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姉の為に。  作者: たかだひろき
第三章 【共和国】編
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第十四話 【絶望。そして災厄】




 人工的でありながら、発光する石という現代科学でも再現の難しい建材でできた、過去の遺跡。

 通称、ダンジョン。


 数多あるダンジョンの中で、唯一人工的な造りをしているそのダンジョンは、他のダンジョンに比べ現れる魔獣や魔物の種類が少なく、しかし五千年の月日がたった現在でもまだ最下層に辿り着いたものがいないという、広大なダンジョンだ。

 そもそも、最下層が何層のことを指すのかわからないくらいに深く広いため、毎日数千人以上の組合員が子のダンジョンに潜っていると言われている。

 そんなダンジョンで、実践訓練をしている異世界からの来訪者が、小部屋とでも言うべき場所で休憩していた。


「全員、だいぶ動きが洗練されてきたな。特に翔と日菜子の連携は騎士団たちを超えたと言っても過言じゃないな」

「ありがとうございます」


 ラティーフの裏表のない評価に、翔が少し疲労した様子を見せながら微笑んだ。

 隣で壁にもたれている日菜子も、翔と同じか、それ以上に疲労しているように見える。


「体力が向上したとはいえ、まだこれだけの運動量はキツイか?」

「そうですね。正直に言えばまだ余裕とは言えませんが、それでも前よりは動けるようになっているので、まだ大丈夫です。それに、私には仲間がいますから、こんなところで挫けている暇はありません」

「そうか。ただ無理だけはするなよ? それで怪我をしたら周りに負担がかかるからな」

「はい!」


 ラティーフの忠告を真剣に聞き、日菜子は元気よく頷いた。


「個人技能で言えば、龍が一番成長しているな」

「当たり前だラティ。俺はこいつらの教師だからな。守るために技術も力も身に着けなきゃいけない」

「ああ、その通りだ。その調子でこいつらを引っ張ってやってくれ」


 ここ数か月で、ラティーフと歳の近い龍之介は愛称で呼び合う仲になっていた。

 二人のやり取りからも、長年の友と言えるような雰囲気を感じる。


「隼人も、最近は調子がいいように見える。一時はどうなるかと思ったが、どうやら問題は解決したようだな?」

「ええ。その節は本当にすみませんでした。大きい力に酔って、色々と錯覚していました」

「それが理解できて、口にしていられる間は大丈夫そうだな」

「はい。綾乃にもちゃんと謝りたいです」


 少し俯き、猛省していることをありありと感じさせる様子で、隼人は呟いた。


「いつか会える時もあるだろうから、その時に誠心誠意、気持ちを込めて謝るんだな。尤も、向こうはあいたいと思っているかどうかはわからんがな」

「俺が言うのもなんですが、多分、綾野は嫌でもしばらくは付き合ってくれると思いますよ」

「それもそうだな。じゃあ次に会うときには葵と互角に戦えるようにもっと鍛えるとするか」


 ラティーフの言葉で、日菜子たちは立ち上がり、隊列を組んでダンジョンの通路を歩きだす。

 短かった休憩に文句を垂れている人もいたが、その表情は口調とは裏腹に明るかった。


「綾乃くん、結愛会長の手掛かり見つけられたかな?」

「そう言えば、この国に結愛会長らしき人物が見たから来てたんだっけ?」


 歩き出した隊列の真ん中で、日菜子は隣にいる翔に話題を切り出した。


「どうだろう。日菜子から聞いてる限り真面目そうだから、見つけてたらラティーフさんのところに言いに来るんじゃなかな?」

「じゃあまだ見つかってないのかな?」

「あくまで推測だけどね」


 そっか、と頷いて日菜子は前を向いた。

 日菜子が話を終わらせたと悟り、翔も前を向き、前を歩く龍之介の背を追う。


「綾乃くん、今頃どうしてるのかな」


 誰に問いかけたわけでもなく、日菜子は小さく呟いた。






 * * * * * * * * * *






「よく耐えるな。さすがは最強の召喚者」


 月明かりが照らす、幻想的ともいえる雰囲気を醸す王国最大の庭園に、関心をありありと感じ取れる声音が響いた。

 しかしその感心を向けられた葵は、褒められていると言うのに、嬉しそうな顔も照れた表情もしない。

 それどころか、肩で息をし、苦々しい顔をしている。

 身に着けていたローブはいたるところが破け、肌からは既に乾いた血が散見できる。


「お前はよく戦ったよ。この世界に来てまだ半年足らずなのに私の攻撃にそこまで耐えているという事実に、はっきり言って驚いている。私に致命傷を与えたこともそうだが、私は少し、召喚者を侮っていたようだ」

「はっ! よく言うぜ。その致命傷も治せるんじゃ、致命傷とは言わねぇよ」


 軽い口調でそう言い放つが、満身創痍の葵が負け惜しみで強がったところで、それは大した影響を持たない。

 事実として、カスバードは葵の強がりを聞いてフッと笑った。


「それだけ威勢がいいならまだ戦えそうだな。熱くなれる久しぶりの戦闘だからな。もっと楽しませてくれよ?」


 嘲笑うような笑いではなく、純粋な好奇心と興奮からくるその笑みが、より葵の絶望を煽る。

 ソウファとアフィが背後の門から連れてこられてから、既に十数分が経過した。

 その間に、葵とラディナはカスバードの猛攻を受け、何度も死にかけた。

 正確には、貰ったダメージは少ないが、受けていれば確実に腕の一本くらい吹き飛んでいたという場面が多々あった。


 それでも未だ致命傷を負わずに耐えられたのは、ラディナの的確な援護があったからだ。

 カスバードは何か自分ルールのようなものでもあるのか、ラディナが葵とカスバードの戦いに横槍を入れているのにも関わらず、ラディナに対して一切攻撃を仕掛けようとしなかった。

 おそらく、それをしないのは葵とカスバードの間に絶対的な実力差があり、ラディナの援護ありきで互角未満の戦いしかできない葵への救済の意味があるのだろう。

 そしてその救済は、自分に致命傷を負わせた相手との“熱くなれる戦闘”という見返りによって維持されているはずだ。

 つまり、カスバードの気分次第では、葵の生命線と言っても過言じゃないラディナを倒しにかかることだって十分にあり得るのだ。

 カスバードの満足できる戦いができなくなった時が、この戦いが終わるときだろう。


 だが、葵の体力は無限じゃない。

 このまま戦い続ければ、いずれ疲れが動きの鈍さに直結するだろうし、その前に出血で倒れる可能性だってある。

 だから、後ろに控える二人共ども早めに倒し切らなければならない。

 幸い、まだカスバードは本気じゃない。

 そこに、もう一度だけの付け入る隙があるはずだ。


「ラディナ。一か八かの作戦がある――」


 ラディナを呼び寄せて、カスバードの目の前で、聞きとれないであろう声量で作戦を伝える。

 それを、カスバードは腕を組んで待つ。

 “熱くなれる戦闘”を求めているカスバードにとって、葵たちが全力を尽くすことが何よりも大事だからだ。

 それがこの数十分で理解した、カスバードという人物の性格だ。


「――承知しました」

「頼むよ。ラディナが要だ」


 葵の言葉に力強く頷いて、ラディナは再び葵を援護できる位置まで下がる。

 それを確認して、カスバードが組んでいた腕を解き、期待を込めた笑みを見せる。


「話し合いは終わったか?」

「ああ。俺と、ラディナの全力で、この不毛な戦いを終わらせる」


 葵の言葉を聞いて、カスバードは浮かべていた笑みをより深くする。


「ほう……じゃあその歪な魂を見せてくれるってことか?」

「魂? 何の話だ?」

「違うのか。まぁいい。全力と言うのなら、俺も相応の力で押し返そう。だから……楽しませてくれよ?」


 カスバードの笑みに、気合が籠るのが分かった。

 戦いに手は抜かない。

 全力でなくとも、その時に見せる力の全てでカスバードは葵を倒しにかかる。

 故に、何度も死にかけた。

 だが今度こそ、死にかけるという流れから抜け出して、この戦いを終わらせる。


 左半身を前に出して腰を落とし、抜き身の無銘を地面と水平になるように肩の辺りまで持ってくる。

 左手で添えるように刀身の先を抑え、その先にいるカスバードを見据える。

 鞘は邪魔なので、指輪にしまう。


「ふぅ……」


 一呼吸ののち、葵が飛び出した。

 最速の駆け足から次点で早い突きをカスバードの心臓目掛けて繰り出す。

 それを難なく()なして、カスバードは葵の首裏へ骨を叩き折る勢いを込めた手刀を叩き込む。

 それを予測していた葵は、突きを放った無銘から右手を離し、風の魔術で手のひらを押し返すと、肘で落とされた手刀を妨害する。

 前に傾いていた上半身が風の魔術により反転し、宙に置き去りにされた刀を左手で掴み取って、反転した勢いのまま無銘で斬りつける。

 空気を切り裂く音を鳴らしながら振りぬかれたそれは、カスバードの頬を浅く切り裂く。


 自らに傷を付けられたことに興奮するような反応を見せるカスバードを気に留めず、ナディアに教わった刀術と長年培ってきた体術で猛攻する。

 思考する暇も、攻めに転じる暇も、それ以外に気を配る暇も、何も与えない。

 ただ防御に徹することしか許さないほどの連撃を。

 息つく暇もないくらいの連撃を。

 相手の嫌がることを網羅した連撃を。

 ただ最速で最強の連撃を。


 思考は放棄した。

 持ちうる全ての力を“魔力操作”と“魔力感知”だけに注ぎ込んで、その他一切を無意識に任せる。

 己の体は、培ってきた経験が動かす。

 最速を、最短で最強を、無意識が支配するだろう。

 癖なんて知らない。

 自分の行動パターンなんて考えない。

 そんなことを考えさせる暇を与えないくらいの連撃を、繰り出せると信じて。


 深く、深く、意識が沈んでいくのを理解した。

 今までにないくらい、周りの状況が理解できて、己をも俯瞰していられるような、深い場所。

 自分が今までにない速さで刀を振るい、体を動かし、カスバードを圧倒していることを理解した。

 頬に与えた浅い傷を皮切りに、カスバードに新しい傷が量産されていく。

 葵なんかとは比べ物にならないくらいの浅い傷が、数えきれないくらいに。

 カスバードの動きが手に取るようにわかる。

 どうしたいのかが全てわかるから、葵はそれを邪魔するように動く。

 考えるより先に体が動き、それがさらにカスバードの選択肢を狭めていく。


 だが、カスバードの表情は苦しくならない。

 楽しそうに、嬉しそうに、笑みを浮かべている。

 その絶対的な差に、しかし葵は考える余地がない。

 今の葵にできるのは、ただ攻め続けることだけ。

 魔力の回復速度は“魔力操作”の鍛錬の影響で上がっている。

 小規模の魔術なら、連発しない限り少ない魔力が底をつくことはない。

 それがわかっているからこその、無茶な攻勢だ。


 刀を振り、足を掛け、手刀で射貫いて、魔術による慣性無視の動きで翻弄する。

 三次元的な戦闘であらゆる方向から連撃を放つ。

 ラディナの援護がなければ、成り立たない戦闘を、魔力をカスバードの周りに纏わせ、圧縮することで代用する。

 持ちうる全てで行われた葵の攻撃は、次第に明確な手応えとなって返ってくる。


「おッ」


 バシュッ、とカスバードの腕から鮮血が飛び出した。

 ただ斬り裂いただけの傷だ。

 それでも、今までより格段に深い傷跡となって、カスバードの腕に刻まれた。

 その事実を認識した瞬間、葵の攻撃にキレが増す。

 どんどんと、浅くない傷が増していき、カスバードは葵と同じように全身から血が出ている状態となった。

 だが追い込まれているはずのカスバードはニヤリと笑う。


「予想以上だ。じゃあ俺は、隠し玉を出そうかな」


 死にたくなけりゃお前も出せよ? と忠言付きで。

 次の瞬間、カスバードの背中から二本の何かが飛び出した。

 ガチィンッ! と重たい金属が衝突するような音をならして、葵がいた場所を斬り裂いた。


「よく避けたな」


 その言葉には答えず、構えたまま呼吸する。

 カスバードの背中から飛び出したのは、二つの(はさみ)だ。

 肌と同じ色をしているが、音から察するにあれは肌よりも数倍は固いだろう。

 そして足元には、一本の尻尾が飛び出ている。

 その形状は独特で、先っぽが丸い形をしている。


「なるほど。サソリか」

「本当はここまで晒す気はなかったがな。熱くなれる戦いをしてくれた相手への返礼だと思ってくれや」

「要らないな。返すよ」

「そう釣れないこと言うな。面白いのはこれからだッ!」


 楽しそうに笑い、今度はカスバードが飛び出した。

 一瞬で切り替え、カスバードの攻撃を凌ぎ、すぐに攻勢へと転じる。

 守勢へ移れば確実に負けるとわかっているからこその、無茶な転身だ。

 増えた鋏と尾は、防御力としても、攻撃力としても、文字通り手数となって脅威となるだろう。


 だが、それがあることは“魔力感知”でわかっていた。

 出してきたことは想定外だが、それの対処も慣れればいいだけ。

 相手の手数が増えたなら、もっと早く動いてそれを越えるだけだ。

 “魔力操作”の限界が来たと思っていたが、まだ世の中には上がいることをさっきの幻影で知った。

 なら俺も、その領域に達せばいいだけ。

 狭くて深い才能なら、それもできるはずだ。


 潜れ。

 深い闇に。

 無意識の領域に。

 意識では引き出せない、人の最大を引き出せ。

 その先に、勝利があるのだから。


「まだ上がるのか!」


 カスバードの言葉は耳に入らない。

 ただ早く、もっと早く。

 それだけが葵の体を動かし、カスバードの鋏と尾の手数と匹敵した。


 動きが洗練されていく。

 まるで数年の努力を数秒に纏めたビデオでも見ているような錯覚を、カスバードは覚えた。

 刀を振って、殴って蹴る。

 そう言った攻撃の速度も去ることながら、動きの最適化、成長速度が異常だった。

 瞬きすれば一歩、腕を振るえば二歩、攻撃を受け、顔を顰めれば三歩。

 異様な速さで、目の前の召喚者は強さの階段を歩んでいく。

 その光景を目の当たりにして、カスバードは興奮した。

 つい最近、魔王軍の幹部として迎え入れられた男に匹敵するか、それ以上のポテンシャルを秘めていると確信した。

 それが、カスバードの闘争心に火をつける。


「面白いなッ! 綾乃葵!」


 胸を斬り裂かれたときにのみしか使わなかった魔術を展開して、カスバードは今出せる全力で葵に応対する。

 百以上の火の魔術が展開され、それが高速で投射される。

 投射している間も、減った分の魔術が展開され、待機中の魔術の総量が変わらない。

 それを葵の猛攻の合間に行っているという事実が、カスバードの実力の高さをありありと示していた。


「その刀、魔術喰(マジックイーター)か!」


 迫りくる火の魔術を、カスバードを斬る合間に躱し、刀で斬り伏せる。

 その光景を見てカスバードが声を上げるが、それに構わず葵はさらに速度を上げる。

 早く動きすぎた影響か、目の前が次第にぼやけてきたが、輪郭が捉えられているので問題はない、と攻撃の手を止めない。

 迫る魔術は全て“魔力感知”で捉え、その全てを無力化する。

 攻めて、攻めて、攻めて、攻めて、攻めて。


 パキィンッと甲高い音を立てて、刀が弾かれた。

 葵の上段斬りが振り上げられた鋏によって防がれ、葵の手から離れた音だ。

 上空へと打ち上げられた刀という最大の攻撃手段を奪われ、同時に刀が手からすっぽ抜けたことで葵の上半身が前のめりに倒れる。

 その隙を、カスバードは逃さない。

 振り上げた鋏を引き戻し、地面に叩きつけるようにして葵のがら空きの背中へと打ち込む。


 それを“魔力感知”で捉え、葵は左手に握られた()()()()()()()()()()()を右手で握り締め、右足を足裏に仕込まれた刻印魔術による風魔術でブーストし、大きく一歩を踏み込み、カスバードの懐に潜り込む。


「『心結流抜刀術 桂斬り』」


 必殺の間合い、タイミングで放たれたそれは、カスバードの胸を逆袈裟掛けで斬り裂いた。

 今までにないくらいの血量を胸から溢れさせるカスバードは、それを行った葵を見て、少し残念そうな顔をした。


「……ああ、お前は――俺を殺せないんだな」


 鋏で動体を掴まれ、骨が折れ、内臓が潰れる強さで挟み潰される。

 呻き声をあげ、腕の骨が折れたことで無銘を握っていられず落とす。

 カランカランと音を立てて、少し遠くに転がったそれを認識しながら、自身を挟み軽々と持ち上げる鋏の持ち主であるカスバードを見る。


「ずっと違和感があったんだ。俺に致命傷を与えた後、俺が驚きお前が追撃したときになんで死ななかったのか。最初はお前に何か異常があったんだろうと思った。でも戦っていくうちに違うんじゃないかと思い始めたが、今の攻撃で確信した」


 治癒魔術で胸に作られた袈裟の傷を癒しながら、カスバードは淡々と告げる。

 俯き、視線を合わせない葵を、鋏を閉めることで無理やり顔を上げさせて、その瞳を凝視する。

 そして、核心を突いた。


「お前、人を殺すことに躊躇いがあるだろ」


 カスバードの言葉に、葵は答えられない。

 葵はこの世界に来て、サルという魔獣を、命を殺し、何の感慨も抱かなかった。

 冷徹な人間だったと思い知ると同時に、それなら魔人を殺すことに躊躇いもないからちょうどいいか、なんて思っていた。

 だが実際に、こうして対面し、戦って分かった。

 カスバードの言うように、葵は人を殺せない。

 殺そうとすると、どうしても無意識のうちにブレーキがかかる。


 どうにもならなかった。

 どうにかしようと思っていた。

 どうにかなると、思っていた。

 だが実際は、無理だった。


 その現実が、葵から言葉を取り上げた。


「そうか。お前が何も言わないならそれでいい。ただ、()()()()回収する」


 そう言って、カスバードは振り向き、ライアンと呼ばれていた女性の方へ手のひらを向けた。

 数瞬後、その先がぼやけ、その中から驚きに目を見開き、少し震えているラディナが現れた。


「なるほど。俺の魔術を見様見真似(みようみまね)で行使したのか。即興にしては随分と高い完成度だが、この状況じゃ意味がないな」


 そう言って、カスバードはライアンへ捕らえろ、と指示を出す。

 それを受けて、ライアンは見えない魔術でラディナの手と足を縛り、額に手を翳した。


「あおい、さまっ……」


 すると、すぐにラディナの瞼が落ちていき、そのまま倒れるようにして眠った。

 倒れる前にライアンがラディナを受け止めて、既に地べたで眠らされているソウファとアフィの横に並べて寝かせた。


「さて、目的はもう達しわけだからあれらを担いで帰ってもいいんだが、お前は脅威だからな。俺個人としては生かしてまた戦いたいんだが生憎と、軍に所属する幹部なんでな。お前は排除する」

「……ぇ?」


 声にならない声で、疑問を呈す。

 だが、声として発音できているかどうかも怪しいその発言は、カスバードには届かない。


「俺を楽しませてくれた礼だ。何か願いがあるなら聞いてやる」


 そう言って、カスバードはもう一方の鋏を振り上げた。


 カスバード(こいつ)は何て言っただろうか。

 あれらを担いで帰る、とそう言ったはずだ。

 あれらとは何だ。

 その時に視線の先にいたのは、横たえられているラディナたちだ。

 つまりカスバード(こいつ)は、ラディナとソウファとアフィを連れ去ろうとしているのだろうか。


 その結論に至った瞬間、葵の中に何かが渦巻いた。


「カスバード様。これ以上苦しませては可哀想です。眠らせて、意識のないうちに一撃で……」

「……そうだな」


 ライアンからの提案に頷いて、カスバードは尾を動かしてその先を葵の太ももに突き刺した。

 中から何かが流れ込み、それを理解した途端、グラッと視界が回転し、意識が薄れていくのを感じた。


 だが自分の意識よりも、カスバードがラディナたちを連れ去ろうとしていることの方が問題だった。

 この世界に来てから、三か月余りの間、葵の傍で、葵を支えてくれたラディナを。

 俺のエゴで助け、その後も色々と苦労を強いたソウファ。

 そのソウファのお目付け役として、色々と世話を焼いてくれたアフィ。


 そんな大切な仲間たちを、あろうことかカスバード達(こいつら)は連れ去ろうとしている。

 その事実が、葵の意識を留める。


「や、めろ……ラディナ、たち、を……連れてい、くな」

「まだ意識があるのか。お前には驚かされてばかりだが……その願いは聞けない。俺たちの目的があれらだからな。だが心配するな。悪いようにはしない」


 葵がまだ意識を繋いでいることに驚きの表情を見せつつ、しかしカスバードは首を振った。

 それを聞いた葵は、どんどんと遠くなっていく意識の中、こうなった原因を考えた。


 こんなところで魔人と会うなんて思ってなかった。

 魔人が想像以上に強かった。

 俺の作戦が甘かった。


 俺の心の弱さが、この原因を招いた。




 そうだ。

 この原因は俺だ。

 俺が魔人を――人を殺せなかったことが原因だ。

 俺が弱かったから、ラディナたちが危険に晒されているんだ。




 嫌だ。

 ラディナたちを失いたくない。

 またラディナの毒舌が聞きたい。

 ソウファの純粋無垢な笑顔を見たい。

 アフィと一緒に、呆れた保護者目線でソウファのことを見ていたい。


 意図して潜っていた時とは違う、深い沼に潜っていく。

 それがどこに通じているのか、この先がどうなっているのかはわからない。

 ただ葵の中には、『嫌だ』という感情だけがあった。


 このままお別れなんて嫌だという感情。

 まだ一緒に居たいという感情。

 もっとたくさん、話をしたいという、子供(ガキ)のような感情。




『ラディナのこと、どうかお願いします』




 ラディナを育てたカミラと交わした誓いだ。

 それが唐突に、葵の脳裏に響いた。


 そうだ。

 誓ったのだ。

 ラディナをお願いしますと言われ、任されたと言ったんだ。




『また誓いを破るのか?』




 脳裏に声が響いた。

 聞き覚えのある、しかし聞くことのできない声が、葵にそう語りかける。


『また裏切るのか』


 葵のことを信頼し、頼ってくれた人たちの期待を裏切るのかと、厳しい口調で押し付けられる。

 結愛のことを任せたと言ってくれた結愛の両親に対してしてしまったことのように。

 ラディナをお願いと言ったカミラにしてしまうかもしれないことのように。




『また、失うのか?』




 この世界に来て、結愛を守るという誓いを守れず、結愛を失った。

 だと言うのに、お前はまた失うのか、と怒りよりも呆れの感情を多く孕んだ声だ。




「失いたくない。裏切りたくない。誓いを、果たしたい」

『なら、どうする』

「……そんなの、決まってる」




 無感情に、ただひたすら平坦な声で、そいつは語り掛ける。

 答えなどわかっている癖に、そいつは訊ねてきた。

 だから、感情も、心も、何もかもをかなぐり捨てて、同じようにして無感情に、平坦に答える。




「ラディナを、ソウファを、アフィを助けたい」




 葵にとって大事なこと。

 葵が守りたいもの。

 それはいつだって変わらない。

 だから葵が守りたいもの以外を見捨てることは、きっと許してくれる。

 でも、それでは悲しませてしまう。

 そんな結末は、葵にとっては許されない。




「だから、カスバード達(あいつら)を――」




 ならどうするかなんて決まってる。

 過去(いままで)も、現在(いま)も、未来(これから)も、変わるはずがない。

 葵の命は、その為だけにあるのだから。






「『――オレが殺す』」









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