってもいいんじゃないか?」
お節介な先輩からの助言だ、と目を開く力すら残っていないのか、目を閉じたまま口だけ動かす。
その言葉は死を間際にした人間のものとは思えないほどに、確固たる意志の込められたものだった。
あの軽薄な口調が操り手のものだったのではと思わせるほどに、真面目で清廉とした言葉。
「じゃあディア。俺が死ぬ前に、殺してくれ」
「…………わかった」
長考の末に、ディアは頷いた。
そしてエアハルトの手から零れ落ちていた曲刀を一振り握って立ち上がる。
仰向けで寝そべるエアハルトを見下ろす形になり、心臓部へと切っ先を向ける。
「……気づいてあげられなくてごめん」
「謝るなよ。最期なんだ……明るく行こう」
ディアは天を仰ぐ。
それも束の間、ディアはすぐにエアハルトへと視線を戻る。
「今までありがとう。楽しかったよ」
「ああ。みんなにもよろしく言っておいてくれ」
それが、エアハルトが最後に発した言葉だった。