第八話 【胸騒ぎと友達】
「ソフィアさんが学校に来てない……?」
「はい。HRを担当している先生が、珍しいことがあり、それが私に関係あるからと教えてくれまして」
ソフィアが初めて学院を――授業を休んだ。
それも学院に連絡を入れずに、無断でだ。
今日の朝、葵が手紙を渡した際は平常通りだったので、病気で休んだ、ということはないと思う。
葵は最近でこそ見る目を養えて来たが、それもまだまだなので何とも言い難い。
それに相手は、王族であるソフィアだ。
継承権争いのない平和な王族とはいえ、自分の表情をコントロールする術くらいは持っている。
故に、表情で悟らせるなんてことを容易くさせてくれるとは思えないから、もしかしたら葵と会ってから登校するまでに体調を崩した可能性だって、無いとは言い切れない。
それに何だか、嫌な予感がする。
明確に、こうだから不安だと言い切れはしないが、ソフィアがいるべきはずの場所にいない、というあり得ない事実が、葵の心に揺らぎを生み出す。
「すみません、先生。今日の授業、サボっていいですか?」
「はい。ソフィアさんのこと、お願いします」
「何かあったら頼ってね!」
葵の表情と声音、そして直前の会話で何が言いたいのかを察し、すぐに答えてくれた。
ライラもその異常事態を察して、力強い握り拳を胸の前で作って見せて激励をくれた。
二人の後押しもあり、葵はすぐに学院の休憩室へと駆けこみ、そこで原因不明の体調不良の回復に勤しむナディアを申し訳ないと思いながらも叩き起こして、事情を説明して“転移”してもらう。
王城へと着き、無理をしてもらったナディアに手短に礼を言って、葵は真っ先に王が勤務する執務室へと駆け込んだ。
「緊急事態なのですみません! ソフィアさんは今どこに!?」
失礼の極みだと自覚しながら、ノックもなしに執務室の扉を開けた。
いきなり部屋に入ってきた葵に目を丸くしながら、その表情からただ事ではないと察し、すぐに冷静さを取り戻し、アーディルはその疑問に真剣に答える。
「ソフィアならまだ学院にいるはずだが……」
「体調不良とか、理由は何でもいいですけど学院に行っていない可能性は!?」
「送迎の御者に聞いてみればわかるだろう。今頃は部屋か、あるいは少し遅めの昼食を取っているはずだ」
「ありがとうございます! 後できちんと謝罪はしますので!」
それだけ言って、葵は王城の長く広い廊下を“身体強化”で駆け抜ける。
思考と“魔力操作”の二つに意識を割いているから全力の半分程度しか出せていないが、それでも室内ならば十分な速度だ。
まずは食堂へと行き、そこで御者を探そうとして、“魔力感知”に御者の気配を捉えた。
それはアーディルの言っていた通り遅めの昼食を取っていたようで、暢気にお腹をポンポンと叩きながら食堂から出てきたところだった。
「あの!」
「うわびっくりした!」
とんでもない速度で自分目掛けて突進し、至近距離で大声を食らった御者は跳ね上がり、驚きを体で表現した。
そんなギャグマンガさながらの現象を前に、葵は早口で用件だけを伝える。
「今日ソフィアさんの送迎をされましたか!?」
「そ、ソフィア様の送迎? もちろん、それが僕の仕事だから――」
「――ちゃんと、間違いなく、送迎したんですね!?」
「あ、ああ。もちろんだ! アーディル王に誓って、きちんと」
言葉を切るのすら待たず、圧を掛けるように訊ねる葵に少しだけビビりながらも、御者のお兄さんは毅然と答えた。
その瞳に、動揺の色はなかった。
間違いなく、自分の仕事を全うした人間の顔をしているように思う。
ソフィアが間違いなく送迎されたと言うのなら、授業はおろか、HRにすら顔を出していないのが理解できない。
ソフィアの性格上、無断で休むなんてことはしないだろうし、そもそも学院に来てHRに出ないなんて訳の分からないことをするとは思えない。
とはいえ、人は些細なことでとんでもない行動に出たりもするし、積もり積もっていたものが今日この日に爆発した可能性だってある。
もしそうだったら、そのきっかけが葵の手紙である可能性も非常に高いので、そうではないことを祈るしかない。
ともあれ、それがわかれば後は学院へ行って、手掛かりを求めるのが最優先だ。
「ありがとうございます。事情は後で説明しますので!」
御者のお兄さんにもそれだけ伝え、葵は“身体強化”でアーディルの元へ向かう。
この国の最高権力に事情を伝えれば、動きやすくなるかもしれないと考えたからだ。
それに何より、先ほどの会話でソフィアに何かあったことはわかっているはずなので、それの説明をしないのは心情的には良くないだろうと言う判断もあった。
「戻りました。簡単に説明します」
またノックなしで執務室へと入り、手短に起こったことを伝えた。
ソフィアが学院を休んだこと。
御者曰く、ソフィアを学院まで送迎したこと。
ソフィアが学院に到着し、HRが始まる四の鐘の間に何かがあったこと。
それを聞いたアーディルは、ふむ、と一つ頷いて、すぐに顔を上げた。
「葵殿は学院で手掛かりを探してくれ。王都全体と周辺の町への伝達は私がしておく」
「お願いします」
アーディルの判断の速さに感服しつつ、葵は自分のやるべきことを為すために執務室から退出した。
そのまま“身体強化”で王城を駆け抜けてナディアの元へと向かう。
途中、王国に残った召喚者とすれ違ったが、話をしている時間すら惜しいとダッシュで駆け抜けた。
王城の前で相変わらず頭痛に悩まされるナディアに無理を言って、再び学院へと跳んでもらう。
数分ぶりに戻ってきた学院で、葵は手当たり次第に声をかけた。
授業中に移動をしている生徒たちや、取っている授業がないからか中庭で眠っている生徒、あるいは図書館で読書をしている生徒や、食堂で自習に励む生徒など、目に入った人に手当たり次第に声をかけた。
しかし、手掛かりは一切得られなかった。
今が授業中だと言うことも相まって、声を掛けられる人数に制限があり、そんな少ない証言で得られる手掛かりが皆無なことなど言わずともわかる。
「くそっ……」
人がいなければ聞き込みなんてできない。
もういっそ、授業妨害など気にせずにそこら辺の教室へと飛び入り、事情を説明して何か知っている人がいないか聞いてみるのはどうだろうかと思案する。
しかし、“王族のソフィアがいなくなった”と“学院生のソフィアがいなくなった”では、その価値がだいぶ違う。
授業中にいきなり見ず知らずのよそ者が飛び入ってきて話した内容が、前者ならばまともに話を聞いてくれる可能性は限りなく高いが、後者ならば半分も聞いてくれる人はいないだろう。
ここにきて、ソフィアが身分を偽っていた弊害が現れたことに苦々しい表情を浮かべる。
そもそもの話、その話が真実だと言う証明ができない。
頭のおかしい奴が、とんでもない妄想をひけらかして授業の妨害をしていると取られても、何らおかしくはないのだ。
葵が召喚者だと明かしていれば、そんなことはなかったのかもしれない。
そんなタラ・レバが、頭をぐるぐると回る。
今はそんなことに感けている暇はないだろ、と頬を両手でパチンッと叩き、意識と気持ちのリセットを測る。
「あ、ブルーさん!」
「……ライラちゃん。どうして、ってここ教室の前か」
葵が気持ちの入れ替えを図ったタイミングで、背後から顔見知りが声をかけてきた。
今は授業中なのになんでだ、と思案したが、すぐにそれが、魔術陣の教室の前だと気が付く。
「どうでしたか! ソフィアさん、病気でしたか?」
不安そうな表情を浮かべ、葵を見上げ聞いてくるライラに、葵は首を横に振る。
「違った。学院まで一緒に来た人がいたから、間違いなく学院にはいるはずだって」
「それじゃ、学院に来てから行方が分からなくなったってことですよね?」
ライラの疑問に、今度は首を縦に振る。
学院に来てから行方不明になったということは、おそらくは学院の敷地内にいるはずだ。
もし敷地外に出ているのなら、それはもう誘拐とかそういう類の話に変ってくる。
今でも相当に危ない状況なのに、これ以上悪化したら手に負えなくなる可能性が高い。
「ブルーさん。わたしは話を聞いて回ります。幸いお友達は多いので、実践をしている科目でなら先生の目を盗んで聞き込みができるかもしれません。カナ先生には、教員室で何か見なかったか聞いてもらうことにしましょう」
「……え」
ポカンとした表情をする葵に気が付かず、ライラは教室に戻りカナに事情を説明し始めた。
ライラの意見を聞き、カナも納得したように頷いているのを見て、ようやく意識を戻せた葵は二人の会話に割って入る。
「え、いや。二人がそこまでする必要はないよ。これは俺が片付けるから、二人は授業を――」
「葵さん!」
葵の言葉を遮って、珍しくライラが大声を上げる。
呼び名が葵に戻っているが、それにすら気が付けずに驚き、固まった葵に、ライラは諭すような優しい声音で語る。
「ソフィアさんは私のお友達です。歳は十歳ほど離れていますが、それでも同じ授業を受け、競い、高め合ってきた仲間です。そんな唯一無二の人が行方不明になって、しかももう一人の友達である葵さんがこれは異常だと嗅ぎ取っているんです。私は、誰が何と言おうと、友達の為に動きます」
「いや、でも、その異常は確信があるわけじゃないし……」
「それでもいいんです。実は何でもなくて、トイレで仮眠しようとしたら熟睡しちゃってました、くらいのことで済んだら、めちゃくちゃ大変だったなって笑い話にすればいいんです」
随分と割り切った大人な考えをするライラに、葵は思わず聞き入る。
「だけど、もしそうじゃなかった場合。ソフィアさんが水面下で起こっている事件に巻き込まれたり、あるいは誘拐でもされていたりしたら、のうのうと授業を受けていた私は必ず後悔する。あの時にこうしてたら、って。だから私は動きます。一回の授業と友達は、天秤に掛けるまでもないですから」
ライラは真剣な表情でそう言った。
とても八歳の子供の発言とは思えない。
一昔前のネットならライラくらいの年齢の子供をロリだなんだと言って崇拝する人間すらいたらしいが、きっと彼らですらビビってしまうくらいには子供離れした思考回路だ。
「というのが、父と母から教わったことです」
「……なるほど受け売りか」
ライラの言葉で合点がいった、と納得する葵に、ライラはそれでも、と注釈を入れる。
「でも、私はそれを正しいと思います。だって、授業は頑張れば取り返しがつくけど、友達を失ったら取り返しがつかないですから」
その言葉に納得する。
確かに、学習できる分野ならいくらでも取り返しがつく。
それがたとえ苦手分野であっても、時間を掛ければいつかは戻せる。
しかし人を失うと言うことは、時間ですらどうにもならないことだってある。
それが、“人の死”ならなおさらだ。
その時に負った心の傷は、時間で治るとも限らない。
「それに、さっきも言ったじゃないですか。何かあったら頼って、って」
「……そう、だったね」
ライラの言葉で、葵はまた一人で背負い込んで、一人で解決しようとしていたことに気が付いた。
戦わない召喚者の件で、ソフィアに頼ることを覚えたと言うのに、またその大切さを忘れてしまっていた。
「――いや、違うか」
忘れていたのではなく、忘れたがったのだ。
人に頼ると言うことは、誰かに負担を押し付けることに他ならない。
それが信頼を置ける人間ならば何も問題はないが、友人程度の間柄なら躊躇する。
葵に友人と呼べる人間は数えられる程度しかいない、というのはさておいて、その友人に負担をかけた場合、友人が葵と一緒にいると負担を掛けられると知り、葵から離れて行ってしまうのではないかと危惧していた。
葵の心に刻みつけられたトラウマが、そう思考させた。
だからその件を最後に頼るのは止めにしようと、無意識的にその考えを封じていた。
でも、目の前のライラは違う。
赤茶色の瞳が葵を見据えている。
その瞳に宿るのは、少なくとも負担を押し付けられることに対しての不満ではない。
そもそもライラは、この件を負担とすら思っていないのだ。
友達は大切で、だから助けるのだと、そう簡単に言ってのけた。
たとえそれが受け売りのことばであろうと、自らの意思でそれを全うしようと言うのだから、紛れもないライラ自身の気持ちだ。
「……わかった。じゃあお願いするよ。先生も、お願いします」
「うん。ブルーさんも、何か見落としがあるかもしれないから、深呼吸してゆっくりね。焦っていたら、わかるはずのものもわからなくなってしまうから」
「はい。ありがとうございます」
葵の礼を最後に、二人は教室から飛び出していった。
ライラは手掛かりがあったらこの教室に置き手紙ね! と授業中の他クラスへの迷惑など考えない大声で叫んだのにはびっくりしたが、葵とカナに届けるためと考えればその行動も納得できる。
二人がいなくなった教室は物静かで、考え事するにはうってつけの場所となった。
そんな教室で、葵は一度だけ深呼吸をして、再び両手で頬を叩く。
カナに言われた通り、焦っていた自分がいたと思ったからだ。
そうでなくとも、そう釘を刺されると言うことは、カナから見て葵は冷静じゃなかった、ということなので、再び意識のリセットを行う。
「まず整理から。何があったのかは考えてもわからない。だからどうしてそうなったのかを考えろ」
自分自身に言い聞かせるように、静かに呟く。
最悪のケースとして、ソフィアが連れ去られたと仮定した場合、その犯人の目的は何か。
まず真っ先に考えられるのは、ソフィアの身分――この国唯一の王族の立場を狙った犯行だ。
しかし、そうなると学院にいるソフィアが狙われた理由がわからない。
名前こそ同じにしているが、その容姿は元のものとはまるで違っている。
もし名前が同じだからという理由だけでソフィアを連れ去ったのなら、犯人はとんでもなく馬鹿だが本当に運がいいと言わざるを得ない。
尤も、巻き込まれた側はたまったもんじゃない。
ではもし、ソフィアの立場を狙ったものではないなら。
その場合、何があって、どうしてソフィアが連れ去られたのか。
可能性としては、学院生を狙った誘拐だ。
誰でもいいから、近くにいた手頃な生徒を誘拐し、それが偶然ソフィアだったと言う可能性だ。
その場合、犯人の目的はわからないが、犯人はとんでもない儲けものだろう。
他に考えられるのは、学院近くで何かの事件に巻き込まれた、という説だが、もしそうなら誰か一人くらいは見ていてもおかしくないので、それは聞き込みをしてくれているライラかカナが見つけてくれるだろう。
「それにしても、どっちでも理由が弱いな」
この国は世界で一番平和な国ともいわれる国ではあるが、犯罪に対しての罰がないわけではない。
ましてや王族であるソフィアのことを誘拐したともなれば、たとえ傷一つつけていなくとも相応の罰は覚悟しなければならない。
そもそもこの国は王国で王がいるが、その政治形態は共和国のそれと大差ない。
故に、王位継承権を持つソフィアを誘拐しても、賭けるデメリットに対して得られるメリットが薄い。
命を懸けてまで誘拐するほどとは思えない。
「何か見落としてるのか……?」
もっと真面目に推理小説でも読んでおけばよかったと後悔する。
その手の小説や話を聞くたびに、面白いトリックだなぁ、とかそんな小さなことからそこまで推理するのか凄いなぁ、とか浅い関心をしていただけの自分を悔やむ。
しかし、そんなことを悔やんでいて状況が好転するわけではない。
今必要なのは、どんなに拙くても、どんなに小さなことでもいいから考えることだ。
例えば、ソフィアの周りで起こっていたこととか。
「――ソフィアと、レジーナ……」
今まで思い出せなかったのが不思議なくらいに、すっとそれが下りてきた。
「いや、ないない。そもそも学校にいる人間がどうやって誘拐なんてするんだ――」
自分の考えが学園モノからの影響を受けた見た目百パーセントの人間性を疑うようなものだったので、そんな考えを真っ先にしてしまった自分の考えを否定しようとした。
しかし、今日はまだレジーナと顔を合わせていないことに気が付き、その言葉が途中で途切れる。
物的証拠は一切ない。
しかし、取り巻きを連れ、高圧的な態度でソフィアとの喧嘩のような対面を見たことがある。
ソフィアはそれを“慣れた”と言っていたから、葵自身の経験から考えてもあのレベルのやり取りは数年は続いているはずだ。
それは立派な証拠になるんじゃないのか。
「……レジーナに会えればわかる、よな」
そうであればソフィアの手掛かりが掴める。
しかしそうだった場合、レジーナが葵の敵になってしまう。
そうであって欲しいという願いと、そうであって欲しくないという矛盾した願いを心に抱き、葵は足早にいつもHRが行われている教室へと駆けた。
そこには誰もいなかったが、記憶を手繰り、レジーナが取得していた授業を思い出す。
張り出されたタイムスケジュールから授業は第三演習場にて実践訓練との表記があったので、目的地をそこへとシフトして進む。
その間に、レジーナに会ってどうしようか、角の立たない言い方はあるだろうか、そもそもレジーナが犯人なのか、と色々な考えが頭の中を巡った。
結局、答えは出ないまま、一分ほど学院内を駆け足で進み、別棟にある演習場へと到着し、目的地であった第三演習場の一部の隙も無く閉められた扉を豪快に開ける。
演習場の扉が固く閉じられているのは、中で使われている魔術に因る被害を防ぐためだ。
魔術は位が上がっていくにつれ人を殺すことも容易くなってくる。
そんな不幸の事故を起こさないために、演習を行っている最中は扉を閉め、緊急時以外は外から開けてはいけないという決まりが設けられている。
もちろん、緊急時であっても特定の行為を行ってからでないと扉を開けてはいけないという決まりがあるのだが、葵はそんなことを知らない。
故に、目の前に炎で形成された矢が迫ってきた。
狙い澄ましたかのようなその一撃を、反射的に魔力を集めて作った壁で防御し、炎が霧散していくのを眺めてホッと一息つく間もなく演習場の中を見回す。
「ブルーさん! 大丈夫でしたか?」
声の方を向けば、それは今しがた矢を放ったであろうレジーナが、慌てた様子で駆け寄ってきていた。
その声音も、その表情も、おかしなところは一切ない。
いつも通りに授業を受けていて、葵というイレギュラーに対して驚き、慌てているだけの女の子に見える。
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫ですよ。ギリギリで防御しましたので」
笑みを浮かべて、レジーナの質問に答える。
それを聞いたレジーナは本当に安心したような声で、ホッと胸をなでおろした。
「よかったです。もしブルーさんに何かあったら――」
「それより、ちょっと来ていただけますか?」
「え? あ、ちょ――」
レジーナの発言を遮り、葵はレジーナの手を引いて演習場を出る。
疑問を浮かべたままのレジーナを連れて演習場の裏手に回り、真剣な表情で問いかける。
「ソフィアさんのこと、知りませんか?」
色々と考えていた。
角の立たない言い方とか、上手い訊ね方とか。
しかし、葵はこれまで会話を極力なくしてきた人間だ。
そんな人間に、そんなことはできるはずもなかった。
故に、最低限の配慮だけをして、策は弄さず、ドストレートに聞くことにした。
「――いえ、今日はお休みだと言うことしか」
「……嘘、なんですね」
レジーナは挙動不審になることも、言葉に詰まることも、目を逸らすこともなく、ただ普通に答えた。
自分に知っているのはこれだけですよと、誰が見てもそう感じるくらい、普通に。
だけど、なぜか葵には、今の発言が嘘にしか聞こえなかった。
「嘘ではありません。私が知っているのは、ソフィアさんが今日はお休みしていると言うことだけ――」
「また嘘だ」
葵は威嚇することができない。
覇気というものがないし、そんなものを纏えもしないから、自分が威嚇だと思っていることはただの睨みにしかならない。
だけど、持ち前の“魔力操作”と大気中の魔素を使って、疑似的な圧をかけることはできる。
「ソフィアはどこにいる? 答えろ」
「……わ、私は知りません」
大気中に散乱している魔素を集め、レジーナの周りに圧縮することで物理に近い圧をかける。
それにより全身が重く感じ、葵が睨んでいると言う事実と相まってそれを圧と錯覚させる。
卒業試験の時に、隼人に対して使った技術を、前よりも高くなった“魔力操作”で行っただけのものだ。
「……そうか。じゃあ少し、痛い目を見てもらうしかないな」
そう言って、葵はレジーナに向けて、ゆっくりと、嬲るようにして手を伸ばす。
葵の目と、声音と、その行動を見て、それを本当にするのだと理解したレジーナは逃げようとして、しかし圧によってまともに動くことができない。
「ポリーナ! アレーナ! 助けなさい!」
自分では動けないと悟り、すぐに取り巻きに助けを求めた。
それは正しい判断だと言える。
尤も、今この場においては意味のないことだ。
「声は届かない。どれだけ叫んでも、誰かが助けに来てくれることも、助けに入ることもできない」
葵の言葉で絶望した表情を見せるレジーナは、迫る葵の手を見ていやいやと首を振る。
「そ、そんなことをしてみなさい! どうなるかわかっているの!?」
「お前が傷ついて俺が欲しい情報を得るだけだよ」
「私が! ソフィアさんの休みと何の関係があるって言うんですか!」
「それを今から聞く」
まともに答える気がないとわからせるために、葵は敢えて素っ気なく答えた。
その問答で止まる気配を見せない葵に、レジーナはいよいよ可哀想なくらい怯え始める。
しかし、なぜかはわからないが、それを見てもやめようとは思わなかった。
レジーナが嘘をついていると直感に似た何かが囁くからだろうか。
「わ、私は! 私は共和国の長の一人! ステパン・ホールの娘! レジーナ・ホールよ! 私に手を出したら、連合国を敵に回すことになるわよ!」
「そうか。で、言いたいことはそれだけか?」
渾身の足止めの文句だったそれを、一瞬の迷いもなくあっさりと切り捨てられ、レジーナは唖然とする。
その間に、葵の手に頭を掴まれ、こめかみのあたりを握力で締め付けられる。
「答えろ。ソフィアに何をした」
「だ、だから、私は何も――」
「ソフィアをどこへやった」
「し、知らないわ!」
「……そうか。――死ぬ前には答えろよ」
慈悲など微塵もなく、葵は右手の握る力を強める。
長年鍛えてきた葵の握力は七十を超える。
リンゴを潰せるほどの握力でこめかみを潰されているレジーナは、その鈍く長く続く痛みに涙を流すが、容赦せずに握る強さを高めていく。
「――ソフィアさんは!」
痛みに耐えかねたのか、レジーナが口を開いた。
それを聞き、葵は拘束を解かない程度に握る力を弱める。
「ソフィアさんは……帝国を拠点にしている賊に誘拐させました」
「そいつはどこにいる」
「私の指示通りなら、二区の外周近くの使われていない青色の建物に」
「わかった」
必要な情報は聞き出した、と葵は手を外してレジーナを自由にする。
同時に、邪魔されないために張っていた結界を解除して、葵はすぐに演習場の上まで跳ぶ。
そこから邪魔されない屋根の上をダッシュして、ナディアと合流して二区の外周近くに飛んでもらった。
そこから二人で、青色の建物を虱潰しに探した。
山賊は愚か、ソフィアの姿はなかった。