第十二話 【決意】
ふと頭の中から常に処理し続けていた情報が消えた。
正確には消えたのではなく、自分がいつでも引き出せる別の端末に移ったようなものだろうか。
それも一瞬で、すぐにその情報は戻ってきたが、その情報が消えていた間にソフィアが苦しんでいたことから、きっとその情報を引き出したのはソフィアだろうと目星はついた。
だがすぐに別の疑問が湧く。
どうしてソフィアはそんなことをしたのか。
そもそもどうやってそんなことをしたのか。
葵の知らぬ間に、新しい魔術の開発にでも成功したのだろうか。
そんな思考がぐるぐると頭を巡る。
だがそんなこともお構いなしに、葵のものではない別の思考が頭に流れ込んでくる。
どうすれば葵の力になれるのか。
自分にできる手札をどう使えば、未熟な自分でも葵と同じ舞台に立てるのか。
断片的に感じ取れたその思考の持ち主が誰かなんて、言わずともわかる。
急に思考が入り乱れた理由は未だ不明だが、一つだけ言えることがあるとすれば、ソフィアが自分は未熟で至らない、という凝り固まった考えを脱却し、殻を破ってくれたと言うことだけ。
才能やポテンシャルは召喚者に勝るとも劣らないものを持っているのに、自信の無さがそれら全ての発揮を阻害していた。
だが、今のソフィアにその制限はない。
何がきっかけにせよ、その思考に至り、自ら行動しようとしてくれている以上、それはソフィアにとっての挑戦だ。
この選択の結末が成功するか失敗するかによっては、今後の人生が決まると言っても過言ではないだろう。
今後の人生を左右する場面に片足を突っ込んでいる現状で、葵がやるべきことはたった一つだけ。
「全力でサポートします! 思うようにやってください!」
たとえどんな無茶をやらかそうとも、葵が全身全霊でカバーしてやれば最悪は避けられる。
それに今のソフィアが何を考え、何をしようとしているのかは、漏れてくる思考から読み取れる。
ならば、その行動に合わせ、最善で動き続ければいい。
予測と思考は、結愛に追いつくためにずっとやってきた得意分野なのだから。
「今まで何も言わなかった癖に急に大声出したと思えば! 何かの相談か!?」
エアハルトが未だ自らの勝利を疑わない笑みを浮かべたまま、両手の曲刀で目にも留まらぬ連撃を繰り出す。
召喚された当初であれば反撃は愚か、対処すら難しかったであろうその連撃に、完璧に対応して見せ、体術による反撃も行う。
「さぁどうかな!」
ソフィアが感じ取った情報が、葵の頭に流れてくる。
思考だけじゃない、瞳に映ったもの、耳で捉えた音、手に触れているもの。
ありとあらゆるソフィアの感覚が共有されたような、不思議な感覚。
“魔力感知”で捉えたものよりもより高度で精密な情報が、葵の意思の有無にかかわらず流れ込む。
不快感はなかった。
不安を押し殺し、ソフィアに期待している葵に答えるために懸命に前を向くその姿がとても格好良かったから、それに応えたいと言う思いだけが心を満たしていた。
ソフィアに向けていた“魔力感知”のリソースを、ソフィアから流れ込む情報の処理へと回す。
頭の中でスイッチを切り替えるようにして、最善の状態になるように調整を施す。
「チッ! まだ速くなるのかよ!」
エアハルトは不敵な笑みを少しだけ崩して、そう悪態をつく。
その内容は言葉通り、葵の反応や判断、刀を振る速度などが徐々に上がっているのに気が付いたからだ。
本当に僅かな変化だが、こと拮抗した状況においてはその僅かな変化で想像だにしなかった結末を迎えることだってあるのだ。
だからこそ、この人数差で勝利を疑わない笑みと、その嫌な変化に対しての嫌悪が滲み出た。
一方で、葵はその変化に薄々勘付いていた。
おそらく、ソフィアのポジティブに当てられたのだろう。
期待されると言うことはプレッシャーだと言う人もいるだろうが、期待は信頼の証だと両親が言っていた。
確かに、葵が椋や茜に対して期待する時も、そこにあるのはプレッシャーを掛けたい気持ちなどではなく純粋にお前ならできるぞ、と客観的な自信を持っている時だ。
ソフィアは葵を信用し、その気持ちに応えたいと自らの殻を破って一歩を踏み出した。
その期待を背負っている葵が、こんなところで躓く人間であるはずがない、というポジティブな自信が、今の葵に溢れている。
心というものは不透明で、いざというときに当てにならないことも多い。
その反面、時に、本人の想像も及ばないほどに頼もしい味方になってくれることだってある。
きっと今この状況こそがそうなのだろう。
ならば、その期待に応えることこそが、期待してくれているソフィアへの返礼だ。
ソフィアから流れ込んでくる思考が自らのものと何の躊躇いもなく混ざり合い、自分で導き出した答えかのように馴染んでいく。
エアハルトの動きが、周りで魔術を構えている組織員が、それぞれ何をしたがっているのかが、その空間を俯瞰でもしているかのように手に取るようにわかる。
自分の体が思いのままに動き、ほんの僅かな乱れすらも起こさない機械の如き精密さで動ける。
「――上位は対面! 残りは今まで通り援護!」
「「「「「ハッ!」」」」」
調子を上げていく葵に危機感を抱いたのか、エアハルトが窮地に陥る前に叫んだ。
それに組織員が呼応し、魔術の使用に徹していた一部が各々の得物を持ち出して葵とエアハルトの元へと駆けてくる。
エアハルトの言葉と状況から見て、対面は近接での対応をするということだろう。
一対一で凌ぐのが難しくなってきたから数を増やして応戦するという作戦は、尤もだし効果的だ。
「だけど、タイミングが遅かったな」
ニヤリと厭味ったらしい笑みを浮かべて呟いた。
葵の笑みを見て何かを悟ったエアハルトは指示を出そうとして――
「――アクティブマジック!」
ソフィアの声に先制された。
だが叫んだだけで特に目に見える何かが起こったわけでも、あるいは体感できる現象が起きたわけでもない。
一瞬だけ注意を引き付けるためのブラフなのかと一瞬のうちに疑い、しかしここでそんなことをする度胸があるのか、という疑問が心の中に残った。
「総員警戒! 何かある――」
「アガァッ」
エアハルトが注意を促す前に、視界の端で血を噴き出した組織員の姿を捉えた。
何か攻撃を受けたようにも見えず、しかし明確な攻撃を受けている。
腹部辺りに致命傷とまではいかなくても見るからに痛そうな傷を負っている。
それを見て、どういう攻撃を受けたのかを理解できていないのが、エアハルトの表情から理解できる。
その間隙を、最速の一撃で突き抜く。
『無銘』でエアハルトの左肩を打ち貫いて、左腕を使い物にならなくさせる。
苦悶の表情で葵を睨みつけ、エアハルトは左手から取り零した曲刀に見向きもせずに残った右の曲刀で葵へと迫る。
しかし想定外のことが起き、更には痛みもその身に抱えるエアハルトの一撃は、これまでのどの攻撃よりも精彩を欠き、召喚時の葵でさえも容易く避けられるほどのものへと成り下がっていた。
葵が跳び退いたのを確認し、曲刀の柄を持った右手で損傷した左の肩へと手を添える。
しかし、適切な処置をしなければ止まることのない傷口だと言うことを認識して、苦々しい表情で葵を睨む。
ほんの数瞬前までは笑みを張り付けていたのに、今は後悔や苦痛が前面に現れている。
後悔に苛まれているのか、あるいは左肩の痛みに耐えているのか、エアハルトは俯き動かなくなる。
先ほどの合間に治癒魔術を使わなかったと言うことは、おそらくエアハルトは治癒魔術を使えない。
ならば、エアハルトが動かない間に周りのまともに動けなくなっている組織員の一部を戦闘不能にしておこう、とエアハルトから意識を外そうとした。
「――アッハッハッハッハッハ!」
突然、気が狂ったかのようにエアハルトが天を見上げて笑い出した。
意識の外へと追いやろうとしていた人間のいきなりの行動に驚きつつ、葵は『無銘』を正眼で構え警戒する。
“魔力感知”で見た限り、エアハルトの突然の笑いに驚いているのは葵やソフィアだけではなく、仲間たちが原因不明の怪我を負っている組織員でさえも、困惑を表情に出している。
そんな周りの反応など構わないと言わんばかりに、感心し、呆れたような笑いを絶やさなかったエアハルトは、ようやく満足したのかふぅーと一息ついて、葵へと視線を向けた。
「なるほどな。こんな細い糸でも体に触れるだけで傷になるのか。知らなかったよ」
そう言って、エアハルトは足元へ曲刀を突きつける。
岩に突き刺さり、持ち前の切れ味で岩に刺さった曲刀の近くには、目を凝らしても視認が難しいほどの細い糸が落ちていた。
それは曲刀に分断されると、空気に溶けるようにスーッと消えていった。
「これがどんなものかはわからんが、血がかかったおかげで認識できたよ」
その言葉に、葵は平静を装いながら、内心では少しだけ焦っていた。
エアハルトが見つけたのはソフィアが発動した円盤の効果そのものだ。
大気中の魔素を吸収し、円盤内部にある魔石で魔素を魔力へと変換。
変換した魔力を圧縮したものを糸状にして射出して、それに触れたものを裂くというものだ。
人体や岩を両断できるほどの切断力こそないものの、厚紙で指先を斬った時のような地味に痛い傷を負わせられる。
魔力で生成した糸ではあるが、髪の毛未満の細さであるがゆえに、目視はもちろん、葵ほどの“魔力感知”がなければ認識すら難しいと言うメリットがある。
また触れた糸は人に傷を付けたあたりで崩れるような絶妙な強度に設定してあるので、傷を負った場所を見ても何もない、というさらに相手を困惑させる機能を持たせている。
大気中の魔素がなくなるか、あるいは相手に看破され、全ての糸を切断されでもしない限り、永遠に機能し続けるトラップだ。
それを見抜かれた以上、事は容易く運ばないだろう。
ソフィアを守る要塞となっていたものが、ソフィアを守るための時間を稼ぐ装置となってしまったが、ソフィアの身に危険が及ぶ前に葵が方をつけてしまえばいいだけのことだ。
そう考えて、改めて正眼に『無銘』を構える。
「どうりでうちの連中が手玉に取られるわけだ。だがもうその手を見抜いた以上、お前にあとはないだろう?」
「たかだか一手見抜いた程度で随分と饒舌になるんだな。その傷を負っている以上、お前に今までの手数は出せないだろ。優勢なのは、変わらず俺たちだよ」
葵の言葉を聞いて、エアハルトは再び笑う。
その笑いは葵の言葉に納得するようなものだったが、同時に不気味さを感じた。
言い例えようのない、心の奥底が震えるような、頭の中で警笛が鳴り響き続けるような、そんな不気味さ。
「まぁ見てけよ。これが俺の、本当の奥の手だ」
そう言って、エアハルトは懐から手のひらに収まるくらいの小さな筒を一本取り出した。
その正体はわからないが、おそらくそれが不気味さの正体だと確信し、何もさせはしない、と左肩をぶち抜いた最速の突きを再度繰り出す。
『無銘』がエアハルトを間合いに捉える寸前、何の前触れもなく葵の足元が円錐状に隆起した。
直撃すれば人体など余裕で貫通させうる想定外の一撃を前に、一般人並みの反射神経でもどうにか直撃を免れたが、左肩に少し深めの傷を負ってしまった。
ここで攻め込めば確実に返り討ちに遭う、と円盤の糸を避けながらソフィアの元まで下がる。
「治療お願いできますか?」
「は、はい!」
ソフィアの考えは葵の頭に流れ込んでくるが、その逆は最初以降はない。
だから口頭で要望を伝え、ソフィアに肩の治療をしてもらいつつ、葵は今の現象の理解に思考を巡らす。
“魔力操作”のレベルが卓越でもしていない限り、魔術を使う場合は魔力の渦というものが生じる。
それは“魔力感知”で補足できるもので、エアハルトはもちろん、周りにいる組織員たちの魔術も例外なくそうだった。
だと言うのに、この地面の隆起はその前兆を捉えられなかった。
「いや、今はそれよりも……」
没頭しかけていた思考を切るために、言葉を発して意識を現実へと引き戻す。
そして、手に握っていた筒を自身の体へと押し当てたエアハルトの警戒に意識を向ける。
「ああ……いい気分だな」
外見的な変化はほとんどない。
強いて言えば、左肩の傷から流れていた血が止まったことくらいだろうか。
傷が癒えたのかはわからないが、ともかくドクドクと流れていた血は止まっていて、それ以外でぱっと理解できる変化はない。
だけど、雰囲気が変わった。
重く、嫌な雰囲気を纏い、エアハルトは葵たちを睥睨する。
ゆったりをした動きで数歩進み、先ほど取り零した曲刀を右手で握りしめる。
「感謝するよ。召喚者、綾乃葵」
右手で曲刀の柄を握り、その感触を確かめながらエアハルトは呟いた。
脈絡のない感謝に警戒を強める葵を無視して、エアハルトは続ける。
「目的の為には手段を問わないって決めてたのに躊躇しちまってた……けど、ようやく踏ん切りがついた。お前のおかげだ」
そう言って、エアハルトは右手で握った曲刀の切っ先を葵へと向ける。
見覚えのある、瞳孔と同色の円環を瞳に映しながら、ニヤリと笑って――
「王女は渡さない。俺の目的の為に、王女は必ず売り払う」
――宣言した。