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姉の為に。  作者: たかだひろき
第四章 【修行】編
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第四話 【ナディアの過去】




 王城の長い廊下を、葵は金髪翠眼の美少女と歩く。

 葵がここまで旅をしてきたときに着用してきた黒の戦闘服とは違い、美少女の服装は上品で、丁寧な造りと装飾の為された高級品だと言うことが窺える。

 そんなドレスを普段着として着用している人物など、この国においては一人しかいない。


「――改めて、今日はお付き合いいただき、ありがとうございました。ラディナさん」

「葵様こそ、我々にはできないことをしていただいて、感謝しております。皆様の前での堂々とした振る舞い、格好良かったですよ」

「ありがとうございます」


 葵の隣を歩く美少女は、この国に残された唯一の王族の子であり、今は葵の学友でもあるソフィアだ。

 そんな彼女は、葵の礼に対して純粋な感謝と感想を述べる。

 それが上っ面のものではないとわかるのは、短い付き合いしかない葵でもわかるほどに確立されたソフィアの人格が為せる技なのだろう。


「ソフィアさんが王様やアンドゥさんに掛け合ってくれたおかげで、こうして順調に事が運べました。おかげで、他の召喚者もそれぞれにできることで大戦に参加してくれます」

「私の助力など、ほんの僅かなものですよ。葵様が自身で考え行動したからこそ、事が良い方向に運んだのです」

「それも、ソフィアさんの助力がなければできませんでした。なので、本当にありがとうございます」


 廊下のT字路で足を止めて、深々と頭を下げる。

 葵の行動を見て、ソフィアは慌てる。


「葵様が頭を下げる必要などありません。私は当たり前のことをしただけですので……」

「その当たり前を、俺の都合に合わせて最大限まで引き上げてくれたのがあなたです。それに、事前に同意があったとはいえ、女性に対してかなりの恥ずかしい行為を要求してしまいました。だから、謝罪の代わりに、この感謝を受け取ってください」


 今回、葵が行ったことは、ソフィアたちの為になることだった。

 怠け者でしかなかった戦わない召喚者たちを、どんな形であれ大戦という役に立つ舞台まで引き上げることのできる案だったから、ソフィアたちはそのための協力は惜しまないだろう。

 しかし、それは葵にとっては副産物でしかない。

 何せ、葵は徹頭徹尾、自分自身の為にしか行動をしていないのだから。


 もちろん、ソフィアが葵の役に立つことを最大限までやってくれたことは、それが自分たちの為になることだったから、というのもあるだろう。

 大戦の勝利如何は、人類の存続と直結する。

 だが同時に、ソフィアならこれがソフィアたちの役に立たないことでも、同じことをしてくれただろう。

 あくまで仮定の話でしかないが、それでも確信を持って言えることだ。

 だから、葵は感謝する。

 自分に対して何かをしてくれた人に対して当たり前のことを、ちゃんと受け取ってもらう。

 押しつけがましいかもしれないが、それで初めて、ちゃんと終わるのだから。


「そうですね……わかりました。では私からも改めて、葵様へ感謝いたします」


 本当にありがとうございました、と上品な所作で首を垂れる。

 美少女に対しての耐性がなければコロッと落とされているくらいには、美しいその仕草に、葵は頷いて答える。

 結愛という美少女は、家や葵の前でこそだらしないともいえるが、普段は今のソフィアに負けず劣らずの礼儀正しい美少女なのだ。

 故に、それを見慣れている葵はそれだけでコロッと落ちるようなことはない。


「俺はこっちですので、また明日、登校前に城門で」

「お世話になります。それではおやすみなさい、葵様」

「はい。おやすみなさい」


 そう言って、葵はT字路を曲がる。

 そこから先は、葵たち召喚者が利用させてもらっている部屋のある場所だ。

 この一週間、色々なところへ出向いたりしていたおかげであまり使う機会のなかった部屋へ迷わず辿り着き、そのドアをノックする。


「はい」


 少し間が空いてからドアが開かれ、中から薄い緑色の髪と金色の瞳を持った、特徴的な長い耳を持つ美女が出てきた。

 いつもの自然色を基調とした動きやすさ重視の軽装ではなく、動きやすそうなパンツタイプの寝間着に身を包んでいる。

 こちらも、耐性がなければ卒倒しかねない格好だが、やはりここでも、結愛のおかげで着いた耐性で乗り切る。

 その美女はドアの先にいた葵の姿を捉えるや否や、いつもと変わらないフラットな状態で応対する。


「自分の部屋なのにノックは必要ある?」

「一応、今は俺とナディアさんの部屋なので」

「そう」


 よくわからない、と言った様子を表情にありありと出し、ナディアは部屋へと戻っていく。

 それに追従するようにして、葵も部屋へと入る。

 ナディアはベッドへ、葵は椅子へと腰かける。


「首尾はどう?」

「はい。ソフィアさんたちのおかげで、戦わない召喚者たちを大戦に引きずり込めました。これで少しは結愛の捜索に充てる時間も増えるんじゃないかなと思います」

「そう。葵の方は予定通りでいいのね?」

「はい。よろしくお願いします」


 それに頷くことでナディアは答える。


「じゃあ、本題に入りましょうか」

「わかった」


 ナディアは葵の言葉を受けて、一枚の紙を取り出す。

 そこにはどこかで見たようなタッチで顔が描かれていた。

 葵でもナディアでも、ラディナやソウファでも、ましてやソフィアでもない、でも葵は知っている顔。

 忘れもしない、葵を殺した魔人(あいて)の顔だ。

 葵の動揺を表情から感じ取ったのか、確信を持ってナディアが訊ねる。


「――葵の戦った魔人はソイツ?」

「……ナディアさんがどうしてコイツを?」


 詰まりそうになる声をどうにか押し出して、葵は疑問を口に出す。

 その疑問を答えとし、ナディアは葵から紙を回収する。

 そしてその紙をクシャッと握り、珍しく感情をありありと表面に出した。


「……私の出生とソイツの関係も全て、話すわ」


 重々しく、誰が見てもわかるくらいに真剣な瞳で葵を見据えて、ナディアは語った。






 * * * * * * * * * *






 ナディアの本名をナディア・ミラー・ローズ。

 この世界で唯一、魔人とエルフのハーフとして生を受けた、世界史に名を刻まれてもおかしくないほどの経歴を、生まれながらにして持っていた。

 ナディアの父であるシリル・ミラーは魔人ではあるが、大多数の魔人から忌避された穏健派と呼ばれる派閥に属していた、魔王軍の元幹部だ。

 母のマリサ・ローズ・フォレストは、エルフの里において神子(みこ)や神童とまで呼ばれた、エルフの歴史において三本指に入るほどの才能を有した、人物だった。


 二人の出会いは、軍の命令で人間が暮らす大陸の調査へと出向いたシリルが、大森林でマリサを見かけ、一目惚れをし、そこから猛烈なアタックを掛けたことで結ばれた。

 尤も、エルフ側は神童と声を上げて喜んでいたマリサが、自分たちと敵対している種族の男と結婚するなどという暴挙を許すはずもないのだが、シリルの人柄や思想、そして何より、マリサの気持ちがシリルに傾いていると知って、渋々だがそれを認めたという。


 そんなわけで、マリサと結婚することになったシリルは、他種族と明確な敵対を示している魔王軍から逃れ、異端者として名高い集落へマリサとともに転がり込んだ。

 そこから二十年近くの時が経ち、ナディアが誕生した。

 子供ができるのに二十年近くかかると言うのは人間基準で考えれば長いように思えるが、長命種であるエルフからすれば普通、もしくは早いと言う部類と言えた。


 そんな二人の間に奇跡ともいえる確率で生まれた子供であるナディアは、両親と集落で暮らす沢山の魔人たちから愛を受けて育った。

 中でも、ナディアより二十年ほど早く生まれ、ナディアの兄のような存在であったナイルにはとても懐いていた。

 ナイルもそれを嫌だとは思っていなかったようで、ナディアを妹のように可愛がってくれていた。


 しかし、エルフという精霊との親和性が高く、魔術的な適性も高い種族と、あらゆる面で人類より上の魔人族の間に生まれた子供という存在は、人間との大戦の為に戦力を求める魔王軍からすれば喉から手が出るほどに欲しい人材だ。

 百名ほどしかいないナディアの暮らす集落から、ナディアを引き抜いたり、もしそれが叶わないなら、集落を滅ぼしてでもナディアを手に入れようとする。

 だがそれは、杞憂に過ぎなかった。


 ナディアが暮らしていた集落は他種族と対立する魔王軍や一般的な魔人とは違い、他種族との共栄を望む魔人という種族から考えれば異端ともいえる魔人で構成された、長い歴史を持つ集落だった。

 その為に、エルフとのハーフであるナディアは簡単に受け入れられた。

 とはいえ、そんな異端者で構成された魔人の数はそこまで多くはない。

 集落と言う名の通り人口は百ちょっとしかおらず、対する魔王軍とそれに属する魔人の人口は万を超える。


 ならばなぜ、自分たちとは相容れない価値観を持つ同種が長い歴史を持てるほどに放置されてきたかという問題は、純粋に彼らの戦闘力に由来する。

 魔王軍の戦力は確かに強大で、全面戦争をすれば集落を潰すことも可能なほどの戦力差はある。

 非戦闘員の魔人でも、組合員の階級で言うと鉄から銅と同等の実力は保有しているのだから、当然と言えば当然だ。

 しかしそれは、潰すことが可能であるというだけで、魔王軍には甚大は被害が残るという事実もあった。


 魔王軍に所属する幹部以外の戦闘員の階級を銀とするならば、集落の住民は最低でも金階級の実力を持っている。

 そして集落の戦闘員は、銀階級の戦闘員五人を相手取っても勝てるほどの実力差となる。

 また金階級より上の階級が存在しないため、金階級の中でもピンキリが存在し、中には一人で魔王軍の幹部二人を相手取れる実力者もいる。

 事実、大昔に舐めてかかった魔王軍は、それで痛い目を見ている。

 つまり、魔王軍は集落に手を出せば物量で確実に潰せはするものの、そこまでの被害を被ってまで潰すほどの価値は見出していないため、その戦い以降、互いに過干渉をすることなく、潰されることはなかった。

 それに、集落の魔人は魔王軍と対立する意思はなく、また危害を加えるつもりもなかった、というのも、両者の間に戦いが起こらなかった要因だと言えるだろう。

 そもそも、魔王軍が魔人とエルフのハーフであるナディアが誕生したと言う事実を知っているのかどうか、という話すらある。

 ともあれ、それが理由で、ナディアは魔王軍の手に掛からず、時折、マリサの故郷である大森林に顔を出したりしながら、すくすくと成長していった。


 閉鎖的ではあるが、魔人の暮らす大陸は殺伐としている、というイメージを壊すくらいにとても平和な暮らしを十五年して、ナディアは成人した。

 集落のみんなが成長を見守ってきた子供が成人したとなれば、超大家族と言っても通じる程度の集落ではそれはもう盛大に祝いの場が設けられた。

 それに、世界史で初と言える存在が成人したと言う事実も相まって、その日ばかりは常日頃から厳格で通っていたおじさんですら、お酒を飲んで赤い顔でわいのわいのと楽しそうにしていた。

 その真っ只中で祝いを一身に受けるナディアは、成人したとはいえまだ幼く、恥ずかしそうに、でも誇らしく、その祝福を受け入れていた。


 それから数日後、ナディアは生まれて初めて、集落の外へと出ることになった。

 エルフの習慣として、成人になると精霊との契約を果たす、という儀式が執り行われる。

 ナディアは魔人とエルフのハーフであったが、エルフの血は引いているので、その例に漏れず、精霊との契約をするべく、シリルとマリサの三人で大森林へと向かうのだ。


 そんな大事な日に、集落は襲撃を受けた。


 ナディアの出立という祝いとも言える出来事を前に、集落の大人数がその出迎えに気を取られ、魔王軍の襲撃に対処が遅れた。

 結果、真正面から戦った場合は少なくとも持久戦に持ち込めるであろう戦いが、ほぼ一方的な暴力へと変わった。

 ただ奇襲を受けただけなら、集落の人たちの戦闘力と戦闘技術で対処しきれないことはない。

 しかしその奇襲は、綿密に練られた作戦と、謀ったかのようなタイミングで行われ、しかもナディアが兄のように慕っていたナイルが裏切ったことにより、魔王軍の侵攻を許してしまった。


 不幸中の幸いだったのは、ナディアたち家族がその戦火に巻き込まれずに、逃れられたということだった。

 正確には、集落の全員が、相手と対峙した段階で敗北をすると確信し、せめてもの抵抗とばかりにナディアを逃がす選択をした。

 それは、他種族との和平を望む集落において、エルフと魔人のハーフという唯一の希望を潰えさせないための、最後の足掻きだった。

 十五歳で、まだまだ幼いものの、人の感情には聡かったナディアはそれを理解し、両親へと私たちも戦うべきだと論じた。

 しかし、両親はナディアを守ることを優先した。

 我が子を危険に晒すなんて真似ができるはずもなく、自分たちにできる限りの最速で、集落から離れた。

 そして最後に、ナディアが確実に逃げられるように、と自分たちも足止めに回った。


 人間が暮らす大陸と、魔人が暮らす大陸を隔てる大海で暮らす獰猛な海龍から隠れられる結界の使われた船を使い、ひと月以上も海の上で後悔した。

 無理やり自分を船に乗せられ、マリサの“転移”で海上の大陸が見えない場所まで飛ばされたとはいえ、戻って両親に加勢することはできたんじゃないか。

 集落のみんなを見捨てずに、最初っから自分たちも戦っていれば、魔王軍を跳ね退けられたのではないか。

 そんな後悔を、水の精霊が自動で大森林へと導いてくれる船で揺られながら考え続けた。

 航海の間は特に何もなく、大森林でエルフが暮らす里へと辿り着いたナディアは、マリサから“転移”で飛ばされる前に伝言として残された言葉を伝えた。


 魔王軍が侵攻し、ナディアを育てた集落のみんなが死んでしまうこと。

 他種族との平和の為に、ナディアだけを生かす選択をしたこと。

 どうかこの出来事の所為で、魔人族という種族に対しての敵対心を覚えないで欲しいと言うこと。


 あの短い間に、端的に伝えられたその言葉を、一言一句違わずに伝えた。

 エルフの族長や、その話を聞いていたマリサの両親や、マリサと交友のあった一部のエルフは、ナディアの伝言を聞いてマリサを殺した魔人への恨みと、敵対心を覚えないでと言うマリサの願いに挟まれて、どこへ向けたらいいかわからない感情を押し殺し、ナディアが無事であったことを喜んだ。

 住む場所を失ったナディアは、エルフの里に身を置かせてもらうことになった。

 そしてナディアは両親や、親同然に接してきてくれた集落のみんなが、兄のように慕ってきたナイルの裏切りによって殺されたことに対し、激しい怒りを覚えた。


 ナイルがどうして集落のみんなを裏切ったのかはわからない。

 でもそのせいで、ナディアの大切な人たちが大勢死んだ。

 無残にも殺された。

 だからナディアは、復讐を誓った。

 幸い、その機会は訪れる。

 魔王軍は必ず、ナディアが死ぬまでの間に人間と対戦を起こす。

 それに参加し、ナイルを見つけ出して、集落のみんなが味わった痛みや苦しみを、味合わせる。


 母親の願いで魔人を恨みはしない。

 だが個人は別だ。


 その日から、ナディアは復讐を心に宿し、生きるようになった。






 * * * * * * * * * *






「――以上よ」

「……」


 ナディアの話を聞いて、葵は絶句した。

 少なくとも、葵は仕入れた知識には他種族と友好的であろうとする魔人がいるなんて知らなかった。

 魔王軍とも戦えないこともないたった百名ほどの人員がいるなんて、驚きだった。

 何より、ナディアの過去が辛かった。


 結愛ほどではないが、葵も人よりは辛い過去があると自負していた。

 だがそんなレベルではない。

 結愛と同じか、あるいはそれ以上に、辛く、悲惨な過去が、ナディアにはあった。


「…………じゃあ、俺が戦ったこの人が、そのナイルって魔人だと?」


 ようやく絞り出した葵の疑問に、ナディアは首肯する。

 強く、強く握りしめられた紙を潰す拳が、俯き歯を食いしばるその姿が、後悔の深さを表している。


 ナディアの過去を聞いた。

 その上で、葵にできることは何か。

 葵がナディアにしてあげられることは何か。

 深く、深く思考して、答えを導き出す。


「……俺がナディアさんに何かしてあげられることは、多分限りなく少ないと思います」


 ナディアから教えて貰うことはたくさんあっても、その逆はあまりない。

 今現状でさえ、ナディアからは刀を教えて貰い、鬼人族との接点を作ってもらい、移動の手段として使わせてもらっていて、その逆は体術を教えていることしかない。

 葵が持っている人間族に関する知識も、ナディアにとっては不要の産物だ。

 だから、今の葵がこれ以上の何かをしてあげられることはないと言っても過言じゃない。


「だから、ナディアさんが困ったときは、俺を使ってください。遠慮なく、自分が扱う魔術のように」

「葵は大切な人を救う役目があるでしょ」


 だからそんなことはできない、と言外に語る。

 ナディアは基本的にはあまり喋らず、感情も表に出さないし、出していたとしても分かり辛い。

 でも、今のナディアの感情は、葵でも読み取れる。

 椅子から立ち上がり、ナディアの元まで歩く。


「そうです。俺には確かに、結愛を救い出すと言うこの世で一番大事な役目があります。だけど、結愛はお世話になった人に対して礼を尽くさない俺を、許してはくれない。そもそも、自分の為に誰かが犠牲になることを良しとしない人なんですよ結愛は。……だから、俺はナディアさんを助けます。その時に、俺ができる最大で、ナディアさんの駒になります」


 俯くナディアの視界に、膝をつく形でしゃがんで入り込む。

 そして、後悔で染まった金色の瞳を見据えて、はっきりと言葉にする。


「俺は、ナディアさんを助けたい。ナディアさんの後悔を、少しでも共有したい」

「……」


 ありきたりで、口だけなら何とでも言えるような、浅い言葉。

 我が儘で、自分勝手な葵が後悔しない為の道。

 だけど、葵の本心であり、曲げることのできない、結愛(あこがれ)へと繋がる、唯一の道。


 葵の言葉に、ナディアの瞳が驚きで揺れる。

 そんなことを言われるとは思っていなかった、とでも言いたげだ。

 それでも、今の葵にできるのは不確定な未来に託す(それくらい)しかない。


 葵の視界から逃れるようにベッドから立ち上がり、ナディアは窓へと歩いて外に浮かぶ月を眺める。


「……私の目的は変わらない。ナイルを殺すことが、私の目的」

「はい。聞きました」


 沈黙が、一瞬だけ訪れる。

 そして振り向き、葵と視線を合わせたナディアが、先ほどの葵のように、瞳を見据えて問いかける。


「それでも葵は、私の役に立つ、駒になるって、断言できる?」


 葵は魔人を殺せなかった。

 だから魔人に敗北し、ラディナたちを誘拐された。

 それはずっと、心の中に後悔として残っていた。

 その覚悟を、問われた気がした。


 だから、断言する。


「はい」


 葵もナディアの瞳を見据えて、自身の心に正直に答える。

 しばらく見つめ合い、ナディアがそれを、目を伏せることで終わらせた。

 葵に歩み寄り、(おもむろ)に手を差し出した。


「これからもよろしく、葵」

「こちらこそ、お願いします。ナディアさん」


 互いに笑みはない。

 これは、固い絆で結ばれるようなイベントではないから当然だ。


 でもその日、葵とナディアの間には、確実に変わった何かが共有された。




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